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1978-12-22 第87回国会 衆議院 本会議 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十三年十二月二十二日(金曜日)     —————————————  議事日程 第一号   昭和五十三年十二月二十二日     午前十時開議  第一 議席指定     ————————————— ○本日の会議に付した案件  日程第一 議席指定  内閣地方行政法務外務大蔵文教、社   会労働農林水産運輸逓信決算及び懲   罰の各常任委員長辞任の件  内閣委員長外十一常任委員長選挙  災害対策を樹立するため委員四十人よりなる特   別委員会公職選挙法改正に関する調査をな   すため委員二十五人よりなる特別委員会、科   学技術振興対策を樹立するため委員二十五   人よりなる特別委員会石炭に関する対策を   樹立するため委員二十五人よりなる特別委員   会、公害対策並びに環境保全の諸施策を樹   立するため委員二十五人よりなる特別委員   会、物価問題等に関する対策を樹立するため   委員二十五人よりなる特別委員会交通安全   に関する総合対策樹立のため委員二十五人よ   わなる特別委員会、沖繩及び北方問題に関す   る対策樹立のため委員二十五人よりなる特別   委員会及びロッキード問題に関し徹底的に調   査しその真相を解明するため委員三十人より   なるロッキード問題に関する調査特別委員会   を設置するの件(議長発議)  裁判官訴追委員辞職の件  裁判官弾劾裁判所裁判員予備員選挙  裁判官訴追委員及び同予備員選挙  検察官適格審査会委員予備委員選挙  国土総合開発審議会委員選挙  中国地方開発審議会委員選挙  北陸地方開発審議会委員選挙  離島振興対策審議会委員選挙  国土開発幹線自動車道建設審議会委員選挙  鉄道建設審議会委員選挙  前尾繁三郎君の故議員玉置一徳君に対する追悼  演説  大原亨君の故議員萩原幸雄君に対する追悼演説  北西太平洋ソヴィエト社会主義共和国連邦の   地先沖合における千九百七十七年の漁業に関   する日本国政府ソヴィエト社会主義共和国   連邦政府との間の協定有効期間の延長に関   する議定書締結について承認を求めるの件  日本国地先沖合における千九百七十七年の漁   業に関する日本国政府ソヴィエト社会主義   共和国連邦政府との間の協定有効期間の延   長に関する議定書締結について承認を求め   るの件     午後一時四分開議
  2. 保利茂

    議長保利茂君) 諸君、第八十七回国会は本日をもって召集せられました。  これより会議を開きます。      ————◇—————  日程第一 議席指定
  3. 保利茂

    議長保利茂君) 衆議院規則第十四条によりまして、諸君議席は、議長において、ただいまの仮議席のとおりに指定いたします。      ————◇—————  常任委員長辞任の件
  4. 保利茂

    議長保利茂君) 常任委員長辞任の件につきお諮りいたします。  内閣委員長始関伊平君、地方行政委員長木武千代君、法務委員長鴨田宗一君、外務委員長永田亮一君、大蔵委員長大村襄治君、文教委員長菅波茂君、社会労働委員長木野晴夫君、農林水産委員長中尾栄一君、運輸委員長増岡博之君、逓信委員長松本七郎君、決算委員長楯兼次郎君及び懲罰委員長中村正雄君から、それぞれ常任委員長を辞任いたしたいとの申し出があります。これを許可するに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 保利茂

    議長保利茂君) 御異議なしと認めます。よって、許可するに決しました。      ————◇—————  常任委員長選挙
  6. 保利茂

    議長保利茂君) つきましては、これより各常任委員長選挙を行います。
  7. 玉沢徳一郎

    玉沢徳一郎君 各常任委員長選挙は、その手続を省略して、議長において指名されんことを望みます。
  8. 保利茂

    議長保利茂君) 玉沢徳一郎君の動議に御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  9. 保利茂

    議長保利茂君) 御異議なしと認めます。よって、動議のごとく決しました。  議長は、各常任委員長を指名いたします。          内閣委員長 藏内 修治君     〔拍手〕        地方行政委員長 松野 幸泰君     〔拍手〕          法務委員長 佐藤 文生君     〔拍手〕          外務委員長 塩谷 一夫君     〔拍手〕          大蔵委員長 加藤 六月君     〔拍手〕          文教委員長 坂本三十次君     〔拍手〕        社会労働委員長 森下 元晴君     〔拍手〕        農林水産委員長 佐藤  隆君     〔拍手〕          運輸委員長 箕輪  登君     〔拍手〕          逓信委員長 石野 久男君     〔拍手〕          決算委員長 加藤 清二君     〔拍手〕          懲罰委員長 曽祢  益君     〔拍手〕      ————◇—————  特別委員会設置の件
  10. 保利茂

    議長保利茂君) 特別委員会設置につきお諮りいたします。  災害対策を樹立するため委員四十人よりなる特別委員会  公職選挙法改正に関する調査をなすため委員二十五人よりなる特別委員会  科学技術振興対策を樹立するため委員二十五人よりなる特別委員会  石炭に関する対策を樹立するため委員二十五人よりなる特別委員会  公害対策並びに環境保全の諸施策を樹立するため委員二十五人よりなる特別委員会  物価問題等に関する対策を樹立するため委員二十五人よりなる特別委員会  交通安全に関する総合対策樹立のため委員二十五人よりなる特別委員会  沖繩及び北方問題に関する対策樹立のため委員二十五人よりなる特別委員会 及び  ロッキード問題に関し徹底的に調査しその真相を解明するため委員三十人よりなるロッキード問題に関する調査特別委員会設置いたしたいと存じます。これに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  11. 保利茂

    議長保利茂君) 御異議なしと認めます。よって、そのとおり決しました。  ただいま議決せられました九特別委員会委員は追って指名いたします。      ————◇—————  裁判官訴追委員辞職の件
  12. 保利茂

    議長保利茂君) お諮りいたします。  裁判官訴追委員加藤清二君及び曽祢益君から、訴追委員を辞職いたしたいとの申し出があります。右申し出を許可するに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  13. 保利茂

  14. 保利茂

  15. 玉沢徳一郎

    玉沢徳一郎君 各種委員等選挙は、いずれもその手続を省略して、議長において指名せられ、裁判官弾劾裁判所裁判員予備員裁判官訴追委員予備員職務を行う順序については、議長において定められんことを望みます。
  16. 保利茂

    議長保利茂君) 玉沢徳一郎君の動議に御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  17. 保利茂

    議長保利茂君) 御異議なしと認めます。よって、動議のごとく決しました。  議長は、裁判官弾劾裁判所裁判員予備員中山利生君を指名いたします。  なお、その職務を行う順序は第二順位といたします。  次に、裁判官訴追委員に       瀬戸山三男君    岡田 春夫君    及び 受田 新吉君 を指名いたします。  また、裁判官訴追委員予備員青木正久君を指名いたします。  なお、予備員職務を行う順序は第二順位といたします。  次に、検察官適格審査会委員予備委員青木正久君を指名し、天野光晴君の予備委員といたします。  次に、国土総合開発審議会委員村田敬次郎君を指名いたします。  次に、中国地方開発審議会委員田中龍夫君を指名いたします。次に、北陸地方開発審議会委員綿貫民輔君を指名いたします。  次に、離島振興対策審議会委員に       櫻内 義雄君 及び 小沢 辰男君 を指名いたします。  次に、国土開発幹線自動車道建設審議会委員に       齋藤 邦吉君    倉石 忠雄君       河本 敏夫君 及び 足立 篤郎君 を指名いたします。  次に、鉄道建設審議会委員に       齋藤 邦吉君    倉石 忠雄君    及び 河本 敏夫君 を指名いたします。      ————◇—————
  18. 保利茂

    議長保利茂君) 御報告いたすことがあります。  議員玉置一徳君は、去る十一月二十六日逝去せられました。まことに哀悼痛惜至りにたえません。  同君に対する弔詞は、議長において去る十五日贈呈いたしました。これを朗読いたします。     〔総員起立〕  衆議院は多年憲政のために尽力された議員正四位勲二等玉置一徳君の長逝哀悼しつつしん弔詞をささげます     —————————————  故議員玉置一徳君に対する追悼演説
  19. 保利茂

    議長保利茂君) この際、弔意を表するため、前尾繁三郎君から発言を求められております。これを許します。前尾繁三郎君。     〔前尾繁三郎登壇
  20. 前尾繁三郎

    前尾繁三郎君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員玉置一徳君は、去る十一月二十六日郷里において急逝されました。まことに痛惜の念にたえません。  私が玉置君を初めて知りましたのは、君が府会議員に当選された当時のことでありまして、自来約三十年間、御交誼をいただいてきたのであります。所属政党こそ異なってはおりましたが、君の誠実無比な人柄とたゆまぬ努力によって、真剣に国政に取り組んでこられた政治家玉置君に常に心からの尊敬の念を抱き、今後一層の御活躍を期待しておりました。しかるに、もはや君のお姿はこの議場に見ることはできません。私は、限りない寂蓼の感に打たれているのであります。  ここに諸君の御同意を得まして、議員一同を代表し、謹んで哀悼言葉を申し述べたいと存じます。(拍手)  玉置君は、明治四十五年七月、京都相楽郡加茂町の素封家の長男としてお生まれになりました。幼少より俊秀の誉れ高く、府中桃山中学校から第四高等学校を経て、昭和十一年京都帝国大学法学部を卒業後、直ちに浅野セメント株式会社に入社されましたが、入社後間もなく兵役に服され、五年余にわたり中国各地を転戦、非常な御苦労をされたのであります、昭和十七年除隊にはなりましたが、なお朝鮮の鉱山会社に転職されて、そこで終戦を迎えられたとのことであります。  戦後、郷里に帰還された君は、まず農業に従事されましたが、荒廃した農村の実情を目の当たりに見て、これからの農業社会主義によらなければならないことを痛感され、日本社会党に入党、社会主義による農村復興を旗印に農民運動に身を投ぜられたのであります。そこで君は、まず農業協同組合化を図るために、南山城農産加工企業組合相楽茶業組合などを設立し、郷土特産物産業振興に努められたのであります。  このような農業に対する君のひたむきな活動は、君の人柄と相まって、やがて広く人々の信頼と期待を集め、昭和二十六年五月には推されて京都府会議員となられ、長年の宿願であった政治家としての第一歩を踏み出されたのであります。  それから約九年間、府会議員に当選すること三回、戦後の農村の再建と山城の災害復興に没頭されました。また、その間、京都農業会議議員京都土地改良事業協会会長あるいは京都農業共済連合会会長歴任され、地域社会発展に大きな業績を残されました。  昭和三十五年一月、働く階層の権利と利益を増進し、漸進的に社会主義の達成を目指す民主社会党の結成を見るや、故水谷長三郎先生に私淑されていた君は、いち早く民主社会党京都府連に入党し、同府連の副会長就任、同年十一月の第二十九回衆議院選挙に立候補されました。すでに地方政界において確固たる基盤を築かれた君は、新党の新人による新風を国政にとのキャッチフレーズによって選挙戦に臨まれましたが、君が国政の改革に寄せる情熱はたちまち郷党の熱烈な支持を得るところとなり、みごと当選の栄冠をかち取られ、全国ただ一人の民主社会党新人議員として中央政界への輝かしいスタートを切られたのであります。(拍手)  本院に議席を得られた君は、当選すること前後五回、在職十五年三月の長きにわたり、農林水産建設、商工各常任委員会の理事を初め、予算、建設外務議院運営文教大蔵等数多くの常任委員として熱心に審議に当たられました。特に、農業基本法中小企業基本法の制定の際には、いつも超党派的な役割りを果たされ、農業中小企業基盤強化のために大きな功績を残されたことは、いまも諸君の記憶に新しいところでありましょう。  また、党にあっては政策審議会会長中小企業対策委員長農林漁業対策委員長、資源もエネルギー対策特別委員長などの要職を歴任、さらに党議案審査会会長に推され、政策推進と党務の処理にその本領を発揮されて、君の存在はいよいよ重きをなしておられたのであります。わけても、君は昭和四十年以来国会対策委員長として、約十二年間の長きにわたり歴代の委員長を助けてこられました。  ことに、私の議長在任の三年八カ月は、故民社党国会対策委員長池田禎治君を陰に陽に補佐され、国会正常化に真摯な御協力を賜ったことは、私にとりましても忘れ得ぬ思い出であり、いまもって感謝にたえないところであります。(拍手)  また、昨年十一月の臨時国会からは国会対策委員長となられ、与野党伯仲下において日中平和友好条約承認不況対策と雇用安定の実現、一兆円減税の要求など国民生活にかかわりの深い重要問題に取り組まれ、持ち前の粘り強さと鋭い洞察力をもって野党連携のかなめとなり、また、各党間の話し合いを誠意を尽くして進められるなど、池田禎治君の後、国会運営のベテランとして党内外の信望を集められ、本院にとりましてもかけがえのない存在でありました。(拍手)  それにしても、この一年間、さきの臨時国会の寝食を忘れての活動といい、各党の代表としてブラジルと中国への文字どおりの東奔西走といい、いずれも、いまにして思えば、体内深く病状が進行しつつあるにもかかわらず、病躯を押してのことでありまして、その君の責任感と倒れて後やむの精神に強い感動を覚え、胸に迫る思いがするのであります。(拍手)  君は、不屈の闘士である反面、深い愛情の持ち主でありました。郷土の繁栄なくして国家発展はあり得ないとの信念のもとに、郷土伝統的産業の育成や農家や中小企業者の金融に奔走される傍ら、田畑に出かけて気軽に農民日本農業の将来などの話に花を咲かせるなど、謙虚な人柄とひょうひょうとして村夫子然たる風格は、庶民に親しみやすく、よく冗談に、私は京都帝大法学士であるのに、皆は農科を出た農学士だとばかり思い込んでいるようだなどと笑わせておられましたが、「百億先生」の愛称で郷土人々からも限りなく敬愛されている庶民政治家でもありました。(拍手)  また、君は、昭和四十五年には京都霊雲院住職山田無文老師とともに社団法人南太平洋友好協会を設立し、副会長となって、太平洋戦争の戦場となった南方各地の戦跡を毎年遺族とともに訪ね、散華した英霊の遺骨の収集と慰霊の法要を行っておられました。玉置君は、「これは政治やイデオロギーを超えて、日本人として、また戦争に加わった者として当然の義務である。今後も続けていきたい」と語っておられたとのことであります。これもまた、君のあふれるような人間愛を物語って余りあるものと思います。  実は、私は、京都府の知事選挙においては昭和四十一年以来、蜷川府政に反対の立場に立たれた君とともに四回闘ってまいりましたが、遺憾ながな三回は苦杯をなめ、ともに涙をのんできたのであります。四回目の本年の春には、君は民社党の苦しい立場にありながらも、陰に陽にわれわれを助けられ、ついに、ともに長年の素志を貫くことができました。しかし、お互いに喜び合ったのもっかの間で、緒についたばかりの林田府政も君の今後の御支援と御指導を期待しておりました折から、君の急逝は返す返すも残念と言わなければなりません。(拍手)  君は、常にみずからの功を誇らず、じみではありましたが、いかなる苦難にもくじけず、いかなる権力にも恐れず、ひたすら正しい民主主義実現を目指して精進された誠実一路の生涯でありました。しかるに、政治家としてはいよいよ君の真価を発揮されるべきよわいでありながら忽然としてゆかれましたことは、ひとり民社党損失だけではなく、本院にとっても、国家にとっても、大いなる損失であり、惜しみてもなお余りあるものと言わなければなりません。(拍手)しかし、君のような長年にわたる犠牲的御努力の積み重ねこそが、民主主義の礎としてやがて花を開き、実を結ぶものであることを私はかたく信じて疑いません。  ここに玉置君の生前の功績をたたえ、その人となりをしのび、心から御冥福を祈って、追悼言葉といたします。(拍手)      ————◇—————
  21. 保利茂

    議長保利茂君) 御報告いたすことがあります。  議員萩原幸雄君は、去る十一月二十九日逝去せられました。まことに哀悼痛惜至りにたえません。  同君に対する弔詞は、議長において去る十一日贈呈いたしました。これを朗読いたします。     〔総員起立〕  衆議院議員従四位勲三等萩原幸雄君の長逝哀悼しつつしん弔詞をささげます     —————————————  故議員萩原幸雄君に対する追悼演説
  22. 保利茂

    議長保利茂君) この際、弔意を表するため、大原亨君から発言を求められております。これを許します。大原亨君。     〔大原亨登壇
  23. 大原亨

    大原亨君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、広島県第一区選出議員萩原幸雄君は、去る十一月二十九日急逝されました。  ここに議員各位の御同意を得て、議員一同を代表し、謹んで哀悼言葉を申し述べたいと存じます。(拍手)  萩原君は、本年二月、持病の糖尿病が高じて倒れられましたが、以来御家族の看護のもとに、病気と懸命に闘い続けておられましたその君の姿を見るにつけ、いつの日か病を克服して必ずや健康を取り戻されるものとかたく信じて疑いませんでした。  去る八月五日、広島市の平和記念式典の前夜には、あなたは広島グランドホテルに元気な姿をあらわし、席を同じくしていた私に向かって、「災いを転じて福となす、やっと健康を回復する確信がつきました」としみじみ申されました。このときの健康そうな君の顔をいまも忘れることはできません。そして、あなたが亡くなられる一カ月ほど前にも院内の廊下で再度お会いをして、「お互いに健康に気をつけましょう」と言って励まし合って別れたのであります。  その後、十一月の半ば、一時入院をして検査を受けられましたが、糖尿病も快方に向かっているとの医師の診断に奥様とともに笑いがよみがえり、十一月二十八日には上京のため切符の手配もされ、「自民党大会首班指名臨時国会には何としても出席するのだ」と張り切っておられたやさき、容態が急変をし、翌二十九日午前に引き続き午後には大量の吐血を繰り返され、救急車県立病院に運ばれました。そして医師団の手当てのかいもなく、午後八時五分、あなたはついに不帰の客となられました。直接の死因は食道静脈りゅうの破裂でありますが、解剖の結果は肝硬変と糖尿病と診断されました。  萩原君、いまここに若いあなたと幽明界を異にして、私が若いあなたに追悼言葉を贈ることになろうとはだれが予測したでありましょうか。人生まことに無常、痛恨のきわみと言わねばなりません。  萩原幸雄君は、大正十二年十月、広島市の西、広島県佐伯郡大野町にお生まれになり、旧制広島一中四年修了後、旧制広島高等学校を経て東京帝国大学法学部に進まれました。終戦直後の昭和二十年九月、大学を卒業された君は、戦禍を受けて荒廃をした国土復興国民生活の安定に若い情熱をささげるべく、内務省に入られました。自来、静岡県、広島県在勤の後に自治庁及び自治省の各課長を歴任をされましたが、との間、君は地方税地方財政のエキスパートとして、その実績を高く評価されました。とりわけ、固定資産税の課税の基礎となるべき評価制度の改善に寄与され、また「固定資産税」あるいは「事業税の解説」という名著を残されるなど、その功績は特筆すべきものがあったのであります。  昭和四十一年、君は推されて広島県副知事に御就任、六年五カ月にわたり県勢の振興に努められました。  君は、広島県内における高度経済成長下のひずみの是正、過疎過密、公害あるいは県民間の所得の不均衡是正など、うんちくを傾けて長期総合計画の立案と実行に当たられ、その卓越した手腕を発揮されました。特に広島市の再開発、大規模住宅団地建設、瀬戸内海の島々に対する水道供給事業実現原爆被爆者対策病院の整備にも大きく貢献をされたことは、広く県民の知るところであります。(拍手)  昭和四十七年七月、広島県を襲った集中豪雨各地に甚大な被害をもたらしましたが、特に県北の三次市は江の川のはんらんにより完全に孤立状態となりました。君は直ちに現地に急行し、濁流の中で不眠不休被災者救援活動応急復旧陣頭指揮に当たられました。君のこの迅速適確な措置と温かい態度に、市民はいたく感動し、君の功労はいまもなお語り継がれているところであります。  続く昭和四十七年九月には、広島市と周辺三町の高知県沖への屎尿外洋投棄問題が重大問題化いたしました。君は再三にわたり高知県に赴き、猛反対する関係漁民話し合いを重ねた結果、ついに円満妥結高知県との間で覚書を交換、調印にこぎつけられたのであります。  かくして、この年、昭和四十七年の秋を迎え、君の身辺に一大変革が起こりました。故砂原格代議士急逝とその後継者問題がこれであります。日ごろ、君のすぐれた手腕と誠実な人柄に大きな期待を寄せられた郷党、各界から、あなたを国政のひのき舞台に送らんとする声が急速に高まったのであります。あなたは、一度は固辞されましたが、支持者の強い要請にこたえて、三十年に近い官界生活を去り、昭和四十七年十二月の第三十三回衆議院議員選挙に際し、自由民主党から立候補し、先輩の灘尾代議士や私を抜いて、最高点をもってみごと当選されたのであります。(拍手)この選挙中、資金の枯渇に悩まされた君は、「財産があるわけではなし、ないそでは振れない」と言い切って最後まで闘い抜かれたことも語りぐさとなりました。  本院議員となられた君は、長年の地方行政における豊富な経験をもとに、着々と研さんを積まれました。大蔵あるいは決算委員として国の財政運営基本を体得され、また、内閣委員として行政機構のあり方について検討を加えられました。  さらに、君は、原爆被爆者対策に常に心を砕いておられました。実兄を原爆で失い、被爆直後、その兄上の消息を尋ねて広島市に入った君自身も二次放射能を受けられ、さらには、最愛の恵美子夫人被爆の体験をお持ちであることから、君は広島出身国会議員の一人として、被爆者対策推進に特段の力を注いでこられたのであります。  君はまた、昭和五十年五月には、この壇上において、自由民主党を代表して、当時の三木総理に対し、独禁法改正案の質疑をされましたが、この質疑を通じて、わが国経済社会の実態と独占禁止政策の位置づけについて解明をされるとともに、問題点の所在を自民党の立場から国民の前に明らかにされたのでありまして、君の演説は私どもの記憶に新たなところであります。  かくて、在職期間は六年余という短いものであったとは申せ、精励もって本院議員の職責を果たされた君の功績は大なるものがあったと申さねばなりません。(拍手)  君は、色紙を求められると、ただ一字「誠」という座右の銘を揮毫されました。文字どおり、その生涯を通じて誠実にして真摯、大言壮語するではなく、政治家として着実でうそのない政治をその信条としておられました。また、律儀な性格の反面、きさくで、常に明るく、その人柄は広く選挙民の敬愛の的でありました。  あなたを知るだれもが、あなたの一日も早い健康回復を祈り、将来を期して大きな飛躍を期待をいたしておりましたのに、よわい五十五歳、これからという若さをもって忽然として去っていかれました。君の御逝去は、ひとり自由民主党のみならず、本院にとっても、広く国家、国民にとっても大きな損失であり、惜しみてもなお余りあるものがあります。  順風満帆の官界から、決意して波乱怒濤の政界に足を踏み入れ、志半ばにして急逝された君の心中を思い、奥様を初め御遺族の心情をお察しするとき、まことに痛恨の念にたえません。また同時に、落ちついて療養もできなかった政治生活の厳しさを、他人事ではなくいまさらのように身につまされるのであります。  ここに、いまは亡き萩原幸雄君の御冥福を心からお祈りをして、追悼言葉といたします。(拍手)      ————◇—————
  24. 保利茂

    議長保利茂君) この際、暫時休憩いたします。     午後一時四十三分休憩      ————◇—————     午後五時四分開議
  25. 保利茂

    議長保利茂君) 休憩前に引き続き会議を開きます。      ————◇—————
  26. 玉沢徳一郎

    玉沢徳一郎君 議事日程追加の緊急動議を提出いたします。  すなわち、この際、北西太平洋ソヴィエト社会主義共和国連邦地先沖合における千九百七十七年の漁業に関する日本国政府ソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間の協定有効期間の延長に関する議定書締結について承認を求めるの件、日本国地先沖合における千九百七十七年の漁業に関する日本国政府ソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間の協定有効期間の延長に関する議定書締結について承認を求めるの件、右両件を一括議題となし、委員長報告を求め、その審議を進められんことを望みます。
  27. 保利茂

    議長保利茂君) 玉沢徳一郎君の動議に御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  28. 保利茂

    議長保利茂君) 御異議なしと認めます。よって、日程は追加せられました。     —————————————  北西太平洋ソヴィエト社会主義共和国連邦地先沖合における千九百七十七年の漁業に関する日本国政府ソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間の協定有効期間の延長に関する議定書締結について承認を求めるの件  日本国地先沖合における千九百七十七年の漁業に関する日本国政府ソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間の協定有効期間の延長に関する議定書締結について承認を求めるの件
  29. 保利茂

    議長保利茂君) 北西太平洋ソヴィエト社会主義共和国連邦地先沖合における千九百七十七年の漁業に関する日本国政府ソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間の協定有効期間の延長に関する議定書締結について承認を求めるの件、日本国地先沖合における千九百七十七年の漁業に関する日本国政府ソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間の協定有効期間の延長に関する議定書締結について承認を求めるの件、右両件を一括して議題といたします。  委員長報告を求めます。外務委員長塩谷一夫君。     —————————————  北西太平洋ソヴィエト社会主義共和国連邦地先沖合における千九百七十七年の漁業に関する日本国政府ソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間の協定有効期間の延長に関する議定書締結について承認を求めるの件  日本国地先沖合における千九百七十七年の漁業に関する日本国政府ソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間の協定有効期間の延長に関する議定書締結について承認を求めるの件     〔本号末尾に掲載〕     —————————————     〔塩谷一夫君登壇
  30. 塩谷一夫

    ○塩谷一夫君 ただいま議題となりました二件につきまして、外務委員会における審査の経過並びに結果を御報告申し上げます。  昭和五十二年五月二十七日にモスクワで署名された日ソ漁業暫定協定並びに同年八月四日に東京で署名されたソ日漁業暫定協定は、その有効期間が一年間延長され、ともに本年十二月三十一日に満了することになっております。  このため、政府は、ソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間に両協定有効期間の再延長に関する議定書締結するため、本年十一月十八日以来東京において交渉を行ってまいりましたが、合意に達しましたので、十二月十五日両議定書に署名を行いました。  両議定書は、いずれも両協定有効期間を明年十二月三十一日までさらに一年間延長すること、両政府の代表者は、明後年以降の問題に関して、明年十一月十五日までに会合し、協議すること等を内容としております。  両件は、本二十二日本委員会に付託され、委員会におきましては、園田外務大臣から提案理由の説明を聴取し、質疑を行い、引き続き採決を行いました結果、両件はいずれも全会一致をもって承認すべきものと議決いたしました。  以上、御報告申し上げます。(拍手)     —————————————
  31. 保利茂

    議長保利茂君) 両件を一括して採決いたします。  両件は委員長報告のとおり承認するに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  32. 保利茂

    議長保利茂君) 御異議なしと認めます。よって、両件とも委員長報告のとおり承認するに決しました。      ————◇—————
  33. 保利茂

    議長保利茂君) 本日は、これにて散会いたします。     午後五時九分散会      ————◇—————  出席国務大臣         外 務 大 臣 園田  直君      ————◇—————