○
青柳委員 私
自身、怪しげな
電話の主から、昨年の十一月中のことでありますが、
香川民事局長の
名前を聞かされて、半信半疑でおりました。ところが、最近
鬼頭判事補の
名前が言われる
ようになりましてから、あるマスコミの方からの
情報によりますと、いま
諫山議員が言われた
ように、
宮本委員長に関する
診断書とかその他の
書類というのは、
自分は渡したことはないが、
香川民事局長が渡したんだと言ったと言われるので、昨年の十一月ころの
電話の主というのが同一
人物ではなかろうか、つまり
鬼頭裁判官ではなかろうかという推測をした事実があります。
と申しますのは、昨年の三月時分でございますけれ
ども、私の住所を
発信人の場所といたしまして、
発信人の
名前は
青柳虎之助、これは実際私の兄で、もと
裁判官をやっており、現在名古屋で
弁護士をしております。まだ生きております。こういう
人物の
名前で、
衆議院議員会館内の
青柳盛雄あての
書留郵便を受け取りました。
電話の
中身は、近々におまえのところの
社長の名誉に関することが
新聞その他雑誌の
記事になって出る、大変なことであるという
お話で、
社長とはだれを指すのですかと言ったら、わかっているではないか、それは
宮本委員長のことだよという
お話でございます。どういう
内容ですかという
質問に対して、近々に出るからわかるよ、これに協力しているのは
法務省の元
官房長だよ、現在は
局長だよという話で、そうなりますと、
香川さんのことに間違いありませんから、
香川さんのことですかと言ったら、そうだというきわめてぞんざいな
返事でございました。私は、そのときに、一体
何者だろうかと思ったのでありますが、
先ほどの
手紙を思い出しまして、
手紙の主がぴったり合っておりますから、この
手紙の主というのはやはり
電話の主と同じであろうというふうに考え、これは一体
何者だろうかと思っておりましたら、
先ほどの
新聞記者からの
情報などによりますと、
鬼頭そのものである。これほど符節を合する事実というものはそう俗にはないわけです。それが
一つ。
それから、文芸春秋に「
日本共産党の研究」という題で
立花隆氏の論文の
ようなものが載りまして、その付録に新しい
資料として、
判決文と
鑑定書が載っておりました。これが新しいものでも何でもないんだということは、私
ども共産党にはよくわかっておったのでありますが、そのことに関連して、私の戦前からの同僚の
弁護士である
森長英三郎君が、
宮本委員長の
弁護人でもありましたので、あちらからこの
判決が出たかどうか、多分彼は
戦災で焼失したということを言っておったのが
記憶にありますので、あちらから出たかどうか、そうでないとすると相
弁護人の方から出たかどうか、そういうことを私は確かめ
ようと思いまして、
森長弁護士に
電話をかけて聞いたところが、あれは君も知っているとおり
戦災ですっかり焼いてしまった、それから、もう一人の
弁護士の方から出たというふうには
自分は考えない。なぜかというふうに私が聞きましたら、実は
現職の
役人があの
判決のことについて話をしていたことがあると。そこで、私は
香川民事局長のことが頭にありましたから、
電話で聞いておりましたから、その
名前は言わずに、元
裁判官で現在は
法務省の
役人になっている
ような人かと言ったら、
森長君は
言葉を濁しまして、元かどうか知らないが現在
役人だという
ような怪しげな
返事です。
検事なのかと言ったら、いや
検事ではない。じゃ
裁判官かと言ったら黙ってしまいました。彼は、
鬼頭裁判官にその当時ある話を持ちかけられて
名前はよく知っておるから、私に率直に話してくれればよかったのですが、
鬼頭裁判官の名誉を重んじて言わなかったと思います。そのこと自体私は彼をとがめるつもりは毛頭ありませんけれ
ども、ただ、その際にその
人物は
森長君に対して、あなたは
判決書を持っていないそうだけれ
どもおれのところにあるんだ、だからそのうちに写しを上げましょうと言ったから、それじゃくださいと言ったけれ
ども、それきりくれない。こういうことを言ったそうであります。
こういうのを照らし合わせてみますと、もういろいろの点で
鬼頭裁判官があれこれのことを言っておる。しかも、きょう
質問の
中心になりました
香川民事局長の
名前をあからさまに出して言っておる。非常にこれは重大な問題ではないかと思いますので、やはりその
真偽のほどを
鬼頭に対してただすとともに、場合によったら
法務省の方にも照会をするという
ようなことも必要になってくるのではないかというふうに思いますので、引き続き厳重な
調査を進めていただく
ように私からも要望して私の
質問を終わります。