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紺野議員 十月十五日の衆議院本会議で、
渡部一郎君外一名提出の私を
懲罰委員会に付する動議が、わが党と社会党などが反対したにもかかわらず、公明党、民社党、大多数の
自民党議員及び新自由クラブによって可決されました。
私は、国会における言論の自由と
議会制民主主義を守り、また
日本共産党と
宮本委員長に対する許すことのできない
謀略的反共宣伝を打破するために、私に対する懲罰に断固反対し、一身上の弁明を行うものであります。
本委員会で懲罰の対象となっている私の発言は、そもそも会議録にも記録されていない議席からの発言、いわゆる
不規則発言であり、かつて懲罰されたことのないものであり、これを懲罰に付することはまことに不当なものであります。
昨日の当委員会において、渡部君は、本会議での私の弁明に対して、
治安維持法、
特高警察によって弾圧されたみずからの体験をことさらに強調して行為の正当性を主張しているが、私の行為は
民主憲法下においてなされたものだなどと述べております。渡部君の発言のこの論理こそ、まさに私が批判しているところなのであります。
私の
抗議発言が現憲法下の行為だというなら、矢野君の質問も現憲法下の行為であります。わが党の
宮本委員長に対する
治安維持法等被告事件の中から、
スパイ挑発者に対する
調査状況の問題だけを勝手に切り離して、それがまるで
治安維持法事件とは無関係に存在するかのように扱っているのが
矢野質問なのであります。こういうやり方で、現憲法が
人類普遍の原理に反するものとして排除している
治安維持法のもとの
暗黒裁判の判決を絶対化しているのが、
矢野質問であります。すなわち、
矢野質問こそ現憲法の精神に反するやり方で、戦前の
暗黒政治下の問題を現憲法下で持ち出しているのであります。私の
抗議発言は、まさに
暗黒政治に事実上無批判な
矢野質問に対してなされたのであり、私の弁明が戦前の
暗黒政治に言及するのは当然であります。
渡部君の議論は、私の
抗議発言の動機を考えようとはしない態度のあらわれであり、動機についての弁明の権利さえ実際には否定するに等しいものであります。私の
抗議発言を
矢野質問とは無関係に、したがって、
矢野質問に示された
暗黒政治に対する態度の問題とは無関係に論じることができると考えるその論理こそ、
治安維持法、
特高警察、
暗黒裁判とは無関係にスパイ調査問題を論じる
矢野質問の態度の繰り返しであり、われわれが批判していることなのであります。
渡部君の議論は、結局、
矢野質問のように、
治安維持法と切り離してスパイ調査問題を論じるのはよいけれども、
治安維持法と結びつけて論じるのは悪いというようなものであります。そして、私の
抗議発言の動機を頭から無視することで、
矢野質問の不当性が問題になることを回避しようというものにほかなりません。
私の
抗議発言は、
矢野質問に示された
暗黒政治に対する態度と密接な関係があります。それを理解しようとしない渡部君のような主張があるので、私は、再度この問題を明らかにしないわけにはいかないのであります。
第一に、私の発言は、矢野君の
質問演説に対する、私の体験に基づくや
むにやまれぬ抗議の声だったのであります。私は、本会議で述べたように、戦前の暗い時代を二度と繰り返してはならないという歴史の
生き証人の一人として、
治安維持法や
特高警察による犠牲者にかわって抗議の声を上げずにはいられなかったのであります。
すでに、本会議で私自身の体験を述べましたが、当時の
暗黒政治と
特高警察の
弾圧ぶりは、令状によらない逮捕と長期の
警察勾留、拷問、虐殺、長期刑と獄中の非
人道的処遇、獄死など、言語に絶するものがあり、その結果、
岩田義道や
小林多喜二らの虐殺となり、わが党の
指導者市川正一氏、
哲学者三木清氏、
創価教育学会の
牧口常三郎氏らも獄死させられました。また、数十万の人が検挙され、七万五千六百八十一人が送検され、千六百人以上の人が獄死しました。私は、体験者の一人として、二度と再びこのような
人権弾圧の制度を許してはならないとかたく決意しております。
このよう検挙、弾圧は、
治安維持法によったものであり、この
治安維持法と
特高警察による
恐怖政治こそ、
日本国民をあの
侵略戦争に駆り出し、三百十万人の生命を奪い、国土を焦土と化したのであります。
日本共産党は、このような
治安維持法と
特高警察による迫害に抗して、この
暗黒政治がもたらす
侵略戦争に反対して、一貫して闘ってきました。
今日、
日本国憲法は、その前文に示すように、
治安維持法や
特高警察や
暗黒裁判を、
国民主権と不可侵の
基本的人権という
人類普遍の原理に反するものとして、明文で排除しております。しかるに、矢野君は、この暗黒、
弾圧政治と
侵略戦争を厳しく究明しようとはしないで、これと命をかけて闘った側をさまざまな口実で非難、攻撃する質問を行ったのであります。
矢野君のこのような質問に対し、私自身の体験からほとばしり出た憤りの声で抗議したことは、現憲法の
民主主義的原則に立った正義の声だったことを、私は改めて強調しておきます。
この際、私は、
懲罰動議の
趣旨説明に関して、聞き捨てならない侮辱的な発言について、抗議し反論するものであります。
渡部君は、私の発言が日ごろの「温厚さから見て、」「同君の本意ではなかったのではないか、また、同君は自身の発言にあるいは率直に釈明したかったのではないかとさえ考えられまするが、しかし、それが周囲の状況により不可能になったと思えて仕方がないのであります。」と言ったのであります。私は、四十八年前から
暗黒政治と
侵略戦争に反対して闘ってきました。だからこそ、矢野君の発言に厳しい抗議の声を発したのであります。
渡部君がその本意でないことを国会で発言しているのかどうかは、私の関知するところではありませんが、この私が本意でもないことを言ったかのように言うことは、
日本国民の苦難の歴史の
生き証人の一人である一政治家への重大な侮辱であります。
私の抗議の第二の理由は、矢野君が、わが党の
宮本委員長に対する
治安維持法下の
暗黒裁判の判決を全く無批判に扱ったことに対する憤りにあります。
当時、
宮本委員長らは、
日本共産党の指導者として、
暗黒政治と
侵略戦争に反対し、
主権在民、
民主主義、
国民生活擁護及び平和のために闘いました。
その際、
特高警察が当時、党の中央に潜入させた二人の
スパイ挑発者を摘発し、調査したのであります。これは、今日、現憲法で保障されている結社の自由、
政治活動の自由を守るために当然の、正当な
政治活動、
防衛措置であったのであります。それを矢野君は、「リンチ的な行為が」「あったのでしょうか、なかったのでしょうか。」と問い、あたかも宮本氏が
治安維持法とは無関係に刑法上の罪名のゆえに重刑を科せられたかのように印象づけようとしたのであります。
矢野君の質問が取り上げた四十三年前の宮本氏らの事件は、すでに参議院でわが党の
上田耕一郎君、衆議院では正森議員、
諌山議員等の追及によって明らかにされたように、正式には
治安維持法等被告事件と呼ばれるべきものであります。いわゆるスパイ調査問題もまたそれに付随した一部をなすものであります。この点でも、矢野君の質問は本末を転倒して、木を見て森を見ないものと言わざるを得ません。
その森とは、当時の
暗黒政治の全体制と
侵略戦争そのものであり、これと勇敢に闘った
日本共産党と
宮本顕治氏や私たちの
歴史的闘争であります。
この闘争こそ、日本の
暗黒政治と半ば封建的な
社会体制に対して、より明るい
民主的改革を求めたものであり、
歴史発展の必然的な方向、
人類普遍の原理の実現のために奮闘したものであり、当時における最大の正義であったのであります。これを弾圧した旧憲法と
治安維持法の
反動的体制こそ、
人類普遍の原理に反したものであり、現憲法で排除されたことは国民だれもが知っているところであります。
しかるに、
民社党春日委員長も、
公明党矢野書記長も、
暗黒政治を告発するのではなしに、逆にこれと闘った
日本共産党と
宮本委員長らにもっぱら攻撃の矛先を向けていることは、平和、
民主憲法下の政治家として憤激にたえないところであります。
私はここに、当時私自身体験した
治安維持法と
特高警察による弾圧の犠牲の総体及び
侵略戦争の犠牲の総体について、
歴史的告発を行うものであります。
治安維持法と
特高警察による犠牲者、
特高警察の拷問、虐殺六十五人、拷問、虐待が原因で獄死百十四人、病気、衰弱等による獄死千五百三人、逮捕後の送検者数七万五千六百八十一人、
逮捕者数数十万人。
侵略戦争による犠牲者と被害、一、日本 戦死、
戦病死者二百三十万人、
海外死亡民間人三十万人、
国内戦災死亡者五十万人、以上小計三百十万人。焼失、
破壊家屋四百九十五尺
戦災罹災者八百八十万人。
二、外国
中国人死者一千万人以上、ベトナム、インドネシア、フィリピン、インド八百六十万人。
以上のような
治安維持法下の当時の
反動的体制と、これに反対する闘いという高度に政治的な問題から切り離して、これに付随する結社の自由をめぐる
日本共産党の党組織の防衛に絡むスパイ調査問題だけを、しかも逆さまに針小棒大に大騒ぎをする
反共宣伝が、自民、公明、民社の共同で展開されています。
特高警察は、裁判にもかけずに
岩田義道や
小林多喜二らを拷問で虐殺したが、これこそ
リンチ殺人ではないのか、その虐殺者はだれなのか、その犠牲者に国家としてどのように謝罪をしたのか、これこそ追及されなければならないことであります。
私はここで、現憲法第二十一条で保障している結社の自由が当時いかに迫害され、
特高警察による卑劣きわまる
スパイ挑発政策が横行していたかについて、私の体験を申し述べたい。
有名な
スパイM、松村こと
飯塚盈延について本会議でも述べましたが、このスパイが党の
指導者上田茂樹氏を特高に引き渡し、やみからやみに消してしまい、さらに拷問で虐殺された
岩田義道氏や私たちを一九三二年十月三十日の一斉検挙の手引きをして姿をくらましました。この
スパイMが十月初め
東京大森の川崎第百銀行の
強盗事件を特高の指示のもとに計画、実行して、
特高警察はこれを
日本共産党がやったと大々的に宣伝しました。これは、すでに開始されていた中国への
侵略戦争を国民の不満をそらして推進するために仕組まれた
権力犯罪であります。
しかも、
特高首脳部は、
スパイ飯塚盈延に大金を与えて姿をくらませ、その後、飯塚は終生、社会からの逃亡者としての生活を行い、待合に隠れ、北海道と満州を往復し、終戦後偽名で帰国して以来本籍を隠し、偽名を使い続け、元特高らに消されることを恐れ、一室に閉じこもり、昭和四十年酒におぼれて逃亡者としての悲惨な生涯を終えています。しかし、生地の本籍上の
飯塚盈延はいまでも生きていることになっています。これは
スパイ飯塚が当時の
権力犯罪の悪どさを知る
生き証人として消されることを恐れた
逃亡生活の結果であります。その被害はその家族、子供らに及んでおります。
私は、有名な
作家小林多喜二氏を特高に売り渡して虐殺させた
スパイ三船留吉を初め、
大泉兼蔵その他のスパイを直接体験して見、聞きしてきました。このような結社の自由を破壊する卑劣な
スパイ活動は戦前も戦後も断じて許してはならないものであります。
宮本委員長らが当時、特高が党中央に潜入させていた二人の
スパイ挑発者を発見して、その調査をし、これを除名にする方針をとったのは、自由と
民主主義、
侵略戦争反対の
日本共産党の
政治活動を行うために、避けることのできなかった当然の正義の行動であります。
ところが、たまたまこの調査中スパイの一人が
急変状態で発見され、宮本氏らはその回復のために努力したが死亡するという予期しない不幸な事態が生じたのであります。
特高警察はこれを利用して、宮本氏らを殺人者に仕立て上げようとしたのであります。
これに対し、宮本氏は
暗黒裁判の困難な条件の中で公判で
全面的反論を行い、わが党の
スパイ挑発者に対する最高の処分が除名であり、摘発された二人が正真正銘のスパイであるだけでなく、持ち逃げ、拐帯等の
破廉恥行為を党内に持ち込んだ挑発者であり、調査は全体として平穏に行われたことなどを事実に基づいて明らかにして、
指導権争いだとか、殺害を共謀だの、
リンチ殺人だのということが
特高警察のつくった虚構にすぎないことを明白にしました。
また、急死の原因についても、鑑定書について
学問的批判を加え、
特異体質による
ショック死、あるいは
急性心臓死、すなわち
内因性急死と見るべきことを主張しましたが、これは最近の専門家の研究によってもその基本的正しさが裏書きされているものであります。だからこそ、殺人や
殺人未遂という
特高警察のつくり上げた筋書きは、当時の
暗黒裁判でもそのまま通すことができなかったのであります。
しかし、当時の裁判は
弁護人選任の自由も奪い、
証人喚問の要求を拒否し、控訴権さえ剥奪し、一方的に有罪と認定したのであります。
これは結局その大前提に
治安維持法があり、これによって、宮本氏が
日本共産党の指導者として活動すること自体を頭から重罪と決めてかかる態度があったからであります。
問題の核心は、思想を処罪の対象にしたということであり、したがって転向、非転向の別によって量刑を決めたということであります。宮本氏は非転向の
党中央委員であるため
無期懲役の判決を受け、転向した
中央委員の一人は懲役五年、
未決通算九百日になり、スパイの一人も、名目的に
中央委員であったため、
治安維持法違反とされて懲役五年、
未決通算七百日を科せられたのであります。
この事実は、宮本氏らの裁判がまさに思想を裁くもので、刑法上の罪名などはつけ足しにすぎなかったことの有力な証明であります。
宮本氏につけられた刑法上の罪名は、
日本共産党の指導者としての活動と一体不可分に伴ったものとされ、
治安維持法違反と刑法上の罪名との関係を、一個の行為として数個の罪名に触れる場合、すなわち、
観念的競合の関係にあるとして、
無期懲役の判決が行われたのであります。つまり、すべてが政治犯という認定で最も重い
治安維持法によって処断、弾圧されたのであります。
こうして宮本氏の事件は、
治安維持法等被告事件と呼ばれ、
宮本顕治氏に対する
無期懲役の刑も、当時の
暗黒政治体制の打破と
日本民主化の闘争に対する
治安維持法による
重刑弾圧として科され、特に
民主的体制への変革と
侵略戦争反対の闘争の思想に対して加えられた重刑だったのであります。
このような、現憲法が排除した
治安維持法による
暗黒裁判を何か公正な裁判であったかのようにみなし、しかもスパイ調査問題が
治安維持法事件とは別個に存在するかのように扱う矢野君の発言に対し、私が抗議の声を上げたのは当然であります。
第三に、私は本会議で、私の発言が、
宮本委員長の復権に関する矢野君の発言が戦後の
民主化措置を正しく理解しないでなされたことに対する抗議であったことを述べました。公明党は、創価学会の
初代会長牧口常三郎氏の獄死や、二代目
戸田会長の入獄などについて何の教訓も感じていないのでしょうか。また、私が当時の
特高警察による迫害の体験を述べると、公明党の諸君が笑ってそれが何の関係があるかと言っているのを見ると、
—————————————————————
この民主化に当たっては、急激で重大な
価値転換が行われたのであります。
日独伊三
国防共協定による
ファシズム、
軍国主義同盟に対して、世界の反
ファシズム、
民主主義の
統一戦線が形成されて、日独伊の
ファシズム、
軍国主義の敗北となり、世界の反
ファシズム、
民主主義の勝利となったのであります。そして、
ポツダム宣言受諾によって、
専制的天皇制の主権在君と
基本的人権否定の憲法の機能は停止され、
治安維持法などの
弾圧法令と
特高警察の
廃止解体、すべての
政治犯人の釈放などが行われたのであります。この
軍国主義の解体と
日本民主化措置こそ、
ポツダム宣言にうたわれた
民主主義の勝利の最大の目標であり、その重要な試金石がすべての
政治犯人の釈放であったのであります。
世界における多くの
民主主義的変革の歴史において、その転換の重要な指標の一つは
政治犯人の釈放であります。戦前の日本の
民主主義運動においても、
日本共産党の
綱領的要求としても、すべての
政治犯人の釈放は重要な要求として闘われてきたものであります。
当時の
日本政府は、これに抵抗しました。一九四五年十月四日の
政治犯人釈放などについての
連合軍指令、釈放された
政治犯人すべての復権に関する一九四五年十二月十九日の
連合軍指令、それを実施するための
ポツダム勅令七百三十号は、人類の普遍の原理となっている、
反動的体制から
民主主義体制への転換に際してのすべての政治犯の釈放という世界の
民主主義勢力の意思を示しているのであります。
しかるに、
日本民主化に抵抗していた当時の
日本政府が、
宮本委員長らの復権について勅令七百三十号第一条
ただし書き等で抵抗しようとしても、そのようなことは通らなかったことは当然であります。そのことは、宮本氏が一九四五年十月四日指令による
釈放政治犯として釈放当時から連合軍に報告されていた事実、それが連合軍と
日本政府の十分な検討の上で行われていた事実、釈放によって刑法上の罪名も政治犯として扱われた事実、したがって、勅令七百三十号で公民権を当然回復すべきものとして連合軍から
日本政府の法解釈がただされた事実等々、当時の
連合軍関係文書などの発見によって明らかとなった事実によって、ますます明確になっております。
矢野質問は、これらの戦後
日本民主化の措置の絶大な意義をつかめないことを示し、今日の時代の
日本民主化の
歴史過程の本質と方向をつかめない政党の弱点をまざまざとさらけ出したものと考えざるを得ません。
黒柳議員らが「
宮本委員長の釈放は
マッカーサー元帥の間違いで釈放になったのだ」等と、当時の日本の
司法当局の
民主化サボタージュを指摘できない立場の
法務当局でさえ言わないようなことまで演説会で言っていることは、これを重ねて証明しております。
矢野君はまた、勅令七百三十号の「将来ニ向テ其ノ刑ノ言渡ヲ受ケザリシモノト看做ス」という規定の
法的意味について質問しましたが、これに対し、
稻葉法相は、「過去の犯罪事実がなくなったり有罪の
確定判決があったという事実
そのものまでが否定されるものではありません。」と答えましたが、
稻葉法相のこのような見解はすでに前国会でも述べられていたものであります。矢野君の質問が、その
稻葉答弁を再度引き出して、今日なお宮本氏に対する判決が有効ででもあるかのような印象を与えようとするものであることは、まことに見え透いており、私はこれに抗議したのであります。
実際、矢野君は一日の
記者会見で、「判決が無効だとかを意味していないことがわかった」と述べていますが、これは、今日では判決がすでに効力を失っているということをも無視したものであり、
法務当局でさえ言っていないことであります。
大体、
稻葉法相の答弁でわかったなどというのが奇妙なことであります。
稻葉法相は勅令七百三十号の文言を「奇妙きてれつ」などと言って、
民主化法令としての勅令七百三十号の意味を全く解していない人であります。勅令七百三十号第一条本文は、読めばわかるように、
治安維持法等によって「
刑ニ処セラレタル者」である政治犯を「刑ノ言渡ヲ受ケザリシモノト看做ス」というのであります。これは恩赦令の文言、すなわち大赦の場合に「刑ノ言渡ヲ
受ケタル者ニ付テハ其ノ言渡ハ将来ニ向テ効力ヲ失フ」といった規定と明らかに異なるものであります。つまり、恩赦の場合は、
有罪判決を受けた事実は変更せずに、今後は
有罪判決を失効させるとしているのに対して、勅令七百三十号は、それにとどまらずに、もともとの
有罪判決を受けた事実自体をなかったことにするというのであります。恩赦令では、大赦の場合に「未タ刑ノ言渡ヲ
受ケサル者ニ付テハ公訴権ハ消滅ス」という規定がありますが、勅令七百三十号の文言は、それと同様に、
公訴権消滅と同様の状態にまで戻ったことにするというのであります。したがって、
有罪判決を受けなかったのと同じなのですから、当然、
有罪判決を受けた事実があるなどと今日言うことはできません。いわんや、判決がかつて認定したような犯罪事実もあったなどと今日言うことは、全く許されないものであります。
勅令七百三十号のこの規定は、
治安維持法を初めとする
弾圧法令で国民を罰したことが間違いであったとする
民主主義の立場、
ポツダム宣言や
政治犯釈放等に関する
連合軍指令の立場に立てば、きわめて当然のものであります。これを「奇妙きてれつ」などと言うのは、
民主化措置の意義をよく理解できず、
治安維持法で国民を罰したことは当時は間違いでなかったかのように考えているものであります。ところが、革新と自称するはずの矢野君は、
治安維持法を
日本共産党への対抗手段として当然だったと言い、
民主化措置を「奇妙きてれつ」と言うような立場に立つ
稻葉法相の答弁を再度引き出すこととなる質問をあえてしたのであります。私がこれに抗議したのは、きわめて当然のことであります。
第四に、矢野君の質問が見え透いた口実のもとになされたことについての抗議です。
矢野君は「前国会、私は余り関心がなかった」と言っているが、公明党は二月十五日、徳島の
二宮文造副
委員長演説、三月三十一日、東京港区
白金小学校での川崎都議の演説、四月三十日の練馬区
富士見小学校での
矢追秀彦議員の演説、さらに八月以降は一層激しく
宮本委員長を
リンチ殺人者呼ばわりをしました。八月八日、
大阪枚方市で
矢追議員の演説で「もし依然としてがたがたやるなら、私たちもいろいろ反撃をしたい。
宮本委員長の一番いやなすね傷に私たちさわらざるを得ません。すなわち
リンチ殺人事件です。」、同じく八月十八日、
大阪交野市で
近江巳記夫議員は「共産党はどうかというと、一つは
宮本委員長のいわゆる
リンチ殺人罪であります。」、九月六日、神奈川県藤沢市で竹入委員長は
ロッキード疑獄事件と対比して「あれ以上に悪いのは殺人だ。これ以上悪いのはない。いろいろの本を読んでみればわかる。……殺人の刑期が完了しているかどうかわからないと
春日一幸が叫んでいる」と演説し、九月十八日、
大久保直彦議員は、(「それは国会外での発言だ」と呼び、その他発言する者あり)中野区の演説会で、「今度の国会でこの
宮本灰色委員長さんの追及をしなければなりません。……その
宮本委員長の
リンチ事件までを、国会で徹底的にやりたいと思いますがよろしく。……これからがんばりますのでよろしくお願いします。」と言い、九月十九日、
北海道芦別市でも
相沢参議院議員も「宮本現委員長の関係した
リンチ事件」として
共産党攻撃をやりました。
このように、
矢野書記長が九月二十八日、国会で公然と持ち出す前に全国各地で
日本共産党と
宮本委員長をスパイ、
リンチ殺人者だとする
反共個人攻撃を行ってきた上で、
大久保議員が言ったとおりにいよいよ国会を利用したのであります。
このように、前国会以来大いに関心を持っていたというのが公明党の実際の姿であります。それを矢野君のように「余り関心がなかった」などとまことしやかに言うのは、事実を偽るものであり、公明党一流の論法と言わなければなりません。私が矢野議員の虚構に憤りの抗議をしたのは当然であります。
また、矢野君は「共産党の異常なまでの反応ぶり」などと言っているが、これも根拠ある質問理由とはなりません。
治安維持法下の
暗黒裁判の判決を絶対化して、それをわが党が認めないからといって非難する議論に対して、わが党が国会外の言論によって厳しく反撃するのは当然であり、正当な権利に属することであります。
しかし、国会外で過去の裁判をめぐる論争があるからといって、それを国会に持ち出して裁判の当否について政府の判断を求めることが憲法上許されないことも三権分立の立場からいって明らかであります。
矢野君は、
法務当局に対し、「リンチ的な行為が果たしてあったのでしょうか、なかったのでしょうか。あるいは勝手に死んだという意味での異常体質による
ショック死なのでしょうか。あるいは外から加えられた傷、外傷性ショックによる死なのでしょうか。」と質問し、「これらの事情について詳細に御説明願いたいと思います。」と国会の壇上で聞いているのであります。これは前国会における民社党春日君の質問の繰り返しであります。
しかし、行政府の一員である法務大臣には、裁判関係の事実認定をする権限も資格もありません。法務大臣が裁判の対象となった事実の存否について答弁することが司法権に対する侵害であり、三権分立の原則のじゅうりんであることは明らかであります。
渡部君は矢野君の質問が憲法違反ではないことを主張するために「
矢野質問は、確定された判決の当否に批判を加えたものでもなければ、また、判決によって認定された事実認定の当否を論じたものでもありません」とか「
矢野質問は、どういう事実行為に対して裁判所がいかなる認定をしたかを質問しているのにすぎません。」などと弁解しております。しかし、このような弁解が事実に反することは全く明瞭であります。
矢野君ははっきりと「リンチ的な行為が果たしてあったのでしょうか、なかったのでしょうか。」「異常体質による
ショック死なのでしょうか。あるいは外から加えらた傷、外傷性ショックによる死なのでしょうか」「これらの事情について詳細に御説明願いたい」ということを、事もあろうに行政府に質問しております。質問はどこでも、判決ではどう認定しているかなどと聞いていないのであります。この質問が判決の記載にどう書いているかを問うものではなく、まさに客観的な、歴史的に生起した事実がリンチ的な行為であったのか、それともそうでなかったのかということを、すなわち、行政府に判決記載事項の当もしくは否を独自に判断して答弁してほしいと迫ったものであることは文理上明白であります。
これが、前国会で法制局長官、最高裁事務総長、法務省刑事局長が「国会において
確定判決の当否を論ずることは、国政調査権の行使の範囲を逸脱し、憲法の趣旨に反し、許されない。」と明言しているように、憲法に違反する質問であることは明瞭であります。
渡部君は、衆議院法制局長の法的見解なるものを引用して、自分らの主張を証明するものとしておりますが、これは決して渡部君の主張を裏づけるものではありません。
衆議院法制局長は右見解で、「問題は、政治家の過去の行動がすでに
確定判決において認定された事実にかかるものであることから、事実の有無を問い直すことが司法権の独立に対する侵犯ではないか、ということでしょう。」とか、「この点につきまして、つぶさに議事録によって矢野発言を点検いたしましたところ、知りたいという要望は、過去の事実の有無
そのものでありまして、その事実に関する裁判の事実認定の当否を問題としているとは認められません。したがって、それが直ちに裁判批判につながり、司法権の独立に対する侵害をもたらすことにはならないと考えます。」などと述べております。
たが、衆議院法制局長の言う「知りたいという要望は、過去の事実の有無
そのもの」と言う際の、その「過去の事実」とは一体何を言うのでしょうか。それがただ、過去に判決があったかとか、判決ではどう言っているのかという意味なら、法制局長の言い分もあるいは合理化されるかもしれません。しかし、矢野君の質問がそのような質問でなく、文理上、判決記載とは別の客観的、歴史的事実が果たしてあったのでしょうか、それともなかったのでしょうかと質問したものであることはさきに指摘したとおりです。
あるいはまた、法制局長は、判決記載でなく、客観的、歴史的事実を行政府に聞いても、それが、その事実に関する裁判の事実認定の当否を問題とする形で聞かれなければ、裁判批判でないから、司法権の独立に対する侵害ではないとでも言うのでしょうか。
憲法は三権分立を定めて、刑罰権をすべて司法裁判所にゆだね、刑罰を科する前提となる事実の認定もまた裁判所の専権としております。行政府は、司法裁判所の刑罰権の対象となった事実について、独自に「事実を判断し、」「詳細に御説明」する権限を有さない、許されていないということこそ三権分立を定めた憲法の精神ではありませんか。そうして、矢野君の質問が、法制局長の見解の文章によっても、この憲法の精神に真っ向から反することはきわめて明白であります。
法制局長もその点に気がつかないわけではありません。そこで見解は続いてこう言っております。「最後に、しかしながら、矢野発言を契機として、問題に対する政府の対応の仕方を含む同問題に対する論議の展開の仕方いかんによっては、裁判の事実認定が正しかったのか、それとも誤りであったのか等のまさに国政調査権の範囲を逸脱する危険を生ずる可能性がないとは言えない。」とつけ加えざるを得なかったのであります。この法制局長の「最後に、しかしながら」の部分こそ、法制局長が良心からつけ加えざるを得なかった部分であります。すなわち、遠慮に遠慮を重ねた法制局長見解によっても、矢野君の質問が憲法違反を惹起するもので、憲法問題として仮に黒色ではないとしても、灰色質問であったことは否定されていないのであります。
私が、衆議院の法制局長さえ危惧せざるを得なかった矢野君の質問、そして前国会の内閣法制局長官、最高裁事務総長らの見解では明白に憲法に違反する矢野君の質問に対して抗議したのは、まさに三権分立に基づく
民主主義を守るものとしての抗議であったのでございます。
矢野君は、また、「犬は吠えても歴史は進む」という論文の題名に言いがかりをつけて、「戦前の権力者が共産党の諸君をアカ呼ばわりしたと同じ発想で、批判拒否、独善
そのもの」などと抗議しております。これはとんでもない誤りであります。アカ呼ばわりは、共産党員に対してだけでなく、それ以外の政府に批判的な者に対して際限なく拡大されました。戦前の
侵略戦争の拡大も、日独伊防共協定を武器に際限なく進められて、聖戦として美化されていきました。戦後はアカ呼ばわりでレッドパージや職場における思想差別が行われました。
日本共産党は、反共主義に対する思想的、理論的批判を厳しく行いますが、それ自体はあくまで言論戦であって、権力的に言論を抑圧するアカ攻撃とは全く無縁であります。この二つを混同する矢野君の態度こそ、言論の抑圧を招きかねない重大な危険性をはらむものであります。
第五に、私が
公明党矢野書記長を犬扱いしたという非難について、すでに本会議においてそれが意味のとり違いであることを私は明らかにしました。
矢野君が「犬が吠えても歴史は進む」という「文化評論」臨時増刊号、一九七六年四月、ナンバー一八〇の「赤旗」党史班の論文の表題を取り上げて、「みずからに対する批判者を犬扱いにする体質」ではないかと疑問を持つのであえて以上の質問をしたと言い、この表題の意味することをまさ
に自作自演しました。
本会議でも指摘しましたが、この表題は、中央アジア、シルクロードの地方で行われていることわざ、「犬が吠えてもキャラバンは進む」という言葉からとったものであります。ここで犬というのは、中傷、誹謗などの雑音のことで、犬にたとえているのであります。ことわざの意味は、中傷、誹謗などの雑音によっても真理と真実は曲がらず、みずからを貫き通し、歴史は進むべき方向に進むということであります。
いまの問題に即して言えば、わが党や
宮本委員長に対して
リンチ殺人事件などという謀略中傷宣伝をしても、真理と真実は曲がらず、歴史は暗黒時代から民主的時代へ進むことは避けられないことを意味しているのであります。
ところが、矢野君は、このことわざの意味を理解せず、誤って共産党を批判する者を犬扱いにする言葉だと理解し、事もあろうに、このことわざが戒めているとおりのことを自作自演し、国会壇上から、
治安維持法下の
暗黒裁判の判決を絶対化し、
日本共産党と
宮本委員長を非難する質問を行ったのであります。
私は、矢野君が「犬が吠えても」云々に言及しましたので、そのような
反共宣伝はするなと言い、このことわざでたとえて、たしなめている中傷宣伝、すなわち反共の犬が吠えるようなことはやめろと抗議して、たしなめたのであります。これを公明党書記長が犬と言われたとして私を懲罰に付そうというのは、国会における言論の自由を抑圧する暴挙というべきであります。
公明党がかつて公明党を批判した刊行物の出版妨害を行い、世論の強い指弾を受けたことは世間周知のことであります。公明党は、今度は国会の中で言論の自由を懲罰でおどし、その上、正木良明議員が私の発言に対して議場で暴力をふるうという事態までしでかしました。
正木良明君が私に対して暴力をふるった事実について、渡部君は、カメラの角度などがどうのと言ったあげく、正木君の暴力行為というのは共産党のでっち上げだとまで言っておりますが、日本テレビのビデオを見れば明らかなように、正木議員が猛烈な勢いで私の上半身を数回突き飛ばしていることは否定しがたい事実であります。当の正木議員は、十六日の神奈川県相模原市の演説会において、自分の暴行について、「こりゃやっぱり一発かましておかな、いかぬぞと。これがそもそもあれでしたなあ。」と言っております。いま問題になっている自分の暴行は否定せず、しかも一発かますなどという暴行の意図を持って行動したことを事実上自認したとさえ言える発言までしておるのでございます。公明党の諸君はわが党に対してでっち上げと言って非難していますが、私は正木君が率直かつ明確に事実を認めることこそ、公明党の諸君の事実認識の誤りを正すためにいま重要だということを強く訴えるものであります。私はこれこそ国会議場における言論に対する暴力行為として懲罰に付することを要求するものであります。
最後に、私は私に対する懲罰問題に重大な関係のある新たな事実の暴露について述べるものであります。
私は、本会議における弁明の中で、
治安維持法下の
暗黒裁判の判決を国会の場で蒸し返すことがわが国の自由と
民主主義にとってきわめて重大な危険であることを指摘いたしました。私のこの憂慮がまさに現実のものであることは、鬼頭判事補をめぐる事件によってきわめて明らかになったのであります。
治安維持法等被告事件で投獄されたわが党の
宮本委員長の身分帳——人権上からも厳重な秘密扱いをされている身分帳につづられた諸記録が、現職裁判官によって法務省の一部当局者の違法な関与のもとで不法にも閲覧され、写し取られて網走刑務所の外部に持ち出されたのであります。しかも、その同じ裁判官は、検事総長の名をかたって三木首相に謀略電話をかけた事件にも深く関与しているのであります。これはロッキード隠しと
反共個人攻撃とが一つの黒い手によって仕組まれた一大政治謀略であるという疑惑を生んでおります。このような政治謀略こそ、本会議における渡部君の言葉をかりて言えば、議会政治を崩壊させる行為であります。
特に注目すべきことは、
宮本委員長の獄中資料——正当かつ適法な手段ではとうてい入手できないはずの資料の一部が単行本や雑誌などに公表されていることであります。中でも、
民社党春日委員長はこの種の資料を所持している旨をみずから明言しており、同党の他の幹部は民社党独自の調査活動によって入手した旨を最近わざわざ明らかにしております。これはまことに奇怪千万なことであります。
司法部、法務行政、一部政党にまでわたるこれらの疑惑の徹底究明こそ緊急の課題であります。鬼頭判事補の事件と国会での違憲質問との関係の問題に対しても国民は注目をしております。私はこのことを
議会制民主主義を守るために強く訴えるものであります。
私は、
日本共産党と
宮本委員長に対する
反共個人攻撃を国会においてすべて停止すること、
矢野質問に対する私の抗議の発言への懲罰を撤回すること、正木良明君の私に対する暴力行為を懲罰に付することを強く要求するものであります。そして、
ロッキード疑獄事件の徹底究明と鬼頭判事補らの暗黒勢力の徹底究明をこそ速やかに行うべきであると主張するものであります。
以上をもって私の身上の弁明を終わります。(拍手)