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1973-09-14 第71回国会 衆議院 文教委員会 第36号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十八年九月十四日(金曜日)     午前十時三十四分開議  出席委員    委員長 田中 正巳君    理事 塩崎  潤君 理事 西岡 武夫君    理事 松永  光君 理事 森  喜朗君    理事 木島喜兵衞君 理事 長谷川正三君    理事 山原健二郎君       床次 徳二君    小林 信一君       嶋崎  譲君    山口 鶴男君       山中 吾郎君    栗田  翠君       有島 重武君    高橋  繁君       安里積千代君  出席国務大臣         文 部 大 臣 奧野 誠亮君  出席政府委員         文部政務次官  河野 洋平君         文部省初等中等         教育局長    岩間英太郎君         文部省大学学術         局長      木田  宏君  委員外出席者         文教委員会調査         室長      石田 幸男君     ――――――――――――― 委員の異動 八月二十八日  辞任         補欠選任   山口 鶴男君     角屋堅次郎君 同日  辞任         補欠選任   角屋堅次郎君     山口 鶴男君 同月二十九日  辞任         補欠選任   山口 鶴男君    米内山義一郎君 同日  辞任         補欠選任  米内山義一郎君     山口 鶴男君 同月三十日  辞任         補欠選任   勝澤 芳雄君     竹内  猛君 同日  辞任         補欠選任   竹内  猛君     勝澤 芳雄君 九月十一日  辞任         補欠選任   山口 鶴男君    米内山義一郎君 同日  辞任         補欠選任  米内山義一郎君     山口 鶴男君 同月十二日  辞任         補欠選任   山口 鶴男君     渡辺 惣蔵君 同日  辞任         補欠選任   渡辺 惣蔵君     山口 鶴男君     ――――――――――――― 八月二十五日  義務教育学校等の女子の教育職員育児休暇  に関する法律案安永英雄君外三名提出参法  第二五号)(予)     ――――――――――――― 九月三日  横浜国立大学移転跡地公立高等学校設置に  関する請願栗田翠紹介)(第九九七号)  国立学校設置法等の一部を改正する法律案反対  に関する請願中川利三郎紹介)(第九九八  〇号)  学校教育水準維持向上のための義務教育諸  学校教育職員人材確保に関する特別措置法  案撤回に関する請願栗田翠紹介)(第九九  八一号)  同(栗田翠紹介)(第一〇〇二〇号)  同(田代文久紹介)(第一〇〇二一号)  同(中川利三郎紹介)(第一〇〇二二号)  同(山原健二郎紹介)(第一〇〇二三号)  同(木島喜兵衞紹介)(第一〇〇八六号)  同(小林信一紹介)(第一〇〇八七号)  同(庄司幸助紹介)(第一〇〇八八号)  同(土橋一吉紹介)(第一〇〇八九号)  同(長谷川正三紹介)(第一〇〇九〇号)  同(林百郎君紹介)(第一〇〇九一号)  同(平田藤吉紹介)(第一〇〇九二号)  同(山口鶴男紹介)(第一〇〇九三号)  同(金子満広紹介)(第一〇一六〇号)  同(津金佑近君紹介)(第一〇一六一号)  同(津川武一紹介)(第一〇一六二号)  同(寺前巖紹介)(第一〇一六三号)  四年制大学における養護教諭養成制度確立に関  する請願外九件(荒木宏紹介)(第九九八二  号)  養護教諭全校必置に関する請願赤澤正道君  紹介)(第一〇〇一八号)  同外一件(土井たか子紹介)(第一〇〇一九  号)  同(折小野良一紹介)(第一〇一五六号)  同(小坂徳三郎紹介)(第一〇一五七号)  同外一件(林大幹君紹介)(第一〇一五八号)  同外一件(山崎拓紹介)(第一〇一五九号)  建築資材値上がりに伴う小、中学校建築費の財  源補てんに関する請願天野光晴紹介)(第  一〇〇八五号)  社会教育主事給与費国庫助成制度確立に関す  る請願折小野良一紹介)(第一〇一六四  号) 同月十一日  国立学校設置法等の一部を改正する法律案反対  に関する請願栗田翠紹介)(第一〇二一九  号)  学校教育水準維持向上のための義務教育諸  学校教育職員人材確保に関する特別措置法  案撤回に関する請願中島武敏紹介)(第一  〇二二〇号)  同(三谷秀治紹介)(第一〇二二一号)  養護教諭全校必置に関する請願安里積千代  君紹介)(第一〇二三三号)  同外三件(小沢貞孝紹介)(第一〇二三四  号)  同外三件(高橋繁紹介)(第一〇二四三号)  同(斉藤正男紹介)(第一〇三二六号)  同外三件(山中吾郎紹介)(第一〇三二七  号)  同外二件(山中吾郎紹介)(第一〇三五六  号)  同(多田光雄紹介)(第一〇四〇二号)  四年制大学における養護教諭養成制度確立に関  する請願外九件(左藤恵紹介)(第一〇二六  八号)  障害児教育推進に関する請願山中吾郎君紹  介)(第一〇三五七号) は本委員会に付託された。     ――――――――――――― 九月五日  公立義務教育学校学級編制及び教職員定数  の標準に関する法律改正に関する陳情書外二  件(第六六  二号)  教育諸条件の整備拡充に関する陳情書  (第六六三号)  公立高等学校設置適正配置及び教職員定数  の標準等に関する法律改正に関する陳情書   (第六六四号)  徳島県に教員養成大学設置に関する陳情書  (第六六五号)  公立高等学校新設費国庫補助に関する陳情書  (第六六六号)  福井県に国立医科大学設置に関する陳情書  (第六六七号) は本委員会に参考送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  文教行政基本施策に関する件      ――――◇―――――
  2. 田中正巳

    田中委員長 これより会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。長谷川正三君。
  3. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 文部大臣に御質問を申し上げる前に、大学学術局長一つだけお聞きしたいと思います。  一昨日九月十二日の新聞、テレビで、福岡歯科大学の問題がいろいろ報道されておりましたが、この件について質問いたしたいと思います。  この大学は、設立にからんで増収賄事件が起こったというのが過日報道されております。その後九月十一日、大学設置審議会常任委員会で、来年度学生募集は抑制し、行なわないことが望ましいという異例な勧告を含めた指導方針をきめたというようなことが報道されております。  このことにつきまして、設立経緯とその黒い霧の実体が何であったのか、これについて現在それはどういう状態になっているのか、文部省はどういうふうに対処されてきたのか、それから大学設置審議会経過はどうなっているのか、これに対して文部省はどういう態度をおとりになろうとしているのか、こういう問題について、一括して御報告お願いしたいと思います。
  4. 木田宏

    木田政府委員 福岡歯科大学は、当初昭和四十七年四月に開設する予定昭和四十六年度に申請が出たものでございますけれども校地、校舎、設備の整備が十分でございませんし、また就任予定教員の中にも、就任意思に疑義のある者が出てまいりました事情もございまして、昭和四十七年三月の大学設置審議会では保留ということに取り扱いが決定されました。  その後、開設年度昭和四十八年度といたしまして、引き続き設置審議会において審査を行ない、現地視察も数度関係者が出まして、確実に教官の就任意思その他の確認を進めまして、昭和四十七年七月に大学設置審議会から設立可という答申があった次第でございます。  この間私立大学審議会におきましても、学校法人所定案件につきましての審査を進めて、同審議会からも設立可答申があり、文部大臣としては学校法人設置大学設置認可したものでございました。  ことしになりまして、ちょうど四十六年十二月当時、大学設置審議会委員でありました東京医科歯科大学教授桐野忠大氏に、福岡歯科大学設立準備委員会関係者から、同大学設置認可に便宜をはかってもらう意図のもとに金品が渡された疑いで、今年七月十二日でございましたが、桐野教授が逮捕され、また贈賄側関係者もあわせまして五人ほど逮捕されるというような事件が起こりました。まことに遺憾なことでございまして、桐野教授は、その案件につきまして必ずしも収賄という意味でないという考え方のようでございましたが、その逮捕の事件がありました直後に、当時設置審議会委員であり、また四十八年七月現在におきましては設置審議会委員ではございませんでしたけれども設置審議会関係をいたしております専門委員会委員就任しておりました関係上、その専門委員会委員については辞任申し出があり、文部省としてはその辞意を受け取りまして、解職の発令をさしていただきました。  その後この案件につきまして、福岡歯科大学常務理事であります徐三春、それから七熊治夫、そのほか福岡歯科大学設立準備委員会関係をいたしておりました笠原と三名の関係者贈賄のかどによって、桐野氏が収賄のかどによって八月二日に起訴されるということになりました。よって、東京医科歯科大学におきましては桐野教授起訴休職の処分に発令をするということになりまして、これは本年八月十三日に桐野教授起訴休職ということに措置いたした次第でございます。  大学側は、主要な専務理事また理事長がまだ容疑で取り調べを受けておりまして、主要な理事メンバーが完全な活動ができない状態でございますので、今後の立て直しにつきましてはまだ若干時日を要するものと思われるのでありますが、文部省では、実は四十八年度新設いたしました福岡歯科大学につきまして、事件の起こります前、大学設置審議会委員現地視察をいたしました。これは四月のころに、百二十人の入学定員に対して二百七十一名という非常に大量の学生を入れたということが伝わってまいりました。そしてできるだけ早い機会にということで、これは一般に設立当初、完成に至りますまでの間、各国公私立大学は毎年視察をいたしておるわけでございますが、六月に二人の審議会委員現地に参りまして学校の状況を視察し、そして当時理事関係者並びに学長に対しまして、どういう理由でこうした大量の入学を許可さしたか、そしてこの教育についてどういう措置をとるか等のことをただして帰ったのでございます。  設置審議会におきましては、常任委員会におきまして、こうした視察者報告をもとに、当面勧告をすべき案件を取りまとめまして、学生教育に遺憾のないような体制並びに今後の整備のことを念頭に置きながら、来年の入学募集につきましても、本年度整備の関連とも考え合わす必要がありますので、差し控えることが相当であるという判断で助言をすることに態度をきめ、今月二十七日に予定しております設置審総会に、視察報告の上で指導案を確定する、こういう手順にいたしておるところでございます。  なお、申し落としましたが、学校法人関係者はいま捜査中でございますので、捜査が継続しておる案件につきましては、私ども立場の違います者がいろいろな事情調査をすることば差し控えるべきことということで、法人関係者から、文部省管理局を中心にいたしました関係者事情を聴取するということは、まだ十分に行なわれておりませんが、学長につきましては八月に呼び出しをかけまして、そして私もその間の経緯を聞きながら、今後の立て直しにつきましての意見を申し述べた次第でございました。  まとまりが十分でなかったかもしれませんが、概要を御報告申し上げます。
  5. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 大体の経過よくわかりましたが、そうしますと福岡歯科大学につきましては、二十八日の大学設置審議会総会の結論を待って文部省として措置されるんですか。その点はっきり……。
  6. 木田宏

    木田政府委員 審議会総会の御意見の確定を待ちまして、文部省から指導を行ないたいと考えております。
  7. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 この件はこれで終わりたいと思いますが、こういう私立大学の、それからまた医科や特に歯科大学水増し入学とか、あるいは裏の膨大な寄付金の問題とか、たくさんの問題がいま国民の非常な関心を集め、またこれについて非常な憂慮、不満が渦巻いていると思います。これに対しまして文部省としてどう対処されるのか、それだけ一言お聞きして次に進みたいと思いますので、ひとつ……。
  8. 木田宏

    木田政府委員 私立学校、特に医科歯科大学が、財政上の事前の準備が十分にないまま書類の上での取りつくろいが行なわれ幸して、私どももその点を十分に判定することができず、不十分な学校認可が行なわれてきたということにつきましては、私ども文部省関係者としても強く反省をいたしておるところでございます。  また、設立を許可されました学校が、入学定員の定めを非常に大幅に越えまして学生を入れるという実態がかなり一般的にございます。特に歯の関係学校につきましては、学生数が平均いたしまして八割前後たくさん入っておるという実態もございます。これらの点は、設立を許可されましたあと、その私立学校自主性をできるだけ重んずるということで、私どもといたしましては指導助言ということだけで今日まできておるわけでございまするけれども、それだけでは何ともいたしがたい実態もあることでございまするので、今後助成措置ともからめながら、どういうふうにこの間の調整をとっていったらいいか。要すれば立法措置等のことも考えるべきではないかということは、当委員会におきましても大臣からすでにお答えも申し上げているところでございます。いま部内での検討を鋭意急いでおります。取り締まるだけが能ではないとも思っておりますけれども、かなり複雑な要件がからんでおりますので、できるだけ私ども検討を急ぎましてこうした事態の続発することを防ぎたいというふうに考えておる次第でございます。
  9. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 それでは、大学学術局長への質問は終わりますから、どうぞ……。  次に、奧野文部大臣質問を申し上げます。  大臣は、八月三十日の全国教育委員長教育長協議会総会あいさつをされましたが、そのあいさつの内容がたいへん大きな問題となり、社会問題から政治問題に日を追うて発展しつつあるのではないか、私はこういうふうに思うのでございます。  そこで第一に、これは文部省資料を要求したいのですが、先般のその大臣のごあいさつ全文と申しますか、全部の記録を出していただきたい。すでにプリントをされて配られた部分も含めて、それに追加をされた部分、これをぜひ出していただきたい。それをまずお願いいたしたいと思います。すでに参議院文教委員会に配付されておるようでありまして、それは拝見をいたしましたが、あの中にはこれから私が質問を申し上げることの一つである大事な点が落ちているようであります。ですからその点については各新聞等報道資料として質問するしかないわけでありますけれども、その部分も含めて出していただきたいということをまずお願いをしたいと思います。委員長、  よろしゅうございますか。
  10. 岩間英太郎

    岩間政府委員 御案内のように、教育委員長教育長会議につきましては、文部省でお呼びをするものと、それから教育長委員長協議会でもって自主的にお集まりになるものと二つあるわけでございます。  今回の八月三十日の会議は、これは教育委員長教育長協議会で招集した会議でございまして、記録の作成その他につきましては、そちらのほうが主体になっておるわけでございます。私どものほうでは、そういう記録はとっておらないわけでございます。参議院の場合も同じような資料提出の御要求がございまして、これは教育委員長教育長協議会のほうで御提出を申し上げた——どもを経由いたしまして御提出を申し上げましたというふうなことになっておるわけでございます。  御提出申し上げました資料は、これは教育委員長教育長協議会のほうで控えておりましたものの全文を御提出申し上げたわけでございますが、ただ一点だけ、現業の例として大臣が申し上げましたところにつきましては、これは大臣がすでに取り消しをいたしておりますので、そういう意味記録には記載してないというふうな事情になっておるわけでございます。  参議院に御提出申し上げましたものにつきましては、衆議院にも御提出申し上げるということにつきましては、別段の異議はございません。
  11. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 そうしますと、(現業例省略)と参議院に出された文書になっております点は、私はそこのところも出していただけるものと思っていまお願いをしたのですが、それは出せないということですか。
  12. 岩間英太郎

    岩間政府委員 ただいま先生からも御指摘がございましたように、発言自体につきましてたいへん大きな問題になっているということで、正式に国会にお出しします資料といたしまして、その中に不穏当な、すでに取り消しをいたしましたような文句が入っておるということも、また新しい問題を引き起こすということも予想されるものでございますから、教育委員長教育長会議のほうで、そういうふうに処理をしたというふうに考えておるわけでございます。
  13. 田中正巳

    田中委員長 長谷川委員に申し上げます。本件の取り扱いについては、後刻理事会で御協議申し上げます。
  14. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 いま申し上げた点については、委員長の御裁定に従いまして理事会で取り扱わしていただいてけっこうだと思います。ただ、取り消されたわけでありますから、その資料が出るか出ないかの問題はあとの問題になるわけでありますが、しかし、すでに報道されておりまして、これは単にことばを取り消すということだけで済む問題かどうか、私はたいへん疑問に思うわけであります。あそこで問題になりましたのは、労働べっ視職業べっ視差別観、こういったものが底に流れているではないかという問題でありまして、すなわち屎尿くみ取り、ごみ焼却現業公務員先生は同じと思わない、そういう意味の御発言であったように報道されておるわけでありますが、これについてはいま初中局長の御答弁にありましたように、取り消しをどこでされたのかはっきり伺いませんでしたが、少なくとも参議院におきます文教委員会の御質問の際にも、それに対しては陳謝をされておるように承っております。また、日教組あるいは現業職員を含む、特に清掃職員を含む自治労との会見の席でも、文書をもって陳謝をなさっている。これも新聞その他で承知はいたしております。しかし、これはそうした取り消しということだけで済む問題かどうか、私は非常に疑問に思うのであります。私も大正の生まれでありまして、戦前教育を受け、また戦前教育そのものにも約十年携わったものでありまして、その点では大臣のある意味では正直におっしゃったそのことばが、どうして出てくるかというようなことについてある理解を持つことができるものであります。しかし、理解を持つといっても、それは決して肯定する意味ではなくて、最も私どもが新しい憲法下の政治や教育の問題に携わる際に心しなければならない一番大事な点の反省というものを、絶えずわれわれは持たなければならないのじゃないか。私自身も、そういう意味では謙虚に大臣のおっしゃったようなものをみずからも持っていやしないかということを、絶えず戒めなければならないという気持ちでございますが、したがって、みずから清しとして奧野文部大臣をいたけだかに難詰するというような気持ちはないのでありますが、しかし同時に、文教行政責任者としての奧野文部大臣に、もしそういうものが色濃く残っておるとすれば、これははなはだ重大であり、文部大臣としての地位におられることが妥当なのかどうかという問題にも私は発展する重要なこととして考えなければいけないのではないか、こういうふうに思うわけであります。  あの報道がなされましてから、あるいは大きな新聞が盛んに社説でも書いたりあるいはたくさんの投書がいろいろの新聞に載っておったり、週刊誌もたくさん取り上げたりされておるのは御承知のとおりであります。その中で特に私は、私どもほんとう反省しなければならない点について、特に奧野文部大臣が、文部大臣としてはこれはきびしく反省しなければならない点について、ある新聞に載った投書が実に端的にこのことを指摘されております。私はこの国民の声をもって大臣にもう一度その真意を伺い、どう反省され対処されるかについて伺いたいと思うわけであります。  「なさけない文相の暴言」という見出しの投書でございます。「戦後日本教育根本理念は、憲法教育基本法の精神にのっとった民主教育であり、日本人の誤った従来の階層差別観や職種によるべっ視観を一掃し、すべての人の自由平等、すなわち人権尊重に出発したはず。このことは外部から強いられるのでなく、きびしい各人の自己変革の努力なくては容易に達成できるものではない。明治・大正の人にとって特に困難なわざで、現在、家庭や社会で起こっているもろもろの断絶現象の原因ともなっていると思うが、先月三十日、文相日教組攻撃の引き合いに「し尿やゴミ処理現業員と」……うんぬんは、正に心の奥に古い差別べっ視が充満していることを物語るもので、全くぼうぜんとした。しかも日本の新しい民主教育の発展のための、最高の府の責任の座に、かかる非民主的な人がいることは許されてよいのだろうか。」こう書かれておるのであります。  私は、これはほんとう国民の率直な批判ではないかと思いますが、大臣の御所見を伺いたいと思います。
  15. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 八月三十日の会議におきまして、私が事務当局のつくってくれましたあいさつに加えましてお話をいたしました際に、当時続いておりました、また続くと予測される先生方ストライキの問題、これがたいへん気になっておりましたので、そのことにかなり重点を置いてごあいさつをいたしました。その際に、現業例示をいたしまして、その例示から差別と受け取られた方がいらっしゃる。全く私自身恐縮千万に感じておりまして、これらの方々に深くおわびを申し上げたいと思います。  私が申し上げてまいりました考え方基本をまず御理解いただきたいと思います。  私は教員スト権の奪還ということは、必ずしもそのことが当たるかどうかということについては疑問を持ち続けておるものでございますので、その説明をいたしたわけでございます。その際に、労働関係調整法で、現業以外のものは争議行為をすることができない。そういう形で昭和二十一年の十月に、現業公務員スト権が与えられたわけであります。法律上、私は非現業公務員にはスト権が禁止されておると、こう理解しておるものでございます。国家公務員でありますと、三公社五現業と、はっきりいたしておりますので、あえて別なことを言う必要はないわけでございます。地方公務員につきましては、そういうことばがございません。  同時にまた、この現業ということばを、英文官報はパブリック・エンタプライゼズという用語を使っておるわけであります。公企業という用語を使っておる。言いかえれば、料金や手数料を受けて行なう仕事でございます。昭和二十一年ごろの市町村における現業公務員というのはどういうものだろうかなあと考えながら——事務当局に聞きますと、一瞬そこで私はちょっと考えておったそうでございます。そして例示をしたものでございまして、そういう意味で、先生非現業なんですと、そして、ストライキ権を与えられたのは現業公務員なんですと、こういうことで例示をしたわけでございまして、その例示差別と受け取られる方々、たいへん私自身申しわけないことをしたなあと、こういう感じをいたしまして、おわびをしておるわけでございます。  先般、参議院文教委員会におきまして、宮之原委員から御質問を受けました。私は、あなたが差別して言っているわけでないことはよく理解できる、しかし、あなたのそのことばがたいへん問題になっているんですよというお話がございまして、私はほんとうに申しわけない、御注意いただいてありがとうございますということで、お答えをさしていただきました。  その後、自治労の方々、あるいは清掃の組合の方々が私のところへ見えられましてこのお話がございましたので、私、ほんとうに申しわけないという気持ちを持っておりますということを申し上げましたら、それを書いてくれるかと言いますから、ああ書きますよということで、その気持ちをすなおに書いてお渡しをしたわけでございます。  一昨日でしたか、私のところへやはりこの問題についての抗議の文書が届いでまいりました。その文書を見ますと、ある新聞を引用しておりまして、その新聞ことばの中に、先生と同じとは思わない——同じとは思わないという趣旨にカッコ書きがついておりまして、(その責任の重さにおいて)と、こう書いてありました。私は、そんなことは言うていないわけであります。言うておりませんので、新聞もわざわざカッコをつけたようでございます。(その責任の重さにおいて)、その責任の重さにおいて違うというようなことは、私は一つも考えておりません。どちらも、種類は違いますけれども責任の非常に重い仕事でございます。私が考えておりますのは、公企業であるか、公企業でないか、どちらの範疇に属するか、現業非現業かと、こういうことなんでございます。また新聞によりまして、先生を聖職と言っているからというような解説もついておったようでございます。私は、そんなことは一切言っておりません。もっぱら現業非現業の区分を申し上げてまいったわけでございまして、それが新聞の解説の中におきましては、(その責任の重さにおいて)と書かれてみたり、先生については聖職論をとっているからと書かれてみたりしますと、なるほど差別につながっていくんだなあというようなことを一昨日初めて知ったわけでございまして、そのことをお書きになった新聞記者の方にもお目にかかりました。その新聞記者の方も責任は感じていただいておったようでございます。しかし、いずれにいたしましても、そのような例示のしかたでなしに、もっといろいろな説明のしかたがあったものになあということで、そういう感じを与えただけで、私はたいへん責任が重いと、こういう感じを持っておりまして、深く恐縮に存じておるわけでございます。存じておるわけでございますが、いまのような経過はぜひ長谷川さんは御理解、御了解を賜わりますよう、お願いを申し上げておきたいと思います。
  16. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 大臣は、現業非現業の差を指摘するためにたまたま使った用語が不適切であった、それがそういう印象を与えたのは申しわけないのでその点は取り消しもするし、深く陳謝もする、こういうことでございます。公式の席での御答弁としてはそれしかおっしゃれないのかもしれないし、また大臣の意識の上ではそうであったのかもしれません。しかし、さっき私が読み上げました投書の方の言っておりますように、そして新聞がみんなおっしゃらなかったことばまでふえんしたのかもしれませんが、(その責任の重さにおいて)とか、そのほか、そこにありありと職業についての差別観、特に屎尿のくみ取りや、ごみを取られる現業労働者、清掃労働者の方々に対するべっ視観、こういったものがそのあなたの意図と別に、そういうふうにだれもほとんどが聞いていて感じられるようなお話しのしっぷりであったということに、私はもう一つ深い反省がなくてはならないんじゃないか。ことばの上で、これはこの言い方がまずかったのですでなくて、あなたの心の奥底にそういうものが、先ほどの投書ことばを借りて言えば「充満している」という表現をしている。これは言い過ぎかもしれませんが、そういうところから、ついそういう表現が出てしまったのではないか。ここに深い反省がないと、私は、単なる官僚的なその場限りの答弁ということになってしまうのじゃないか。その点について、質問する私自身にも、うっかりするとそういうものが心のどこかに残っていやしないかということを、今度の問題を機会に反省をしておるところなんですが、大臣、そういう点についてもう一歩深い反省はなさっていませんか。
  17. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 私自身差別観念は一切持ち合わせていないつもりでございますけれども、将来とも一そうそういうようには反省し、努力を重ねていくという姿勢は大切だと、こう思います。せっかくのお話でございますので、もう一歩進んで御説明させていただきます。  私は、先般三つのことをつけ加えて申し上げたわけでございまして、一つは、人材確保法案のことに触れまして、教員の処遇改善に全力を尽くしていきたいということでございました。二番目がこのスト権の問題でございました。三番目が教育秩序の確立をはかっていきたいということでございました。  新聞記者の方とお目にかかってわかったのでございますけれども、その記者の方が(その責任の重さにおいて)とカッコ書きをした、そのカッコ書きをしたのは、あなたが教員責任の重大性を非常に強調されておったからそう思ったんだと、こういうことでございました。私が当委員会でも申し上げておりますように、給与というものは、職務の種類、複雑、責任の度合いなどに基づいてきめられる。教育界というものは、国家社会の運命を託されているところだから、そこで働いていらっしゃる先生方責任は非常に重いんです。だから一般の公務員に比較して優遇されなければならない。私は十分そういう意味で論拠がある、教員の処遇は引き上げていきたいと思うのです、こういうことを言ってきているわけでございまして、そんな話も第一番目の際に言うたわけでございます。  二番目はスト権でございますから、全然切り離した話でございますが、一番目の話を聞いていらっしゃるものですから、二番目の場合にも自分なりにそう解釈したんだ。しかし現業非現業の話をしておられるわけだから、なるほどそれはそうだったという自覚といいましょうか、間違っておったなという感じはしていただいたようでございます。たまたま話が、最初は先生方責任の問題から始まりまして、二番目にスト権その際に現業非現業の区別、こうなったものでございますので、誤解を招くような話の順序になってしまった、結果的にはそういうことだと思います。しかし、それが実際の経過でございまして、それはそれとして、私自身、将来一そう、差別感を起こさせるようなことばも、もちろん反省しなければなりませんが、いま御指摘になりましたような点につきましては、今後とも努力を続けていかなきゃならない、かように考えております。
  18. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 なお私はまだその点について、もう少し掘り下げた御反省が必要ではないかというふうに思いますが、しかし大臣は、今後十分そういう点でも気をつけていきたいということですから、一応この項目は終わりまして、もう一つ大臣の御発言の中でたいへん問題になった点、まあたくさんございますが、ある新聞が社説に書いている問題がございます。私もこれは非常に重要な問題だと思ったのですが、それは、報道のときに、幾つかの新聞が書いていますが、大臣の御発言についての見出しですね、「政治が好きなら教員をやめろ」、「先生やめ政治屋になれ」、こういったような見出しで新聞報道をしております。これについてまたわざわざ大新聞が社説で「教師が政治好きで悪いのか」、こういう社説を掲げたところすらございます。この点について、これまた私は、文部大臣としては、きわめて重要な資質と申しますか、お考え方と申しますか、そういう点で問題があるのではないか、こう思うわけであります。  私はその中で、ある新聞の社説がこういっていることを、まことに同感をもって指摘したいのでございます。   文相発言内容は、   一国の文教政策の最高責任者の言としては、あまりにも異常なものだった。「先生とし尿くみ取りとは違う」との発言は、自治労の「職業的差別だ」との抗議に文相も非を認め、陳謝した。「政治が好きなら先生をやめて政治屋になれ」という言葉についても、「表現に適切性を欠いた」と遺憾の意を表明した。当然のことであろう。   しかし、われわれが重視するのは、あのような文相発言が単なる「表現」の問題ではなく、わが国のこれまでの文教政策の性格を端的に現しているのではないか、と思われる点である。 こう指摘されております。また、こうも言っています。  「政治好き」とはまことにあいまいな言葉だが、つまりは政治に対する関心が高い、ということだろう。常に政治の動向を注視し、折にふれて積極的に発言することを「政治好き」というのであろう。とすれば、次代をになう子供たちの教育責任をもつ教師が、時の政治に関心を寄せるのは当然どころか、むしろ教師として常に心掛けるべき事だろう。子供たちをとりまく現実、政治、経済、文化などがきびしくからみ合うこの現実をふまえずに、教育という仕事が可能なはずはない。 こういっております。  日本教育はいろいろ憲法教育基本法の精神をもって行なわれ、その表現のしかたはありますが、一つの言い方は、私は、主権者としての国民を育てる。この主権者としての国民を育てるということは教育の眼目であろうと思います。その主権者としての国民を育てる教師が、政治について十分な見識を持つ、あるいは自己の意思を持つということは、これは当然のことで、絶えず奨励されなければならないことではないかと私は思う。  ところが、この新聞が、さらにこれに続いて指摘しておりますが、   戦前までのわが国の教育は、何よりも富国強兵という国家的要請のもとに推進された。教育政策は議会の議を経ることもなく、すべて勅令という形で進められた。教育は「お上(かみ)」から与えられたものであり、国民の側からの口出しは一切許されなかった。教師が教育政策を批判することなど、クビを覚悟せねばできないことだった。教師は「政治好き」であってはならなかった。   文相の発想には、まだまだこのような古い、とっくに清算されているはずの意識が、根強く残っているのではなかろうか。 かように指摘をしておるのであります。  私は「政治が好きなら教員をやめろ」、こういう乱暴なことばでおっしゃったのではないと思いますが、新聞が端的にそういう表現をしている。「先生やめ政治屋になれ」、こうおっしゃったというのでありますが、その真意と、いま私がある新聞の社説の一部を例に出して申し上げた、教師が政治について十分関心を持つということは当然であるというこの考えについて、あなたはどうお考えなのかをお聞きしたいと思います。
  19. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 先ほど私がごあいさつをしますときには、ストライキのことが非常に気になっておったのです、こう申し上げました。その点、もう少しふえんさせていただきますと、日教組が昨年の秋田大会で、ことしの春闘では半日ストをやるんだとおきめになった。事実、四月二十七日には半日ストの指令が行なわれて、二十五万人だと最近聞いておりますが、その方々が参加になった。それからまた、七月十九日にストライキが行なわれまして、二十三万人の方が参加になった。さらに八月の二十四日、二十五日と長野県の蓼科で都道府県の組合の委員長、書記長が集まって戦術の相談をされている。そして十一月には二時間ストをやるんだ。来年の春闘には二波のストを行なう。一波は二時間のストであり、第二波は一日ストだ、こういうことになっておるわけでございます。これは私としてはたいへんなことだなという心配が強うございます。そのことを頭に置きながら何かこういうことをやめていただけないものだろうかなあという願いでございます。  同時に、こういう方々は専従職員でございますけれども、やはりれっきとした教員の身分を持っていらっしゃるのでございます。れっきとした教員の身分を持っていらっしゃいますから、職務専従義務は免除されておりますけれども、他の教員に要求されている一定の政治行動をしてはいけない、政治的な中立性、そういうものはやはり要求されているわけでございますので、法に触れるような活動、これはやめてもらわなければならない、こういうことを頭に置きましてああいうことを申し上げたわけでございます。  参議院でもそのことがたいへん問題にされておりますので、私なりにどう言ったかなということを正確に思い起こしながらメモをして、そのことを参議院でも読み上げさせていただきました。私はこう申し上げておったようでございます。一年前にことしの半日ストをきめた。ことしはまた前橋の大会で、一年前に、来年は一日ストをやるのだときめている。何かたいへん政治が好きだなあという気持ちを持ちます。個人の活動は自由ですから、そんなに政治が好きなら教員をやめて政治屋になってもらいたいと私は希望を申し上げたい。教員でありながら政治的な行動に興味を持ち過ぎることは、ぜひ避けていただきたいものだと、こう申し上げざるを得ないのでございます、こう言っているわけでございます。やはり組合の仕事に専従されておりましても、教員であるということは忘れないでほしい。教員である限りはやはり法は守っていただきたい。政治活動をしたいならば教育界を去って、政治の社会で活動していただけぬもんだろうか、これは私のほんとうに心から希望しておるところでございます。  ただ政治屋という表現を使いましたばっかりに、参議院でおしかりを受けました。自民党は政治家であって、組合は政治屋か、まさにそういうことも言えるかもしれませんけれども、的確に申し上げますならば、教育社会で活動するんじゃなくて、政治の社会で活動していただけぬもんでしょうか、こういうお願いを申し上げたということでございます。
  20. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 これは、いよいよいまの御答弁を聞くと、これはたいへん問題だと思うのです。先ほどの職業べっ視観の問題よりもこれはちょっと重症だという感じがする。と申しますのは、いま大臣がそこで読み上げられた参議院での御答弁、それをそのままそれでよろしいと思っていらしゃるのかどうか、もう一度お尋ねいたします。
  21. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 私は、ぜひそうあってほしいというお願いを申し上げていきたいと思います。
  22. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 いま読み上げられた中に、政治にあまり関心を持ち過ぎてはいけない。そんなに政治に熱心なら政治屋になれ、こういう表現ですね。これはさっき冒頭私が新聞の社説を読み上げ、それに補足して主権者を育てる教育に当たる教師が、政治について常に関心を持つということは、これは奨励されこそすれ、むしろそれがいいかげんであってはならない、無関心であってはならないと指導しなくてはいけないはずだろうに、あまり政治に関心を持ち過ぎる——持ち過ぎるというのは度合いがどういうことかわかりませんが、言うならば、政治についてあまり関心を持つより、教育は違うんだ。子供に数学を教え、国語を教え、そういうことに専心していればいいのであって、政治のことなんかにあまり関心持つな、少しこれをわかりやすく拡大して申せば、そう言ってらっしゃるように聞こえるわけです、いまの御答弁は。そうなんですか。
  23. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 もう長谷川さんは十分御理解の上でおっしゃっていらっしゃるんじゃないか、こう思うのですけれども、私はストライキのことを中心にして考え、かつ申し上げているわけでございます。公務員につきましては、スト権は禁止されておるわけでございます。しかも、組合は勤務条件の維持改善をはかることを目的とすると、組合の団結権につきましても目的をちゃんと示されておるわけでございます。その組合が政治的な活動、法の禁止しているストライキを指令していくこれはもうぜひやめていただかなければならない、先生じゃありませんか、こう申し上げたいのでございます。  しかし、それはもう個人の活動は自由だから、そういう方は政治の社会で働いてもらえないものでしょうか、こういうことでございます。政治に関心を持つこと、これはもうけっこうなことでございまして、私は政治に関心を持つことを何ら否認をしているものではございません。
  24. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 その政治に関心を持つことを否認していない、これは政治について発言することももちろんそれは否認していないと思います。これは国民としての、教師も含めてのすべての国民基本的権利でありますから、義務であるといってもいいくらいのものだと思う。民主主義社会におきまして政治について関心を持ち、意見を持つということは、民主主義社会の構成員としての権利であると同時に、私は義務であるというくらいに考えなければ、ほんとうの民主主義社会の発展というものはあり得ないと思うのですね。  ところが、いまの大臣の御答弁でも、何か政治について関心を持つことは、それはもちろんいけないとは言わないとは言っておりますけれども、その口の裏から、そういう人は政治家になれ、あるいは政治屋になれというのですか、そういう言い方にとられるのです。ほんとうにそう思っていらっしゃるのですか。
  25. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 先ほども申し上げましたように、組合活動に専従しておられる方も教員でございます。教育公務員でございます。この点は十分御理解を賜わっておきたいと思います。  同時に、公務員につきましてはそれなりに姿勢が要求されます。ことに先生方は子供さんたちを育てていくわけでございます。法治国でございますだけに、法秩序を守っていかなければならない。子供さんたちは先生の手ぶり足ぶりから見習っていくわけでございますだけに、やはり先生方は法秩序を守る姿勢、これは非常に重要なことだと考えるわけでございますけれども公務員につきましてはストライキを禁止されているわけでございますだけに、そのストライキをなお大いにやれというような指令をするということは、やはり私は教育公務員のあり方から考えますと問題だ、こう言わざるを得ないわけでございます。  しかし、個人の活動は自由ですから、その活動がいけないというよりも、なおそういう活動を、希望されるなら教育界から政治の社会に移っていただきたい、こう私は希望を申し上げざるを得ないのですと、こう発言をいたしておるわけでございまして、またそれが私の真意でもございます。
  26. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 これはちょっと私の質問と答弁がかみ合っていないのです。私の質問意味がおわかりになっていないのじゃないかと思うのですけれども、この参議院に出された資料によりますと、その中でこうおっしゃっているのですね。「前橋の大会で、来年の一日ストを決めている。こうなると組合はどういう性格の団体だろうか。何か大変政治がお好きだなあという気持ちをもつ。政治が好きな人は、個人の活動は自由だから、教員をやめて政治屋になってもらいたいと私は希望を言いたい。教員でありながら政治的な行動に興味を持ちすぎることは是非さけて頂きたいものだと申し上げざるを得ない。」こう言っているのですね。これは教員はやっぱり政治に興味を持ってはいけない、政治が好きであってはいけない。もしそうなら、教員をやめて政治屋になれ——政治屋というのもどういう意味ですか、われわれも政治屋なのか、政治家なのか、その辺まで聞きたいわけですけれども、一体これはどういう意味なんですか。大臣基本的にやっぱり教師が政治的関心を持つことはいけない、望ましくないと思っていらっしゃるのじゃないですか、端的に、いまでも……。
  27. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 いまお読み上げいただきましたのは、私が先ほど私なりに記憶を呼び起こして申し上げたのとそう大きな差はないように伺いました。やはりスト権を頭に置いて申し上げているわけでございます。スト指令をしておられる組合のことを頭に置いて申し上げておるわけでございます。そこで、いろいろな指令を出される方々教員ですよ、そこは忘れないでくださいよ、こういうことでございます。一般的に先生方が政治について関心を深くする、これはもうたいへん大切なことだ、こう思っております。
  28. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 スト権と結びつけておっしゃるのですが、スト権の問題はスト権の問題として、もう少し突っ込んで質問申し上げなければならないわけですが、あなたはスト権ということがそのまま政治だと思っていらっしゃるのですか。それもずいぶんおかしな話だと思うのですが、労働組合がストについて議論をすることが、それが政治屋なんですか。政治的行き過ぎなんですか。どういう把握なんですか。
  29. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 いろんな例をあげていきますと、またこれ議論の種になってくるわけでございますけれども、いま指令されておりますスト指令、主として教育三法の撤回ですか、粉砕ですか、そういうことを求めて行なわれている。私たちは、これを政治ストだ、こう申し上げておるわけでございまして、国会の審議に圧力をかけてきておられる、こう考えるわけでございます。そういうことはやはり先生なんだからやめてくださいよ、こう私たちとしては申し上げざるを得ない。これが中心であのような発言につながっているわけでございます。
  30. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 そうなると、文部大臣の民主主義というものの理解、民主主義政治というものの理解あるいは議会制民主主義というものの理解、そういったものの根本的な問題に触れてくると思うのです、いまの御答弁聞いていると。これは民主主義憲法ほんとう理解されているのかどうか。国民の一人一人が主権者であるということを、具体的にどういうふうに理解されておるのか。そういう点に重大な疑義を感ずる。これは文部大臣としてはたいへんなことですぞ。日本のあすをになう国民を育てる教育憲法の理想は終局において教育の力にまつといっております。その教育の行政の責任者がいまのような感覚といいますか、把握のしかたでいらっしゃるとなると、これは非常に重大な問題だと思う。そういう点について御反省はありませんか。
  31. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 憲法は、「國會は、國權の最高機關であって、國の唯一の立法機關である。」こう書いてあるわけでございまして、この国会において地方公務員法、教育公務員特例法などが制定されてきているわけでございます。それらの法律に基づきまして、公務員につきましては争議行為を禁止されておるわけでございます。その争議行為をあふっていくということは、少なくとも憲法を守る、憲法体制を守ることを特に要求されている公務員としてはとるべきではない、こう私は考えておるわけでございます。もちろん政治の社会で大いに議論していくことは、何ら差しつかえないことでございますけれども公務員であります限りにおいては、また公務員の組合であります限りは、そういう行動をとってはいけない、こう判断をしておるものでございます。
  32. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 どうも議論がかみ合わないのですね。公務員の労働基本権の問題、スト権の問題等は、それはそれとしてまたもう一つの議論の分野であります。  その前に、民主主義というのは国民一人一人が政治の主人公なんでしょう。そうじゃありませんか。
  33. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 学校先生方は、国民でありますと同時に公務員である。国民全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。これもまた理解してもらわなければならない、こう思っておるものでございます。
  34. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 常にあなたの御答弁は、自分の一つの考えの中でものを言っていらっしゃって、私が聞いたことにお答えになっていないのです、その答弁は。民主主義というのは、すべての国民が主権者としての尊厳を持っているんでしょうということを聞いているのです。それは憲法の精神の大前提でしょう。そう理解されませんか。
  35. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 そのことに関します限りは別に異論はございません。
  36. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 そうであれば、そういう基本の上に、一応議会制民主主義というものでいま日本の政治はなされております。ですから、国権の最高機関が国会だということは、もちろんそのとおりであります。しかし、これは憲法の至るところで強調しているように、常に国民に由来し、国民に基づくものだということをいっておるのでありまして、今日、直接民主主義というようなことばが起こったり、市民運動というようなものが非常に活発になっております。これは民主主義の当然の正しい発展の姿と私は思いますが、そういうことの把握についてどう認識されていますか。国会以外には政治のことについては口を出すのはおかしいんだ、われわれ国会議員が、そしてそこから選ばれている政府が、最高の、国民からすべてを委託されているんだ、だからそれに対して批判することは間違いなんだ、こういわんばかりのあなたの感覚に受け取れるのです。そうですか。
  37. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 先ほどもお答え申し上げましたように、政治に関心を持つこと、大いにけっこうでございます。しかし、法の禁止すること、これは守ってもらわなければ困る。特に公務員については、その姿勢が強く要請される。こう考えておるものでございます。
  38. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 そうすると、あなたは「政治が好きな人は、個人の活動は自由だから教員をやめて政治屋になってもらいたい」「教員でありながら政治的な行動に興味を持ちすぎることは是非さけて頂きたい」、こう言っていますが、これは、教員が政治に興味を持ったり、それについて発言したり、行動したりするということ、このことを原則的にあなたは否定しているのですか。
  39. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 字句、字句をばらしてお読みいただかないで、全体をまとめてぜひ御判読をいただきたいと思います。  私は、いま御指摘になりましたように、ストライキのことを言い、まあ組合のことを言うておるわけでございます。それが前提にあるわけでございまして、組合は組合員の勤務条件の維持改善をはかることを目的としているんだ。同時にまた、公務員につきましてはストライキが禁止されているんだ。にもかかわらず、そういうこととは違った行動が行なわれている。だからこれを是正していきたいんだということで、そういう結論を導き出しているわけでございますので、その点は御理解いただきたいと思います。一般的に先生に政治に関心を持つな、そんなことはさらさら申し上げる意思はございません。
  40. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 あなたは、そう思って、何か日教組の組合の役員かなんかのことを頭に置いて、その人に向かって、おまえは教員をやめて政治家になれ、さっきから御答弁聞いていると、そういうつもりらしいのですが、しかし、これを普通の日本語の理解で読めば、あるいは聞けば、これは、教員というものは政治にそんな関心を持ち過ぎちゃいかぬ、こう言っているようにだれでもとれるのです。だから、さっき私が某新聞の社説の一節を読み上げたわけなんです。みなこうとっているのです。それは間違いでしょう。教師は十分関心を持たなければいけないのでしょう。教師は政治についても極力ちゃんと発言しなければいけないのでしょう。そういう姿勢でなければ、とても主権者としての子供なんか育てられないでしょう。そのことと、ある一定の自分のイデオロギーや、自分の所属する政党の問題を、公的な教育の場所でストレートに子供に教えるということとは、はっきり違いますよ。はっきり違うのです、これは。教師が教師として、あるいは教師の集団として、教師の団結体として、あるいは個人としてでも、そういう団体としてでも、政治について発言し、政治について関心を持ち、政治について研究をし、そしてより広い憲法教育基本法ほんとうの充実発展のために努力するというのは、これは義務といってもいいくらいのことでしょう。そう思いませんか。
  41. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 学校先生方、政治のことには関心なくて、ひたすら研究に没頭される方もございましょうし、あるいはまた深く政治に関心をお持ちになる方もございましょう。いずれも私はけっこうなことだと思います。問題は、先生方について団結権を認めている、その団結権を認めているのは勤務条件の維持改善をはかることを目的としているんだ。でありますから、そのことを頭に置いて法に触れるような行動を指令することはぜひ避けていただきたいものだ、こういう念願でございまして、そのようにぜひ私のことばを受け取っていただきますように、これはお願いを申し上げておきたいと思います。
  42. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 これはあなたと議論していても、これから先はただすれ違いのやりとりになるということを私は心配をし、これは時間の浪費になるのじゃないかと思うから、この点はさらに議論をするし、あるいはその責任について別の角度から私はただしていきたいと思いますけれども、とにかくいまのあなたの御答弁では、私は民主主義というもの、民主政治というもの、それの中における国民というもの、そういうものについての基本認識において非常にずれているというふうに把握せざるを得ない、こういう人が文部大臣やっていたんではこれはたいへんだという実感を深くしたものであります。そのことだけ申し上げて、このことについては一応これでとどめておきます。別の機会に譲ります。  つまりあなたは、具体的な日教組の闘争だとか、ストライキだとかいうことをすぐに結びつけて政治のことをおっしゃるけれども、私が聞いているのは、政治の根本の問題について、主権者としての国民というのはどういうものなのか、民主主義というのは、四年に一ぺんか三年に一ぺん選挙して投票してしまったときに主権者としての権利が行使されて、あとはそれによって構成された政治権力の奴隷に転落してしまうようなものなのか、そういうようなことの基本理解が私は残念ながら奧野文部大臣にとてもこれは得られないという感じを、いま伺いながら深くいたしました。  次に、スト権の問題、スト禁止の問題について、あるいは労働組合なり職員団体、いろいろな言い方ありますが、いわゆる国民の、勤労者の団結権という問題についてのあなたの把握は、これはまた非常に狭い、片寄った、ゆがんだ、世界の大きな常識からも全く古色蒼然とした、そうしたお考えにしか立っていないということが、いまの御答弁の中にもこれははっきり出ているように思うのです。この問題について以下少しお尋ねをしたいと思います。  あなたが八月三十日の会議でごあいさつをなさった重点が、あなた自身が先ほどからおっしゃっているように、教職員のストの問題を非常に頭に置かれて、そうして特にことしの四月二十七日の公務員、公労協、民間あわせてやった非常に大きなストライキの波、この中で日教組がとった行動等についてたいへん法律違反として非難をされ、福岡県教組の処分についてこれに続けということをまあ叱咤激励、呼号されたというのが実態だと私は受け取るのです。そうでしょう。
  43. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 日教組文部省との関係、たいへん不幸な事態がずっと続いております。法に禁止されているストライキを指令する、ストライキに参加すると文部省は処分をしろと言う。まさに国民にとっては不毛の対立が続いている、ときどき国会でもこういうことを申し上げております。これはいいとは思いません。お互いにもっといい道を探し求めていかなければならない、こう考えておるわけでございます。しかしながら、やはり法に触れる行為が行なわれる以上は、これに違反した方について処分をしない限り法は守れない。だから法が確立されるように処分をしてくださいよ、こう申し上げてまいってきております。
  44. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 大臣日教組文部省関係は、不幸な事態になっているというふうに認識をされている。それでは幸福な望ましい事態というのはどうお考えですか。
  45. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 私、日教組方々と二回会っているわけでありますけれども、第一回のときにも、日教組委員長にこういうことを申し上げました。あなたたちは文部省の政策全部が悪いように言われる。中央教育審議会答申全部が悪いように言われる。中にはいいものもたくさんあるじゃありませんか。だから、悪いものは悪い、いいものはいいというふうにしてくださいよ、私も今後も日教組批判をやっていきますよ、しかし、日教組全部悪いとは言いませんよ、思いませんよということを言ったことがございました。そういう気持ちでおるわけでございます。お互いにそういうことでどんどん会いながら議論をしていこうじゃないか、なかなかかみ合わないけれども、そのうちに何かいい道が開かれていくかもしれない、やはり国民にとって教育は充実していかなければならないのだから、充実していけるような方向を見出していきたい。いまのままでは国民にとっても不幸なことだと私は思います。こんな話をいたしているものでもございまして、それがまた私の気持ちでもございます。
  46. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 大臣日教組と話し合うということに意義を認められだしたということは、私は大臣就任以来の言動をずっと拝見していて、まあ一歩前進してきたんじゃないかとは思うのですが、しかしながら、基本認識においてまだまだたいへん大きいズレがあるのじゃないか。  大臣はすぐ、ストは法律で禁止されているから、職員団体はその勤務条件について申し出るだけの権利だと言う。確かにそれは地方公務員法等はそう書いてあります。その法律部分だけ見ればそれはそのとおり。しかし、世の中はもっと複雑であって、もっと生きていて、もっと前進をしつつ動いていっておるのですね。まず第一に、地方公務員法より上位の憲法の二十八条というのは、御存じのとおり、これは基本的に国民に労働基本権を与えるもの、これは生存権の具体的な一つの、何と申しますか、これを裏づける規定として憲法二十八条がございます。そうするとあなたは憲法十五条を持ち出してきて、全体の奉仕者論というようなことで、昔の天皇制みたいなことを言い出しかねない。その絶対のもとに従わなければいかぬようなことを持ち出すかもしれませんが、しかし、憲法二十八条というものは、いま日に月にそれがほんとう国民の権利として、文字として憲法の中に書かれたというだけでなく、国民生活の中に具体的にいま、時代の進展とともに定着し、確立されつつあるのです。  あなたは四月二十五日の最高裁判決を鬼の首でもとったように振り回して、そうしてこの三十日の会議で厳重処分を呼号していらっしゃいますけれども、それは私は大きな歴史の流れ、時代の流れ、民主主義発展の流れ、人権確立の流れの中から見ますと、判断を誤っているのではないか。ただ地公法にあるから処罰だ処罰だと言って、厳重処罰を呼号し、これを振り回すことが、ほんとう教育界の秩序を確立し、生気はつらつたる教育実態が生まれる、こういうふうにもし思っていらっしゃるとすれば、私はたいへんな考え違いじゃないかと思う。あなたはいまでもそう思っているのですか。処分処分で強行していけば教育がよくなる、こう思っているのですか。そして、それが正しいと思っているのですか。それが正しい法の行使だと思っているのですか。もう一回はっきり言ってください。
  47. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 憲法二十八条をめぐりまして、いろいろ議論が分かれていると思います。しかし私たちは、実定法の解釈というものと立法政策論とは厳重に区分して考えていかないと間違いを起こすと思うのであります。やはり国民は一応実定法に基づいて行動してもらわなくては困るということでございまして、立法政策論として公務員にもスト権を認めるべきではないか、これは大いに議論あってけっこうだと思います。しかし、現在は禁止しておる。しかも裁判所は、最高裁判所は終審でございます。したがいまして、法の解釈に異議があります場合にも、最高裁判所の判決で示しましたところ、それに国民はやはり一致せざるを得ない、こう考えるわけでございます。異論のある者が立法政策論をかざして大いに活動していく、これは何ら私は異論を言うものではございません。同時に、先ほどもちょっと申し上げましたように、組合がスト指令をする、文部省は処分を指導する、国民にとっては不毛の対立だ、こんな気持ちを持っておりますけれども、私は行政当局の責任者でございまして、法秩序は守られることに全力を尽くしていかなければならない。そうしますと、法秩序を破った方に対してはそれなりに処分してもらう。そのことを通じて法秩序が守られるように努力をしていくということになるのだろうと思います。これは私の責任でございます。しかし、それだけで問題が片づくものではないということはよく自覚しておりまして、また、そういう意味で先ほども申し上げさせていただいたところでございます。
  48. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 やはり古めかしいお考えしか持っていないということはよくわかりました。  法秩序と言うけれども、法も解釈が時代によって変わり、そしてその法もさらに改正されるというふうに流れていきます。それから、法があっても、その運用について非常に変化をしてくるということも、これも事実ですね。事実です。これは事実をもって示しましょう。  たとえば、私が東京都の教職員組合の委員長のときのお話を前にしたことがありますけれども、勤務評定に反対をして、まあいまでいうと一日のストライキをやった。起訴もされた。行政処分も受けた。しかし、三権分立のたてまえのこの日本の司法の世界で、裁判所における判断で——確かに地公法はそう書いてありますよ。しかし、憲法二十八条との重みと、事実と、社会的影響と、そういったものを全部考量して判断をする。そういう中で私は、第一審で刑事問題としては無罪、第二審で有罪、ここに司法の世界にもゆれ動いている判断というものが現実にあります。そして最高裁において四十四年四月二日に、第一審よりさらに憲法二十八条というものをたいへん重く見たニュアンスの無罪判決が出ました。その後四十六年には、当時私どもが受けた行政罰につきましても、地公法そのものを違法とまできめつけないけれども、この運用については細心、最小限度に考えないと憲法違反のおそれのある法律だということで、少なくとも私どもの行為については、これは行政処分を全面的に取り消せ、こういう御判断が裁判所で出ております。これはもちろん当局が最終的に控訴されておりますから、この行政処分の問題はさらに高裁、最高裁と争われるでありましょう。しかし、そういう事実があるということは、あなたがごく簡単に機械的に、地公法にあるから厳重処分するのはあたりまえだというような簡単なものではありません。その前に、何でストライキが起こるような事態が起こってくるのかという原因について深い詳察が必要であるし、もしそれが、そういうことがなくても解決されるなら、解決をするための行政的な努力、こういうものは当然要請されなければならぬだろうし、また行なわれた場合にも、そのよって来たるところがきわめてもっともな、切実な要求から出た、やむにやまれぬ行動であるという場合には、法律の運用にあたっても、これは最小限度の配慮というものが必要である、こういうことは十分考えられることですね。  あなたは、一番最近の四月二十五日の最高裁判決を金科玉条になさっていますけれども、最高裁判決もずいぶん動いているのです。三十八年の三月十五日の判決は、今度の四月二十五日と同じように、公務員のスト禁止というものを当然の合憲であるように判決があったのです。   〔委員長退席、松永委員長代理着席〕 しかし、その後の各地裁、高裁段階で、いろいろな事件において最高裁がそういう判決を下したにかかわらず、実際の労働運動の実態、そうしてILO等の勧告、こういったようなものの中で、世界の労働常識として、日本の労働者、公務員労働者を含めて、労働基本権というものがまだまだ十分確立されないというのが一般の見方であって、労働者、勤労者の団結権や団体行動権というものは、十分これを憲法二十八条の精神に照らして認めていかなければならないというのは、その後のたくさんのいろいろな地裁の判決に続々出まして、最高裁の三十八年三月十五日の判決というものは、まことに時代おくれのみすばらしいかっこうになってしまったのです。最高裁の権威いずこにありやということになっていったのです。そういう中で最高裁はやはり考え直したのですよ。それが全逓中郵の判決となり、私の関係した四十四年の都教組事件の判決となったのです。  しかし、時代は大きく、そういうふうにいろいろな見方があるけれども、人間の歴史、日本の歴史は、一言でいうならば人権の確立していく歴史だと思うのです。人間がほんとうに平等に尊重されていく歴史だと思うのです。そうしてみんなが平和に豊かに生きていくための世界をつくっていく歴史だと思うのです。これが歴史の流れである。そういう歴史の流れの中で、ときには時代は逆流する、また大きく流れる。大河が流れていくときに、ときには渦が巻くでしょう。今度の四・二五判決などはそのちょっとした逆流にすぎない。おそらくこれはまたまた下級審で全部総批判を浴びるでしょう。世界からもこれは批判されているのですよ。ドライヤーの勧告も、あなたは少なくとも文部大臣だからお読みになっているでしょう。ILOの教師の地位に関する勧告も、おそらくごらんになって検討なさっているでしょう。なさっていなければ文部大臣の資格はありません。  そういう中で、ただ法律にあるから処罰すればいいという、ごく部分的な観点でものを考えるようでは、とうていこれから進歩発展していく社会の次代国民の創造に当たる教育の行政の責任者としては、私はまことに問題があると思うのです。そういう点について、あなたはもう少し深く考えてみるお気はないのですか。今度の最高裁なんか出たけれども、つい最近の和歌山地裁の判決は御存じでしょう。今度は逆に明確に、地公法も憲法違反としてはっきり断定する判決まで出てきています。こういう中では、少なくとも文部大臣は組合の運動、行動については、これは十分慎重に配慮しなければいけない。確かに地公法があって、処罰をするということになるかもしれませんが、その際でも、十分慎重な配慮を多角的にしなければならないのがあなたの責任だと思う。いとも簡単に、八月三十日のあの会議におけるあなたのラッパの吹き方は、こういう大きな人権確立の歴史の中で、教師が血みどろになって戦って、一歩一歩権利を確立しつつある、こういう歴史の流れの中で、あまりにも認識を欠いているんではないかというふうに思うのです。そういうことについて御反省をなさる気があるのかないのか。私はいままでのことで絶対正しいと思っているのだとおっしゃるなら、そうおっしゃい。それを伺います。
  49. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 国民の間にいろんな考え方がある。いろんな考え方があるからものごとは発展していくんだという気持ちは持ち続けているものでございます。私と長谷川さんとの間には、かなり考え方の違いがあると思います。公務員の政治活動を考えます場合には、将来の公務員制度はいかにあるべきかというところから私は考えていかなければならないのじゃないだろうかな、こう思っております。現在のわが国の公務員制度、これは内閣を組織するものも、あるいは府県、市町村の当局になるものも、選挙によってきめられてまいるわけでございますから、しょっちゅうかわっていくという前提に立っておるわけでございます。その際に、当局のかわるたびに公務員の首のすげかえが行なわれてはならない。またそういうことでは、行政をよこしまに運用するおそれが多分にある。そういう意味で、公務員につきましては身分保障が行なわれている。身分も給与も保障される。当局がかわろうと、何ら影響は受けない。そのかわり、常に住民全体の奉仕者なんだ、一部の奉仕者じゃないんだという考え方で、行政をよこしまにしてはいけない。こういうことを通じて私は、一面には公務員の身分を守るし、また行政の公正も確保しよう、こう考えているんだ、こう思うわけでございます。その点におきまして一般の民間の企業に働いておられる方々と、国や公共団体で働いておられる方々との間には、基本的なたてまえの違いがある。またこのたてまえの違いは私は堅持していくべきものだ、こういう判断に立っておるものでございます。そうしようとすればするほど公務員は特に政治的には中立を要求される。一定の政治活動は制限されるということでなければならないのじゃないかな、私はこう考えているものでございます。この辺は立法論になってまいりますから、お互いに考え方が違ってもそれはそれなりにやむを得ないと思うわけでございます。   〔松永委員長代理退席、委員長着席〕  同時にまた、和歌山の地方裁判所の判決を引用されました。私もこれは承知しておるわけでございます。ただ、裁判は三審制度をとっておるものでございますので、やはり最高裁の判決によって最終的に確定するんだということはお互いに理解して進んでいきたいものだ、かように考えるわけでございます。  その場合に、いま憲法二十八条の労働基本権のことについていろいろお述べになりました。この二十八条の労働基本権につきましても、私はいろいろな解釈があっていいんじゃないかと思うのでございまして、私がいろいろなことを申し上げる場合に考えております二十八条のことについて触れさせていただきたいと思います。  憲法二十八条は、勤労者の団結権及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障するというふうに書いておったと思います。別にその中には、スト権とか同盟罷業、怠業とかいうふうなことは書いておりませんで、団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する、こう書いてあるわけでございます。団体行動する権利の中に何を含んでいるか、それはもう団体交渉を確実にさせる、労使平等に交渉していける体制を守ってやるということには違いないと考えるわけでございますけれども、その中身は私はやはり立法政策にゆだねられておるものだ、こう考えているものでございます。公共の福祉に反しないように立法政策をやっていく。ですから、この団体行動の中身は、それぞれの立法にゆだねられてしかるべきじゃないか。公務員については、公務員の特殊な性格から争議行為は禁止している。それは四月二十五日の判決に言うておりますように、合理的な適切な代償措置が講じられる限りにおいては、争議行為を禁止しても憲法二十八条に違反するものではないという考え方は、私は私なりにそういう考え方をずうっと持ち続けているものでございますので、長谷川さんとの間で意見の違いはございますけれども、そういう考え方に立って私がいままでいろいろなことを言っているのだということについては、御理解を得ておきたいと思います。
  50. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 労働基本権問題あるいは公務員の労働基本権の問題についても、大臣と私の意見との間にはたいへんなズレがあると思います。しかし、いまの憲法二十八条の解釈で、団体行動という中にスト権を含んでおることは、これはもう疑いのない学者の定説であって、いまおっしゃるようなことを、いまだに日本の閣僚の一員が言っておるというようなことについては私は驚く。世界に対してもまことに恥ずかしい、こういう気がしてなりません。  御承知のようにドライヤーが、たびたび日本の労働組合の提訴によりまして日本調査に来まして、そうしてドライヤー委員会勧告を出しております。報告書を出しております。これもむろんごらんになったと思いますが、その中にたいへん重要なことばがあるのですね。つまり、いまあなたもすぐ公共の福祉でスト権の禁止と、こう言っていますが、たいへん重要なことばは、使用者としての政府と、政府としての政府とを区別すべきである。日本政府は、公務員労働者に対してその点を混同していやしないか。国民の代表として政治を行なう政府という立場と、しかし、その政府であっても、直接そこに働く労働者に対してはやはり使用者なんだ。これを混同して、政府は国民の総意でやっているのだから、その解釈に何でも従えば正しいのだというような考え方が、日本公務員労働者と政府との不幸な無用のあつれきを起こさせ、そうして不当に公務員の人権が無視され、そうしてその紛争のために常に国民が必要以上の被害を受けている。こういうことをもうちょっと改めるべきだというのは、ドライヤー委員会日本へも来てちゃんと全部調べた上で、その混同があるのではないかということを指摘しているのです。あなたはまさに混同してしまっている。  それから、公務員でもスト権の全面禁止というようなことは不合理だと指摘しています。それから代償措置として人事院や人事委員会があるけれども、これがきわめて不完全であり、中立にもなっていないと指摘しています。それから法令の施行方法についても、違反について最大限の制裁を加えているというようなことは誤りであるというふうに指摘している。公務員労働者の団結権を縛る法令が日本には多過ぎる、こうも指摘しています。それから八十七号条約批准の以前に起こったたくさんの過酷な処分などについて、それを撤回し、過去の弾圧を撤回するように示唆をしているのです。  また、これと前後して、教師の地位に関する勧告がILOから出ております。この中で非常に重要なことをやはり指摘していますね。さっき日教組と話すことにも意義があるというようなことをおっしゃったので、私はこの点は一歩前進だと思うけれども、教職員の団結体に対して、教師の身分、生活を守る任務がある。これはさっき大臣もおっしゃった。同時に、教育政策の改善進歩に貢献する任務がある。この二面性を指摘しています。あるいは教師の職業上の自由、教科書の選択や教育方法の採用について、最大限に教師の自由を保障しなければいけないということも勧告しています。特に教師の権利として団体交渉権を八十三項で確立させろと言っておりますし、八十四項で使用者である政府あるいは地方自治体と合同機関を設置すること。そこで合意ができない場合には、他の団体が持つ権利を持つべきであるといっている。これが争議権であることは、これまた学者の定説であります。  こういうふうに、国際的にも常識になっておるのでありまして、そういう中でいまのように、ただ地公法だけを墨守し、ただそれだけを振り回して、最大限の処分処分で日本教育が円満に遂行される、豊かに、生気はつらつと発展するというふうに考えることはとうていできないのでありまして、文部大臣として、これは私は重大な反省を求めたいと思うのです。このことを特に強く申し上げて、最後に大臣の所見を伺って私の質問を終わります。
  51. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 立法論として、私はいろいろな意見があると思います。それがいまここでいいとか悪いとか私言う意思はございません。また立法政策を考えていく上においても、いろいろな外国側の意見も傾聴すべきでございましょうし、また外国の制度も研究すべきだと思います。  公務員スト権に限って申し上げましても、先進国の間でスト権を与えているところもあれば、与えていないところもございます。わが国に最も適切な制度をわが国としては打ち立てていかなければならない、こう存じております。  同時にまた、憲法の二十八条の「その他の團體行動をする権利」の中に、いろいろなものが入っていると思います。いろいろなものが入っているけれども、それを公務員についてはどの範囲まで認めるのか、そこが立法政策にゆだねられているのだと、こう私は答えているつもりでございます。団体行動する権利、何でもかんでも好きなようにやっていいのだというふうには長谷川さんも私はお考えになっていないと思うのであります。どういうふうに適用するかということは、立法政策にゆだねられていると私は考えでおりますと、こう答えている点も御了承賜わっておきたいと思います。  いずれにいたしましても、私は行政の当局者でございますので、国会で制定されました法律、これが完全に励行されますように努力していかなければならない責任を負う立場にあること、これもぜひお認めを願っておきたいと思います。
  52. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 立法を守るということが立場であることを理解してほしいというのですが、私は、まさにそういう意味憲法以下の諸立法、そしてそれは国際的ないろいろな労働慣行、そうしたものを広く理解して、そして時代の進運に間違いのない判断をしなくちゃいけないということを強く申し上げたのでありますけれども、いまの御答弁は、依然として地公法だけを振り回すというその姿勢は変わらないようでありまして、私はまことに遺憾に存じます。  それから、最後にちょっと一つだけ、さっき和歌山地裁の判決に関して、日本のたてまえは三審制度であるからということがちょっと出ました。もちろんそのとおりであります。そうすると、大臣のお考えは、これは最後に聞いておきますが、地裁、高裁は権威のある判決ではないので、最高裁までいかなければものの判断はできていないのだ、それまでは問題にする必要はないのだ、こういうお考えですか。そこだけはっきり……。
  53. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 それぞれの裁判所は、良心に従って、全力をあげて裁判をしてくださっておるわけでございますので、これを非難する意思は私にはございません。ございませんが、和歌山の地方裁判所の判決は、四月二十五日の最高裁判所の判例に明確に違反しておるわけでございます。明確に違反しておりますので、和歌山の地方裁判所の判決、これが出ましたから、われわれは法の解釈をそのとおりと受け取って行動しますと、こうは申し上げられない。裁判は三審制度をとっておるわけでございますので、最高裁の判決を待ちたい、こうお答えをしておるつもりでございます。
  54. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 わかりました。ではこれで終わります。
  55. 田中正巳

    田中委員長 木島喜兵衞君から関連質疑の申し出がありますので、これを許します。
  56. 木島喜兵衞

    ○木島委員 関連ですから簡単に。  最初の質問の、あなたは発言を取り消された教員と屎尿くみ取りその他と違うという問題。取り消されたのですけれども、そしてそのことは現業非現業との差別意味したものであるとおっしゃった。現業非現業を区別するのに、あなたの頭の中にどうして屎尿くみ取りというのがぱっと出てきたのか。本来現業非現業という常識は、たとえばさっきおっしゃったように、三公社五現業というものが常識です。なぜあなたの非現業現業という中に屎尿くみ取りというようなことば——世間でいえば、一般的にだれもあまり就職したがらない人たちですね、その人たちの名前がどうして出てきたのですか。取り消した取り消さないじゃなくて、あなたの現業という中で、現業の中の一番人がいやがるような仕事、そういうことをあえて出したあなたの基本的な姿勢が一番問題だと思う。そこはどうなんですか。
  57. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 昭和二十一年のころを頭に浮かべまして、地方行政の中で対価を徴収して行なっておった仕事が何があるだろうかなあというようなことからその仕事を思い浮かべたわけでございます。国家公務員ではなくて、地方公務員なものでございますから、地方行政の中でいわゆる公企業に当たるようなものが何があるだろうかなあというようなことを考えて申し上げたわけでございます。いまでございますと、水道事業など、かなり公企業が普及してきているわけでございますけれども、その当時にはあまりなかった、それくらいのものではなかったかなと、こういうことを思い浮かべながら申し上げたわけでございまして、それが不愉快な気持ちを与えたりしまして、ほうとうに私自身申しわけなかった、こう思っておるわけでございます。
  58. 木島喜兵衞

    ○木島委員 あなたのその出発から、すでに認識を誤っているのです。昭和二十年の十月十一日のGHQからの指令によって、ストライキ権現業非現業その他を通じて、なかったのですが、一緒になったのです。あなたのまずその出発が誤りであるから、これは私はいま関連ですから言いません。けれどもあなたの根底には、世間があまり希望しないような、いやがるような仕事という代表として頭の中に一番極端なものが出てきた。このことは、文部大臣として、教育基本法というものを十分に身につけているかどうかが私は問題だと思うのです。  たとえば前文に「個人の尊厳を重んじ」とある。第一条には「個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ」とある。第二条には「自他の敬愛と協力によって」とある。こういうように前文、一条、二条、三条、こういう思想があなたの中に徹底していたならば、このようなことばは出てこないと思う。そこに一番問題があると思うのです。文部大臣として一番問題があると思う。取り消した取り消さないの問題ではない。あなたの根底にあることは、そこが一番文部大臣として適格性が問われるのだと思いますが、いかがですか。
  59. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 私がああいう発言をしましたのは、まともに現業を説明しようとした、なまじっか地方行政を知っておったばかりに、当時対価を徴収するものとすればそういうものかと、こう思ったところに大きな結果が出てきた、こう思っておるわけでございまして、同時に、いまお述べになりましたこと、私自身に何らそういう差別的な気持ちはさらさらないと思っております。ないと思っておりますが、今後ともそういう点につきまして、なお私自身が十分な人間になりますように努力をしていきたいと、かように思います。
  60. 木島喜兵衞

    ○木島委員 これはある。私がいま言ったようなことがあるとあなたがおっしゃれば、これは文部大臣辞任せねばならぬから、あるとおっしゃれないでありましょう。しかし、だからこれはしょせん——これてやめます。あなたが基本法の解釈、考えていませんでしたと言ったら、文部大臣はやめなければならぬから、あなたはそんなことはありませんと言うにきまっている。だからしたがって、結論はここじゃ出ません。けれども、あなたのたびたびの発言の中に、いろいろ問題があるんだけれども、そういう点では十分に御注意いただきたいと思います。私は適格性を疑っているのです。  第二の、政治が好きなら政治屋になれ——いま長谷川先生の御質問への御答弁で、ストとか何かいろいろあった、それはさておきましょう。教員がストをやるのがいいかどうか。もしあなたがその見解で進めばそれでいい。それについて、なぜ、政治が好きなら教員をやめて政治屋になれと言わねばならなかったか、そのことばが問題なんです。あなたは、こういういろいろな話の順序でこうなってきたと、それはそこまではよろしいでしょう。いまそこは論じません。だからといって、政治が好きなら政治屋になれ——あなたは、先ほどもお話がございましたけれども教育基本法の前文の最初に「われらは、さきに、日本憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」ということは一体何かというならば、一つには、先ほどあげました主権者を養成するという前提がある。だから、これを受けて、第八条は「良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。」これは前提であります。だから政治教育がなされなければならないのであります。政治教育をする者は、政治的な判断力や批判力、興味がなければ、できません。それが、政治が好きなら政治屋になれ。もちろんあなたはおっしゃるでしょう。第八条第三項は「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。」これは学校であります。個人じゃありません。学校は、してはいかぬ。だから、学校全体はいかぬけれども、教師個人個人は、政治に理解を持ち、興味を持ち、そのことから、ときには批判もありましょう。しかし、そういうことは、教育基本法の前文でいうところの主権者をつくる、憲法の理想実現は、根本において教育にある。それを受けて八条は、政治教育をやらなければいかぬといっているのです。この点をあなたはどうお考えなんですか。
  61. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 先ほども申し上げたことでございますけれども、やっぱり国民は、法治国の国民として、法秩序を守る国民になってもらわなければならないわけでございます。私は、政治的な関心を高めることはけっこうなことだ、こうも申し上げてまいってきているわけでございます。私がああいう発言をしました前提として、ストを指令する、しかし、その方々がやはり教員であることを理解してもらいたい。だから、なおかつそういう活動を続けていこうとするなら、教育界から政治界に移ってもらいたい、こういう意味で申し上げておるわけでございます。
  62. 木島喜兵衞

    ○木島委員 あなたは「日教組は昨年、一年前に今年の半日ストを大会で決めており、今年はまた一年前に、前橋の大会で、来年の一日ストを決めている。こうなると組合はどういう性格の団体だろうか。」ここまでなら、これまでの見解でいいです。しかし、そういうことを言ってきて、まとめて——私は前提と区別するのですよ。それならそれでいいですよ。それはそれで、あなたの見解としていいです。いまは論じません。だが、それに続いて、なぜ、政治が好きなら政治屋になれと言わなければならないのです。そのことが文部大臣としての教育基本法の解釈というもの、前文なり八条というものをどう理解するのか。文部大臣の資格が問われるという意味で私は聞いておるのです。だから、あなたはいま、政治に興味を持たせることを否定するのじゃないというならば、このことばは取り消すとやらなければいけません。
  63. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 先ほど長谷川さんにお答えをしたとおりでございますが、いまお読み上げいただきましたとおりでございまして、そういう活動をなさっている方々、現在は全部と申し上げていいのか、あるいは若干違う方がいらっしゃるかもしれませんけれども、専従職員の方々だと思います。職務に専念する義務を免除されて、教員としての身分をもって努力していらっしゃると思うのでございます。教員である限りは、そういう活動をすべきでない。だから、そういう方々をさしまして、ひとつ考え直してくださいよ、こう呼びかけたつもりでございます。
  64. 木島喜兵衞

    ○木島委員 あなたはそういうつもりだったかもしれないけれども、集まった教育委員長教育長は、そう説明はないのだから、したがって、政治が好きなら教員をやめて政治屋になれ——政治家と政治屋というのはどういうのかわかりませんが、私なんか教員をやめて政治の道に入りましたから、政治屋ですね、私はね。あなたは政治家。きっとそういう差別なんでしょう。そうでしょう。  まあそれは別として、受け取った者は、あなたは専従職なんて言っていません。だからこれを受けたところの、あなたが指導したところの人々は、このことばというものからどういう印象を受けたか。このことばは少なくとも取り消さなかったら、あなたの教育基本法の解釈というものが当然問題になるですよ。経過や何かを言っているのじゃないのです。このことばを言っているのです。まとめられたこのことばです。これはまとめです。これと教育基本法関係を、あなたはどう理解しているのかということを言っているのです。
  65. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 スト権、そして組合の性格、それをあげて申し上げているわけでございますので、私がたびたび申し上げているとおりに御理解をいただくようにお願い申し上げます。
  66. 木島喜兵衞

    ○木島委員 だから、そのことを言っているのじゃない。そのことはいま言わないと言っている。そのことばそのことで、そこまでで切ればいいのてあって、なぜその次に続いて——一般論でしょう。政治が好きな人間は政治屋になれというのは、一般論でしょう。教員全部でしょう。政治が好きでなければ政治教育はできません。そのことは教育基本法が求めている。求めているものに、教員をやめて政治屋になれというあなたの発想、そのことばを言っているのです。前提や何かはない。
  67. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 私がいまここで申し上げているとおりでございまして、そのとおりに御理解をいただきたいわけでございます。法に触れるような活動はしてもらいたくない、これの一念でございまして、そういう意味で申し上げていることだと御理解をいただきたいのであります。
  68. 木島喜兵衞

    ○木島委員 ぼくらがあなたの訓辞を受けたのじゃありません。ここで御理解しようとかしまいとかいう——理解したところで、あなたがこうしゃべったことを受けた教育長教育委員長たちは、一般論としてとるのはあたりまえでしょう、文脈からいって。だから、もしもあなたがおっしゃることを理解するとすれば、このことばは取り消さなければいかぬ。早まっておったとか、そういうことが明確にされなければいかぬでしょう。でなかったら、私は、教育基本法前文と八条の関係でもって、あなたの文部大臣の資格というものをもっと論究しなければいかぬと思います。
  69. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 繰り返し申し上げているとおりでございまして、私がここで申し上げているとおりに一般の方々にも受け取っていただきたいと思います。
  70. 木島喜兵衞

    ○木島委員 さっきの、いまお借りしましたけれども参議院に出したものの中でもって、屎尿くみ取りのほうは取り消した。だから書いてない。取り消したのは、自治労に文書を書いて取り消したということで、取り消したとおっしゃったわけですか、屎尿くみ取り問題は取り消したというのは。それとも、集まった方々に、文書か何かでもってそれは取り消したとおっしゃったのですか。組合、自治労に取り消したって、指導されたものは教育長教育委員長なんです。くみ取りの方だったら意味ないでしょう。自治労に文書を書いたから、あやまったから、それで済むというものじゃないでしょう。もしそうであるならば、やはり集まった人たちに、おれのあのときの発言はこういうことだったが、ことばが足らなかったからあやまったとか、いま私が言っている政治屋になれという問題も、そういう意味では、誤解を与えたからこうだというものを出さなかったらおかしいでしょう。この文章からいったらそうです。その辺をどうお考えですか。
  71. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 現業例示をいたしましたことにつきまして、自治労や清掃関係の組合の方々がいらっしゃいまして、そういうことばそもそもが差別と受け取られるのだというような御指摘もございまして、いやな感じを与えるのだ、そのいやな感じを与えるようなことばを重ねて記載していくことがいいか悪いかということで御判断になったのじゃないかと私は思います。しかし、私はそれに何ら関与しておりませんので、どのようなものを委員会に配付されようと、私には何ら異議はございません。どういう私の発言要旨を配られようと、私には何にも異議がございません。ただ、私が推測して、そういう経過をたどったのではないだろうかな、こう思っているだけでございます。
  72. 木島喜兵衞

    ○木島委員 わかりました。これ以上言いません。なお後日、もっと基本的なことになりますから、議論いたします。
  73. 田中正巳

    田中委員長 ちょっと速記をとめて。   「速記中止」
  74. 田中正巳

    田中委員長 速記を始めて。  午後一時三十一分に再開することとし、この際休憩いたします。    午後零時三十三分休憩      ————◇—————    午後一時三十九分開議
  75. 田中正巳

    田中委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。山中吾郎君。
  76. 山中吾郎

    山中(吾)委員 けさほど長谷川、木島両委員から、文部大臣の、全国教育委員会委員長教育長協議会総会ですか、そこのごあいさつの中の発言でいろいろと論議をされたのでありますが、私は、この機会に何としても明確にしておかないと、日本国民教育にいい結果をもたらさないと思いますので、政治と教育関係についてと、それから文部大臣と地方教育委員会との関係については、明確に文部大臣のお考えをお聞きしておかなければならない、こう思いますので、二点にしぼってお聞きいたしたいと思うのであります。  ああいうことばの端々に、誤解を生むようなことばが出ておるわけでありますが、本質的に政治と教育はどういう関係にあるのか、文部大臣はどういうお考えであるか、お聞きしたいと思うのです。
  77. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 日本の政治のあり方を国民一人一人がよく理解をしてもらわなければならない。したがいまして、そういう意味で、教育におきましても、政治の問題について深く理解をさせる、そういう努力が当然なければならないと思います。政治というものといわゆる政治活動、その政治活動の中で、特に特定の勢力の増減をはかる問題とは峻別して考えなければならない。特定の政治勢力の増減をはかっていくというようなことは、厳に慎んでもらいたい。言いかえれば、政治的中立、このことが公務員においては一般的に要請されているものではなかろうか、こういう気持ち基本的な問題として持っているわけでございます。
  78. 山中吾郎

    山中(吾)委員 その前に、政治とは何か、教育とは何か、これを明確にしないと、いまのお話も幾らでも違ったことになってしまうので、政治とは何か、教育とは何かをお聞きしたい。
  79. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 一般に政治を行政と対比して言われる、そういう場合には、国の方向を切り開いていく、方向づけをしていく、行政は、示されたところが実施されるように運営されていくというようなことばで言われていると思うのでございますけれども、政治ということばも、使われる場合によりまして、かなり違った意味で使われることが多いと思います。日本の政治の進め方、政治のあり方、そういうことを中心に憲法がそれを示しているわけでございますので、それが持つ基本的な考え方をさして言われる場合もあろうかと思います。  いずれにしましても、行政と対比します場合には、私がお答えをさしていただいたようなことではなかろうか、こう思っております。教育の場合には、教育基本法が示しておりますように、根本的には平和な国家及び社会の形成者を育て上げていくということではなかろうか、こう思っております。
  80. 山中吾郎

    山中(吾)委員 はっきりわからないのですが、具体的には、政治とは、国の政治を前提とすると、国の理想とか目標を実現するために行なう社会的な機能だ、教育のほうは、やはり同じその国の教育は、国の理念を実現するための人間形成の仕事である、こういう意味ですか。
  81. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 そういうようにも理解できると思います。
  82. 山中吾郎

    山中(吾)委員 そういうふうにも理解というのでなくて、私はそうでなければならぬと思っているので、二通り、三通りはない。現実のわれわれ日本の国会において、日本の政治は、日本憲法に規定しておる国家理念、これを実現するために、立法、すなわち制度の形成、ある意味において拘束力を持った手段によってこの理想を実現しようとするのが政治だ。それできまったものを、法律のもとで執行するのが行政ですから、行政をしゃべるとまた混乱するので……。そして教育は、同じく国の理念を実現するために、それにふさわしい人間形成を通じて目的を果たそうとする仕事だ。私は端的に、日本の現在の国の政治と教育は何かというと、これ以外に回答はないと思うのですが、いかがですか。
  83. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 別にお説に異論はございません。
  84. 山中吾郎

    山中(吾)委員 そこで私は、むずかしいことは別にして、一つの集団における教育というものは、集団にはおのおの理念がありますから、その理念を実現をするために、そこの構成員をその集団の理念にふさわしい人間につくることにある。これは端的にお互いに了解すべきであると思うのです。ただ、教育の方法については、自発性に基づいて、外から強権をもって実現する政治ではなくて、人間の素質を個性に応じて引き出すことによって、そういうふさわしい人間をつくるんだ。この点についてはどうも、大臣理解をしておるようであります。そうすると、現実のわが日本の国における教育と政治の関係は、具体的には、憲法日本の国の理念をうたい、その国の理想を実現するために、教育基本法が、根本においてこの国の理想を実現するのには、教育の力にまつしかないと明確にしておる。そこで、憲法教育基本法との中に、日本の政治と教育関係が具体的に明示されておると思うのです。間違いないですか。
  85. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 そう理解しています。
  86. 山中吾郎

    山中(吾)委員 そうすると、文部大臣が一方に政治家であり——私は政治屋とは言いません。政治家であり、一方に日本国民教育に対する責任者でもある。日本教育にとっても政治にとっても具体的に目標とすべき国の理想、それを人間形成の原理に引き伸ばせば、それに応ずる教育目標があるはずでありますが、どういう理念が政治の目標であり、教育の目標になっておりますか。
  87. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 教育基本法の第一条に教育の目的を掲げておったと思います。そのことが……
  88. 山中吾郎

    山中(吾)委員 おったと思うじゃなくて、何ですか。
  89. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 すなわち御指摘になったことではないかと思います。平和な国家及び社会の形成者として、自主性に充ちた心身ともに健康な国民を育成する、そのことを期して行なわれなければならないという趣旨のことをうたっているわけでございますけれども、そこに掲げております内容が基本にならなければならない、こう思っております。
  90. 山中吾郎

    山中(吾)委員 大体その辺は、お互いに確認しておきたいと思うのであります。  そこで私は、そういう日本憲法に、具体的には絶対的な平和主義、それから民主主義、人権を基調としながら、そういう平和と民主主義とが完全に実現した国を目ざしてこの憲法が規定されておる。そういう絶対的な平和主役と民主主義を基底とした文化国家の建設のためにふさわしい人間形成は何かということを、教育基本法の前文に「真理と平和を希求する人間の育成」と明確に書いてある。そこで文部大臣がこの国の理想を——イデオロギーじゃない。学説、思想はたくさんありましょうが、現実の日本の国の理想は、人類の普遍的真理であるということを確認しながら、前文に平和と民主主義の国家理念の実現のためにということを規定されて、これを実現するのには教育の力にまつべきだと明確にしておる。政治と教育一つにしてエネルギーを発揮せしめるためには教育基本法の目的に沿って対立をなくするしかないと思う。文部省日教組の対立はどこに原因があると思いますか。
  91. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 これは日教組が自分の性格をどう理解しておられるか、日教組の綱領を見て判断をしなければならないかもしれませんけれども、先旧群馬の大会をめぐりまして各社がずいぶんいろんなことを書いておりました。その中で主流も反主流も、自分たちの組合の性格を、階級的大衆運動の組織として社会主義革命に参加するものとするというふうに言っているというようなことを書いておりました。なるほどこういうことになってくると、なかなか話がもつれるんだなあという感じを私は受けておったわけでございます。それは一例でございますけれども、あまりそういうことを私は言わないほうがいいんじゃなかろうか。どんどん話し合いをしながら、お互いの立場の違いを確認しながら、そして教育の充実をはかれるような道を求め合うということで解決をするしかないな、こんなことを言ったりもしておりますし、また考えてもいるわけでございます。あえて御指摘になりましたので、こんなことをちょっと御参考に申し上げさしていただいたわけでございます。
  92. 山中吾郎

    山中(吾)委員 文部大臣の思想を聞いておるのですが、日教組のいろいろの論議の過程にどういうことばが出たか私は知りません。それは論議の過程に、個人としていろいろ意見があり、イデオロギーもあるんでしょう。ただ文部大臣として、憲法教育基本法体制のもとに、方法が違う、政治は法律拘束力に基づいて理想を実現しようとするんでしょう、教育は人間形成、自発性を原理として、りっぱな人間をつくることによってその教育目標を達成するのでありますから。しかし、文部大臣自身が、人のことをあまり言わないで、日本憲法教育基本法のもとにおける国民教育責任者として、日本の政治は目標はこうであり、日本国民教育はこうであり、ここの点において一致さすべきであり、現在対立しているのはどこにあるかということを、あなたがあなたの信念として私は申すべきではないか。そうして初めて教育の本質を阻害しないで、権力で支配をするようなことなしに、日本の教師に対して普遍的真理に基づいて共鳴さすこともできれば、私はそこに解決の道があるのですが、そういうことは少しも言わない。あなた自身の考えを言わないじゃないですか。全国の教育委員会委員長教育長、これは地方の教育行政の担当者である。憲法教育基本法を媒介として、現実の日本の国政と国民教育関係を明確にしないで、一言現象面のストの問題をかれこれ言ったり、日教組の批判をしたり、そんなことから何にも解決がないと私は思うのです。日本憲法下における文部大臣として、日本の政治理想はここだ、日本国民教育の目標はここであるということを、ここで明言してください。
  93. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 先ほど来御議論になっております憲法及び憲法に基づいて国会で制定されました法律、これを実施していく、そういう考え方国民理解してもらう、これは私は根本じゃないだろうか、こう思うのでございます。その中にはたくさんなことがあるだろうと思いますけれども、そういう立場に立っていく。いま新聞に掲げられておりました、階級的大衆運動の組織として社会、主義革命に参加するものとする、こういうふうにみずからの組合を定義づけられておるようだ、ということは、私はそれでは困る、こういう意味で申し上げておるわけでございますので、基本的には憲法の示しております自由な社会をぜひ実現していきたい、平和な社会を確立していきたい、個人個人が大切にされるような社会に持っていかなければならない、そういうようないろいろな憲法に掲げられておる理想、これをできる限り国民の皆さんたちに深く理解してもらう、身につくようになっていく、そういうように努力していくことが、文部省として一番大切な責任ではなかろうか、こう思っております。
  94. 山中吾郎

    山中(吾)委員 私の質問には少しもほんとうは答えていないのです。まず、大臣日本国民教育責任者としての所信を聞きたい。それを言わないのですが、それはそれとして、日教組の階級的大衆——何ですか、どこに書いておるかわかりませんので、あとその書いておるところをお示しください。あなたがおっしゃったんですから、責任があるのですが、それは個人の意見でなくて、日教組基本的目標として決議でもして出ておるかどうか、それは重大なことですから出していただきたい。そして批判をされてけっこうだと思うのです。  私がお聞きしたいのは、この憲法の理念を実現をするために教育基本法が制定されたと書いておりますから、私から聞きます。日本国民教育の目標は平和思想、民主思想に尊敬する心をつちかう——聞いていますか。わかりますか。いま話しておったらきっとわからなくなる。日本国民教育の目標は憲法の理念、教育基本法の前文のことばをかりて言えば、すべての国民に平和思想と民主思想に尊敬する念をつちかうことを目標とする。間違いありませんか、これでいいですか。
  95. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 きわめて大切なことだ、こう思っております。
  96. 山中吾郎

    山中(吾)委員 そして日本国民教育は、したがって現実の国民教育は、民主的で平和的な国家を建設する事業であると言い切れますか。
  97. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 そのように理解できると思います。
  98. 山中吾郎

    山中(吾)委員 それならば、なぜそれを主張して、これでいこうじゃないかといって、日教組の批判ばかりしないで、日教組とこれでひとつやろうじゃないかと言えないのです。私は、日教組の諸君の思想も、憲法基本法を守っていくということをどこにでも言っておる。いま言った階級的ということばは、われわれはあと調べなければなりませんが、それは私は文章その他で何回も見ておるので、日教組の目標はやはり憲法教育基本法の理念の実現にある、そうして教育の本質、教育の方法論、間違いなく外部の協力によらないで、すべての人間の持っておる素質を中から引き出していくという教育方法に基づいて、いわゆる人間形成を通じて実現するんだ。ところが政府のほうはそれを守らないから、われわれは政府に対してものを言わなければならぬと一貫して言ってきておると理解をしておるのです。政府のほうで忠実に憲法を守っておるかどうかについて反省しなければならぬところがありませんか。そして、それを積極的に日本の教師に訴えておる積極性を、いままで欠いておるのではないかと思わないですか、どちらです。
  99. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 敗戦後の経過がこの混乱を招いていると私は思うのですけれども、私は政府は憲法を守る姿勢で努力を続けてきておると考えますし、また憲法九条などをめぐりまして、それは違憲だと考えていらっしゃる方々もおられる。たいへん不幸な事態が続いてきておると思います。  私、たびたび申し上げますように、本来文部省と組合、力を合わせ合って努力することによって、初めて教育が充実していくんだ、こう思っておるわけであります。しかし、不幸な対立が続いております。また考え方の違いがかなりきびしうございます。いま一挙にこれを詰めようと思っても、なかなか詰まりません。そこをお互い自覚し合いながら、違いを明確にして、何度も話を繰り返しつつよい道を求めていこうじゃありませんか、こう申し上げておりますし、また私は、それ以外には打開の道はないんじゃないだろうか、こう思っておるわけでございます。したがいまして、お互い言いたいことは遠慮なしに言おうじゃないか。しかし、だからといって相手が全部悪いんだというような考え方は持たないようにしようじゃないか、こう言っておるわけでございまして、こういう考え方のもとに打開の道を将来とも根気よく見つけていきたい、こう念じておるものでございます。
  100. 山中吾郎

    山中(吾)委員 私自身考え方も言わないと、責任のある質問になりませんから、批判を受けても、申し上げながら質問いたしますが、私は、平和思想と民主思想が国民の精神構造に定着するまで、平和の哲学が定着するまで、現在の成文憲法を守っていくべきだ。その上にいろいろの思想に基づいたイデオロギーその他は選択すべきである。憲法に基づいて平和と真理を追求する人間形成、それを通じて平和思想と民主思想が精神構造に定着しできた教育をされた国民によって選択をすべきである。永遠の不磨の大典とは言いません。そのもとに、解釈について個々の解釈もあれば、解釈において堂々と意見を述べればいい。最初から憲法を軽視し、無視し、初めから占領憲法だから改正すべきであるとか、そういう体質の中から、私は現在の日本の政治と教育の対立が出ておると思うのであります。この点について文部大臣が正面から、憲法教育基本法体制のもとにその目標において一致を求めて、お互いに政治の方法をとる。教育の方法が違うのです。権力によって人間形成はできません。また、政治は一つの法的拘束力というものを前提として社会形成をしていくのである。教育は自発性を原理として人間形成をしていく。しかし、目標は憲法に規定した理想に向かっていくんだ。その中で私は日教組文部大臣が胸襟を開いて語ってもらいたい。個々のスト権の問題、何問題というふうなことを取り上げて、肉眼で見えることだけで幾ら論議したって解決はないと思う。根本の共通点を私は発見をしてほしい。それにはあなたがほんとう憲法教育基本法を、やはりこれでなければならぬという確信を持って、それを絶えず媒介として教師に当たらなければならぬと思うのですよ。その辺が少しも明確でない。そういう精神でいかれますか。それだけ聞いておきます。
  101. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 お互いに自由にものを言いながらできる限り考え方理解し合おう、これが大切だと思うのでございまして、私は憲法につきましても不幸にこの解釈が違うわけであります。この憲法の精神、これはもうできる限り徹底していかなければならない、こういう点については全く同感であります。
  102. 山中吾郎

    山中(吾)委員 何となしに文部大臣の答弁の中に、はぐらかしがあるような感じがしてしようがない。まあいいでしょう。いいですが、憲法の理念に、基本になっておる平和主義と民主主義というものを前提としてこの憲法が構成されておる。しかし、中に組織技術が入っているんですから、二院制度の問題もあるでしょう、しかし、現実の成文憲法で、とにかくこの土俵の中でわれわれは政治をやり、そして教育と一致してやるんだ。そして時代の変遷に、解釈をすることによって運営するところはあくまでも解釈でいこう、そしてそういう平和思想が民衆に定着したあとに、また国民にその選択を求めて、改正するならしましょうというくらいの憲法についてのすなおな考え方を持っていくべきだと私は思うので、文部大臣はそれでいくということですから、これから見守っていきたいと思うのであります。  そこで、政治は私は職業でないと思うのです。すべての国民が主権があり、いろいろの職業を持っておる者がその精神を政治に生かそうとして選挙に出るのでありますから、また、政治を批判するのであり、投票権を行使するのであって、政治は職業でない。教師という職業を持っておる者が政治好きなら教師をやめろというのは間違いじゃないですか。
  103. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 いまの問題は、午前中ずいぶん私なりの考えを申し上げさせていただいたわけでございまして、それでぜひ御理解をいただきたいと思います。
  104. 山中吾郎

    山中(吾)委員 わからないんですよ。教師自身が政治好きになり、政治を批判し——私の言っているのは、反国家でなくて反政府ですよ。現在の政権、まあ次の政権についても遺憾があれば批判をしていいと思うのです。反国家でないのです。子供を育てるという立場で、そして憲法教育基本法に平和と真実を希求する人間形成を目ざすと明示をされて、そのもとに日本の教師がある。真実に相反するような政治が行なわれておる。平和に反するような危険な政治が行なわれてきた。子供に教えておることと政治と違う。子供の周辺を取り巻いている社会が違ってきておる。そのときに、教師が子供を教える精神を政治に目を向けて、いまの政治は困る、そしてその考え方が実践的な熱情に移って教育実践に移る、どうして悪いのです。今日、政治は職業でない。自民党の代議士諸君でも、私立大学学長理事長を兼ねておるじゃないですか。教授もおるじゃないですか。それを、公立学校の行政担当の人々に大きい影響を与える軽々なる発言総会においてされるところに、あなたは憲法教育基本法理解がない。午前中のお話から私は理解できないので、申し上げておる。
  105. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 義務教育の中立確保に関する法律というような式の法律があったと思いますが、私はそういう考え方に立って教育もあってほしいものだ、こう念願しておるものでございます。
  106. 山中吾郎

    山中(吾)委員 それを言えばまた私も私の意見を述べなければならないので、不当な支配に属さないという意味から中立という思想が来たと思うのです。主としてそれは教師集団の外から、政治家とか、そういうふうなことから干渉されないところから出ておると思うのですが、政治的にああいうふうな法律ができた。まあその法律の評価にはいろいろ評価があります。それは省きます。そういうことを言いますと、文部大臣は自民党の領袖でしょう。領袖だかどうだか、それは別にして——大臣になっているのだから領袖だと思う。そして文部大臣の職責を全うしておられる。あなたはもう完全なる政党人の中の政党人なんだ。そして文部大臣の職責にある。そこでいまあなたがおっしゃっておられるのは、中立性の思想に基づいて、私の所属は自民党であるけれども教育行政については不偏不党でやります、まあそのつもりでやっておるでしょう。しかし、自民党員であるということが政治を行なってはならぬという論理には、それは違うのだということをもう事実証明しておると思うのです。それをあなたが教師にそういうことをおっしゃることは、自己矛盾を感じませんか。
  107. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 私は自由民主党員でございますけれども文部大臣として教育行政を主管するにあたりましては、特定の政党の勢力の増減に影響を与えるような行動は厳に慎んでおるつもりでございます。  同時に、先生方につきましても、社会党に好意を寄せる、あるいは自民党、共産党に好意を寄せる、いろいろな先生方があってけっこうだと思います。しかし、それを教育活動を通じて政党の勢力の増減をはかるというようなことは厳に慎んでいただかなければならない。同じことではなかろうか、こういう気持ちでおるわけであります。
  108. 山中吾郎

    山中(吾)委員 あなたが本会議において、だれの質問でしたか、それに対して法案のことで、自民党の公約ですからやるのが当然ですと答弁されて、何か問題になっておる。あなたのおっしゃることは事実合わないのです。私はそれをかれこれここで言いませんが、少なくとも教員がちょっと政治を批判したからといって、外から権力的な立場でかれこれ言うという精神が、私はここに言っておる理解ではだいぶ実質的に違うのだ。  局長にお聞きしますが、戦後公務員の政治的自由という憲法の要請から、教員は政党加入は自由であるという通牒を出しておる。覚えていますか。
  109. 岩間英太郎

    岩間政府委員 記憶はしておりませんけど、中身につきましてはおっしゃるとおりだと思います。
  110. 山中吾郎

    山中(吾)委員 私が地方で教育行政を担当するときに受けた通牒ですから間違いないのです。ただし、職務遂行に支障を来たすような役職員とかあるいはそれに没頭しなければならぬようなのでは望ましくない。政党の自由を認めておる、その思想は、職業として教壇に立っておる先生は、自分の好む政治思想に賛意を表し、そしてその党議の拘束を受ける党員になることは認めてあるのです。それが憲法なんです。  そこで、文部大臣として言えることは、憲法に規定しておる具体的な日本の国の戦後の政治目標はこれなんだ、平和主義と民主主義の理念に基づいた国家形成である、そして教育基本法に書いてある、これは逸脱せぬようにしてもらいたいということで、熱情を吐露して主張したのならわかるのです。それを個々の方法論についてかれこれ言ったり、それから日教組のだれが言ったか知らぬが、ことばの端じりをとったり、そんなことをしておって一体教師のエネルギーを引き出せますか。それを考えるときに、今度の文部大臣発言その他は非常に党派性がある。政治屋みたいな感じが私は逆にする。政治家と政治屋はどう違うのです。
  111. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 私の言動に対しましていろいろ御批判いただく、それを受けてまた私も反省をしていくということは、きわめて大切なことだと考えていますが、私がああいう発言をしたことにつきましては、これも午前中に申し上げさしていただいたわけでございまして、政治の社会で活動してもらいたい、これが一番正しい表現であった、こう申し上げておるわけでございます。
  112. 田中正巳

    田中委員長 ちょっと速記をとめて。   〔速記中止〕
  113. 田中正巳

    田中委員長 速記を始めて。
  114. 山中吾郎

    山中(吾)委員 委員長の苦衷もよくわかります。委員会の運営についても私は経験もあるのでわかっておりますから、よくわかっておるのです。引き延ばす意識は一つもありません。三十分程度でやめようと思いながら立っておるわけですが、自然に、奧野文部大臣とのやりとりで延びておるので、そんな悪意の意図はありません。ただ委員長お願いしたいのは、質問の内容について一律的にしないて、ある程度評価をして弾力的運営をしてもらいたいと思うのです。
  115. 田中正巳

    田中委員長 委員長に対する御要望なら、私からまた申し上げますけれども、質疑の内容等についての評価をしてあれこれ委員会運営をするということになると、これはある程度の秩序が立たなくなりますので、その辺はひとつ、私も常識的にやりますけれども、やはりお約束の時間というものはこれを守っていただかなければ、質疑がいいからといっておまけをしているわけにはなかなかいかぬということがありますので、どうぞあしからず御了承を賜わりたいと思います。
  116. 山中吾郎

    山中(吾)委員 いいからおまけとは何ですか。私は、一定のルールがあって、三十分程度、四十分程度ということを頭に置いてやるのはわかっておりますよ。したがって、それを基準として質疑者はやるのであって、ただし委員長も、この問題は日本教育政策の推進にやはり明確にしておかなければならぬという問題が予想外に出たとか、あるいはこれは結論を出すように延ばさなければならぬというようなときに、おまけなんということはおかしいじゃないですか。そうではなくて、もっとすなおな立場で、ここは宣伝の場所じゃないのですから、国会は政策推進の場所ですから、必要なときは少し弾力性をもって、もっと国会議員の発言権を尊重しながら運営をしてくれということを言っているので、私は引き延ばす気は一つもない。だから、いまのことばは私は気にかかる。おまけとは何ですか。
  117. 田中正巳

    田中委員長 ちょっと速記をとめて。   〔速記中止〕
  118. 田中正巳

    田中委員長 速記を始めて。
  119. 山中吾郎

    山中(吾)委員 よくわかりました。関連の質問の話を聞いていなかったものですから、私は私のですね、したのです。まあいいです。  それで、いまの問題はぜひ文部大臣に、これはお互いに真剣に考えなければならぬと思うので、政治と教育というものが対立をしては、私はその集団国家なんて発展はないと思っているのです。やはり一つの理念に向かって、方法は違え、お互いに尊重し合い、権力的支配をしないで、一つの目標に向かって前進しなければ、社会形成と人間形成がちぐはぐで健全にその集団が発展するはずがないのです。何とか一つに持っていこうとする努力をされる、そのときにやはり憲法教育基本法を媒介とする以外にないのだと私は思っているのです。ぜひそういう方向で検討して、枝葉末節にとらわれて、角をためて牛を殺さないように、厳重にひとつ反省をしていただきたいと思うのです。  そこで、委員長から再三の御注意もありましたので、一言だけ、これも大事なことですからお聞きいたします。  文部大臣が地方教育委員会責任者に向かってああいう話をされた中にも、地方教育委員会の一番大事な人事権まで干渉するようなあいさつをされておる。文部省と地方教育委員会はどういう関係にあるのですか。
  120. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 教育委員会に対しまして、文部省指導助言の立場にあると考えております。
  121. 山中吾郎

    山中(吾)委員 上下の関係にないので、監督指導関係にないということを文部大臣明言された。したがって、たとえば長野県で勤評の問題について、向こうの自主性に基づき、教員の世論を尊重しながら事実上勤評を廃止をしたという新聞も出ておる。人事異動その他についても、熱帯地方に近い九州と、北海道、東北の寒いところと違うのです。また、その地方の住民の世論とか教育条件が違うので、一つ教育現象ができても、それに対する対処、人事、処罰のあり方も違います。違わなければ、人間性を無視をして混乱を来たし、教育の推進になるどころか、後退さすことがたくさんあります。したがって、指導助言にとどめる、各地域地域の自主性にまかす。任命制に切りかえたときにも文部省では、これは公選制の知事による任命制であるから、直接選挙が間接選挙になったようなもので、性格は少しも変わりません、何回かわれわれに答えてきておるのです。ところが、権力的な意図というものが非常に多くなっておるのではないか。委員長教育長会議においても、そういう具体的な問題について、ああいう発言をされて問題になっておるところに、文部大臣一つの間違いをおかしておるのではないか。あるいは運営において権力的なものがだんだん多くなっておるのではないか。ああいうあいさつをされたあとに、少なくとも、しかし教育委員会は自主的な独立機関でありますから、私が強制する意図は少しもありませんくらい付言するならわかる。そういうものがないように思うので非常に危険を感じます。その点について文部大臣の明確な地方教育委員会に対する態度をお聞きして質問を終わります。
  122. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 文部省が地方教育委員会に対しまして権力的な考え方を持つべきでございませんでしょうし、また今後もそういう態度で臨んでいきたい、かように考えます。
  123. 田中正巳

  124. 山原健二郎

    ○山原委員 文部大臣は、今回出ました和歌山地方裁判所の判決につきまして、判決文をお読みになっておりますか。
  125. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 全体は読んでおりませんけれども、要旨だけは見ております。
  126. 山原健二郎

    ○山原委員 要旨につきましては私ども新聞で見ておるわけですが、判決文そのものはまだ私とも入手いたしておりません。しかも、御承知のように四・二五最高裁判決が出ましてそのあとでこの和歌山地裁の判決が出されたということになりますと、これは双方の判決文を読みまして、そしてそれに対する正当な論議あるいは判断というものがなされるのが当然だと思います。本日文部大臣は朝の閣議におきましてこういう発言をしておるということをお聞きします。私が読み上げますから、これが事実かどうか明確にしていただきたいのです。   奧野文相は十四日の閣議で、和歌山地裁の地方公務員法三十七条違憲判決について、特に発言を求め、文部省としてこの判決にとらわれず従来の指導方針を続けることを確認するとともに、来週早々にも和歌山県教委が大阪高裁に控訴する見通しを明らかにした。   奧野文相はこの閣議で和歌山地裁判決と日教 組を強く批判する発言を行なったが、ほとんどの内容は“部外秘”の扱いにされたといわれる。この中で奧野文相は「和歌山地裁判決は四月二十五日の最高裁判決と相反しており、文部省はこの判決にとらわれず従来どおりの指導方針を続ける」と述べ、違法ストについては厳重な処分で臨むよう都道府県教委を指導する方針を確認した。これに関連して奧野文相は「各省庁とも足並みをそろえてほしい」と発言文部省関係だけでなく三公社五現業を含めて違法ストについてはきびしい姿勢で臨むよう求めた。   また和歌山地裁判決については「県教育委員会のとるべき措置だが、二、三日中に大阪高裁に控訴することになろう」と述べた。 おそらくこれは本日の夕刊に出ることだと思いますが、このような事実がございますか。
  127. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 いまお述べになりましたところで、二、三日中に大阪高裁に控訴することになるというようなこと、私自身知りません。私は、和歌山の地裁の判決が出ましたけれども、四月二十五日の最高裁判所の判決と食い違っておる。したがって、この違憲判決が出たけれども文部省態度は変えないでいきたいと思いますということで御了承は得ました。この控訴の問題につきましては、これは和歌山のおきめになることでございますし、また和歌山がどうすると確定されたということは聞いておりません。文部省としては、最高裁の判決もございますので控訴されることを期待はいたしております。二、三日中に控訴になるだろうというような発言はいたしておりません。
  128. 山原健二郎

    ○山原委員 いまお答えになりましたのは、和歌山県教育委員会が控訴する問題ですね。二、三日中ということは知らないと言われましたが、きょうの閣議で、激しく日教組並びに和歌山地裁判決に対して、これを批判する発言を行なったという事実はございますか。
  129. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 和歌山の地裁か、四月二十五日の最高裁の判決とまともに食い違ったことをいっておられるわけでございますので、私自身、ちょっとこれは理解できないなという気持ちを持っておることは事実でございます。
  130. 山原健二郎

    ○山原委員 おそらく、いまの御答弁によりますと、そういう発言をされたということはほぼ確認できるわけですが、しかもその際に「文部省はこの判決にとらわれず従来どおりの指導方針を続ける」、これはいまおっしゃったとおりです。そして「違法ストについては厳重な処分で臨むよう都道府県教委を指導する方針を確認した。これに関連して奧野文相は「各省とも足並みをそろえてほしい」と発言文部省関係だけでなく、三公社五現業を含めて違法ストについてはきびしい姿勢で臨むよう求めた。」これも事実ですね。
  131. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 私は、文部省考え方について各省に御理解を求めたわけでございます。しかし、これに書いておりますように、三公社五現業を含めて云々というような、三公社五現業ことばも私は口に出しておりません。私がわざわざ閣議に求めるのには、それなりに、政府がばらばらであってはならない、こういう気持ちは強く持っております。しかし、ここに書いてありますように、三公社五現業を含めてどうのこうのというような言い方はいたしておりません。政府の態度でございますので、ばらばらであってならないことは当然のことだ。だからまたそういう意味でも閣議で発言さしていただいておるわけでございます。
  132. 山原健二郎

    ○山原委員 三公社五現業の問題は、これはつけ加えられたものかもしれません。そういうことばは入ってないかもしれませんが、各省庁とも足並みをそろえて違法ストに対してはきびしい態度で臨むということを——あなたが、いまここで山中さんの質問に対して強権をもって臨む気持ちは持っていないと言われて、その直後私はここに立っておるわけですけれども、あなたが全閣僚の中で一番激しくストライキに対してこういう発言をされておる。また、判決文もお読みになっていないわけでしょう。和歌山地方裁判所が判決を下して、そして地公法三十七条一項については違憲であるという判決を出しておる。これは容易ならぬ判決ですよ。それに対して判決文をお読みになって、そしてそれがどのような判断をされるかは別にしましても、そういう行為も全くなしに、こういう態度をとられておる。一体地方裁判所の判決というものをどういうふうにお考えになっているわけですか。
  133. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 一審の判決でございますので、三審制度をとっておる以上は、最高裁判所の判決を待ってその争いは確定するものだ、かように考えておるわけであります。
  134. 山原健二郎

    ○山原委員 最高裁判所の判決ということをしばしば言われる。都教組の四・二判決が出ましたね。そのときにはあまりお使いにならなかった。そうして最高裁そのものが百八十度態度を転換をして、そして本年の四月二十五日にあの判決を出した。これについてはあなた方はもう金科玉条としてこれを言われているわけです。けれども今度の四月二十五日の最高裁判所の判決は一票差です。しかも、あの判決文の中には、少数意見も付加されているわけですね。だから公務員ストライキの問題、あるいは地公法の三十七条の解釈については、たいへんにいろいろ問題があるわけですね。最高裁そのものが混乱しておるという状態も出ている。そしてその直後にこの和歌山判決が出ておる。裁判官の方が三名の合議制で決定されたこの判決というものを、その判決文もごらんにならないで従来どおりやるんだというこの考え方、そして一貫してあるのは、三審制度であるからということで、下級審に対するあなた方の考え方、これは長沼判決の場合にも政府はそういう発言をしておるわけですが、最高裁で勝てるんだからというような考え方ですね。なぜこの和歌山地裁の判決というものについて、いままで文部省当局が行なってきた処分の方針というものを、それに対してどういう批判が加えられ、それが正当であるかどうかという、憲法上に照らして文部大臣自身がそのことを検討しないのですか。それもやらないで、いきなり、あんなものには従わぬのだ、各省庁とも違法ストについては一緒に厳重な処分をしてもらいたい、こういう権力主義があなたの中にある。しかも、それが本日の閣議にみごとに出ているわけでしょう。ほかの閣僚そんな発言していますか。とにかく強圧をもって臨めということだけがあなたの今朝来の質問に対する答弁の中でも出ているわけですよ。私は本日、八月三十日のあなたの教育委員長教育長合同総会における発言の問題も御質問を申し上げようと思っておりますけれども、けさの閣議におけるこの発言ですね、ここで御答弁をされておるあなた、強権をもって臨むんではないとか、あるいは日教組と話し合うんだとかいろいろ言っておられますけれども、あなたの考え方の中には依然として強権をもって臨むんだというこの姿勢一本やりが出ているわけですよ。なぜ和歌山地裁の判決を十分に読んで文部省内で点検をして、文部省の姿勢が正しかったのか、誤っておったのか、そういう討論をされて、そして正当な正しい判断をしていくという余裕をお持ちにならないのですか。
  135. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 和歌山の地裁の判決で私が問題にしております点は、地方公務員法三十七条が違憲であるか違憲でないかということでございます。その点について四月二十五日の最高裁の判決は合憲だ、こういっていることを申し上げているわけでございます。私は行政当局でございますので、秩序は守っていかなければならない。私だけの判断でこの法律は守る、この法律は守らないというわけにはまいらないわけでございます。最高裁の判決になりました場合には、法律と違った判決が出る、当然最高裁の判決に従っていかなければならない。しかし和歌山の地裁、これはあくまでも一審の判決でございますので、確定を見るまでにはまだ最高裁までの段階があるわけでございます。したがいまして、和歌山の地裁の判決が出たからといって、私なりに法律を違えて解釈をして執行するということは私は許されないんじゃないか、こういう気持ちを持っているわけでございます。しかし、それにいたしましても重要な判決が出ているわけでございますので、閣議に報告をいたしまして、私としての考え方をはかる、これは閣僚の一人として必要なことだと、こう判断をしたわけでございます。  先ほど山中さんのお話に対しまして、権力的な考え方で地方教育委員会に臨む意思はない、これはそのとおりでございます。しかしながら、法秩序がとう破壊されようと見て見ぬふりをするんだということでは、私の責任が逆に追及される性格のものではなかろうか、かように考えておりますので、この点についてはだいぶんに考え方に開きがあるようでございますけれども、私のとっている態度はそれなりに御了解をいただきたいものだと思います。
  136. 山原健二郎

    ○山原委員 あなたは、本日の閣議で、和歌山地方裁判所と日教組に対して激しく批判をされた発言をしておると書いています。地方裁判所と日教組と、これは組織が違うわけですよね。立法、行政、司法、この三権分立の積神というのは憲法の精神です。憲法秩序からいうならば、下級審の判決でありましても、それに対して行政府が自分たちの行なってきたことが、はたしてその判決に照らして正しかったかどうかということを検討するのは当然のことなんです。下級審だから従う必要はないんだ、判決文も読まないで、閣議で、他の閣僚だれも発言しないのに、文部大臣そのものが、しかもしばしばいままで日教組に対する敵視観というものがこの委員会で問題になっておるときに、その日教組をさらに敵視し、それに加えて和歌山地方裁判所も敵視するという、こういう態度をとることが正しいことでしょうか。
  137. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 すぐこう敵視とおっしゃる。批判をすればすぐ敵視になるのでしょうか。また批判をしなければ、お互いに言い合わなければ、ものごとは前進しないんじゃないでしょうか。私はそういうつもりでおるわけでございます。しかし、いまのおことば、私自身反省しながらよく考えていきたいと思います。やっぱり自由に言い合う、これは私非常に大切なことだと思うのであります。自分の気に入らぬことを言うた場合にはすぐ敵視だ、こういう言い方をしていただかないで、自由に議論し合う、批判し合うというふうにぜひお願いをしたいものだ、これは私は山原さんにもお願いをしたいことでございます。私は何とかして日教組との問題についても打開をはかっていきたい、しかし批判をしていきますよと日教組方々に申し上げております。あなたたちもむしろ大いに批判してきなさいよ、しかし、お互いに何もかも悪いんだというふうには言わないようにしようじゃないか、こう言っておるわけでございます。
  138. 山原健二郎

    ○山原委員 批判をするから敵視などということを言ってないんですよ。あなたは文部大臣ですよ。少なくとも国家権力を背景にした文部大臣です。だから、あなたがどっかの選挙演説の会へ行って自分の考え方を述べることと、今度の教育委員長教育長合同総会における発言というのは、単なる私人としてあなたは言っているわけではないわけです。しかも、あなたの一つ一つの公的場所における発言というのは、たとえばそれが処分になってあらわれてくる。現実にそこに働いておる無数の労働者に対して影響を与えていくという、そういう立場にあなたはおられるわけですよ。だから、私ども政策の面であなた方文部省のやっておる政策を批判することばあるのです。それはあなた方だって日教組に対する批判があるかもしれません。しかし、あなたは公的の場所で、しかもそれがあなたの発言によって多大の影響を与えていくというこの権力関係にあるわけですからね。そういうことを全く抜きにして、批判をしてどこが悪いのですか、批判をするのは敵視ですかと、こういう開き直りは私は受け取れません。しかも、和歌山地方裁判所が判決を出しておる。その判決に対して、私がいま言っておりますようにこれを謙虚に受けとめて、そしてこの和歌山地裁の判決というものを——その前に四・二五の最高裁の判決があった。四・二五の最高裁の判決だって意見は割れているわけです。一票差で決定されているという事態でしょう。その前には長谷川先生なんか関係しておられるいわゆる都教組四・二判決があるわけです。だから、そういう点から考えますと、ストライキというものについて、公務員のスト行為というもの、争議行為というものに対しての見解というものは流れがあるわけです。国際的な流れもあります。  そういう中で今度一番新しい判決として、和歌山地方裁判所の判決が出ているわけですね。だから、それらのことを考えましたときに、地公法三十七条というものは憲法に照らしてどうなのか。あるいは文部省が単に処分せよ、処分せよといって、福岡を孤立させるなということまであなたは言っておるわけですから、そういう強権主義が憲法に照らして正しいのかどうかということをなぜ正当に論議しないのですか。判決文も見ないで要旨だけ見て、おそらく要旨というのは地公法三十七条一項が違憲であるという、その判決のところだけ見て、そしてあなたはこれには従う必要はないんだ、こういう態度をとっておられるところに問題があるんじゃないですか。批判と、あなたが公的な場所で言われるところの常識を逸した発言とは違うのですよ。それがどれほど日本文教行政に大きな影響を与えておるかという文部大臣としての自覚と認識というもの、それはあなたはないのじゃないですか。そこらの姿勢をしっかり正さなければ、どこへ行っても、市井の徒がどこかの場所で、辻々で話をしておるのと違うのです。あなたの一言一言というのは、だから大きな影響を文教行政の中に与えていっているという、その認識がなかったら問題はたいへんなことになる。だから、あなたはそれがないから何べんでもこの委員会において問題になるような発言をし、しばしば陳謝をしながらまた次々と起こっている、こういうことを繰り返しているのじゃないですか。私は、あなたが文部大臣を続ける限り、この委員会におけるこういう質疑応答は絶え間なく繰り返されるのではないかと思う。それはあなたの文部大臣としての認識の問題です。どうお考えになっておるのですか。
  139. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 私は、山原さんが、私が日教組を敵視しているとか、和歌山の地裁を敵視しているとかおっしゃるものですから、せっかく日教組との間で話を詰めながらも、何か打開の道を求めようと努力しているのに、ひどいことをおっしゃるな、こういう気持ちを持って私はお答えをしたわけでございます。そういう意味で敵視敵視と言わぬでいただきたいものだ、こう考えているわけでございます。  それから、四十四年の最高裁の判決のことをいまおっしゃいました。これは決して公務員スト権——違憲だと言うているわけではございませんで、行政処分、民事処分は別として、刑事処分については限定解釈をしなければならない、こういう判例を出したわけでございます。そしてまた今度の、四月二十五日の判決になりまして、全面的に合憲だというようなことになってきておるわけでございまして、和歌山地裁の違憲だという判決は、私は最高裁の判決のどこにも見当たらないのじゃないか、かように考えているわけでございます。
  140. 山原健二郎

    ○山原委員 あなたといろいろお話しをしても、なかなか合意点に達するはずはありませんけれども、最高裁の判決にしましても、地公法三十七条というのは憲法二十八条に違反するものではないといわなければならないという程度のことなんですよね。それから今度の場合は明確に、三十七条一項については違憲行為だ、違憲だという判決を出しておるわけです。  だから、私がお聞きしたいのは、あなたがいきなり——判決が出たのは一昨日ですよね、一昨日出まして、けさの閣議で、下級群の判決には従う必要はないのだ、文部省はこのスト行為に対してはこういう厳重な態度で臨むのだ、しかも、各省庁ともそれに同調してもらいたい、この思想ですよ。何で他の省庁まで引き連れてあなたが先頭切っていかなければならぬのですか。だから、そんなことをするよりも先に和歌山地裁の判決を取り寄せて、そしてその中でどういうことが述べられておるか、地方裁判所の判事が長年にわたって検討され、審議をされた結果、どういう結論を生み出しておるのか、その結論に照らして文部省のやってきたことがどうだったのか、そういうことをなぜ謙虚にやらないのですか。それは抜きにしておいて、その判決の主文だけを見て、そしておれはやるのだ、下級審の言うことは聞く必要はないのだ、こういう下級審に対するべっ視観といいますか、そうして、他の省庁もついてこい、こうエスカレートしてきますと、あなたの思想性というものは、そういうところに根があるわけですよ。だから、そのことを私は尋ねておるわけでして、なぜ和歌山地裁の判決をもうちょっと勉強されないのですか。
  141. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 和歌山地裁の判決の全文は知りませんけれども、私なりによく勉強させていただいたつもりでございます。和歌山の地裁の判決と、四月二十五日の最高裁の判決とは、まっ向から割れているわけでございます。いずれをとるか、いずれに従って行政当局として処していくかということになりますと、私としては、やはり最高裁の判決の示しているところに従って行政当局としての責任を果たしていかなければならない、それは当然のことじゃないかと思うのであります。当然のことだと思いますけれども、和歌山の地裁の判決があったことでございますから、それを私は重要視して、ことさらに閣議において、今後の文部省の処する態度について閣僚の意見を求めたわけでございます。
  142. 山原健二郎

    ○山原委員 最高裁と地方裁判所の判決、二つ出まして、それに基づいて上級審の最高裁の判決に従うのは当然じゃないですかと言うのは、ほんとうにあなた、もう役人根性まる出しですよ。いいですか。その中にどんなことが言われておるのか、なぜ、四・二五の最高裁の判決が出まして、それに相反する判決が和歌山地方裁判所で出たこの関係について、どうして検討されぬのですか。和歌山地裁の判決が出たって最高裁があるんだぞ、にしきの御旗があるんだぞ、この感覚ですよ。教育行政者としてこれらのものを見て、はたしてどちらがこれに照らして、われわれ文部省がとってきた態度が正しいんであろうかというような心の深い教育行政者としてのそういう心情、そういう検討のしかた、教育というものはもっと奥の深いもんですからね。最高裁の判決がある、地方裁判所の判決と違ったものが出たけれども、ああそれは二つ比べたら最高裁に従うのは当然だ、こういう単純な論法、単純細胞の頭脳の中に官僚主義があるわけですよ。だから、文教行政をやっていく責任者として、そういうことはほんとうにどうなんだろうか。最高裁の判決は出た、しかもそれは一票差で少数意見も出ておる、憲法上の問題はどうなんだろうか。そうして今度は、今度新しく和歌山地方裁判所の判決——これも大かた二十年近くかかった判決なんだろうと思います。長い間、その間に処分された人たちの苦悩もあるわけですね。また裁判官にしましても、もう各方面の法律家をはじめとして、いろいろな方々の証言も得て、そうして長期にわたって蓄積されたその結果、裁判官、地方裁判所の独立制の中で判決を出しているわけです。その中にはもうさまざまな頭脳や国際的な慣行、国内的な動向、そういうものが織り込まれてこの判決になっているわけですよ。だからそういう点を、ほんとう文教行政の面でこの判決を生かそうとするならば、もっと奥深いところで、このわれわれの行なってきた、文部省の行なってきたいまの文教行政態度はどうなんだろうか、こういう点がほんとうに論議をされていく、検討されていく、そういう姿勢ですね、そういう姿勢がいま文部行政の中に要求されているんではなかろうか。これは、きょう朝から長谷川先生や木島先生山中先生質問をされておるその中にある。そこのところです。そこのところがどうしてもあなたとかみ合わない問題なんですね。だから、あなたの発言はもうそこのところが抜きになっておるものですから、いつもこういう発言になって出てくる。八月三十日の発言についてはいまから私は一つ一つ、その誤りやあるいは事実認識の違いというもの、それについては指摘をしていきたいと思いますけれども、この深部の文教行政責任者としての姿勢、ほんとう文教行政、わがやっているこの文教行政ほんとうに正しいのかどうか、和歌山地方裁判所の出してきたこの判決、ほんとうにどうなのかという真摯な態度というものですね、それがいま私は要請をされておると思うのです。通り一ぺんの最高裁の判決が出ておるからだいじょうぶだというようなことでなくて、もっと深いところのものを私は文部大臣に要求しているのですが、その点おわかりになりますか。
  143. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 わが国はたいへん自由な国でございまして、一審の判決が出ましても、なおその当否をめぐって争っていけるわけでございます、二審、三審。最高裁判所をもって終審としているわけでございますから、ここではじめて確定するということになるわけでございます。行政当局としては、法秩序を守っていかなければならない、争いの過程にあるときに、正反対の考え方が出てきている。そういう場合に、それぞれがかってに解釈をして、ある法律は守る、ある法律は守らない、こういう態度をとりますと混乱してしまうのです。したがって、実定法が変更にならない限りは、実定法を守っていかなければならない。こういう態度がとられてきておりますし、しかし判決が食い違った場合にはどうするか、その場合には、最高裁判所のほうには違憲審査権もございますし、最終的に争われた問題がそこで確定するわけでございますので、違った判断が出た場合には法律はおのずから変えられなければならない。そういう仕組みになっておるわけでございます。私はその仕組みを守っていこうとしているわけでございまして、いたずらにストが行なわれる、処分する、それで文教行政がうまくいくなどということは少しも考えておりません。午前中にもあるいは申し上げたかもしれませんけれども、不幸な事態が続いているという表現をしていると思います。また、不毛の対立が続いていると考えているということを申し上げていると思います。私としてもほんとうに何か打開の道を求め続けていきたい、こういう気持ちでおるわけでございますが、しかしまた、法に違反する行為がとられた場合には、やはりそれなりに処分をしなければ法は守られないじゃないか、こういう考え、また行政当局の責任というものを感じておるわけでございます。
  144. 山原健二郎

    ○山原委員 そこもまた違うのですね。地方裁判所でいわゆる国民の側に、権力を持たない側に有利な判決が出たときには、行政機関は従うべきですよ。だから、地方裁判所で——あなたは先ほど高等裁判所に上告をすることを期待しておると言われましたけれども、権力を持つ側が下級審において敗北をしたときには、それに従って問題を処理していく。したがって、今度の場合は、この処分を受けた方々、この処分を撤回して、そして現場に復帰さす。上告をし、最高裁まで争うというのは、権力を持たない者が敗北をしたときに、事の真相を突きとめて、そして自分たちの身を擁護するために、最高裁まで行って裁判上の争いをやっていくというのが、ほんとう国民の立場に立った行政当局の考え方だと、私はそう思うのです。国が負けたら、相手は弱い、権力を持たない者なんですね。その場合には、まいりました、では処分はもとへ返します、これがほんとうに主権在民の国家にふさわしい民主主義の理念だと私は思っています。どこまでも上告をして、そして行政当局の意を通そうとする、最高裁へ行ってしまえばおれたちは勝つんだからという、そういう政治的な意図、そういうものをもって臨むということでは問題の処理ができないわけですから、だからそこら辺の感覚がもう全然違うのです。最高裁まで持っていけばいい、最高裁判所の判決が出ておる、これを金科玉条にしていくという姿勢。だから、ほんとにものごとを解決をしていこうという意思があるならば、和歌山地方裁判所の判決に対しては、和歌山県教育委員会は従いなさい、これがあなたのやるべき態度だと思うのです。上告をしなさい、そこらにあなたの官僚主義というもの、権力主義というものが端的に出ているわけです。  私は文部大臣に要請しますけれども、この和歌山地裁の判決に従って、和歌山県教育委員会がこの問題をすみやかに判決の方向に従って処理されるように要求したいと思いますが、どうですか。
  145. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 山原さんは自民党政権が永久に続くと思っておられるんじゃないだろうかという推測をしたくなります。どの政党が政権を担当しても、公務員秩序はこうあらねばならない、そういう理想を追いながらわれわれは努力をしていかなければならない、こう考えるわけでございまして、公務員秩序の適正を期しますためには、最終的に最高裁の判断が違ったところになりました場合には、当然それに従っていきますけれども、現状においては私たちはいまの法制、これを守っていきたい、こう考えておるわけでございます。やはり公務員秩序がどうあるかということは、政権の移動とも深い関係を持っていくものでございますだけに、私は常に政治活動という問題になりますと、公務員はある限界を保ってもらいたい、また争議権ということになりますと、ある限界は保ってもらいたいという希望を強く持っておるわけでございます。山原さんとこの点についてかなり考え方が違っております点遺憾でございますけれども、その辺のところは御了解を得ておきたいと思います。
  146. 山原健二郎

    ○山原委員 私が質問をすると、あなたの答弁は実にイデオロギー的ですね。自民党政権がいつまで続くとか、そんなことを私は言っていないのです。裁判所が地方裁判所でありましても、そこで長年にわたって判定を出されたということに対して、それに従っていく。和歌山県で起こった問題でしょう。もしかりに組合の人たちが裁判で敗れた場合は、控訴するかもしれません。権力のない者は裁判で争っていくということなんですね。ほんとうに民主主義の主権在民の立場に立ってものを考えていくということから考えると、私は和歌山県教育委員会は、この第一審の判決に従って事態をもとに戻し、処分を撤回する、そしてはじめてものごとはきれいに済まされていくわけですね。  ところがあなたの場合は、最高裁の判決がある、地裁の判決がある、これは相反するものが出てきた。するとあなたは、このいずれをもしんしゃくするという態度でなくして、最高裁の判決があるんだから、ここであなたはもう一つエスカレートするわけです。そしてわが文部省の方針は変わらないということを言い、閣議において他の省庁もついてきなさい、こういうふうにエスカレートしていくわけです。和歌山地裁の判決にいろいろ学ぼうとするような態度ではなくして、和歌山地裁の判決を踏みつぶして、そしておれたちはいままでの既定方針どおりやるのだ。そして他の省庁もついてきなさい、こういうふうにあなたはエスカレートしていくわけです。単に二つの相違った判決があるなどという中立的な立場じゃないのです。これは踏みつぶしていく、この思想があなたのきょうの閣議の中にあらわれているわけですね。そういう思想性、そういう姿勢というもの、これがあなたの持っている権力主義、これがいまだに日教組あるいはその他の職員団体との間に問題をうまく解決していくことのできない要因になっておると私は思うのですよ。だからそこらのあたり、ほんとうにお考えになる必要があると私は思います。  これ以上この問題で申し上げませんけれども、だから私はもう一度言いますが、和歌山県教育委員会に対して、この判決の内容をよくごらんになって、そして和歌山県教育委員会が独自で御判断になって、そして和歌山県における二十年近くかかったところのこの紛争を、適切に、上手に、しかも民主的な立場で処理しなさいという態度文部省がとられることが必要だと思います。再度お伺いしますが、どうですか。
  147. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 処分に問われている人はまことにお気の毒だと思います。その人はその人なりの信念に基づいて行動されたんだと思います。この事件がお金で解決できる問題でございますなら私は気が楽だと思います。賠償問題などで判決が出た、国が賠償しろということであった、そういう場合には私はわりあいに気楽に国としても、あるいは府県としても処理できるんじゃないかと思うのでございます。そうじゃございませんで、公務員秩序はどうあるべきかという大きな問題に根づいている問題でございます。公務員憲法を守り尊重する義務を負っておるわけでございますし、また国会は国権の最高機関である、国会は唯一の立法機関である、こう規定されておるその国会において地方公務員法が制定されているのでございます。その地方公務員法が制定されておる、それに相反する行動がとられた。それを和歌山の地裁は支持した。だからすぐ文部省はそれに加担する考え方をとれといわれても、私は国会の権威にかけても——この法律についてはいろいろな意見がありますよ。いろいろな意見がありますけれども、とにかく国会で制定されたことには違いないわけでございます。でありますだけに、やはり最終的には最高裁の判決を待たなければ、法律を無視した態度文部省はとるわけにはいかないじゃないか。考え方はかなり違っているから、なかなか合わないわけでございますけれども、そういう事情だけは、私は立場は違いますけれども、ぜひ山原さんに理解してもらいたいものだ、かように思って、御答弁申し上げているわけでございます。長い間処分に苦しんできておられる方、その方は私は同情しないわけじゃございません。しかし、日本の政治を進めていく場合に、公務員秩序というものは非常に大きな問題でございます。非常に大きな問題で、国会ではまた法律については、たいへん賛否両論ございまして、いろいろな経過を経てでき上がってきておるわけでございますけれども、しかし、いまの憲法のたてまえ等を御理解いただきますと、一審の判決が違ったほうに出たのだから、すぐそれに従ったらいいじゃないかと簡単にも申せない、非常に重要な問題であることは、ひとつぜひ理解していただきたいと思いまして、お願い申し上げます。
  148. 山原健二郎

    ○山原委員 私は、和歌山地裁の判決に加担せよなどということは言っていません。和歌山地方裁判所の判決が出ましたので——あなたは、ではこういう考えですか。この公務員秩序に関する問題は、全部最高裁まで行かなければ、最高裁の結論が出なければものごとの判断はできない、こういう立場なんですか。
  149. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 そんなことは申し上げておりません。私は国会で制定していただきました法律憲法及び法律に基づいてその秩序を守っていく努力をしていきます。国会における立法が変わってまいりましたら、当然それに従っていかなければなりません。
  150. 山原健二郎

    ○山原委員 その国会できめられた法律憲法違反だという判決が出ているわけですからね。それに対して、なぜあなた方はもう少し時間をかけて検討されないかということを言っているわけです。あなたは全くストレートですね。一昨日の判決に対して、きょうは閣議で、そんなことは聞かぬのだ、ここの態度を言っているわけですよ。だからもう少し判決文を見たり、ほんとうにどうなのかということを——ここはどうしてもあなたにわからぬところです。考え方の相違じゃないのです。考え方の相違というよりも、ここの人間性が違うのですよ、全く。長い間、官僚としておられた、そのしみついた思想性というものが、私は私どもと全く違うなということを感じますね、その点では。考え方の違いというよりも、人間の心の持ち方まで違うのではないかという心配を私はいま持ち始めておるわけです。  あなたはこの間、八月三十日の例の問題になっておりますところで、労働基本権の制約に対する必要な代償措置を講じて、争議行為は禁止するといういまの国の法制は、私はよく理解できるのではないかと考えると言っておりますが、いま地方公務員、また教員にとりまして、代償措置というものはありますか。あなたが言われるように、代償措置というものがございますか。
  151. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 法律や条例に基づきまして自分の保障がなされている、給与の保障がなされていると同時に、人事院なり人事委員会制度なりを設けまして、公務員の立場に立って給与改善を行なうという仕組みなどがとられていることを考えているわけであります。
  152. 山原健二郎

    ○山原委員 たとえば、これは福岡の——今度あなたが福岡を孤立さすな、福岡に続いてやりなさいというあいさつをされているわけですけれども、福岡の場合、人事委員会は開かれていますけれども、何一つ解決していないのです。これは福岡の人事委員会状態をお調べになっておりますか。これは初中局長でもいいんですが、どうですか。これは福岡だけではありませんけれども、たまたま福岡の処分の問題が御発言の中に出ておりますから、お聞きしますけれども、福岡に、いわゆる救済措置としてつくられておる人事委員会、これはどうですか。
  153. 岩間英太郎

    岩間政府委員 福岡におきましては、一括大量の方々が人事委員会に提訴をしておられるということで、審査が長引いているように承っております。
  154. 山原健二郎

    ○山原委員 あなたは、この中で文部大臣が述べられておる中の代償措置なんというものは、福岡でやられておる——これは福岡の高等学校関係だけ見ましても、十八カ月に一回二時間の審査が行なわれているだけなんですね。次から次へと処分が発表されている。また今度の処分は、御承知のように、大量処分です。代償措置なんというものはないわけですね、実際は。だから福岡県というのは——福岡県だけを例にとって考えますと、大量処分をするだけの行政能力を持っていないわけです。それで、もう代償措置がないにかかわらず、処分だけはどんどん行なわれていくというこういう状態、だから代償措置なんというものは、実際は日本の国内においてはないわけです。  それから公務員秩序の問題に、しきって文部大臣言われておりますけれども、いま先進国の中で教員スト権が確立してないところがありますか。地方公務員スト権の問題だって、国際的な通念としてそれはあるわけでしょう。そこでは公務員の秩序が守られていないとあなた方判断しているのですか、どうですか。
  155. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 先進国の中には、公務員スト権を認めているところもございますれば、認めていないところもございます。区々になっているわけでございます。  同時にまた、私が代償措置ということを申し上げましたのは、給与勧告を中心にして申し上げておるわけでございます。処分を受けた、それに対して提訴する、こういう問題につきましては、第一、最終的には裁判所で争っていけるわけでございます。  福岡の問題が長引いているという御指摘がございまして、いま担当者に伺いますと、二万人の方々が一括審理でなければならない、こうおっしゃっておる。二万人の方を入れるところがない、そういうようなこともございまして、なかなか訴訟の問題が進んでいないという状態になっているのだそうでございます。  いずれにいたしましても、福岡は日本の中で一番激しい争いが行なわれているところでございまして、早くこういうところにつきましても、平穏な姿が返ってくるようにいろいろお知恵も拝借したいと思いますし、私たちも努力していかなければならない、こう思っております。
  156. 山原健二郎

    ○山原委員 代償措置に裁判所を入れるなんということはもってのほかです。裁判で結論を出すなんということは、これはもう日本国民全体に認められているわけですね。この代償措置というのができたのは、いわゆる争議権との問題でできているわけでしょう。裁判所があるから代償救済措置があるのだ、そんなこと、とんでもないことをあなたは言っておられる。   〔委員長退席、松永委員長代理着席〕  それからこの前の発言につきまして、少しお尋ねしていきたいと思うのです。先ほども出ておりましたけれども、こういうふうにあなたは発言しておられる。これは大体、文部大臣が全国都道府県教育委員長教育長合同総会においてお話しになることなどは、これは文部省記録にとどめていないのですか。こういう公的な会議における文部大臣発言というのは、速記あるいはテープコーダーでとるとかいうようなことはしていないのですか。
  157. 岩間英太郎

    岩間政府委員 冒頭にもお答えいたしましたように、この会議の主催者は都道府県の教育委員長教育長会議のほうで主催しているわけでございますから、記録その他につきましては、そちらのほうが責任をもってやる、私どもが主催しました場合には、私どもの判断で適当な記録をとるということになっているわけでございます。
  158. 山原健二郎

    ○山原委員 この場合は、速記録はありますか。
  159. 岩間英太郎

    岩間政府委員 速記録はないように承っております。
  160. 山原健二郎

    ○山原委員 こういう大事な発言をされる場合、しかも先ほど言ったように、文部大臣発言というのは、一つ一つびんびんと地方教育行政の中に反映をするという状態の中で、速記録もとらないでやるわけですか。しかも、いままでも、たとえば国立大学学長会議においてもいろいろな御発言がありまして、六月の二十二日に、御承知のように、文部大臣もこの場所で、こういう誤解のあることはもういたしませんというお話もあったわけです。そういうのが次々と出てくるわけですが、そのようなのは意識的に記録にもとどめないということすらうかがわれるわけですが、そういう重要な文部大臣発言というものを、しかも公的な機関における発言は、一切記録にもとどめないという態度ですか。
  161. 岩間英太郎

    岩間政府委員 それは主催者の判断によることではございますけれども、このたびの場合につきましては、文部大臣の御発言になるであろうという予定の私どもの原稿を各委員方々に配付をいたしております。その合同会議で行なわれます各委員のやりとり、そういうものにつきましては、必要がございますので、主催者のほうでその記録をするような準備をしておったようでございますけれども文部大臣の場合には、あらかじめそういう草稿が配付されておりましたから、そういう記録はとっておらなかったということであろうと思います。
  162. 山原健二郎

    ○山原委員 この会議で、文部大臣、ここへいただいておりますのは、「文部大臣あいさつ」という印刷になったものでありますが、おそらく文部省としてつくられたものだと思います。これが配付されたと思うのですね。その中にも、たとえば今度のストライキの問題については、はっきり述べられているのですね。  たとえば「各位におかれましても、私の意とするところをじゅうぶん御理解のうえ教職員の処遇改善に対する文部省並びに教育委員会の努力を地域住民や個々の教職員に周知徹底するとともに、教職員がかかる違法な行為に参加しないよう今後ともじゅうぶんな御指導お願いします。また、不幸にして教職員がかかる違法な行為に参加した場合には、教育行政が住民の厳粛なる信託により教育委員会に付託されていることに思いをいたし、毅然たる態度をもって、その責任の所在を国民、父兄の前に明らかにしていただきたいのであります。」こう出ているわけですね。これが教育長教育委員長会議における文部大臣の公式のあいさつ。この中にもストに対する文部省意見は、かなりきびしく出ているわけですね。  その上にさらにつけ加えて、何十分やられたかわかりませんけれども、付加された部分があって、それが問題になるわけですが、あえてなぜこういうことを文部大臣がやられるわけですか。その心情を伺っておきたいのです。  前のときにも、国立大学学長会議におけるごあいさつも、たしかあいさつ文をはみ出して、あなたが発言をされているわけですね。その部分が問題になったわけでございますが、あえてそういうことをしばしば繰り返されるというのは、どういうことなんでしょうか。もちろん、あいさつ原稿にないことをお話しされることだってそれはあると思います。ありますけれども、こういうふうな問題になるようなことを、あえて非常に意気高らかに述べられていくという、その気持ちが私はわからないのです。これだけ強く言っておいて、なおかつここへ付加してさまざまなことを言われる。しかも、あの時点でなぜやられたのか。これを伺っておきたいです。
  163. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 午前中にも申し上げたわけでございますけれども、私が教育の問題で一番心配し続けておりますことは、法秩序を守っていかなければならない教育社会において、法とまっこうから反した指令が行なわれ、その行動に参加されていくという姿でございます。  昨年の秋田大会で、ことしの春闘における半日ストの決定がなされる。ことしはまた四月の二十七日にそのとおり半日ストが行なわれ、七月十九日にまたストが行なわれた。群馬大会では、来年の一日ストが決定になる。しかも、長野県の蓼科で八月二十四日、二十五日に会議が持たれまして、九月二十日ごろにストをやるのだ。十一月には二時間ストをやるのだ。来年の春闘には二波を行なうのだ。一波は二時間だ、一波は一日だ、こういうようなことが新聞にどんどん出てきているわけでございます。それが私としては非常に気になることでございますので、自然そのことについて私なりの考えを若干皆さんたちに理解してもらいたいという気持ちがございまして、多少解説的なお話をさしていただく結果になりました。  事務当局が書いてくれましたものにつきまして、事前に十分目を通す、加筆する時間がある場合には、それでけっこうでございます。しかし、なかなかそういうひまがございませんので、事務当局まかせになってしまう。それを読んでみると、なるほど言い足りないということになりますと、若干どうしてもその部分だけは、その場で私の考えをつけ加えて申し上げさせていただくということにならざるを得ないわけでございます。時間の余裕が十分ございます場合には当然配るわけでございますし、申し上げるわけでございますから、それに、必要なら訂正加筆して、それで済ませられれば一番望ましいことだと思っております。ただ、そういう時間的な余裕がありませんし、非常に重要な問題がどうもふえんし切れていないというような場合に、つけ加えさせていただくということにいたしておるわけでございます。たまたまいま申し上げましたような状況のもとに開かれました教育長教育委員長さんの協議会でございましたので、そういうことを中心にお話をさしていただくことになったということでございます。
  164. 山原健二郎

    ○山原委員 そういう場合に、発言については正確性を期すとか、あるいは奇矯にわたらないとか、あるいは常識を逸脱しないとか、そういうことはあなたはあまりお考えにならないのですか。
  165. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 私としてはそのつもりで努力しているわけでございますけれども、何ぶん人間が未熟なものでございますので、いろいろ御批判もいただいておるようでございます。
  166. 山原健二郎

    ○山原委員 人間が未熟だとおっしゃるけれども、しばしばここで問題になったわけですね。私はここへ議事録を持ってきておりますから、それを一々読み上げてもいいわけですけれども、そんな時間がありませんが、特に何回か問題になって、しかも最近では六月二十二日で、ここで強行採決の行なわれた日にも国立大学学長会議における御発言が問題になって、そしてあなたははっきりと、これに対する誤解を招かないように努力をするということが述べられているわけです。そしてそのあとで、あなたは日教組ともお会いになった。そしてたしか自民党の森さんの質問に対しましても、そういう日教組との関係も改善をしていかなければならぬということを、この委員会ではしばしば発言をされているのですね。そういう改善の方向へ向かっていきたいということを、議員の発言に対しては述べられているのです。私ども、少なくともここで聞いておる限りは、文部大臣もそういう方向に向かって進もうとしておるのだろうなというふうに判断する。これはほんとうに議会軽視といえば、そういうことになるわけですが、森さんの質問に対する答弁などは、そういうことがずいぶん述べられているわけです。そして、そのすぐあとの八月三十日のその発言になるわけですね。  だから、人間が未熟だなどということではなくして、むしろ計算をした——報道機関なども奧野さんはタカ派だというふうに書いているわけですが、そういうタカ派ぶりをここでもっと強調したいというようなことが、こういう暴言となってあらわれてきたのではなかろうか。少なくともあなたは、自治事務次官としてやられてきたきわめて慎重な方であると思います。発言についても、それなりに慎重にしてこられた方だと思います。それがこういうことばになってあらわれてくる。どこかで、文部大臣奧野誠亮というものの持てる考え方をさらに強調していきたい、こういう思想がこの発言の中にあらわれてきたんではないですか。未熟で突然出てきたことばではなくして、むしろ計算されたあなたの発言、しかもそれは、きわめて挑発的な内容を持った発言としてあらわれてきたんではないか。私はそのことを感じておりますが、どうですか。
  167. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 私が発言します場合に、いろいろお述べになりましたような特別な意図はさらさらございません。ただ真剣に文部行政の責任を果たしていきたい、この一念だけでございます。
  168. 山原健二郎

    ○山原委員 しかもこの発言は、全国の教育長教育委員長の集まっておる公式の会合でありますし、またいわゆる最近のストライキ問題をめぐって相当注目されたこれは公式の会議ですね。しかも報道関係の人たちもここには詰めかけておるという、これはだれが考えても、そういう意味では全国の教育者が非常に注目しておる会議ですよ。その会議においてなされた発言でございますから、単に軽率だとかいうようなことでは、これは言いのがれのできるものではないと私は思うのです。  それからもう一つは、教育を思う真情というようなことを言われましたけれども、それは文部大臣個人の問題です。私どもも、教育の問題についてはあなたに負けないぐらい教育の問題を考えておると思います。けれどもどもは、いま自分の恣意的な気持ちで、公式の場所、あるいはそれがほんとう文教行政に影響を与えるという状態の中では、だれが考えても常識的な発言あるいは見解を述べるにしましても、正確な発言、事実を調査した上での発言、こういうことをやると思うのですよ。それがほんとうあと陳謝をしなければならない、あるいは自治労の諸君に対しては取り消しをしなければならぬというような発言ですね。そういう逸脱した姿勢というもの、態度というもの、これが一回だけならばまだ話はわからぬわけではありません。しかし、一回だけではない。しばしば行なわれ、しばしば行なわれるたびにこれがさらにエスカレートしていっているわけです。そういう状態を考えますと、どうもあなたの心情がわからないのです。もう一回伺っておきたい。
  169. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 現業例示をしたばかりに不愉快な思いをさせた方がございまして、ほんとうに恐縮に思っておりますし、この経緯につきましては、午前中お尋ねをいただきましていろいろ御説明させていただいたわけでございますので、それで御理解をいただいておきたいと思います。  先般の教育委員長教育長協議会に出席要求がございましたけれども、国会中でございますので、私は出席するという御返事を差し上げることができませんでした。そうしましたら、教育長協議会の会長さんが私をたずねてこられまして、どうしても出てあいさつをしてほしいのだ、あなたの国会の都合はわからぬわけじゃないが、あなたの時間に合わせるから、とにかく出てきてあいさつをしろ、こういうことでございました。たまたま昼の時間が休憩になったので、その時間を利用して出席できたのじゃなかったかなあと、私はこう思っております。そういうふうなことでございまして、何にもたくんだ私のあいさつじゃございません。ただ、書かれたものに事前によく目を通しておけばそれだけで済まされたかもしれませんけれども、そんな余裕がありませんので、そこで三点つけ加えさせていただいたということが全くそのとおりの事実経過でございます。
  170. 山原健二郎

    ○山原委員 そのことがこういうふうに問題になっておるとするならば、付加した部分をあなたは撤回されたらどうですか。撤回される気持ちはありませんか。
  171. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 午前中来申し上げていることで御理解を賜わりたいと思います。
  172. 山原健二郎

    ○山原委員 たとえば、先ほど木島先生質問に対して、屎尿処理、じんかい処理現業労働者の問題をおっしゃったときに、昭和二十一年ごろには、屎尿処理とかじんかい処理現業者しかいなかった、そういう判断でそれがぱっと出てきたと言われましたね。昭和二十一年には、御承知のように労働関係調整法ができているわけです。この中には、現業というのは何かといいますと、「一運輸事業。二 郵便、電信又は電話の事業。三水道、電気又は瓦斯供給の事業。四 医療又は公衆衛生の事業。」もうその当時からこういう仕事の内容というものはあるのですよね。そういう中であなたは、屎尿処理の問題だけ出てくるわけですね。だから教員というものと、屎尿処理というものとを、上下関係に置いて、これを対置して発言をされておる。これなんかも、まあ取り消しになったといわれますけれども、取り消すのだったら、これはあなたのお話を聞いた方に取り消さないと、もちろん自治労の方の抗議に対して取り消しになるということは、これは当然のことだと思いますけれども、実際に聞いた方々に対して取り消すという姿勢がなければ、これは文部大臣としての姿勢ではないと私は思います。この中には先ほど言われたように、確かにそういう職業上のべっ視意識というものがあるのですね。つい出てきておるわけですね。そういうことですから、これなども当然ここへ集まっておった方々に対して、文部大臣はこれこれの誤った発言であったから、この発言取り消しますとはっきりするのが大臣の姿勢だと私は思うわけです。とうですか。
  173. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 私の発言を聞いていただきました教育委員長さんや教育長さんたちは、私の発言からはいろいろ批判されているようなふうには自分たちは全然受け取れなかった。皆さんそう——皆さん全部聞いておるわけじゃありませんけれども、そういう意見を寄せていただいております。また、おっしゃっておるというふうにも言うていただいております。しかし、それにいたしましても、事実そういう御議論があるわけでございますから、私は責任を感じておるわけでございます。  同時に、公企業の例としていろいろおあげになりましたが、私は二十一年当時の地方行政を頭において、普遍的なものとしたら、そういうことでしかなかったのじゃないかな、こう考えて例示したということでございます。職業的なべっ視観などというものはさらさら私には持ち合わせておりません。
  174. 山原健二郎

    ○山原委員 じゃ、取り消さなくてもよかったわけですね。そして集まっておった教育長が、文部大臣発言に対してはさらさらそんなに考えておりませんなどという、全くこっけいな答弁ですよ、それは。どんな教育長教育委員長がおるか知りませんけれども、公的な場所における責任の問題と、集まっておった方が文部大臣発言はそういうふうに受け取りませんでしたなどということとは問題は別なんです。そんなことをごちゃごちゃにしてここで答弁されてはお話にも何にもなったものじゃない。だからその発言が不適切であり、取り消さなければならないものであるならば、取り消すということをやられたらどうですか。
  175. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 先ほど来お答えしているとおりでございます。
  176. 山原健二郎

    ○山原委員 政治屋ということばも、ちょっと私は広辞林を調べてみたのですよ、どういうことかと思いましてね。政治家というのは、政治を施行する任にある人、政治に長じまた適した人と、ごうなっています。政治屋というのはどうかといいますと、その専門家の意をあらわす、多少軽べつの気持ちが含まれていると、広辞林はおもしろいことを書いていますけれどもね。こういういかにも文部大臣らしからぬ発言がぽんぽんと口をついて出るということも、これは一面こっけいとも思いますけれども、こんなことを言っておるだけでなくて、私は御発言の中の誤りを指摘していきたいと思うのです。  一つ一つ煮詰めるというような時間がありません。  たとえば教員の場合、「非現業であるはずの先生方を一片の通達で現業公務員として扱うんだという文書が出されている。」これも誤りです。これはどんなに調べましてもそういう事実はないのです。  それからその次に出ております「明治以来先生方スト権が与えられたというのは、この二年足らずの間だけである。私は、この措置は実は間違った措置だったと思っているが、人によっていろいろな考えがあるかもしれない。」こういっています。明治以来、明治憲法のもとで、教員というものがどういう立場に置かれてきたか。これはほんとうにいわゆる教育勅語のもとで官吏服務規程というものがありまして、これは政治的、身分的な権利の面においてはどれほど非人間的な状態に置かれておったか。そういう状態に置かれてきたこの明治以来の教員に対する争議権その他の基本的な権利というものはなかったことを容認した形の発言をあなたはしているわけです、よく見ると。しかも、二年間だけスト権を与えられたのではありません。少なくとも憲法、それから労働調整法、それから引き続いてくるところの政令二百一号、それに基づくところの法律というこの関係を考えてみますと、これも正確な表現ではないわけでございます。  それから、「憲法に基づく法律によって公務員争議行為は禁止されている」という問題についても、これは正確ではありません。  さらにまた、全部を申し上げる余裕はありませんが、次にこういうふうに述べております。「一般の私企業では、労使間の交渉で給与をきめ、利益の分配を行っている。しかし公務員の給与は税金でまかなわれており、国民は代表を議会に送って、民主的なルールに従って議会で給与を決めているのであるから、議会に対してストライキをもって圧力を加えるようなことが適当でないことは理解してもらえると思う。」こういうふうに述べております。それは政治活動の問題とおのずから関係をしてくるわけでございますが、この点につきましても非常に問題があります。その点は一つだけ指摘をしておきたいと思います。  政府機関である人事院職員局参事官亀山さんの書きました「新職員団体制度の解説」というのを読みますと、あなたの見解と違います。  たとえば、あなたは、勤務条件あるいは勤務条件の維持ということのみを主張されておりますけれども、では政治活動については日本の人事院がどういう態度をとっておるか。そこのところだけ読み上げてみます。こういうふうに述べております。「一方、職員の職務は、法令の実施にあり、しかもその勤務条件や服務上の諸現制は法令によって定まるのであるから、職員がそれらの法令の改廃等に関心を寄せるのも無理からぬところであり、職員団体の闘争が法令の改廃等を求めるという意味での法律闘争ないしは権利闘争の形をとることが多いのもやむをえまい。この結果は、法律の内容を左右する政治勢力の動向への関心を生ぜしめ、それらの政治勢力のいずれかと親しむ機会を与えることとなる。いずれにせよ、勤務条件法定主義下の公務員が、その勤務条件を左右する法律について、種々あげつらうのは避けられないところである。その一例としては、米国の連邦政府の公務員の団体は、常にロビイングという形で連邦議会と接触するのは当然のこととされており、たとえばアメリカ政府職員連合の場合その議長などは、連邦議会に机を与えられ、あるいはその全国大会には各州選出議員の出席を求めて連邦職員に関連ある法案についての賛否を明らかにせしめるというように、連邦議会との活撥な接触活動を行なっている。」こういうふうに、これは政府機関そのものが述べておるのでございます。  あなたはいま、三つの教育法案について日教組が反対をしているのは政治活動である、けしからぬというふうな御発言もありましたけれども、たとえば教頭法制化の問題にしましても、あるいは人材確保の法案にしましても、あるいは筑波大学法案にしましても、法案をつくるということに対して教職員が関心を持ち、それに対して圧力をかけ、またいろいろな政治行動を行なっていくということは、これはもうあなた方の機関そのものも認めているわけですね。しかも、それが世界的な動向であるということは、しばしば申してきましたけれども、たとえばこれは御承知のように、さわりのところだけ読みますけれども、教師の地位に関する勧告で、「勤務条件から生じた教員と使用者との間の紛争を処理するため、適切な合同機構が設けられるものとする。この目的のために設けられた手段及び手続が尽くされた場合又は当事者間の交渉が決裂した場合には、教員団体は、正当な利益を守るために通常他の団体に開かれているような他の手段を執る権利を有するものとする。」これが国際的な通念だと思うのです。  それからまた、先ほど長谷川先生も言われましたけれども、今度の文部大臣発言をめぐりまして各新聞の主張も出ているわけでございます。その主張の基盤をなすものは、ほぼ日本国民の常識的な見解というものが出されておると私は思っているわけです。これに照らしましても、あなたのこのストに対する見解というのは非常に問題があるわけでございます。  たとえば朝日新聞の九月十一日の主張でありますけれども、これは「日教組対策の転換を望む」という見出しになっておりますが、その下段のところに出ております。「第三に、保守的な人々が強く反対してきた問題のスト権についても、一九七〇年の春に開かれたILOとユネスコの合同専門家会議の最終報告は、教員団体にも、その正当な利益の擁護のために、他の団体に通常許されているストのような手段をもつ権利を保障すべきであるとしている。この報告と、これに関連する処分の問題を、前向きに解決するときがきている。」こういうふうにこの主張も述べております。また、「ILOやユネスコのような国際機構の勧告は、日本の実情にあわず、日本は独自な道をゆくのがよいとする論をなすものがあるが、これに対する有力な反証としては、ほかならぬ総理府が去る七月に発表した「世界青年意識調査報告書」がある。同報告書によると、少なくとも十八歳から二十四歳という若い層に関するかぎり、不満の解決にあたって間接民主主義が不十分であると考えられた場合、法に認められた範囲で、スト、デモなどの直接民主主義によるのがよいとする日本人の比率三六・六%は、イギリス、西ドイツ、フランス、スウェーデンのそれと、ほぼ同じである。国際機構の勧告と、国内の変化にてらして、文部省日教組に対する政策の転換にふみ切ることを切望する。」と書いてあります。  これら内外のいろいろな情勢を見ました場合に、これは文部大臣も、きょうの閣議で発言をしたような強気一点ばりの態度ではなくして、内外の諸情勢を判断するだけの柔軟な頭脳構造を持っていく必要が今日あるのではないでしょうか。そのことを私は指摘をしたいと思いますが、この点についてはとうですか。いままでどおり、おれはもうわが道を行くんだということでやられる気持ちでありますか。
  177. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 公務員の政治活動の範囲につきましていろいろな意見のあることは承知いたしております。私が申し上げてまいりましたのは、午前中来御理解いただいていますように、法律で禁止されているストがたびたび計画される、ことにその目的が文教三法案の撤回というようなことになってくると、政治ストだといわざるを得ない。組合の目的は、勤務条件の維持改善をはかることを目的とすると書いてあるところから考えると、一そうはみ出した活動はやめてもらわなければならない、こういう意味で申し上げてきているんだと言っておるわけでございますので、その点については御了承を得ておきたいと思います。  個々の問題につきまして、山原さんと私との間には相当な考え方の開きがあるんじゃないか、こう思います。思いますが、ドライヤー報告ですか、ILOの考え方ですか、そういう点についてお読み上げになったようでございます。同時に、そういうところで、日本の場合には政治ストが非常に多いということで問題点を指摘しておるところも出ておるわけでございます。  いずれにいたしましても、今日の日本の姿はほんとうに正常でないと思うわけでございます。特に文部省日教組との関係、これは国民がこのままでは不幸じゃないかとまでも思っておるわけでございまして、どう打開していくか、私も真剣に考えていきたいと思っておりますが、また皆さん方のいろいろな御意見も率直に聞かしていただき、私として勉強していきたいと思います。
  178. 山原健二郎

    ○山原委員 いま言われたことはあなたの発言の中にも出てくるわけです。「同時にまた、公務員の組合についても勤務条件の維持改善を図ることが目的だとしてその目的を限定して書いてある。」こういうわけですね。しかし、これもこんなことだけ一方的に——全国の教育委員長教育長、皆さん法律の専門家でもありませんし、また労働問題などについてのそれなりの蓄積を持った人ばかりではないわけですから、この人たちに対して話をする場合は、やはりその辺も限定をされておるなどということも問題があるわけですね。  これもいま申し上げました亀山さんの文書でありますけれども、この中には「勤務条件の維持改善以外の目的を有しえないとするものではなく、」ここのところの解釈ですよ。「これを主たる目的とすれば足りる。」こう解釈して、さらにあとで第三章というところで説明がなされているわけでありますが、そういう法律の解釈につきましても、ほんとうに政府みずからが解釈して、人事院そのものが解釈してきておるこういう見解ともまた少しニュアンスの違った、それと違う見解が一方的に披瀝をされるということも、これはたいへん問題であります。  さらにまた、政治家の問題はやめますけれども、最後に福岡の問題でありますが、福岡を孤立さすなとか、福岡の処分に続けと言う。あなたは類をもって集まるという考え方をお持ちなんじゃないかと思うのです。けさの発言でも、文部省だけでなくて各省と足並みをそろえていこうじゃないかという御発言から見ましても、全国の教育委員会が福岡を孤立させないようにしてもらいたいという要請をしているわけですが、これは文部省という地方教育委員会、都道府県教育委員会に対する指導助言の立場をすでに越えています。これは明らかに越権行為ですよ。なぜかといいますと、福岡で処分がされた。その福岡の処分というものを文部省が考えまして、ほんとうにその内容をお調べになって、これがはたして適切なものであるかどうかなどということを皆さんは当然お考えになると思います。だから、それは福岡県教育委員会の独自の判断で処分が行なわれている。他の教育委員会はそれぞれ独自性をもっているわけですね。それに対して、福岡を孤立させないというような、いわゆる突撃ラッパといいますか、そういう進軍ラッパを吹くというようなことは、これは文部大臣としてはまさにその指導助言の域を越えた越権行為だと私は思うのです。  しかも、その福岡の処分というのは一体どんなものであるか。まだ三市一町が内申書を出していない。その内申書を出さすために、もう数日の間に十数回も二十回近くも電話を教育長にかけてくる、内申書を出せ、内申書を出せといって。それから具体的な事実として、内申書を出さないときには体育の教師を回さないとか、あるいは老朽校舎に対しては金を出さないとかいうようなことが昭和四十三年、四十五年に行なわれている事実も明らかになっているのです。処分の内申を出さなければ経済的封鎖をしていく、あるいは経済財政誘導をしていくということから処分を出さすなどという、そんな乱暴なことが行なわれているわけですね。そういう福岡の実情というものをよく把握されて、福岡の処分というのは今日の法律に照らして適正であるとかないとかいうようなことをあなた方が判断されるならまた別ですけれども、その中身というものもつぶさに御承知にならない。まだ福岡では三市一町が内申書も出していない。しかも一つの市は教育委員が総辞職をしている、そういう混乱が起こっているこの事態、そういうものも十分に把握をされないで福岡に続けという言い方は、これはまさに文教行政の最高責任者としてあるまじき発言だと私は思っております。その点どうですか。
  179. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 法に触れた行為が行なわれますと、その触れた方について処分をしないと法は守られないと私は考えているわけであります。そういう意味で、指導助言責任を負っている文部大臣として、やはり処分をしてくださいよ。——処分をするということはたいへんなことであります。だれも好き好んでするわけのものではございません。ことに福岡のようにたくさんの人たちを処分する。当然だれも好んでやってない、しかし、教育委員会当局としては、万やむを得ないという判断に立っておられるのだろう、私はこう考えるわけでございます。私はやはり処分はそれぞれの地方の実情に応じて、必要な適正な方途をおとりになる必要がある、こう考えておるわけでございまして、たくさんの人を処分する、それが能だとは思っておりません。同時にまた、たくさんの人を処分しなければならないその地方の実情については、また理解もしてあげなければならない。福岡につきましては、たいへん残念な事態が長年にわたって続いていると憂慮しているところでございます。
  180. 山原健二郎

    ○山原委員 もう一つ、最後に申し上げておきたいのですが、「そして教育界全体の秩序が確立され、われわれが自信をもって教員の処遇の改善、その他教育諸条件の整備に当たり、いちだんの成果をあげるようにさせていただきたいと考えている。」この発言は、秩序が確立をされるということ、すなわち、ここで言うならば、この全発言を通じて流れておる奧野文部大臣考え方からしますと、これは処分のことと関連してくると思います。処分をすること、それによって秩序を守るという、このあなたの論法というのは、ずっと一貫して流れておるわけでございますから、教育界の秩序を守るということは処分と関係をしておるという、それを強くあなたは言われているのですね。そのことと関係すると思いますが、秩序が確立され、われわれが自信をもって教員の処遇の改善、その他教育諸条件の整備を行なうことができるようにさせてもらいたいということは、これはあなたのお考えの中に、処分の問題と教員に対する処遇の問題とが、これがつながって把握をされているのではなかろうか。処分の問題とかいうことと、教員の処遇の問題は別の問題ですよ。教員の給与、賃金の問題は、別個の問題でございますが、この御発言を見ますと、それがつながって把握をされておると思うのですが、この点はいかがですか。
  181. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 おっしゃっているように、別個の問題だと思います。私の申し上げておりますのは、法が守られる、それがすなわち秩序が守られるということだろうと思います。現在ストのことが話題になっているわけでございますけれども、これにつきましても、国民の間にいろいろな議論かあるわけでございますし、またストが行なわれますと、それだけ現場が荒れていく、父兄の間にもいろいろな議論が出てくる、子供さんはとにかく授業が受けられないというかっこうになるわけでございますので、早く皆さんの合意が得られて安定した姿になってもらいたいものだな、みんな力を合わせて教育界の発展に努力をしていきたい、処遇の問題も含めていろいろなことについて教育の振興に努力していけるようにしたいものだ、こういう気持ちで述べさせていただいたわけであります。
  182. 山原健二郎

    ○山原委員 もう時間がかなりたちましたから終わりたいと思いますが、これを総体的に申しますと、こういうことではほんとうにいわば要らざる紛糾を、この第七十一特別国会はあなたの発言を中心にして繰り返してきた面もあると思うのです。これは委員会の審議にとりましてはたいへん残念なことだと思っております。そういうことが繰り返し行なわれる。そしてきょうも質問に立とうとすれば、閣議における発言というのは、確かに他の閣僚と違った認識というものを特にきわ立ってお持ちになっているのではなかろうか。他の閣僚の考え方も、ストライキの問題については自由民主党の閣僚として同じ気持ちを持っておるかもしれません。しかしその中で、特に文部大臣奧野大臣がきわ立った見解というものをお持ちになっておられる。そしてそれがしばしば発言の中にあらわれてまいりますし、きょうの閣議の中でも、最も強硬に、しかも処分のことを前面に掲げて、しかも地方裁判所の判決についても、そんなものは一顧だに値しない、それは踏みにじっていくべきだ、各省庁ともそれにいくべきだ、こういう主張をされるという、この一連の文部大臣発言を見ました場合に、やはりどこか違う。われわれがしばしば、たとえば日本の教職員の半数以上を組織しておる日本教職員組合との関係にしましても、何とかその辺をうまくいけるような、あるいは国際的通念の中で処理していけるような方向に進んでもらいたい、こう希望しましても、それとまた全く逆なことが次々と起こってくるということを考えますと、これは常識の点から考えましても、ちょっと考えられないことが起こるわけですね。  だから、少なくともいま問題になっておりますこの八月三十日の付加した発言については、ぜひ撤回されて、そして全国の教育委員長教育長会議に通達をされる。それは何も、撤回したってあなたの趣旨というものは少なくともこの公式文書として配付されたものの中に残っているわけですから、そのことがほんとうに、都道府県の教育委員会、地方教育委員会というものがより自主的に判断できる態度をつくると思うわけですよ。だからしたがって、この付加した発言は、ぜひ公然と撤回していただくべきだ、こういうふうに考えます。おそらく、いやだと言われると思いますが、これ以上押し問答してもいけないと思いますけれどもほんとうにこれは撤回すべきだと私は思うのです。こういうことでいろいろな紛争あるいはいろいろの端摩憶測をまき散らすということは、これは正しいことではありませんから、そういう点で、これをぜひ撤回していただきたい。撤回されない場合には、また私どももこれに対する文部大臣の処遇の問題について見解を明らかにしていかなければならぬと私どもは思っています。それだけ重要な問題だとわが党は思っているわけですから、最後にこの問題についての見解を、再度でありますけれども、伺っておきたい。
  183. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 山原さんの御意見として承らしていただきます。   〔松永委員長代理退席、委員長着席〕
  184. 田中正巳

    田中委員長 有島重武君。
  185. 有島重武

    ○有島委員 去る八月三十日の全国教育委員長教育長会議におきます文部大臣発言につきましては、いまその内容についての議論に入りますと、もう時間も経過しておりますし、きょうは不足でございますので、いままで触れられてまいりましたいろいろな点、私も同僚の委員とほぼ同じような意見であるということを表明しておきます。  それで、全体的なことを整理しておきたいと思うのですけれども、この三十日の発言につきまして、その後文部大臣はみずから不穏当であったことを認められたというふうに承っているのですけれども、訂正されたのか、取り消しされたのか、その経緯を最初に正確に聞いておきたい。
  186. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 現業例示を申し上げました。この例示差別と受け取られた方々がございまして、ほんとうに申しわけないことだった、かように考え、おわびも申し上げましたし、また、自給労や清掃関係の組合の方々がいらっしゃったときに、それは取り消してくれというお話がございましたから、取り消させていただきます、こう申し上げました。  それから、政治屋という発言参議院文教委員会で、それは侮べつ的意義を含んでいるじゃないかというお話がございまして、私は、政治の社会で活動してもらいたい、こういう表現が一番適切だったと思いますが、用語たいへん不適切でございましたと、おわびを申し上げました。
  187. 有島重武

    ○有島委員 いま二点にわたって言われましたけれども、福岡に続け、これについてはどうなりましたですか。
  188. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 そういう発言はしておりませんけれども、とにかく福岡の処分の決定が行なわれましたのは八月二十八日ではなかったかと思います。そして私が三十日にあいさつをしているわけでございます。違法ストに対する処分はぜひやってほしい、みんなが協力をしていかなければ、秩序は守れないと思います、こう申し上げました。
  189. 有島重武

    ○有島委員 そうすると、三点にわたって、屎尿組合とは違う、この点についてはおわびをした、訂正した。それから、政治屋になれ、これについてはわびた、訂正した、こういうことでございますね、簡単にいって。それから、福岡に続けという、これはそのとおり。  それで、こうした、わびた、訂正したということについてのその手続はどういうふうになっておりますか。
  190. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 私は国会における応答を御報告申し上げたわけでございます。ただ、現業例示の問題につきましては、その後、自治労、清掃の組合の方々がいらっしゃったわけでございまして、その際に、参議院文教委員会における私の話も率直に申し上げました。そして、それを書いてくれというお話になりましたので、御希望どおり書いて差し上げたわけでございます。  なお、政治屋という用語の問題につきましては、参議院文教委員会で、小林さんから、このことばが不適当じゃないか、侮べつ的な意味を含んでいるではないかというお話がございまして、それは用語が不適切でございました、こう申し上げてまいったわけでございます。その経過をいま御報告申し上げたわけでございます。
  191. 有島重武

    ○有島委員 さかのぼりまして、六月二十一日の国立大学会議発言につきまして、翌六月二十二日に当衆議院の文教委員会のこの席上でもって、みずから遺憾の意を表されました。そのときの経緯は一体どういうものであったのか、それをもう一ぺん言っていただきたいと思います。
  192. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 国立大学学長さんの会合の席で、私が、他の大学の構想にけちをつけるなら、その大学の構想をよく勉強してから言ってくださいよ、こう申し上げたわけでございまして、そのけちをつけるということばが、たいへん野卑なことばだという意味でおしかりを受けたわけでございまして、用語が不適切でたいへん申しわけございませんでしたということをここで申し上げさせていただいた記憶がございます。
  193. 有島重武

    ○有島委員 あのときの「今後はかかる誤解を招くことのないよう十分注意をいたします。」このようにこの席で言われました。そうですね。そして、今後はこういうことをしないとおっしゃったのはうそであった、そういうことになりますか。
  194. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 あの委員会の席上で皆さんたちが御相談をいただきまして、御相談いただいたところを私が読み上げさせていただいたわけでございまして、読み上げさせていただいたのは、私はそのとおり実行をしていかなければならないということはよく理解をしておるわけでございますけれども、何ぶん先ほど申し上げましたように、たいへん未熟な人間でございますので、なお今後とも一そう注意をしてまいらなければならない、かように考えております。
  195. 有島重武

    ○有島委員 結果としてうそであった、そういうことになりますか。
  196. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 うそではございませんで、私なりに努力をしているつもりでございます。努力をしているつもりでございますけれども、未熟なものでございますから、なお御指摘をいただくような発言になっているということでございます。
  197. 有島重武

    ○有島委員 いまの御発言の中で、委員の諸君がそういうふうに言えと言ったから言ったんだというようなことがございましたが、これは全然いま関係ございませんね、いまのお話とは。それは大臣の御意思としてああいうふうにおっしゃったのであるというふうに受け取ってよろしいわけですね。さっきのお答えでは、まるで原稿をつくったのが悪いみたいなふうに聞こえますけれども、そういうことではなくて、それは心から大臣も御承認になって遺憾の意を表せられたのでしょうね。それをもう一ぺん……。
  198. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 経過を申し上げたわけでございまして、私が読み上げます以上は、私の考えとして申し上げていることでございます。
  199. 有島重武

    ○有島委員 努力をしたのだけれども、また再び三たびこういうことになったということでございますけれども、それは経過としてはそうでしょうけれども、結果としてはうそであった、きびしく言うとそういうことになろうかと思いますけれども、いかがですか。
  200. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 有島さんほど円熟した人間ではございませんので、今後とも一そう努力をしていきたいと思います。うそであったということばでは、ちょっと私は表現が適切ではないように思うのでございます。うそでないように努力しているのでございまして、努力しているのでございますけれども、いろいろな御批判をいただく結果になるわけでございます。
  201. 有島重武

    ○有島委員 私、円熟しているなんてさらさら思っておりませんし、それであっても、これはこの問題と一緒にしてはやや不適当であるかもしれませんけれども、世の中にはとかくそういうことがあるわけです。決してもういたしませんと言うわけですね。それで再びそういうことをする。またつかまる。そして、しません、そしてまた——これはそういう例をあげてよろしいかどうかわかりませんけれども、刑法などではそういったことがたくさんあるわけです。前科何犯というようなことになるわけですね。これはその方々がやはり努力しないわけじゃなかったのかもしれませんよ、一人一人に聞いてみますとね。だけれども、円熟してなかったせいか同じことになっていくということになりますと、これはあまり信用できないということになるのじゃないかと思うのですね、非常に悲しむべきことでございますけれども。私たち意見、立場の違いということはあると思うのです。これはお話し合いしていけばいいのですけれども、重要なことについて、重要な態度のことについて、結果としてたびたび、こちらが信用してかかろうと思ってやっていると、それが結論的にはうそであったということになりますと、これ以上まともな議論がしにくくなるということも、これはしようがないんじゃないですか。この中の問題についていろいろやはりいままでも御議論ありましたけれども、私も私なりに議論させていただきたいとも思いますけれども、幾ら議論してもあとから違っちゃって、またあのときはすみませんでしたというふうなことでは、これは少なくとも政治の要職にあり、しかも文教といいますと、お子さん方に一番影響を与えるその元締めでいらっしゃいますから、ほかの方々以上に重大問題じゃなかろうかと思うわけなんです。重要なことについてお約束なすった。努力したにもかかわらず、またそうであった。それで、これはたいへん素朴な受け取り方ですけれども、またうそ言った、またうそ言った、そういう素朴な受け取り方ですよ。非常にこの点は重要なんじゃないかと思いますけれども大臣自身でもってこのまま、まだ押し通していらっしゃってよろしいのか。どうお考えですか。
  202. 奥野誠亮

    奧野国務大臣 先ほど来申し上げておりますように、うそを言ったということじゃないという性格のものだ、これを御運解くださいと申し上げているわけであります。用語適切を欠いた、注意します。また注意を受けるようなことを言うた。それがうそを言うたということにならないのじゃないかと思うのであります。私としては、御注意を受けることのないように努力しているつもりでございますけれども、何ぶん未熟なものでございますので、たいへんふていさいなことでございますけれども、また御注意をいただきました心自動車で事故を起こした。今後は一切事故を起こしませんと約束をした。約束したけれども、またやはり事故を起こしちゃった。場合によっては死んでしまうかもしれません。これはうそを言うたのじゃないのでありまして、努力しているけれども、未熟であるためにやはりそういう事態にあうということでありまして、そういう意味で有島さんのお尋ねに対しましてお答えをさせていただいているつもりでございます。
  203. 有島重武

    ○有島委員 いまたいへんいい例をおあげになりました。事故を起こした。もうしません。また事故を起こした。そうすると免許の点数が減りまして、免許を取り上げられるわけです。大臣の場合には何もそういったきまりはいまのところありませんけれども、これは大臣自身大臣の御責任においてみずから点数をつけ、みずから免許証を断ち切るという態度をおとりになるのがほんとう教育上最も望ましい行き方じゃないか、私はそう申し上げたい。  以上で私の質問は終わります。
  204. 田中正巳

    田中委員長 次回は公報をもってお知らせすることとし、本日はこれにて散会いたします。    午後四時八分散会