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政府委員(
羽山忠弘君)
大阪刑務所の
目下新聞等によって
報道されております
入学試験問題用紙を不正に盗取いたしました
事件につきまして
説明をしろという御要求をいただきましたので、
概況を御
説明申し上げます。
あらかじめ申し上げておきたいことの
一つに、実はこれは御承知のように、
目下警察及び
検察庁におきまして
捜査が進行中でございまして、私
どもは
捜査の内容をよく承知いたしておりません。ときどき
連絡に参りまして話を伺ってくるようにつとめてはおりますけれ
ども、
警察も、
検察庁も、なかなか現に
お忙しいようでございまして、十分にお話を承る機会もないわけでございます。それとは別個に私
どもが
内部で
調査をいたしまして、当面の対策を考える参考にいたしますために
調査をいたしたのでございます。したがいまして、それらを総合したところの
概況を申し上げまするので、あるいは後に間違っていたということが重大な点であろうかと思いますが、その点はひとつこの際の
説明といたしましてお聞き取りいただきたいと思うのでございます。
何よりもまず非常に不祥事を起こしましたことをおわび申し上げる次第でございます。
まず
関係いたしましたと疑われます
受刑者について御
説明申し上げます。
受刑者または
大阪刑務所から
仮釈放になりまして出所いたしました
人物で
本件に
関係があると疑われます者は、
新聞報道のとおり、五人でございます。さしあたり五人でございます。その一人は、
姜旭生、これは韓国の発音ではカンウォークセンクと読むんだそうでございますが、
姜旭生——日本読みで説明をさせていただきたいと思います。これは窃盗、
賦物故買等によりまして、
昭和三十五年から約二年
半大阪刑務所で刑を受けまして、
昭和三十七年の十二月十九日に仮
出獄になって出ております。この男が去る一月三十日、
大阪だと思いましたが、自動車の中で絞殺、首をしめられて、それから身体を数十カ所刃物で刺された傷がございまして、
死体で発見されたということが
本件の端緒だというふうに承知いたしております。
二人目は、
新聞では
家弓と書きましてかゆみと読むんだと思いますが、
家弓こと
岡本光司——光という字に司法省の司という字でございますが、でございます。これは
家弓という
名前はどうも本人の妻の実家の姓のようでございます。で、
岡本というのがほんとうのようでございますが、本日は
新聞のとおり
家弓という
名前で御
説明させていただきます。で、これは
昭和三十年の十二月二十六日に
強盗殺人、
死体遺棄で
無期懲役刑が確定いたしまして、自来約十三年間、
大阪刑務所で刑をつとめまして、
昭和四十三年の十二月十三日に
仮釈放になっているわけでございます。これは現在、
大阪府警におきまして逮捕して
取り調べを受けておる模様でございます。
三人目は
尾崎増義でございまして、これは
昭和二十六年十月十六日に
強盗致死で
無期懲役が確定いたしまして、自来約十六年半、
大阪刑務所におきまして刑をつとめまして、
昭和四十三年の九月六日に仮
出獄に相なった
人物でございます。これも現在、
大阪府警において逮捕、
取り調べ中でございます。
その次は昨日、
大阪府警が逮捕したように
新聞に出ているのでございますが、
宮里栄正、これは
昭和三十一年の八月十日に
強盗殺人、
死体遺棄ということで
無期懲役が確定いたしまして、自来約十二年四カ月、
大阪刑務所で刑をつとめまして、四十四年の十月十五日に
仮釈放に相なった
人物でございます。
それから
最後に五人目でございます
横光和孝、これは
強盗、
殺人——強盗殺人ではございませんで、
強盗と
殺人と二つでございまして、
昭和三十六年六月三十日に
殺人につきましての
懲役刑十年が確定いたしまして、
強盗につきましては二年三カ月という刑がすでに確定いたしておるのでございますが、現に
大阪刑務所に在監中でございます。これは目下、
大阪拘置所のほうに
本件が発覚いたしましたために移しまして
取り調べ中でございます。
それから本日の
新聞で
報道されました
職員につきまして一言いたしておきたいと思います。
一人は、
新聞に
報道されておりますとおり、
大阪刑務所の
看守部長阪口登でございます。これは大正四年十二月十五日
生まれでございまして、五十五歳だと思いますが、
刑務所につとめました
経験年数が三十二年六カ月という
職員でございまして、現在、
大阪刑務所の
分類審議室の
考査班に勤務いたしておるのでございます。
次は三反
崎益三でございます。これは
昭和六年十二月十六日
生まれでございまして、三十九歳でございます。で、これは年齢は三十九歳でございますが、
刑務所につとめました
経験年数は約五年九カ月でそう長くつとめた
人物ではございません。これは
目下大阪刑務所の
保安課の
看守をいたしておるのでございます。
以上でこれまでに
関係いたしました
受刑者、仮
出獄者、それから
職員の
関係の概略を申し上げたのでございます。
事実の点でございますが、事実の点は先ほどからもお断わりいたしましたが、若干あいまいな点が多いのでございますが、
概況を御
報告申し上げます。
まず、これまでに問題になっておりますのは、
昭和四十三年、四十四年の入学試験問題を盗んだ、
受刑者が
看守の目をごまかして盗んだということが
一つと、それから昨年の一月十五日の早朝、
大阪刑務所の四区という
収容区の外へいを乗り越えまして入学試験問題を盗むために侵入いたしまして、そして結局盗んでいったわけでございますが、盗んだというその三つになるようでございます。で、
指導といたしましては、入学試験問題の漏れるということ、入学試験問題が盗まれるということはきわめてこれは重大なことでございますので、非常に
内部の
指導といたしましては厳重な
指導をいたしておるのでございます。その
一つに、
下刷りとかあるいは
校正刷りとかいうような紙、あるいは
印刷中に破損するに至ったというような紙、そういう
損紙をすべて厳重に管理いたしまして、
責任者が立ち会いのもとで焼却をするということになっておるのでございます。ところが四十五
工場、四十六
工場に約百人の
印刷工の
受刑者が働いておりまして、それらのうちの一部が
看守の目を盗み、
すきをうかがいましてその
損紙を抜き取ったというのでございます。そして
すきを見て
ソフトボールの補修をする際に、その中に詰め込んだ。一時
バレーボールという
報道がされたようでございますが、これはどうも
バレーボールではなくて
ソフトボールのようでございます。そして運動時間に外に待っておりました姜その他の者と共謀いたしまして外に投げ出したということでございます。どうしてそのボールが外に投げられたのであろうか、この辺も私
どもはふしぎに思いまして、いま鋭意
調査中でございますが、これまでに判明いたしておりますところでは、キャッチボールあるいは外へいに向かって投げつけて、そのはね返りを受けるというようなことをよくやるようでございまして、そのときにときどき
暴投をして外に飛び出すことがあるんだそうでございまして、この
暴投を装って故意に
暴投するというようなことがあったのではなかろうかというふうに疑われておるのでございます。そういうわけで外に入学試験問題が出るに至ったということでございます。
それから昨年の一月十五日は結局
内部に、ただいま申しましたような
方法で抜き取った
試験問題用紙を外に投げ出す
受刑者がおらなくなりましたために、結局
最後の
非常手段で、侵入して盗もうということになりまして、
成人の日——成人の日は一日
免業日でございますので、その辺もよく知っておるようでございますが、
尾崎と
岡本が第四区
西側の外へいに参りまして、午前二時ごろ、
岡本が
はしごを押えておりまして、
尾崎が中に侵入した。そうして中に入りますと、
工場は非常に厳重に
かぎがかけてございますのみならず、
特殊印刷物印刷中につき、みだりに立ち入るなとか、中に入るなとか大きな
看板が出ておるのでございますが、なかなか、
通常の
出入り口は非常に警戒が厳重であるということで、これもかねて計画してきたと思うのでございますが、その
工場に参りますところの
渡り廊下があるのでございます。その
渡り廊下の外側が、まことに何と申しますか、上にのぼるには都合のいいような構造になっておりまして、その
渡り廊下の横を伝いまして
屋根にのぼったようでございます。そうして
渡り廊下の
屋根から順次四十五
工場と四十六
工場の仕切りのところの
屋根の
部分に達しまして、そこに横に張ってございます板をはがしまして、
はり伝いに中央に降りまして、
工場の中に別に仕切って
倉庫のまた
部屋があるのでございます。当日はその問題はすべて、
完成品であると半
成品であるとを問わず、
倉庫にしまってある。それから
英語と
数学の問題は別のところに置いてあったようでございまして、これは被害がなかったのでございますが、
英語と
数学と申しますのは
大阪大学のものでございます。この
倉庫の
部屋も
かぎがかかっておりましたのみならず、封印がしてあって、それを取ればすぐわかるようなしかけになっております。そこでその
部屋の
窓ガラスを破りまして、裏側に
金網が張ってあるのでございますが、その
金網をさらに
ペンチではずしまして
向こう側に押しやりましてそこから入ったようでございます。当日たまたま中には
完成品と半
成品をまぜまして
大阪大学、
大阪市立
大学その他の
注文品でございます
入学試験問題用紙が約三十万枚ぐらいあったようでございますが、そうしてそれをどうして
大阪の
大学のものであるかということを判別したかということ、これも想像でございますが、長年この仕事に従事しておりましたとこかがら、その付近にございました原稿あるいは何か、そういう
校正刷りの置いてあったもの等から
判断したのではないかと思いますが、とにかく一問ごとに十六間分を盗んだようでございます。そうしてまた
工場に出まして、当日朝から夕方暗くなるまでその
工場の中におったようでございます。これは犯人の気持ちを想像いたすのでございますが、入学試験問題が盗まれたということがもし気がつかれますならば、たちまちその問題を変えられるということになりますので、侵入したということを極力秘匿するという意味で
金網などはすぐ
ペンチを使いまして
もとどおりにして、そうして夕方になりましてからまた
はりを伝わりまして
屋根に上がった。そして十六日の午前三時ごろ姜と
岡本とが外に迎えに来て合図をして、そして
ロープを投げて
尾崎を引き上げるという
方法で
尾崎は脱出したように考えられるのでございます。そういうわけで、
大阪大学の
英語と
数学の問題は盗まれていないようでございます。
そこで問題はその一月十六日の午前三時ごろでございますが、
大阪刑務所の外べいに
はしごが立てかけてあるということを通行人が発見いたしまして、すぐ堺の
北警察署に
通報し、一一〇番で
通報したそうでございますが、
警察からは
刑務所のほうに
連絡がございまして、
刑務所では同日午前十時ごろまでかかりまして、いろいろな
点検をいたしました。その結果最初のうちは逃げたのではないかということで
受刑者の頭数の
点検にかなり時間をかけたようでございます。当時の
受刑者は、現在もそうでございますが、約二千人でございまして、寝ておりますのでまあ
点検の手数もかかったと思うのでございますが、それから
受刑者が逃げてないということになりましてから、
内部、
外部を徹底的に
調査いたしたようでございます。もちろん
印刷工場の中も
調査いたしたようでございますが、そのときに
ナイロンロープとそれから茶色の手袋が
内部の外べいとその
印刷工場との
中間に落ちておるのを発見いたしております。それから外べいの
内側に明らかにだれかがずりおりたか、ずり登ったかわかりませんが、その足の
痕跡があったということでございます。だれかが侵入したことは疑いない。しかしながら問題は入学試験問題を刷っておる
工場の中の
検査でございますが、これは今日になりましてはまことに遺憾だと申さざるを得ないのでございますが、
倉庫室の
ガラスが破られていたわけでございますが、その破られていたということをまあうっかりいたしまして、ただ
かぎがしっかりかかっておるということで、異常なしということに
判断いたしたようでございまして、これは今日になりますと、まことに遺憾なことであったと思うのでございます。ただその
状況のその詳細は一月十六日の午前中に
調査いたしまして、
大阪刑務所の
保安課長ほか一名が堺の
北警察署に参りまして侵入された
状況をつぶさに
報告いたしておるのでございます。で、当時の
刑務所の
判断といたしましては、結局入学試験問題が盗まれていないということで、結局逃走の援助か、あるいはときどき起こりますたばことか酒とかを、入ってきてどこかに隠しておくというような、
物品の不正な差し入れではなかったかという
判断で終わったわけでございます。
それから
あと職員の
関係でございますが、実は
本件が非常に大きく
報道されるに至りまして、
法務省は、
大阪矯正管区並びに
大阪刑務所に指示いたしまして、
職員に対して自発的にこのいまつかまっている
受刑者からごちそうになったとか、何か物をもらったとかいうことがあるものは、すべて自発的に申し出るようにということを申したのでありますが、
阪口という先ほど申し上げました
看守部長が四十四年中に
相当回数に渡りまして
大阪市内の
キャバレー等で飲食の提供を受けたということを申してきたのでございます。で、そこでもう直ちにこれは
捜査当局に
通報をしろ、どういうことであるか、その詳細はもう
取り調べをする
専門家にまかしたほうがいいということで、
大阪の
検事正のほうに
通報をいたしました。
検事正のほうからおそらくあるいは
警察のほうに
連絡されたのかと思うのでありますが、昨夜逮捕された。なお、
阪口が問題の
尾崎に頼まれまして、当時四十四年中でございますが、
大阪刑務所に在監いたしておりました
宮里というものから、何か
尾崎が
宮里に製本を頼んであるのだ、それを持ってきてくれということを言われまして、
阪口が受け取って、
宮里から受け取りまして、
尾崎に渡したという事実がございまして、それは
阪口の言うところでは、私
ども内部の
調査に対する
阪口の言うところでは、入学試験問題を抜き取るということとは
関係がないのだというようでございましたが、もうその辺は一切
捜査当局のお
調べにまかせるということで引き継いだわけでございます。
それから三反
崎益三につきましては、全然これは私
どもは従来の
調査の対象にもならなかった
人物でございまして、まことにうかつで恐縮でございますが、けさの
報道によりまして承知いたした。で、どういうことでつかまったのかというようなことも、現
段階におきましては、はなはだ申しわけないのでございますが、承知いたしておらないのでございます。
以上が事実の
概況でございまして、重ねて、事故の発生につきましては、深くおわび申し上げる次第でございます。