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政府委員(有田
圭輔君) 御
説明申し上げます。
交渉は二つございまして、
一つは、モスコーにおけるカニの交渉で、これは三月一日から
政府間の交渉として行なわれました。それからもう
一つは、毎年の日ソ
漁業委員会が、ことしは東京で三月二日から行なわれまして、ちょうどだだいま、午前十一時から外務省で調印式を行なっております。きょう五月七日で終結いたしますわけでございます。
そこで、この
漁業委員会の討議は、御存じのように、サケ、マス、ニシンその他の魚種につきまして
資源状況を討議して、本
年度のサケ・マスの漁獲量をきめ、あるいはその他の規制措置について合意に達すると、こういう次第でございます。御
承知のように、日ソ
漁業委員会というのは、昭和三十一年にできました日ソの
漁業条約に基づいて設置せられておりますもので、毎年このような話し合いが行なわれるサケ・マスについて、あるいはニシンについての
資源状況というものを専門家が討議をして、その上に立って保護規制措置、あるいはサケ・マスについては総漁獲量を決定するという経緯が繰り返されております。
結局、ことしは、御
承知のように、サケ・マスの年間の総漁獲量は十万五千トン、公海における漁獲量が十万五千トン。そのうち
日本側は九万五千トン、ソ連側は一万トンとることにきまりました。
日本側の漁獲量のうち四万六千トンはA区域
——A区域と申しますと、大体北緯四十五度以北の水域であります。それからB地区と申します南の区域で四万九千トンをとるということになっております。それで、ソ連側の一万トンは大体北のA地区でとることになっております。ことしの新しい現象は、このソ連側が公海で一万トンとるということを初めて声明して、これを
実施に移すということになったことでございます。
それからニシンにつきましては、御
承知のように、ソ連側は、従来ここ数年ニシンの
資源状況は非常に悪い、北海道、樺太ニシンについては絶滅している、あるいは、われわれは関係はしないけれども、北海方面においても、これはソ連とかノルウェーがとっておるのでしょうけれども、これもニシンのストックがほとんどなくなってきておる、唯一のストックとして残っているのはこのオホーツク海のニシンであり、またプリビロフ方面のニシンである、そこで日ソ双方が
協力してこのニシンの
資源の枯渇を防がなければならない、という非常に強い態度をここ数年とってきておりますわけであります。このニシンの
資源状況につきましては、日ソ双方の専門家の間に意見の食い違いがございます。そこで、これが非常にきびしい問題になりまして、結局のところ、赤城特使がモスコーでコスイギン首相と話をし、また、イシコフ
漁業大臣にも前後六回にわたって、これは主としてカニの話でございますが、そのときにも、この東京で行なわれております交渉の関係のニシンについて強い希望が表明された。その結果、ことしの漁期から、オホーツク海のニシン
——これは産卵ニシン、カズノコを持っているニシンですが、これをとることを自制してほしいということで、一応これは禁漁というかっこうで話し合いが最終的につきましたわけであります。
それからカニにつきましては、御
承知のように、昔からわれわれが知っておりますのは西カムチャツカ付近のタラバガニの漁獲でございますが、これは、ことしは結局
日本側は二船団、十二万ケースをとる、それからその他の水域におきますズワイガニとかアブラガニ、あるいはその他のカニにつきましては、ほぼ昨年の二〇%強減ということで話し合いがつきました。また、北海道の三角水域あるいは二丈岩付近の漁獲につきましては前年並みということで話し合いがついた次第であります。
非常に毎年毎年日ソの
漁業交渉は激しい、きびしいものでございます。一時は、百日交渉と申しまして、百日間交渉を続け、最終的には農林大臣その他関係が訪ソして話をきめるという時代もあったわけであります。ことしは、ことにカニ、ニシン等について非常に先方はきびしい態度をとってきたということで、最終段階でも話し合いがなかなか進みませんでした。また、
一つには、ことしは、ちょうどたまたま三月三十日から先方の党大会が行なわれまして、先方の有力者との会談というような機会がなかなか持ちにくかったことも
一つの原因と申しましょうか、カニの漁期がおくれまして、四月も非常におそくなってから交渉が妥結ということになったというような事情もございますが、大体交渉の経過は以上のとおりでございます。