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鈴木力君 そこで私労働省にお願いしたいのは、二枚看板を掲げておるわけですわ。そうして、一枚の、
認可を受ける看板のほうは看板であって、あとの部分は、労働省の監督を受けないような、これこそぼくはもぐりの業者が非常に多いのじゃないかとこう思うのですね。それで、その場合に、——どうもこれも、何とかという特定の名前をあげるといろいろ差しさわりがあるので、私のところには多少の資料もありますけれども、きょうは申し上げませんですがね、この請負契約という形のものを持っていって、そうして芸能人の人たちとの間の関係は雇用契約だというかっこうをとっておるという例が多いようなんですね。したがって、そのタレントならタレントの人に月給を払っておる。そうして、その月給を払っておることによって、その芸能社がテレビなりあるいは映画なりで
普及してやる——
普及してやるといいますか、そういう形をとっているのが非常に多い。そうなってきますと、いわゆるわれわれがいま
著作権で議論をしておる隣接権という問題が完全にそこで殺されてしまうわけです。生かされなくなってしまう。たとえば、それがどういう形になっておるかというと、かりに雇用契約というなら、労働条件がきっちりとしていなければいけませんから、労災法なりその他の労働者としての
法律が全部適用されなければいけないけれども、その面は適用されていない。そういう状態があるようなんです。特に私問題にしますのは、これはまあ労働省のほうの責任じゃないのですけれども、実態を申し上げますと、たとえばこういう例が一つある。これは、名前を出しますと、日本
教育テレビという会社が、芸能人との間の契約をどういう形で結んでいるかといいますと、こういう形ですよ。私儀今般貴社の製作する何々に出演するにあたり、私が本番組に出演することによって生ずる実演等のすべての
権利は、貴社に帰属するものであることを了承いたします。と、これが契約書なんです。私はまあ日本
教育テレビと出してしまいましたけれども、これは一つのサンプルという
意味で出したので、
教育テレビだけがこれはやっているわけじゃない。この様式がほとんどの芸能社にもいま適用されている。だから先ほど
文化庁の次長が、出演者はそう弱くない、契約ができるのだからと、こう何べんもおっしゃっておるけれども、実態の契約というのはこういうことなんですね。これに判こを押さなければテレビに出れない、あるいは映画に出れないわけですから、そこで私は、労働省の課長さんとはいまどうこうとやりとりするつもりはございませんが、こういう問題が放置をされておりますと、一方、
著作権、あるいは隣接権といって
文化庁ではたいへんこれは鼻の高い、新しくつくった
権利だといっているところなんですが、その鼻の高いところが、一方のほうの何といいますか、もぐりとかああいうやり方とか権力関係とか、いろいろな形において全部つぶされておるというふうにどうも見えてしようがない。そこで私は、きょう時間がありませんからこれ以上くどいことを申し上げませんけれども、課長さんに、私がいま申し上げましたような観点から、まず、
認可をしておる
法人に対して、芸能社に対して、相当の
調査をしてみる必要がありはしないか。そして、
認可をするという職業安定法の
趣旨に基づいて、その
趣旨が生かされておるかどうか。もし生かされてない部分については、相当強力な
指導をする必要がある。それからなお、
認可を受けていないでやっている芸能社については、相当あくどいやり方が見えるようです。たとえば、何と言うのか私はよくわかりませんで、映画にたくさん出てくる、馬に乗ってかえ玉になってずっとやるような場面に出るような人も、あるいは切られ役や切り役も、そういう人は、昔の何といいますか、戦前土工関係の労働者をやる一つの業者があった。ああいうのと同じように、雇っておいて、どこから何人と言われたら出ていって日雇いみたいな扱いを受けておる。しかし、
法律からいうと、その人たちも実演家です。そうして、その人たちが出なければその劇が成立しないわけです。そういう面も、いまの芸能社のあり方なり職業安定法のあり方なりからもメスを入れないと、こういう
権利というものが生かされないと思いますから、きょうはひとつお願いだけしておきます。どうぞ
調査をして善導をされますようにお願いしておきます。
そこで、あと
文部省にお伺いいたしますが、映画の問題につきましては、いま田中
委員からも質問がありましてお答えがありました。その質問、お答えとも、もう従来ここだけじゃなしに、何べんか繰り返されたことにすぎない。この前私は文書をちょうだいいたしましたのですが、どうもこれを読んでみますと、——読んでみますとというよりも、
文化庁の
答弁を伺いますと、
権利を与えた、
権利を与えたと、こう非常にいいような
答弁があるわけですね。しかし、与えたことは事実だが、同時に、
文化庁の手によって、与えた
権利々取り返しているという節がどうもあってしようがないわけです。映画の問題ですが、まあ理屈ははっきりしているのでしてね。実情に合わせるためには
著作者に
権利を与えて何ら差しつかえないはずで、契約事項なんだからとこうおっしゃる。だから
著作者側に
権利を与えておいてあと契約事項のところで実情に合うように処理をすればいい。特に
著作権の譲渡なんという道もあるのですから、そういう点でやらせればいいので、
権利のあるべきところさえはっきりしておけば、一向支障がない。この文書はそういうことじゃなしに、逆に、いかにして弁解をするかという文書であります。この御
答弁は時間がありませんから要りません。しかし、私はこれを読みまして一番感じますのは、一番あとのくだりです。終わりの三行、ここが
文化庁の言いたいところだと思う。「映画製作者の映画製作に対する寄与の大きいことからして、これに何らの
権利をも認めないとすることは適切でない。」、ここが言いたいところなんでしょう。しかし、もしこれが適用になるとすると、たとえば山下清というあの画家がある。あの人の絵を今日に至らしめた寄与の大きい方々がたくさんあると思うのですね。
〔
理事永野鎮雄君退席、
委員長着席〕
たとえば私の知っておる神崎清
先生なんかもそうだ。そうすると、神崎清
先生があの山下さんの絵ができるために寄与が大きかった。そういう人にも何らかの
権利を与えないのはおかしいというのかどうか。これは
著作権の議論じゃないと思う、そういう議論は。そういう
意味では、私はどうもこの点については納得いかない。この点は、時間がありませんから、これはまあそのことだけを申し上げておきます。
そこで、映画についてもう一つ関係のあるところなんですが、お伺いいたしたいのは、
権利を与えておいてどうも取り返しているという少し意地の悪い言い方をいたしますと、五十四条の二項に、これを読んでみますと「映画の
著作物の
著作権がその存続期間の満了により消滅したときは、映画の
著作物の
利用に関するその原
著作物の
著作権は、当該映画の
著作物の
著作権とともに消滅したものとする。」と、こうあるでしょう。そういたしますと、一方においては原
著作者には死後五十年という
権利を与えておる。映画と抱き合わせにいたしまして、映画の
著作権がなくなると、死後五十年がここでは取り上げられてしまう。こういう取り上げ方というのが各所に見えるわけです。時間がありませんから、ここ一つだけ申し上げます。この
意図は一体どういうことなんですか。