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1969-04-23 第61回国会 衆議院 社会労働委員会 第12号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十四年四月二十三日(水曜日)    午前十時三十九分開議  出席委員    委員長 森田重次郎君    理事 澁谷 直藏君 理事 竹内 黎一君    理事 橋本龍太郎君 理事 渡辺  肇君    理事 河野  正君 理事 田邊  誠君    理事 田畑 金光君       小川 半次君    海部 俊樹君       藏内 修治君    佐々木義武君       齋藤 邦吉君    田川 誠一君       高橋清一郎君    中山 マサ君       広川シズエ君    増岡 博之君       箕輪  登君    枝村 要作君       加藤 万吉君    後藤 俊男君       島本 虎三君    西風  勲君       平等 文成君    八木 一男君       八木  昇君    山田 耻目君       山本 政弘君    本島百合子君       大橋 敏雄君    谷口善太郎君       關谷 勝利君  出席国務大臣         厚 生 大 臣 斎藤  昇君  出席政府委員         厚生大臣官房長 戸澤 政方君         厚生省援護局長 実本 博次君  委員外出席者         外務省アメリカ         局外務参事官  大河原良雄君         専  門  員 濱中雄太郎君     ————————————— 本日の会議に付した案件  戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正す  る法律案内閣提出第三五号)      ————◇—————
  2. 森田重次郎

    ○森田委員長 これより会議を開きます。  内閣提出戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案を議題とし、審査を進めます。  質疑の申し出がありますので、これを許します。後藤俊男君。
  3. 後藤俊男

    後藤委員 一番最初に、これは戦争犠牲者関係のある問題でございますので、お尋ねするわけですが、阿波丸事件の問題です。これは昭和二十年の四月一日でありますが、撃沈された。それで二千数十名の人が犠牲になっておられるわけですが、この二千数十名の中には、おそらく軍人軍属もまじっておると思いますが、半数以上につきましては一般引き揚げ者である。これの扱いが一体どういうふうなことになっておるだろうか。これは、参議院におきましても、衆議院におきましても、たび重ねて問題になった事件でございます。  そこで、外務省の方にお尋ねしますが、この阿波丸事件終戦までの経過につきまして、御説明をいただきたいと思います。
  4. 大河原良雄

    大河原説明員 御質問に対しましてお答え申し上げます。  ただいま御指摘のとおり、昭和二十年の四月一日に、昭南から帰港の途次、台湾海峡におきまして、阿波丸米国潜水艦撃沈されまして、船員、乗客合わせまして二千四十五名のうち、一名を除きことごとく死亡したという事件があったわけでございまして、当時日本政府としましては、スイス政府を通じまして、随時米国政府とこの問題について折衝いたしました結果、昭和二十年七月五日に、米国政府はこの事件に関する責任を認めまして、賠償問題については、戦争終了後に、その際の政治情勢関係なく、公平な態度商議する用意がある旨の言明をしてまいりまして、日本政府としては、戦争中であるにかかわらず賠償支払いをなすべきである、こういう主張をいたしまして、当時二億二千七百二十八万円余にのぼります賠償請求をいたしまして、解決を見ないままに終戦を迎えた、こういう状況でございます。
  5. 後藤俊男

    後藤委員 そうしますと、ここで厚生省にちょっとお尋ねいたしますが、いま外務省から経過報告のありましたように、昭和二十年四月一日でございますか、二千四十五名の人が、アメリカ潜水艦にやられて沈没して、一名を除いて二千四十四名が死亡した。この中には、援護法の適用なり、あるいは軍人等恩給ですか、あるいは扶助料ですか、これらの適用をされておるお方もあろうと思うわけですけれども、そこはどうなっておりますか、お尋ねいたします。
  6. 実本博次

    ○実本政府委員 いまお尋ねの二千四十四名の阿波丸事件遭難者のうち、四十四名が軍人でございまして、この方々には、恩給法のほうから御遺族には公務扶助料が出ております。それから千八百四名の方々の御遺族につきましては、軍属の御遺族でございますので、恩給法援護法からそれぞれ年金、扶助料が参っております。それから百二十三名は準軍属の身分を持った方々でございますので、これは援護法から給与金が出ております。それから陸海軍に属さない文官の方々が三十二名でございますが、これはやはり公務扶助料が出ておるわけでございます。いま先生からもお話がございました四十一名の一般の方——一般の方と申しますのは、いま上にあげましたような方々の子供さん、奥さんというような方々が大部分でございます。これは外務省からもお話がありました見舞い金措置がいっておるわけでございます。
  7. 後藤俊男

    後藤委員 そうしますと、いま局長説明になりました千八百四十八名でございますか、これらの人に対しましては、援護法なりあるいは恩給関係のある程度のものは支出されておるのだ、それ以外につきましては、あとから話が出てまいります七万円の見舞い金で打ち切りになっておる、そういうことでございますね。
  8. 実本博次

    ○実本政府委員 そうでございます。
  9. 後藤俊男

    後藤委員 そこで、さらに外務省にお尋ねいたしますが、先ほど説明では終戦までの説明でございますが、終戦後の阿波丸事件処理に対しましては、どういうふうにおやりになりましたか、お尋ねいたします。
  10. 大河原良雄

    大河原説明員 昭和二十四年四月六日に、衆議院並び参議院会議におきまして、阿波丸事件に基づく日本国請求権放棄に関する決議案が提出いたされまして、審議の結果、この決議案両院において同日可決されております。この決議案内容は、わが国といたしましては、阿波丸事件に基づく請求権を自発的にかつ無条件放棄することが第一点。第二点といたしまして、政府米国政府とすみやかに商議を開始し、前記請求権放棄を基礎としてこの問題を友好的に解決すること。第三点といたしまして、政府国内措置として、この事件犠牲者を慰謝するため適当な手段を講ずること。第四点といたしまして、政府はこの決議に基づいてとった措置の結果を本院に報告すること。こういう内容決議であったわけでございます。  この決議に基づきまして、政府連合国最高司令官にはかり、そのあっせんのもとに、在京米国政府当局と話し合いを進めました結果、昭和二十四年四月十四日に阿波丸請求権処理のための日本国政府及び米国政府間の協定を締結いたしました。この協定は五カ条からなっておりまして、第一点が対米請求権放棄する。第二点が阿波丸請求権をこの協定によって最後的に打ち切る。第三点が、この事件特殊性にかんがみまして、日本政府としては犠牲者並びに舶船所有者に対して、見舞い金支給による適当な待遇を与えるための努力する。第四点といたしまして、米国政府阿波丸撃沈につきまして深甚な遺憾の意を表し、死亡者遺族に同情を表する。こういう内容協定でございます。  引き続きまして、その次に、衆参両院決議に基づきまして、この協定国会に提出され、しかも昭和二十五年八月一日に阿波丸事件見舞金に関する法律国会で制定いたされまして、これに基づきまして、阿波丸撃沈に基づく死亡者遺族に対しまして見舞い金支給決定されたわけでございます。
  11. 後藤俊男

    後藤委員 いまの報告の中で、一人当たり七万円の見舞い金支給したということだが、郵船会社に対する補償はどうなっておりますか。
  12. 大河原良雄

    大河原説明員 いま申し上げました法律の中に、遺族並びに阿波丸所有者であります日本郵船株式会社に対する見舞い金支給決定され、遺族に対しましては、死亡者一名につきまして七万円、二人につきまして同一人の遺族である場合には十二万円、三人以上の場合には同一人の遺族となる場合に十五万円とするというふうに規定されておりまして、日本郵船に対しましては見舞い金として千七百八十四万三千円を支給する旨を規定いたしております。
  13. 後藤俊男

    後藤委員 そうしますと、ここで一つお尋ねしたいことは、軍人なり遺家族及び海外よりの引き揚げ者戦争犠牲者に対しては、終戦当時、進駐軍の命令というのによりまして、救恤的な処置というのは一切禁止をされておった。だから、援護法にいたしましても、軍人恩給につきましても、一時なかったわけですね。でありますのに、この阿波丸の犠駐者に対しましては見舞い金を七万円出し、さらに郵船会社には一千七百どれだけかの見舞い金を特別に出したというのは、進駐軍からそういう関係になっておる時期にもかかわらず支給したというのは、どういう理由でございますか、お尋ねいたします。
  14. 大河原良雄

    大河原説明員 先ほど申し上げましたように、戦争中におきましても、米側は、阿波丸撃沈につきまして、その責任を認めております。賠償用意がある旨を述べた経緯がございますけれども、具体的な折衝につきましては、戦後に持ち越されたわけでございます。先ほど申し上げましたような次第によりまして、連合国司令官あっせんのもとに、米側商議をいたしまして、ただいま申し上げましたような協定が締結された次第でございます。
  15. 後藤俊男

    後藤委員 ということは、先ほど言いましたように、軍人なり遺族なり、そういう関係に対する恩恵的な措置を一切禁止されておる時期に、いま説明されましたようなことをやられたということは、それだけ問題が非常に重大であった。であったからそういうふうな措置が行なわれたんだと考えても間違いないと思うのですが、いかがですか。
  16. 大河原良雄

    大河原説明員 戦争のさなかにおきまして、米側はとにかく撃沈事件責任を認め、その当該潜水艦の艦長に対しまして、これを懲戒処分に付するという措置をとると同時に、賠償の問題につきましては、戦後、その際の政治情勢関係なく、全く公平な態度商議する用意があるということを述べてまいってきておりましたことは、先ほど申し上げたとおりでございまして、したがいまして、米側といたしましては、戦後、占領中という特殊な状況、環境のもとにもかかわらず、いま申し上げましたような責任を認めたという状況のもとに、この協定に対して特別の措置をとった、こういうふうに理解してよろしいかと思います。
  17. 後藤俊男

    後藤委員 それから次は、先ほど説明がありましたように、昭和二十四年四月七日でございますか、衆議院の本会議におきまして、第一項目から第四項目にわたる決議が行なわれました。この中には、阿波丸撃沈事件に基づくすべての請求権を自発的にかつ無条件放棄する、こういう決議が、いまから約二十年前の第五国会でございましたか、そこでなされておるわけですが、この国会決議賠償請求権放棄したことは、賠償請求権本体である被害者国民請求権を無視したように私は考えるわけです。被害者である国民賠償請求権本体であろうと思うわけです。その被害者たる国民に全然相談なしに国会でこういうふうな決議が行なわれたというのは、一体どういうことなんでしょうか。私は、その被害者たる国民賠償請求権を無視した決定国会で行なわれたんではないかというふうに考えるわけでございますが、この点の説明をひとついただきたいと思います。
  18. 大河原良雄

    大河原説明員 先ほど申し上げました阿波丸日米間の協定は、日米間の国家間の協定でございまして、国際法上、不法行為から生じました請求権主体国家だけである、こういうふうに観念されておるわけでございます。したがいまして、米側が認めました不法行為に対する賠償請求権は、日本政府のみが持ち得る、こういうことになるわけでございます。
  19. 後藤俊男

    後藤委員 そうしますと、被害者たる国民アメリカに対して賠償を請求する権利はない、政府にあるのだ、だから政府被害者たる国民相談なしに請求権をかってに放棄してしまったのだ、こういうことになるわけですね。そういうふうに解釈していいわけですか。
  20. 大河原良雄

    大河原説明員 国際法上の考え方といたしましては、国際法上の賠償請求権を有しますのは国家のみである。したがいまして、被害者個人国際法上は損害賠償を要求する権利というものは持っておらない、こういうふうに言うべき筋合いのものでございます。したがいまして、今回の場合にも見舞い金という形をとっておるというふうに承知いたしております。
  21. 後藤俊男

    後藤委員 そうしますと、こういうことが言えるんじゃないかと思うのです。先ほど言いましたように、昭和二十四年四月六日の衆議院会議におきまして、阿波丸事件被害者である国民賠償請求権無条件放棄することを国会できめた。これはもうあなたが御説明になったとおりですが、そうしますと、請求権のいわゆる本体であります国民権利を、国民相談なしに国会無条件放棄をするということを決定した以上は、米国にかわって日本政府がその賠償責任を負う、こういうことにならなければ通らないと私は思うわけでございます。阿波丸事件で二千四十四名の人がアメリカ潜水艦撃沈されて全部死んだ。一名は残りましたけれども。そうしますと、これはもう戦争犠牲者といえば犠牲者でございますけれども、不法行為によって死んだわけなんです。そうなれば、なくなられた人は、当然アメリカに対して賠償請求権が私はあると思います。ところが、直接ではございませんが、政府アメリカに対して折衝をしておったが、そこで終戦になった。じゃ終戦後に話をいたしましょう、こういうことで戦争が終わったわけでございますが、戦争が終わってから、先ほど言いましたように、昭和二十四年のいつでございますか、被害者たる国民に何も相談をせずに、一方的に賠償請求権をしかも無条件放棄することを国会できめた。そのことをきめるという考え方なりいきさつにおきましては、アメリカにかわって日本政府被害者たる国民に対する賠償の実行を行なうんだ、こういう決議がないことには、国会においてそういう決定はされないと私は思うわけでございますが、この点いかがでございましょうか。
  22. 大河原良雄

    大河原説明員 先ほど申し上げましたように、国際法上の不法行為から生じました請求権主体は、あくまでも国家問の問題でございまして、被害者たる日本国民自身は、国際法上の賠償請求権を持ち得ないわけでございます。  そこで、先ほど指摘国会決議でございますけれども、昭和二十四年四月六日の決議の中にこういうことが書いてございます。「われわれは、この感謝の念を表現する一方法として次のことを政府に要望する。」と書いてございまして、「わが国昭和二十年四月一日発生した米国海軍艦艇による阿波丸撃沈事件に基づくすべての請求権を自発的に且つ無条件放棄すること。」と、こういう政府に対する要望が国会決議で行なわれたわけでございまして、政府はそれに基づく日米間の協定を結び、これに基づきます法律国会審議を経まして、昭和二十五年八月一日から施行される、こういう形になったわけでございまして、政府としては十分国会意思に従って行動した、こういうふうに言い得ると思うのでございます。
  23. 後藤俊男

    後藤委員 いまあなたが言われましたのは、一応の経過でございまして、いまから二十年前の国会のことでございますから、その真意というのは私わからぬわけでございますけれども、賠償問題については、阿波丸犠牲者一人一人が賠償請求アメリカ政府にする権利はない、いわば日本政府が行なうということだと思います。戦争犠牲者ではなしに、不法行為に基づいて二千四十四名の方がなくなられた、これは不法行為なんです。そうしますと、この不法行為でなくなられた二千四十四名の人は、当然賠償請求権というのはあるわけなんです。ところが、その賠償請求権を持っておる被害者たる国民に一言の相談もなしに、国会でかってに、無条件賠償請求権放棄いたしましたということを、相手側アメリカに提示したということにつきましては、個人個人損害賠償請求権を無視した形にこれはなるわけなんです。これは憲法の第二十九条によりましても、「財産権は、これを侵してはならない。」「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。」と書いてあるわけなんです。その意味としては当てはまると思います。そうなりますと、阿波丸で二千四十四名の方が敵の不法行為でやられて死んで、それに対する賠償請求権というのは、個人個人は当然持っておると思います。これを二千四十四名の皆さんと十分相談の上話がきまってどうこうということなら、わからぬこともございませんけれども、それらの人の意思というものは全く無視した形の中で第五国会決定をされたというようなことになりますと、その国会におきましては、当然これはアメリカに対して賠償請求をする必要があるけれども、戦争後いろいろとまたたいへんごやっかいになっておるから、このことはひとつ無条件放棄した形にしよう、ただし二千四十四名に対しましては、日本政府アメリカ政府にかわって、それらの人に対しては賠償を考えよう、こういうふうな考え方のもとに、第五国会におきましては、先ほどあなたが言われたような決定がされたのではないかと考えておるわけですが、その点をもう少し筋を通したような説明をお願いいたしたいと思うわけなんです。経過についてはもうわかりました。
  24. 大河原良雄

    大河原説明員 御指摘のとおり、もう古い話でございまして、書類による経過を整理する以外に私どもの方法はないのでございますけれども、先ほど来申し上げておりますように、加害者たる米側被害者たる日本政府との間に協定が結ばれまして、この協定国会の承認を得て、しかもまたこれを裏づけまする法律昭和二十五年に国会で成立いたしまして、このような措置がとられたというふうに承知いたしておりますので、したがって先ほど来、国際法上の形といたしまして、被害者個人国際法上いかなる意味においても賠償請求権を直接行使することはできない、こういう形から申しまして、見舞い金という形で被害者に対する措置が行なわれた、こういうふうに御説明申し上げているわけでございます。
  25. 後藤俊男

    後藤委員 それからさらに、昭和二十五年四月二十六日の衆議院外務委員会では、こういう論議が行なわれておるわけなんです。米国に対する国民権利放棄するということは、米国の義務を日本政府が代行するという覚悟がなければできないことである、この点が外務委員会でも十分指摘されておるわけなんです。国民権利放棄日本国政府責任、これについてはどういうふうにお考えになっておるか、お尋ねしたいと思います。
  26. 大河原良雄

    大河原説明員 政府といたしましては、とにかく米国に対する賠償請求権無条件放棄したわけでございますし、他方、二千四十四名の犠牲者がおられるわけでございますから、これに対する措置を全然無視することは当然あり得ないわけでございまして、そこで、見舞い金に関しまする法律制定の過程におきまして、いかなる額が最も見舞い金の形として適当であるかということについては十分な検討が行なわれたというふうに承知いたしております。いろいろな計算の結果、先ほど申し上げました被害者一人につきまして七万円という額が算定された。当時といたしましては、これをもって不満足ながらも遺族に対する見舞い気持ちは十分表し得る、こういうふうに考えられたものと了解いたしております。
  27. 後藤俊男

    後藤委員 そうしますと、まあ何回言いましても同じようなことになりますが、いずれにいたしましても、二千四十四名という阿波丸犠牲になられた人の、しかも米国不法行為によって潜水艦でやられたこの人に対する賠償請求権というのは、無条件日本政府放棄してしまった。当然アメリカ政府にかわって日本政府賠償の責めを負うべきである。そこで考えられますのが、先ほどあなたが説明されました、何らか慰謝する方法をひとつ考えよう、こういう一項目があったと思うのですが、それに基づいて、七万円なり郵船会社に対する見舞い金をお出しになったということだと思います。  そこで私、もう一つお尋ねしたいのは、見舞い金七万円と、さらに日本郵船会社に対して千七百八十四万三千円の見舞い金をお出しになっておるわけでございますけれども、これは一体どういう計算でこういうふうな数字になったのか、お尋ねいたします。
  28. 大河原良雄

    大河原説明員 遺族に対しまする見舞い金といたしましては、ホフマン式計算法に従いまして計算の結果、支払い時点における将来の所得に対する賠償金額といたしましては概算二万六千円という数字が出てまいりまして、このほかに精神上の慰謝料として二万六千円の十五割、一五〇%、これに相当いたします三万九千円、並びに見舞い金なり所持金相当の額としてさらにこれに五千円を加えまして、単身者の場合の遺族見舞い金を七万円として計上した、こういうふうに了解いたしております。船主に対しまする見舞い金といたしましては、遺族見舞い金の場合とのつり合いを考慮いたしまして、沈没当時におきます阿波丸船価、すなわち保険金額でございますが、これを千三百九十八万円と算定いたしまして、それに複利計算の利子を加算いたしました金額千七百八十四万円余を計上した、こういう計算でございます。
  29. 後藤俊男

    後藤委員 いまあなたが言われた一人一人に対する七万円は、これは見舞い金であります。計算は、いま言われたように計算されておると思うのです。そこで郵船会社に対して千七百八十四万三千円、これもいま言われた計算でやられたと思いますし、さらにその当時、日本郵船会社に対して、船が沈没したのだから、これにかわる船をつくるということなら融資のほうで国として考えるというような話が出まして、それは進駐軍のほうの指令中止になりましたけれども、そういう経過もあるわけです。そうなってまいりますと、一人一人に対する見舞い金郵船会社に対する見舞い金とは性格が変わってくると思うわけなんです。いわば犠牲者一人一人に対する七万円というのはあくまでも見舞い金です。ところが、郵船会社に対するものは、名前は見舞い金とついておりますけれども、先ほど言いましたように千七百八十四万三千円。さらにこの上に、この船のかわりとして新しい船をつくる場合には国のほうとして考えるというようなところまで話が進んで、当時進駐軍のほうの指令によって船をつくることが中止になった。これははっきり書いてあるわけなんです。そういう点を考えますと、見舞い金性格がぼけてくるように私は思うわけなんです。船会社につきましては何か賠償を含めたところの見舞い金である、個人個人に対しましてはわずか七万円でもうしまい、こういうようなことで今日まで放棄されているように私は思うわけでございますが、その点いかがでございましょうか。
  30. 大河原良雄

    大河原説明員 先ほど私御説明申し上げましたように、ホフマン方式によりまして最も有利な形の計算をいたしましたほかに、精神的な慰謝料をさらに加えましたものを、七万円という形で遺族に対する見舞い気持ちをあらわすことにしたわけでございまして、当時といたしましては、政府として遺族に対する見舞い気持ちは十分これであらわし得た、こういうように考えておったと思うわけでございます。
  31. 後藤俊男

    後藤委員 だから、何回も繰り返しますけれども、見舞い金といたしまして七万円で、これがある程度賠償意味も含めておるんだということなら、非常に金額が少ないと私は思います。一方、船会社に対しましては、賠償意味も含めてお金は一千万何ぼ出し、さらにかわりの船をつくるということなら考えようということまで当時話が進んでおったわけですね。  それと、次にはこの問題でございますけれども、先ほどから言いますように、昭和二十四年四月七日の衆議院の本会議できめられて以来、これはたびたび参議院なり衆議院で問題になっておると思います。この阿波丸事件につきましては、外務省といたしまして当然再検討しておられると思うわけなんです。さらにこの阿波丸事件につきましては、昭和三十六年の八月二十五日に「呪われた阿波丸」ということで、文芸春秋社からもりっぱな本が出ておるようなわけでございますし、これらの遺族の人たちも、あまりにもやり方がひどいじゃないか、二千四十四名も不法行為で死なしておきながらわずか七万円でもうそれでしまいだ、それ以来、軍人恩給なり、あるいは扶助料なり、援護法はどんどん改正があるにもかかわらず、この阿波丸事件の問題につきましてはもう全然触れてくれないというふうなことで、二千四十四名の遺家族を含めまして、それ以外にもかなり問題にしておるところがあろうと思うわけです。これに対しまして外務省といたしましては、これは今日問題になった問題じゃございません、何回となく国会で論議され、何回となく問題になっておる点でございますので、今日この問題についてどうお考えになっておるのか、どう一体解決しようとされておるのか、これはこれで打ち切りだというふうに考えておられるのか、その点をお尋ねいたしたいと思います。
  32. 大河原良雄

    大河原説明員 ただいま御指摘のとおりに、阿波丸事件につきましては、国会その他いろいろな場で、いろいろな機会に、いろいろな形で取り上げられておりまして、つい昨年の第五十八国会におきましても、参議院の予算委員会でこの問題が討議されております。その際、当時の三木外務大臣は、この問題につきまして、外務省としては諸般の関係から再検討ということはなかなか困難である、こういう答弁をしておられるわけでございまして、当時この国会での論議を通じまして、私どももあらためてこの問題の検討をいたしてみたわけでございますけれども、諸般の状況から見て、新たにこの問題をまた取り上げるということはなかなか困難な問題ではないか、こういうふうに考えておるわけでございます。
  33. 後藤俊男

    後藤委員 じゃ私、厚生大臣にちょっとお尋ねいたしますけれども、これは戦争のいわば犠牲者に対する援護の問題もあろうと思いますので、厚生省関係があろうと思うわけです。  先ほどからいろいろとお話しいたしましたように、昭和二十四年の国会におきましては、賠償請求権無条件放棄、ただし見舞い金七万円をきめた、船会社には一千万何ぼ支給した、そういうふうなことで今日に至っておるわけです。その後、軍人恩給なりあるいは遺族扶助料等を考えてみますると、昭和二十八年以来五回にわたって金額等も改定されておるわけなんです。さらには農地報償の問題なり引き揚げ者に対する再度の特別交付金の問題等があるわけでございますけれども、これだけ、戦争中にアメリカ潜水艦不法行為によって二千四十四名をなくしておき、かなりの人は、先ほど申し上げましたところの扶助料なりを適用されておる人があるわけでございますが、それ以外の一般引き揚げ者に対しては、ただ七万円と決定されただけで今日放棄されておるわけなんです。そうしますると、前に申し上げましたことやら、あるいはこの阿波丸事件とを比較いたしますと、全く不公平な扱いがされておるのじゃないか、いわば公平の原則に反するような扱いになっておるのじゃないだろうか。戦争犠牲者には私変わりないと思うわけなんです。だから今日、阿波丸遺族なり、あるいはそれらの気持ちを持っておられる全国の皆さんから、あちらこちらで、阿波丸事件問題を何とかひとつ国会において取り上げてもらいたい、再検討してもらいたい、こういう声が起こっておることは、私が申し上げるまでもないと思うわけでございますが、これらの経過をずっと振り返って考えてみるときに、この阿波丸事件につきましては、第五国会におきましてああいうふうな決定にはなっておりますけれども、この問題を再検討するということになると、ほかの問題に波及するという心配もあるかもわかりませんが、大東亜戦争を通じまして、こういう不法行為による犠牲者というのは、これ一件だけだと私思います。これ以外にはないように聞いております。だからほかの問題に波及する心配もなかろうと思います。ぜひひとつこれは検討するに値する大事な問題だと私は考えておるわけでございますけれども、今日まで外務省関係で扱っておられた問題かもしれませんけれども、事戦争遺族等の問題につきましては、厚生省といたしましても、おれは関係がないのだということではなかろうと思いますので、厚生大臣としての阿波丸事件に対する所見をひとつお伺いいたしたいと思います。
  34. 斎藤昇

    ○斎藤国務大臣 阿波丸事件は、昭和二十年の四月一日、事件がありまして以来のとにかく相当大きな問題でございまして、したがいまして、第五国会のときのお話も私はここで承りまして、その翌年の法律の制定せられた次第も承知をいたしておりますが、おそらくその当時も、これは所管は外務省でございましたけれども、厚生省関係としては無関心ではなかったと思います。昨年の予算委員会における三木外務大臣の御答弁も、厚生省として全然無関係だということではなかったと私は思います。  そこで問題は、昭和二十五年のいわゆる七万円の見舞い金は、これはその賠償というような性格——一時金であって、見舞い金という名前ではあったが、これでもう全部処置済みなんだというものであったかどうかという問題であろうと思います。ただいま大河原参事官の話を聞いておりますると、当時の計算は、ホフマン方式によって算定した額、それに対して慰謝料の額、それから当時本人が持っておったであろう物品の額まで入れたということでありますから、見舞い金という名であるけれども、実質は賠償であった。いまから言えば七万円という額は少ないけれども、当時としては、これで十分とは言えないかもしれないけれども、実質は賠償であったのだ、こういうように受け取れる節もあるわけでございます。その点をさらに私のほうでも検討をいたしまして、もしそういうことであるならば、これはもうやむを得ないと思います。ただほんのお気の毒だというだけのものであったのならば、あるいは考えなければならない点があるのじゃなかろうかと思いますが、しかし、先ほどからの、あるいはいままでの経緯を見てみますると、これで全部完了だということであの当時の法律審議をせられ、審議の過程ではいろいろ御審議があったでありましょうが、そういうことで法律が成立をしたのではなかろうか、かように思います。しかし、私のほうといたしましてはさらに検討をいたしまして、そのとおりであったかどうか確かめてみたいと思います。
  35. 後藤俊男

    後藤委員 いま厚生大臣が言われましたこと、わかるわけですが、特に昭和二十四年四月七日の衆議院会議におきましては、「政府は國内措置として、本事件犠牲者を慰藉するため適当な手段を講ずること。」これが入っておるわけなんです。「慰藉する」ということばは、一応どういうことですか、慰めるということ、だからお見舞い金だ、こういうことで出ておると思うのです。そう考えてみますると、計算のしかたを考えると、賠償ということも含んでおるような気もせぬことはないわけでございますけれども、当時金額を幾らにするかということを相談した結果、やはり国会決定による「犠牲者を慰藉する」という方法としては、この辺のところを見舞い金として持っていこうではないか、いわば見舞い金というのは見舞い金だと思います。だから、そういう性格のことも二十四年の国会におきましては決定をいたしておるようなわけでございますので、ぜひひとつ、この阿波丸事件につきましては、外務省だけにおまかせすることなく、大臣先ほど言われましたように、この問題を十分検討していただいて、二千四十四名の遺族に対する、何らか政府として、それじゃもう一ぺん検討してみようというような方向で、ひとつ力を注いでいただきますようにお願いをいたしたいと思うわけです。  外務省といたしましても、これは先ほど説明が何回もございましたが、国会で何回となくこれは論議になりまして、論議になりっぱなしで全然前進はなし、これが今日までの経過だと思いますが、幸い厚生大臣のほうもああいうふうな気持ちでおられますので、今後とも、この阿波丸事件につきましては、この遺族の要望というものを、全部どうこうということはむずかしかろうけれども、解決するような方向へ、厚生省なり大蔵省あたりとも十分相談をしていただいて、全力を尽くしてもらうようにぜひお願いいたしたいと思います。
  36. 大河原良雄

    大河原説明員 当時の経緯につきましては、先ほど来御説明申し上げたとおりでございますが、遺族方々に対しては、私どもまことに同情の念にたえない次第でございます。かねて国会において、この問題が繰り返し問題になっているということも十分承知いたしておりますので、従来この問題の再検討はむずかしいという国会での答弁が行なわれておりますけれども、私どもとしては、引き続きましていろいろ検討、研究いたしてみたいと考えます。
  37. 後藤俊男

    後藤委員 次はソ連の長期抑留者の処遇に対する問題でございますが、これも厚生省として大いに関係のある問題だと思います。これは中身の問題につきましては、一々説明しなくとも十分御承知のことであろうと思いますが、長い人につきましては十年以上もソ連に抑留されておる。これらの人に対するいわゆる賠償の問題でございますけれども、今日厚生省として、ソ連の長期抑留者に対してどういうふうなお考えでおられるのだろうか、この点をお尋ねいたします。
  38. 実本博次

    ○実本政府委員 ソ連に抑留されておりました間に死没しあるいは傷病にかかった抑留者等に関しましては、その身分に応じまして、恩給法あるいは戦傷病者戦没者遺族援護法によりまして、国家補償の精神に基づいて必要な援護措置をとってまいっておるわけでございまして、その面から先生お示しの抑留者に対します措置を従来もとってまいったわけでございます。
  39. 後藤俊男

    後藤委員 この配付された資料第百四十八号でございますが、これによりますと、未帰還者の数が四千四百二十名になっております。この中で、ソ連地域が四百二十一名、北鮮地域が百三十名、中共地域が三千五百四十七名、南方諸地域が三百二十二名、これは厚生省の援護局で、あなたのほうでお調べになった数でございますけれども、このソ連の未帰還者四百二十一名と、いま申し上げましたところの戦後長く不法抑留されておる人との関係は、一体その中に入っておるのか、どういうことになっておるのか、御説明願いたいと思います。
  40. 実本博次

    ○実本政府委員 先生いまお示しのソ連地域におきます昭和四十三年十二月一日現在の四百二十一名という未帰還者の中には、横太在留の方々も若干含んでおりますが、いま先生の最初にお話しになりましたものとの関係につきまして、直接的には因果関係は何もない数字でございます。
  41. 後藤俊男

    後藤委員 ソ連の長期抑留者の中には、日満両軍の兵隊さん、警察官、それから一般職業にあった者、あるいは満鉄、電電公社、こういうような職名に分かれておると思うわけです。これらの人が、ポツダム宣言に基づいて、戦争が終わったならば早く引き揚げて、帰って平和産業に従事するのだという項目が、第九項でございますか、あったと思うのです。それがあるにもかかわらず、ソ連の一方的な国内の反乱者だというふうな扱いで、いわば戦犯のような扱いで向こうに長くとめられておった。このとめられた人のほとんどが、戦争中は日本政府の命令によって行動をしておった人ばかりなんです。これらの人が、ソ連の一方的な国内の法律によって、国内反乱軍じゃございませんが、そういうふうな名前のもとに十年も十何年も向こうに抑留されたということは、終戦時における、いわゆる平和条約締結における大きな犠牲者だと言っても間違いないと私は思うわけでございますけれども、そうなってまいりますと、これらの人に対する賠償というのは、国として当然考えるべきではないだろうか。先ほど言いましたように、引き揚げ者に対する交付金の問題であるとか、農地報償の問題であるとか、あるいは朝鮮における漁民の拿捕された人たちに対する見舞い金等も支給しておるようでございます。それらの点を比較すると、これは当然政府としても、戦争が終わっておるにもかかわらず、十年なり十何年も向こうで抑留されておる、そうして向こうで重労働でたいへんな仕事をさせられておる、これらの人に対する賠償なり何らか考えるべきではないかと私思うわけでございますけれども、これは  一体どうでしょう。
  42. 実本博次

    ○実本政府委員 先ほど申し上げましたように、そういう長期間ソ連に抑留されていた間に、死没されたりあるいは傷病にかかって、現在その傷病に苦しんでおられるという人々につきましては、それぞれその身分に応じまして、恩給法なり戦傷病者戦没者遺族援護法によりまして、特別に必要な給付を援護措置としてとっておるわけでございますが、先生のお話の点は、そういう国家に身分のない方々、たとえば先ほど例にあげられました民間会社の方といったような方々に対しては、そういう人たちの払われた、しかも生きて帰ってきていまおられるという人たちに対する、戦争犠牲者としての措置が何もないではないかという御趣旨の御質問と思いますが、そういう方々に対しましては、他のそういった意味の身分のない戦争犠牲者方々措置を見ながら、何かそこに措置がとられてしかるべきじゃないかというふうな均衡論が出てまいるわけでございます。こういうソ連の国内法、ソ連刑法の処分を受けて、そういうふうな長期抑留の目にあったとか、あるいはこれによく似た例で、国際裁判によりましてそういうふうな目にあったという方々につきましては、いずれも同じような問題が残っておるわけでございまして、かりに、しいてそういう人たちに対して何か考えるべき筋だというふうに見てまいりますと、やはり一種の国家賠償と申しますか、国内的に言えば、裁判によってそういった拘束なり犠牲を受けた方々に対します補償が行なわれておるわけでございますが、そういったような場合のことを筋として考えるかどうかというふうな道が残されているように考えております。
  43. 後藤俊男

    後藤委員 そうしますと、いま局長が言われた、国家でそれらの人に対して賠償をするという意味なら、現在軍人恩給なりあるいは何かいろいろもらっておる人も含めての賠償ということになろうと思うのですけれども、一歩譲って、全然そういうことに関係のない人々に対しては、遺族あるいは現在生きておられる人に全然国として考えておられないわけなんです。これは当然すみやかに考えるべきではないか。これは全部が全部それで満足というわけじゃございませんが、第一歩として当然考えるべきではないかというふうに私は考えるわけでございますけれども、いま局長も言われましたが、考えるとするならばそういうことだろうというような言い方でございますけれども、ぜひひとつこの問題につきましては、これまたかなり多くの人がおられると思いますので、いま局長が言われた方法でひとつ早いところ検討していただいて、実行に移せるような方向でひとつ進めていただきたいと思うわけなんです。これは大臣いかがでございましょうか。
  44. 斎藤昇

    ○斎藤国務大臣 私も伺っておったのですが、御意見の次第は、まだ向こうに抑留されている人のこちらに残っている家族の援護の問題のことでございましょうか、あるいは長期抑留されておって、そしてこちらに帰還された人の問題でございますか、その点ちょっと…。
  45. 後藤俊男

    後藤委員 これは両方ともです。
  46. 斎藤昇

    ○斎藤国務大臣 先ほど援護局長からお答えをいたしておりますように、いままでできるだけのことは考えてまいっておりますが、しかしおっしゃるように、まだ抜けている点あるいは十分でない点もあろうかと思います。厚生省にも援護問題懇談会を設けまして、関係の人たちの御意見を聞いていろいろと検討をいたしておりますので、ひとつその際の問題といたしまして引き続いて検討をしたいと思います。
  47. 後藤俊男

    後藤委員 これは特に北海道方面に多いと思うわけでございますが、ぜひ大臣、いま言われました方向で、陳情書もかなり多く国会に出てくると思いますので、善処方をお願いいたしたいと思うわけです。  それからもう一つ、先ほど言いました四千四百二十名の未帰還者があるわけですね。ところが予算で見ますると、二十三名になっておるわけなんです。帰っておらぬ人が四千四百二十人おるのに、留守家族手当というのは二十三人しか出ておらぬ、これは一体どういうことになっておるのか、御説明いただきたいと思います。
  48. 実本博次

    ○実本政府委員 現在そういう未帰還者の留守家族に対しまして、留守家族援護法を適用いたしておりますが、その適用の条件が、未帰還者が帰還されればその人によって生計を維持するというふうな条件がついておりますので、いま残っております未帰還者の方々の大部分がそういう条件でない。たとえば終戦当時、未帰還になる状態になった当時に、子供さんだったとか、あるいは乳飲み子であったとか、あるいは年輩の方でも御婦人であったとかいうふうなことで、その人によって留守家族が生活を立てるというふうな人でない人が大部分でございますので、その条件に当たります方が四千何ぼのうちの二十三名というふうなことに相なっておるわけでございます。
  49. 後藤俊男

    後藤委員 そうしますと、未帰還者が四千四百二十名おりまして、留守家族手当は二十三人しかもらっておらぬ。残りの大体四千四百人前後の人は、もうその人を当てにせずに生活ができるのだ、だからその人に対しては未帰還者留守家族手当は出す必要はない、一口に言ってそういう説明だと思うのです。そうしますと、戦争が済んで二十何年たっております。二十何年間あの人が帰ってこない、家計が苦しいので生活ができぬという状態を維持しておらぬことには、留守家族手当はもらえないということですか。
  50. 実本博次

    ○実本政府委員 四千二百名のうち、過去七年間に生存の見込みがある人と、それからないというのと、大体二通りに分けまして、もう生存の見込みがないという方々につきましては、留守家族と相談いたしまして、戦時死亡宣告というふうな特別措置に基づきまして、死亡宣告を行ないますれば、それは戦没者援護法の対象になるような死亡をしたということにいたしまして、そういう方々に対しましては、今度は留守家族手当ではなくて所定の遺族年金というふうにしてそれぞれ処遇いたしておりますので、現実の問題といたしましては、先生がいまおっしゃったようなかっこうでがんばっておられる方々はほとんどないという状態でございます。
  51. 後藤俊男

    後藤委員 そうしますと、もう一つ私、疑問が出てくるわけですが、帰えられない人が四千四百二十名おって、その中で留守家族手当をもらっておる人は二十三名だ。ただし遺族年金をもらっておられる人は、四千四百二十名の中にはかなりあるわけですか。どれだけあるのですか。
  52. 実本博次

    ○実本政府委員 いま私の説明でちょっとつまびらかでない点があったかと思いますので、先生の誤解が生ずるおそれがあります。この四千二百名の方々の中で、いま申し上げましたような、この戦時死亡宣告の処置をいたしますれば、先ほど私が申し上げましたような遺族年金なり、それぞれの援護法上の死亡者、戦没者としての条件にかなったものとして措置されるということでございまして、現に留守家族手当の届いておる方は、お話のように二十三名ということになっております。
  53. 後藤俊男

    後藤委員 だから、戦時死亡宣告なり失踪宣告、これをやりさえすれば、いま言われたように、遺族年金ですか、これらが適用される。それらに該当する人が現在四千四百二十名。まだ帰らない人の中で二十三名は留守家族手当をもらっている。死亡宣告をしていない人、それ以外の人は全部そうだというふうに考えて間違いないわけですね。  それからその次は、この問題は、私、非常に身近にあった問題でございますので、お尋ねしたいわけですが、入営なり応召の途中において傷病によって死亡した軍人遺族に対する弔慰金並びに遺族年金の問題ですが、これが一体今日どう扱われているか、御説明いただきたいと思います。
  54. 実本博次

    ○実本政府委員 入営あるいは復員途上の事故によりまして、傷病を受けたりあるいは死没された方々に対する処遇でございますが、海外から復員される途上の事故につきましては、一応海外から急激な終戦のショックによりまして帰ってこられた方の条件を勘案しながら、そういう方々には援護法の処遇を与えております。それから、国内で復員された方々につきましては、そういう条件がございませんので、これは一応身分が復員されたときに切れたということで、処遇をいたしておりません。     〔委員長退席、竹内委員長代理着席〕 それから、入営途上の場合につきましても、まだ国との身分関係が発生いたしていないということで、この方々にも処遇をいたしておりません。  しかしながら、そういう国内での復員途上の事故者あるいは入営途上の事故者につきましては、やはりそういった人たちの処遇を、従来の援護法上の人たちの処遇と比べて、何かしかるべく措置すべきではないかという意見も出てまいっておりまして、先ほど大臣がお話し申し上げました援護問題懇談会におきまして、そういう人たちの処遇をどうしたらいいかというふうな意見の聴取も行なっているところでございます。そういうものを待ちまして措置をしたいと考えております。
  55. 後藤俊男

    後藤委員 いま、内地においてはそういう条件がないと言われますけれども、内地にもそういう条件で死んだ人があると思うのです。たとえば、私が知っている限りにおきましても、浜松へ入隊の場合に、まだ入る前に爆撃でなくなられた人があるわけです。それから除隊をして九州のほうに帰るときに、当時国鉄はいまのようにりっぱでございませんから、隧道の中で石炭車の上に乗っておって、煙に巻かれてなくなった人もあるわけです。これはお帰りの途中でございますけれども、これは国内における問題です。こういうのは当然援護法なり弔慰金の適用をしてしかりだと私は思うわけでございますけれども、ただ、営門を出てしまったから、あるいは営門に入る前だから——目的はやはりそこへ行くために行って、自分で自殺したのならともかくも、敵の飛行機にやられてなくなった、こういうふうな条件がきちっと整っているのですから、こんなものはちゅうちょすることなく、そういう条件の人に対しましては援護法なり弔慰金を適用する、こういうふうにおっしゃっていただきたいと思うのですが…。
  56. 実本博次

    ○実本政府委員 現在、国家公務員の場合に、出勤退庁時におきます事故を災害補償の対象にするかどうかというような問題も論議されておりまして、大体そういうケースを前向きに処遇しようじゃないかというふうな傾向も出てまいっておりますし、援護法でも、いま先生お示しのケースにおきましても、そういった傾向を勘案しながら適当な処遇をすべきであるという考え方のもとに、援護問題懇談会にも相談いたしておるところでございます。
  57. 後藤俊男

    後藤委員 そうしますと、いまの問題を考えてみましても、そういう気の毒な条件にある人ですから、ぜひひとついま局長の言われたような方向でお願いをいたしたいと思うわけです。  それからもう一つは、日華事変以後、事変地または戦地において死没した旧軍人及び旧軍属遺族で、現在援護法の適用を受けておられない遺族に対して適当なる処置を講じてもらいたい。これもやはりさっき言われました懇談会に出たと思うのですが、これは一体どうでございましょうか。
  58. 実本博次

    ○実本政府委員 先生いまお話しの点は、シナ事変発生後の事変または戦争によります故意または重過失によるケースを御指摘のように承っておりますが、そうでございましょうか。
  59. 後藤俊男

    後藤委員 そうです。
  60. 実本博次

    ○実本政府委員 故意または重過失によりまして、戦争あるいは事変におきましてなくなられた方々遺族というものにつきましては、公務上の処置をするわけにはいきませんが、遺族の側からの立場、見方をいたしますと、遺族には故意も過失もないというか、何のとがもございませんで、ただ赤紙で持っていかれてそのまま死んでしまった、あるいは帰ってこなくなった、こういう立場から考えますと、やはりそこにほかの公務でなくなられた御遺族方々とのバランスを考えて、何かしかるべき処置をすべきではないかという考え方が強くなってまいりました。これも援護問題懇談会のほうで御意見をいただいておるところでございます。
  61. 後藤俊男

    後藤委員 これは、いわゆる隊を離れたとか、あるいは逃亡をしたとか、あるいは自殺をしたとか、あるいは上官暴行をやったとか、そういう人につきましては、戦地であろうと事変地であろうと、なくなりましても援護法の適用が一切ない、これが現在の法律ですね。これはいま局長も言われましたように、遺族には何も罪はないと思うわけです。しかも戦地へ行かなければこういうことは起きなかったと思うのですが、いろいろの客観情勢、周囲の事情もあって、本人としていたたまれずこういうふうなことをやったということもあろうし、そういう点を考えますと、たいした数でもなかろうと思いますから、この問題に対しましても援護法の適用ができるように法改正を考えていただきたい、これはぜひ大臣にお願いいたします。
  62. 斎藤昇

    ○斎藤国務大臣 よく検討をいたしたいと思います。
  63. 後藤俊男

    後藤委員 終わります。
  64. 竹内黎一

    ○竹内委員長代理 次に河野正君。
  65. 河野正

    ○河野(正)委員 いまいろいろ同僚の後藤委員のほうから多面にわたりまする質問があったわけですが、今日まで年々戦傷病者、戦没者の遺族に対しまする援護法が改善をされてまいりました。その改善されてまいりましたにつきましては、私どもも大いに多とするところであります。また、今回の改正によりましても、恩給法の改正に伴って傷病恩給あるいは公務扶助料が改善をされるということでございますから、これまた私どもの多とするところであります。ただ新しいケースとしては、今回に限って旧防空法の規定によりまする防空監視隊員が軍人軍属の範疇に入れられるという意味で、私どもも喜んでおるところでございます。  ところが、こういう逐年の経過を見てまいりまして感じますことは、もうすでに戦後二十数年を経過いたしておるわけですが、その間いろいろ提起されました案件というものが、ちょうどちょくちょく小出しのようなかっこうで改善されておる。私は、戦後二十数年という経過があるわけですから、もうこの辺で、いま後藤委員からもいろいろ御指摘があったわけですけれども、こういう懸案の諸問題というものが一挙にすべて解決さるべき時期が来ておるのではなかろうか、こういうことを考えるわけでございます。そこでこの際、来年の援護二法の改善でも、ちょっと改善をせられる、残った分はまたその次の年に繰り延べられる。ところが実際に、戦傷病者戦没者の遺族のごときはだんだん老齢化する、先がないというような特殊な事情もあるわけですから、したがって、この際断固として、いま後藤委員からもいろいろ御指摘されたことも含んで、やはり大幅な改善をしてもすべての解決に当たるというふうな心がまえが当然必要であろう、こういうふうに思うわけです。そこで、すでに予算も通過しておる今日ですから、いろいろ事情はあろうと思いますけれども、ひとつこの際、いま申し上げまするように、戦後二十数年もたっておるわけですから、したがって、この援護法に対する政府の姿勢というものをここできちっと整理をしてもらわなければならぬ、こういうふうに思うわけでございます。そこで、援護法に臨みまする政府の姿勢ということで、ひとつ大臣の御見解をお聞かせいただきたい、かように思います。
  66. 斎藤昇

    ○斎藤国務大臣 援護法の中で、現にいま援護法の適用を受けている人に対する処遇の問題、これは私から申し上げるまでもなく、そのときそのときによってだんだんと処遇も物価の騰貴、生活水準の向上というようなことで改善してまいらなければなりませんが、いま河野さんのおっしゃるのはいわゆる未処遇者の問題だろうと思いますが、未処遇者の問題はまだたくさん残されておるが、ここらでもう全部片づけてしまったらという御意見だろうと思います。私も大体その方向でまいるのが当然だと思います。残された未帰還者の問題がまだたくさんございますが、次から次へと、まだあれもあるのか、これもあるのかというふうに、いつまでも置いておくべき問題ではないだろうと思います。そういう方針でひとつ臨みたいと考えております。
  67. 河野正

    ○河野(正)委員 これはぜひいま大臣お答えの方針と姿勢でひとつ対処していただきたい、こういうふうに思うわけです。  いま私が冒頭で申し述べましたように、戦後二十数年をけみした今日でございますから、この辺で一切を解決する気がまえが当然必要である。同時に、いま一つ、私どもがここでぜひお願いをしておきたいと思いまするのは、この日本の今日の経済というものが非常に発展をして、成長をしてまいりました。そこで、この援護法のすべての基準というものは、やはりいまの成長した日本の経済に対応したものでなければならぬ、まあこういうことだと思うのです。それはたとえて申し上げますると、現在の成長した日本の経済の実情にマッチした、要するに援護の最低基準の引き上げ、こういうこともその例だと思うわけですけれども、年々歳々行なわれておりますこの援護法の改善というものは、これは傷病恩給にしましても、公務扶助にいたしましてもそうでございますけれども、この恩給法が改正をされると、その恩給法の改正を受けてこれが改善されていくというたてまえをとっておるわけです。ですから、やはり基本的には日本の経済の実情にマッチした形で援護法の改善というものを行なわなければならぬ。どうも恩給法に振り回されて援護法の改正が行なわれる。これは主として援護の最低基準等の問題でございますが、こういう傾向というものは、私はやはり厚生省みずから打破してもらわなければいかぬ、こういうふうに考えるわけでございますので、これも基本姿勢としてきわめて重要な問題でございますから、これもこの際ひとつあわせて大臣からお答えを願っておきたいと思います。
  68. 斎藤昇

    ○斎藤国務大臣 私、あるいは不勉強のせいかもわかりませんが、援護法の給与と恩給法の給与と、大体いままで均衡のとれたものという前提できていると思うわけでございます。したがって、援護法で給与水準の引き上げをやらなければならぬ要因は、恩給法にも同時にある、こういう考え方であったと思います。その考え方が正しいかどうか、もう一度検討してみたいと思いますが、そうだといたしますると、これは援護法の給与を上げる、その上げ率は恩給法の給与を上げる上げ率と。パラレルである、こういう考え方に立ったものだと思います。そこで、どちらを先にしてもいいわけでありますけれども、全体的には恩給法のほうが基礎的な形にいままでなっておるものでありますから、そうだといたしますと、いままでの考え方でいいのじゃないかと思います。ただ、恩給法の給与と援護法の給与とはパラレルになっていない、均衡がとれていないということであれば、それは援護法援護法で考えていかなければならぬ、かように考えます。
  69. 河野正

    ○河野(正)委員 私は、少なくとも援護法の主管大臣である厚生大臣ですから、やはり援護法のいわゆる援護のあり方というものはどうあるべきか、たとえば援護の最低基準のあり方というものはどうあるべきかということは、たてまえとしては厚生大臣がやっぱりかくあるべきだという方針というものを示されなければならぬと思う。その際、どうしても政府部内の問題ですから、恩給法との見合いにおいてということになれば、これはまた別ですけれども、やっぱり主管大臣である厚生大臣としては、遺族援護のたてまえは日本の経済成長に伴った形で行なわれるべきだ、こういう主張というものはぜひやってもらわないと、最初から恩給法との関連だ、関連だということになれば、恩給法が圧迫を受ければ、したがって遺族援護というものも圧迫を受ける、こういうことになるのですから、ことばをかえて申し上げれば、厚生大臣のほうが、援護のあり方はかくあるべきだということになれば、あるいは恩給のほうもよりよき改善が行なわれるかもわからぬということになろうと思います。ですから少なくとも、結果は別として、厚生大臣としてこの援護の万全を期するためには、やはり厚生大臣としての姿勢というものが私は必要だと思うのです。そういう意味では、そういう厚生大臣の主体性というものが欠けておるのじゃないかという意味でこの問題を指摘しておるということであります。
  70. 斎藤昇

    ○斎藤国務大臣 私はことばが足りなかったかと思いますが、そういう意味におきまして、恩給法の改正、恩給の給与水準の引き上げということは、これはよその省のやることだからおれのほうは知らぬのだということではなくて、恩給法の改正即援護法の改正とこう考えて、そうして、恩給の給与水準の引き上げというものが援護法の給与水準の引き上げと同様であるというので、したがって、主管大臣にはなっておりませんけれども、内容をきめます際には、あるいは予算をきめます際には、そういう気持ちで、恩給のベースアップということについては自分のことのようにして私は考えていくべきだ、かように思っております。
  71. 河野正

    ○河野(正)委員 まあ恩給はさることでございますけれども、やはり援護のあり方についてはぜひ所管の大臣である厚生大臣が主導権を持っていただきたいと思いますし、また主体性というものをぜひ確立してもらいたい、こういうふうにお願いをしておきたいと思います。  それからまた、もう一つ基本的な態度として重要でございますのは、この戦傷病者戦没者の遺家族というものは年々歳々老齢化の傾向をたどってくることは、これはもう必然的でございます。そこで、やはり冒頭に申し上げましたように、戦後二十数年、したがって時間的にも拙速をたっとんでいかなければならぬということは当然だと思うのです。そういう意味で、やはり冒頭でいろいろお尋ねをしたり、あわせてお願いを申し上げたりしましたが、そのことと関連してでございますけれども、基本的な方針としては、遺家族の方々の老齢化ということを常に頭に入れながら懸案の事項というものが早急に改善されなければならぬ、こういうふうに私どもは考えておるところでございます。したがって、これもまた厚生大臣の決意をお伺いすることになると思いますけれども、この際、基本的な問題でございますので、ぜひひとつ厚生大臣の決意のほどをお伺いしておきたいと思います。
  72. 斎藤昇

    ○斎藤国務大臣 私は個人的なことを申し上げて恐縮でございますが、私も県の遺族会長をいたしておりまして、実情はよく存じております。おっしゃいますとおりに考えますので、今後一そう努力をいたしたいと考えております。
  73. 河野正

    ○河野(正)委員 いま指摘をいたしました三点は、かねがね援護法に対する私どもの基本的な考え方であったわけでございます。ぜひひとつ、いま申し上げました三つの立場から、今後の援護法の改善に当たっていただき、努力をしていただき、そうして遺家族の方々におこたえをしていただきたい。特にいま大臣からも、いろいろ遺族会等にも御関係のようでございますから、自分のこととしてぜひひとつ御努力を願いたい、こういうふうに思います。  そこで、一応、援護法に対処いたします私どもの基本的な考え方については、いま大臣からいろいろと御見解を承ったわけでございますが、この法の具体的内容につきましては、かなり長い時間をかけて後藤委員のほうからもいろいろ御指摘もございました。そこで、重複にわたらぬように、いろいろ別の角度から具体的問題についてひとつ論議をしてまいりたい、こういうふうに思います。  そこで、最初にお尋ねをしておきたいと思いまする点は、過ぐる大戦におきまして、公務上負傷した者、それから疾病にかかって現在なお療養の必要がある者、ことばをかえて申し上げますと、こういった戦傷病者に対しましては、恩給法及び戦傷病者戦没者遺族援護法による所得保障、まあ年金その他。それから戦傷病者特別援護法による療養手当その他の医療保障、こういうものが行なわれることになっておるわけでございますが、一体、こういう援護法による所得保障の恩典に浴しておる者、あるいは特別援護法による医療保障の恩典に浴しておる者、こういう方々の実数というものがいま一体どの程度であるのか、この点をひとつお答えを願いたい、かように思います。
  74. 実本博次

    ○実本政府委員 援護法のうちで、昭和四十三年十二月末現在で遺族年金、遺族給与金の受給をしておられる方々が二十万四千六件ということでございます。それから戦傷病者の障害年金の対象になっておられます方々は六万二千三百六十三件というふうになってございます。いま申し上げましたのは、現在までに差し上げました件数でございまして、四十三年十二月現在で受給されておられます障害年金の対象が三千八百八十九名になっております。それからもう一つ、戦傷病者特別援護法に基づきます手帳の交付をいたしております対象でございますが、これが十三万三百四十二人、これは四十三年四月一日現在の数でございます。
  75. 河野正

    ○河野(正)委員 いまお答え願った数字がどういう根拠でお答え願ったかちょっとわかりませんが、この四十三年の厚生白書では、「過ぐる大戦において、公務上負傷した者及び疾病にかかって今なお療養の必要がある者は、全国に約十七万人から十八万人いると推定されている。」と書いてあるのですね。ちょっといまの数字と違いがあると思うのですが、どういう数字をお示しになったのか、あるいはこの厚生白書というものがどうもずさんな数字であるのか、その間の事情をひとつお聞かせいただきたい。
  76. 実本博次

    ○実本政府委員 先生のお示しは、四十三年の厚生白書の三九五ぺ−ジに掲げてあります数字だと思いますがそこで「全国に約十七万人から十八万人いると推定されている。」と書いてございますのは、先ほど私が申し上げました戦傷病者の手帳が十三万何がし、これは一目症以上の障害を持っておられる方々に対して交付しました手帳の数でございまして、それ以下五日症までの方々を入れますと、ここに書いてございますような、約十七万から十八万というふうな数字になるわけでございます。
  77. 河野正

    ○河野(正)委員 まあ一目症とか五日症とかいうことは別として、いずれにしても、「公務上負傷した者及び疾病にかかって今なお療養の必要がある者は、全国に十七万から十八万いると推定されている」という意味がちょっとわからぬのですがね。これはどれだけおるということをきちっとおっしゃっていただくならわかるけれども、一万の誤差があるわけですね。その誤差は、結局厚生省で把握されておらぬのかどうか。これはやはり一人一人の人格というものは尊重すべきであって、一万も幅があって、その間の一万の人間については、何か実態がつかまれておらぬような感じもするんです。  そこで、私が最初これを取り上げてまいりましたのは、どうも厚生省として十七万から十八万だという。これはどこで戦死した人がそうだというなら別ですけれども、少なくとも「公務上負傷した者及び疾病にかかって今なお養療の必要がある」という。必要があるということでしょう。あるなら、当然十七万五千なら十七万五千、十八万一千なら十八万一千という的確な数字で出てこなければならぬですね。必要があると言いながら、数字が一万もわからぬというのはどういうことでしょうか。
  78. 実本博次

    ○実本政府委員 先ほど申し上げましたように、厚生省で特別援護法で手帳を給付して、更生医療を全額的に給付したり、あるいはその他国鉄の無賃乗車券を交付したりします対象といたしましては、ある障害程度以上の方々に限っての措置でございますので、それが先ほど申し上げました第一目症までの程度の者でございます。ここに書いてある表現、確かに先生御指摘のようにちょっと不正確でございまして、更生医療が必要であるとして十三万何がしの方々に手帳を交付しております。その方々が最初の二行に書いてありますような表現に当たる人でございまして、あとの二目症以下の方々につきましては、実は、そういう手帳の効果というものをあまり高く評価されないままに、申請してこられないものですからわからない、こういったようなことで推定数が出たわけでございまして、確かにお示しのように、この十七万から十八万全部がいまなお療養の必要があるという表現は確かにまずいのでございまして、少なくとも全額更生医療の給付ができるものとして考えております。十三万人というものに正確に書き改ためるべきだと思います。
  79. 河野正

    ○河野(正)委員 少なくとも厚生白書というものは権威あるものですから、その権威ある白書の中で「療養の必要がある者」と言いながら、その実態というものは把握されておらない。そうすると、療養の必要のあるものの中で、結局いろいろの援護法の手だてが解釈上行なわれておらないということになるわけですね。そうすると私は、いろいろ援護法が実施されあるいは改正されても、それがまんべんなく行き届いたというふうには解釈するわけにはいかない。行き届いておれば、十七万一千五百なら一千五百という数字が出てこなければならない。特にいま局長も、この厚生白書の表現がいささか問題だとおっしゃるが、確かに、問題であるのか、さもなければ厚生省の援護処置というものが非常に片手落ちであるのか、この両方のどちらかだと思うのですよ。  実はこの厚生白書については私ちょっと議論があるのです。これは昨年の当委員会においても問題にしたのですが、満蒙開拓義勇隊に対する処置は終わったと書いてある。ところが、きょうも私は六項目か七項目か要求したいと思うのですが、終わってないのです。ところがこの厚生白書にはほとんど終わったと書いてある。そういうことで、この前の委員会でもこの厚生白書に私は異議を申し立てた経過があるわけですが、今度の場合も、いま言ったように不適当な表現が行なわれておる。しかしやはり厚生白書というものは権威あるものだ。厚生省責任をもって刊行されておる。ですから私どもは、勉強する場合にはこの厚生白書で勉強するわけですよ。こういうでたらめな厚生白書で勉強して、たまたまきょうはそういういろんなずさんなことを指摘いたしましたけれども、このままにしておけば、私ども誤った理解で終わってしまうということですね。ですから厚生大臣、厚生白書というものはもう少し権威あるものとして社会に刊行してもらうためには、もっと内容について検討してもらいたいと思うのです。この点についてはいま局長からも、この表現は問題だとおっしゃっていますけれども、私は将来の厚生白書のあり方について、その内容をもう少し慎重に検討すべきじゃないかと思うのですね。毎年毎年この内容について文句を言われることじゃ、これは厚生白書の権威は落ちますよ。私はこれを追及するのが目的じゃありません。ただ、実態というものをもう少し把握してもらわぬと、幾ら援護法内容を改善してもあまねく行き届かなければ何にもならないのじゃないかということで申し上げているわけですから、そういう意味で、この点について厚生大臣から、今後の厚生白書のあり方ということについてひとつ御見解をお聞かせいただきたい。
  80. 斎藤昇

    ○斎藤国務大臣 全く御意見のとおりでございまして、厚生白書が、厚生省の仕事の内容、やっているやり方を疑われるようなことであっては相ならぬと思います。そういう意味で今後さらに十分注意をいたさせるようにいたしたいと思います。
  81. 河野正

    ○河野(正)委員 それから、援護局長にばかりほこ先を向けるわけですが、それに関連をしていま一つお尋ねをしながら、私の希望を申し上げてみたいと思います。  それは叙位叙勲の点についてでございます。昭和三十九年一月七日の閣議で、戦没者に対します叙位及び叙勲の事務を再開することが決定をされまして、三十九年の四月、第一回が発令をされたようでございます。その後引き続いて次々に叙位叙勲が行なわれて、四十三年の三月までに四十八回行なわれた。そうして約百二十万の叙勲が実施されたというように承っております。そうしてこの叙位叙勲の対象は、今次大戦で死亡いたしました軍人軍属約二百十二万といわれております。そうして百二十万のすでに叙勲の終わった者のうち、約百万は終戦当時大体事務的作業は終わっておった。ですから、実際に終戦当時事務的作業の残っておったのは約二十万程度でございますが、この叙位叙勲の事務処理というものが、いま申し上げました数字を見てまいりましてもわかるように、なかなかスムーズに進んでおらないような感じがいたします。と申し上げますのは、まとめて申し上げますと、約百二十万すでに行なわれておるし、二百十二万程度が対象になるということになりますと、約九十二万程度が残っておる。これは少し時期的に違うかもしれませんが、私が承知しております範囲では九十二万残っておる。そういうことでありますと、同じ戦没者でありながら、一部は終わっておる、一部はまだ残っておるという非常に不公平な状態に終わっている。この点は遺族方々もかなり関心を持っておられると思うので、そういう不公平な処置というものは許さるべきでない、こういうように私どもは考えておるところでございますが、こういう事情をどういうふうにお考えになっておるのか、ひとつこの際お聞かせをいただきたい、かように思います。
  82. 実本博次

    ○実本政府委員 お話しのように、三十九年に準備のいとまのないまま非常に早くやれということで開始いたしました。この叙勲の仕事でございますが、何さま戦後すでに二十年以上を経過した現在におきまして、この叙勲の対象になります戦没者の、特に身上についての資料とかあるいは御遺族の住所等の調査が非常に困難をきわめておりました。     〔竹内委員長代理退席、委員長着席〕 これまでいろいろ事務処理計画を年度当初から立てまして、大体五年計画で終えてしまおうということで鋭意進めてまいったわけでございますが、いま申し上げましたような事情のために、大体当初の計画より一年以上の延滞を来たしておる状態でございまして、先生お示しのように、こういう仕事につきまして早く処理すべきでございますが、いま言ったような調査の困難性にぶつかっておりまして悩んでおるわけでございますが、特に、終戦後におきます戦没者遺族の住居の移動が激しうございまして、この点、大都市におきましては特にそういう問題にぶつかっておるわけでございますが、これが対策といたしましても、各都道府県単位で、市町村を通じましていろいろ広報活動を活発に行なって、一刻も早く計画どおり仕事を終えたい、かように考えて鋭意努力をいたしておるところでございます。  なお、四十四年の二月現在で百五十一万まで処理ができてまいりましたので、二百十万の計画からいきますと、あと六十万というところまで追い詰めてまいったわけでございます。
  83. 河野正

    ○河野(正)委員 この叙勲については五カ年計画だった。ところが、二百十二万ということになりますと、これは算術計算すれば一年間約五十万ですね。ですから、約六十万残るということになりますと約一年少しですね。そこで、これは算術計算でいきますと一年と少し残るわけですが、これは計画どおりといまお答えがあったわけですけれども、計画どおりになれば五年間で終わっているわけです。それが一年おくれているわけですから、そういう意味ではあと一年間延ばせば、こういうことで作業を進められておるのかどうか。というのは、同じ、戦没者で不公平になるわけです。ですからそういう意味で、やっぱり公平の原則からいったら一刻も早く解決する早い人は三十九年に叙位叙勲を受けているわけですから、極端に言えば、おくれる人はそれから五年も六年もおくれるということになるわけですね。ですから当然政府としてはそういう不公平の起こらないようにする。隣の人は叙位叙勲を受けたけれども、こちらのほうは五年も六年も受けないということになりますると、何か悪い死に方をしておるのじゃないだろうかという悪い印象を受けることも多々あろうと思います。ですからそういう意味でこれはやっぱり早急に解決する。したがって、算術計算していっても、一年おくれた方はやむを得ぬとしても、移動が激しかったとか、なかなか住所が突きとめられなかったとか、理由もあるわけでしょうから、それはそれとして、やはりあと一年すれば大体のところ終わるというようなことで進めてもらいたいと思うし、ぜひひとつあと一年で終わるように努力してもらう決意を私は承っておきたいと思います。
  84. 実本博次

    ○実本政府委員 これは、この仕事を現実に扱っていただいております都道府県、市町村のほうからも、先生と同じように、御遺族のことを考えれば早くやりたい、やりたいという気持ちでこの問題にぶつかってきてくれております。われわれのほうも、先生お示しのような事柄でございますので、ぜひこのおくれた一年分を、その目的を達しますように、早く必ずその間に仕上げてしまうという覚悟でいま鋭意努力いたしております。
  85. 河野正

    ○河野(正)委員 この点は、私ども大臣にお願いするのではなくて、大臣みずから遺族会長でしょうから、ひとつぜひその気持ちで進めていただきたい、こういうように思います。  それから、遺族問題に関連していま一つお尋ねをしてまいりたい点がございます。それは一部遺族の中では、戦後はまだ終わっていない、こういう意見がございます。そこで、遺族にとって戦後はまだ終わっていないといわれておりまする一、二の例を取り上げて、ぜひひとつ今後の善処を願っておきたいと私は思うのでございます。その一つは戦死公報の問題でございますが、戦死公報というものが時期によって形式が非常に違っておる。これは、同じ戦没者でありながら叙位叙勲が時期的に非常に不公平な措置が行なわれておるということと、そういう意味では若干関連するわけですけれども、戦死公報というものが時期によって非常に違っておる、この点でございます。たとえて申しますると、昭和十九年の秋までは、〇〇地〇〇付近の戦闘にて戦死、こういうふうに書かれているそうでございますね。それから十九年の末から二十一年の六月にかけましては、単に日付と〇〇方面、こういう書き方で戦死公報が出されていた。それから二十一年六月以降は〇地にて戦死。こういうふうに時期によって戦死公報の内容というものが非常に違っておる。そこで、先ほど叙位叙勲の問題を取り上げたわけですけれども、同じ戦死者、戦没者でありながら、なぜそういう形式が違っておるのか。あるいは、戦争中は軍事機密で、どこどこで戦死したということを明らかにしたくないというようなことがあったかもわからないけれども、今日ではもう平和ムードで、戦争の危機が近いとか遠いとかという議論がいろいろございますけれども、少なくとも、われわれ日本国としては戦争から遠ざからなければならないということですから、そういう意味で、同じ戦死者、戦没者でありながらそういう形式的な面でいろいろ違っておることが、極端に言うと差別、あるいはまた書き方によってはいろいろ誤解する面も出てきます。隣の家では非常に詳しく地名その他が明記されておるが、私のほうはむしろ簡単だ、これはまた何か事情があるのではなかろうかということになる。いま私が申し上げましたように、何年から何年までの時期、この時期、この時期ということがわかればいいですが、一般遺族というものは事情がわからないわけですから、戦死公報の内容についていろいろ誤解を生ずる面もございます。私はこういう問題も、同じ戦没者ですから公平に取り扱うべきだと思うのです。この点について、私が申し上げているような実態になっているのかどうか、この点いかがですか。
  86. 実本博次

    ○実本政府委員 戦争中の、先生お示しの昭和十九年の秋の公報、それから十九年の末から二十一年の六月にかけての公報のタイプ、それから二十一年の六月以降のタイプ、これは全く先生のお示しのとおりのことになっておる現状でございます。確かにお話のように、現在になってみますと、やはり御遺族の御心情としては、一体どこでどういうふうなかっこうでなくなられたのかということを詳しく承知いたしたいというお気持ちが非常に強いわけでございますので、われわれのほうでもそういう御遺族の心情がよくわかりますので、なるべくこういった御要望にこたえるべく、非常に簡単な公報の出してある方々につきまして、さらに詳しいことが手元の資料でわかるものにつきましては、何とかそういう御要望をかなえて、一つのなるべく項目の詳しいタイプにして、そういう公報のし直しと申しますか、さらに詳しいものを差し上げたいというふうなことで、実は事務的にもそういう検討を命じておるところでございます。
  87. 河野正

    ○河野(正)委員 ところが、戦死場所をはっきりしてもらいたい、こういう願いを持っておられる遺族方々が、かなり厚生省にも足を運ばれているというふうに私ども仄聞いたしております。私どもが承知する範囲によりますと、大体戦死場所が的確に公報に書き込まれておらないのが約五十万件くらいあるだろう、こういうふうにいわれておるわけです。そこで、私は時期的に、十九年の秋まで、あるいは二十一年の六月まで、二十一年六月以降というふうに分けましたが、この戦死場所等が正確に明記されておらない戦死公報というものは、一体どのくらいございますか。
  88. 実本博次

    ○実本政府委員 いま先生お示しのごとく、戦死場所の的確に書いてないものが約五十万件ということでございます。
  89. 河野正

    ○河野(正)委員 そこで、やはり遺族としては、公報の戦死場所というものははっきりしてもらいたい、そのことによってなくなった戦死者、戦没者の当時の状況をしのびたい、こういうことから、そういう遺族の要望というものは高まったというふうに私どもは承知をしておるわけです。  そこで、その点についていろいろ事務的に解決の方法を考えておられるというお話しもいま承りましたが、これはかなり金がかかるということで、どうも厚生省が渋っておられる。いま局長は、事務的に何とか解決したいということでやっておるというようなお答えもあったわけですけれども、私どもは遺族の方から聞く範囲によりますと、金がかかるので、いまさらそういうことに金をかけたくない、金をかけるならもっとほかのところにかけたいというようなことで渋っておられる。ところが遺族にしては、戦死場所もはっきりしないことにはこの霊も浮かばれぬじゃないかということで、この点については非常に不満を持っておられるようでございます。こういう事実はどういうことであるのか、この際お答えをいただきたい。
  90. 実本博次

    ○実本政府委員 実はその点、確かに事務費が非常にかかるわけでございますが、ここ数年来、現実のそういう要望、財政的な経費のことを考えまして、予算折衝出してきたわけでございますが、額としてはいろいろなほかの経費を切り詰めてやればやれないこともないのですが、いまだにそういう予算要求が通らぬものでございますから、もう実行経費上生み出していくという体制で処理していくということを、ことしの年度当初にきめまして、いまその線での準備をさせておるところでございます。
  91. 河野正

    ○河野(正)委員 非常に簡単におっしゃったわけですけれども、私どもが承知する範囲では、この十万人に対して約六百万もかかる。結局戦死場所が明らかでないというのが五十万ということですから、約三千万かかるわけですね。ですから私ども、それはたいへんなことだと思うのです。しかし戦争をすることを考えると、三千万なんてたいした金じゃないと思う。ジェット機なんかの翼の一つにも当たらぬわけですから、考えようによっては、ばく大な金額の気もしますし、またわずかの金額の気もする。そこで、他の予算を切り詰めてとおっしゃっても、なかなか三千万という金をひねり出そうということは並みたいていのことじゃないと思う。やはりそのことはそのこととして予算を獲得してやっていただくということにならぬと、どこからかちょっとひねり出してといったって、これはちょっと解決がつかないと思うのです。そうするとこれはまた時間がかかるでしょう。冒頭にも言ったように、もう戦後二十三、四年もたったのだから、この際一挙に解決しなさい。しかも公報に戦死場所等が明らかに載れぬようなことでは霊は慰められぬと思うのです。ですからこの問題は、極端に言えばすぐ解決してもらわなければならぬ問題ですね。すぐ解決しようと思えば三千万も金がかかるわけでございますから、やはりこれは正規に予算を確保して——これをやらぬと戦争は終わらぬですよ。言うならばこれは一つの幕引きですよ。ですから、これはひねり出してやるということでは済まぬと思うので、やはりこの点は大臣もぜひ御努力願って、次も大臣に留任でもしてもらって、ひとつ予算を獲得して解決をするということにならぬと、これは非常に時間がかかると思う、あっちの予算、こっちの予算を持ってきてやったって。大臣は遺族会の会長でございますから、ぜひ大臣の誠意ある御回答をお願いいたしたいと思います。
  92. 斎藤昇

    ○斎藤国務大臣 まことにごもっともな御意見だと思います。われわれもかねてさように思っておったわけでございますので、ひとつ予算なり、またその他の面でも努力をいたしまして、できるだけ早くそういうことの完了いたすようにいたしたいと思います。
  93. 森田重次郎

    ○森田委員長 本会議散会後再開し質疑を続けることとし、この際休憩いたします。     午後零時四十七分休憩      ————◇—————     〔休憩後は会議を開くに至らなかった〕