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田中一君 大体これで質問もやめますが、前段に申し上げているように、これが金を余分に出すことによって、あと促進されるかもわからぬ。そのために本来の
公共事業が忘れられるという危険がある。それで
道路整備法によるところの
道路の申請というものは
許可になると、
道路運送法でもってくる、運ぶ物体は同じなんですね。歩いているものは同じなんです。
通行するものは同じものなんです。したがってこういう点について、
大臣は非常に庶民性があり、私はあなたが官僚でないからとっても好きなんですよ。あなたはほんとうに国民の生活に即した方向にぴんぴんと敏感であられるのでいいと思うのですが、少なくともこういうことによって
道路の社会化と申しますか、
道路がまだ国民のものになっておらないという方向に進んでくる。いや金を持っているものだけが通れるので、お金を持ってないものは通れないのだという
考え方ですね、低所得の人間でも、必要な場合は通らなければならないということ、そういう点についてこの
料率というものはがっちりと今後真剣に取っ組んでいただいて、たくさん
利用するという人
たちに対しては回数券制なり、定期券制なり、ああした
措置をとったって私はよかろうと思うのですよ。
それから
料金の徴収事務というものを、これを最近は全部請負にしているのです。なるほど
考えてみますと
道路公団の、大学を出た青年を
料金所へやって、それこそ単調な仕事を機械的にやっている姿を見ると、これも
一つの経験だとは思いますけれども、あれが長期になったらたまったものじゃない。国鉄なんか、ここに瀬谷さんいるけれども、国鉄なんか旅路という映画を見ると、みんなそういうことをやってきているらしいので、これも
一つの経験でしょう。しかし、請負制そのものは非常にぼくは疑問がある。
大臣だって
料金払わないからわからない。——払っていますか。私
たちはいつも払っています。こういう点もひとつ十分検討してほしいと思うのですよ。
料率の問題、請負制そのものが、もういまの段階でいい悪いというのじゃない。実際、
通行、
利用するものに対して十分か十分でないかという点です。こういう点もこの機会にひとつ、——いまは
道路公団でも自分の関係職員なんかやめると、それにそういう会社つくらして、それが徴収をやっている。一人だけ
公団の職員がいって、監督でしょうね、いるのです。あと十人ぐらいは徴収員で請負、そういうことをやっている。そういうこともあわせて、この
法律が成立するでしょうから、その機会に十分に勉強して、国民のための
道路であるということに徹してほしいと思うのです。
道路というものは国民のためだ、国民のものなんだ。あまりアメリカの戦争行為ための
通行なんか
大臣だって好ましくないと思うでしょう。国民そのもののものだということに徹してほしい。それを中心としたところの
考え方、具体的にこの場合にも
公団等のいま行なっているものも
考えてほしい。
それからもう
一つの問題、橋梁はもうやめなきいというのです。橋梁は
無料にしなさいというのです。二億か三億でつくった橋をやっぱり金をとって、そこにも人間が何人か要るのですよ、どうしても。全然ぺイしない、二十年償還が三十年になっても償還ができなかろうという橋もありますよ、
大臣。いままでそういう政治
有料道路がたくさんありますけれども——最近なくなりましたが、たくさんある、まだそんなものが。例の長良大橋だったか、濃尾大橋なんというものはひどいものですよ。向こうには例の銅像が立っています。銅像のそばに新幹線の駅もできましたよ、ちょっととまる。ああいう橋やなんかを
有料道路にするということは、愚の骨頂ですよ。そうして向こうへ行けば、まだ取つけ
道路も完全にできていない。あれは舗装したかどうか、砂利道でびしゃびしゃやっていましたが、こういうようなものは、もう率先して開放するのです。ひとつこの機会に
大臣は全部の
有料道路を点検していただきたい。これだけ申し上げて質問を終わります。