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1966-06-24 第51回国会 参議院 文教委員会 第25号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十一年六月二十四日(金曜日)    午後一時十一分開会     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         二木 謙吾君     理 事                 北畠 教真君                 久保 勘一君                 小林  武君                 鈴木  力君     委 員                 楠  正俊君                 近藤 鶴代君                 玉置 和郎君                 内藤誉三郎君                 中上川アキ君                 中村喜四郎君                 山下 春江君                 吉江 勝保君                 秋山 長造君                 小野  明君                 亀田 得治君                 瀬谷 英行君                 辻  武寿君                 林   塩君        発  議  者  秋山 長造君        発  議  者  小野  明君        発  議  者  小林  武君        発  議  者  鈴木  力君    委員以外の議員        議     員  田中  一君    国務大臣        内閣総理大臣   佐藤 榮作君        文 部 大 臣  中村 梅吉君        労 働 大 臣  小平 久雄君        国 務 大 臣  安井  謙君    政府委員        総理府総務副長        官        細田 吉藏君        内閣官房内閣審        議室長内閣総        理大臣官房審議        室長       高柳 忠夫君        文部政務次官   中野 文門君        文部大臣官房長  赤石 清悦君        文部省初等中等        教育局長     斎藤  正君        文部省管理局長  天城  勲君        労働省労働基準        局長       村上 茂利君    事務局側        常任委員会専門        員        渡辺  猛君    説明員        文部省初等中等        教育局初等教育        課教科調査官   山口 康助君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○国民祝日に関する法律の一部を改正する法律  案(内閣提出衆議院送付) ○産業教育手当法案小林武君外二名発議) ○国立及び公立学校教員に対する研修手当の  支給に関する法律案鈴木力発議) ○へき地教育振興法の一部を改正する法律案(鈴  木力君外一名発議) ○市町村立学校職員給与負担法の一部を改正する  法律案松永忠二君外一名発議) ○女子教育職員の出産に際しての補助教育職員の  確保に関する法律の一部を改正する法律案(千  葉千代世君外二名発議) ○日本育英会法の一部を改正する法律案千葉千  代世君外二名発議) ○日本育英会昭和二十五年四月一日以降の貸与  契約により貸与した貸与金返還免除に関する  法律案千葉千代世君外二名発議) ○産炭地域における公立の小学校及び中学校の学  級編制及び教職員設置に関する特別措置等に関  する法律案小野明君外六名発議) ○学校教育法等の一部を改正する法律案千葉千  代世君外二名発議) ○教育職員免許法の一部を改正する法律案松永  忠二君外一名発議) ○私立学校教職員共済組合法等の一部を改正する  法律案内閣提出衆議院送付) ○へき地教育振興法の一部改正に関する請願(第  六号)(第二一二号)(第二五一号)(第二九  五号)(第三四五号)(第三六八号)(第三九  五号)(第四八〇号)(第四八一号)(第四八  二号)(第四八三号)(第四八四号)(第五四  七号)(第五四八号)(第五四九号)(第五五  〇号)(第五五一号)(第五五二号)(第六一  九号)(第六二〇号)(第六二一号)(第七二  三号)(第七四五号)(第七四六号)(第七四  七号)(第一五三八号) ○学校警備員設置に関する請願(第七号)(第  二五二号)(第三四六号)(第三六九号)(第  三九六号)(第四四七号)(第四四八号)(第  四八五号)(第四八六号)(第四八七号)(第  五五三号)(第五五四号)(第五五五号)(第  五五六号)(第六二二号)(第六二三号)(第  六二四号)(第六二五号)(第六二六号)(第  六六八号)(第七二四号)(第七四八号)(第  七四九号)(第一五三九号)(第二一九九号) ○義務教育費国庫負担法第二条改正に関する請願  (第八号)(第二五三号)(第三四七号)(第  三四八号)(第三七〇号)(第三七一号)(第  三九七号)(第四四九号)(第四五〇号)(第  四五一号)(第四八八号)(第四八九号)(第  四九〇号)(第四九一号)(第四九二号)(第  五五七号)(第五五八号)(第五五九号)(第  六二七号)(第六二八号)(第六二九号)(第  六八四号)(第六八五号)(第六八六号)(第  六八七号)(第六八八号)(第六八九号)(第  七二五号)(第八二二号)(第八三三号)(第  九一二号)(第九二二号)(第九六九号)(第  九七〇号)(第九七一号)(第一五四〇号) ○「公立義務教育学校学級編制及び教職員定  数の標準に関する法律」の一部改正に関する  請願(第九号)(第二一三号)(第二五四号)  (第二九六号)(第三四九号)(第三七二号)  (第三九八号)(第三九九号)(第四五二号)  (第四五三号)(第四五四号)(第四九三号)  (第四九四号)(第五六〇号)(第五六一号)  (第五六二号)(第五六三号)(第五六四号)  (第六三〇号)(第六三一号)(第六三二号)  (第六三三号)(第六三四号)(第六九〇号)  (第六九一号)(第六九二号)(第六九三号)  (第六九四号)(第六九五号)(第七二六号)  (第八二三号)(第八三四号)(第九一四号)  (第九一五号)(第九七二号)(第九七三号)  (第九七四号)(第一五四一号) ○養護教諭必置等に関する請願(第一〇号)(第  二五五号)(第三五〇号)(第三七三号)(第  三七四号)(第四〇〇号)(第四五五号)(第  四五六号)(第四九五号)(第四九六号)(第  四九七号)(第四九八号)(第五六五号)(第  五六六号)(第五六七号)(第五六八号)(第  五六九号)(第六六九号)(第七二七号)(第  八四七号)(第八七一号)(第八八三号)(第  九〇四号)(第九四四号)(第一二四一号)  (第二二五八号)(第二二七七号)(第一四一  〇号)(筋一四二九号)(第一四四二号)(第  一四五九号)(第一四九八号)(第一五一七  号)(第一五四二号)(筋一五五二号)(第一  五六二号)(第一五七九号)(第一五九六号)  (第一六六二号)(第一七一五号)(第一七九  五号)(第一八一〇号)(第一八一一号)(第  一八四三号)(第一八四四号)(第一八八六  号)(第一八九五号)(第一八九八号)(第一  九〇三号)(第一九  一八号)(第一九五六号)(第一九六七号)  (第一九七九号)(第二〇二二号)(第二〇一  四号)(第二〇六四号)(第二〇九六号)(第  二一一五号)(第二一五二号)(第二一六七  号)(第二二二六号)(第二二三八号)(第二  二八九号)(第二三一七号)(第二三三九号)  (第二四一六号)(第二八九八号)(第二八九  九号)(第二九〇〇号)(第二九〇一号)(第  二九〇二号)(第二九〇三号)(第二九〇四  号)(第二九〇五号)(第二九〇六号)(第二  九〇七号)(第二九〇八号)(第二九〇九号)  (第二九一〇号)(第二九一一号)(第二九二  五号)(第二九二七号)(第二九二八号)(第  二九二九号)(第二九三〇号)(第二九三一  号)(第二九三二号)(第二九三三号)(第二  九三四号)(第二九四七号)(第二九七五号)  (第二九七六号)(第二九七七号)(第二九九  一号)(第二九九二号)(第二九九三号)(第  三〇七三号)(第三一七二号) ○幼稚園教員給与国庫負担に関する請願(第一  一号)(第二五六号)(第三五一号)(第三七  五号)(第四〇一号)(第四五七号)(第四五  八号)(第四五九号)(第四九九号)(第五〇  〇号)(第五〇一号)(第五〇二号)(第五七  〇号)(第五七一号)(第六二五号)(第六三  六号)(第六七〇号)(第六九六号)(第六九  七号)(第六九八号)(第六九九号)(第七二  八号)(第二五四三号) ○「学校給食法の一部を改正する法律案」及び  「学校給食用国産牛乳に関する特別措置案」に  関する請願(第一二号)(第二五七号)(第三  五二号)(第四〇二号)(第四〇三号)(第四  六〇号)(第四六一号)(第五〇三号)(第五  〇四号)(第五〇五号)(第五〇六号)(第五  〇七号)(第五七二号)(第五七三号)(第五  七四号)(第五七五号)(第六一二七号)(第  六一二八号)(第六一二九号)(第六四〇号)  (第七二九号)(第一五四四号) ○教職員の時間外勤務手当支給制度確立に関する  請願(第一三号)(第二五八号)(第四〇四  号)(第四〇五号)(第五〇八号)(第五〇九  号)(第五七六号)(第五七七号)(第六四一  号)(第六四二号)(第六四三号)(第六四四  号)(第七三〇号)(第七五〇号)(第七五一  号)(第七五二号)(第七五三号)(第七五四  号)(第七五五号)(第七五六号)(第七五七  号)(第七五八号)(第一五四五号) ○教職員研修手当支給制度確立に関する請願  (第一四号)(第二五九号)(第三五三号)  (第四〇六号)(第五一〇号)(第五一一号)  (第五一二号)(第五七八号)(第五七九号)  (第五八〇号)(第六四五号)(第六四六号)  (第六四七号)(第六四八号)(第六四九号)  (第六五〇号)(第七三一号)(第七五九号)  (第七六〇号)(第七六一号)(第七六二号)  (第一五四六号) ○高等学校すしづめ解消教員定数の増員に  関する請願(第一五号)(第二一四号)(第二  六〇号)(第二九七号)(第三五四号)(第三  七六号)(第四〇七号)(第四六二号)(第四  六三号)(第四六四号)(第五一三号)(第五  一四号)(第五一五号)(第五八一号)(第五  八二号)(第五八三号)(第六五一号)(第六  五二号)(第七三二号)(第七六三号)(第七  六四号)(第七六五号)(第七六六号)(第七  六七号)(第七六八号)(第八三八号)(第一  五四七号) ○産炭地教育振興臨時措置法制定促進等に関する  請願(第二八号)(第一七号)(第二一五号)  (第三五五号)(第三七七号)(第四〇八号)  (第五一六号)(第五一七号)(第五一八号)  (第五八四号)(第五八五号)(第五八六号)  (第五八七号)(第五八八号)(第五八九号)  (第五九〇号)(第六五三号)(第六五四号)  (第六五五号)(第七〇〇号)(第七〇一号)  (第七〇二号)(第七〇三号)(第七〇四号)  (第七〇五号)(第七〇六号)(第七〇七号)  (第七〇八号)(第七〇九号)(第七一〇号)  (第七二号)(第七一二号)(第八三五号)  (第一五四八号) ○学校栄養士設置に関する請願(第五四号)  (第五五号)(第七二号)(第七三号)(第七  四号)(第八四号)(第八五号)(第九八号)  (第九九号)(第一〇〇号)(第一〇一号)  (第一〇二号)(第一〇三号)(第一〇四号)  (第一二二号)(第一二七号)(第一四一号)  (第一四四号)(第一四五号)(第一四六号)  (第一四七号)(第一六九号)(第一七〇号)  (第一七一号)(第一七二号)(第一八六号)  (第一八七号)(第一八八号)(第二一六号)  (第二二四号)(第三三一号)(第一一五〇  号) ○「としよりの日」を国民祝日として休日にす  ることの請願(第一四三号) ○茨城県を第二十五回国民体育大会開催地指定  するの請願(第一四八号) ○学校関係建築物に対する避難器具設置に関する  請願(第一七三号) ○高知県中村市立鴨川小中学校へき地手当の  正式一級地指定等に関する請願(第一九六号) ○「視聴覚ライブラリー」並びに「高等学校視聴  覚教材」の整備費国庫補助に関する請願(第二  一七号) ○「公立高等学校設置適正配置及び教職員定  数の標準等に関する法律」の一部改正に関する  請願(第二三七号) ○高等学校定時制教育及び通信教育振興法の一  部改正に関する請願(第二六一号)(第七三三  号)(第八三九号) ○産業教育手当支給拡大に関する請願(第二六二  号)(第七三四号) ○公立学校における警備員設置法制化促進に関  する請願(第二七〇号) ○同和教育推進に関する請願(第三五八号) ○へき地教育振興法施行規則附則第二項の暫定一  級指定期限延長に関する請願(第三五九号) ○「なぎなた」正課教材採択に関する請願(第三  七八号)(第三七九号)(第四〇九号)(第四  一〇号)(第四一一号)(第四一二号)(第四  一三号)(第四一四号)(第四一五号)(第四  二三号)(第四二四号)(第四二五号)(第四  二六号)(第四二七号)(第四二八号)(第四  二九号)(第四三〇号)(第四三一号)(第四  三二号)(第四三三号)(第四三四号)(第四  三五号)(第四三六号)(第四三七号)(第四  三八号)(第四三九号)(第四四〇号)(第四  四一号)(第四四二号)(第四四三号)(第四  四四号)(第四四五号)(第四四六号)(第四  七三号)(第四七四号)(第四七五号)(第五  二七号)(第五四一号)(第五四二号)(第五  四三号)(第五四六号)(第六〇二号)(第六  〇八号)(第六〇九号)(第七二二号)(第七  一五号)(第七一八号)(第七八三号)(第八  四〇号)(第九二五号)(第九四五号)(第九  六一号)(第九六二号)(第九六三号)(第九  八〇号)(第一〇二〇号)(第一〇三三号)  (第一〇三四号)(第一〇三九号)(第一〇四  〇号)(第一〇四一号)(第一〇四二号)(第  一〇四三号)(第一〇四九号)(第一〇五八  号)(第一〇五九号)(第一〇六〇号)(第一  〇六一号)(第一〇六二号)(第一〇六三号)  (第一〇六四号)(第一〇六五号)(第一〇六  六号)(第一〇六七号)(第一〇六八号)(第  一〇六九号)(第一〇八五号)(第一〇八六  号)(第一〇八七号)(第一〇八九号)(第一  〇九〇号)(第一〇九一号)(第一一〇〇号)  (第一一〇一号)(第一一〇二号)(第一一〇  三号)(第一一一一号)(第一一一二号)(第  一一一三号)(第一一二八号)(第一一二九  号)(第一一四七号)(第一一四八号)(第一  一五五号)(第一一五六号)(第一一五七号)  (第一一七九号)(第一一八〇号)(第一一八  九号)(第一一九〇号)(第一二〇八号)(第  一二二九号)(第一二三五号)(第一二三六  号)(第一二六〇号)(第一三一八号)(第一  三一九号)(第一三二〇号)(第一三二一号)  (第一三二五号)(第一三二六号)(第一三二  七号)(第一三四五号)(第一三五〇号)(第  一三六九号)(第一三七〇号)(第一三九四  号)(第一四二二号)(第一四三四号)(第一  四五六号)(第一四五七号)(第一四五八号)  (第一四八四号)(第一五一三号)(第一五一  九号)(第一五五〇号)(第一五五一号)(第  一六三四号)(第一六三五号)(第一六九三  号)(第一八〇一号)(第一八〇二号)(第一  八一九号)(第一八二〇号)(第一八九四号)  (第一八九六号)(第一九二九号)(第一九四  四号)(第一九七一号)(第一九七二号)(第  一九八四号)(第一九八五号)(第一九八六  号)(第一九九八号)(第二〇一一号)(第二  〇五〇号)(第二〇五一号)(第二〇七〇号)  (第二〇七一号)(第二〇七二号)(第二〇八  七号)(第二〇九五号)(第二一〇一号)(第  二一〇八号)(第二一〇九号)(第二一四四  号)(第二一六八号)(第二一八〇号)(第二  一八一号)(第二二一八号)(第二二三三号)  (第二二三四号)(第二二四九号)(第二二六  二号)(第二二六三号)(第二二七九号)(第  二二八〇号)(第二二八一号)(第二二九〇  号)(第二四一八号)(第二六四三号)(第二  六四四号)(第二八八六号)(第三〇一六号) ○教育予算増額に関する請願(第五二九号)(第  六〇四号)(第六五六号)(第七四二号)(第  七七一号)(第七七二号)(第七七七号)(第  七七八号)(第七八〇号)(第八一三号)(第  八一四号)(第八一五号)(第八七二号)(第  八八一号)(第九〇五号)(第一〇二二号)  (第一二六八号)(第一二九八号)(第一三二  二号) ○公立高等学校学級編制教職員定数改善等  に関する請願(第五三八号) ○司書教諭即時発令及び学校司書制度法制化  に関する請願(第六〇六号)(第六〇七号)  (第六一二号)(第六一三号)(第六五七号)  (第六五八号)(第六六五号)(第六六六号)  (第六六七号)(第六七四号)(第七一六号)  (第七一九号)(第七三五号)(第七七〇号)  (第七八一号)(第八三〇号)(第八八四号)  (第一一二七号)(第一一四九号)(第一八九  九号)(第一九〇〇号)(第一九二三号)(第  一九二四号)(第一九二五号)(第一九二六  号)(第一九二七号)(第一九四五号)(第一  九八〇号)(第一九八一号)(第一九八二号)  (第二〇四六号) ○産業教育手当支給範囲拡大に関する請願(第六  七五号)(第七一七号)(第七八二号)(第八  〇一号)(第八四四号)(第一三二八号) ○幼児教育振興のため幼稚園教育義務制とする  の請願(第七一四号) ○義務教育における珠算教育強化に関する請願  (第七九六号) ○建国記念の日制定に関する請願(第七九九号)  (第八〇二号)(第八二四号)(第八三二号)  (第八四五号)(第八四八号)(第八九四号)  (第九四六号)(第九四七号)(第一〇〇一  号)(第一四四一号)(第一七七六号)(第二  一六五号)(第二五六二号)(第二八二七号) ○義務教育学校教職員定数確保のための義務  教育費国庫負担法実員実額制堅持に関する請願  (第八二一号) ○千葉加曽利貝塚保存に関する請願(第八三  一号)(第九七九号)(第九八八号)(第一〇  一三号)(第一〇二一号)(第一〇四四号)  (第一〇四五号)(第一〇四六号)(第一〇四  七号)(第一〇四八号)(第一一〇四号)(第  一一〇五号)(第一二三四号)(第一二六九  号)(第一二九九号)(第一三二三号)(第一  三二四号)(第一三七五号)(第一七一七号) ○国旗記念日制定に関する請願(第九〇三号) ○産炭地教育振興に関する請願(第九七五号)  (第一一三〇号)(第一一三一号) ○靖国神社の国家護持に関する請願(第一〇〇〇  号)(第一〇二三号)(第一三六八号)(第一  三九三号)(第一四四九号)(第一六〇一号)  (第一六〇八号)(第一六六一号)(第一七一  六号)(第一八一七号)(第一八一八号)(第  一八四五号)(第一八四六号)(第一八八七  号)(第一九二〇号)(第一九三一号)(第一  九三二号)(第一九四九号)(第一九五〇号)  (第一九五一号)(第一九五二号)(第一九五  三号)(第一九五四号)(第一九五五号)(第  一九七三号)(第一九七四号)(第一九七五  号)(第二〇五二号)(第二〇五三号)(第二  〇五四号)(第二〇五五号)(第二〇五六号)  (第二〇五七号)(第二〇五八号)(第二〇五  九号)(第二〇六〇号)(第二〇七三号)(第  二〇七四号)(第二〇七五号)(第二一二八  号)(第二二一六号)(第二二一七号)(第二  二五二号)(第二二五三号)(第二二五四号)  (第二二五五号)(第二二五六号)(第二二五  七号)(第二二五八号)(第二二五九号)(第  二二六〇号)(第二二七一号)(第二二七二  号)(第二二七三号)(第二二七四号)(第二  二七五号)(第二二七六号)(第二二七七号)  (第二三一〇号)(第二三一一号)(第二三一  八号)(第二三三二号)(第二三七〇号)(第  二三七一号)(第二三七二号)(第二四二〇  号)(第二四二一号)(第二四二二号)(第二  四四九号)(第二四五〇号)(第二四七六号)  (第二四九二号)(第二四九三号)(第二四九  四号)(第二五二九号)(第二五八三号)(第  二五八四号)(第二五九二号)(第二六七七  号)(第二六八三号)(第二七四一号)(第二  七四二号) ○国民祝日に関する法律の一部を改正する法律  案反対に関する請願(第一一三二号)(第一一  三三号)(第一一三四号)(第一一八五号)  (第一一八六号)(第一一八七号)(第一一八  八号)(第一二四六号)(第一二四七号)(第  一二四八号)(第一二四九号)(第一二七九  号)(第一三三八号)(第一三三九号)(第一  三四〇号)(第二七七七号)(第二七七八号)  (第二七八四号)(第二七九四号)(第二八六  〇号)(第二八九二号)(第二九一四号)(第  二九一五号)(第二九六二号)(第二九六三  号)(第二九六四号)(第二九六五号)(第二  九六六号)(第二九九五号)(第三〇一七号)  (第三〇七一号)(第三〇七二号)(第三一七  三号)(第三一七四号)(第三一七五号) ○ボーリングの健全発達施策に関する請願(第一  二〇六号) ○北海道教育委員会学区拡大、再編成計画とり  やめ等に関する請願(第一二〇七号) ○八月十五日を平和の日に制定するの請願(第一  二七七号)(第一六〇九号)(第一六一四号)  (第一八一六号)(第一九二八号)(第二〇四  五号)(第二四八九号) ○千葉県松戸市貝の花古代遺跡保存に関する請  願(第一三四二号)(第一三五九号)(第一三  七六号)(第一四〇九号)(第一八五一号) ○義務教育における毛筆習字必修に関する請願  (第一三七八号)(第一三九二号)(第一四二  一号)(第一四三三号)(第一五一八号)(第  一五四九号)(第一五七八号)(第一五九五  号)(第一六三二号)(第一六三三号)(第一  六六三号)(第一六六四号)(第一八四一号)  (第一八四二号)(第一八八八号)(第一八九  七号)(第一九〇二号)(第一九七六号)(第  一九八三号)(第一九九九号)(第二〇一五  号)(第二〇六九号)(第二一〇〇号)(第二  一一二号)(第二一二九号)(第二一八三号)  (第二二〇六号)(第二二〇七号)(第二二〇  八号)(第二二〇九号)(第二二一〇号)(第  二二一一号)(第二二一二号)(第二二一三  号)(第二二一四号)(第二二一五号)(第二  二三二号)(第二二四一号)(第二三一五号)  (第二三一六号)(第二三六九号)(第二四一  七号)(第二四九〇号)(第二四九一号)(第  二五六三号)(第二五八二号)(第二五九三  号)(第二六三六号)(第二六九八号)(第二  七三五号)(第二八一一号)(第二八七九号)  (第二八九一号)(第二八九六号) ○心臓病の子供の教育のため病、虚弱児学校、学  級増設に関する請願(第一四二八号)(第一九  四〇号)(第二〇四七号)(第二二二五号)  (第二三一四号) ○戦傷病者の子女の育英資金等に関する請願(第  一四九一号)(第一五〇六号)(第一五八六  号)(第一六一一号)(第一七〇一号)(第一  七〇二号)(第一七八四号)(第一七八五号)  (第一八三六号)(第一八六二号)(第一八六  三号)(第一九一一号)(第二〇二二号)(第  二〇三三号)(第二〇七八号)(第二三九七  号)(第二四六二号)(第二六六六号) ○私学振興助成措置に関する請願(第一五六〇  号) ○「(編物)」正課拡充振興に関する請願(第一  六〇二号)(第一六一五号)(第一六三六号)  (第一六三七号)(第一六三八号)(第一六三  九号)(第一六四〇号)(第一六四一号)(第  一六四二号)(第一六四三号)(第一六四四  号)(第一六四五号)(第一六四六号)(第一  六四七号)(第一六四八号)(第一六四九号)  (第一六五〇号)(第一六五一号)(第一六五  二号)(第一六五三号)(第一六五四号)(第  一六五五号)(第一六五六号)(第一六五七  号)(第一六五八号)(第一六五九号)(第一  六六〇号)(第一六六五号)(第一六六六号)  (第一六六七号)(第一六六八号)(第一六六  九号)(第一六七〇号)(第一六七一号)(第  一六七二号)(第一六七三号)(第一六七四  号)(第一六七五号)(第一六七六号)(第一  六七七号)(第一六七八号)(第一六七九号)  (第一六八〇号)(第一六八一号)へ第一六八  二号)(第一六八三号)(第一六八四号)(第  一六八五号)(第一六八六号)(第一六八七  号)(第一六八八号)(第一六八九号)(第一  六九〇号)(第一六九一号)(第一六  九二号)(第一七二二号)(第一七二三号)  (第一七二四号)(第一七二五号)(第一七二  六号)(第一七二七号)(第一七二八号)(第  一七二九号)(第一七三〇号)(第一七三一  号)(第一七三二号)(第一七三三号)(第一  七三四号)(第一七三五号)(第一七三六号)  (第一七三七号)(第一七三八号)(第一七三  九号)(第一七四〇号)(第一七四一号)(第  一七四二号)(第一七四三号)(第一七四四  号)(第一七四五号)(第一七四六号)(第一  七四七号)(第一七四八号)(第一七四九号)  (第一七五〇号)(第一七五一号)(第一七五  二号)(第一七五三号)(第一七五四号)(第  一七五五号)(第一七五六号)(第一七五七  号)(第一七五八号)(第一七五九号)(第一  七六〇号)(第一七六一号)(第一七六二号)  (第一七六三号)(第一七六四号)(第一七六  五号)(第一七六六号)(第一七六七号)(第  一七六八号)(第一七六九号)(第一七七〇  号)(第一七七一号)(第一七七二号)(第一  七七三号)(第一七七四号)(第一七七五号)  (第一八〇三号)(第一八〇四号)(第一八〇  五号)(第一八〇六号)(第一八〇七号)(第  一八〇八号)(第一八〇九号)(第一八二一  号)(第一八二二号)(第一八二三号)(第一  八二四号)(第一八二五号)(第一八二六号)  (第一八二七号)(第一八二八号)(第一八二  九号)(第一八三〇号)(第一八三一号)(第  一八三二号)(第一八三三号)(第一八三四  号)(第一八三五号)(第一八四七号)(第一  八四八号)(第一八四九号)(第一八五〇号)  (第一八八九号)(第一八九〇号)(第一八九  一号)(第一八九二号)(第一八九三号)(第  一九〇一号)(第一九一九号)(第一九三〇  号)(第一九四一号)(第一九四二号)(第一  九四三号)(第一九六八号)(第一九六九号)  (第一九七〇号)(第二〇〇〇号)(第二〇〇  一号)(第二〇一二号)(第二〇四八号)(第  二〇四九号)(第二〇八六号)(第二一一〇  号)(第二一一一号)(第二一一四号)(第二  一六九号)(第二一七〇号)(第二一七一号)  (第二一七二号)(第二一八二号)(第二一九  七号)(第二二一九号)(第二二三五号)(第  二二三九号)(第二二四〇号)(第二四一九  号)(第二四五一号)(第二四七五号)(第二  五二八号)(第二八八〇号) ○国立夜間(独立)大学設立に関する請願(第一  八〇〇号) ○国民祝日に関する法律の一部を改正する法律  案の一部修正に関する請願(第二〇一〇号)  (第二一四〇号)(第二一六六号) ○長野県に国立「青年の家」設置に関する請願  (第二一一九号)(第二一四三号) ○海の日を国民祝日制定するの請願(第二一  九八号)(第二二五〇号)(第二四五三号)  (第二四五四号)(第二四五五号)(第二四五  六号)(第二七三九号)(第二七四〇号) ○各種学校教育改善に関する請願(第二二三六  号)(第二二五一号)(第二二九一号)(第二  三三一号)(第二四五二号)(第二四七四号)  (第二七四三号)(第二九七一号) ○国内産牛乳による学校給食制度の法制化に関す  る請願(第二六一二号) ○重度肢体障害者の教育、福祉、更生施設に関す  る請願(第二六五八号)(第二六五九号)(第  二六六〇号)(第二六六一号)(第二九九四  号) ○肢体不自由養護学校における機能訓練担当者の  身分確立に関する請願(第二八八一号)(第二  八九三号)(第二九一二号)(第二九一三号)  (第三〇七四号) ○国立看護大学設置に関する請願(第二九二二  号) ○看護教員養成機関設置に関する請願(第二九二  三号) ○看護短期大学の教育年限に関する請願(第二九  二四号) ○中学校の音楽教育充実に関する請願(第二九三  八号) ○学校武道の履習要領改善に関する請願(第三〇  一八号)(第三〇一九号)(第三〇四一号)  (第三〇四二号)(第三一七六号) ○継続調査要求に関する件 ○委員派遣承認要求に関する件     —————————————
  2. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  国民祝日に関する法律の一部を改正する法律案を議題といたします。  前回に引き続き、これより質疑に入ります。  質疑のある方は、順次御発言を願います。  なお、政府側より安井総理府総務長官、高柳審議室長、小平労働大臣、村上労働基準局長が出席をいたしております。
  3. 鈴木力

    鈴木力君 労働大臣が時間の御都合があるそうですから、まず労働大臣に関係のあるほうからお伺いをいたしますが、この国民祝日に関する法律の中に、「祝日は、休日とする。」ということがうたわれております。この休日という意味を、国民の休日ということにとればいいのか、どういう意味に解釈をすればいいのか、先に総務長官にお伺いして、そのあと休日の扱いについて労働大臣にお伺いをしたいと思います。
  4. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) 休日と申しますと、それぞれの記念すべき日を記念いたしまして、そうして国民がその日一日は、全体として支障ない限り、仕事を休むという日を政府みずからこれはきめるわけであります。国民の意思でかってに休まれるというようなことでなくて、政府が、これはお休みくださいというふうにきめるものと解釈願えればいいと思います。
  5. 鈴木力

    鈴木力君 そこで労働大臣に率直にお伺いしますが、いま祝日が国会で論議をされているさなかに、いろいろな意見が出ておるわけなんですが、特に私どものほうにはいろいろな手紙がきたり、新聞に投書をされたりしておる。その中に、大筋として、祝日の本質は何かという問題は越えて、休日についての意見が非常に多い。それの第一の意見としては、休日はわれわれには関係のない話だという意見が一つある。つまり祝日が休日になるけれども、事実上休むことができないという国民の層は、これはせっかくのお祝いの日もわれわれには関係がないという言い方が一つあります。その多くの人たちは、たとえば新聞投書なんかにも出ておりますけれども、日給の人たちが多いと思います。その日給の人たちは、子供を例にとりますと、学校が休みになるけれども、そうして隣の月給のうちは、子供を連れてどこかに遊びに行くけれども、自分のうちだけは、学校が休みになっても自分の親は日給者のために休むことができないので、かえって悲しい思をしておる、これでは祝日にならぬという意見が相当強い。それからもう一つの意見は、やはり中小企業が、そういう形での働いている人たちからは休日を求められるけれども、しかし、やはり有給でない休日を与えても意味がないわけですから、だから有給の休日を与えるということが非常につらいという立場から、この休日についてはもっと政府が、事実上休日であるということを実施できるような、そういう中小企業に対する施策なり、まあ労働大臣には労働者に対する賃金の問題等を配慮してくれ、こういう意見があると思うんです。したがいまして、私はこれらの点についての労働省がいままで行なっておりますいろいろな施策なり、あるいは今後の構想なりについてお伺いいたしたいとこう思うわけです。
  6. 小平久雄

    ○国務大臣(小平久雄君) 国民祝日に関する法律の第三条におきまして「祝日は、休日とする。」と、こういうことがうたってあることは御指摘のとおりでございます。そこで、しからば、この休日にするというのはどういう意味かということにつきましては、先ほど総務長官から御答弁がございましたが、私どもの考えておりますことは、まあ国民がこぞって、あるいは祝い、あるいは感謝し、あるいは記念するために、国民祝日には国民がなるべく休むことが望ましいという国の意思を表明したものである、かように考えておるんでありまして、だからといって、それは決して休ませることを強制的に義務づけるというところまでは私は言っていないものだと、こう思います。そこで、まずこの日を休むことにするかどうかという問題、特に労働省の担当いたしております労働基準法の関係から申しますならば、先生御承知のとおり、基準法上は毎週一回または四週四日以上の休日を与えることを義務づけておるわけでございまして、この要件を満たします限りは、国民祝日に休ませないからといって、それは直ちに労働基準法違反だとは解せられない、こういう法的には解釈をとっておるわけでございます。しかしながら、昭和二十三年にこの国民祝日に関する法律が初めてできました際に、それに追っかけまして、二十三年の九月に労働基準局長の通達を発しまして、さき申しましたとおり、国民祝日というものは、国民がこぞって祝い、あるいは感謝し、または記念するために、国民がその日はなるべく休むことが望ましい、こういう趣旨でもあるから、労働者につきましても、祝日を休日とすることがやはり望ましい、そういう方針で関係方面に関係者を指導するようにと、こういう趣旨の実は通達を出しておるわけでございます。  そこで問題は、さらに第二段の問題といたしましては、先生が、ただいま国民のいろいろな声のあることを御質疑ございましたが、しからば休日についてこれを有給とするか無給とするかというわけでございます。もちろん、その際、月給者についてはそういう問題は起こらないと思いますが、日給者については、たとえ休日にいたしましても、それが有給か無給か、こういう問題が当然起きてくるわけでございます。元来、この祝日を休日とするかしないかということ、あるいは、さらに第二の問題である特に有給とするかしないかという問題、これらはもちろん原則的には労使間でこれがきめられるべき筋合いのものであるわけでございますが、しかし、私どもといたしましては、祝日そのものが、さっき申しましたように、国民がこぞって祝ったり記念したりと、こういった性格のものでございいますから、祝日を休日とした上に、さらに、たとえそれが日給者でありましてもこれを有給という取り扱いにいたしまして、ほんとうに国民がこぞって本来の祝日の趣旨に沿い得るようにすることがやはり望ましいと、私は積極的にさように考えておりますので、祝日を休日にすると同時に、またそれを有給にする、こういう方針で私はやはり関係者を啓発し、また指導したい、かように考えておるわけでございます。  実は、これらの問題について労働省で調べたことがあるのでありますが、若干、調査時点が古くて恐縮でございますが、三十九年の労働時間制度調査によってみますると、三十九年十月一日現在で調査事業所千百四十五事業所のうち、国民祝日全部を休日とする事業所は五百二中業所で四三・九%を占め、国民祝日の全部または一部を休日とする事業所は千百三十四事業所で九九%に相なっておったのでございます。さらに昭和三十八年、一年前でございますが、三十八年の労働時間制度調査によってみますというと、三十八年の十月一日現在において、国民祝日を休日とする定めのある事業所、これは休日と定めておるところでございます。千二百九十事業所のうち、その休日を有給とする事業所は六百三十八事業所、パーセンテージにしますと四九・五%、それから休日の一部を有給とする事業所は九十九事業所、パーセンテージにしますと七・七%ということになっております、したがいまして、この両者を合わせますと優に過半数のものが三十八年度におきましても休日であり、しかも有給の取り扱いをしておる、こういう結果であったわけでございます。これらの点から考えますならば、私はおそらく今日におきましてはもっと多数の事業所において祝日をあるいは休日とし、さらにその休日に対して給与を与えて有給にしておる、こういう結果に今日ではなっておるのじゃないか、これは推定でございますが、そう一応思われるわけでございます。いずれにいたしましても、さっき申しますとおり、私は国民祝日の趣旨にかんがみまして、休日にすることはもちろんのこと、さらに進んではこれを有給にするという方向において啓発あるいは指導を今後ともいたしてまいりたい、かように考えております。
  7. 鈴木力

    鈴木力君 いまの大臣のお話で、傾向としてはそういう方向に歩いている、このことはわかりました。そして、私どもも傾向としてはその方向に行っているということはほぼ了解はつくのであります。しかし、やはりどうしてもこの問題の焦点は、企業でいいますと最も小さいほうの企業、あるいは日給労働者が多く働いているようなそういう職種ですね。それから、地域的に見ますと、やはり都会地よりもむしろいなかに行きますと、そういういわゆる有給の休日になっていない例が非常に多いような傾向にあるように見られると思うのです。やはりはっきりしてもらいたいことは、いま大臣がおっしゃいましたように、休日であることはもう休日になっているわけですから、原則として有給の休日であるということを、これもやっぱり相当徹底をするような一つの方策がないと、せっかくのこの休日、まあ祝日が、何か仏ができるけれども魂が入らないというような結果が出てくるのじゃないか、こういう気持ちが非常に強いわけです。したがいまして、なお一般と具体的に行政指導なり何なりの手を講じてもらいたいということを御希望申し上げて労働大臣に対する御質問を終わりたいと思います。
  8. 瀬谷英行

    ○瀬谷英行君 祝日が休日であるという考え方は常識だと思うのですよ。祝日即休日即有給、これが一般の国民が抱いておる私は常識じゃないかと思いますね。だから、紀元節反対、賛成について世論調査をやってみたけれども、賛成がかなり多かったというのは、この紀元節がほんとうに日本の建国を記念する日である、こういう史実に基づいて賛成だ、こういう人は私はあまりいないと思うのですよ。そんなことを考えるのはよほど脳みそにカビがはえた連中であって、たいがいの人間は紀元節で休みになるからいいじゃないか、休みが一日多くなるからけっこうだ、こういうことで私は賛成しておると、こう思うのです。そこで、問題は祝日イコール休日ということになった場合に、いま鈴木先生からも質問がありましたけれども、そういうものはわれわれに関係ない、こういう企業なり労働者が出てくるというところに問題があると思うのですね。で、公務員とか、あるいは大企業とか、そういう場合は祝日イコール休日になる、骨休めができる。しかし、中小企業、あるいは零細企業、あるいは組織されない労働者、底辺の下積みの人々の中には、そういうものは全然無関係である、そんなこといったんじゃめしの食いあげになる、こういう人たちが出てくるおそれが今日ないとは断定できない。それらの人たちをどうやって救っていくか、あるいはそれらの人々に対しても、祝日の意義を考えて休養を与えるようにしたらどうかということが問題として一つあると思うのですね。そういう点について政府自体としても確固たる方針が、この祝日をふやすという祝日法と関連をしてどのように具体化されておるか、考えられておるかということを私ひとつ聞きたいと思う。
  9. 小平久雄

    ○国務大臣(小平久雄君) まあ直接的に今回の改正案からしますと、祝日が年間に三日ふえる、こういう案でございますから、一年のうちに、かりに日雇いの者で祝日を休日とした場合に無給であるといたしましても、一年間に三日分減る、こういうことですから、計算的には、私は収入減というものは、それだけを考えればそうたいした率にはならぬことは事実だと思いますが、しかし先生のお話のとおり、さきにも申しましたとおり、せっかくこの祝日というものをつくるわけですから、それがやはり国民がこぞって祝う気持ちになる、あるいは記念する気持ちになる、こういうことになることがこれは一番望ましいと思う。その裏打ちとして、やはりさきにも申しましたとおり、祝日はまあ仕事を休むし、また収入にも影響はないのだ、こういうことにすることが一番やはり望ましいと私はさように信じておるわけです。そこで、これもさきに申したのでありますが、最初に祝日法ができました際には、基準局長から、祝日は要するに一般民間の事業所においてもこれを休日とすることが望ましいということを通牒をしたわけですが、さらに私は一歩を進めて、祝日の休日というものはやはり有給にすることが望ましいと、こういう通牒を基準局長から発させたいとかように私思っておるのです。ただし、原則としましては、この問題はやはり労使間の問題でもございますから、これをいま直ちに法律をもつてこの休日にし、有給にしなければそれは法律違反であるというような、法的にこれをかちんときめるということはいかがなものであろうか。ですから、さきに申しますとおり、通牒等も新たに追加して出しまして、もっぱら啓蒙をし、指導をすると、行政的なそういう措置をとりたい、かようにまあ考えております。
  10. 瀬谷英行

    ○瀬谷英行君 それでは労働大臣の考え方としては、つまり祝日はイコール休日であり、またそれは有給である、そういうことが望ましい。企業の大小、職業のいかんにかかわらず、政府の指導する方向としてはそういう方針でいきたいと、こういうことがはっきりしたわけですね。そうなりますと、まあ現実にはなかなかいろんな問題があると思いますけれども、そうなりますと、今回のような祝日法の制定によって、休日が実質上うんとふえてきた。こういうふうになると新たな問題が一つできやせぬかと、こういう気がするわけです。つまり一月から十二月までの間に、祝祭日のたくさんあるところと何もないところとある。そうなるわけでしょう。片寄っているわけですよ。極端なところは飛び石連休なんてのが出てくる。ないところは飛び石にも何もまるきりない。こういうふうになってくるわけですね。そうなると、休日そのものが不均衡になってくる、各月に。こういう意見も聞いているわけですよ。八月と七月というのは、子供は夏休みがある。学生も夏休みがあるけれども、おとなのほうは何もない。だからこの夏にも一つぐらいあったっていいんじゃないか、こういう話も聞いたわけです。その考え方は、祝日、こういう日を祝って休みたいというんじゃなくて、休日を平均してもらいたいという考え方なんです。これは私は考えなければいかぬと思うんです、労働政策の面から考えてもですよ。そのためにはこれだけ祝日がふえて、事実上休みの日が多くなったという以上は、一月から十二月までの間に祝祭日を平均化をして、理屈なんてのはどうだってつけられるんですから、祝祭日を平均化して、均衡のとれた休みをとらせるような方法を新たに考えなければならぬという問題が出てきやせぬかと思うんです。その点はどうでしょうか。労働大臣にお伺いしたいと思います。
  11. 小平久雄

    ○国務大臣(小平久雄君) まあ労働政策と申しますか、行政と申しますか、そういう面からいえば、私は先生が御指摘のように、やはり休日が年間を通じて均衡のとれたようにあることがやはり望ましいと思います。しかし、またいかなる日を祝日にするかというこうことは、労働行政というよりも別個の立場でこれはきまるべき性質のものだろうと思いますので、いま申しますとおり、労働行政という、あるいは労働関係と申しますか、あるいは労働者の立場等、それだけから考えれば、確かに私は先生のおっしゃるとおりだと思いますが、まあ祝日をとういうところにどういう日を祝日とするかということは、まあおのずから別個の問題ではなかろうかと、かように考えるわけです。
  12. 瀬谷英行

    ○瀬谷英行君 労働政策の面からいうと、そういうふうに釣り合いがとれた休みが配置されるということが望ましいということはお認めになるわけですね、これは。これは私認めざるを得ないと思うのですよ、これは。で、そういう場合にですね、今度政府として、今度は安井長官にお伺いしたいのですが、こんなに休みがふえたわけです。ふえたんですからね。これは理屈はどういうふうにだってつけられるのですよ。これは老人の日だってね、スポーツの日だってですよ、九月でなきゃいけない、十月でなきゃいけないという理屈はないのだから。これは理屈はどうだってつけられるのだから、現実の問題としてこの休日の平均化ということを政府としてもこれは考えなきゃいかぬと思うのです。で、確かにこの飛び石連休というようなものは、作業の能率の点からいって、はたしていいか悪いか問題があると思うのですよ、これは。そういうのが仕事の能率を向上させるという面で、はたして妥当なものかどうか、そういうことを考えてみた場合には、やはり休日というものをもっと分散をさせて平均化するという必要を感じないかどうか。もしその必要を感じたならば、現実に合わして休日を配置をして、しかる後にそれにあとから理屈をつける、こういう方法のほうが私は合理的だと思うのですが、長官、政府の考え方としてはどうですか。
  13. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) まあ休日という日から見れば、大体年間を通して平均化されたほうが、より国民の生活にふさわしいじゃないかという御説は、私ごもっともだと思います。今後もまあそういう点についてはできるだけ配慮をしたほうがいいと思います。ただ、休日は祝祭日、祝日とからんでおる問題が非常に多い。あるいは必要な行事を記念するといったようなものが多い場合に、休日となるべき祝日、あるいは行事の記念日というものに根拠を求めるというようなことから、必ずしも総花式に割り振りのできないものもあろうかと思います。しかし、いまの瀬谷さんのお話は、まあ今度、国民生活全体でとにかく休日になるのだという現実を見る上からは傾聴に値いすると思いますので、私どもも今後はいろいろ検討してまいりたいと思っております。
  14. 鈴木力

    鈴木力君 そこで、安井総務長官にお伺いいたします。いま労働大臣にお伺いしても、問題はたとえば休日なら休日、まあ祝日ですわね。祝日が休日になっても、なかなか休日が国民にとけ込んでいかないという事情がある。これを、さりとて労働基準法もありますし、いまの労働制度の中では、これはまあ押しつけるということもむずかしい。行政的な指導でやる。それはまあ当然そういうことになると思うのであります。そこで、私は総務長官にお伺いしたいのは、この祝日という問題が、いま話がありましたように、制度をつくって押しつけても、これはやはり何年かたっても由民の祝日にはなかなかなっていかないという問題が出てくると思います。したがって、私はこの祝日というものを制定する以上は、これはまあ法律に、祝日ができるからそれを祝日にして制定をするという一面はあるわけでありますけれども、まあ一面からいいますと、ほんとうに国民が待っておった、あるいはほんとうにそのままに、かりにそれが法律にならぬでも、国民の生活の中にお祝いする日であり、休む日であるとしてとけ込んでいくものでなければほんとうの祝日ではないと、こういうふうに考えたわけです。過去のもので例をあげますと、かっては春季皇霊祭というお祭りの日がありました。祭日があったわけです。休みであります。ところが、その春季皇霊祭というこのお祭りの趣旨が、国民に受け取られておるのは春季皇霊祭で受け取られていなかったわけですね。彼岸ということであります。そういう春季皇霊祭の趣旨で生活にとけ込まずに、やはり春季皇霊祭ができる前からの彼岸という一つの国民の生活の習慣から生まれてきたものになってずっと伝わっておるわけなんです。こういう形のものを、まあ幸いにして春季皇霊祭と彼岸と日が一致しておるから春季皇霊祭が祭日になっておったけれども、日にちが違っておったら、全然それはそういうことにはならぬわけです。そういうような性格のものでありますから、この祝日ということを考えるためには、よほどそういう点を配慮しなければいけないと思っているわけです。どこがどうというわけではありませんけれども、まず、提案者である総務長官に、今回提案されておる祝日について、そういう形にとけ込んでいくという自信があるかということを最初に伺ったほうがいいのでありますけれども、あるいはそういう手だてをどう考えておるのか、基本的にそれをまずお伺いしたいと思います。
  15. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) いまお話のとおり、祝日あるいはそれにつながる休日というものが、国民の生活にとけ込んでいくという意義と結びついたほうが——つくべきものであるか、そうでない場合もあるのじゃないかという御指摘も、一面から必ずしも否定できなかろうと思う、現在、春季皇霊祭というのは御承知のとおり、春分の日ということで休みに長年なっておるわけであります。そういうような、何とはなしに、ひとつ休みにしようという日と、それから、あることを記念してお祝いをするという意味で休みにする、あるいはある一定の行事を目標に国民が休日にして、いろいろ行事をやろう、いろいろな休日の取り方もあろうと思います。そういう意味で、できるだけ私ども国民に一つの休日に対しては意義を持たせるということは大事なことではなかろうかと思いまして、二月十一日というものは法律面から一応消えておりますが、あとの九月十五日、あるいは十月十日という日は、それぞれ老人の日というのは老人福祉法によって老人福祉法の行事がいろいろ行なわれる日、あるいは十月十日はスポーツ振興法によって、十月の第一土曜日が、大体ほぼその近い日に当てられておったのみならず、一昨年のオリンピックを記念するというような意味もあって、十月十日にきめたというようなことで、私、今度の二つの祝日の割り振り等については、かなり国民の感情と言いますか、実態に即したものではないかと思っておるわけです。先ほどの瀬谷さんのお話の、少し七月とか八月に割り振ったほうがいいではないかというふうな意味のお気持ちはわからぬことではありませんが、今回はいまのような由緒といいますか、根拠もあるので、そういったようなことで実施をしたい。こういうふうに思います。
  16. 鈴木力

    鈴木力君 いまの御答弁で、二月十一日は消えておる一それで、このことには触れないで次の二つの問題が適切であるという御答弁をいただいたわけです。私もそう理解はいたします。ただ、建国の口というのは消えていないわけですから、具体的に何日ということは消えておりますけれども、そういう意味では、やはりこれがいま申し上げたような若干問題を感ずるのです。つまり二月十一日はいま消えておりますが、過去の紀元節があったころに確かに紀元節という祝日が存在をいたしました。官庁は紀元節を祝って休んだわけです。それから私どもは長年、教官をしておりましたから、学校も紀元節の訓話をして、そして休みました。しかし、これは学校が、あるいは官庁が休んだということはあったとしても……よろしゅうございますか。
  17. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) いいです、どうぞ。
  18. 鈴木力

    鈴木力君 官庁や学校が休んだということはあったとしても、紀元節をお祝いして、国民の生活にお祝いの日としてとけ込んだとは、どうしても私どもは考えられないわけです。これは過去の経験をいま振り返ってみて、そう感じておるわけなんです。それで、そういうことを総務長官が、やはり紀元節の経験者ですから、経験者の立場から、私が感じたようなことをお認めになるのかならないのか。まず、お伺いしたいと思います。
  19. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) ちょっと、まことに恐縮ですが……。
  20. 鈴木力

    鈴木力君 よろしいですかと言ったらば、いいですというから申し上げたのです。
  21. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) 聞いておったので、まことに恐縮ですが、もうちょっと一言だけ、大体わかるけれども、
  22. 鈴木力

    鈴木力君 もう一度申し上げますが、これはあとでお伺いするためにお伺いするのですけれども、これはまあ感じですが、私は過去の祝日のあり方について、紀元節という一つの祝日は過去にあったわけですから、その紀元節という祝日を役所なり学校なりはそれぞれの意呼づけをして、確かに休んだけれども、あるいはお祝いをいたしました、ところが、それがそういう形で紀元節の趣旨として国民の生活の中にお祝いとしてはとけ込んでいなかったと私はいま反省しているのです。いまわれわれのころの年配の者や、私が当時教えた人たちといまその話をいたしますと、紀元節で知っていることはまんじゅうもらったということぐらいしか知っていない。そうして、うちに帰れば、農家では非常に忙しいとき、あるいはあのころは東北ではうまや肥を雪の上に出す、そういう時期であります。直ちにまた労働に切りかえられていった。家庭では紀元節という理解のもとにお祝いしたということはほとんど私どもは聞いていないわけです。こういうことの一応反省の上に立って、私は建国記念の日ならば建国記念の日ということを考える場合には、相当重要な条件として考えなければならないのじゃないかと、こう考えるのですけれども、政府で討論なさった過程で、こういう問題について検討なさったのかなさらないのかをお伺いいたしたい、こういうことです。
  23. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) たいへん微妙で、一言のもとにずばりと言い切れないような御質問だと思います。二月十一日紀元節を国民はどう受け取っておるか、これは受け取り方もまちまちであったであろうと思いますし、それから時代によっても受け取り方が、そのときの政治的な、社会的な客観情勢によって受け取られ方、あるいは受け取らせ方といったようなものに差異が出ておったことも、これは昨日も文部省の山口調査官が話しましたように、時代的に非常に変わってきておる。こういうこともあったであろうと思います。また、祭日ができました初期におきましては、これは紀元節に限りませんが、なかなか国民にすぐにはなじまなかったといったような事情もあったようでございます。しかし、大体におきまして常識的に紀元節というものが、国の始まりをお祝いした日だというふうに、常識的にはやはりとられておったのじゃないかというふうに私どもは考えております。これがいま国民から非常に遊離していた感情でできる祝日であったり、あるいは曲がった意図のもとに、何かを強制するとか、指導するというような形にあらわれる祝日であっては今後もなるまいというふうに私どもは考えておるわけであります。
  24. 鈴木力

    鈴木力君 時代によって国民の受け取り方が異なる、このことはよくわかります、一般論として。しかし、これは過去の問題ですから、論議してもあるいは水かけ論になるかもしれないのですけれども、提案理由の説明にもありますように、紀元節というのは明治になってから始まって七十年といいますか、経てきたものですね。しかし、これは私は国民の生活になじんでいなかった。というのは、いま長官は、祝日ができたころはなかなかなじみにくいものであると言うけれども、私は七十年を経てなじまなかったということを感じ、つまり日本が、祝祭日が法制化されましたときに、過去において五節句というのはなくなっているわけです。しかし、その五節句は国民の中にきちっと生きておるわけです。なくなっても生きておる。ところが、この紀元節というのは、これは今日私は大部分の国民の中には生きていないと思うのです。これは学校、官庁がやっていないのは、制度上ないのですから。かつては制度上あったからやったので、いまは制度上ないからやっていない。これは制度の問題です。国民の生活の中にとけ込んでおったかということになりますと、たとえば村祭りもこれは民俗の伝承として伝わるところではありますけれども、いまの五節句について申し上げますと、五節句は法制上なくなっても国民の生活上には生きておった、これはなじんだと思うのです。しかし、紀元節という祝日は法制的になくなったとたんに国民の生活から消えてなくなっておる、だから、私は新しく建国の日をつくる場合に、いまないわけですから、いつという議論はできませんけれども、そういう反省の上に立ってつくらないと、またあとで後悔のほぞをかむことになりはしないか、こういう原則的な考え方を持っておるわけです。だから、その点についての検討をなさっているのかどうかということを伺ったわけです。
  25. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) 紀元節と申しますか、二月十一日を国民がどのように受け取っておったか、そういったものに対する検討を政府はあらかじめやってあの法律を出したのかという御質問でございますが、これは受け取り方、あるいはその人々の個性によってもいろいろ違うかと思いますが、やはり紀元節には十一日、あるいは名前を変えて建国記念の日、これはかなり国民の中には浸透しておるものじゃないかというふうに考えております。たとえば二十三年にあの祝日をきめます際、どういった日を祝日として望ましいかというアンケートをとりました際にも、第一が新年でこれは一月一日、九九・九%の人がまずこれをさした、その次が天皇誕生の日、その次に建国記念日、こういうものが出ておるわけでございます。そういったような当時の、終戦後の風潮からいたしましても、国民にはあの三大節というものの印象は相当強烈なものといいますか、強く印象づけられておったであろう、その後、数年を経て何回かにわたって祝日を選んだ際に、祝日についてのいろいろ世論調査をやりました際にも、これは数字を一々申し上げてもよろしゅうございますが、大体において過半数は二月十一日というものを、よいか悪いかの場合にはよいという調査の結果が出ておる次第でございます。そういうようなことから考えまして、それからもう一つは、昨日もいろいろ問題になりましたが、建国というものを科学的あるいは歴史学的にいつの日にきめるかという問題とは別にいたしまして、日本の国のあり様といったようなものを象徴的にきめるには、やはりこの日がいいのじゃないかというふうに、大かたの世論の結果は、それこれを判断いたしました結果、そういう原案を一応出しておった次第でございます。
  26. 鈴木力

    鈴木力君 その世論調査の話になりますと、またいろいろな調査の方法や、あるいは調査の対象の範囲等もありますから、もちろん無差別にやったといういい方もありますが、調査の主体の解釈のしかたもいろいろありますから、これはそういう調査もあれば、あるいは過半数が反対だという調査もありますから、そういうことには私はきょう触れて問題を申し上げているわけではない。ただ、かりに二月十一日がいいといういい方の中にも、こういう記念日があるとすればということであって、しかもその人たちには、かつてやった祝日の概念をもってすればということになっていると思うのです。私がいま問題にしているのは、ほんとうに国民祝日として質的に入り込むのか、入り込まないのかということを中心にいま考えておるわけであります。それが浸透しておったと思う、浸透していないと思う、こういうことの議論になりますと、これはまあ水かけ論になってしまうと思います。私はもし浸透しておったとすれば、そういう日がかりに法制的にないにしても、国民の生活の中には出てこなければならないはずだということを主張するのです。先ほど申し上げましたように、たとえば五節句というのは、これは法制上なくなっても、生活の中には切り離すことができないものにしみ込んでおる、こういうものと比べてみて、どうしてもこれは民族の祭典としてはなじんでいなかった、私はこういう考え方をもってお伺いをしたのであります。  もう一つだけお伺いをいたしますが、同じ観点なんですけれども、これは二月十一日がきまりましたからと言われればそれまでの話ですが、私は建国記念の日というものは何日ということにこだわらずに、建国記念の日というものに対する考え方の基礎としてもう一つ伺っておきたいのです。それは、国民になじむ、なじまないという水かけ論もありますけれども、たとえば、提案理由の説明の中に、二月十一日が生きておったころの話ですから、それは昔話だと言われると、私も昔話として伺いますが、「この日が明治初印以来七十余年にわたり祝日として国民に親しまれてきた伝統を尊重したからであります」、こういうことが提案理由には出されておったわけです。私はそのときに考えたのは、どうもこの法案の基礎が、今日の国民のどの層を対象にして政府は国民と考えているかという疑問を持ったわけです。明治初年以来、国民祝日として親しんできた、かりにそれを認めるとしても、現在の日本の人口の中に、そう祝日として親しんできた人口が、人が、国民が大体何%いるだろう、そういうことを政府は配慮なさったか、なさらないか、お伺いいたしたいと思います。
  27. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) これはいまの、終戦後あるいは終戦まぎわに生まれた方には、ほとんどなじみのなかった制度であるということは、私どももよく承知しております。でありまするから、そういう点で人口比率をどう求めるといったようなことで、格別調査いたしてはおりませんが、事実、明治初年、明治六年以来紀元節という日が終始国民の三大節の一つとして続いてきておるという伝統、戦争には負けましたが、民族そのものは滅びたわけではございません。そういったことで、民族自体のなじみも深いというふうに考えて、この日を当てたわけであります。
  28. 鈴木力

    鈴木力君 これも変な話を申し上げますが、終戦を境にしての人口数といってもたいしたことにはならないですが、少なくとも私は、紀元節がなくなった年、この年に小学校の低学年であった子供までは紀元節は経験がないと考える、小学校で一回か紀元節の儀式に参列をしたことがあるという粗度のものでありますから、それを大体満三十歳、一歳別に分けたものがありませんから、三十歳といたしますと、五千五百万をこえておるのです、その人口が。そういたしますと、日本の総人口が九千八百万ですから、九千八百万のうち五千五百万人は紀元節ということを生活の上では全然知らない、このことだけは認めなければならないと思う。そういたしますと、かりに建国の日を設定するという場合にも、現在の日本の国民がほんとうに討論をして、建国の日をどこに求めるかという場合には、やはり回顧趣味というとしかられるかもしれませんけれども、明治時代から生き長らえてきた、あるいは私くらいになると大正になるわけですが、大正の初期から大正の末期あたりまででありましょうが、そういう昔の経験の深い者たちのグループの人たちが対象になったような、そういう考え方で国民祝日を設定するという考えは、やはり私はどうも納得しきれないわけです。ですから、ほんとうにきめるとすると、かりに明治以来の伝統があったというようなことが言われるにしても、全く新しい観点から、どこがいいのかということに、私はそういう議論が基礎になって進んでいかなければならないものだと思う。ところが建国記念日という、建国記念の日という、あるいは記念日、記念の日いろいろな言い方になって記念の日になったと思うのですが、この記念の日が議論になりましてやっと今日は白紙になったと思う、長官の言明でなっておるわけであります。これまでの間は二月十一日がずっと固執されてきておるわけです。新しい観点で、そういう生活になじんでこなかった国民の層が何を求めておるかということについて配慮の対象になっていなかったような気がする。したがって、そういう国民がほんとうに、日本の国がかりに建国なら建国の日をお祝いするという場合に、そういう国民の立場に立った検討というものがどうしても忘れちゃならないのじゃないか、こういう考えを持っておるのですけれども、長官の御意見を伺いたいと思います。
  29. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) これはものの基本的なお考え方等によってもいろいろな判断がされると思います。それが今日まで議論を呼んだもとでもあろうと思いますが、私ども建国を記念をするという限りは、いにしえをしのぶ、いにしえの日本民族をしのぶということにこれはとれる、ある意味で過去を振り向くという形になることはやむを得まいと思っております。それから、なるほどこの半数ぐらいは紀元節を味わったことがない人ということから、七十五年の歴史云々はナンセンスだというお説も一理あると思いますが、私どもそれだけの理由じゃなくて、これも多少水かけ論になりますが、戦後、日本の民族のあり方、あるいは日本の民族の歴史というようなものに対する関心、あるいは反省、そういう意味のものが比較的少な過ぎた。何でもかんでも過去は全部ゼロでよろしいのだ、これからだけが未来なんだというふうな考え方が少し傾向として強過ぎやしまいか、私どもそういうことであってもはたしていかがであろうか、私どもはやはり過去のよかったこと、あるいはまた反省すべきものは、そこで、さい然と区別をつけなければならないが、過去の民族の歴史というようなものについては、やはり相当これはいろいろな角度から思いをはせるということも必要じゃないか、それやこれやの観点からいまの二月十一日というものを一応原案としてやるようにした。昨日これは白紙じゃないかというお尋ねがございまして、この法文の上から消えた、二月十一日という字が消えたということを白紙というように解釈されるなら、それもやむを得ないと言ったんですが、実は正直に申しますと、あとから事務当局からしかられまして、あれは白紙ということばは正しい言い方じゃないのだ、これは追って政令できめる日というただし書きがついておるのだから、文字どおり白紙というわけにはまいらぬのだ、これも一理屈と思いますので、そういう趣旨でいまの法律から二月十一日はきれいに消えておる、今日これだけは確かなことであろうと思うのでつけ加えておきます。
  30. 鈴木力

    鈴木力君 あとの問題は別としまして、私はいま長官のお答えの中に、これはちょっと困ると思うことがあるのです。それは国民がなじんできた、なじんでこない、これは見方もあると思うのです。それから戦後になって過去のものが何でも悪い、そういう風習はこれはやはり再検討しなければいけない。何でも悪いというのではこれじゃたいへんなんだ、このことも私も同感なんです。だから、反省するものもなければいけない、このことも同感なんです。しかし、そういうことが建国記念の日の設定の動機となって、つまり過去のことをいろいろとさかのぼって何でも悪いと言う風習を反省する材料として二月十一日を建国の日と持ってきた、こういう趣旨のお答えであるとすると、私はどうもこれはすなおには聞きとれなくなってくるわけであります。
  31. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) 過去の日が何でも悪いというようなものの考え方も一部にないじゃなかろうと思う。しかし、それをどうかするために二月十一日を復活してそれへぶっつけるといったような趣旨のものじゃございません。私どもはあくまで民族の起源、あるいは国家の起源といったようなものを象徴的に考えた場合に、まあいままでの世論調査でありまするとか、あるいはいままでの学者諸氏の相当な御所見、そういうようなものを見まして、歴史的な科学的な史実でこれが裏づけられておるものでもなかろう、むしろ象徴的な意味でこの日がいいんじゃないかというふうに考えたので、いま言われますように、その過去のものを振り切るとか、過去が悪いという批判に対抗するためにこれをわざわざ取り出してきた、そういうつもりはございません。
  32. 鈴木力

    鈴木力君 そこがはっきりしてもらえてだいぶ安心もしたんですが、実はさっきびっくりしたわけです。過去のものが悪いという風習がいけない、これを反省するにはこの法案が必要だと言われますと、これはたいへんなことであります。まあ、いまそれをお取り消し願いましたからそのところはわかりました。ただやはり、これは意見の相違になるかもしれませんが、どうしても私は建国記念の日を求めるという前提に立った場合に、いまの国民がどういう観点から建国の日を設定しようかという立場に立つべきだという考え方なんですね。したがって、建国の日をこの日にするということを、過去から続いてきたのでこの日にするということは、どうも私は狭過ぎるような気がする。かりにどの日にいこうとも、今日の国民の立場からそこへいかなければいけない、そうすると、今日の国民の中に、もちろんこのゼロ歳に意思があろうとは思いませんけれども、少なくとも、いま半数近くと総務長官申されましたけれども、九千八百万のうち五千五百万となりますと、これは半数近くではない数字なんです。どんなに見ても絶対過半数であります。この絶対過半数の人たちはそれこそほんとうの白紙にいるわけです。いろいろ思想上の問題はありますが、これはどういう人がどういう思想を持っているかという統計からいいますと、経験者の中にもいろいろなものがありますから、それを取り出しての議論なんで、そういうところから全く新しくこれは検討すべきものだ。そういう立場から、先ほど言われました白紙であるかないかの議論は、これは私は繰り返しません。少なくとも今日は二月十一日という日はない。このことはもうはっきり確認をされておるわけでありますから、したがって、政令にゆだねるなら政令にゆだねる立場として、そういうあり方を固執することなしに、いまの国民の過半数がそういう状態である、そういう全く新たな観点から考えていくべきものだ、こう考えておるわけなんであります。それを原案の提案の趣旨にこだわって、全く新たな方向にはいきませんと、こういうことになると、これはぐあいが悪いので、その点ははっきりしてもらいたいということを重ねてお伺いしたいわけです。
  33. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) これは政府提案の原案に対して、どういうつもりでやられたのかという御質問に対していままでのお答えをしたわけでありまして、これが衆議院で修正されまして二月十一日というものは削られて事実上は白紙と同様になる。しかし、これは政令できめるという形をとられたわけであります。そういうような意味からは、今後私どもこれを検討していただくために審議会を設ける、その審議会もできるだけ公明な第三者的な人を選ぶ、そうしてできるだけ忠実に世論の何を聞きたい、こういうふうに考えておりまして、いつまでも国会の御意思を無視したような行動を政府がとるつもりはございません。
  34. 鈴木力

    鈴木力君 軽く一言だけお伺いいたしますが、そういたしますと、私がいま申し上げた国民がなじんできたとか何とか、いろいろな議論があったにしても、やはり全く新しい立場から取り組む、こういうお答えに伺ってよろしいわけですね。
  35. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) 今度この建国記念の日をきめていただくには審議会の意見を尊重して、その意見を尊重した上で政府が政令できめるということでございまして、そのために、二月十一日のために何か特別な操作をやるとか、あるいは格別の方法を用いるといったようなことをやるつもりは毛頭ございません。ただ、本来それじゃおまえらは全然きれいさっぱり捨ててしまったのかと言われますと、観念上は、私どもは従来申し上げましたような考え方、これはいいものであると思っておった。しかし、国会できまった以上、きまったとおりを忠実に実施する、こういうつもりでございます。
  36. 瀬谷英行

    ○瀬谷英行君 きのうの話の繰り返しになるけれども、白紙に戻したというのはまた間違いだと、こういうことを言われたのですが、紀元節を削るというのは、一応消えてなくなるということだ。そうならば私は白紙ということで一向かまわない。だれが忠義だてをしてあれはけしからぬといって文句を言ったかしりませんが、そのくらいはっきりしたことはないんじゃないですか。白紙に戻すということは消えてなくなるということでしょう。そうなれば、すなおにあれは白紙に戻したのだ、審議会にゆだねるのだというふうに言ったっていいじゃないですか。何もこだわって、白紙に戻すときのう言ったけれども、そうじゃないのだ、灰色だぐらいな言い回しはこの際しないほうがいいのじゃないか。だから、私はこの点はもう一度はっきりあっさりと白紙としてもらいたいと思う。それから、いまあなたが一言われた国会の審議を尊重をして審議会にゆだねる、こういうふうに言われたわけです。国会の審議を尊重するということになると、きのうここへ並んだ参考人の意見というものも尊重しなければならぬということになるわけですね。きのう参考人にやってもらったけれども、昨日の参考人は、自民党、社会党、公明党がそれぞれ推薦しておるけれども、一人として神武天皇が三千六百何年前に即位をした日が二月十一日だということを立証した人はいないわけですよ。せいぜいずっと下がって聖徳太子のころ合いの話を持ち出しているのです。二千六百幾ら、いにしえの日本民族をしのぶということをさっき言われたけれども、三千六百何年前のことは、第一その当時暦があったかどうかわからない。だから一月一日に即位したということは確かめようがない。カレンダーがなかったのだから。そうすると、そんな昔のことをしのんで紀元節を制定すること自体が間違いだったんじゃないか。こういうことも言えると思うのです。だから、私はいまさらこまかいことはほじらないけれども、審議会に移すということになれば、当然、参考人の意見というものも尊重すると、こういうことで審議会に移行してもらう。したがって、これはこれから出てくる問題だけれども、付帯決議その他についても十分に尊重してもらう、こういう前提になると思うのですが、その点はだいじょうぶですか。
  37. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) まあ白紙ということばかいろいろ議論になりまして、私さっきも申し上げましたように、法律の案文から二月十一日が消えたという意味では、そこがブランクなので白紙ということは間違いないのでありますが、ただ白紙と一がいに言いますと、これは法律技術的な問題らしいのですが、そうなると何もきめなくてもいい 全然ブランクというふうにとられるのはいけないので、それは法律によって六カ月以内で政令できめる日、こういうふうにきめてあるのだから、いわゆる白紙ということばが厳密な法律上と申しますか、そういった解釈から言うと必ずしも穏当でない。そういう意思らしいので、これは消しはしたが、桃色か、灰色で残しておくとか、温存してどうこうするという趣旨で、白紙が、消えたとか消えないということを事務的に解釈しておるのでもないと私は思っておりますから、これはすなおにお受け取りいただけると思います。  それからもう一つは、昨日だいぶ論争になりました史実との関係の問題になります。これもいま二月十一日を一応戻して審議会の御意見を尊重するというたてまえでありますから、深く立ち入った議論はいたしたくないのでありますが、いままでわれわれが出しました中には、趣旨は、初めから史実でこれが立証されておるから正しいのだ、神武天皇が歴史学的に実存者で証明ができるから正しいのだというふうな意図とか、説明をしておるつもりは毛頭ないわけで、そういう点には、これは科学的に見れば、まあいわば民族の伝承、伝説、神話的な性格のものであることは私ども認めておる。しかし、神武天皇が実際なかったということに対する確証もこれはない。同時に、まあ当時、明治時代に、神武天皇の不在論を言われました那珂博士にいたしましても、三大節の一つとしての紀元節というものは、これはあってしかるべきものだ。自分は学問上の問題とこれは別だ。これはこの前も一回申したかもしれませんが、昭和になって早稲田大学の津田左右吉博士等にしましても、筆禍事件まで起こして懲役にまで科せられた、あの方が終戦後、やはり民族感情として見た場合には、自分は歴史学上はあの歴史を認めないが、民族感情としては二月十一日の紀元節をすべからく復活してもらいたいということを、本にも書いていらっしゃるようなことでありまして、私どもはこれはまあものの考え方はいろいろあろうと思います。でありますから、必ずしもいまはもう拘泥はいたしません。ただ、いままで出した理由ということを聞かれるならば、そういうような事情にあったということで、今後はいまおっしゃるとおり、この審議会等の運営、国会の決議でおきまりいただきましたことを、政府としては忠実に守っていこう、こういつもりでおります。
  38. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 田中一君から、委員外議員としての発言の許可を求められております。これを許可することに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  39. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 御異議ないと認めます。田中一君。
  40. 田中一

    委員以外の議員(田中一君) 貴重な時間をまことに恐縮です。いま提案されておる法建案に関連して、率直に私は国民大衆、非常に多くの国民大衆の代表として、一言、担当の安井君に伺いたいと思うのです。  それは何かと申しますと、政府は人事院規則によって休日をきめております。今回のこの祝日法も、これはむろん国民の受け取るのは、その日にはお祝いをしようが何をしようが、悲しもうが、少なくとも休日であるという観念に変わりございません。そこで、休日をきめて、独自できめているというものの低かに、はっきりと人事院規則できめている問題は、例年十二月二十八日から三十一日まで、一月一日から三日と、これだけをきめております、私はこのきめ方か、今回提案されておりますような法律として、国会の議決を経てきめられたものならば、これはまた一応の日本の労働者は、非常に過酷な労働強化をしいられておりますから、これはけっこうです。非常によいと思うのですが、何ら国民が知らないうちに、根拠がどこにあるか調べてみますと、これは明治六年一月七日に太政官布告第二号できめたものを踏襲しておるように見受けられるのでありますけれども、こういうことは少なくとも法律によって祝日をきめようという現在において、どういうふうにこれに対処しようとするか、はなはだふしぎなんです。これは御承知のように、十二月二十八日から三十一日までなんというものは、これは安井さんのように金持ちで高給を取っていらっしゃる過去の経歴をお持ちの方は別でありますが、われわれのように、何をしても年末になったら、すべて一切の年間の清算をしなければならぬという気持ちになります。また中小企業その他等も、金を集めたり払ったり、それはもう年間を通じて一番忙しい時期なんです。これを承知だから、銀行等も七時、八時までも例外な営業を続けておる。その中で、国家公務員、地方公務員等が、これは地方公務員は国家公務員が行なうから、実施するからそれに従ってということが人事院規則にございますから、これを踏襲してやっていると思います。何ら法的根拠なくして、これはむろん人事院という制度からくるところの一規則によって、これだけの時間を、国民の一番忙しい中をかってに行政庁の窓口を閉じてしまうというこの根拠をまず伺いたいと思うのです。これはもう私が申し上げるまでもございません。国民の全部がなぜ休むのか、休むしきたりであるから休むのだという程度にしか考えておりません。この点のひとつ見解をお示し願いたいと思います。
  41. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) これは先ほども鈴木さんから御質問がありまして、給与関係につきましてはできるだけこれは給与を支給するようなたてまえの指導をやるというふうなお話がございました。それからあの二月十一日といったような、ある意味で非常に旧正月の前後の忙しい日をなぜきめたかということにつきましては、いろいろ御議論もありましょうが、私どもはいままで述べてまいりましたような総合的な観点から、やはり建国を記念する日というふうな、象徴的に二月十一日が一番ふさわしいのではないかという総合的な結論を得たわけでございます。しかし、これはまあ国権の最高機関である国会、参議院でいまどうおきめになりますかは別でございますが、衆議院におきましては、これをひとつ審議会の審議にさらにゆだねて、そうしてその審議を尊重した上で政令で定めるようにという、法律上の一院側では決定をいただいたわけです。これに対しては、政府としてはそう衆議院の意思は尊重するたてまえである、こういうふうに思ってきております。また、参議院においてどういうふうにおきめいただきますか、その決定にはまた十分尊重をし、従わなければならない、こういうふうに考えているわけであります。もっとその二月十一日の根拠を示せということになりますならばいろいろ申し上げたいこともありますが、これは一応いま法律上からも削ってある問題でもございますので御答弁はその程度にさしていただきたいと思います。
  42. 田中一

    委員以外の議員(田中一君) あなた、安井さん、耳遠いのですか。
  43. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) いや、耳はいいです。
  44. 田中一

    委員以外の議員(田中一君) 私が何を言っているか、お聞きにならないですか。
  45. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) いや、聞いているつもりです。
  46. 田中一

    委員以外の議員(田中一君) 私は何も二月十一日を言っているのではありません。十二月二十八日から十二月三十一日まで、何の根拠があって国家公務員は休むかと聞いているのです。一月二日、三日ばどういう根拠があって休むかということを言っているのです。こういう質問をしている。もっと大きい声で言いましょうか、そっちへ行って。
  47. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) いや、大体わかりました。私が少し聞き違えて軽率いたしました点はお詫びいたします。どうも二月十一日がなかなか頭にこびりついているらしくてそういう答弁に相なった次第でございますが、いまの関係につきましては事務当局、政府委員から、事務的にいまの人事院の関係等について説明をさせたいと思います。
  48. 田中一

    委員以外の議員(田中一君) 私、事務的に伺うのじゃないのです。事務的のことはここにちゃんと持っておりますから、書いてありますから、私が事務的に安井さんにお教えしましよう。私が教えたほうがいいと思います。第十節、勤務時間及び休暇というところに、政府職員の勤務時間に関する総理庁令というのがございます。このうちの第一に、「政府職員の勤務時間は、休日を除き次の通りとし、日曜日は勤務を要しない日とする。月曜日から金曜日まで午前八時三十分から午後五時まで。但し、その間に三十分の休憩時間を置く。土曜日午前八時三十分から午後零時三十分まで。」というのがその根拠になっております。それから、休日給の支給される日という超過勤務等、これは昭和三十九年十二月十七日人事院規則九−四三というものに書いてあるのは、「人事院は、一般職の職員の給与に関する法律に基づき、休日給の支給される日に関し次の人事院規則を制定する。」「休日給の支給される日 給与法第十七条第二項の規則で定める日は、次の各号に定める日とする。一 十二月二十九日から同月三十一日までの日、一月二日及び同月三日 二 国の行事の行なわれる日で人事院が指定する日」と、こうなっておるのです。これが事務的な法的根拠です。  そこで、国民祝日法の制定というものは休めるのだという気持ちをみんな持っているわけであります。ところが、この日は国民の知らないうちにきめられているのです。これは人事院規則ですから、なかなかそういうことは、おまえたちは官報を見ないから知らないのだと言ってもこれは通りません。ほんとうにこの日は御承知のように一番忙がしい日なんです、社会におきましては忙しい日なんです。何の根拠でこの日が堂々と休まれるかという点は、公務員以外の国民全部が疑問に思っておるところなのであります。ことに民間にはいろいろな契約等、登記等の事務がございます。利害関係が非常に激しいのが年末でございます。金銭的な、あるいはあらゆる債権債務の清算をしなければならない時期でございます。あなた、それを知らないからそういうお感じだろうと思いますけれども、その中に行政官庁の窓口がこの日だけはストップするわけです。何にもならないでのす、したがって、社会に契約上のいろいろな問題でトラブルが起きていることはあなたがたは知らない。そこで、もしも祝日法を法律制定するという考えならば、これらの問題をどう処理するかという点を伺っておきたいのです。ことに当然、われわれ特別公務員でありますが、これはひまがございます。しかし、国家公務員、地方公務員等はやはり月給制で賃金をもらっていながら、休みの日に出た者にはもう一ぺんその上にプラスアルファの賃金をやるのだというきめ方をしているわけです。民間の国民はこの事実を知ったならばおそらく驚きます。しかし、これを国会で議決し、国民が承知するならいざ知らず、この点の根拠というものは、ことに規則等でこれを行なうということは、これは政治的な政府の責任でございます。これを国民に対してどうこたえるかという点のひとつ見解を伺いたいと思うのです。
  49. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) 世の中が一番忙しい最中の年末年始を、まあ年始は別といたしまして、年末を三日も休むということは非常識じゃないかという御所論、私ども必ずしもわからぬとは思いません。まあ、ただどっちかといいますと、長い伝統的にそういうふうに、役所向きがそうなっているという事実もございますから、そういった御議論につきましては、私どもよく今後も検討したいと思います。ただ、規則あるいは政令のようなものだけできめておるようじゃないようでございまして、その点のいままでの根拠等につきましては、一応、政府委員からも説明をさせたいと思います。
  50. 高柳忠夫

    政府委員(高柳忠夫君) 公務員の一般職の給与に関する法律というものがありまして、ただいまお話のありましたその法律の第十五条に、職員が、勤務しないときは、その勤務しないことにつき特に承認のあった場合を除く外、給与額を減額して支給する。いわゆる現行給与法がノーワーク・ノーペイの原則でなっておるわけでございますが、「その勤務しないことにつき特に承認のあった場合」はその給与を支給できることに給与法の十五条で規定されております。この十五条の運用といたしまして、人事院が昭和二十六年に、人事院の以前でございます給与実施本部のときに運用方針が出されまして、それを人事院規則で引き継いでおるわけでございますが、その運用といたしまして、一号から十五号まで特に承認を与えまして、この承認事項について、勤務しないときにも給与を与える、その十五番目に、お話の年末年始の休暇、十二月二十九日から翌年一月三日までの間ということが書いてございます。この十二月二十九日から一月三日までという根拠は、明治六年の太政官布告に、「自今休暇左ノ通被定候事」ということで根拠がございまして、それをこの給与法の及び一般職の職員の給与に関する法律の運用方針に引き継ぎまして、年末年始の休暇に、休暇ということは適当でございませんが、この日に休んでも給与は減額して支給することはない、こういうことになっております。
  51. 田中一

    委員以外の議員(田中一君) これは政府がきめたからこうなっております、こうなっておるから、これは間違いじゃございませんということなんです。憲法に国家公務員の身分上の規定がはっきり出ております、憲法上に。これは新憲法ですよ。われわれが称しておる平和憲法にはそれがはっきり出ております。国家公務員が、そういう国民が働いている日に休めるという根拠は何もございません。国民よりも国家公務員が優先するという規定は何もございません。少なくともわれわれは休暇というものは、働くよりも休みをもらったほうが喜びでございます。ところが国民の非常に忙しいとき、働いているときに、国家公務員だけが特定の日に休めるという根拠が憲法上どこにあるか、お示しを願いたい。憲法の上でどこにあるか、それで休みをもらうなら、これがかりにしあわせならば、国民より以上に国家公務員がしあわせになるという法律根拠が憲法上ございますか、どうか。われわれは太政官布告等の明治以前——これは明治です。明治六年の根拠法で今日の国家公務員の休日等の問題が論ぜられる、これに対しては国民全部の名において疑問を持つものなんです。なるほどあなたが言っているように、これは太政官布告第二号、明治六年一月七日に制定されたものでありますが、この根拠というものが、今日の憲法の上において認めるのだという基礎がどこにございますか。
  52. 高柳忠夫

    政府委員(高柳忠夫君) 先ほどは、特に承認のあった場合は現在十五あると申し上げまして、その十五番一日だけを御説明申し上げたのでございますが、国家公務員の場合に、一般の労働基準法等で認められているような休暇について、国家公務員法ではその規定を欠くような場合にも、この十五項目の中で措置しているのでございます。たとえば女子の生理休暇の問題、これはやはり日で「女子職員が請求した期間。」だけ、勤務しなくても、給与を支給することができる。またはいわゆる「分べん」、それから「生後満一年に達しない生児を育てる場合」にも、女子職員が「一日二回」勤務につかなくても給与を支給するとか、「忌引」とか選挙権の行使とか、いろいろあるわけでございまして、給与法に基づきまして現在の労働事情を勘案して、こういうふうな制度ができているものと考えております。
  53. 田中一

    委員以外の議員(田中一君) 地方公務員の場合にも、たとえば調べてみますと、長崎市では条例で、これは全部地方も自由です。全部が休む場合には休むことは自由になっております。しかし、広島市では原爆記念日——八月六日の日に、これは市民もそれから職員も全部休むことにきめております。それから長崎市では、八月九日は午後には全部休みをなしにして、全部、何というのですか、平和記念堂に集まって祈願をしようじゃないかというきめ方をしております。いま調査室長はおかしなことを言うのです。生理休暇等は国民全部、人間全部、これは小平労働大臣がいればわかりますけれども、全部これはやっております。特定に、国家公務員だけが国民生活をよそにして休むという根拠を伺っているのです。そういう権利が今日の憲法の上にあるかどうかということを伺っておる。それも太政官時代の思想、実例が残っているからそれをやるのだ、ちょうど二月十一日を紀元節という日にきめるのだという思想とちっとも変わりございません。だから、このいまの高柳君の言っているような根拠が、もしも政府並びに国家公務員の中において、これが主張し得る根拠があるならば明らかにしてほしいのです。しかし、私は公務員——国家公務員、地方公務員ともに、全労働者が休みをたくさんとれることには賛成でございます。それこそわれわれが常に主張しているように周四十時間、いわゆる土曜、日曜休むということも賛成でございます。しかしながら、それらは全国民が休む日がほんとうの休日でございます。その間に休みの日でも、郵便局の人とか、電車の人とか、交通機関の人とかいう方々は、全国民が休むために働かなければならぬという宿命的な立場にある人もいるわけでございます。その人たちには、これは当然な女結、月給以上にもっと加算して、給与を、超過勤務手当というものを支給するのは当然であります。しかしながら、十二月二十八日から三十一日まで、一月二日、三日というものを人事院規則できめられているということが何の根拠があるか、それが憲法に定められたる思想かどうか、また、憲法に定められたる、太政官時代のものをそのまま使えということをうたっているかどうか、ことに国民と国家公務員と比較した場合に、国家公務員のほうが国民に優先するものか、特権階級かという点を考えると、これは私は非常に疑問があると思う。したがって、この根拠を明らかにしていただきたい。事務的な根拠はあなたに聞く必要はございません。安井さんに伺いたいのです。
  54. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) 田中議員のお話、私も非常にお考えさせられるところがあると思います。ただ、一がいにこれが特権的な行為であるというふうに言い切れるかどうか。そのほか、公務員はほかの条件で縛られておるが、民間で働いている場合にはこういった条件で緩和されておるといったような場合もほかにもあろうかと思います。しかし、いずれにいたしましても、この長い習慣で、これはいままであまり議論にもならないできていたようなものでありますが、あらためてこの問題を提案されますと、確かに田中議員の言われるような御趣旨についても相当検討をする必要はあろうと思います。私ともも今後もう少し一これはただ急にいままでの慣習を変えてしまうということにつきましては相当な問題があろうと思いますが、そういった問題については今後もう少し検討させていただきたいと思います。
  55. 田中一

    委員以外の議員(田中一君) 地方でも条例で独自の特殊の休日をきめております。国も同じように独自の休日をきめることができるわけなんです。それが今日出ているところの祝日法の法律と同じでございます。何ら根拠もなく、各省ともに、たとえば建設記念とか、自治紀念日とかいうものは、おそらくそれらの方々は、大部分の者が全休しないまでも休暇をとっている。これは独自にきめてよろしいようになっております。ところが、この行政官庁の休日というものは、国民に直接関係があるわけなんですね。私は各省各庁がおのおのの記念日とか、あるいは催しもので、これは総理大臣だったか、だれだかの承認を受けると、それは休めるわけです。休日がきめられるわけです。しかしながら、国民がほんとうに忙しい、それをあえて休むという根拠がぼくにはわからないわけです。これは特権です。今日の国家公務員は国民の召使のはずでございます。それが国民生活、国民の社会秩序というものをこわしてまでも特権として休むことは、これは許されない問題であります。したがって、検討するなどというのではなくて、これに対する是非の問題は、長官、明らかにしてほしい、そうして積極的にこの問題と取り組むということの姿勢を出していただきたい。だから、私は休みをとってしまうというのじゃない。少なくとも、いま言うとおり、土曜、日曜、この二日を休むとか、あるいはもし一月の一日、二日、三日というものは国民全部が休むから、この際はひとつ一日、二日、三日というものを正月の休暇として全国民が休もうというようなきめ方をするか、もしもどうしてもこの二十九日から三十一日まで休まなければならぬというなら、法律で、今日出ておるところの祝日法と同じような法律でお出しなさい。登記所に参りましても、大体二十四日から二十五日ごろに一切の書類は引き受けないといって打ち切ります。それから月末になれば、勘定をしてもらいたいと思って飲みやのおかみさんが国家公務員を追っかけ回したっていませんよ。まあ安井さんは高級料理店に行かれると思うからそんなことはないと思うけれども、こういう点も考えると、こうした休み方というものは不合理きわまりないものではないか。特権意職です。ここにいる多くの新聞記者をごらんなさい、それこそたいへんな苦労です。こういう点について、もう少しあいまいじゃなくて、これはあなたよりも佐藤さんに伺おうと思った。そうしてこの祝日法の採決等に関連をして、この問題だけははっきり将来のめどをつけておいていただきたい。これは私はこの委員会の委員じゃございませんから、これは小林委員に申し上げておきますが、かりに祝日法の採決が行なわれる場合には、こうした国民の利害、国民の優位に立つものが休暇を余分にとっているというような、国家公務員、地方公務員に対するところの法の制定方、休日法の制定方を要求するものであります。それが十二月の二十九日から三十一日までがいいのか、一月の一日、二日、三日がいいのか、これはいまのあなた方が持とうという審議会にかけても一向差しつかえございません。少なくとも多くの国民の生活、社会秩序を守れるような形で国民全部が休むことが正しいんじゃないか。国民よりも少なくとも一日や二日休みが少なくたっていいじゃないかという気持ちもするわけです。この点についてひとつ安井長官のはっきりとした態度をきめられて、そうしてそれこそ、あなたは内閣の改造があってもきっと再任されると思いますから、もし再任できなければ、このことを強く後任者に伝えて善処していただきたい。ただし、申し上げておきますけれども、このために労働強化をしいられている、あらゆる権利を失っている、労働の諸権利を失っている、人間らしい権利がない国家公務員、地方公務員を、これ以上苦しめるようなことをしたくないのでございます。これは前提でございます。よりよき休暇もやりたいのであります。ただし、それは祝日法と同じように、法律によって国民の中に、国民に了承を得た上の行為とするようにしていただきたいと思うのです。これは決して、祝日法に関係がないんじゃございません。大いにあるのであります。休日法という法律制定をきめて、日曜日なり、あるいは土曜日なり休めるような方法を考えるのはどうか、具体的な前向きの答弁を願えれば、私これでまた別の委員会がございますから行きますが、もしいいかげんなことだと、時間をもらってもう少し申し上げたいと思いますので御了承願います。
  56. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) るるのお話につきまして、私も大いに考えなければならぬ点があるということは先ほども申し上げたわけでありまして、まあ法的な根拠、よりどころといったようなものにつきましては、いま政府委員からお話を申し上げましたとおりでありまするが、そういうものを超越して、もっと根本的に考えなきゃならぬ問題があるんじゃないかという御説には、私も、いや全然必要ないんだとは申せないわけであります。ただ、国民の長い慣習にもなっていることでありまして、終戦後も、社会党内閣のときにもこういう問題は別に議論にならなかったように思っており一まして、何とはなしに国民がその気になってしまっておるといったような惰性もあるし、あるいはまた従来のいわば一種の既得権的なものを、もし法律できめならよろしいということ、これもお説ごもっともですが、これは手続だけの問題になろうかと思います。その、いま言われまする精神論あるいは考え方の基本から申しますと、これは国民のといいますか、そういった公務員の一種の既得権的なものについての顧慮も必要であろうかと思います。そういう意味で、私、慎重にこれは検討させていただき、またいろいろ政府自身も考え方があればまた御相談をしたい、こういうふうに思います。
  57. 田中一

    委員以外の議員(田中一君) まあやってくれると思いますからこれでやめます。たいへん失礼いたしました。
  58. 瀬谷英行

    ○瀬谷英行君 鈴木さんの質問にちょっと関連しているんですがね、先ほど神武天皇が実在しない確証はないということを安井長官が言われたんでしょう。神武天皇が実在をしているという歴史的な確証はないということと同時に、神武天皇が実在しない確証はないということを言われるので、多少、神武天皇に未練を持っているなというふうに私も思ったんですがね。実在をしているという確証がなければ、実在をしない確証なんかありっこないと思う。これは歴史的な人物ではない、架空の人物である、まぼろしの人間像であるということになれば、それはそれとして神話に伝えられているものであって。歴史的にはこれは根拠がないんだというふうに、やっぱりあっさり断言してしまったほうが私はいいんじゃないか、こういう気がするわけですね。だからこの点を一つと、それから昨日、参考人が大ぜい来て話をしたんですが、きのうの参考人の話は、全部が全部と言っていいくらい、明治政府が制定をしたところの紀元節に基づく史実を信じている人がいなかったわけです。自民党推薦を含めてですよ。何とかいう小説家の参考人も、紀元節というのは明治六年以来七十年ほどの実績があるから、今度、建国記念日を制定するなら二月十一日にしたらいいじゃないか、こう言うだけであって、歴史的な事実について確証を持っているというわけじゃないということを言ったわけです。それから最後の歴史教育研究会でしたかのあの人も、だいぶ歴史的なことを言ったけれども、それでも神武天皇にはさかのぼらないで、さかのぼってもせいぜい聖徳太子か推古天皇あたりまでさかのぼって、それで二月十一日というのをどうやって二月十一日をひねり出すかと思っておりましたら、その辺でどっかからひねってきて、正月一日が二月十一日だからというのでくっつけたわけです。そうしてみると、神話、伝説は神話、伝説というふうにはっきりと割り切ってしまって、これからきめるとすれば、こういう神話、伝説といったような歴史的な確証のないものは、あらためて建国記念日の参考にはしないんだと、こういうふうにするのが妥当ではないか、こういう気がいたします。これは政府提案に関係をした問題でひとつお伺いしたいと思うんです。
  59. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) 何度も回しようなことを申し上げて恐縮なんですが、神武天皇の即位という歴史的な記述というものは、御承知のとおり日本書紀という奈良時代にできました。当時の学識経験者、学者によってつくられた書物に記載されてあるわけです。そうしてこれには年代順を追って、その時代のできごとが並べられてある。まあ、しかし、きのうもお話がありましたように、ほんとうにこれが実証されているのは、大体三世紀半か四世紀、応神天皇というのですか、仁徳天皇というのですか、何かそこいらあたりからは相当実証されておる。考古学的にも、あるいは歴史学的にも、そこから先に対しては、そういう科学的な立証の方法はない。しかし、そういったものが非常に古い奈良朝時代に、当時にさかのぼりて書かれた文献として残っておる。これは言い伝えもあり、あるいは文献的なものからたどったものもありましょうが、そういったような非常に貴重な日本書紀というもの、日本にまれな古代史を描いた書物がある。これに拮抗するような書物は、実はほかにはない、古事記は別の意味でございますが、それ以外にはないんだと、そういうような意味から、そういったような史実が立証はできない、しかし、それじゃそういったような事柄がはたしてなかったかどうか、全然荒唐無稽な事柄が全部書かれてしまったかどうかということに対する反証もこれはないし、確証もない。それじゃそれにかわるどういう時代があったのだという立証がない。そういう意味では、これは非常に史実的にはあやふやなものであることはあやふやなものであるけれども、それ自身が民族の感情、伝承というような意味から、根拠のないものでもないというふうに私どもは考えておるのであります。そこでもう一つは、いま申し上げますように、史実的に確かでない日をとっちゃいかぬかいいかという問題は、これはまあやはり考え方の相違にもよろうと思います。私どもは、だからあの日本書紀の史実がそのまま真実であるといったふうにこれを理解した上で、いわゆる神武天皇即位の日を二月十一日ときめて建国記念の日にしようという意味じゃないのでありまして、史実的にいま御指摘のような問題はあるが、史実的な問題というものとその他の要素、民族の伝承や、あるいは当時の古代国家のいわゆる学識経験者が、自分たちの未来に、先祖はかくもあったであろうかという願望を持って書いた、あのそういった伝承といいますか、書物、考え方自身は、やはり日本の民族あるいは建国の象徴的なものとして見るのにふさわしいじゃなかろうかと、そういうような趣旨でこれは取り上げたわけでありまして、そういった点は、しかし、いまの国会の御意思によって、もう一回白紙へ返して、もう一回審議会の検討に待つ、こういうお話になり、当院の決定に相なりますれば、私どもはすなおに、忠実にそういうふうに従おう、こういうふうに思っております。
  60. 瀬谷英行

    ○瀬谷英行君 最後の締めくくりのことばだけでいいですがね、その前の話はどうもだいぶ未練があるようだから。で、文部省の方にちょっと聞きたいのですが、きのうの小林さんの質問だったが、歴史的事実でないものを歴史的事実として教えるということは間違いだという意味の答弁をされておるわけです。そうしますと、この明治政府が制定をした紀元節——明治六年に紀元節を制定をした、それからその紀元節を説明をするための教育をやったわけですよ。われわれも小学校のころ教わった覚えがあるわけですが、そのときの教育というのは、全然、まあ神話をあたかも現実の話であるかのように小学生に教えた。金鵄勲章の話なんかもあるわけですがね。あんなことは科学的に考えてあり得べからざることであるというのは、今の子供の言うことなんです。当時は先生に教えられれば、ちょっとおかしいなと思っても、先生に向かっておかしいと言うとおこられるから言わなかった、こういうわけなんです。だから、明治政府が制定をしたということは、歴史的に、史実の点からいうとこれはもう創作である。明治になってからの創作である。それから神話そのものは、やはり紀元二千六百何年という昔の話は、これはもう想像にすぎない、こういうふうに認めざるを得ないのじゃないか、こういう気がするのですがね。それで、神武天皇に関する神話そのものが、いわばある程度後の代になっての想像であり、紀元節そのものはこれは明治になってからの創作であり、それに対する肉づけ教育もかなり脚色をされているものである、このように理解をしてよろしいかどうか、その点をお伺いしたい。
  61. 山口康助

    説明員(山口康助君) ただいまの御質問、二点あろうかと思いますが、第一点は、明治に紀元節を設けましてから、昭和二十年の八月十五日までの教育、その場合に、いわば政治的あるいは社会的な制約というものが非常にきびしかったこと、御指摘のとおりであります。したがいまして、尋常小学校の国史教科書、それは第二期、第三期、第四期通しましてそうでございますが、天照大神から始まって、日本書紀のいわゆる神代の巻の神話、伝説をそのまま史実として教科書に載せておったわけてあります。ですから、その場合に歴史学的な実証的なことで古代を述べずに、そのかわりに神話をもってそのまま歴史だというふうに、戦前の国定教科書は書いておったわけであります。その点は戦後になりまして、そういう神話を史実と全く混同してしまって、史実であるかのことく、天照大神から天孫降臨の神話、あるいは因幡の白兎の話などによって、日本の国家統一の事情を説明し、あの神話のとおりだというふうに教えた戦前の歴史教育は、非科学的だというふうに批判され 反省されましたことは、まことに正しいことであります。ところが、戦後の歴史教育、教科書にあらわれている戦後の歴史教育を見てまいりますと 戦前のそういう間違った、神話をもって史実と見る間違った見方を批判し、あるいは削除するあまり、今度は逆に、日本人の祖先が原始時代からどのような生活をしてきたか、——貝塚を掘ってみると、どんなものを食べ、どんなものを使っていたかがわかるとか、サルやターザンのような暮らしだったんだなとか、あるいは石器や縄文、弥生式土器のつくり方はどうであったかなどという、まあ、もっぱら考古学的な証拠にたけよった歴史、それが戦後数年の間、風靡したわけであります。歴史というものはおよそ人間を対象とするもの、人間の生活の歩みが歴史なんであります」およそ人間存在は単に物的な存在にとどまるものでなく、一方、きわめて精神的な存在でもあるという認識が根本的に大切だと思います。戦前、戦中の歴史教育が極端に精神主義的な——は唯心的であったのに対して、戦後は今度は逆に極端に唯物的、しかもそれを科学的と称する風潮が戦後十年続いたわけであります。そこで文部省は、歴史の見方として、もっと正しい豊かな、つまり物的な側面と精神的な側面の両方合わせた、まともな人間観に立って歴史を見ることが正しい歴史教育のあり方だし、また、そのように児童、生徒に教えなければならないというので、昨日も申しましたとおり、昭和三十三年改訂の現行指導要領から、神話というものを神話として、日本の古典に見えている神話というものをこの際取り扱うことも必要だというふうに入れてきたわけであります。それでありますから、ただいまの御質問のように、どういうふうに人間の歴史を見るかということが常に歴史学の、あるいは歴史教育の根本問題でありますけれども、それを踏まえて第二点の問題に入りますと、決して奈良時代や明治時代になりましてから、いわゆる建国神話が創作され、虚構として、つくりごととして創作されたのではありません。これは安井長官がお答えくださいましたように、元正天皇の養老四年、西暦七百二十年、八世紀、奈良時代の初めにできました日本書紀に、それ以前に語部が講習していた神話、伝承や帝紀、旧辞などの記録が集大成され、形をとどめたわけであります。神話は御承知のとおり確かにすべて事実を示すものではないというのが今日の学界の定説でございます。その中には若干の創作や想像も入っておりましょう。また、記録の不確かなところもありましょう。編さん者の希望や理想も入っておりましょう。しかしながら、それが八世紀の初期の段階ですべてでっち上げられたものではなくて、それ以前に、たとえば聖徳太子の時代に天皇記、国記が編さんされ、——これは蘇我氏か滅ぼされましたときにともに焼けまして今日残っておりませんけれども、そういう蘇我氏や物部氏や中臣氏のような当時の有力な氏族の間に伝えられておった帝紀、旧辞——帝紀と申しますのは歴代の天皇のお名前をずっと並べたものでございます。それから旧辞は古い伝え、古い物語、神話などを書きとめたもの、そういうものが日本書紀あるしは古事記の編さんのときに資料として使われ、それをまとめ上げるときに編さん者 叙述者としての考え方もそこには多分に入ったというのが公平な見方であります。ですから、すでに八世紀の初めにおいて、いまから千百年以上も昔において、それ以前に伝えられておった神話や伝承が古事記、日本書紀に集大成され、それが文献という形で今日まで伝えられているのであります。明治維新のときももちろん、その日本書紀、古事記に載っている神話、伝承を確認する形で使われたわけであります。したがいまして、幾ら戦前の国家主義的な教育体制の中でも、何かその国家目的に合うように、国の初まりのことをつくり上げたというふうに見ることは、見当違いのことであります。以上、先ほど御質問のありました点につきまして、二点、そのようにお答えすれば御了解いただけるかと思います。
  62. 瀬谷英行

    ○瀬谷英行君 日本書紀とか、あるいは古事記という記録は非常に古い記録であって貴重なものであるということは私も慰めていいと思うんです。認めていいが、それにしても千何百年も前の話ですね、これは。ところが明治六年に制定をされた紀元節と、その紀元節を説明をするための教育というものは、千何百年の前の話じゃなくて、二千六百年前の話になってくるわけですね。だから、それを二月十一日に神武天皇がどこそこでどうしたといったようなことを学校教育でもって教えたということは、これはもう間違いだった、このことは私は断言していいというふうに思います。それはいいですね。
  63. 山口康助

    説明員(山口康助君) けっこうです。
  64. 瀬谷英行

    ○瀬谷英行君 そうしますと、明治政府が制定したところの紀元節なるものは、伝統があるといってみても、二千六百年のうちの七十年の伝統です。しかも、この制定に関連をした説明は間違いであるということになるのですから、二月十一日は、少なくとも昔の紀元節に関する二月十一日というものはでたらめのうそっぱちであるということは今日はっきり言い得るわけです。そうですね、これは歴史的にそういうことになるわけですね。それから、しからばそれはそれとして、政府提案は戦前の紀元節をもう一度持ってくるのじゃないのだ、別の解釈でもって、とにかく七十年の歴史がある。あるものだから、いにしえの日本民族をじのぶという意味で二月十一日を建国の日にしよう、こういう根拠というものははなはだあいまいになってくるわけです。きのうの参考人の意見もいろいろありましたけれども、その点はどうも歴史的には確信がない。もし戦前の紀元節をなつかしむ、あれを昔の小学校で教えたとおり、そのまま信用するという考え方になりますと、これはとんでもないことであって、もうインチキ宗教と同じことになってしまう。うそ偽りをほんとうだと思い込ませることになる。これは何のことはない、馬のくそか何か持ってきて、これが御神体だから拝みなさいというのと同じことになってしまう。だから、そういうことはやってはならないということが言えるわけです。そうすると、今後の扱い方としては白紙に戻すという意味は、そういう意味で白紙に戻していいのじゃないかと思うのですが、ここでもってきめることではなくなって、あくまでも審議会のほうに譲ることになってしまったのですから、その審議会の人選等についても間違った教育、あるいはこの伝説というものをそのまま踏襲するような人物をそのまま人選に加えるというようなことをやっては、これはまた同じ間違いを繰り返すことになると思うので、そういう点は今後の、これも、また政府が直接扱うことであるかないか、どの程度まで介入することになるかわかりませんけれども、——相当慎重を期さなければならぬというふうに考えます。少なくとも白紙に戻したという考え方からするならば、やはりいままでのいきさつにこだわらずに、全然新しい角度でもって、この建国の記念日というものを制定をする、自民党の原案、社会党の原案、公明党の原案、それぞれとはずれたものが出てくるかもしれないけれども、そういうふうになるということもあり得るという意味で、なおかつその場合も結論を尊重するというふうに政府としてはこの際お約束できるのかどうか、その点をお伺いしたい。
  65. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) いまいろいろなお話がありまして、私は全部そのとおりだ、たとえばどこの馬のくそか何かわからぬものを持ってきて、これが御神体だから拝みなさいというような御趣旨には必ずしも私ども替成できませんが、審議会を設けてりっぱな良識によってこれを審議していただき、その結論を尊重する、この趣旨につきましてはお説のとおりにやるつもりでおります。
  66. 瀬谷英行

    ○瀬谷英行君 それでは今度また田中さんの先ほどの話とも関連をしてきますけれども、祝日イコール休日、しかも有給の休暇、こういう形になってくるということが考えられますけれども、祝日という以上は、いままでの常識では休日であるというふうになっておったのですけれども、いろいろないわく因縁を考えて祝日というものを制定して、しかも、それを休日にするということでどんどんふえてくることになると、整理統合しなければならぬ問題も私は出てくると思うのです。そうなった場合には休日と祝日というものを別個のものにする、祝日必ず休みじゃない、歴史的な背景なり事実がある日だけを祝日にする。休日というのは祝日とは別個に考えて、そしてもっと合理的、科学的に配置する。こういうことをやる必要が私は生まれてくるのじゃないか。現にその必要があるんじゃないかという気がするのです。そういう点について政府としてはどう考えるか。それから、政府がきめなくとも、国民がかってに——かってにと言うとおかしいのですか、長年の習慣でもって休むときがある。お盆であるとか、年末年始、正月であるとか、こういうのが、やはり休日として、今後国民の習慣を尊重して、休日としての扱いをするようにするのかどうか、たとえば商店なんかの場合はお盆には休みをとらせる。しかし、官庁は必ずしもお盆だからといって休みをとらせるというところはなかったような気がする。そういう点は、一体どういうふうにしていったらよろしいとお考えになるのか、この点についてお伺いしたい。
  67. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) 常識的に祝日イコール休日というふうな扱いはされておるが、必らずしも祝日と休日というものが合理的に結びつくものではない場合もあるんじゃないか。また、休日という限りは国民が休む日をより合理的に全体的な配分をすべき必要はないかというお尋ねだと思いますが、私どももそのお考えにはごもっともだと思います。大体、祝日というのは休日が伴うというふうに通念されておりますが、こういうあり方は、あるいはまた全体の合理性といったようなものにつきましては、今後もひとつそのような御趣旨をくみまして、検討してみたいと思っております。
  68. 小野明

    小野明君 きのう、いろいろ参考人から意見をお聞きした中で、私も一点質問しておったんですが、その際その一番向こうにおられた、海音寺さんですか、愛国心という問題で強調されたわけてあります。この点は私もいろいろ問題がある、意見の分かれるところではないか、このように考えておるわけであります。紀元節が明治初年に設定をされて、これにはこういった明治四年に廃藩置県が行なわれて、そうして明治政府としても、早急に近代国家としてのていさいを整えなければ、国論も統一しなければならないという一つの政治的な必要性から、こういったものが、紀元節というものが制定をされてまいったのであります。そういった時点において、一つの愛国心といったものが強調されたのでありますが、この愛国心というのも、もちろん時代によって変転をしてかわってこなければならないものであります。ところが、いろいろ文部省なり、あるいはきのうの海音寺さんのいろんなお話、証書を聞いてみますというと、どうも忠君愛国——われわれが愛国と聞いた場合には、必らず古い教育を受けておるものですから、上に忠君と、こういった愛国心を強調されているような気がしてならぬのであります。そこで、長官に、一体、国を愛する、あるいは愛国ということが、この建国記念の日の設定に伴って、いろいろ端々でうかがわれるのでありますが、どういった見解をお持ちであるのか、これをひとつお尋ねしてみたいと思います。
  69. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) 愛国心というものについてどういうふうに考えておるかというお尋ねであろうと思います。これは非常に深く大きな問題であろうと思います。私どもは端的に申し上げますならば、自分たちが住んでおる国、これを愛し、そうして、また自分たちの国の先祖から生い立ち、あるいは先人の文化というようなものをしのぶことによって、これからの平和的な民族のあり方というものを体脅し、さらに発展をさしていくためには、身分たちの周囲、民族を愛する、国を愛するということであろうと、このように考えております。
  70. 小野明

    小野明君 文部省、おられますかね、山口さんにお尋ねをしたいのですがね、昨日ちょっとお述べになりましたけれども、紀元節というものが、天皇政治、こういった中で設置をされて以来、忠君愛国、忠君と愛国ということで、きわめて愛国心を、そういった曲がった愛国心を鼓吹をされた事実を若干お述べになった。たとえば日露戦争の宣戦布告がこの紀元節の日に行なわれた。こういった事実、この紀元節制定以後、この二月十一日というものがどのように日本の侵略戦争あるいはこの三十数年にわたるそういった戦前の日本を形づくるために悪用されてきたか、この点を再度お述べを願いたい。
  71. 山口康助

    説明員(山口康助君) お答えいたします。明治の政府が近代国家の出発にあたりましてとりました諸政策、いろいろございますけれども、そのときの時代環境を頭に思い浮べていただきますと、十九世紀の欧米列強の東洋進出、帝国主義的殖民地獲得競争という非常にきびしい国際環境のまっただ中に日本は置かれたわけであります。そうした国際環境の中で、日本の自主独立を確保していくためには、迫りくるそういう外圧に抗して、一刻も早く国家の独立保全の道、政策を講じなければならなかったという点が一点、もう一つは、内に国内を見ますと、長年の幕藩体制の中で、日本がヨーロッパに比べて、まだ二百六十年もの各藩に分かれておりまして、しっかりした近代統一国家としての力を発揮するような体制になっておらない。これを早く統一国家に、そうして近代的な国民国家に仕立て上げなければならないという内側の要請があったわけであります。それが先ほどお述べになりましたような大政奉還から王政復古、版籍奉還、廃藩置県へと、諸政策が矢つぎばやに国内改革として進んだわけであります。そのときに紀元節が、神武創業の昔に返り、近代国家統一への核心として、精神的なバックボーンと申し上げたらよろしいと思いますが、神武天皇創業の、国家建設のあの努力、あの理想というものを明治政府は精神的に受け継いだわけであります。そういう意味で紀元節は、昨日も申し述べましたように、日本のナショナリズムの中核的役割を果たしたわけであります。日露戦争の宣戦布告や日清戦争威海衛海戦の陥落発表とか、そういういわば軍事上の行事が紀元節、二月十一日を期して行われたことは御指摘のとおりであります。また、片やきのうも申し上げ美したように、自由や平和の運動拡大の決意や示威行動がこの日を期して行われたことも事実として数多く存在いたします。したがいまして、およそそういう国家意思の決定とか、あるいは国民的な大行事などを行なうに当たって、由緒ある日が選ばれるのは、諸外国にも共通に見られる歴史的事実でありまして、わが国にのみ特有のことではございません。たとえばアメリカあたりでも七月四日の独立記念日というのはたいへん由緒ある日でありますから、この七月四日にかけて一八一七年のエリー運河の開通式だとか、その他もろもろの記念行事や国家意思決定が七月四日という由緒ある日に行なわれているわけであります。  ところで、明治政府が紀元節をつくりました明治初年と今日では国際環境や時代条件がまるきり違うわけですから、したがって、国の諸政策あるいは国是も当然違うわけであります。明治初年には富国強兵、文明開化、殖産興業という政策によって、十九世紀以降の世界的な帝国主義時代の中でわが国の独立を保全しようとしたわけでありましょうし、戦後の日本は、民主主義と平和主義を基礎として、国際協調の精神で日本の独立を確保していこうとしているわけでありますから、時代環境が違い、国際環境が違えば、当然、諸政策は異なってくるはずであります。ただし、その場合でも、明治の、いまから九十年、百年前のわれわれの先輩たちが、そういうきびしい国際環境の中で日本の独立保金を達成しようとした一つの気概と申しましょうか、自主独立の気持ちというものは、今日でもわれわれは大いに学ばなければならない。そして諸政策は今日の国際環境、時代条件に合ったものが出されていくというのが歴史の実相だと思います。その意味ではかつての紀元節の根本的な精神が今日に復活しようとしている、受け継がれて一向に時代錯誤ではない、むしろ受け継がれるべきだと考えているのであります。
  72. 小野明

    小野明君 どうもきのうのようにはっきり悪用された事例をあなたのほうで言わないので非常にこう残念なんですけれども、安井長官にもう一度お尋ねしたいのですけれども、この建国記念の日を設定するには、明治政府には明治政府のいま言われたような内外情勢があったわけです。で、私も、今度あなたのほうで、政府のほうで建国記念の日を設定するにあたっては、やはり何らかのそういった政治的な意図がおありになると考えざるを得ないのであります。で、そのことは、この建国記念の日あるいは国民祝日法の提案理由を見ますと、国民の間に現行の祝日のほかに幾つか祝日にふさわしい日を加えたいという要望がある、こういったこと、並びに明治初年以来七十年にわたって親しまれてきたと、むしろこれは政治的に親しまされてきた、しかし、鈴木さんの言うように、国民生活になじんでいなかったと私は考えるのですが、こういう実績を持っているにもかかわらず、建国記念の日を設定しようとするこういった理由が、国の内外の事情から考えて何かあるように思うのですが、その辺を率直にひとつ一こう言っても言いはせぬかもしれませんが、率直にひとつお述べを願いたいと思う。
  73. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) まあこの政治的という意味がどういうふうな意味でありますか、政治的ということばも非常に広いと思いますので、そういう意味から、これが政治的に全然関係がないというふうに言い切れない面もあろうかと思います。もし言われるような意味で何かこれを特定の意図のもとに、たとえば復古主義のために、あるいは王政復古のために、あるいは軍国主義復活のために、そういう意味の政治的意図をもってやっておるのじゃなかろうかというお考えでありましたならば、私どもはこれはきっぱりと否定をいたします。そういうつもりは毛頭ございません。まあ文部省の山口君からも説明がありましたように、昨日も申し上げましたように、たとえば明治の末期におきまして日清、日露の記念すべき日にこの二月十一日が当てられておったというようなことも、これは事実としてございます。私はこれはしかし、どこの国を見ましても、紀元節といったような日にそういった国の一大重大事を発表するという慣習は当然あってもいいというふうに考えております。問題はやはり昭和十年以降の戦争にあの紀元節がいわば悪用されたと申しますか、乱用されたのです。これが非常に私ども憂慮されるところであり、また皆さん方も御心配になるゆえんじゃなかろうかと思うわけであります。私はその点につきましては、これは当時の政治が悪かったのであって、紀元節そのものが悪かったのじゃないというふうに確信をいたしておるわけであります。と申しますのは、これも昨日御説明ありましたように、あの大正の末期から昭和にかけましては、二月十一日という日が非常に進歩的な日のシンボルとして使われておる例もたくさんあるのであります。あの護憲三派の戦い、あるいは国民大会、あるいは普選獲得運動の国民大会、また治安維持法の反対国民大会、こういったような日に二月十一日が使われている例もたくさんあるわけでありまして、これが戦争に突入いたしましてから、一つの戦争目的のために必要以上に乱用された、ある意味では悪用された、こういう事実は私はあると思うのであります。これからの日本の政治は、そういったようなものは断じて起こさないというつもりで、少なくとも私どもは民主的な意味で、いい日本の歴史なり民族の生い立ちというものをしのぶ日というのには、やはり二月十一日が非常に適切じゃないかというふうに考えておったわけでございます。そういったような意味で、いま御指摘されるような悪用する意味の政治的な意図は毛頭持っていないということを申し上げたいと思います。
  74. 小野明

    小野明君 最初の質問に立ち返ってみたいと思うのですが、どうも紀元節に親しまれてきた七十余年というのは、愛国心という問題では忠君愛国ということばが必ずひっついておるわけなんです。だから、鈴木さんの言う調査によりますと、五千五百万は三十代未満、それから九千八百万までの差がそういった教育を受けてきておる。それは今日またこういった建国記念の日を設定されることによって再び昔の天皇政治のもとの忠君愛国、こういったものに返っていく危険性がたくさんあるわけですね。ところが、いま新憲法のもとで主権在民、国際的にも平和憲法のもとで平和を、あるいは民主主義を、基本的人権を基調にする政治になっておる。こういったことから考え、愛国心というものも当然主権在民という立場から考えなければならぬと思うのですね。そういったことから忠君愛国、このつけたことばを払拭するために、あるいは払拭するお考えがあるのかどうか、この辺をひとつ再度お尋ねをしたい。
  75. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) まあ忠君愛国ということばも、これもいろいろな解釈のしかたがあろうと思いますが、君に忠義をするためにという名目のもとにすべての国民が曲がった方向で犠牲になるというような意味の忠君愛国であるならば、これは断じて排撃をしていかなければなるまいと思います。明治時代にできた紀元節ということでございますが、その全体の根拠につきましては、もういままでるる申し上げたとおりでございまして、私どもはこれはあくまで象徴的なものとして今後も扱っていきたいというふうに考え、戦争等へ悪用されるというようなことの絶対にないように考えるべきものだと思うのであります。まあこれも昨日冒頭に申し上げましたので、たいへん恐縮になりますが、新憲法のもとにおきましても、天皇は日本国民の統合の象徴である、またそれは世襲制度であるということで、しかもこれは全国民がこれを認めておるということが明らかに新憲法にも書いてあるわけであります。そういう意味から、私どもは象徴天皇というものの存在をある意味で存在として尊敬をするということも、これは当然あってしかるべきものであろう、そういう世継ぎ制度による天皇の御先祖と言われておる神武天皇即位の日というものは、いわゆる歴史学的に根拠が必ずしもないというようなことでございまするが、そういう象徴的な意味ではその日をとるのがよかろうということで、これは新憲法の精神にも決してもとっておるものじゃないという確信をいままで抱いて出したわけでございます。しかし、これは再度申しますように、国会の御意思どおりに今後は従います。
  76. 小野明

    小野明君 どうも質問したこととほかのことを答えるので何ですが、君のために犠牲になる忠君愛国と、そのほかの忠君愛国というものがあるように感じられてならぬわけですね。新しい意味の愛国心とは一体何なのか。天皇のことは憲法で明らかに書いてあるのですから、お尋ねをしなくともわかるわけだ、どうも君のために命を捧げるのではない忠君愛国というのがあるような気がして、民主的な忠君愛国があるようなお話なんで、どうもふに落ちない。その辺を再度お尋ねしたい。
  77. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) それは、いま最初申し上げましたように、愛国というのは、自分の住んでいる土地、あるいは環境、領土を愛して、そうしてまた先人のいろんななし遂げられた文化遺産をしのび、そうしてまたわれわれのあるべき姿というものを考えながらこれからの民族の飛躍をやっていく、そのためにそういういう自分たちの民族を愛するということが、これは国を愛するもとであろう。これにはいろいろ哲学的な説明もあろうかと思いますが、私どもはすなおに言ってそういうふうに考えておるわけでありまして、君のためにというか、天皇のためにただ命を捧げるといったような、かつて軍国主義、あるいは復古主義時代に使われておったような意味の忠君愛国というものじゃない、いま申し上げましたような愛国というものは、これはやはりどういう時代であろうとも必要であろう、こういうふうに思っておる次第であります。
  78. 小林武

    小林武君 関連して。きのうあたりからいろいろ議論が続けられてきて、いまごろになってからそういうことを言うのは、たいへんどうもぐあいが悪い。忠君愛国というのは二つあるのですか。小野君はそれを聞いているのですよ。戦前の忠君愛国と、それから戦後の忠君愛国というのがあるならあるとはっきりそう言ってもらいたい。
  79. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) 何度も御説明しておるつもりですが、愛国には、昔言う忠君愛国という思想が伴うような気がするが、どうなんだと言われまするから、私どもは愛国というものは、そういうものと切り離していまのように、領土を愛し、民族を愛し、先人の文化をしのぶ、そうして民族の発展を願う、これが愛国であるというふうに私どもは考えておるわるわけであります。
  80. 小林武

    小林武君 重大な問題だ、忠君愛国ということばは二つでない。安井さんは戦前の教育勅語のもとにおける教育を受けているから、これを知らないはずがない。実は大臣になるくらいの方だから、特に忠君愛国の思想に徹底された方だと思うけれども、その忠君愛国ということと、いまの忠君愛国ということが別々に存在するというような、そりことをやっぱり明らかにしなければならない。忠君愛国と害われるというと、あなたのほうは愛国のことを話して忠君愛国と同じようなことのように言ったり、あるいは違うというようなことを言ったりする。これはぼくは重大な問題だと思うのです。だから、あなたがいま言う忠君愛国というものがあるのかないのか、忠君愛国というものはないですよ。だれが一体そんなことをつくりましたか。忠君愛国というそのものの考え方、日本の最高の道徳だと言われた忠君愛国は戦後にはすでになくなっている、そういうたてまえをとらなければ、日本国憲法というものは存在しないことになる。もしあなたのおっしゃるように、戦後の忠君愛国ということがあるならばあるとはっきり言ってもらいたい。そういうことならまた話は別だ。
  81. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) 戦後新しい憲法のもとに忠君愛国ということばを振り回しておる政府はなかったと思っております。そうでなくて、愛国ということには、昔言う忠君愛国という観念がこびりつくじゃないかと言われるので、そういう意味の忠君愛国じゃなくて愛国でございます、その愛国という意味はこういうものとわれわれは心得ておると申し上げておるのでありまして、忠君愛国の何か新版ができましてそれを振り回そうというような、あるいはそれをわざわざ説明をつけようというようなつもりは毛頭ございません。
  82. 小林武

    小林武君 了解します。     —————————————
  83. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) この際、産業教育手当法案を議題といたします。  本法案につきましては、すでに提案理由の説明を聴取いたしておりますので、これより質疑に入ります。  質疑のあるお方は順次御発言を願います。  なお、発議小林武君が出席をいたしております。
  84. 中村喜四郎

    中村喜四郎君 産業教育手当法案発議者である小林さん、秋山さん、あるいは千葉さんという方は教育の経験もある力であり、また教育組織の中におきまして、現場のいろいろの苦しい矛盾、撞着も存じ上げている方でありまして、   〔委員長退席、理事久保勘一君着席〕 本法案を出された趣旨も私どもとしてはよく了承できる次第でございますが、ごく簡単に二、三の点について発議者の小林さんにお尋ねいたしたいと存じます。  今回提案されました産業教育を実施している高等学校の全体の教員に対して産業教育手当てを支給しろ、こういうふうな手当ての支給の範囲を拡大し、さらに、いままで農業、水産、あるいは商船、こういった学校だけであったものを商業科あるいは家庭科等にまで拡大しよう、さらには盲聾学校等において産業教育をやっているところに対してもこれを拡大しよう、こういう趣旨はよくわかるところでございますが、しかしながら、現行法が制定された当時の提案理由を振りかえってみますと、最初は農業とか、あるいは水産の課程を置くところの高等学校を対象としまして、植物の栽培とか、動物の飼育とかを担当する先生方は責任が非常に重い、こういう責任の重要性にかんがみまして手当を支給するというのがそのおもな理由であったと思います。さらに続いて、これが工業とか、電波、商船関係の実習指導を担当する者、あるいは安全管理、こういった面を担当する者、こういう者にこの手当がさらに拡大されたわけでございますけれども、この当初の趣旨と今度の提案された趣旨とは相当距離があると思われるが、この点につきまして発議者の御意見を拝聴したいと思うのでございます。
  85. 小林武

    小林武君 ただいまの御質問はごもっともな質問だと思うのであります。この法律制定されました当時はきわめて狭い範囲のものであったことはただいま質問者が申されたとおりであります。しかし、その当時にわれわれが考えましたことは、この範囲のものでやれば必ず範囲の拡大というようなものが行なわれるだろう。まあ動物の飼育とか何とかに関係のある方々がやられるということになると、他の工業とか、機械とか、そういうものを扱って、そうしてそれを生徒諸君に教えるということになれば、この責任もまた重い、さらに工業からだんだん進歩して電波というような新しい分野にも広がっていく、商船もこれもなかなか重大な責任のある仕事だというようなぐあいに広がっていくんじゃないか、だからこの法律による手当の当て方というものは相当考慮を要するということをわれわれ主張したわけであります。そういう当初からの心配が図に当たったというと、はなはだ悪いんですけれども、だんだん拡大されていったことは事実であります。ただしかし、あなたの御質問の中にございましたけれども、たった一つ満たされないままにしてあるのは盲聾学校教員の諸君なんです。これは全くこの盲聾の学校にいて、そこで産業教育に従事しておって、目が見えないとか、身体に障害があるとかということで、非常に困難な教育に当たっていても、これだけは除外されているというようなことから、このことが法律に盛られておりますが、   〔理事久保勘一君退席、委員長着席〕 さらにだんだん拡大されていったということでありますが、一つはその考え方としてこういう考え方に立つわけであります。たとえば農業高校という高校において教育を行なう場合に、普通科を教える先生方はそれではその学校の運営に全然——おれはこの教科の担任だ、英語の教員であるから農業教育の高校の経営に参加しなくていいかというと、そういう実情ではない。したがって、農業全般に関する仕事にも農業高校の先生方はもちろんやはり参画し、責任を共同に負うてやるのであるからという考え方が、これは当然起こってくると思う。現在においてどういう状況にあるかというと、あなたも御存じであると思いますけれども、工業高校とか、農業高校とかいう学校の経営上、もう校長もそれからPTAの方たちも、このままにおいては学校の中における不均衡に弱わり果ててしまって、そしてPTAの予算で手当を出しているというものが続々ふえているわけであります。このことについては資料をほんとうは提供すればいいんですけれども、やっぱりおのおのぐあいが悪いものですから公開されることを好みません。私もそれを全部どこがどうやっているということは言わないほうがよろしいと思いますが、そういう状態になってきた。現実がそういうことになっていることと、先ほど申し上げましたように、教育という部面から見れば一校の教育の運営、教育の全体に参画するものは、教科の違いによって相違のあるものでないという角度から、これは産業教育手当法案を出して、そしてぜひとも全教師にその手当を与えるべきだ、こういう観点に立ったわけでございます。  なおここで一つ特に付加して申し上げたいのは、どう考えてもその以前の特殊教育に携わっている、産業教育に携わっている教師に手当が渡らないということはどういうものか。私ども年来このことについて主張してきても、依然としてこれが実現しないというようなことは非常に残念なことでありますので、特にそのこともそこに強調しておるわけでございます。
  86. 中村喜四郎

    中村喜四郎君 私も発議者の考え方の特に特殊教育、盲聾、あるいは養護教育、こういったものに対してできるだけの措置をしたらばよろしいという観点については同感ですが、しかしながら、問題はいまのように最初の考え方、農林水産あるいは商船、電波等々、さらには農林学校、水産学校等における専門教育をやっている人以外の普通科の担当教員、あるいは事務職員等々に拡大していくということは、さらに普通の高等学校における全先生方に及ぶことが当然考えられなければならないと思うわけでございます。普通課程の学校におきましても、進学課程とか、あるいは体育の特別指導とか、あるいは就職指導とか、それぞれ担任の教科以外にも担当する分野は非常に多くて、その仕事の内容というものはいわば提案者が言うハードワークになっているんだ、この事実も私どもは認めるわけです。したがいまして、この産業教育の場だけでなく、普通教育を行なっておる高等学校もこれが拡大されるんではないか、なぜ産業教育だけこれを特に取り上げたのか、その点もひとつあわせて御説明いただきたいと思います。
  87. 小林武

    小林武君 実はそのことについては私どもとしては逆に与党のほうに御質問したいぐらいなんです。産業教育で手当を出すということについては、これは政府与党の提案したあれであって、これをやるというとだんだん拡大していくということは私どもも当初から心配したわけです。それがだんだん予定どおり進行していった、これは当然なんですね。農業高校にやれば、それは工業高校がほしいと言い出すのはあたりまえ。そうしてまた産業教育というものはかくかくのものであると法律にうたっておる以上、だんだん広がっていくのはあたりまえです。これは何もふしぎのないことでありまして、それが今度は一校の中において非常にそれが不均衡になってきた。その場合、教師が、おれたちも同じ農業の教育の中にいて、そうして農業教育の振興のために非常に努力しているのではないか、単なる国語の教師、数学の教師ではないんだと、こういう考え方を持つのもまた当然であります。だから、その間に、やはり私どもも質問されるあなたも若干そのことに矛盾を感じながらも、そういう現実には目をふさぐわけにはいかない。だから、この一校を経営する学校の校長とか、あるいはそれを取り巻いているPTAの皆さんが、これではどうも、とにかく不公平でうまく学校の運営ができまいというようなことで、はなはだどうも芳しからぬことですけれども、PTAの金なんかが出て、そうしてまかなわれておるという現状なんてあります。でありますから、私はこの産業教育の現行法が存在する限りにおいては、やっぱり私どもの主張するやり方が正しいのではないか、そのように法改正をすべきではないかと思う。しかし、抜本的にそれでは今度は普通高校をどうするか、教育全般についてどうするかということになると、これは賃金の問題、こうなるとこれは新たな角度から、ひとついまの現行法を廃止して、そうして最も妥当なやり方というものを考え出さなければなりませんので、それは私どもとしては、現状の模様からいってなかなかこれは手がつけられないと思う。したがって、現行法を認めながらいくとするならば、いま述べたような趣旨で、ひとつ産業教育に携わる全教員にこれを拡大するという方針にいくべきではないか、このように考えた次第でございます。
  88. 中村喜四郎

    中村喜四郎君 問題を産業教育学校だけにしぼって考えて発議者のほうからの提案で、国立の高等学校についての所要経費はわかりますけれども、公立高等学校産業教育の場における手当の場合、大体どのくらい想定できますか、ひとつ。
  89. 小林武

    小林武君 この点ではちょっといま困っているのでありますが、困っていると申しますのは、文部省のほうの資料を相当前からいろいろと調査室を通し、それからわれわれも要求しているんですけれども、大体まだ正確につかめないそうであります。それが困って、それではおまえらは全然策がないのかというと、そうではありません。私たちは大体概算ではございますけれども、一つ数字を出しておる。この二つあわせてみると、文部省が大体このくらいだろうと、確たる根拠がないといって出した数字とがあまりに違っているので、ちょっといまいささかどういうものだろうと、先ほど来いろいろ打ち合わせをやっているのでありますが、しかし提案者としては私のほうが大体正しいのではないかと、こう確信をいたしまして申し上げますからお聞き取りいただきたいと思うわけでございます。私どもは大体高等学校教員の数というものは十四万四千と、これはもっとも文部省の統計によったものでありまして、この十四万四千を大体普通高校とそれから実業高校とに分けてみると、大体これはいまの組織のしかた、定数の割合からみると四対六ということになる。片方の実業高校のほうが大体普通高校に比べて一・五倍になりますから、そうしますというと、大体半々になるのじゃないか。そうすると、十四万四千ですから、端数を切り捨てて七万と見て、現在すでに三万は手当を受けているから五万、こう考えるわけです。こう考えまして、現在のものからどのくらいふえるかというと、これは三万二千円の産業教育手当年額平均をやってみると、五万人として十六億、実習助手、これが二万円として約四千五百人、この四千五百人の根拠もありますが、それから技術職員を含めて約四千五百というのは、現在、助手が公立の場合は八千人いるだろう。その八千人のうち、現在支給されている概数が約四千人と見て四千、それから技術職が公立の場合六百四十一人いる。これを五百人と踏んで四千五百、それから事務職員についてはまず九千五百、こう踏みまして、教員の場合が三千二百円の五万人、十六億、助手が二万円で四千五百人で九千万円、事務職員が二万五千円で九千五百人の二億三千七百五十万円、これをプラスいたしますというと、十九億二千七百万という大体数になるのでありますが、どうもその文部省の初め出してきたのが三十三億それから三十八億になって、半分ということはどういうことだろう、どちらが狂っているのかなということで実は先ほど申しましたように、半分というのはどういうことだろうか。しかし、文部省のことでちょっと怪しいと思いますのは、人数を八万九千百九十人に踏んでいるのです。この八万九千百九十人という数字は一体どういうところから割り出したか。たとえば十四万四千人としたら、そのうちの八万九千人というのは増額の分だというのでありますから、現在二万としてやっておると十万を突破する。十四万の中の十万ということになるとどういうことになるのかということになるので、そこらあたりになると、あまり詳細な説明を聞かされておりませんので、この間のあればひとつ文部省のほうもおただしをいただいて詰めてただきたい。大体二十億というふうに提案者は考えている次第であります。
  90. 中村喜四郎

    中村喜四郎君 まだ審議法案もたくさんありますので、これで私の質問は終わります。
  91. 小林武

    小林武君 どうもありがとうございました。
  92. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 他に御発言がなければ、本法案に対する本日の質疑はこの程度にいたします。     —————————————
  93. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) この際、国立及び公立学校教員に対する研修手当支給に関する法律案 へき地教育振興法の一部を改正する法律案市町村立学校職員給与負担法の一部を改正する法律案を一括議題といたします。  三法案につきましては、すでに提案理由の説明を聴取いたしておりますので、これより質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言を願います。  なお、発議鈴木力君が出席しております。
  94. 内藤誉三郎

    内藤誉三郎君 ただいま議題となっております三法案について、簡単に質疑をいたしたいと思います。時間がございませんようですから端的にお伺いしますから、ひとつずばりとお答えをいただきたいと思います。  第一の研修手当支給法で、御趣旨はよくわかりますが、月額四千円としたその根拠、これをひとつお輝きいたします。
  95. 鈴木力

    鈴木力君 四千円のきちっと四千円になるという数字約な根拠はございません。しかし、これは現在の小中校の教員の統計によりますと、大体図書費が二千五百円、最高は四千円をこえておるものもございます。平均いたしますと二千五百円、さらに研修のための旅行に要する旅費その他のものが千数百円になっております。また、研修のための資材費その他のものを入れますと、大体四千四百円になるのでありますけれども、これは全体を一律という関係で四千円にしたわけです。そういう状態であります。
  96. 内藤誉三郎

    内藤誉三郎君 それならどういうわけで大学の先生をはずされたのか、はずされた理由を伺いたいと思います。
  97. 鈴木力

    鈴木力君 大学に研究費ができております。なおしかし、大学の研究費が十分だというわけで砥ありませんけれども、現在のところ、大学はまず制度化されて、おりますので、これはいき方は違いますけれども、義務教育学校高等学校の職員に研修手当制度をつけたい、こういう趣旨であります。
  98. 内藤誉三郎

    内藤誉三郎君 大学の場合には公費でございまして、先生方が必要な研究、あるいは必要な旅行の場合に研究費旅費が支給されるわけでありますから、私は大学と同じように本来公費と見るべきものだと思う、御趣旨はよくわかる。ですから、そういう研究活動に必要な経費は公費として大学と同じような方法でやるのが私は一貫していいと思うのですが、この点についてはどういうふうにお考えになりますか。
  99. 鈴木力

    鈴木力君 現在の状況を抜きにして考える場合には、大学と同じように公費でいくということも一つの方法であると思います。ただし、私があえて公費とせずに手当といたしましたのは理由があります。第一、先ほど申し上げましたように、研修に要する旅費の問題から申し上げますと、小中学校教員にはこれは旅費が払われていないという問題が一つある。したがいまして、現状では公費に回りましても、かりに旅費部分が回りますと、本来の旅費部分が足りなくなりますから、そちらに回っておって実質的な研修に回るという可能性がないということ、もう一つは、今日の義務教育学校における職場の体制であります。これは何といってもいろいろ議論があるところでありますが、私どもは小中学校の校長、教頭を管理職制度にして以来、あるいはまた地方教育委員会制度を任命制にされて以来、職場における主体性というものが、これは全部一律とは申し上げませんけれども、相当に行政側の体制が強くなっている。主体的な自主的な研究が相当やりにくい状態になっているということを認めておる。そういう体制にありまして、特に学習指導要領の改正を契機といたしまして、職員の主体的な研究が相当に圧迫をされまして、何か上からの伝達研修のような、いわば行政側の企画した研修が研修とされていま取り上げられているのであります。私どもが念願いたしますのは、教員の、あるいは教職員の自主研究を育てる、このことが教育公務員特例法の精神でもあろうと思いますし、また、私どもが長年現場におって教師をつとめた経験から申し上げましても、真に教育に役立つ魂のある研究というのは、これは主体的な自主的な研究が相当に強化されなければならない。この研究を強化するためには、今日の実情ではこれはどうしても研究手事として支給しなければならないということが理由の主たるものであります。なお、もう一つは、教員の賃金の本質的な問題にも触れなければならないわけであります。今日の給与体系の中で、教育職員の賃金体系は、教育職員に見合った賃金体系ということよりも、いわゆる行政職の賃金体系が基準になっておって、本質的に教育職という問題がまだ解明をされて賃金体系には結びついていない状態である。そういたしますと、教育職員の勤務の特殊性からいいましても、研修手当支給が最も必要な状態にある、こう考えたわけであります。
  100. 内藤誉三郎

    内藤誉三郎君 私ないまあなたがおっしゃるように、なるほど行政職に見合った給与体系というものが不合理なので、教育研究の実態に即応した給与体系を私ば確立することは大賛成なんです。それによって教員の研修も自発的な研究を十分できるような給与体系を私ば切に望んでいるのです。  それからもう一つは研修、いろいろな研修をする場合に、一律四千円というのは、これはまた私ばおかしいと思うのです。みんな同じような研究をするわけじゃないんだから。いまお話のように個人の自発的な研究なら、給与体系の改正でいくべきであって、それから研究費が実際足らないなら大学と同じように、旅費が不足なら、私は旅費八千円をもっと一万円に上げるなり一万三千円に上げていったらいいと思うし、公費が不足しているなら公費を値上げして、そして教職員の研究活動に資するのがいいと思う。これを一律にやるというのは、私は四千円でなければならぬというのは少しおかしいと思うのですが、いかがですか。
  101. 鈴木力

    鈴木力君 いま旅費が不足なら旅貸を出せと言うべきであるし、資材費が必要なら資材費を出せと言うべきである、この内藤委員の御発言をもう三年も早く聞いておれば、私ばこの提案の考え方が変わっておったかもしれないわけです。少なくとも旅費を、研究以外に必要な旅費を出すべきであるということはもう長年の教員の声なんです。その長年の声が実現をしないで、たとえば、文部省が東京に教育職員あるいは学校長を招集した場合、文部省主催の集会に出席します場合、それに付き添っておるその学校長の教え子である主事は一等の運賃の旅費をもらって、宿賃も相当、まあ正当の旅費をもらって出張しておる、その主事に付き添われて来ている学校長が二等の旅費をもらって、宿賃がわずかに千円足らずに切られておる、こういう生活を長年繰り返しておるのでありますから、したがって、いまの旅費が足りなければ旅費を請求したらよろしいという声には、私ははいと言えない実情のわけです。四千円を一律にしたという理由は、いま申し上げたように、調査の結果、大体四千円をこえておる、そういうことを見ますと、今日の研修を教員に奨励をするために、あるいは喜んで研修につくためには、少なくとも平均並みには教員は研修をしなければならないし、するという前提で一律に四千円を加えておるのでありまして、決して月給が高い人は高い研究費が要るという考え方はとらないのであります。
  102. 内藤誉三郎

    内藤誉三郎君 よくわかりましたが、私はあなたの、自発的な研究体制を進めるには、教員としての特殊な給与体系を確立するほうがよりベターだと思いますが、この点はいかがですか。
  103. 鈴木力

    鈴木力君 今日の給与体系で今日の教員の研修の実態に基づいた法案でございますから、もし将来、教員の給与体系改定ということがあれば、この法案を勘案しながらまた研究の余地があると考えます。
  104. 内藤誉三郎

    内藤誉三郎君 次に、僻地教育の問題ですが、確かにいま僻地の先生方が苦労していらっしゃる実情はよくわかるのでありますが、ここで二点ほどお伺いいたしますが、一点は、市町村の財政状況を勘案するような方向が書いてありますが、私は僻地というのはこれは大体貧乏な村にきまっているので、財政状態を勘案する必要はないと思うのですけれども、これはいかがですか。
  105. 鈴木力

    鈴木力君 現在の僻地を持っている市町村が大体貧乏にきまっておる、このことについては同感であり、その上に立ってこの法案を出しておるわけでありますから、だから、貧乏であるのがきまっているから財政状況を勘案しなくてもよろしいという考えは、どうも私にはかわらないのであります。貧乏であることがきまっておるのに現行法は財政状態が勘案されておらないので提案をしておるわけであります。試みに申し上げますと、僻地を持っております千五百九十六市町村がございます。この千五百九十六市町村の中に、昨年の財政力調査によりますと、五〇%以上の市町村は三百団体であります。その他の全体の六分の五の市町村は五〇%以下という現状になっておるわけでありまして、このように僻地市町村の財政力の貧困が、学校施設、設備の貧弱となっておりますし、学校教育の面において大きな影響を与えているので、特に市町村の財政状況を級別指定の要素といたしたい。これが提案の趣旨でございます。
  106. 内藤誉三郎

    内藤誉三郎君 僻地は貧乏だから二分の一でなくて十分の八にしたいという御要望は私もよくわかります。ただ、先ほど来申しましたように、財政状態を勘案するまでもなく貧乏だというふうに私は思っております。それから、この中で僻地手当の件でございますけれども、僻地手当に支給割合がきまっておりまして、この支給割合を最低百分の十から百分の三十にしたいと、こういう御要望はよくわかるのですが、そのほかに最低保障基準額というものを設けられたのは、これはどういう理由なんですか。
  107. 鈴木力

    鈴木力君 先のほうからちょっとお答えいたしたいのですが、貧乏だから勘案する必要がないと、こうおっしゃいますけれども、私は級地指定の基準の中に勘案しろという意味で、たとえば私の県、岩手県でもそういう例があるのであります。村全体は財政的にはややよろしいけれども、山地のある僻地だけがひどい僻地になっているという部分的な僻地のところと、それからたとえばその部分的な僻地が、かりに五級地であっても、それは村をあげての五級地の教育対策というものを立てられる力を多少持っているわけです。ところが、村全体が僻地の級地にある村は、僻地の級地が三級地であるにしても、村全体が困って力がないという村があるわけです。したがって、級地の一級から五級までを決定する条件には、どうしてもこの市町村の財政力というものが一つの条件とならなければならないということを重ねて申し上げたいと思います。  それから第二点の、最低保障の額の考え方であります。実は立案に当たりまして、私自身は最低保障額というよりも、むしろ僻地手当というのは、これば本給に比例するということではなしに、一律ということが正しいのじゃないかということも考えてみたのであります。つまり、僻地における教師の生活なり、教師の研究なり、あるいは教師としてのその他の力なりを与えるための僻地手当でありますから、これもまた年齢や、あるいは職種、あるいは職階の地位による差別というのはあるべきじゃないという考え方もありまして、しかし、ただいきなりそういうことを持ち出してみますと、今日は本給が基礎になっておる比率の支給でありますから、そこで、その比率の支給を、これを基本的にこわすわけにはまいりません。その比率の支給を基礎といたしながら、先に申し上げましたような僻地における教師の、たとえば若い者が情熱を持って教育に携わる場合にも、最低これだけは必要である、そういう保障額をぜひ与えてやらなければいけないという考え方に立っておるわけであります。
  108. 内藤誉三郎

    内藤誉三郎君 その最低保障のきめ方なんですが、私はやはり本俸に対して何割ということならよくわかるのですけれども、この一律の額になりますと、何か実費弁償のようなものを、たとえば宿日直の実費弁償は定額でいいと思う。定題なら定額で私は根拠があると思う。しかし、定額の上にさらにまた給与に対して比例さしていくという二つのお考えをお持ちになったことは、私はますます僻地手当を混迷ならしめるのじゃなかろうか。たとえば二級地の先生が五千二百五十円、五千二百五十円というのは一体どういう根拠なのか、あるいは四級地の八千七百五十円という、非常に芸がこまかいのですけれども、そういう最低保障額というのはどういうところから算出されたのか、ちょっとお伺いしたいと思うのです。
  109. 鈴木力

    鈴木力君 これは正確な統計は持ってまいりませんですが、はじき出した数字は、今日僻地に勤務しておる教育職員の給与全体を教員数で平均をとってみる。この平均額を級地別に持っていきまして、少なくともこの平均額には達すべきだという考え方で割り出した数字です、計算のしかたは。それから、いまの一律という考え方に割り切るべきだといいますけれども、これは皆さん御承知のはずなんですが、今日の僻地の教育の非常に大きな問題点は、ある場合には年輩の教員層を確保するということに非常に困っておるという一面があります。つまり僻地に長く勤務することをいとうという状態があって、どうしても新任の教員がそちらに多くやられるという傾向がある。それからもう一つは、教員不足という実態も僻地には非常に現象として多く出ておるわけです。この場合に、有能なある年輩の経験と力のある教員をどうしても僻地に確保するという必要があるわけです。その場合にただ一律という形で、そこのところを忘れるわけにはまいらない。それからまた若い層に対する希望を持った大きな力を与えるということも忘れるわけにはいかない。この二つを勘案すれば、いまのような比率方式と最低保障額方式とを併用しなければならないということになるわけです。それからもう一つ、費用弁償主義的に考えればというお話がございましたが、そういう面は私は今日の僻地手当については相当考えてやるべき質のものであると思います。特に今日困っておるのは食料であります。僻地の極端なところにまいりますと、一週間に一ぺん里へ出て一週間分の食料品を求めてこなければならないわけです。そういう費用は、これは校長であろうと、あるいは助教諭であろうと区別がつかないわけです。あるいはまた医療費もそうであります。そういう面においてはいまのような費用弁償主義的な考え方も——あえて費用弁償主義とは申し上げませんけれども、そういう要素も組み入れなければならないので、両様式の併用という趣旨になったわけであります。
  110. 内藤誉三郎

    内藤誉三郎君 御趣旨よくわかりましたが、むしろ私は僻地にりっぱな先生を確保するには給与だけでは解決しないと思うので、私はぜひ、これから将来校長や教頭になる人は、必ず一回は僻地の教育を体験してみるというようなこともあわせて考える必要があると思います。そこで最低保障額についても、これは実はもうちょっと御検討いただきたいと思うのです。費用弁償主義なら私は費用弁償主義でもいいと思うのですけれども、どうもいまお話の点は、何か平均額を算出したというようなことでございましたので、どうもこの最低保障額が支給される根拠が弱いような気がいたします。この点はひとつ今後御検討いただきたいと思います。  それから最後の問題でございますが、市町村給与負担法の改正でございますが、これは超過勤務手当を教員にも支給しろ、こういう御趣旨だと思います。今日まで超過勤務手当を支給しないという方針をとってまいりましたのは、鈴木委員もよく御存じだと思うのです。これはたしか教員の勤務の実態というのは捕捉しにくいと思うのです。そこで、あなたの提案理由の中にも書いてありますように、たとえば家庭訪問とか、いろいろたいへんやっかいな私は仕事がたくさんあると思うのですよ。この場合に、勤務の実態を捕捉して超過勤務をどう算定するかという点は、私は非常にむずかしいんじゃなかろうかと思うのです。これはむしろ教員の勤務の実態を勘案して初任給を少しよくしたということは、鈴木委員も御承知であろうと思うのです。私はこの多寡でなくて、教員の勤務の実態というものをよく把握して、その上に立って教員の給与体系というものを根本的に検討し直したほうがいいんじゃなかろうかと思うのですが、あなたのお考えいかがですか。
  111. 鈴木力

    鈴木力君 先のほうからお答えを申し上げます。理論的根拠が弱いと言われますと、これはそのとおりでございますと私は申し上げるつもりはないので、どれだけにするかということを、たとえば初任給を幾らにしたというその理論的な根拠が数字とぴしゃっと合うものがあるかといいますと、これはどこからも出てこない。考え方からしてこういう考え方ということなんです。しかも、この僻地の教員の生活の実態と教師としての生活、教師としての研究、教師としてのその他の行動という問題を考え合わせますと、最低でも給与に対する比率にプラスしてその地域における教師の平均額を基礎にしたものが、そこで最低が保障されるという額が、これが出てこなければならないということなんです。この点はあるいは僻地に対する理解の違いかもしれませんので、お暇のときには僻地のほうにお寄り願うこともあってよかろうと思うわけであります。なお、次にお答えいたします。教員の勤務の実態について把握した上で超過勤務手当を支給することが正しい、このことは私も同感であります。ただし、これは今日まで勤務の実態の調査が文部省において行なわれたこともありましたけれども、それも使われていない。また元来であれば、この給与制度が始まったとたんに、直ちにでも給与の実態の調査が行なわれなければならないわけであります。それも行政側からはまだ行なわれていない。これは私どものほうは私どもの持っておる組織を通して調査をし、その実態の上に基づいてこの法案を考えておるわけであります。しかしこの数字は持ってまいりませんけれども、相当量の超過勤務をしておるこの事実だけは間違いはございません。これは利用されておりませんけれども、前に文部省が調査した結果とも大体符合しているのでありますから間違いがない。その間違いがないという立場に立って、超過勤務をしている事実に対しては手当を支給しなければならないということを言っておるわけであります。なお、この初任給を上げて、それでいいじゃないかというお考え方があるわけです。私はこの初任給を上げる——今日の初任給は当初の、いまの給与体系のその前の給与が出発するときにはそういう経過はありましたけれども、今日の初任給は超過勤務手当に見合うという性格のものにはなっていないわけであります。若干でも教育職に見合うということを、それこそ科学的根拠はないにしても色をつけたという意味合いのものを持っておる、そういうふうに私は理解しておるわけであります。したがって、捕捉しにくいこのことも事実、しかし、捕捉しにくいといいながら、たとえば、ある学校で午後五時から職員会議をやるというようなことがいま行なわれておるわけです。捕捉できるものもたくさんあるわけであります。そういうものに対しては超過勤務手当を支給するということが可能でもあるわけであります。かつまた捕捉しにくいものに対する対策といたしましても、それはいろいろな、たとえば教育職の特殊性にかんがみてという、先ほど申し上げましたような教員本来の給与という問題の討論も必要であるかと思います。また、この超過勤務そのものがいいということじゃないのでありますから、本給において超過分と見合ったからということで、いまの教師の勤務時間が無限大に延ばされるということは、教育の本質からいっても許されるわけにはまいりません。ある程度のけじめをつけて、そうしてやはり超過した分については超過勤務手当を支給する、この制度はどうしても確立しなければならない、こう考えております。
  112. 内藤誉三郎

    内藤誉三郎君 これで質問を終わりますけれども、私は教員の超過勤務の問題は、学校におったからそれが超過勤務になるというのでは非常に不公平じゃなかろうかと思う。ある意味で裁判官と同じように、家へ帰っても教育の問題で頭が一ぱいだと思うのです。家でやったものは超過勤務に入らない、学校にたまたまおったものが入るということはこれは不合理だと思う。私は教員の勤務の実態は一番裁判官に似ていると思うのです。裁判官のような私は給与体系を確立することに、与野党一緒になって私は努力していただきたいと思うのであります。どうもこの超過勤務の案には、私、心から、あなたのお気持ちはよくわかるけれども、賛意を表しかねているのです。
  113. 鈴木力

    鈴木力君 これは現行法に基づいての要求ですから、将来、抜本的にという場合にはまたこれは議論の余地があると思っております。文部省の方もいらっしゃいますけれども、今日までの、文部省が法律的には支給すべしということがいわれておって、いろいろな判決等も出ておる中に、これに手をつけなかったというところのその欠陥をまず補うということが第一の急務であるという提案です。
  114. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 他に御発言がなければ、三法案に対する本日の質疑はこの程度にいたします。     —————————————
  115. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 女子教育職員の出産に際しての補助教育職員確保に関する法律の一部を改正する法律案日本育英会法の一部を改正する法建案、日本育英会昭和二十五年四月一日以降の貸与契約により貸与した貸与金返還免除に関する法律案を一括して議題といたします。  三法案につきましては、すでに提案理由の説明を聴取いたしておりますので、これより質疑に入ります。  なお、発議秋山長造君が出席いたしております。
  116. 中上川アキ

    中上川アキ君 ただいまの女子教育職員の出産に際してというのでございますが、前年、女子補助教員の出産に際して同じような提案がございましたときに、私いろいろお教えいただきましてわかっておりますけれども、公立学校の女子事務職員と申しますのは、現在、労働基準法によって産前六週間、産後六週間の休暇が取れることになっていると思うのでございますけれども、それがどういう状態になっておりますのか、伺いたいと思います。
  117. 秋山長造

    秋山長造君 いまの御質問ですが、御質問にありましたとおり、労働基準法にも産前産後各六週間ずつ休暇が取れることになっておりますことは御存じのとおりです。ただ、労働基準法のは、産前六週間、産後六週間と、こう区切ってあるわけです。したがいまして、本法の休暇はそうでなしに、産前産後通じてということになっております。前後通算できることになっております。基準法のほうは通算ができなしことになっているんですね。そのためにどうも出産の予定日というものがあっても、これは必ずしもその予定日にほんとうに出産をするかどうかということは保障がない。だから、しばしば食い違っておくれることのほうが多いんじゃないかと思っております。そういうことがありますから、たとえば予定日の六週間前に休暇を取りましても、六週間たってしまってもまだ出産がないという、七週間後に出産があったというような場合がしばしばある。そういたしますと、六週間もうたっていますから、さらに出産までの間一週間なり十日なりというものを、あらためて今度は別な手続で休暇を取らなければならないわけです。そういたしますと、その別な手続で取る休暇は一般の休暇へ食い込むわけです。たとえば一般的には年に二十日間休暇が取れることになっている例が多いと思う。その一般の休暇の中へ出産のときの休暇が食い込んでいくわけです。そういう事情がありますために、事実上六週間前から休まないで、ほとんどもう出産の直前までいや応なしにつとめて、そうして休暇をとる。しかも、おくれて休暇をとったからおくれた分はそれだけ今度は出産後に加算されていくかというと、そうでもない。出度後はやはり六週間ときちっときめられているわけですから、そういう点で労働基準法にきめられているのと、それから本法にきめられているのとではだいぶ条件と内容が違うわけです。そういうことのために、事実上一般教職員と同じ学校で、同じ事務室で同じように似たような仕事をしている女子事務員というものが、実際には休暇が満足にとれないでやっている、こういう実情になっていると思います。
  118. 中上川アキ

    中上川アキ君 予定日が狂わなければいいというわけですか。
  119. 秋山長造

    秋山長造君 予定日が狂わなければいいというわけじゃないのですけれども、その一番大きな理由は、狂う場合がしばしばあるということもあって、なかなか六週間前から休暇がきちっととれない。もちろんそれだけではなしに、いきなり休暇をとられてもなかなかあとが困るというような、目に見えないいろいろな事情があるものですから、だから事実上休暇を満足にとれない、こういうことの事情もある。
  120. 中上川アキ

    中上川アキ君 それで休暇をとれるように補助職員できますね。そういたしますと、教育公務員の特例法に規定されている教員というものと本来違った職種でもある人たちが、事務職員が教員と同じように取り扱うことになりますが、そうなりますと、ほかの最もそれに似たような教育委員会の事務職員などもやはり同じような取り扱いを要求してくるのじゃないかと思いますが、その点はいかがですか。
  121. 秋山長造

    秋山長造君 その点は教育委員会の事務職員と、それから学校の事務職員とはちょっと性格が逢うと思う。教育委員会はいわゆる行政機関ですし、それから学校のほうは教育機関ですから、直接子供を扱っているかどうかということで第一違うわけです。学校の事務職員は、提案説明にも書いてございますように、実際にやっている仕事は、もうこれは事務とは言うものの、もちろん直接子供を教えるわけじゃないけれども、事実上はもうほとんど給食の世話とか、養護教諭の仕事の手伝いとか、その他子供を教えるについてのいろいろな関係事務というのはほとんど担当してやっているわけです。ですから、行政機関である教育委員会の女子職員とはだいぶ性格が違うのじゃないか。むしろ教育職員と非常に近い性格を持っている、仕事の内容もそうじゃないか、こういうように考えております。
  122. 山下春江

    ○山下春江君 時間もたいへん超過いたしましたので、日本育英会法の一部を改正する法律案について、きわめて簡単に二点だけお尋ねいたします。  現在、八千近い各種学校がございますが、そのうちでこれらの教員養成機関についての返還免除の措置をすることにしておられますが、それとは均衡上問題は生じないのでございますか。
  123. 秋山長造

    秋山長造君 御質問のとおりに、八千から各種学校があるわけですけれども、ただ、この改正案で取り上げております養護教諭養成機関、あるいは幼稚園等のその他の教員の養成機関というのは、非常に条件が厳格なわけでして、文部大臣がいろんな厳格な条件を付して、特に養成機関として指定した場合に限るわけですから、数も非常に少ないので、現に養護教諭の養成機関としては全国で四十五、それから幼稚園等の教員の養成機関は七十一ですから、八千からある中で、前者が四十五校、後者が七十一校、まあ百校あたりというように非常に限定されておるわけです。しかも、そういう機関を修業した者には教員免許状が大学なんかと全く同じように付与されるわけですから、一口に各種学校と言いましても、その他の八千近い各種学校とはだいぶ性格が違うと思いますので、特にそういう点で不均衡云々という問題は起こらないんじゃないかというように考えております。
  124. 山下春江

    ○山下春江君 御配慮は私も同感するところがございますが、次にもう一点、現行法は就職までの期間を一年としながらも、文部大臣の認可した特別の事由がある場合にはその期間の延長が認められているから、この事由の拡張ないし運用で対処することはできないかと思うのでございますが、この問題については提案者のほうはどういうふうなお考えでございましょうか。
  125. 秋山長造

    秋山長造君 これも本法のこの以前に申し上げました提案説明の中に詳しく書いているわけでして、いまの現行法に認められておりますのは、傷疾、疾病というような特別な事情のある場合に限ってそういう例外措置が認められておるわけですけれども、ただ、まあ今回の改正案で提案しておりますのは、そういうことでなしに、修業してから一年以内に就職をせなければならぬということになっておるのですが、病気になった場合には、いまの現行法の例外でもさらに延ばされるということが認められておるわけですけれども、ただ、その病気でない場合ですね、いまのような教員の養成というものが全国的に計画的に需要供給ということをびちっとはかって行なわれておるわけじゃないので、相当自由に開放的に養成が行なわれておって、そうしてその中から採用していくというわけですから、自分では一年以内に早く就職したいということで、あせって一生懸命やっておりましても、いろいろな就職事情とか、その他の関係でやむを得ず一年以内に就職ができない。客観的な事情で就職できない、一年よりもっと先に初めて就職できたというような場合が往々にしてあるわけです。で、そういう場合まで現行法の例外措置で救うということはちょっと法律的に無理・じゃないかということを考えますので、疾病その他の場合ということとは別に、今回の改正措置を認めてもらいたいというふうに考えたわけで、ですから、別に現行法でやれるものを、屋上屋を架するごとく今回の改正を考えたということにはならぬと思います。その点はやはり今回の改正を行なって一そう例外措置というものが完全になるのではないかというように考えております。
  126. 山下春江

    ○山下春江君 以上で終わります。
  127. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 他に御発言がなければ、三法案に対する本日の質疑はこの程度にいたします。     —————————————
  128. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 次に、産炭地域における公立の小学校及び中学校学級編制及び教職員設置に関する特別措置等に関する法律案学校教育法等の一部を改正する法律案及び教育職員免許法の一部を改正する法律案を一括議題といたします。  三法案につきましては、すでに提案理由の説明を聴取いたしておりますので、これより質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言を願います。なお、発議小野明君が出席をいたしております。
  129. 楠正俊

    ○楠正俊君 産炭地の荒廃によります教育の現状につきましては、提案理由にるる説明してございますので、その実情はよくわかるのでございますが、現在、国でも学級編制を、五十人から昭和四十三年度には四十五人にするという年次計画が進行中でございますが、そのときに、五十人から、ここにございますように一挙に三十五人にするということは、理想的ではございますが、何か現実に立脚してないような気がするのでございますが、その点についてお伺いいたします。
  130. 小野明

    小野明君 お答えを申し上げたいと思いますが、楠先生は現場を経験されておられませんので、そういった感じをお持ちであろうと思うのです。同時に、文部省の方々も現場を担当された方があまりないので、四十五ということで事足りるのではないか、こういういわばしろうとが教育をさわるといった感じがあるわけです。事実なんですがね。それで、たとえば四十五にいたしましても、クラスの六割、七割が生活保護世帯である、準要保護世帯である、これは子供が帰りましても親はいないのです。共かせぎをみなやっているのですから。こういった生活保護世帯の子供がクラスにたとえば一割おりましても、クラス担任というのはたいへんな苦労をしなければならぬ。親がおらぬのですから、途中で非行に走っているのではないかとか、こういった非常な配慮が要るわけでありまして、四十五というのは決して産炭地の窮状を満足させるものではありません、これはもちろん全国的な平均なんですけれども。それからさらに、産炭地においては悲惨な教育の実情から、あるいは若干でも手の回る教育、こういうことからいきますというと、実は三十五でも多過ぎるわけでありますけれども、当面三十五で一学級とするという案を出しているような次第であります。
  131. 楠正俊

    ○楠正俊君 そういった特別措置に要する経費でございますが、十四億三千二百万円を要する見込みであるというように提案理由の中にはうたってございますが、簡単にその内訳を御説明願います。
  132. 小野明

    小野明君 内訳は、教職員給与費が十一億二千五百万円、それから第六条による教材費が四千万円、それから就学の奨励費が七千二百八十四万円、それから第七条による通学用品費が九千六百七十五万、それから第八条による学校給食費が八千一百四十六万、九条による学校安全会の掛け金が四十一方、それから十条による学校保健、治療費が一千五百九十七万、締めて十四億三千二百万円、こういうふうになるわけでありますけれども、一見多いようですけれども、この産炭地の窮状というのが、いわば政府の石炭産業に対する無為無策ということからこういうふうになってまいった。で、石炭産業に対する今日政府の手当て等を考えてみますというと、一千二百億にのぼる異常債務の肩がわり、これを私はどうこうというのではありませんけれども、石炭産業並びに経営者に対する政府の配慮、こういったものから考えてみますときに、それによって生じたいわば人的な公害とも言えるこの産炭地の教育に対して、十四億というのはきわめて低きに過ぎる。これをしも文部省はつけようとしない。これは産炭地の教育を無視するにもあまりある、こういうふうに言っても過言ではないと思うのです。御質問の趣旨に若干はずれたかと思いますけれども、産炭地の教育の窮状というのがいかに政治的に無視せられておるか、この点を特に私は強調しておきたいと思うのであります。
  133. 楠正俊

    ○楠正俊君 よくわかりますが、十四億という金は一見たいした金じゃないとおっしゃいますが、相当な金でございまして、その点から考えますと、まだ、僻地教育——先ほど話が出ておりますが、僻地教育や特殊教育の振興、または同和地区や、いわゆるスラム街の生従補導などとの関係上、産炭地域にのみ援助措置を講ずるということは、何か均衡を欠いておる気がするのでございますが、その点についてお答え願いたいと思います。
  134. 小野明

    小野明君 僻地とか、あるいは青少年非行に対する手当て、そういったものを私は否定するものではない。その点も十分やらなければいけない。しかし、この十四億そのものが、石炭産業に対する政府の手当てから比べるとあまりにも低きに過ぎるのではないか。均衡を失しておるのは、むしろ僻地等に比べてダウンしておるのは産炭地教育のほうがダウンしておるのだ、こういうふうに私は考えておるような次第であります。
  135. 楠正俊

    ○楠正俊君 この法律昭和四十六年三月三十一日という時限立法になっておりますが、何か見通しといいますか、どういった点に立ってそういった時限立法になさったか、その点を最後にお伺いいたして私の質問を終わります。
  136. 小野明

    小野明君 これは産炭地振興臨時措置法が今度の国会で、いま衆議院を通過して上がっておりますが、五カ年延長になるようで、当初からいいますと十年になるとかですね、それにやっぱり関係があるわけなんです。そういった面から考えて、いま何にもなされておりませんけれども、鉱害なり、あるいは石炭産業の疲弊に伴う若干の安定というものが、ここ五年間は要するのではないかと、こういうことから産炭地教育に関しては五年延長ということを提案申し上げておるような次第であります。
  137. 内藤誉三郎

    内藤誉三郎君 次に、学校教育法の一部改正についてお尋ねいたします。この法律の中で助教授の下に助手、養護教諭の下に養護助教諭、寮母及び実習助手が含まれておりますが、これらの任用資格はいかようになっておりますか。
  138. 小野明

    小野明君 順次申し上げたいと思いますが、寮母については特にありません。それで、ただ公務員の場合は国家公務員法、地方公務員法の欠格条項に触れない者、これはそういった当然の規定があるわけであります。それから養護助教諭については、教育職員免許法第五条の資格に該当する者、具体的には十八歳以上で高校卒程度で、教育職員検定に合格した者、こういうふうにきめてあります。それから実習助手はこれも特にありませんが、寮母の場合と同じように、公務員の欠格条項に触れない者、こういうふうになっております。なお、免許法の附則11で、実習教諭となるための基礎資格算定の基準が示されておるところであります。それから助手については、大学設置基準の第十六条で、大学学部卒業者、あるいは学部卒業に準ずる能力ある者、このようにきめておるところであります。
  139. 内藤誉三郎

    内藤誉三郎君 助手だけ大学出ということ、あるいはそれに準ずる者と、こういうふうになっておって、寮母と実習助手については、いまの御説明ではその資格はないと、こういうことですか。
  140. 小野明

    小野明君 そうですね、特にないと思います。
  141. 内藤誉三郎

    内藤誉三郎君 これらの職種を法律に明記されることは私はけっこうだと思うんですけれども、それとの関連において、教頭とか、校務主任とか、あるいは定時制主事とか、通信教育主事というようなものがございますが、これらも当然、学校教育法に明記しないと不均衡になるのではなかろうかと思うのですが、この点はいかがお考えでございますか。
  142. 小野明

    小野明君 その点は問題でありますので、今後われわれとしても検討をしてまいりたいと、このように考えております。
  143. 内藤誉三郎

    内藤誉三郎君 教育公務員特例法の中の適用にいたしますと、いまはこれらはたしか準用だと記憶しておりますが、特例法の適用公務員にいたしますと、いかなる実益があるのですか。
  144. 小野明

    小野明君 この点は実益というものは別にないですね、法をただ整備をしていくと、こういった点だけです。
  145. 内藤誉三郎

    内藤誉三郎君 そうすると、法をただ整備していくというだけですと、これは小野先生、あまり意義がないというわけですか。
  146. 小野明

    小野明君 これはやっぱり身分的に寮母とか、養護助教諭、実習助手、こういったものが非常に不安でありますので、その点を明確化しておくという点の実益というか、効果というものに当然考えられると思います。
  147. 内藤誉三郎

    内藤誉三郎君 それは精神的な意味においてですか、実益が何かあるわけですか。
  148. 小野明

    小野明君 やっぱり法にあげられておるか、規定されておるかいないかということは、先生も御存じのように、身分が安定するかどうかという不安感もあるわけでありますけれども、そういった精神的な効果、あるいは法文に明記した効果というのは、これはもう当然考えられると思っております。
  149. 内藤誉三郎

    内藤誉三郎君 私の質問を終わります。
  150. 中村喜四郎

    中村喜四郎君 科学の進歩と科学の技術教育とは、非常に国においても振興されておられ、また、世界的な風潮としても科学教育の充実ということが叫ばれているときでありまして、その基本となる理科教育の問題が特に大きくクローズアップされたのでございますけれども、高等学校等における理科教育を担当しておる理科教諭を補助している理科教育の実習助手の資格の問題、そしてまた実習手当等の問題についての今度の免許法の改正、この趣旨については私もよく理解できるわけでございます。特に、ともすれば長く待遇の悪いところで、しかも昇進を認められない現在の助手たちが、産業界に引っぱられてしまって、あたら人材がよそへ散ってしまうというこのことに対しての、何とか適正な措置をとろうという発案者の考え方を私も理解できるわけでございますけれども、今度のこの改正案によって、教員の資質の向上とか、あるいはその維持とかという、こういうことをはかるための現在の免許法の目的とその基準に、この特別措置が反することにならないかどうか、その点をまずお伺いしたいのです。
  151. 小野明

    小野明君 現行法の家庭、農業、工業、商業、水産、商船の実習助手が実習教諭となるための要件と、この改正案の理科実習助手から理科担当教諭になるための要件を比較してまいりますと、最低必要在職年数及び最低必要の習得単位数、ともに前者よりきびしい条件がつけられているわけであります。その例を申し上げますと、高等学校を卒業した者の場合、最低必要在職年数が、前者が六年となっており、後者が十年、また大学において習得する最低必要単位数は、前者が十単位、後者が九十五単位等、こういうふうにきびしい条件がつけられておりますので、免許法の精神には反しない、このように考えております。
  152. 中村喜四郎

    中村喜四郎君 わかりました。  そこで、小野さんの言う教育職員の資質の向上、維持という点から、きびしい態度できているのだ、他の実習助手とはその単位数においても、時間数においても、在職年数等においてもきびしくしているのだという、そのきびしくする理由はどういうことなんでしょう。今度は逆に、少しきびし過ぎるのじゃないかという一面の考え方があるのですけれども。
  153. 小野明

    小野明君 やはりそういった実際の実習教科等に当たる資質の向上ということが考えられなければなりませんし、そういった面ではやはりこの資格をきびしくしていると、こういうことを申し上げておきたいと思うのです。
  154. 中村喜四郎

    中村喜四郎君 終わりました。
  155. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 他に御発言がなければ、三法案に対する本日の質疑はこの程度にいたします。  ちょっと速記をとめておいてください。   〔速記中止〕
  156. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 速記を始めて。     —————————————
  157. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) この際、国民祝日に関する法律の一部を改正する法律案を再び議題とし、質疑を続行いたします。
  158. 辻武寿

    ○辻武寿君 最初に、きのうの参考人のことについて一言お伺いするのですが、歴史教育研究会主幹の平田俊春さんという人は、あれですか、防衛大学の教授ですか。
  159. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) それでは私からお答えいたしますが、私、歴史教育研究会の主幹と聞いております。
  160. 辻武寿

    ○辻武寿君 歴史教育研究会主幹とは書いてありましたがね。防衛大学教授だということもちょっと聞いたので、それがほんとうかうそか聞いてるんですよ。
  161. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) それは私は存じません。私は歴史教育研究会の主幹と、このいうふうに聞いております。
  162. 辻武寿

    ○辻武寿君 もし防衛大学の教授であれば、みんな早稲田大学の教授とか、大阪市立大学の教授とか書いてあるんですから、肩書きはやっぱりここへ書くことが、国民に対する影響も違ってくると思う。本人に対しても書いてあげるのが私はほんとうの思いやりじゃないかと思うのですけれども、抜かしてあるということは手落ちじゃないかと思う。
  163. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 私は歴史教育研究会の主幹と聞いておったから、そう答えたわけです。
  164. 辻武寿

    ○辻武寿君 まあ、そういう点はよく調査して、この次からそういうことのないように、ひとつ注意してもらいたいと思う。
  165. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 了承しました。
  166. 辻武寿

    ○辻武寿君 建国の日について、はしょって質問いたしますが、「建国をしのび、」とある。国を愛し、国の発展のために建国をしのぶということは、実際にはどういうことになるのですか、どんなふうにしのぶのですか。
  167. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) いま日本民族といたしまして、国がどういう民族の歴史を持っておったか、どういう構成過程で国ができ上がったか、そういったようないにしえを思い起こす、こういうようなつもりでございます。
  168. 辻武寿

    ○辻武寿君 まあ過去のことをいろいろしのぶ、神話、伝説等も二月十一日であれば、これはそういう点を取り扱ってくる場合にしのび方というのが問題だと思うのですな。で、われわれが建国の日を設けるのも、やっぱり未来のために設けると思うのです。そのためには未来をしょって立つところの青年の日もきめるべきだと私は思う。いま青年の日をとってみれば、まだまだいままでのデータとは違った、たとえば二月十一日を建国の日にしたらどうかというような、そういうことは青年に聞けばだいぶ違った面が出てくる。そういう点からも、建国の日ということはいますぐにきめないで、未来の青年に私はまかすべきだと思うのです、これは。それを政府は非常にあせっている。早くきめたがっている。どういうわけで早くきめなけりゃならないのだろう。その点をひとつ理由を聞きたい。
  169. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) 昭和二十三年に、この日本の祝祭日が正式に両院で決定いたしました際にも、さらに祝日があってもよいじゃないかということと、それから二月十一日を建国の日に定めちゃどうかという当時の意見が非常に強かったわけであります。まあ私ども伺っておりますところでは、両院では大体においてその意思がほぼ決定を見ておった。当時、占領下の特殊情勢のためにこれははばまれたというようなことで、延び延びになっておったというように私は伺っております。その後、三十二年以来、十七回にわたりまして議員提案で法案が提出されました。あるいはまた三回継続審議というようなことで国会審議がありました。合計十回、国会で審議されたわけでございます。そういったような、もうかなり長い間国民の間に論議もかわされ、そうして国民の皆さんの多くの方の考え方も大体方向がきまったというふうに思量いたしましたので、政府は昨年の国会で政府提案として新たにこれを出したわけですが、昨年、審議未了に相なりました。今回もう一回これを出したわけでございます。
  170. 辻武寿

    ○辻武寿君 第一条にもあるとおり、国民がこぞって祝ってこそ祝祭日にふさわしい祝日というのができると思うのですよ。まあ何回目であるとか、何年やったとか言いますけれども、実質的には大した審議が尽くされない。しかも今回建国の日というのが非常にもめている。少なくとも半分くらい反対の中に、こういう雰囲気の中で、何回出したって何十回出したって、私は機が熟さなければやるべきじゃないと思う。それをこういうふうに早くきめなければならないということはほんとうのきめ方ではない。国民総意のうちにきめる。昭和二十二年、第一回に出して、そのときも世論の反対があった。それで、時を待って昭和二十三年に出して、初めてみんなの支持のうちにきまったのじゃないですか。そういう意味からも、今回はそんなにあせってきめるべきじゃなかったと思う。この間の衆議院において、いままでの国会もろくな審議はされていないけれども、この間の衆議院では一体どれくらいの、何回委員会を開いて何時間くらい検討したのですか。
  171. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) 委員会は数回あったと思いますが、実質上の審議は、まあ本会議で、これは代表質問によって審議が行なわれましたが、委員会における実質上の審議というものは今回はほとんど行なわれなかったというのが実情であろうと思います。
  172. 辻武寿

    ○辻武寿君 ここに数回提出したとしても、少なくとも今国会できめるんなら、今国会においても、国民全体の祝日をきめるんですから、十分に審議しなければならなかったはずじゃないか。審議が足りないなんというのはまだいいほうで、そうじゃないのだ。で、衆議院では、  ○木村委員長 開会いたします。   国民祝日……(発言する者多く、聴取不能)野呂君。  ○野呂委員 国民祝日法案に関して、昨年から……(発言する者多く、聴取不能)  ○安井国務大臣 ……(発言する者多く聴取不能)  こういう状態で、何か口をぱくぱくやっただけできまっちゃった。これが衆議院の二日から三日にかけての委員会の状態であった。そうして参議院に送られてきて、これはまあ三党で申し合わせができたんですから、その点はいいとしても、参議院においてもあのような状態であった。こういう審議らしいものがほとんど行なわれていない間にまた祝日、祝福されないような祝日ができる。こういうきめ方というものは私は妥当ではないと思う。で、今回の衆議院の三党の申し合わせと政府原案との違いですね、違いは、二月十一日建国の日を削った、審議会を設けた、学識経験者約十名、それから期限を六カ月以内に定めた、あと政令で決定する、こういうことになっておりますが、二月十一日を削るということは、先ほども問題になっていますが、たな上げするのか、もう再び絶対出さない、削りとってしまうのかということで、白紙であるというようなことを長官答えた。これはあれですか。もう一ぺん念を押しますけど、また二月十一日という線が出てくるかもわからないという意味の白紙ですか。
  173. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) これは建国の日をこの法律案では二月十一日ということにきめることを削ったわけでありまして、あとは今度の審議会によって三百六十五旧のうちいずれかいい日をおきめ願いたい、こういうつもりでございます。
  174. 辻武寿

    ○辻武寿君 削ったということは、削りとって再び出てこないという意味じゃなくて、再び二月十一日という線も出てくる小もわからないという線ですね。
  175. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) 審議会の答申の模様によりましては、そういう場合もあり得るかと思います。
  176. 辻武寿

    ○辻武寿君 審議会の十名をきめるのはどういう条件ですか、
  177. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) できるだけ公平、不偏不党というものをモットーにいたしまして、従来、書物や公の場所で公式に賛否を、賛成あるいは反対の意見をまだ発表なさっていらっしゃらないような中正な方、こういうことを中心に選びたいと思っております。
  178. 辻武寿

    ○辻武寿君 これは各党申し合わせですから、審議会には各党から、自民党、社会党、民社党の三党から何人ずつ出すという、そういう線まで申し合わせしてあるわけですか。
  179. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) そういうことは政府としては伺っておりません。ただ、今度の議長あっせんにつきましては、衆議院では三党がいろいろ申し合わせをなさって、その結果ああいった議長のあっせん案が成立をしたということでございます。
  180. 辻武寿

    ○辻武寿君 じゃあ十名というのは、これはだれが任命するんですか、内閣総理大臣の任名ですか。
  181. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) これは国会承認人事でございませんので、当然、内閣総理大臣の任命ということに相なります。
  182. 辻武寿

    ○辻武寿君 そうすると内閣総理大臣が少なくとも好きな人を十名任名するということはできるんじゃないですか。
  183. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) その場合に、ただいま申し上げましたように、できるだけ公平な人事をやりまして、そうして公平な人選をいたす。ただ、権限といたしまして内閣の任命事項であるということは間違いがございません。
  184. 辻武寿

    ○辻武寿君 まあ各党から推薦するとしても、こういう祝日法案なんていうものは、政党にはまだ公明党だってあるんですからね、そういう全体的な立場に立って、ほんとうの意味の各党から推薦させて、それで公平を期すというような話は全然出なかったんですか、その際は。
  185. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) これは私ども政府は、衆議院におきます内閣委員長の、政府の所信をただすという質問事項の中でも明らかになっておりますように、公平不偏の人事をやり、そうして本来の趣旨にかんがみて遺憾ないよう運営できるように配慮するかと、こういう御質問に対しまして、私ども委員長の発言どおり実行いたします、こういう返事をいたしておるわけであります。それ以上のことが三党、あるいは議長のあっせんの段階において何か議論として出たかどうかは存じませんが、詳しい、公式に政府が受け取っておりますことはそういう次第でございます。
  186. 辻武寿

    ○辻武寿君 審議会を設けて、六カ月以内、十二月十五日に期限を切った理由はどういう意味ですか。
  187. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) これは衆議院のあっせん案を三党でおのみになった際きめられたものでありまして、これには政府の意思は入っておりません。
  188. 辻武寿

    ○辻武寿君 これは私は、十二月十五日に期限を切ったということ、政令できめてしまうことができるようにしたということは、来年の二月十一日にこの祝日法を間に合わせるためにそういうふうにしたのだとしか思えない。長官はどうお考えですか、そう思いませんか。
  189. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) まあこれにはやはりこの法案の日付に対して反対の意思を表明されております社会党さん、あるいは民社党さんも、自民党協議の上で話がまとまったわけでありまして、したがいまして、そういった思惑というようなものは入っていないものであろうと私どもは思っております。
  190. 辻武寿

    ○辻武寿君 それで、いままでの祝日で、政令できめた祝日はありますか。
  191. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) いままでの祝日には政令できめた日はないようでございます。
  192. 辻武寿

    ○辻武寿君 これは昭和二十二年には祝日を政令できめようといたしましたね。ところが、政令じゃまずい、やはり国の法律できめるべきものだという結論が出て、その上において時期を待って昭和二十三年にきめたんです。私はそういうふうに聞いておる。そういう過去の前例がある。その上に、建国の日なんというもめにもめている法案です。これだけを特別にまた前例を破って政令できめるなんということは、これは国民を欺く非民主的なやり方だと思うのです。三党申し合わせでやったとすれば、国民不在の三党の政治ですよ。これはおかしいと私は思うのですけれども、長官はおかしいと思いませんか。こういうきめ方ですね。法律できめず審議会できめるということはどうも筋が通らないと思う。おかしいというふうに私は思うのですけれども、長官もおそらくそういうふうに心の中では考えられると思うのでありますが、どうでしょうか。
  193. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) 原則的に申しますれば、辻委員のおっしゃるとおりだろうと私ども思っております。ただ、今回の国会の経緯から、これは議長並びに三党の間でそういった話し合いができまして、そういうふうに、まあ国会の意思としてきまったものでありまして、これ以上は私ども批判を差し控えたいと思います。
  194. 辻武寿

    ○辻武寿君 これで六ヵ月以内で答申が出るとお思いになりますか。
  195. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) これも三党の御意思でそういうふうにおきめになったのであります。でき上がった以上は、私どもそういう所信が貫けるように努力をいたしいと思います。
  196. 辻武寿

    ○辻武寿君 これはいろいろ審議会で相談してまとまらなかった場合には、これはけんか別れみたいにして、そこで、政令できめてしまうことになるわけでしょう。
  197. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) このまとまり方というものをどういうふうに予測するかでありますが、政府としては審議会の審議の経過を尊重いたしまして、われわれは答申の出ることを期待して政令を出す、こういうふうに考えております。
  198. 辻武寿

    ○辻武寿君 もう少し待っていればまとまるかもしれない。半年ではまとまらない。こういうときに、これは十二月十五日でもう期限が切れてしまう、それで、あとはどういう状況になるのですか。
  199. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) いまのところ、この修正案は国会の意思として、十二月十五日まで、こうきまっておる法律でございまするから、それに従わざるを得ない。ただ、そういう状況におきまして、あるいは法律を、そのときに改正でもして、またどうするかといったような問題が絶対ないということは別であろうと思います。
  200. 辻武寿

    ○辻武寿君 全然意見がまちまちで審議会がまとまらなかった場合に、政府の意向で政令できめてしまうということはあり得るのですか。
  201. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) 審議会の御意見ができるだけまとまることを期待いたしております。ただ、いまのたてまえによりますと、十二月十五日までに答申を出していただく、なお、この法律案が公布されましてから六カ月の間に政令は出す、こういうふうに法律できめられますものでありまするから、政府としてはそのとおりの処置をとらざるを得ないのではないかと思います。
  202. 辻武寿

    ○辻武寿君 審議会というものができて、そこで決定したものは国会へ戻ってこないわけです。政令できめられることになりますが、そうすると、国会の上に国会以上の権威がある審議会というものができたことになりはしませんか。そうすれば、憲法四十一条の、国会は国権の最高機関であり、唯一の立法府であるという憲法の精神に反するのではないかと思いますが、その点は、長官はどういうふうに考えられますか。
  203. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) これは、やはりいろいろな見方もおありだろうと思います。この実体論につきましては、ただ形式から申しますと、国会が法律でもってそういうことをきめた。すなわち国会の意思でそういうふうな取りきめができたという以上、やはりその最高決議機関の意思を尊重しなければなるまいと思っております。
  204. 辻武寿

    ○辻武寿君 しかしながら、実際にはいままでの法律は、これはいままでの祝日は全部法律できめられているのです。それを今度だけ、われわれ国会議員の間ではまとまることはできません、まとまりませんと、もう審議会にお願いいたしますとおやりになって、国会の審議放棄だ。それで審議会できめてもらう。審議会できまらなかったら政令できめてしまう。こういうようなやり方では国権の最高機関であり、唯一の立法府としての国会の権威を非常に失墜すると私は思うのですね。それは長官はそういうふうに思いませんか。
  205. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) この筋論と申しますか、ものの考え方として、そういうやり方がはたしていいか、悪いかこれはやはり御議論の生ずる問題であろうと私どもも思います。しかし、まあ同時に、できるだけ有識者の意見をきめた上で、国会で煮詰めた問題をひとつきめるようにしたらよかろう、こういうこと自身が国会の意思でございまするから、私どもそれ以上の批判はいたすわけにまいらないとか思います。
  206. 辻武寿

    ○辻武寿君 きのうも参考人の一人の方が言われておりましたけれども、好ましいことではないが、ただ、当時の国会というものの現状がそんな状態であったということを後世にわからせるための、そういう歴史的群雲になるだろう、参考になるだろうと、そういうような意味のことを言っておりましたけれども、そのようなきめ方というものは、私は国民が見たらおかしなきめ方だと、だれが見てもこんなやり方は筋が通らない。やっぱりいままでの法律が、祝日が全部法律できめられているのだから、審議会にかけることは、これは当然といっても、審議会で審議することはいいと、そんな半年だの三カ月だのと期限なんかつけないで、一年でも、二年でも、三年でもじっくりと審議会で検討して、そうして、大かたの結論が出たところで、この結果を内閣総理大臣が国会に報告して、国会でほかの祝日と同じように法律できめるのが私はほんとうのやり方である。それでこそ国民が納得できるきめ方だと思うので、まだこれは決定したわけじゃないのだが、いまからでもおそくないから、確かにそのとおりだと、期限をつけないで審議すること、並びに国会にその結果を内閣から報告さして法律できめること、こういうふうに私はするのが当然と思うけれども、覆水盆に返らずで、とてもそういうことはできないとなると、国民がどう思おうが、どういう評論があろうと、これはきめるのだ、そういう態度ですか。
  207. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) 先ほど申し上げましたように、政府は法律案として国会の御審議を願うべく提案をしたわけでありまするが、いろいろな経緯を経まして、そうして審議会の学識経験者の意見を聞いた上できめる。こういう御決定を衆議院ではいただいたわけであります。参議院でも、もしそういう御決定がいただけるならば、そういう形で法律案は成立いたしますので、私どもとしてはさまった法律を忠実に施行する。こういうふうに考えております。
  208. 辻武寿

    ○辻武寿君 それはやむを得ませんが、祝日が三日ふえることについて、日給の労働者、日雇い労働者、あるいはその他の人たちでかえって休日がふえるために収入が少なくなる、生活が苦しくなる。こういうふうにみんながお祝いすべき祝日さえも喜べないような階層の人たちに対して何か考えられているのでしょうか。
  209. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) この点につきましては、これは私自身の所管じゃございません。先ほど労働大臣も鈴木さんの御質問に対して御答弁あったように、政府としてはできるだけそういう問題に対する配慮をしながら今後も考えていかなきゃなるまいと考えております。
  210. 辻武寿

    ○辻武寿君 カレンダー業者が三十億円の損害を受けたということが新聞に出ておったのです。そういう人たちに対する、何か祝日ができたために破産するなんということがあっては、これはかわいそうです。こういう人たちに対する何か補助的な政策を考えてあげなければ、せっかくできた祝日だって何にもならないと思うのだけれども、こういうことについてどのような補助の手を差し伸べられるのか、あるいは差し伸べられないのか、その点をお伺いします。
  211. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) カレンダーというのは、非常に早い時期に、半年も前から準備にかかり、仕上げにかかるというふうな事情は私どもも聞いております。先日新聞に出ましたのが文字どおりそのまま三十億ということに相なるのかどうか、その点につきましてはもう少し調査をいたさなければならないと思っておりますが、これはまるまる損をするとか、全部だめになるということじゃあるまいと思いますが、もし何かできますれば、それに対する措置もするとか、あるいは臨時の応援——まあ臨時の措置もするというふうなこともできるのじゃないかというふうに思っておりますが、まだ実態を十分調査いたしておりません。その点どのくらいの被害になるか、損害になるかといった点では的確なことを申し上げがたいと思います。
  212. 辻武寿

    ○辻武寿君 これはカレンダー業者がかってに相談しないでつくったんだから、しかたがないといえばそういうことにもなるでしょうけれども、祝日ができれば、もちくらい配ってお祝いするのですから、ことに損害の人たちの生活が特別にそのために一生立ち上がれないというようなことがあれば、これはたいへんです。そういう人たちに対してあたたかい手を差し伸べてあげられるように、ぜひともこれは補助の手を打ってもらいたい。それを希望して私の質問を終わります。
  213. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) このまま暫時休憩いたします。    午後五時三十二分休憩      —————・—————    午後六時八分開会
  214. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) これより委員会を再開いたします。  国民祝日に関する法律の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を続行いたします。  質疑のある方は御発言を願います。
  215. 小林武

    小林武君 総理にお尋ねいたします。総理は、国民祝日に関する法律の一部を改正する法律案が提案されて以来の経過についてはよく御存じのことと思います。いまようやく採決の段階に至ったのは、各党間の相互信頼に基づいてのことであります。したがって、政府は日本国憲法のもとで国民がこぞって祝う祝日の性格にかんがみまして、祝日法の運用については世論の対立を避けるべきであると考えます。よって、次の事項について的確なる措置をとるべきであると思うわけでございます。  一つ、今回のごとき政令による施行は例外的便法なることを考慮し、政府は審議会委員の人選にあたっては三党と話し合うなど、公正、慎重を期し、円満に行なうよう措置すること。  二つ、審議会の運営については公正不偏、広く国民各界各層の要望にこたえ特段の配慮をすること。  以上の二点に対する的確な措置について総理の御決意のほどを承りたいと思います。
  216. 佐藤榮作

    ○国務大臣(佐藤榮作君) 御説のとおり、国民がこぞって祝うこの祝日の性格にかんがみまして、祝日法の運営等につきましては、世論の対立を避けるよう円満なる運営をいたしたいと考えます。
  217. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 他に御発言もなければ、質疑は尽きたものと認めて御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  218. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 御異議ないと認めます。  これより討論に入ります。御意見のある方は賛否を明らかにしてお述べを願います。なお、修正意見のある方は討論中にお述べ願います。
  219. 鈴木力

    鈴木力君 私はいま審議されております国民祝日に関する法律の一部を改正する法律案に対して、日本社会党を代表して反対いたします。以下その理由を簡単に申し述べます。  元来、国民祝日は、本法第一条に示しておりますとおり、「自由と平和を求めてやまない日本国民」が「こぞって祝い、感謝し、又は記念する日」でなければならないと思います。したがって、真に国民に受け入れられるべきもの、むしろ国民の側から盛り上がるものでなければならないと思います。したがって、建国の日を二月十一日の紀元節の日と決定するこの原案については誤まりであるということをまず最初に申し上げます、すなわち、第一に、歴史的根拠がないということはもちろん、第二に、明治初年に制定されて以来、日清、日露戦争に利用され、さらに第二次大戦に八紘一宇の合いことばに多くの国民を犠牲にし、日本の進む道を誤った軍国主義強化の日とされてまいったことであります。第三は、終戦と同町に、真実を理解した国民は、紀元節が事実無根の神話から出発したものであることを知り、戦争に対する強い反省の上にこれを廃棄した事実があることであります。第四に、これをいままた建国記念の日として二月十一日に日を定めることは、明らかに紀元節の復活であり、平和と主権在民、基本的人権尊重などを理念とする日本国憲法と相いれないものであることであります。かつて、紀元節は官庁、学校等の公式の場には存在いたしましたけれども、これが国民の生活になじんでおらず、とけ込んでいなかったことは、他の五節句等の国民に伝えられておるものと比較して明らかであります。また、現在の日本人のうち、紀元節の経験のない者は六〇%以上を占めておりますが、そこにこれを押しつけることは一部の国民のみを対象とした議論である、このような観点から反対の態度をとってまいったわけであります。しかし、この法案審議の過程で、衆議院においては議長のあっせんによる三党の申し合わせに基づく共同修正がなされ、二月十一日が原案から削除されその決定が審議会にゆだねられました。本委員会においても、議長のあっせんにより、慎重な審議の結果、政府も、三党共同修正に基づき、会の委員の人選に当たっては三党と話し合う等、公正慎重を期する旨、また審議会の運営について公正普遍、広く国民各界各層の要望にこたえるとの答弁もあったのでありまして、このことについては一応了とするところであります。願わくば、単なる答弁に終わらずに、ほんとうに国民が喜ぶ日を設定されることを強く期待するものであります。しかし、なお、この法案中、大きな欠陥は、建国の日の設定を法律とせずに、政令にゆだねることにあると思います。元日以下、今回追加されるスポーツの日、老人の日を含めてすべて法律事項であるにもかかわらず、建国の日のみを政令事項とされることは、法律のていさいはともかくとして、別扱いとされることに対する国民の危倶を招くおそれがあるのであります。さきに申し述べましたように、国民から盛り上がるものでなければならないこの記念の日が政令によって示達されるということは、この祝日の性格にかんがみて、まことに不適当であると言わざるを得ません。また、国会の審議権、その責任の上からもきわめて遺憾とするところであります。  以上の理由をもって私は本法案に反対するものであります。
  220. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 私は、ただいま議題となっております国民祝日に関する法律案に、自由民主党を代表して賛成の討論をいたしたいと思います。  まず、本法案の取り扱いについて触れてみたいと思います。国民祝日法制化にあたっては、国会で審議し、法律として決定さるべき性質のものであり、国会において過去八回にわたり審議されてまいりましたが、二月十一日の建国の日をめぐり、与野党の意見の一致をみないまま今日に至ったのであります。しかし、本国会におきましては、衆議院において議長裁定により二月十一日を削りこの日の決定については、政府の任命する十名の審議会委員によって慎重審議をしていただき、その答申を尊重して、六カ月以内に政令をもって定むることに話し合いがつき、衆議院においては何らの波乱もなく、各党が一致して修正したその案を参議院に送付されたのであります。  それを受けました私たちの気持ちは、三党の責任者が議長の前でそれぞれ署名捺印した文書を取りかわしたことでもあり、当然、参議院社会党をも抱束し、円満なる審議が行なわれるものと期待したのであります。しかし、祝日に無関係と思われるILOが待ち出されて、三党の申し合わせばむざんにも御破算となり、審議は実力と称する物理的抵抗によって大混乱したのでありますが、この事態を憂えた参議院成長のあっせんによって、公明党を含む三党間で、この祝日法案が、正常化された参議院運営のもと、会期内に必ず議了するとの約束がなされたことは御承知のとおりであります。私たちは、これによって衆議院における議長裁定に応じた各党の申し合わせ、すなわち、公党の約束は当然復活したものと考え、本法案に与野党一致して賛成していただくことを心から願うものであります。  私たちは、国会がその審議権を審議会に移すことについても、みずから国権の最高機関である権威を失墜するものであり、何のための代議制度であるかとの意見の多くあることをよく知っていますが、この際、国民祝日の性質を考え、各党が審議会の答申を尊重して政令で定むることに賛成していただくことにより、より多くの国民がこの建国の日を心からことほぐことができるし、お祝いの日が争いの中できめられないこと、なかんずく、まわりの者と仲よくしつつ、その本質を生かし合おうとする日本の大和建国の理想からも、そのほうがよりよいと信じたからでありまして、この審議会の人選にあたっては、立法府が行政府の中立性と固有法則性を尊重し、過度にわたる干渉はこれを避け、参議院議長の「人選にあたっては公正を期せらたい」との要望に全幅の信頼をおくものであります。  この際、本委員会における連日の審議を承っておりますと、建国を記念する日の野党の質問のほとんどが二月十一日に向けられているような気もいたしますので、少しく時間をいただきまして、このことについて触れてみたいと思います。二月十一日に対する反対の理由を大別して二つに分けることをお許しいただきますならば、第一に、その科学的根拠がないではないかということであり、第二には、軍国主義と戦争につながるという倫理の展開であろうと思うのであります。確かに現在、古事記と日本書紀の科学的合理性についてはいろいろな意見のあることは認めるにやぶさかではありませんが、二月十一日がよしんば神話伝承の日であるとしても、古い歴史を持つ日本の国においてこれにかわるべき建国の日が発見できない以上、最古の正史ともいうべき日本書紀の記載をあくまで尊重していきたいと願うのが日本人としての素朴な気持ちであろうと思うのであります。ことに、正月朔日を神武天皇即位の日に当てたということは、それがたとえ伝承や書紀選者の創作によるものであるにせよ、古代の日本人が、万象ことごとく開くものと考えた年の初め、このめでたい日を即位の当日であってほしいと念願した国民的願望のあらわれであって、これこそ科学的云々を越えた国民的真実であることに、この際ぜひ御刮目を願いたいと思うのであります。昨日、二月十一日説に反対の立場を表明されました戸村参考人も、私の質問に対して、自己の信仰するキリストの生誕の科学的根拠には一言も触れていただけなかったのでありますが、戸村さんは、キリストの実在を信じ、これが自分の生きる心のかてであるかのごとく強い発言をされましたが、何億万人のクリスチャンが、科学的根拠を越えて十二月二十五日をキリスト生誕の日としてお祝いをする歴史的事実について、科学性を口にされる方々にはぜひ御一考をわずらわしたいと思うのであります。日本書紀による辛酉年春正月朔日とあるのは、新暦採用後、明治六年、紀元節制定の際、換算の結果、二月十一日となったのであって、これに昨日出席された平田参考人の説にもあるごとく、塚本氏の三正綜覧によってもその真実性が立証されるはずであります、また、この辛酉年春正月朔日の建国が、いまから約千二百五十年前の日本書紀に書かれ、それを多くの日本人が長い長い年月を、最も古い歴史書として尊重してきた事実や、二月十一日が紀元節としてすでに明治、大正、昭和の三代にわたって久しく国民生活の中にとけ込み、離れがたい親しみを持っている歴史的事実こそ、私は最も尊重さるべきでなかろうかと思うのであります。ことに、昭和二十三年から内閣調査室で行なってまいりました世論調査や、NHK、各新聞社等による世論調査の結果を見ても、常に八〇%以上の日本人が二月十一日の建国記念日に賛成をしている事実をぜひ御一考を願いたいと思うのであります。また、根本参考人のことばの中にもありましたが、日本の天皇についても一言触れてみたいと思います。根本さんが、日本の国は大和朝廷によって統一され、自来、わが国の社会形成も文化の発達もすべて皇室を中心としてきたと言われましたが、これは他国にも例を見ない姿でありまして、他国に見るような、の支配者と人民の対立闘争の姿はそこになく、大調和の家族体制をつくり上げたその特色ある国柄をるる述べておられました。私たちは、これでこそ現憲法が天皇が国民統合の中心として位置され、国民の崇敬を集めておられるゆえんのものが理解されるのであります。  第二には、二月十一日だと軍国主義につながり、戦争につながるという論理の展開についてであります。確かに二月十一日の紀元節が、当時の為政者によって利用された事実があったでしょう。しかし、そうしたものごとを判断するには、その当時の社会的背景や国家的要請を無視しては、それこそ合理性に欠けた判断だと指摘されてもいたしかたないと思うのであります。幕末から明治にかけての時代は、西欧の列強が、その魔手を東洋に指向してきたときであり、日本もその圏外でなく、徳川の幕政から明治の政治体制になった日本の国が、その独立と安全を全うするため、富国強兵をはかる必要があったのであって、そのため、当時の為政者も国民画角も一体になって国力の増強に心魂を傾け、よく列強の植民地支配の毒芽からのがれたのであります。もし当時の私たちの先輩が、国際情勢の判断を誤り、国民的総努力を怠っていたならば、おそらく植民地化したのであろうと思うのでありまして、こうした中で、二月十一日が日本人の共通の歴史を思い、そこから国民的自覚を高める祝祭日として制定されたものであり、本質的にはこうしたことの理解の上に立って二月十一日を考えていただきとうございます。  終戦直後から数年間、私たちは日本人でありながら日本の国旗日の丸をあげることや、また君が代を歌うことにちゅうちょしたことを私たちは知っております。ここで一例を申し上げまするが、昭和三十年か二十九年のころでございました。和歌山市民会館で開かれました県青年団の大会で、国旗日の丸を掲げること、君が代を歌うことについて大激論が戦わされました。また、会場でも、君が代は民謡だから、民謡を歌うならば串本節を歌えという合い図のもとに、大混乱をしたことがいま記憶に残っております。しかし、十年近く経過いたしました三十八年、私は当時、その扇動者の一人と目されました現某党の市会議員である方とある会場で一緒になったのでありまするが、その方が、何のてらいもなく、日の丸の前で国歌君が代を姿勢を正して歌う姿を見て、私は日本人としてたいへんうれしく思ったのであります。三十九年、国際オリンピック競技場に日の丸があがり、君が代が吹奏されると、そこにはイデオロギーを越えた一個の日本人として心から祝福を送ったその当時の気持ちを大切にしたいと思うのでありまして、巷間、風が吹いたらおけ屋がもうかるという式の倫理の展開が、この軍国主義につながり、戦争につながるという倫理の展開と同じであろうという巷間のうわさについても、ぜひひとつお考えを願いたいと思うのであります。  私は、こういうことを申し上げまして、本法案の賛成討論を終わりたいと思います。
  221. 辻武寿

    ○辻武寿君 私は公明党を代表して、ただいま議題となっております国民祝日に関する法律の一部を改正する法律案に対して反対するとともに、ここにあらためて本委員会に修正案を提案するものであります。  まず、修正案を朗読いたします。    国民祝日に関する法律の一部を改正する法律案に対する修正案   国民祝日に関する法律の一部を改正する法律案の一部を次のように修正する。   第二条成人の日の項の次に建国記念の日の項を加える改正規定中「政令で定める日」を「別に法律で定める日」に改める。   附則第二項から附則第四項までを次のように改める。   (建国記念の日となる日を定める法律制定)  2 内閣総理大臣は、この法律による改正後の国民祝日に関する法律(以下「改正後の法」という。)第二条に規定する建国記念の日となるべき日について、建国記念日審議会に付議しその調査審議の結果を国会に報告しなければならない。  3 改正後の法第二条に規定する建国記念の日となる日を定める法律は、前項の規定による内閣総理大臣の報告があった後に制定するものとする。   (総理府設置法の一部改正)  4 総理府設置法(昭和二十四年法律第百二十七号)の一部を次のように改正する。    第十五条第一項の表中同和対策協議会の項の次に次のように加える。   建国記念日審議会 国民祝日に関する法律の一部を改正する法律昭和  年法律第  号)附則第二項の規定に基づき建国記の日となるべき日について調査審議すること。  本修正につきましてその内容及び理由を以下御説明申し上げたいと思います。  国民祝日は、申すまでもなく法第一条に示されておりますとおり、「国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日」でなければなりません。したがいまして、祝日を新たに設けるにあたっては国民の声を十分に反映した、国民のすべてが納得し賛成する日が望ましいことは当然であります。  ところで、建国記念の日の制定については、国民の多くが賛成しでいるとは言え、その日を何月何日にするかということについては意見がなおまちまちであり、今日の段階でこれを具体的に定めようとすることは時期尚早であり、困難であります。このような意味合いから衆議院修正がなされて、建国記念の日となるべき日について、調査審議をするための審議会が設けられることとされた今回の措置は、一応時宜を得たものと考えるのであります、しかしながら、建国記念の日となるべき日の決定を政令にゆだねるという規定は、祝日法の意義及びその制定事情並びに国会審議権の尊重という諸点を考慮すれば、適切なる措置であるとは申せないのであります。すなわち昭和二十二年末、町の政府が政令をもって急ぎ祝祭日を制定実施しようとしたものの、世論の反対等によりこれが中止され、あらためて国会において慎重審議され、国民の強い支持のうちに議員立法としてこれが成立したことを思い起こすのであります。また、法律できめるべきものを政令に委任してしまうことは、事が重要な建国記念の日となるべき口をいつに定めるかという事柄でありますだけに、これはやはり国会は国権の最高機関であるとする憲法の精神に沿って、議会制度の擁護、尊重の立場から法律によるべきが当然であると考えるのであります。  以上が修正内容の第一点であり、その理由であります。  次に、内閣総理大臣は、総理府に設けられます建国記念日審議会の調査審議の結果を国会に報告するものとすること及び建国記念日となる日を定める法律制定は、その審議の結果が国会に報告された後においてなされるものとするように修正をいたしたいのであります。これらの措置は、せっかく設置されます審議会の調査審議の結果が、法律制定に際して十分反映されるよう所要の手続を定めようとするものであります。  次に、建国記念日審議会の存続期日について、衆議院送付原案では本年の十二月十五日までと、特に限定をしておりますが、この点を削除したいのであります。建国記念の日をいつにするかという問題の重要性と、今日までのこれが経緯等を考えましても、審議会の決議を法律によって六カ月以内という短期間に性急に求めることは悔いを長い将来にわたって残す懸念が十分にあります。もちろん、常識的な意味でりっぱな結論が早く得られることを期待するといただしましても、六カ月以内に答申、本年十二月十五日までの審議会の存続という法律的限定は、むしろ避けるべきが適当であると考えるのであります。  以上、修正案の内容並びにその理由を御説明申し上げました。何とぞ御賛成くださいますようお願い申し上げます。
  222. 林塩

    ○林塩君 私は第二院クラブを代表いたしまして、ただいま議題となっております国民祝日に関する法律の一部を改正する法律案に反対し、公明党提案の修正案に賛成するものであります。  衆議院におきますところの自民、社会、民社の三党共同修正案は、建国記念日の日を審議会の答申に基づいて政令で決定することとし、審議会の存続期間を六カ月と限定してありますが、建国記念日がまだきまっていない以上、いま急いで法律として定めておく必要はないのでありまして、審議会で慎重に検討した上で、適当な日取りがきまってから、改めて別に法律で定めることが妥当な措置だと思うのでございます。また現在、建国記念日について国民の間に論議がある折柄、審議会の存続期間を六カ月と制限して、結果的には十分な検討を加えることができず、国民に不満の念を抱かせるようなことが起きた場合には、それこそ後世に悔いを残すことになると思うのであります。建国記念日という最も意義ある記念日を定めるには、国民の大多数が納得の上で、国民こぞって祝うことができるよう慎重な検討を加え、その結果、内閣総理大臣が国会に報告いたしましてから法律として定めることが、真の民主的な手続でありますから、そのためには審議会の存続期間を制限すべきものでないと存じます。  この意味におきまして、公明党提案の修正案に賛成するものであります。
  223. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 他に御意見もないようですから、討論は終局したものと認めて御異議ございませんんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  224. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 御異議ないと認めます。  それでは、これより国民祝日に関する法律の一部を改正する法律案について採決に入ります。  まず、討論中にありました辻武寿君提出の修正案を問題に供します。辻君提出の修正案に賛成の方の挙手を願います。   〔賛成者挙手〕
  225. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 挙手少数と認めます。よって辻君提出の修正案は否決されました。  それでは、次に、原案全部を問題に供します。本案に賛成の方の挙手を願います。   〔賛成者挙手〕
  226. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 挙手多数と認めます。よって本案は多数をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。  北畠委員より発言を求められておりますので、この際これを許します。北畠君。
  227. 北畠教真

    ○北畠教真君 私は自民、社会両党を代表して、本法案に対し附帯決議を付することを提案いたします。  まず、決議案を朗読いたします。   「国民祝日に関する法律の一部を改正する法律案」に対する附帯決議(案)  政府は日本国憲法のもとで国民が挙って祝う祝日の性格に鑑み祝日法の運用については世論の対立をさけるべきである、よって次の事項について適確なる措置をとるべきである。     記 一、今回の如き政令による施行は例外的便法なることを考慮し政府は審議会委員の人選にあたっては、三党と話合う等公正慎重を期し円満に行うよう措置すること。 二、審議会の運営については公正不偏広く国民各界各層の要望にこたえ特段の配慮をすること。   右決議する。  何とぞ御賛同をお願いいたします。
  228. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) ただいま北畠委員から提出されました附帯決議案を議題といたします。  ただいまの附帯決議案を本委員会の決議とすることに賛成の方の挙手を願います。   〔賛成者挙手〕
  229. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 挙手多数と認めます。よって北畠委員提出の附帯決議案は、多数をもって本委員会の決議とすることに決定をいたしました。  本決議に対し、総理府総務長官より発言を求められておりますので、これを許します。安井総務長官。
  230. 安井謙

    ○国務大臣(安井謙君) 当委員会におきましての附帯決議につきましては、政府といたしまして十分その趣旨を体し、善処いたしたいと存じます。
  231. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) なお、本院規則第七十二条により議長に提出すべき報告書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと思いますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  232. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 御異議ないものと認め、さよう決定いたします。
  233. 小林武

    小林武君 報告書のことについて委員長に一任することについては異議がありません。しかしながら、先ほど来の自由民主党を代表しての討論について、これの報告については私どもは慎重に配慮を払っていただきたい、このことを委員長にひとつ要請いたします。(「理事会で検討してくれ」「聞きましたということで」と呼ぶ者あり)聞きましたでは困る。簡単に言ったのは、いろいろなことも配慮して簡単に申し上げた。したがって、その配慮のほどはひとつわれわれにはっきりお示しをいただきたい。ただ御一任申し上げたと言っても、われわれの意に反するようなことをやられるのでは迷惑するから、先ほどのような発言をしたわけです。その点の取り扱いについてはどうですか、よろしいですか。
  234. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) それはまた慎重に考慮して善処します。
  235. 小林武

    小林武君 理事会等にはかって、その他の点については善処いたしますか。よろしいか。
  236. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 慎重に考慮して善処すると、こう申したわけであります。     —————————————
  237. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) この際、私立学校教職員共済組合法等の一部を改正する法律案を議題といたします。  前回に引き続き、これより質疑に入ります。御質疑のある方は御発言願います。——別に御発言もなければ、質疑は尽きたものと認めて御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  238. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 御異議ないと認めます。  それでは、これより討論に入ります。御意見のある方は賛否を明らかにしてお述べを願います。——別に御意見もないようでございますから、討論は終局したものと認めて御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  239. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 御異議ないと認めます。  それでは、これより採決に入ります。  私立学校教職員共済組合法等の一部を改正する法律案を問題に供します。本案に賛成の方の挙手を願います。   〔賛成者挙手〕
  240. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 総員挙手、全会一致と認めます。よって本案は全会一致をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。  小林委員より発言を求められておりますので、この際これを許します。小林君。
  241. 小林武

    小林武君 本案に対して附帯決議の提案をいたします。    私立学校教職員共済組合法等の一部を改正    する法律案に対する附帯決議(案)   私立学校教育の重要性と私立学校教職員共済組合の特殊事情にかんがみ、政府は、左記事項について検討し、すみやかにその実現を図るべきである。  一、多数の高齢者組合員に対する年金在職支給措置、物価上昇に見合う既裁定年金引き上げ措置等を講ずるために、長期給付に要する費用に対する国の補助率を引き上、げること。  二、組合の業務とくに短期給付事業の拡充、事務態制の整備強化等を図るとともに、学校法人および組合員の負担を軽減するため、必な費用について国の補助を行なうこと。    右決議する。  以上、提案いたします。
  242. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) ただいま小林委員から提出されました附帯決議案を議題といたします。  ただいまの附帯決議案を本委員会の決議とすることに賛成の方の挙手を願います。   〔賛成者挙手〕
  243. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 全員挙手、全会一致と認めます。よって小林委員提出の附帯決議案は全会一致をもって本委員会の決議とすることに決定いたしました。  本決議に対し、文部大臣より発言を求められておりますので、これを許します。中村文部大臣。
  244. 中村梅吉

    ○国務大臣(中村梅吉君) ただいまの附帯決議につきましては、政府といたしまして、その御趣旨を尊重いたし、誠意をもって検討いたしたいと思います。
  245. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) なお、本院規則第七十二条により、議長に提出すべき報告書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  246. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  暫時休憩をいたします。    午後六時四十六分休憩      —————・—————    午後七時十二分開会
  247. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) これより文教委員会を再開いたします。  これより請願の審査を行ないます。本委員会に付記になっております請願第六号、へき地教育振興法の一部改正に関する請願外一一一五件を議題といたします。  速記をとめて。   〔速記中止〕
  248. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 速記を始めて。  それでは、ただいまの審査の結果、採択すべきものとされました請願の件名を専門員より報告いたさせます。
  249. 渡辺猛

    ○専門員(渡辺猛君) ただいま御審査の結果、採択すべきものとされました請願の件名は、お手元にお配りしました一覧表にございますように、一、教職員設置及びその待遇に関する件外三十一件であります。
  250. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) ただいま専門員より報告のありました請願は、議院の会議に付することを要するものにして、内閣に送付するを要するものと決定することに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  251. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 御異議ないと認めます。よってさよう決定いたしました。  なお、報告書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  252. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     —————————————
  253. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 継続調査要求についておはかりをいたします。  教育、文化及び学術に関する調査につきましては、閉会中もなお調査を継続することとし、本院規則第五十三条により本件の継続調査要求書を議長に提出いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  254. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  なお、要求書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  255. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     —————————————
  256. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 委員派遣承認要求に関する件についておはかりいたします。  教育「文化及び学術に関する調査のため委員派遣を行ないたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  257. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 御異議ないと認めます。  つきましては、派遣委員の人選、派遣地、派遣期間等は、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  258. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  なお、本院規則第百八十条の二によって議長に提出する委員派遣承認要求書の作成等につきましても、便宜、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  259. 二木謙吾

    委員長(二木謙吾君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後七時十七分散会      —————・—————