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神近委員 そんなおとなの心で
子供の
——いま十七歳といいますけれ
ども、見てごらんなさい。色気もなければそっけもない、
子供とちっとも違わない、十五歳ぐらいの
日本人の
子供のように見える。ただ頭だけは非常にいいですよ。これはともかく九歳で
日本に入るまで、いろはのいの字も知らなかったのを、家庭教師をつけて勉強させたところが、二年くらいですっかり字を覚えて、そして小
学校の五年か六年に入ったというのですから、頭は非常にいいのです。それでただふしあわせなのは、
終戦後の
韓国の独立で混乱していて、
戸籍に入れられていなかった。これは
父親も
母親も、
韓国との
関係がよくわからなかったのかどうか知りませんが、ともかく
父親も
日本で生まれている、
本人も
日本で生まれている、そして
おばあさんは長いこと大阪に居住して、貿易か何かやっていた、そして
子供は
同志社大学に入れて教育していた、これだけはっきりわかっている。それで十四か十五の
子供があなた方をごまかしていろいろな工作をするということができますか。そして
肉親でもない
——韓国人は、中国人でも驚きましたけれ
ども、
肉親というもの、
自分と同じ血というものは非常に大事にするのです。われわれ
日本人よりももっと強いですよ。よその血を
自分のめいでございます。おいでございますというようなことを言うはずがありますか。私は、何かのためにこの
女の子を、愛情以外で育てたいというようなことは
考えられません。この
女の子は、
日本で勉強して、そして
自分と
同国人の教育に携わりたいというような素朴な
考え方を持っているのです。私はこれをどういうわけであなたが
無理やりに帰そうとなさるのか
納得ができないのです。これは
子供ですよ。
未成年者ですけれ
ども、十五ぐらいにしか見えません。それをせっかく
親権者と認めない。さっき申上げたでしょう。
父親の
戸籍謄本はちゃんとありまして、その
父親と娘が親子であるかないかがわからないとおっしゃるけれ
ども、親戚が認めている。親戚も、それから友人もちゃんと証人がおりますよ。この間その
父親の行くえをさがすために、お金をこちらから支払って、わざわざ大阪から播州まで行ってもらった。そして
英子の
母親の次に結婚した
日本人妻をさがしあてて、行くえがわからないかということを尋ねたのです。そしてそこに十一になる男の子がいたということもわかっている。これは
日本人の籍に入っているようですけれ
ども、実際に血のつながったきょうだい、異母弟ということになっている。疑えばもっと悪質な者がうんといるんです。いろいろなケースがありますよ。そんなのには案外けろっとだまされて、そうしてこういう
子供をあなた方が追いやろうとなさるのが私
納得できない。
韓国人の悪い者だったら、もううんといます。いろいろなところに巣食っています。そしてそんなのにはいいかげんにだまされて、ごまかされて、何にもできない無力な
子供を追い返そうとなさろうとするところに、私はあなたの
考え方がずいぶん曲がっていると思うのです。だから、
入管に、置いてもらうためには百万要るとか五十万要るとかいううわさ、これは私のところに来る人がそういうことを言うんですもの。そういうところが私は
納得できないのです。
父親が
日本でどうしてもめっからない。そんならもう少し時間をかしてみればいいじゃありませんか。殺されているか、あるいは何かに、たとえばCICとかG2とか、あるいは何とかいうのがありましたが、そういうところでは、
相当韓国人が使われていた。これは英語もできるし、ちょっとインテリ然とした人だったから、そういうことも想像されなくもないと思うのです。その点で、あなたのお
考えがずいぶん故意にか不注意でか、曲がっている。
子供じゃありませんか。その点であなたがこの間、品川の拘置所からこれを出すために、私は何か
法務大臣あての書類を書かされたけれ
ども、それはあすこに入れられてわあわあ朝から晩まで泣いていて
——子供じゃありませんか。ほかのことは何にもわからない。
自分がからだに受けている拘束だけが気になって、わあわあ泣いてごはんも食べない。それでこの
おばさんが私のところに来て泣くので、私は契約書を書いたんですよ。私、いつでもあれを取り消します。ぜひこの問題はしっかり
考えていただかなければならない。私はなるほどなあ、
肉親というものは
——私はいままで
肉親というものをこんなに強く感じたことはないのです。この
人権宣言を見て、
肉親の
集団というものはこんなに大事にされるのかな
あということを感じたわけであります。
〔
委員長退席、大竹
委員長代理着席〕
それからもう一つ、これは犬養
法務大臣のときでしたけれ
ども、さっき申し上げたように
梁溢光という広東の青年の問題であります。これはそのときに全部
——出
入国管理局のその時分の
局長さん、いい人でしたよ。ともかくも
日本語ができたために、広東で軍に使われて、そのために
終戦になったら中国にいられなくなって、そうして
日本に密
入国してきた人、これは
日本一うまい
コックですけれ
ども、ともかくも
日本に来て、そうしてこれは
入国を快く認めていただいた。なるほど
日本軍に協力したために中国にいられない人を
日本が保護するのは当然だということで、たぶん
法務委員会で御
相談したかと思うのですけれ
ども、これは許していただいて、そうしていま横浜で、中流くらいですけれ
ども大きな中華料理屋をやって繁盛している。この三男も妻もそれから二女もみんな入れてくださったんです。というのは、
日本にそんなに縁故の深い者ですから……。ところが、戦争後二十年たちますと、
相当かせいでいますけれ
ども、やはり
自分も健康上に不安が来て、後継者をつくっておかなくちゃならないというので、
梁溢光の
入国を願っているわけです。ところがこれは御
許可がない。妻も三男も入ることを快く許してくださったのに、この次男だけ、十七歳か十八歳ですけれ
ども、どうしてひっかかっているのか、ちょっとお伺いしておきたい。