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参考人(中村哲君) この問題については、
憲法上
違憲の疑いが十分あります。その論拠を詳しく申し上げますが、最初に論点を申しますと、第一には、先ほど
大石教授が、平等の
原則の十四条を持ち出されましたけれども、その中の、特に
栄典に伴う
特権というほうで、問題があると
考えます。この点は、
鈴木教授の強調された点とほぼ同じであります。これは、十四条に現実に違反する疑いがあるということ。
それからその次は、
金鵄勲章というものの
性質そのものが、現
憲法の
基本的な
精神に反する。具体的には、その
精神をしるしました
前文の
趣旨に反する。これが
憲法に違反する疑いが十分であると思います。
それから第三に申したいのは、この
特別措置法案の
趣旨説明の中に、外国において云々ということがありましたけれども、これは、おそらく現在西独において、この種の
勲章の佩用を
復活させ、また、それに対する功労金を認めているというこの問題を背後に
考えられて、それを類推して言われているものと思いますけれども、
日本憲法と西独
憲法は
基本において違う。しかも、この西独
憲法は、西独の再軍備のための
憲法改正に伴って、そういう軍事的な
勲章の
復活と功労金の
復活を認めたものでありますから、したがって、これは
日本憲法の場合には、もとより
戦争を放棄している。この
憲法においては、違反という問題を、比較
憲法的に言っても十分
考えなきゃならないと思います。ただ、最後には、この二十五条の
社会保障制度との
関係がありまして、これらの問題は
社会保障制度の中で
考えるべきであると、こういうふうに
考えますが、以上の、最初の三点について詳しく申し上げます。
まず第一に、十四条の問題でありますが、この十四条は、「栄誉、
勲章その他の
栄典の
授与は、いかなる
特権も伴はない。」という
ことばでありまして、これは現在、
金鵄勲章という栄誉そのものを実施している、佩用することを認めている、それに基づいて
年金を認めるというふうに倫理的な
関係はとっておりませんけれども、実質的には
金鵄勲章があるためにそれに伴って
年金を認めているので、これはやはり、現在の、現段階において、
金鵄勲章という栄誉を認めているわけではないが、
金鵄勲章という栄誉に伴う、かつてあった、そしてこれは禁止されている、法によって禁止されている、それに伴う
特権を認めようという限りにおいては、やはり栄誉に伴う
特権を積極的に認めたものとして、第十四条の違反であります。この点については、たとえば
文化勲章についても、
憲法論としては、たとえば宮沢教授はこの点について、
文化勲章とそれから
文化功労者に対する
年金というものを一応切り離しているけれども、これはやはり脱法
行為であると見られるという表現を使っておられるぐらい、
文化勲章の場合でもそのことが問題になるのを、すでに禁止している
金鵄勲章に対してそういう
特権を、
年金という
特権を認めたということは、これは
憲法違反が十分あります。また、
ことばをこまかく申しますと、この十四条の
規定はこうなっております。「
栄典の
授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。」、こうありまして、「現にこれを有し、又は将来これを受ける者」という
ことばを使ってありますが、現に
金鵄勲章を有しているのではなく、すでにもう現在は
金鵄勲章は有していないわけであります。また、将来
金鵄勲章を受ける者というような
意味でもないので、この
栄典の
授与ということの中に、
金鵄勲章はもはや入っていない。これは正確に言いますと、
憲法の制定のときでなく、
憲法が実施された二十二年の五月三日に
金鵄勲章は廃止されております。したがって、そういう
金鵄勲章に伴う
年金を
復活させるということが、こまかく検討した場合に問題になる。これは小さなことでありますけれども、一言つけ加えておきます。
で、第二点の、
金鵄勲章そのものが現
憲法の
基本的な
趣旨に、反するということ、これを申し上げたいと思います。
第一は、この
金鵄勲章というもの自身は、いまの
国民主権の
日本憲法とは全く異なる明治
憲法の天皇主権的な天皇の軍隊として
授与されたものであるという点において、
金鵄勲章というもの自身が、これは現
憲法の
趣旨とは反するということが問題になります。ことに
金鵄勲章の制定されました明治二十三年二月十一日、これは紀元節でありますが、そのときの詔書を見ますと、現
憲法下に承認されるような
性質のものではないことが明瞭であります。その詔書の文章を読んで、みます。
「朕惟ミルニ神武天皇皇業ヲ恢弘シ継承シテ朕ニ及ヘリ今ヤ整カニ登極紀元ヲ算スレハ二千五百五十年ニ達セリ朕此期ニ際シ天皇戡定ノ故事ニ徴シ」――「天皇戡定ノ故事」というのは、天皇が討伐する、天皇討伐の、国の軍隊ではなくて、天皇の軍隊。「天皇戡定ノ故事ニ徴シ
金鵄勲章ヲ創設シ将來武功抜群ノ者ニ授與シ永ク天皇ノ威烈ヲ光ニシテ以テ其忠勇ヲ奨励セントス汝衆庶此旨ヲ體セヨ」これはいまの
憲法でいう
国民主権の
趣旨とは反する天皇の軍隊である。天皇の威烈を明らかにせよという天皇主権的な
考えでありまして、いまの
憲法の趣意に全然反します。しかも、こういう詔書はいまの
憲法のもとにおいては排除されております。なぜならば、
憲法の
前文が、この
憲法に反する詔勅を排除するという
ことばを使っておりますから、
金鵄勲章の根拠となった詔勅は廃止されているわけです。
前文を見ますと、
「この
憲法は、かかる原理に基くものである、われらは、これに反する一切の
憲法、法令及び詔勅を排除する。」
日本国憲法の
前文に言っております。
平和主義、国際主義、
民主主義、これに反する詔勅は排除されているわけです。そういう
意味合いから与えられた金鶏
勲章であるということ、この点は比較してみますと、明治八年に「勲等
勲章の制」というものができておりますが、この場合には「
国家に功を」ということを言っておる。ところが、この
金鵄勲章の場合は、天皇の威烈を明らかにするとか天皇が討伐する――天皇討伐ということの故事を引き出しているということ、これは現
憲法とは違う。また、近代的なおよそ外国の軍隊ともまた違う点であります。イギリスにおきましてはビクトリアクロスという最高
勲章がありますけれども、この場合にはやはりザ・カントリーに対して、
祖国に対してということがあるのですが、この詔書の
金鵄勲章の文言では「天皇ノ威烈ヲ光ニ」するという点で全く私は反すると思います。
それからその次に、
金鵄勲章の
授与のしかたでありますけれども、外国の軍隊において軍隊の最高
勲章が与えられるというケースと
日本の場合とは非常に違います。その点ちょっとここに引用いたしますが、ベネディクトという、これはアメリカの
政治学者であり
民族学者であるこのベネディクトさんの「菊と刀」という本は御承知だと思いますけれども、これは単に
日本のことを書いただけでなくて、
政治学の上では半ば古典とされている本であります。この中に、
日本人が
勲章というものをどう
考えているか、――民主的な
国家における
勲章の
授与のしかたと非常に違うことをあげております。それは、
日本の当時の
戦争中のラジオが、アメリカ海軍が台湾沖で機動部隊を指揮したジョン・マッケインという提督に対して
勲章を授けた、そのときに、それがいかにも信ぜられないこととしてラジオが報道したと、それを取り上げてるわけです。どういうことかといいますと、このマッケイン提督は、
日本のこれは空軍でありましょうが、
日本の攻撃を受けて軍艦が二隻損傷して、そして損傷したためにこのマッケイン提督はその損傷した船と人を救助しまして、そしてアメリカ本国に帰った、それに対してアメリカ本国はネービー・デコレーション――海軍の
勲章を授けた、そのことが
日本のラジオで、そういうことがあるだろうか、ということを伝えたという、それをベネディクトさんが取り上げまして、民主的なアメリカのような国においては、人命を救助するとかあるいは損傷した軍艦を無事に本国に帰したと、こういうことに対して海軍
勲章を与えているのに、
日本人はそういうことが全然わからない、こう言っております。実はこのことが
金鵄勲章の
授与のしかたについてもおそらく
関係あると思うんです。
金鵄勲章はいかなる場合に
授与されたかというと、民主的な国において戦闘に対して与えられる
勲章の
授与のしかたと私は異なると思います。
それから、いまの点を続けて申しますと、
金鵄勲章の
年金を
復活させるということの中に――この立法の趣意書を読みましても、「国のため、
生命を賭して、抜群の武功」――「武功」を削って「功績」と私のいただいたものにはなっておりますが、「抜群の功績をたてた
人々」、こういう点で
国民に訴えようとするものだろうと思いますけれども、この
金鵄勲章はどういう範囲に与えられたかといいますと、そういう
国民大衆に与えられただけではなく、これは当時の軍の首脳部に最高の
勲章がやはり与えられているのでありまして、この
金鵄勲章はそういう
戦争で命をかけて犠牲を負った、そういう人だけでなくて、まさに
日本軍隊そのものに、またその持っている
戦争あるいは軍国主義、こういうものそのものを肯定し、鼓吹するために授けられたものというふうに思われます。で、この点は試みに
金鵄勲章がどういう人に最高章を与えられているかということを見てみますと、満州及び上海事変におきまして、最高の功二級をもらった者は、上海派遣軍司令官大将白川義則、功一級満州国大使関東軍司令官大将武藤信義、功一級関東軍司令官侍従武官長大将本庄繁、こうなりますと、この
金鵄勲章の最高のものが、当時まさに軍の現地の代表に与えられている。つまりこれは軍そのものを象徴するものでありまして、軍によって犠牲を受けたいわばランク・アンド・ファイルといいますか民草、その人たちに主として与えられたというだけでなく、軍の機構そのものに与えられた、このことは戦前の
戦争というものがどういう
性質のものであるか、これはいまさらアメリカが問題にしておりますような、ああいう極東裁判のことを持ち出す気持ちはありませんけれども、まさにそういうことに対する反省をしようとするときには、どうも問題があるのではないか。支那事変においては、各軍司令官が功二級をもらっております。功一級は畑俊六、寺内壽一、岡村寧次、西尾壽造、松井石根、杉山元、功二級は東條英樹、蓮沼蕃その他があります。
日清戦争のときは、これは当時はまだ功一級はありませんが、
日清戦争に次ぎまして、
日露戦争ではどういう人が最高の
金鵄勲章をもらい、その人たちが
金鵄勲章のいわば象徴として
考えられたかといいますと、当時、功一級もらいましたのは、大山、山縣、野津、児玉、黒木、奥、長谷川、乃木、川村、西、寺内、この十一人。広瀬武夫は功三級であります。こうなりますと、現地の戦闘の勲功というだけではなくて、軍そのものの指導部に与えられた。ことにこういう種類の
金鵄勲章というものは、軍政
関係よりも現地軍的な人に与えられるというふうに理解しておりますけれども、この
日露戦争の場合には、教育総監の西、陸相の寺内がこれを
授与されているのです。そういうことから
金鵄勲章というものが、まさに
日本の軍国主義そのものを象徴しているというふうに
考えられます。こういうものを、ただ
年金というところだけを取り出して
復活させると言っておりますけれども、これは結局
金鵄勲章そのものに通ずるものであります。
第三点、西独の問題でありますが、実はやはりこの趣意書の中に「国のため、
生命を賭して、抜群の功績をたてた
人々が、かくの如き状態に放置されていることは、列国に例を見ない」と言っておりますが、おそらく
日本と同じようなケースになるのは西ドイツの場合であります。で、西ドイツにおきましては、一九三九年に鉄十字章――ダス・アイゼルネ・クロイツ、それから一九四八年のドイツ金十字章――ドイッチェス・クロイツ・イン・ゴルト、こういうものが最高の
勲章でありましょうか、これは連合国が管理していた段階においては、佩用を禁止されておりました。ところが一九五三年の秋に、この佩用の
復活が認められ、そうしてやがて
年金が、功労金が認められているわけです。ところが、これはそこだけを取り出しまして、ドイツでも功労金を出しているではないかという人もある。あるいは、おそらくそういう国際的な例を背景にしながら言われていると思いますけれども、実はこの一九五三年の秋に鉄十字章や金十字章、ただこの場合にはハーケン・クロイツのナチスのマークははずしまして、そして佩用してもいいということにしているのですが、それをやりましたのは一九五三年秋ですか、その三月にドイツは再軍備をするために
憲法の改正をいたしました。つまり、
憲法改正に伴ってそういうことを認めたわけなんです。で、しかもドイツ、西独
憲法と
日本憲法は根本
趣旨において違っておりまして、
日本の場合には第九条で
戦争を完全に放棄しておりますが、ドイツにおきましては地理的
条件と国際
政治的な
条件が違っておりますから、地理的にはソビエトを中心とする東と西が接触している位置にドイツがあるわけですから、
日本のような島国ではありませんから、防衛の方式についてもかなり違ってくる。どうしてもここでは集団安全
保障が必要となってくる。でありますから、ドイツ
憲法は
日本の
憲法と違いまして、
日本憲法の場合は、当初あの制定しました当時の首相吉田氏、また外務省の条約局長、西村氏だと思いましたが、これらの人が永世中立的なことを当時言っておりましたように、第九条の背景となっているのは永世中立です。ところが、ドイツの場合には地理的なこともあり、国際的
条件もあって集団安全
保障方式をとっているのです。しかも
日本のように
戦争に関する
規定や軍隊に関する
規定を積極的に置かず、場合によっては
復活し得るようにしている。それでも一九五三年には欧州防衛共同体、EDCと言われるものにドイツが参加して事実上の再軍備をするためには
憲法改正をしなければならない。その、したことに伴ってこのドイツの軍事的な最高
勲章を
復活させている。ところが、
日本の場合には、
憲法は変わっていない。しかもその
憲法はドイツの
憲法とは違って永久の平和と、そして軍備を持たないという、そういう
憲法を持っているままでかつての天皇の軍隊に与えられた、その軍を象徴する
金鵄勲章、それを
復活すると言わないまでも、それに伴う
年金を
復活する。これには問題があると思います。そこで、まあ以上のようなことで私は、
憲法の条文そのものに反するし、それから
憲法の条文を貫いている
前文の
原則である
民主主義とか
平和主義に反するというように
考えます。
最後に、こういう
法案の提案
理由となっています生活の
保障という点につきましては、これは二十五条の
規定がありますから、
日本国民はひとしく二十五条の
規定で
社会保障的に解決されなければなりません。
ただ一言、これは私も正確には調べておりませんけれども、
金鵄勲章だけでなくて旭日章に対しても一時
金鵄勲章と同様に
年金がありました。これは藤樫準二という人の書いている「恩賞考」の中に、旭日章に対しても
年金があったということを言っておりますから、
金鵄勲章だけを問題にして、旭日章を落としているということは片手落ちじゃないかということを、一歩譲ったところでも言えるようにも思いますが、もっとも、旭日章に
年金を与えたということは、かなり古い
時代であるかとも思います。この点は、私は正確に調べているわけじゃありません。
以上私が申しましたのは、別に軍国主義の犠牲になった英霊、なくなって
金鵄勲章を与えられたそういう
人々、こういう
人々に対しての
国家としての哀悼や感謝、これを問題にしているのではありませんで、これは当然のことではありますけれども、ただ、この
金鵄勲章の
年金の
復活を通じて、実は
憲法の改正に通じ、
憲法違反の事実をつくる。そうしてまた
前文がいっている「再び
戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」という、あの「決意」に逆行することになるといたしますと、これはまさに
国民としても重要な問題であると私は思います。
以上をもって私は終わります。