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1964-04-02 第46回国会 参議院 内閣委員会 第20号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十九年四月二日(木曜日)    午前十時二十三分開会   ―――――――――――――  出席者は左のとおり。    委員長     三木與吉郎君    理事            下村  定君            伊藤 顕道君            鶴園 哲夫君    委員            源田  実君            小柳 牧衞君            塩見 俊二君            林田 正治君            村山 道雄君            千葉  信君            向井 長年君   委員以外の議員    発  議  者 草葉 隆圓君   政府委員    内閣総理大臣官    房賞勲部長   岩倉 規夫君   事務局側    常任委員会専門    員       伊藤  清君   参考人    京都大学教授  大石 義雄君    静岡大学教授  鈴木 安蔵君    法政大学教授  中村  哲君    全国戦争犠牲者    援護会理事   島本 正一君   ―――――――――――――   本日の会議に付した案件 ○旧金鵄勲章年金受給者に関する特別  措置法案草葉隆圓君外十六名発  議)   ―――――――――――――
  2. 三木與吉郎

    委員長三木與吉郎君) これより内閣委員会を開会いたします。
  3. 千葉信

    千葉信君 議事進行についての発言なんですが、実は承ったところによりますと、電話設備の拡充に係る電話交換方式自動化の実施に伴い退職する者に対する特別措置に関する法律案という法律案参議院に提案されております。提案されてから約一カ月に及ぶが、どの委員会にもまだ付託にならずに、何か聞くところによりますと、ここ一両日中にこの法律案付託する委員会を決定するという情報が流れております。  実はこれ、参議院規則によりますと、この法律案は、退職手当に関する法律案でございますので、本来、これは内閣委員会の所管すべき法律案でございます。従来の経緯から見まして、さきの国会等で、衆参両院とも逓信委員会付託されたという事情がありますけれども、今国会になりましてから、この法案付託をめぐって、衆議院にもかなりの論議があったようでございます。  参議院側では、聞くところによりますと、この法律案参議院規則のとおりに処理することをしない理由としては、何か当委員会に関する一つの思惑があって、そのために正規の所管する委員会にかけたがらないという意見があるそうでございます。しかし、そういう考え付託委員会を左右したり、はっきりと参議院規則規定されている事項が守られないということになりますと、これは非常に将来に悪例を残すことでありますし、また、われわれの立場からいいましても、当然審議すべき立場にある内閣委員としてわれわれの了承できないような事情のもとにその審議権が抑制されるというふうなことについては了承できかねますので、そういうやり方が強行されることになれば、これは委員としての職責を全うできないという立場で、せっかく議長から内閣委員を指名されましたけれども、場合によっては、委員を返上しなければならない事情も生じてくるのではないかという懸念を私は持っておりますので、この問題でひとつ当内閣委員会として、議長なり、もしくは議院運営委員長に対して、この法律案については参議院規則に基づいて正規委員会に、当内閣委員会付託されるように、この委員会から申し入れをする必要があると思うのですが、ひとつこの点について委員会で御相談を願いたいと思います。もし、ここでどうしても委員会としてこの話がまとまらなければ、私は、あと理事会でこの問題を十分に御相談を、御論議を願うことにしてもけっこうなんですが、何かかなり切迫している事態という判断でございますので、そういう処理をされる場合には、委員長から一応事前に議院運営委員会にもしくは議長あて内閣委員会考えがまとまるまで、その法律案付託についての採決等を行なうことについては暫時待ってもらいたいという意思表示をこの際お願いしておきたいと思います。いかがでしょうか。
  4. 三木與吉郎

    委員長三木與吉郎君) ちょっと速記をとめて。   〔速記中止
  5. 三木與吉郎

    委員長三木與吉郎君) 速記を起こして。  本件につきましては委員長及び理事において協議することといたしますので、そのように取り扱うことを御了承願いたいと思います。  速記をとめて。   〔速記中止
  6. 三木與吉郎

    委員長三木與吉郎君) 速記を始めて。   ―――――――――――――
  7. 三木與吉郎

    委員長三木與吉郎君) 旧金鵄勲章年金受給者に関する特別措置法案を議題とし、本案につきまして参考人の方より御意見を聴取することにいたします。参考人人選等についてはあらかじめ委員長及び理事に御一任されておりましたので、協議をいたしまして、ただいま御出席を願っております各参考人にお願いを申し上げたいので、この点御了承を願います。  この際、参考人方々に一言ごあいさつを申し上げます。ただいま当委員会において旧金鵄勲章年金受給者に関する特別措置法案の審査中でございますが、本日参考人方々から御意見を承り、審議参考にしたいと存じまして、御出席をお願い申し上げましたところ、御多用中にもかかわらず、特に本委員会のため御出席を賜わりまして、ここに御意見を拝聴することができますこと、まことにありがとう存じます。委員一同にかわりまして厚くお礼を申し上げます。  ではこれより順次御意見をお述べ願うわけですが、初めはお一人大体二十分程度で御意見をお述べいただいて、御意見開陳が全部終わりました後、さらに委員よりの質疑にお答えを願うようになっておりますので、その点あらかじめお含みおき願いたいと存じます。  それでは京都大学教授大石義雄君にお願いいたします。
  8. 大石義雄

    参考人大石義雄君) それではこれから旧金鵄勲章年金受給者に関する特別措置法案について率直に所見を申し上げることにいたします。  いま問題とされておりますこの旧金鵄勲章年金受給者に関する特別措置法案のことを、以下本案と略称することにいたします。本案第一条は、「この法律は、旧金鵄勲章年金受給者のかつて受けていた経済的処遇が失われ、かつ、老齢者については生活能力が低下している状況にかんがみ、その処遇の改善を図るため、特別措置として一時金を給することに関して定めるものとする。」こういうふうに定めております。以下もっぱらこの本案第一条の規定との関係において所見を述べることといたします。と申しますのは、この節一条の規定本案の核心をなしていると考えるからであります。まず本案と現憲法との関係について述べることにいたします。憲法第十四条第一項は「すべて国民は、法の下に平等であって、人種信条性別社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と定め、同条第三項は「栄誉、勲章その他の栄典授与は、いかなる特権も伴はない。栄典授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。」と定めております。そこで、この現憲法第十四条第一項及び第三項の規定解釈と本章の意図する一時金給与との関係いかんの問題でありまするが、本案内容は、旧金鶏勲章制度復活であれば、もちろん憲法第十四条第三項に違反することになります。しかし、疑いもなく、本案内容栄典としての金鶏勲章制度そのもの復活ではなく、敗戦による経済的既得権の剥奪に対する国家補償をその本質としております。もちろんそのような国家補償をするのがよいか悪いかは国家政策上の重要問題ではあります。しかし、それは違憲合憲かの問題ではありません。ということは、私の見解私見によれば、本案の第一条は、憲法に反するということはないということであります。もっとも人によりましては、本案のような一時金を支給することは憲法第十四条第一項の国民平等の原則に反すると考えられておられるようでありますけれども、懸法第十四条第一項の規定は、決して機械的な国民平等の原則を定めたものではなく、不合理な国民間の差別を排除するというのがその法意、――法の意味内容、その法意であります。それでは不合理な差別とは何か。人種信条性別社会的身分門地により、政治的、経済的、社会的差別がすなわちこれであります。このような差別を排除するというのが憲法第十四条第一項の平等の原則具体的内容なのであります。でありまするから、能力やそれから社会に対する功績などを標準として国民間に、たとえば経済的差別を設けても、これは違憲合憲の問題とは関係なく、もっぱら国家政策上の適否の問題なのであります。さればこそ、現憲法下におきましても文化功労者のために特に功労年金制度が認められているゆえんであります。文化功労年金受給者もそうでない者も、ともにひとしく日本国民であります。それにもかかわらず、文化功労者と認定された者だけは特に功労年金という経済的利益を受けるのであります。これは明らかに国民間に経済的差別を認めるということであります。しかも、それは憲法の定めた国民平等の原則に反するとは考えられておりません。それは憲法第十四条が考えておりまする平等原則とは関係がないからであります。これは本案憲法との関係から見た純法理論的な結論でありまするが、常識から申しましても、人は生まれながらにして体格も違えば頭も違う。よく走る人もあれば走れぬ人もある。それなのに法律国民にひとしく太れ、同じように太らなきゃいかぬ、同じように考え、同じように走らなければ平等でないと定めたところで、そのような法律が行なわれ得るはずはありません。悪法も法でありますから、初めからできないこととわかっていることを定めるはずのものではありません。社会生活の実際におきましても人々の収入はそれぞれ違っております。たとえば国会議員俸給は、大学教授俸給よりも高い、だからと言って直ちにこれを憲法違反だとはだれも考えません。憲法といってもしょせんこのような常識基礎の上に立って制定されているのであります。要するに、憲法第十四条が定めております平等の原則趣旨は機械的平等の保障にあるのではなく、人間関係において排除することのできる不合理な差別を排除するところに存するのであります。  以上は簡単ながら憲法解釈の上から見た本案についての所見でありまするが、次に国家政策の上から見て、本案考えておるような立法政策は適当かどうかについて率直に所見を述べることといたします。  本案に限らず一般論としては、ある立法政策をとることが合憲であるとしても、このことからすぐにその政策は適当であるということにはならないのはもちろんのことであります。がしかし、どのような国家政策をとるにせよ、まずその国家政策憲法に反するものであってはならない。この意味におきましてどのような政策をとるにいたしましても、国家としては、まずその政策違憲合憲性を究明することが必要であります。もっとも憲法といえども、それ自体が存在の目的を持つものではなく、よき社会建設のための手段であるという点は他の法律性質を異にするものではない、ということはどういうことかといえば、ある国家政策国民共存共栄のためにどうしても必要であるのに、それが憲法に反するというような場合は、憲法を変えてもその国家政策を実現しなければならないこともあり得るということであります。このことを前提にした上でのことでありまするが、国家がある政策を実現するためにはまずその政策憲法に反するかどうかを見きわめなければなりません。本案につきましても、まず本案憲法上許されるものかどうかを見きわめておく必要があるゆえんであります。しかし、前に述べましたように、本案憲法に反するものでないことは明らかであります。  そこで次に問題となりますのは、このような立法政策をとることが国家的見地から見て適当かどうかということであります。結論から先にいえば、私は本案考えているような国家政策は適当であると考えるものであります。もっとも人によりましては、本案憲法の定めた平和主義及び民主主義精神に反し、軍国主義思想とつながるものではないかと疑われておられるようでありますけれども、私はそうは考えられません。私の意見私見によりますれば、平和主義民主主義といっても、それは日本国民共同社会としての日本国家存続を前提した平和主義及び民主主義でなければなりません。平和主義民主主義を守った結果、日本国民共同社会としての国家祖国が解体してしまったのでは国民的自殺になってしまいます。戦争前だろうと戦争後だろうと、日本国日本国民自身自主独立共同社会でありまするし、また、そうでなければならないという事実に変わりはありません。日本人に限らず、いつどこの国の国民について見ましても、その国民生命、身体、自由、財産、名誉の安全を保障してくれる共同社会として基本的なものはといえば、それはその国民の所属する国家という共同社会であるというのが事実であります。であればこそ、どこの国について見ましても、健全な国家愛祖国愛精神の涵養は国民道徳基本となっております。この基本的国民道徳の薄弱な国はしょせん滅びるほかはありません。なぜか、国家という共同社会をささえるものはしょせんその国を形成する国民自身のほかにはあり得ないからであります。こういうように考えてまいりますと、健全な国家愛祖国愛精神国家存続精神的基礎をなすものであることは疑いありません。われわれ国民個人生命は無限の時の流れから見れば一瞬の命にすぎない。しかしながら、国人の母体である民族生命に着眼すれば、民族生命は無限であります。国家悠久性をその本質とするゆえんであります。しかしながら、戦後のわれわれ日本人は、ともすればこの国家悠久性を忘れがちであります。だから遊んで食うて寝るのが人生のすべてだと錯覚しがちであります。今日憂えられておりまする青少年による凶悪犯罪のよって来たるもとはまことに深いものがあるように思います。がしかし、敗戦を機会としてわれわれが国家悠久性を忘れてしまうようでは、数千年の長きにわたって祖国をもちこたえてくれた歴代の祖先に対して、また、日本人として生きていかなければならないこれから生まれくるであろう子孫に対して申しわけない次第であります。もちろん、国家悠久性を自覚することの必要性は、その人が立つ自由主義的な立場だとか、社会主義的な立場だとかは関係がありません。自由主義的な立場に立とうと、また、社会主義的な立場に立とうと、ひとしく日本人であるという立場共通立場であります。国家悠久性を自覚することの必要性は、この共通日本人の問題なのであります。国家政策がどのように自由化するのがよいか、また、どのように社会化するのがよいかの問題は、そのときどきの社会的、客観的条件との関係によってきまるのであって。国家悠久性の問題とは関係がありません。しからば国家悠久性の問題といま問題となっておる本案とは何の関係があるか。私は大いに関係があると考えるものであります。と申しますのは、国家悠久性といっても、国家悠久性を維持するものはしょせんその時代その時代国民自身であります。本案における一時金の給与対象になっている人々は、国の至上命令なるがゆえに個人の存否をこえて、自分を捨てて国家悠久性を維持するために特別働きをした人人であります。こういう人々働きのとうとさは、戦争の勝敗をこえ、高く評価されなければなりません。日本が第二次大戦に入ったことはよかったか悪かったか、それはそのときの政治がよかったか悪かったかの批判の問題であります。国の至上命令のもとに自分を捨てて国難におもむいた人々の活動がよかったか悪かったかとは別の問題であります。いつどこの社会でも、みなのために自分を捨てることのとうとさに変わりはありません。国家がこの種の人々に、特別処遇対策を構ずるのは当処のことであります。このことはまた健全な国民道徳意識を涵養する上にも意義があると信じます。本案に賛成するゆえんであります。  要するに、本案憲法解釈の上から見ても差しつかえはないし、また、国家政策的立場から見ても妥当性があるというのが私の意見であります。これをもって私の所見開陳を終わります。
  9. 三木與吉郎

    委員長三木與吉郎君) ありがとうございました。  次に、静岡大学教授鈴木安蔵君にお願いいたします。
  10. 鈴木安蔵

    参考人鈴木安蔵君) 本法案は旧金鵄勲章年金令によって年金を支給されてきたものが、昭和二十一年十二月末日限りその年金支給が廃止されたことに対して、あらためて一定年齢的条件、満六十歳の条件のもとに、一時金七万円を支給しようとするものであります。  この法案は、すでに本院会議録によって示されておりますように、当局者自身金鵄勲章制度栄典として復活して一時金を与えるものではありません。そうではありませんけれども、かつて金鶏勲章年金を受けていた者に対して一定の経済的、金銭的利益国家として与える措置でありますから、必然的に次のような憲法上の問題が生ずると考えます。金鵄勲章年金令による年金支給の廃止が昭和二十一年三月に決定された理由は何であったか、当時の立法理由にさかのぼる必要はいまないと思います。客観的に法理的に見て現在憲法学会において次のように解釈されている。この解釈を紹介すれば足りると思います。  すなわち、第一点は、日本国憲法の第九条及び前文による戦争放棄、非武装平和主義、この観点から見て、金鵄勲章という栄典制度そのもの、また、金鵄勲章に伴って年金を与えるという制度そのもの日本国憲法の条規に反する、適合しない、これが第一点。  第二点は、すでに第一点について論及しましたが、第十四条による一種の特権を伴う栄典として許されないものであると。特に学者あとで紹介しますが、いろいろ解釈がございますけれども、この年金が廃止されたということについて、今日憲法年会において認めておる理由は以上の二点。まあ一括すれば第一点に要約されると言ってもよいと思います。私もこの特に第一の理由は重要であると考えます。  そういたしますと、今日、この金鵄勲章をかつて受けた人々、またその年金を受けた人々が、当時とられた献身的な祖国のための戦いとか、また、今日遭遇しておる経済的不遇、こういうことに対しては、われわれ日本国民の一人としてまことに同情を禁じ得ない。これは私もまさにそう考えるのでありますけれども、しかしながら、日清日露、第一次及び第二次世界大戦において日本国として行なった戦争が、政策批判以上に日本国憲法第九条及び前文の定めに反する国家行為であったことは今日明らかであると思います。したがって、そういう憲法基本精神基本規定に反する戦争行為に対して与えられた栄典が、現行憲法のもとにおいて認められないということは、今日何ら事情が変更されていない。金鵄勲章という制度金鵄勲章年金令が廃止されたその憲法上の根拠法理は、何ら今日変更される理由がないのでありますから、したがって、今日これを復活するのではないけれども、これに対して一時金を支給するということは、憲法基本精神及び基本規定から見て合憲的とは考えることができない。つまり、憲法合憲性を打たない行為に対して、国家補償であろうと慰労であろうと、金銭的利益を提供するということ自体はこれは許されないと考えるのであります。  提案者理由のうちには、生活困難な老境者もあるという説明がありまして、これは私も日本の現在の社会において重要な問題であると考えるのでありますが、それは別個に憲法第二十五条等によって、早急に安堵し得る社会保障制度の確立が要望されるのであって、今度の法案自体の論拠にはならないと考えるのであります。でありますから、私の見解によると、憲法第十四条第三項の特権であるかどうかということの議論に入るまでもなく、今回の措置法に関する法案憲法疑義があるというのでありますが、すでに、会議録によって拝見しましても、憲法第十四条第三項についての解釈が問題になっておりますので、以下それについてお話したい。と思います。  憲法第十四条第三項の特権が何を意味するかについては、学界においても説が分かれております。私見は次のごとくであります。  憲法において、この特権という意味政治的、法的だけに限るという理由はない、経済的、金銭的利益を受けることも特権のうちに入るというのが私の解釈であります。これについては学界においても、特別権利関係の設定、すなわち政治的特権、これだけに限るのであって、金銭的の利益を与えることは特権に入らない、こういう説もありますけれども、はたしてそう解釈し得るか。たとえば、憲法は本条本項以外に特権ということばを使っておりませんけれども、憲法文献上、特権ということばが今日広く使われておる用語例考えてみまするというと、何よりも先に国会議員特権があります。日本国憲法特権ということばを使っておりませんけれども、これは世界のあらゆる国の憲法上、憲法学的に議員特権――プリヒレジ・オフ・メンバース、あるいは学者によって。フリビレジ・オブ・ハウス、日本語で言うと、人間としての議員特権と、それからハウス――参議院なら参議院としての議院特権と、こういうことばを広く確認されております。この場合に、この特権政治的な法的な特権だけを意味せしめていないことは、これはきわめて明らかであります。念のために指摘いたしますというと、わが日本国憲法は第四十九条において相当額歳費を受ける権利保障しておりますが、広く比較憲法学的にもこれは議員特権一つとされております。いやしくも、国家公務員といわず地方公務員といわず、あるいは民間の私会社といわず、労務を提供する者に対して今日の民主社会において相当額の報酬を与えることは、今日当然要求されるところでありますが、憲法は、特に国会議員に対して相当額歳費を受ける権利として、御承知のような特別の待遇を与えておるわけでありますが、これは外国の例を一々あげる必要はないわけでありますけれども、さらに、憲法自体において無賃乗車特権を明記するこれはわが国においては国会法に譲っておりますが、憲法自体において無賃乗車特権も明記しておる。あるいは俸給もしくは賃金はそのまま保障して、さらに歳費保障するという明文を買いておる。のみならず課税されない歳費を与えるという条項を明記しておる国の憲法もございます。これは明らかに国会議員職責を重んじて、その金銭的利益を、特に法のもとの平等の原理にもかかわらず、国会議員に対して大きく保障したのであって、今日国会議員特権一つとして認められておるところであります。わが日本憲法はそれ以外に不逮捕特権免責特権規定がありますが、要するに、金銭的利益を与える、金銭的な特別の特典を与えるということは、憲法における特権の観念に含まれているというのが私の考えであります。したがって、憲法十四条三項にいう「いかなる特権も伴はない、」ということには金銭的利益を与えることを当然含んでいると私は考える。学説一々紹介を省略いたしますが、しかるに、こういうきびしい見解を推し進めますと、現実に実定法の上において認められておる栄典において憲法違反疑義の問題が生ずるわけでありますが、その栄典性質上、たとえば文化勲章であるとか、あるいは憲政功労者年金法の定めるところの一つ栄典、こういうものは、事の性質上、民主社会においても決して不合理とは考えられないために、これを違憲であるとして問題にするよりは、これを合憲的なものとして、憲法解釈の上に疑義ないように、解釈において確立するということが感ぜられまして、学界におきましても、たとえば民主主義社会において通常認められるような種類の一切の特権を否定する趣旨ではない。したがって、年金のような単なる経済的利益を与えることまで禁止するとは考えられないから、憲法違反の問題は起こらない。こういう説明をする有力な学説が今日存在するわけであります。しかし、この憲法の文書だけを冷静に考えてまいりますと、民主社会であればあるほど、戦前の貴族院議員になる特権というふうな、そういうものはないのでありますから、やはり一番大きい特権ということになると、年金であるとか、それから非常に巨額の一瞬金であるとかというようなものが特権考えざるを得ないのではないか、こういう観点からであると思いますが、立法例として振り返ってみると、御承知のワイマール憲法百九条は、ひとしく法の前の平等を規定したのでありますが、その節三項に、「称号は、官職または職業を表示するものに限り、これを付与し得る。学位は、本条の限りでない。」という規定に続いて、「国は、勲章及び栄誉記章を付与し得ない。ドイツ人は、何人でも、外国政府から称号または勲章を受領し得ない。」こういう憲法規定を設けたのであります。これはおそらくドイツのカイザートゥム、軍国主義体制のもとにおいて非常にカイゼルの名において階級的な位階制、勲章制度というものがあったのに対して、民主的な立場からこれを批判して、こういう憲法条文を定めたものと察せられるのでありますが、ドイツの当時の文献を見ますというと、すでにこういう明確な憲法があるのでありますから、一切の勲章を設けることができない。その点についてはわが日本国憲法の場合よりも問題は初めから起こらないのでありますが、ただドイツには慣習法に従ってレーベンス・レットゥングス・メダイエというのでありますから、日本式に言うと、人命救助褒章とでも訳しましょうか、これがドイツ各州に行なわれておった。これは年金というようなものはもちろんないのでありますけれども、人命を救助したものを、水難救助ばかりでなしに、あらゆる場合、これに各州の政府当局が、内閣総理大臣が勲章を与えるという制度があったために、この「国は、勲章及び栄誉記章を付与し得ない。」してはならないという憲法百九条違反の問題が学界で起こったのに対しまして、当時の代表的なアンシュッツであるとか、ギーゼであるとか、こういう憲法学者は、人命救助は栄誉の表彰であるから憲法違反であるという議論をして、その廃止を主張したようであります。これに対して、ワルター・エルネックという学者は、それは人命救助という行為を高く評価して、栄誉を示すというものではなくて、人命を救助したという事実を官庁的に確認するだけの記章であるから、憲法追及の問題は起こらない、こういう擁護論を出しておることが記録にあります。しかし、あの精密なドイツの憲法学界におきましても、人命救助した者に従来与えておりました――これは図面があります。日本の褒章と同じ形態であります。そういうものを与えても実害がないというところから、どちらにしても取り上げるほどの実際的の意味は少ない。つまり合憲であるか違憲であるかということをとことんまで追及するほどの意味はないとして、そのまま今日に至るまで引き継がれている。で、日本の場合と違いまして、きわめてこういうケースが問題になったわけでありますが、このことを特に申し上げますのは、民主社会において合理的であると思われる特典は、これを排除するものではないというような日本学者の擁護論のうちに、民主社会ならばどの程度まで栄典というものがあっていいか、そういう場合に、われわれはたくさんの勲章のある国家体制をそのまま引き継いでおりますために、あれもいいだろう、これもいいだろうというような考え方をしがちでありますけれども、もっと理論的にさかのぼってみると、このドイツのワイマール憲法のような規定も、民主社会においてはあり得ることだ。考えてみると、アメリカ合衆国においては、勲章というようなものはないと思います。これは一例であると思います。  なお、第二次大戦後の西ドイツ基本法におきましては、この法の前の平等についての規定は、ほとんどワイマール憲法どおり踏襲しておりますが、国が勲章及び栄誉記章を授けてはならない。いかなるドイツ国民も外国政府から勲章を受けてはならないという規定は、これは除いてあります。現行西ドイツ憲法にはございません。でございますから、私は現行実定法のもとにおいて認められている文化勲章であるとか、憲政功労年金法、こういうものの定めを不合理とは考えないのでありますけれども、憲法第十四条三項の特権は、ことば意味からいうと、きわめてきびしく解釈されるものでありますから、憲法の条規にはもちろん、根本精神に対していささかでも抵触するようなそういう事案に対しては、これはある程度限定的に解釈していくべきである。したがって、本案の場合も、そこに疑義がある以上、なすべきでないというのが私の考えであります。  以上で、私の意見の陳述を終わりたいと思います。
  11. 三木與吉郎

    委員長三木與吉郎君) ありがとうございました。  次に、法政大学教授中村哲君にお願いいたします。
  12. 中村哲

    参考人(中村哲君) この問題については、憲法違憲の疑いが十分あります。その論拠を詳しく申し上げますが、最初に論点を申しますと、第一には、先ほど大石教授が、平等の原則の十四条を持ち出されましたけれども、その中の、特に栄典に伴う特権というほうで、問題があると考えます。この点は、鈴木教授の強調された点とほぼ同じであります。これは、十四条に現実に違反する疑いがあるということ。  それからその次は、金鵄勲章というものの性質そのものが、現憲法基本的な精神に反する。具体的には、その精神をしるしました前文趣旨に反する。これが憲法に違反する疑いが十分であると思います。  それから第三に申したいのは、この特別措置法案趣旨説明の中に、外国において云々ということがありましたけれども、これは、おそらく現在西独において、この種の勲章の佩用を復活させ、また、それに対する功労金を認めているというこの問題を背後に考えられて、それを類推して言われているものと思いますけれども、日本憲法と西独憲法基本において違う。しかも、この西独憲法は、西独の再軍備のための憲法改正に伴って、そういう軍事的な勲章復活と功労金の復活を認めたものでありますから、したがって、これは日本憲法の場合には、もとより戦争を放棄している。この憲法においては、違反という問題を、比較憲法的に言っても十分考えなきゃならないと思います。ただ、最後には、この二十五条の社会保障制度との関係がありまして、これらの問題は社会保障制度の中で考えるべきであると、こういうふうに考えますが、以上の、最初の三点について詳しく申し上げます。  まず第一に、十四条の問題でありますが、この十四条は、「栄誉、勲章その他の栄典授与は、いかなる特権も伴はない。」ということばでありまして、これは現在、金鵄勲章という栄誉そのものを実施している、佩用することを認めている、それに基づいて年金を認めるというふうに倫理的な関係はとっておりませんけれども、実質的には金鵄勲章があるためにそれに伴って年金を認めているので、これはやはり、現在の、現段階において、金鵄勲章という栄誉を認めているわけではないが、金鵄勲章という栄誉に伴う、かつてあった、そしてこれは禁止されている、法によって禁止されている、それに伴う特権を認めようという限りにおいては、やはり栄誉に伴う特権を積極的に認めたものとして、第十四条の違反であります。この点については、たとえば文化勲章についても、憲法論としては、たとえば宮沢教授はこの点について、文化勲章とそれから文化功労者に対する年金というものを一応切り離しているけれども、これはやはり脱法行為であると見られるという表現を使っておられるぐらい、文化勲章の場合でもそのことが問題になるのを、すでに禁止している金鵄勲章に対してそういう特権を、年金という特権を認めたということは、これは憲法違反が十分あります。また、ことばをこまかく申しますと、この十四条の規定はこうなっております。「栄典授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。」、こうありまして、「現にこれを有し、又は将来これを受ける者」ということばを使ってありますが、現に金鵄勲章を有しているのではなく、すでにもう現在は金鵄勲章は有していないわけであります。また、将来金鵄勲章を受ける者というような意味でもないので、この栄典授与ということの中に、金鵄勲章はもはや入っていない。これは正確に言いますと、憲法の制定のときでなく、憲法が実施された二十二年の五月三日に金鵄勲章は廃止されております。したがって、そういう金鵄勲章に伴う年金復活させるということが、こまかく検討した場合に問題になる。これは小さなことでありますけれども、一言つけ加えておきます。  で、第二点の、金鵄勲章そのものが現憲法基本的な趣旨に、反するということ、これを申し上げたいと思います。  第一は、この金鵄勲章というもの自身は、いまの国民主権の日本憲法とは全く異なる明治憲法の天皇主権的な天皇の軍隊として授与されたものであるという点において、金鵄勲章というもの自身が、これは現憲法趣旨とは反するということが問題になります。ことに金鵄勲章の制定されました明治二十三年二月十一日、これは紀元節でありますが、そのときの詔書を見ますと、現憲法下に承認されるような性質のものではないことが明瞭であります。その詔書の文章を読んで、みます。  「朕惟ミルニ神武天皇皇業ヲ恢弘シ継承シテ朕ニ及ヘリ今ヤ整カニ登極紀元ヲ算スレハ二千五百五十年ニ達セリ朕此期ニ際シ天皇戡定ノ故事ニ徴シ」――「天皇戡定ノ故事」というのは、天皇が討伐する、天皇討伐の、国の軍隊ではなくて、天皇の軍隊。「天皇戡定ノ故事ニ徴シ金鵄勲章ヲ創設シ将來武功抜群ノ者ニ授與シ永ク天皇ノ威烈ヲ光ニシテ以テ其忠勇ヲ奨励セントス汝衆庶此旨ヲ體セヨ」これはいまの憲法でいう国民主権の趣旨とは反する天皇の軍隊である。天皇の威烈を明らかにせよという天皇主権的な考えでありまして、いまの憲法の趣意に全然反します。しかも、こういう詔書はいまの憲法のもとにおいては排除されております。なぜならば、憲法前文が、この憲法に反する詔勅を排除するということばを使っておりますから、金鵄勲章の根拠となった詔勅は廃止されているわけです。前文を見ますと、  「この憲法は、かかる原理に基くものである、われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」日本国憲法前文に言っております。平和主義、国際主義、民主主義、これに反する詔勅は排除されているわけです。そういう意味合いから与えられた金鶏勲章であるということ、この点は比較してみますと、明治八年に「勲等勲章の制」というものができておりますが、この場合には「国家に功を」ということを言っておる。ところが、この金鵄勲章の場合は、天皇の威烈を明らかにするとか天皇が討伐する――天皇討伐ということの故事を引き出しているということ、これは現憲法とは違う。また、近代的なおよそ外国の軍隊ともまた違う点であります。イギリスにおきましてはビクトリアクロスという最高勲章がありますけれども、この場合にはやはりザ・カントリーに対して、祖国に対してということがあるのですが、この詔書の金鵄勲章の文言では「天皇ノ威烈ヲ光ニ」するという点で全く私は反すると思います。  それからその次に、金鵄勲章授与のしかたでありますけれども、外国の軍隊において軍隊の最高勲章が与えられるというケースと日本の場合とは非常に違います。その点ちょっとここに引用いたしますが、ベネディクトという、これはアメリカの政治学者であり民族学者であるこのベネディクトさんの「菊と刀」という本は御承知だと思いますけれども、これは単に日本のことを書いただけでなくて、政治学の上では半ば古典とされている本であります。この中に、日本人勲章というものをどう考えているか、――民主的な国家における勲章授与のしかたと非常に違うことをあげております。それは、日本の当時の戦争中のラジオが、アメリカ海軍が台湾沖で機動部隊を指揮したジョン・マッケインという提督に対して勲章を授けた、そのときに、それがいかにも信ぜられないこととしてラジオが報道したと、それを取り上げてるわけです。どういうことかといいますと、このマッケイン提督は、日本のこれは空軍でありましょうが、日本の攻撃を受けて軍艦が二隻損傷して、そして損傷したためにこのマッケイン提督はその損傷した船と人を救助しまして、そしてアメリカ本国に帰った、それに対してアメリカ本国はネービー・デコレーション――海軍の勲章を授けた、そのことが日本のラジオで、そういうことがあるだろうか、ということを伝えたという、それをベネディクトさんが取り上げまして、民主的なアメリカのような国においては、人命を救助するとかあるいは損傷した軍艦を無事に本国に帰したと、こういうことに対して海軍勲章を与えているのに、日本人はそういうことが全然わからない、こう言っております。実はこのことが金鵄勲章授与のしかたについてもおそらく関係あると思うんです。金鵄勲章はいかなる場合に授与されたかというと、民主的な国において戦闘に対して与えられる勲章授与のしかたと私は異なると思います。  それから、いまの点を続けて申しますと、金鵄勲章年金復活させるということの中に――この立法の趣意書を読みましても、「国のため、生命を賭して、抜群の武功」――「武功」を削って「功績」と私のいただいたものにはなっておりますが、「抜群の功績をたてた人々」、こういう点で国民に訴えようとするものだろうと思いますけれども、この金鵄勲章はどういう範囲に与えられたかといいますと、そういう国民大衆に与えられただけではなく、これは当時の軍の首脳部に最高の勲章がやはり与えられているのでありまして、この金鵄勲章はそういう戦争で命をかけて犠牲を負った、そういう人だけでなくて、まさに日本軍隊そのものに、またその持っている戦争あるいは軍国主義、こういうものそのものを肯定し、鼓吹するために授けられたものというふうに思われます。で、この点は試みに金鵄勲章がどういう人に最高章を与えられているかということを見てみますと、満州及び上海事変におきまして、最高の功二級をもらった者は、上海派遣軍司令官大将白川義則、功一級満州国大使関東軍司令官大将武藤信義、功一級関東軍司令官侍従武官長大将本庄繁、こうなりますと、この金鵄勲章の最高のものが、当時まさに軍の現地の代表に与えられている。つまりこれは軍そのものを象徴するものでありまして、軍によって犠牲を受けたいわばランク・アンド・ファイルといいますか民草、その人たちに主として与えられたというだけでなく、軍の機構そのものに与えられた、このことは戦前の戦争というものがどういう性質のものであるか、これはいまさらアメリカが問題にしておりますような、ああいう極東裁判のことを持ち出す気持ちはありませんけれども、まさにそういうことに対する反省をしようとするときには、どうも問題があるのではないか。支那事変においては、各軍司令官が功二級をもらっております。功一級は畑俊六、寺内壽一、岡村寧次、西尾壽造、松井石根、杉山元、功二級は東條英樹、蓮沼蕃その他があります。日清戦争のときは、これは当時はまだ功一級はありませんが、日清戦争に次ぎまして、日露戦争ではどういう人が最高の金鵄勲章をもらい、その人たちが金鵄勲章のいわば象徴として考えられたかといいますと、当時、功一級もらいましたのは、大山、山縣、野津、児玉、黒木、奥、長谷川、乃木、川村、西、寺内、この十一人。広瀬武夫は功三級であります。こうなりますと、現地の戦闘の勲功というだけではなくて、軍そのものの指導部に与えられた。ことにこういう種類の金鵄勲章というものは、軍政関係よりも現地軍的な人に与えられるというふうに理解しておりますけれども、この日露戦争の場合には、教育総監の西、陸相の寺内がこれを授与されているのです。そういうことから金鵄勲章というものが、まさに日本の軍国主義そのものを象徴しているというふうに考えられます。こういうものを、ただ年金というところだけを取り出して復活させると言っておりますけれども、これは結局金鵄勲章そのものに通ずるものであります。  第三点、西独の問題でありますが、実はやはりこの趣意書の中に「国のため、生命を賭して、抜群の功績をたてた人々が、かくの如き状態に放置されていることは、列国に例を見ない」と言っておりますが、おそらく日本と同じようなケースになるのは西ドイツの場合であります。で、西ドイツにおきましては、一九三九年に鉄十字章――ダス・アイゼルネ・クロイツ、それから一九四八年のドイツ金十字章――ドイッチェス・クロイツ・イン・ゴルト、こういうものが最高の勲章でありましょうか、これは連合国が管理していた段階においては、佩用を禁止されておりました。ところが一九五三年の秋に、この佩用の復活が認められ、そうしてやがて年金が、功労金が認められているわけです。ところが、これはそこだけを取り出しまして、ドイツでも功労金を出しているではないかという人もある。あるいは、おそらくそういう国際的な例を背景にしながら言われていると思いますけれども、実はこの一九五三年の秋に鉄十字章や金十字章、ただこの場合にはハーケン・クロイツのナチスのマークははずしまして、そして佩用してもいいということにしているのですが、それをやりましたのは一九五三年秋ですか、その三月にドイツは再軍備をするために憲法の改正をいたしました。つまり、憲法改正に伴ってそういうことを認めたわけなんです。で、しかもドイツ、西独憲法日本憲法は根本趣旨において違っておりまして、日本の場合には第九条で戦争を完全に放棄しておりますが、ドイツにおきましては地理的条件と国際政治的な条件が違っておりますから、地理的にはソビエトを中心とする東と西が接触している位置にドイツがあるわけですから、日本のような島国ではありませんから、防衛の方式についてもかなり違ってくる。どうしてもここでは集団安全保障が必要となってくる。でありますから、ドイツ憲法日本憲法と違いまして、日本憲法の場合は、当初あの制定しました当時の首相吉田氏、また外務省の条約局長、西村氏だと思いましたが、これらの人が永世中立的なことを当時言っておりましたように、第九条の背景となっているのは永世中立です。ところが、ドイツの場合には地理的なこともあり、国際的条件もあって集団安全保障方式をとっているのです。しかも日本のように戦争に関する規定や軍隊に関する規定を積極的に置かず、場合によっては復活し得るようにしている。それでも一九五三年には欧州防衛共同体、EDCと言われるものにドイツが参加して事実上の再軍備をするためには憲法改正をしなければならない。その、したことに伴ってこのドイツの軍事的な最高勲章復活させている。ところが、日本の場合には、憲法は変わっていない。しかもその憲法はドイツの憲法とは違って永久の平和と、そして軍備を持たないという、そういう憲法を持っているままでかつての天皇の軍隊に与えられた、その軍を象徴する金鵄勲章、それを復活すると言わないまでも、それに伴う年金復活する。これには問題があると思います。そこで、まあ以上のようなことで私は、憲法の条文そのものに反するし、それから憲法の条文を貫いている前文原則である民主主義とか平和主義に反するというように考えます。  最後に、こういう法案の提案理由となっています生活の保障という点につきましては、これは二十五条の規定がありますから、日本国民はひとしく二十五条の規定社会保障的に解決されなければなりません。  ただ一言、これは私も正確には調べておりませんけれども、金鵄勲章だけでなくて旭日章に対しても一時金鵄勲章と同様に年金がありました。これは藤樫準二という人の書いている「恩賞考」の中に、旭日章に対しても年金があったということを言っておりますから、金鵄勲章だけを問題にして、旭日章を落としているということは片手落ちじゃないかということを、一歩譲ったところでも言えるようにも思いますが、もっとも、旭日章に年金を与えたということは、かなり古い時代であるかとも思います。この点は、私は正確に調べているわけじゃありません。  以上私が申しましたのは、別に軍国主義の犠牲になった英霊、なくなって金鵄勲章を与えられたそういう人々、こういう人々に対しての国家としての哀悼や感謝、これを問題にしているのではありませんで、これは当然のことではありますけれども、ただ、この金鵄勲章年金復活を通じて、実は憲法の改正に通じ、憲法違反の事実をつくる。そうしてまた前文がいっている「再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」という、あの「決意」に逆行することになるといたしますと、これはまさに国民としても重要な問題であると私は思います。  以上をもって私は終わります。
  13. 三木與吉郎

    委員長三木與吉郎君) ありがとうございました。  次に、全国戦争犠牲者援護会理事島本正一君にお願いいたします。
  14. 島本正一

    参考人(島本正一君) 私は、金鵄勲章年金をいただいている一人であります。これをいただきました昔を回想いたしまして、当時の心理状態とかあるいは行動について申し上げたいと思います。  御承知のとおり、平戦両時を問わず、私ども軍人は、与えられました任務を果たすことに専念するものでありまして、特に戦場におきましては、全知全能を傾けて、いちずに任務の遂行に邁進して、他を顧みるの余地は毛頭ありません。いわんや、恩賞を目当てにするというような気持ちなどは思いも及ばないことであります。自分生命さえも考える余地のないときに、さようなことは毛頭ないのであります。その行動がたまたま戦勝に貢献したものとして、金鵄勲章を授けられ、年金をいただきました。その年金のことについて問題がありますので、この年金の証書を皆さんにごらんになっていただいておきます。かようなものであります。遠いところにおられる方はおわかりにならないと思いますから、読みましょう。金鵄勲章年金の證、下に番号がついております。年額金五百円、その次に私の名前があります。「功四級ニ叙シ金鵄勲章ヲ賜ヒ終身年金ヲ給スルヲ以テ此燈ヲ附與ス」かようになっておるのであります。「終身年金ヲ給ス」――金鵄勲章でいただくところの年金の事柄はいま申し上げましたとおりでありますが、これをもって金鵄勲章が好戦的のシンボルであるとかあるいは軍国主義の亡霊であるとか言うような方があるのはまことに心外に存ずる次第でございます。  金鶏勲章をいただきますところの条件は、先ほども申されました方がありましたが、戦場における武功抜群と明記されております。他の勲章とは画然と区別をされておるのであります。たとえば、旭日章は平時の功績に対しても授与されるのでありまするが、金鶏勲章は戦時事変に限られておるのであります。この辺が金鵄勲章に対する特別の意義があると思います。  いまここに、日清日露の古い戦史をたどりまして、金鵄勲章を受けられておりまする方々の二、三の武功を申し上げてみます。  日清戦争のときに、平壌の戦闘におきまして、その焦点となりました玄武門のとびらを敵の集中射撃のもとに開いて、大島旅団を戦勝に導いたところの歩兵上等兵原田重吉のことは、当時は子供にもよく知られておったとおりで、皆さまも御承知のことと思います。また、日露戦役におきまして、敵の中を三百里もかけ回りまして、そうして敵の状況をよく偵察をいたしました建川美次中尉でありますが、この事柄は書物にもなり、あるいは映画等にもなっておるように記憶をいたしております。この建川中尉の報告によりまして、満州軍総司令部は各種の計画を立案をいたしまして自後の作戦に多大の貢献をいたしたことは有名であります。また、日露戦争のときの折木城の戦闘というのがありますが、第十師団が非常に苦戦をいたしまして困っておりましたときに、山砲兵の小隊長である甲斐三郎少尉がその小隊を連れまして分水嶺の山のてっぺんに上がり、敵の意表をついて敵砲兵十六門の火力をその威力を発揮せしめないようにいたしたのでありますが、これがもといになりまして、その師団の戦勝を導いたのであります。  このような武功に対して授けられました勲章及び年金昭和二十一年の三月、占領軍司令官の指令によりまして廃止されたのでありますが、われわれといたしましては、先輩並びに戦友、部下に対して断腸の思いがあるのであります。当時得ましたところの情報によりますと、これは日本の愛国心を弱めて、そうして再び軍職につくことをきらうようにしむけたところの連合国の政策一つであるというふうな情報が入ってきたのであります。しかるに、このような無慈悲な不合理なことを押しつけた連合諸国は、戦争の殊勲者を非常に顕彰をいたして、優遇をしております。現に米国及びフランスには特別の武功勲章があります。ちょうど一昨日でありましたか、マッカーサー回想記というものを読んでおりますと、ここにマッカーサーが殊勲功十字章というものをやったことを回想記に書いて、朝日新聞に載っておるのであります。いまその一節を読んでみます。「私はこの各将校に私が与え得る最高の前章である殊勲功労十字章と適当な感状を与えることを命令した。この勲章は永久に、すべての人の目に、彼らが危険で困難な任務を遂行するに当って示した献身と勇気を示す象徴となるであろう。」とマッカーサーは当時書いて示されておるのであります。  かようにアメリカにも勲章がありますし、ソ連におきましては赤い旗の勲章――赤旗勲章あるいは英雄勲章などがありますが、この勲章などは最高勲章であります。また、その勲章には年金がついておるのはもとよりの話でありますが、交通機関の無償の利用、所得税の減免等の特典があります。フルシチョフ首相の写真に常に見るあの星型の勲章がソ連の英雄章でありまして、あれは平服にもつけておるのであります。いくさに負けましたイタリアにおきましても、戦争前の武功章を存続をいたしまして、年金制度もあるように承っております。これと関連いたしまして少し問題が離れますけれども、日露戦争において勇敢に戦闘したオーロラという船がありますが、ソ連はこれをレングラードの港に飾っている。また、米国においては御承知のとおり、大統領ケネディ氏がなくなりましたときに、殊勲ある海軍士官として自分を軍の墓地に葬ってもらいたいと言って、そのとおりしたということは皆さんが記憶に新たなところだと思います。  こういうふうに申しますると、その占領軍というものはいかにも無慈悲なように見えますが、中には慈悲心のあるやつもあった。第八軍司令官アイケルバーガー将軍のごときはその一人でありまして、日本がこれらの恩典をみな無効にされたときに、それはたいへんである、戦場の殊勲者に与えられた財産とも目すべき年金を廃止するというような事柄は道理にも反しておるし、これらを補助として生活しておる者はあしたから生活に困るであろうということを言うた第八軍司令官アイケルバーガーの言がわれわれは耳の底に残っております。ともかくそういう人もおりましたけれども、連合臓司令部といたしましては、ついに全部を廃止するということを指令したのであります。  この年金受給者の大部分は日清日露の戦後に従軍をいたしました人たちで、すでに当時において六十歳をこえております。従来年金をいただくことを誇りとし、かつ重要な生活上の助けといたしておりましたが、廃止によりまして、精神上はもとより、経済上にも財産権を失って大きな打撃をこうむりました。そのために老齢にもかかわらず門衛とか、夜警あるいは日雇い等によってわずかに口をすごしておる者も少なくはありません。ただいまでは八十歳をこえておるものが多数ありますが、私でも昨年喜寿の祝いをしてもらいましたから本年は七十八でございます。もう長くは生きておらぬと思います。したがって、もう働こうにも働くことができません。また、われわれは初めからさような事柄は教わっておりません。ただこれいくさにのみ専念するものであったのであります。かって加えて現今におきましては家族制度の行き過ぎから、あるいは間違いから老人に対するところの扶養というものも十分でないということをわれわれは耳にいたすのであります。この人たちにとりましては、この政府の案によりまするお金を一日千秋の思いで待っております。全国の功友連盟――金鵄勲章を持っておる者の会がありますが、その会長のもとにも多く集まっておりますし、また、先生方のお手元にもいろいろお願いをしていっていることと思います。ついこの間なくなられました鈴木孝雄元大将は、自分は雨のようやく漏るのを防ぎ得る軽度の粗末なぼろ屋に住まいつつも、死ぬときまで部下のことを心配されまして、何とか早くこの法案が通らないのかということを言い続けましてあの世にいかれたのであります。  次に、この法案に核当する者の昔の階級別を申しますると、総数は八千六百二名、これは昨年三十八年の一月一日の調査であります。総数八千六百二名のうちに八千三十九名が昔の下士官、兵であります。将校というものはわずかに五百六十九名であります。その将校の中でも勲章の下のほうをいただいておるところの行が大部分でございます。これらの年金をもらっておる方々は、賞勲部へ参りまして伺いましたら、年々千名近く死んでおるのであります。年ごとにこの死亡率は増加してまいると思いまするから、国家政策上、もしこの法案が通るならば、なるべく生きておるうちにこれをいただきたい、あるいはみんなのわれわれ戦友にやっていただきたいと思うのであります。  重ねて申します。余生幾ばくもないところの先輩のために、はたまた、生命を賭して載ったところの部下、戦友のために、特別措置を迅速に、最も迅速に講ぜられんことを切々懇願をいたします。  これをもって私の報告といたします。
  15. 三木與吉郎

    委員長三木與吉郎君) ありがとうございました。  以上で参考人方々の御意見の御開陳は一応終わったのでございますが、参考人方々に対しまして御質疑のおありの方は、順次御発言を願います。
  16. 下村定

    ○下村定君 鈴木先生にお伺いいたします。  先ほど先生のお話の中に、金鵄勲章が廃止をされたということは、憲法第九条の精神に基づくものであるというふうに承りましたが、さようでございますか。それにつきまして、私は、憲法の第九条というものは戦争を否認する、戦争を放棄するということを明確にきめたものでありますけれども、過去におきまして、国の命令に従って生命の危険をおかし、全知全能を発揮して一意命ぜられた職責に尽したこの人たちの功績をも没却せよというものではないと存じますが、その点いかがでございますか。
  17. 鈴木安蔵

    参考人鈴木安蔵君) 憲法第九条の私の解釈するところによれば、絶対非武装、一切の戦争放棄、こういう憲法が確定されました以上、一切の戦争行為というものは国家としては認めない。そうしますと、個人々々はこれはもう――私も最後の段階において国民兵で終戦のときに解除された人間でありますから、古い人間でありますから、ただいま下村委員のおっしゃったことは十分承知しております。多くの戦友が死んでおります。しかし、そのことによって、私は、憲法第九条の立場を混淆してはいけない。憲法第九条の立場から見れば、戦争行為というようなものは国家行為として現在その価値を否定されておるのであります。そうすると、現在の憲法のもとにおいて、そういう戦争行為に対して与えられた栄典というようなものは合憲的なものとして認めるべきではない。私情においては忍びないけれども、国家の体制としては私はそう解釈すべきであり、また、そういう解釈によって、再び、われわれの戦友また先輩あるいは後輩たちがひたすら国家のために、天皇のためにと、一身の栄誉を顧みないで命を捧げたというような、こういう倒錯した悲惨な形態におけるそういう状態は二度となくなるようにすべきである、そう考えます。
  18. 下村定

    ○下村定君 私の申しますのは、これが動機になって金鵄勲章復活をするとか、そういう問題じゃございません。悪法の第九条が、過去において国の命令によって一身を賭して全知全能を発揮して一意職責に邁進をしたという人をどう見るかということなんです。先ほど中村先生から、戦没の英霊に対しては深い同情を表するというおことばがありました。それはもうそのとおりでございます。だれしも異存がありません。が、このいま問題になっております金鵄勲章年金を受けた方というものは、戦死しなかったというだけなんです。戦死と紙一重なんです。たまたま命があったということです。それでありますから、これは少し余談になるかもしれませんが、私どもが現職におりまして、この生存者の金鵄勲章を選考するときには非常に厳密にやったものです。私のごときは、自分で地下たびをはいて、そうして前線まで行って関係者を呼び集めて、いよいよこれならというところで初めて判を押したものです。これはむろん、そういう私の一人のことでございますから、例外はたくさんありましょうけれども、それほど精選をして、しかも戦死とは紙一重のものですし、殊勲を立てた英霊を尊重するならば、それと大差ない紙一重の殊勲者に適当な処遇を与える、慰めるということは、私は当然じゃないかと思います。まあこれだけ私の意見として申し上げておきます。質問を終わります。
  19. 伊藤顕道

    伊藤顕道君 本法案に対しまして四人の先生方から参考人としての貴重な御意見を承りましたので、せっかくの機会でございますから、二、三以下お伺いしたいと思います。  まず確認の意味で、政府は、先生方もおっしゃったように、憲法精神にそぐわない、こういうことで、金鵄勲章そのものを廃止したわけです。と同時に、過去の栄典を与えたことについてもこれを否定したわけです。ところが、この本法案の提案理由には、金鳩勲章そのものが憲法精神にそぐわないとして否定されておる。廃止されておる。にもかかわらず、過去の年金受給者だけに一時金七万円を支給しようというこのことは、まさに法の上の平等に反するものではなかろうかと、こういうことをこの際確認しておきたいと思いますので、この点について鈴木先生と中村先生のお二方のそれぞれの御意見をいま一度お聞かせいただきたいと思います。
  20. 鈴木安蔵

    参考人鈴木安蔵君) 私の意見は先ほど申し上げましたように、この法案現行憲法に適合するかしないかの問題は、最初に憲法基本精神憲法の根本条規に違反するような国家行為に対して、今日からいうと、そういうことに対して確認を待て与えられた栄典、それに伴う年金、そういうものを復活せしめることはふさわしくないというのでありまして、ただいまの第十四条第一項に関する点については触れるまでもないと言ったのでありますが、重ねて御質問でありますからその点に入りますと、先ほど下村委員の主張の最後のところにありましたように、そういう観点から申しますならば、法のもとの平等において、すなわち政治的、経済的、また社会的に一切差別されないという憲法の十四条一項の趣旨から申しますと、あの戦争のために戦場において一命を失った、あるいはまさに失わんとしたような人々の悲惨な体験は、申すまでもございませんけれども、たくさん数えることができる。銃後においてもっともっとひどい、あるいは残虐なことが行なわれた。今日でありますから、お互いにわれわれの祖先たち、あるいはわれわれの戦友たち、あるいはわれわれの後輩たちが味わった全国民的なそういう悲惨な状態を、新たに社会保障立場なり、あるいは別個の形において、国民の犠牲を何らかの形においてねぎらうと、そういう方法は、私は、差しつかえない。むしろすべきであると思いますけれども、特に金鵄勲章――武功抜群であるとして金鵄勲章を賜わった者に対してだけそういう特殊の措置をとることは、経済的に差別されることになるのであって、憲法十四条一項の趣旨からいって妥当ではない。特に御質問がありましたから、意見開陳いたします。
  21. 中村哲

    参考人(中村哲君) 金鵄勲章そのものが違憲であるかどうかと申しますと、これは憲法が発効しました二十二年の五月三日に、内閣制の廃止等に関する政令で、金鵄勲章だけを特に勲章の中から取り出しまして廃止している。これは当時、憲法趣旨と反するということが前提となっているからこそ、廃止したわけです。憲法の発効とともに廃止したわけです。そこで、それでは、勲章そのものを復活させるのでなく年金だけを復活させるんだと、こういう形式で論理言われるかもしれませんけれども、憲法の十四条は、栄典特権を伴ってはいけない。この特権というのは、こちらでもしばしば説明されましたように、経済的な特権を伴っております。それで、これは学説としても、通説であります。で、現に栄典であるものに特権を伴ってはいけないといっているのは、現に栄典でない、過去の栄典であったものに伴っていいかという論理にはならない。あたかも、いまの栄典特権を伴ってはいけないけれども、過去の栄典特権を伴っていいんだというような議論をもしするんだとすれば、これはたいへんな間違いであります。現在の憲法でもう認めてもいない栄典、二十二年五月三日で廃止した、悪法に抵触すために廃止したその栄典特権をつけるということは、なお憲法の違反だということは明瞭であると思います。
  22. 伊藤顕道

    伊藤顕道君 昨年六月の衆議院の本会議で本法案審議された際、池田総理はこういう意味の答弁をしておるわけです。金鵄勲章受領者に対し、かつての地位に対してやるのだからこれは平等の原則には違反しない。――かつての地位に対してやるのだからこれは平等の原則に違反しないという理由であるわけです。ところが私どもとしては、かつての地位に対してやるのだからこれは平等の原則に反すると、こういうふうな見解を持っておるわけです。この点をさらに明らかにしたいと存じますので、恐縮ですが、中村先生の御見解をいま一度伺いたいと思います。
  23. 中村哲

    参考人(中村哲君) かつての地位というのは、まさに、なぜかつての地位になったか。現在の地位じゃなくて、池田首相の言ういまの地位じゃなくて、かつての地位になったというのはなぜかといえば、二十二年の五月三日憲法違反であったから、かつての地位になったのだ。それはまさに憲法と抵触する地位なんです。そういうことは、そういうものに現在の憲法のもとで特典を認めるというのは、これは二重の憲法違反だと思います。
  24. 伊藤顕道

    伊藤顕道君 この提案理由内容を見まするというと、特にまた、この法案審議にあたりまして、提案者といたしましてはこういう答弁をされております。かつて受けておりました経済的処遇を失い、それから二点は、老齢となってその生活能力は低下いたした、これが二点ですが、三点として、旧金鵄勲章受給者に一律七万円を支給しようとするものであって、金鵄勲章という栄典制の復活ではない、まあこういうふうに御答弁があり、そこで、特にこの点を強調されておるわけです。この点は憲法とは全然違反をしないという私の最も強い根拠でありますと、こういう意味の答弁をされているわけです。また、池田総理もほぼ同様の答弁でございまして、金鵄勲章制度栄典として復活して一時金を与えるのではない、だから特権を与えるということにはならない。ほぼ同意味の答弁をなさっておるわけですが、ところが、これは私どもの質問に対して的はずれの答弁であって、私どもは、何もこの法案金鵄勲章年金のいわゆる栄典制の復活だと伺っておるわけではないんです。栄典制の復活だということは一言半句も申し上げていないわけです。全く的はずれの答弁であって、本会議でございましたから再質問できなかったわけですが、そこで、この点を明らかにしなければならないと思うんですが、最初に申し上げたように、憲法精神にそぐわないからといって、金鵄勲章そのものも、またそれから派生した年金令も廃止されておるにもかかわらず、旧金鵄勲章年金受給者だけに一時金七万円を支給する、これはどう考えても法の上の平等に反する、こういう断定を下さざるを得ないわけです。ただ、繰り返し申し上げましたように、提案者栄典制度復活でないから違反しない、特権ではない、平等の原則に反しない、こういうことを言っておるわけなんですが、これはいま申し上げたように的はずれの答弁である、こういうような本会議でのやりとりはあったわけですが、このことについて、大石先生と中村先生の見解を伺います。
  25. 大石義雄

    参考人大石義雄君) お答えいたします。先ほどの私の話の中にも出ておりましたように、憲法の平等の原則というものは機械的平等の原則をうたったものではない。立法政策をとる上において、差別してはならぬ標準というものは憲法がちゃんと、示している。「人種信条性別社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、」国民というものは平等でなければならぬ、これが憲法なんだ。だから、その人の能力だとかあるいは共同社会に対する功績などを標準として、ある人にはたとえばある程度の経済的利益を与える、与えない、これは違憲合憲の問題ではなく、そういう政策をとるのが適当か不適当かという憲法運用の問題にすぎないのだ。だから、この金鵄勲章をあげておられたかっての国家に対する功績に着眼して、今日既得権を保障する意味経済的利益を与えることの可否――これは違憲合憲とは関係なく、いまそういうものを与えるのは適当か不適当かという問題なんだ。その点から私は妥当性を持つ、まあこう申し上げておるわけです。
  26. 中村哲

    参考人(中村哲君) 私は、この問題については年金栄典とを区別すること自身に問題が実際にはあると思いますので、いま伊藤議員の言われた立場とは多少違いますけれども、しかし、一応形の上では栄典そのもの、金鵄勲章という栄典そのものから切り離して年金の問題を出しておりますから、そういうことを一歩譲って認めたところで、そうすればこの老齢で生活できない人というものの中から、特にかつて金鵄勲章をもらった人だけを取り出す理由というのが一体あるかどうか、そういうことが二十五条でいう国民全体の社会福祉をしようという方針及び十四条でいう平等の原則に反するではないか。もしこれをその形式的な平等でなく、実質的に平等の問題を考えろということで大石教授が言うように言われますならば、これはまあアメリカなどの判例でもありますように、合理的な根拠による差別というものはこれは当然あります、悪平等はほんとうの平等ではありません。合理的根拠――ところが、この際に年老いて生活に窮しておる、そういう気の毒な方、その中に金鵄勲章を持っていた人もあれば、そうじゃない人もある。ところが、金鵄勲章を持っている人だけを取り出してその七万円を与えるということが合理的であるかどうか、これは近代的な意味において全く合理的ではない。なぜその人だけを取り出すかといえば、かつて金鵄勲章を待っていたということを理由とするのでありますから、これは合理的な根拠ではないと思います。
  27. 伊藤顕道

    伊藤顕道君 時間がございませんから要約して一、二お伺いしますが、昭和三十一年第二十四国会以後金鵄勲章年金復活に関する請願がなされてまいりました。最近まで続いたわけです。ある場合は一件、ある場合は二件、三件、最後は二十件、こういう経過できましたけれども、そのつど当内閣委員会で審査いたしました結果、審査未了とかあるいは保留、願意不適当と認めて不採択、当内閣委員会での請願処理状況はこういう経過をたどってまいりました。したがって、保留ということは、問題があるから保留であって、まさにこれは推進すべきではない、こういう意味です。特に一回のごときは願意不適当と認めて不採択になっておるわけです。こういう委員会審議の過程の中で、提案者があえてこの国会審議を軽視されたことになろうと思うのですが、国会審議を軽視されてあえて提案されたことに対しては私どもは非常にこれは遺憾の意を表さざるを得ないわけです。私ども委員としては現にこういう請願を処理してまいりましたから、こういうような観点から、この点に対して、このことは国会軽視のそしりは免れないと私は思うのですけれども、この点に対しまして大石先生のお考え、それと鈴木先生のお考えを簡単にお聞かせ願いたいと思います。
  28. 大石義雄

    参考人大石義雄君) お答えいたします。いまの御質問の趣旨をあるいは私少し聞き違えておるかもしれませんが、いまお聞きしたのは金鵄勲章制度復活の請願と、こうお聞きいたしましたが、間違いありませんか。
  29. 伊藤顕道

    伊藤顕道君 金鶏勲章年令復活に関する請願です。
  30. 大石義雄

    参考人大石義雄君) その意味栄典制度そのもの復活という意味であれば、先ほど私の一般報告でも申し上げましたように、いまの憲法特権の伴う栄典制度というものは認めないとはっきりいっているんだから、これは問題にならぬ。ところが、その意味があたかも今日問題となっておる法案に盛られているようなものの請願ということであれば、これは別にどうも私は国会軽視ということとは関係ないんじゃないかと思うんです。ただ私などのような立場からいえば、金鵄勲章制度そのものの復活は一体いまの憲法との関係、将来の立法政策としてはどうか、こういう意味を含むということになると、あたかも文化功労者に対する年金制度のように、勲章勲章年金制は年金制、別の制度とするならば、私はいまの憲法下はおいても適当不適当の問題は別として、違憲合憲の問題は関係ない。だから将来警察官あるいは自衛隊の諸君、これが凶悪なる暴力に対して一身を犠牲にして戦う、この特別な功績に対して功労年金をくれ、これは違憲合憲か、私は違憲合憲とは関係ない、もっぱら国家政策の問題だと、こういったような考え方を持っておりますが、最後のほうはちょっと質問外にあるいは逸脱したかもしれませんが、この点は御了承願いたいと思います。
  31. 鈴木安蔵

    参考人鈴木安蔵君) 前半の点は、私は国会は常に国民のあらゆる層の声を聞くべきである、これは当然でありますから、もちろんそれは申し上げるまでもなく、選挙によって多数、少数がきまり、そこに国民の判定があるわけですけれども、しかし、いろいろな事情で必ずしも国会の議席が常に国民のいろいろな各層の意見を鏡のように反映するというわけに参らぬことは皆さんも御承知のとおりでありますから、たまたま国会の多数によって請願が不採択になるとか、そういうことがありましても、国民各層は、それがもしも正しい、正当な主張であると思いますならば、繰り返し繰り返し請願するということは、これはむしろ私は日本国憲法のもとにおける国会政治の上においては認められていいと思います。ただ本案に関しましては、私は先ほど申し上げたような立場におりますから、もう少しそういう請願の趣旨は反省されて、そしてほんとうに社会保障制度日本のような大国において一番おくれておる面だということは、これはもう私どもも痛感しておることでありますから、そういう形において老齢の方々の問題を解決されるような、そういう努力のほうにこれがいくべきではないか。私の見解から申しますと、こういう内容法案が繰り返して主張されるということは、日本国憲法立場からいって非常に遺憾に思います。ただし繰り返して申しますが、繰り返して不採択になり、審議未了になりましても、国民が請願権を行使して、国会に絶えず働きかけるということは、これは正しいことであると考えます。
  32. 小柳牧衞

    ○小柳牧衞君 時間もだいぶ迫っておりますから、ただ一、二私の疑問にしておる点をお尋ねして、教えを受けたいと思うんです。  この法案審議については、金鵄勲章栄典制度、それはむろん関係ないとは申しませんけれども、それよりも本法と憲法、すなわち特権を伴わないという点と、また、この法案本質憲法に反映する立場において問題があるのじゃないかと思うのです。  第一に、この特権の問題について、先ほど鈴木先生からいろいろお話がありましたが、それで鈴木先生にお尋ねしたいと思うのですが、 特権という立場において見まするならば、金鵄勲章叙賜条例と、文化勲章年金令とはどういうふうに違うのか、その点を簡単にひとつお尋ねいたしたいと思います。  次に、この伴うということはどういうことなのか。この法案において考えられることは、期待権とかあるいは希望権というのですが、この期待権あるいは希望権というものがこの特権に伴うという立場においてそれがまた本法に関連を持つ点についてどういうふうにお考えになっておりますか。さらにこの特権ということについては、先ほどお話もありましたが、しかし、不幸にして特権ということばは一般の場合にも使われるのですから、法の用語としては厳粛にやるべきことは当然だと思うのです。ことに憲法解釈として特権ということは、通俗のことばを直ちに取り入れてやるということはこれは適当でないと思うのですが、しかし、これはきわめて法学通論的なお話なんですけれども、特権というものは大体狭きに解釈すべきものじゃないかと私は思っておるのですが、特権ということについての御所見を伺いたいと思うのです。
  33. 鈴木安蔵

    参考人鈴木安蔵君) 最初の点でございますね。先ほど申し上げましたように、どうも憲法第十四条特に第三項というものを文理的にすなおに見ますというと、「いかなる特権も伴はない。」、つまり勲章とか、栄誉は与えるけれども、しかし、それに対していかなる特権も同時にあわせ与えないというのが憲法趣旨である。そうしますというと、その特権という中には、学者は多く経済的利益、そういうものは含まないと解釈するのでありますけれども、そう言えないのではないかというのが私の見解であります。やはり経済的利益というものもこれは特権に入る。その一例としまして、特権ということは単に通俗的に考えないで、憲法考えるというと、そのことばはほかにありませんけれども、先ほど申しましたように、議員特権ということばは、これは確立された概念でありますから、そうすると、各国の憲法を見ますと、無賃乗車券を与えることまで議員特権である。本法はそれぞれの職場における俸給なり、賃金なりもらっておる諸君が、議員となってくればそれは当然そのままもらっておって、そして歳費は別に課税されない歳費をもらうというくらいに経済的保障を与える、これを重要な議員特権解釈しておるわけであります。でありますから、この日本国憲法におきましても、相当額歳費という規定があり、経済的利益、物質的利益特権に入らないということはこれは無理だというふうに考えます。しかしながら、わが憲法は、ワイマール憲法の場合のように国が一切の勲章、栄誉表彰をしてはならないという規定はございませんのですから、したがって、そういう勲章その他の栄誉、栄典を与えることはこれは認めている。しかし、明文において「いかなる特権も伴はない。」といっている以上、これは厳密に解釈さるべきものである。そうしますと、実定法上存在いたしておりまするところの文化勲章、これはやはり私ども年金が与えられるというときに学会においても問題にしたのでありますが、そこで、それは直ちに文化勲章をもらった者が年金をもらうということは、これは違憲の問題も避けられないという考えから、当時の関係者は、御承知のように文化功労年金というものを別個に定めまして、文化勲章を受けた者は全部これをもらうということにしたのであります。これはしかし、学者は、厳密に解釈していくとこれはやはり一つの脱法行為である。文化勲章功労年金というものを授与されること自身は栄誉の表彰になるのではないか。まさにそうでありますね。功労のために一つ年金をもらうということは、やはり一つの名誉でありますけれども、それ自身が問題になる。ましてや文化勲章を一方で受けた者がほとんど自動的に同時に年金をもらうということは、憲法十四条三項違反のこれは脱法行為にすぎないという、いまでもそういう批判が出ているわけでありますけれども、しかし、これは文化勲章というものの性質上、合理的な認め得るもの、そうすると、それは脱法行為であることもそこまで一応区別して、文化勲章をもらった者自体年金をもらうという立法形式を避けているのだから、これは認めてもよいではないかという、合理的なものとして認めていいのではないかという、こういう考え方が現在学界でも相当ございまして、何ら違憲の問題が起こっていないけれども、私は冷静に考えると、やはり脱法行為に類する面がありはしないかという疑義を持つわけでありますから、御指摘のように、その特権というものはなるべく憲法の明文があるのだからきびしく解釈すべきではないか、そういう観点から見ますと、憲政功労年金法というふうなものは、これはある程度の私は妥当性をやはり認め得る。これに対してたいへんきょうはそれが問題になったわけでありますが、生命を賭して戦った、こういうかつての戦友諸君に対してこれを認めないということは、たいへん片手落ちのような――感情としてそういうものを私も感ずるのでありますけれども、しかし、憲法第九条のもとにおいて私の考えるところによれば、武功というものに対してこれは国家行為としては認めない、そこで憲政功労年金とか文化勲章を受けた者を同日に論ずることはできない、やはり合理性がないと言うべきである、こう考えます。それでよろしいですか。
  34. 小柳牧衞

    ○小柳牧衞君 もう少しさっきのを、伴う既得権の問題……。
  35. 鈴木安蔵

    参考人鈴木安蔵君) 伴うということは、同町に、その栄典を与えること自体内容として直ちに与える。たとえばいまの金鵄勲章年金というようなものはそのものずばりにいっている。しかし、そういう趣旨でありますから、そこをとらえてこまかに考えて、文化勲章を授けるものとそれから文化功労者年金というものとを分けてきたのでありますが、やはり私は、この条文の趣旨からいうと、伴うということに私は入ると思うのであります。だから脱法行為だ。しかし、そのことの性質上から考えて是認し得る。それから一応立法としても別個のものとしているから違憲の問題もしいて問題にしなくてもいいというふうに考えるのでありますけれども、やはり伴うということに入るのではないか。つまり文化勲章をもらうということが、文化勲章そのもの一つの、要件として年金をもらうということではありませんけれども、文化功労者年金法によってほとんど自動的にこれを与えておる。これは伴うということにならざるを得ない、そう考えます。
  36. 小柳牧衞

    ○小柳牧衞君 ただいまの御説明を聞いて大体わかったのですが、そうしますると、金鵄勲章叙賜条例とかあるいはまた、文化勲章年金令という法律は、金鵄勲章あるいは文化勲章ということはいってあるけれども、法それ自体栄典を定めた法律とは全然別個のものであると解釈し得るようですが、それでよろしいか、その点をまたあらためてお尋ねをするわけです。  第二は、伴うということは根本があってそれに関連するというような御説明でございましたが、そうすると、金鵄勲章年金令が廃止されますというと期待権とか希望権というものもなくなるのじゃないか。それからさらに本法と特権を伴うということを対象として考えてみまするというと、要するに、今度の特別措置法案というものが憲法にいうところの特権を伴うというものとは関係がないのだ、もちろんその内容とか、あるいはよって来たるところをせんさくしますれば関係ありまするけれども、法の立場からいえば全然別個なものである、いわんや先ほどお話のように特権ということはきびしく解釈するのだということになりますれば、これは憲法特権との関係はない法案だと、こう見てよろしいのじゃないかと思うのですが、重ねてお尋ねいたします。
  37. 鈴木安蔵

    参考人鈴木安蔵君) 私の論理は、そのことに直接関連せしめないで金鵄勲章という制度、それから金鵄勲章、したがって、その母体となる金鵄勲章という制度、その栄典制度自体憲法のもとでは成り立たないものである、今度の法案はですね。過去のそういう行為、過去においては合憲的であったが、現在の憲法のもとにおいては合憲性を持たないところのそういう行為に対して、それを根拠として年金に見合う補償、慰労、そういう金を出すことは認められないということであります。  それから、本院の会議録を拝見しまして、草葉委員が懇切な提案理由の中に、「経済的期待権」ということばがある。先ほど大石参考人意見の中にも既得権ということばがございました。これも、私考えたのでありますけれども、これは、経済的期待権、ちょうど私どもは、私法は私ども専門ではありませんから、不正確であれば御指摘いただきたいと思うのでありますが、相続権を私どもは期待権ということばを使っておりますが、こういう場合と同じように、金鵄勲章年金をもらっておった者が経済的期待権を持てるというのは、これは旧憲法のもとにおいてであって、すでにそれが国法において廃止された場合に、当然その経済的期待権は成り立たない、消滅しているのであって、それを通俗的意味において、かつてのそういうものが復活すれば、わずかでももらえるのだと、いま寄るべない老齢の際にという、そういうお気持ちの意味であれば、これは十分了解いたしますけれども、法的意味における経済的既得権とか、期待権ということは成り立たないのではないかと私は思います。  あとはいままで申し上げたことで大体カバーされていると思いますが、いかがでございましょうか。
  38. 小柳牧衞

    ○小柳牧衞君 大体了承しましたが、そうしますると、期待権というものは、その根源のなくなったことによって消える。しかし、そういうような期待権を持っておった人を、さらに国策上から考えて、そうして政策を立てるということは、これは少しも論理的には矛盾がないといってよろしいのではないかと思うので、その点をもう一度。
  39. 鈴木安蔵

    参考人鈴木安蔵君) でありますから、先ほどもここで申し上げましたように、憲法第二十五条、これはもう、最高裁判所の考えているように、国民個々に対して具体的な権利保障したものではないといった解釈に私は終始反対しております。御承知のように、マッカーサー草案には全然なかった条文であります。私どもの憲法研究会が、「すべて国民は健康的文化的水準の生活をする権利を有する」、こういう条文を立てましたのを、私どもの憲法研究会員であった森戸辰男、その他社会党の議員諸君が衆議院の段階においてこれを変更して、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」という条文にして、当時の国会の承認を得たのでありますから、私どもは、これは具体的な権利として当然その後国会におきましても、この憲法第二十五条第一項に基づく健康で文化的な最低限度の生活を請求する手続法が定めらるべきものと考えております。現にそういう考え方でありますから、生活保護法というものが設けられておるのであります。ですから、私どもは終始これは、単なる期待権ではなくて、生存権、国に対し、公共団体に対して請求し得る生存権であるというふうに考えております。  で、最高裁判所は、大切なことでありますから、議員の皆さんに今後御努力をいただきたいと思うのでありますが、最高裁判所は、それは国がすべての国民に対して最低限度の生活を保障するような国政を行なうべき責務を課したものであるけれども、さればといって、個々の国民に対して具体的な生存権を保障したものではない、こういう判決を出しておるのでありますが、私はこれは国会においてぜひお考えをいただきたい。たとえば、私どもが学生に対して、私は、本学の学生諸君に憲法をよく教える責任を持っておる。しかし、個々の学生に対して指導する責任はないと言ったら、学生は、何を言っているかと大笑いするでありましょう。それと同じだと思うのであります。国がすべての国民が最低限度の生活をする権利を有するという、国政にそういう責務を課したものであるという前段が正しいならば、当然国民個人々々が手続法を通して生存権の保障を請求できなければならないはずである。そうして現在の生活保護法よりももっと本格的な社会立法がつくらるべきであるのに、実際はないので多くの人々が困っておる。そういう意味において、私どもは金鵄勲章を現に持っていらっしゃる方の切なることばを聞きたいと思うのです。こういう場合にこそ手続法があれば、金鵄勲章というものは不幸にして今日憲法で認められなくなった、しかし、かつてはそれによって最低限度の生活を十分補ってきたわけだからして、国家は第二十五条第一項に基づいて、この手続に基づいて、自分たちにそれにかわる生存権保障を与えるべきだ。だから経済的期待権ではなくて、生存権の請求権というふうに私は考えるのであって、憲法第二十五条を最高裁のように、あるいはたいへん失礼でありますが、歴代の内閣といわず、歴代の国会がこれを政治的プログラムであるとか、それを実行すれば日本の予算は破産するというような発言がございましたが、そういうものではないのです。生存権である。生存権、具体的に請求し得る基本権であるというふうに立法をされて、こういう問題を解決していただきたいと思います。
  40. 小柳牧衞

    ○小柳牧衞君 最後に一つお尋ねしたいのですが、私は憲法二十五条のほうは、いま問題にしておらなかったのですが、たまたまお話ありましたから、それについてお尋ねしたいのですが、われわれの生活を確保するところの基本が、国策としてあるいは法令として出るのでしょうが、その場合に、たとえば社会保障令とかいう、あるいは社会保障基本法とかいうまとまったものにする必要もないので、個々の行政の法律においていろいろあるということはこれは当然だと思うのです。そういう見地に立ってこの問題を考えてみまするというと、よって来たるところは社会保障じゃないかとしましても、また一面経済的の期待権、それはもうなくなったのだけれども、かってそういうような地位があったということを考慮して、国民のうちにそういうような不幸な人があるということを考えて、そうして社会保障精神を取り入れて単行法をつくるということは、論理的には間違いはないと思われるのですが、いかがですか。
  41. 鈴木安蔵

    参考人鈴木安蔵君) それで先ほどからの中村参考人意見にからまると思うのでありますけれども、やはり統一的な法規がありませんと、しからば、たとえば、私もまあそういうお話でありますから、具体的の例を出しますけれども、終戦まぎわには、東京都においても、相当強制疎開あるいは家屋疎開、われわれ自身も町内会長として家屋を、取りこわすことの先頭に立ったわけであります。これは間もなく終戦になってしまった。あるいは私も農地制度によって、不在地主として全部取られてしまった。この他こういう行政的基礎が奪われたというような問題が起こったことは多々ある。そういうものが次々と言い出しますと、それがみんな続いて混乱してくる。農地のほうはいま問題になっているようでありますけれども、家屋をこわされた。そうしてしかも終戦になった。だれも補償してくれない。いま今日残っておったならばたいへんに生活は楽であったはずだと思うのであります。あるいはまた、沖繩のひめゆりの例までは出さなくても、学徒挺身隊、たくさんの者がみんな犠牲を受けている。そういうものがやはりその統一的なこととして、今日やはり公平に考えて、それこそ不平等のおそれのないように処理するというためには、やはり相当統一的な基準的なものが必要である。それもおのおのその部面だけ組織を持ち、圧力を、悪い意味じゃありません、民主主義的な意味において圧力を行使して、そうしてその点だけをやれば、すぐに結果において、不合理な不平等ということがさらに出てくるのであって、それを私は憲法は許していないと思います。ですから、そういう意味において、統一的に、やはり全体の申し立てを十分に冷静に、これは国会で御審議なさるわけでありますが、そういう基準というものはやはり社会保障としてしっかりされないといけない。ばらばらにしてそうしてやってアンバランスが起こるようではいけないと思います。
  42. 小柳牧衞

    ○小柳牧衞君 もう少し。ことばじりをお尋ねするようで恐縮ですけれども、社会保障に関する全般的の法令のあるほうがむろんけっこうなんです。しかし、なくても、またその目的に応じて社会政策を実行するということは当然なことであり、やむを得ざることであろうと思います。そういう見地において、いまのお話を承りますというと、ばらばらにこしらえるのは憲法精神に反するというようなお話があったように思うのですが、そういうことはいかがなものでしょうか。
  43. 鈴木安蔵

    参考人鈴木安蔵君) ばらばらにつくることが憲法精神に反するのじゃなくて、ばらばらにやった結果、そういう非常にひとしからざるを憂えるような、そういう状態が起こるおそれがあるから、だからある程度統一的な法律があって、基準法があったほうがいいんじゃないか、もちろん下の性質上、生活保護法であるとか、現在ただいまの問題に関する、人々がしいてたよるとすれば生活保護法きりございません。ところが、生活保護法だけではこれはまかなえない。しからばどういうことをやるかというと、やはりもっと、憲法第二十五条が単なる政治的立言でないとするならば、生活保護法も包摂したところの最低限度生活保障法というふうなものを設けられて、そうして全体として不平等な、不公平なことにならないような立法基準というものがあったほうがいいんじゃないか。単行法でやって憲法違反になるというようなことではございませんから。  それからなお、大切な問題でございますけれども、そのことについて特にきょう準備してまいったわけでございませんので、必要があれば専門学者にあらためてどうぞ御質問いただきたいと思います。
  44. 三木與吉郎

    委員長三木與吉郎君) 他に参考人に対して御質疑のおありの方はございませんか。――別に御発言もないようでございますから、参考人に対する質疑はこれをもって終了いたします。  終わりに参考人の方にお礼を申し上げます。本日は長時間にわたりしかも貴重な御意見の御開陳を賜わりまして、まことにありがとうございました。本法案審査に多大の参考になったものと存じます。委員会を代表して重ねて厚くお礼申し上げます。ありがとうございました。  では本日はこれにて散会いたします。    午後零時五十二分散会