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国務大臣(
福田一君) お説のとおり、
硫安というものは、世界全体から見てもある
意味では
過剰生産に
なりつつあります。それはどういうことかと言えば、
後進国においてすでに工場を作ってこれを生産することが
一つ。もう
一つは、
尿素と
高度化成というふうに
アンモニア系の
肥料の
転換が行なわれつつあるという、この二つの事実からお説のようになっておると思うのであります。そのようなときにおいて、しからば
硫安というものをどういうふうに
国内の生産と
輸出の
関係を考えるか、さらにまたこれが
農家に供給される事態をどう認識していくかということになるのでございますが、これは私は法制的に何らかの
措置をとらなければ、何といいますか、
国内に転嫁されるおそれがあるのじゃないかという議論も十分考えられる。また
考え方によっては、必ずしもそういう、これはあなたへのお答えにはあるいは的をはずれるかもしれませんが、たとえば、この
硫安というものは、そこの
会社の生産品の中の一割以内であるということになれば、ある
会社が十の品物を作って、そうしてその中の
一つが
硫安、あとの八つはほかのものを作るということが考えられるわけであります。そのときに
硫安に関する設備というものを持っていれば、その
一つを全然使わない場合が得か、やはりその
一つ分だけ作ったほうがいいか、あるいは
一つ半だけ作ったほうがいいか、
一つ半作ったのと
一つ作った場合の損得の比較、こういうことはやはり経済の、
会社経営の形からいって当然考えられてしかるべきだと思うのであります。もうすでに設備ができておるのに、全然その設備使わないでほったらかして置くのがいいか、あるいはまたその設備は使ったほうが、幾分は損するけれども設備を使ったほうがプラスになるか。設備をフルに動かして一・五のものを作って、そうして一は
国内で五は海外へ出すということのほうが、場合によっては得かということは、これは経済のそこの
会社の
考え方で私はきまっていくのではないかと思うのでありますが、やっぱり看板として今まで
硫安というものを作ってきたというのに、急にやめるということは、
会社としてもようしないところであろうとも思うし、それからまた、そういう場合において、
会社全部が相談をして、そうして、
硫安の
値段は絶対に上げない、お互いに上げないようにしようというような、まあこれは公取との
関係でどういうことに
なりますか、まあ
値段上げないというほうだから、
値段上げるほうじやないから、あまり問題ないと思いますけれども、値を上げないという協定を結んだという形において、
国内には一定のものを必ず一定の
値段以下で供給する、そうしてそれ以上に作ったところは、自分の好きでよけい作っているのですから、それは海外へ売ってもいいけれども、その
赤字は自分で吸収する、こういうようなこともあり得ると思う。私はこれは、いいと申し上げているのじゃありません。そういうこともあり得るというわけでありまして、今後の
硫安工業というものは、まあいろいろのやり方もあろうかと思いますが、しかし、だんだん、世界的に見て、
硫安自体の需要が、それだけ伸びるかどうか。まあ未開発国がどんどん農業化されて、そしてまたそこでどんどん
硫安使うということになった場合でも、ほかの、
尿素とかあるいは塩安とかその他のものを使うというところで、
硫安使わなければそのほうはふえませんから、そういうことを見るとそうはふえるとは思いませんけれどもが、しかしまあ私たちとしては、一応
硫安を作って相当なこれは
赤字であります。ずっと
赤字相当出た。これからも年に一応二十億ぐらい出ると見なければならないですから、ある
程度はやはり国としてめんどうを見ておく。しかしこれ以上はもうめんどうを見ませんよという形で私たちはこの問題の
処理をはかっていこう、こういうのが今度の
計画であります。
大体
北村さんも御存じのように、この
法律を作ったときには、需要が非常に多いのに供給が少なかったからできた
法律であります。今日におきましては、供給が非常に多くなって需要のほうがむしろ少なくなったというときの
法律でありますから、いずれにしても、この
法律については再検討せざるを得ないと思いますが、私は、いかに
合理化をしていっても、国際
値段、今のいわゆる
輸出価額の三十六、七ドルまで
合理化ができるということはちょっと考えられない。それは私は困難であろうと思います。困難だからといって、全然作らないかということになると、そういうことではない。今言ったような
考え方も成り立つのではないか、こういうことを一応申し上げてみたわけであります。