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田原委員 その中級人事の点で、まだ
現地における実務のいろいろな実例、補助金の不正使用あるいは経理の不正等もありますが、これはいずれ第二回の次の
審議かなんかでまた申し上げることにします。資料もありますし、また次々に人をかえて
質問申し上げます。
特に
大臣にこの際御注意を喚起しておきたいことは、
海外移住ということは
外務省だけではないということなんです。一番重点は
大蔵省です。
海外に
移住いたしますと、まず独立営農資金が要ります。それから、
ブラジルだけの例をとりましても、平均いたしまして八へんかわっております。どこかいいところはないかというのでかわる。国際協力とかなんとか上品なことで行くんじゃない。国内でめしが食えないで行くのですから、いいところの土地があったらそれをさがして買う、またしくじってまた買うという、
移住者の
移動回数は平均八回と言われております。それほどひんぱんなんですね。そのつど資金を必要とします。それから、
移住地は、ただ農民だけじゃありません。たとえば、かじ屋あるいは倉庫業者あるいは自動車の修理工、そのほか小さな町工場等も必要といたします。これをやったらいいなと思っておっても、その資金がない。いままでの
海外移住振興会社の
貸し付け規程では農業の独立営農資金だけなんです。それで、はるばる四日もかかって
サンパウロ市に行きますと、確かに商業銀行があります。たとえば富士銀系の
南米銀行、住友銀行の支店、三菱系の東山銀行、それから在留民設立の日伯銀行、それから為替
関係は東銀があります。しかし、これは短期の商業資金でありまして、長期の不動産金融等は実際上できない。したがいまして、ここで
大蔵省に特に考えてもらわなければならぬと思うことは、国内におれば、国民金融公庫あり、中小企業金融公庫あり、農林漁業金融公庫あり、大規模なものなら開発銀行がある。さあ行けといって
海外に行ってしまうと、単なる独立営農資金しかない。それも非常に時間がかかる。それで有能な人が農民から出て町の商工業者になってみても、資金の裏づけがなくてたいへん困っておる。だから、私は、
海外移住に関しては、まず
大蔵省、特に銀行局、為替局、理財局、ものによったら管財局等に真剣に取り組んでもらわなければならぬと思っておる。
次は農林省でございます。現在
移住者の八割は農民であります。また、あまり成功はしておりませんが、国内で農業改善事業というものを考えております。これがかりに予定どおりいけば、農村の人口を都会に集めるか、次三男を
海外にやるか、一家こぞって行くか、いろいろ問題が起こるわけであります。したがいまして、農林省が真剣に
海外移住に取り組むならば、これももう少し積極的な
熱意と指導に協力すべきものじゃないかと思う。沿岸漁民もまたしかりです。最近、大森海岸で工場ができまして、何百億という金ができた。しかし、ただ現金を持っておるだけで、どうにも方法がつかぬ。これらも、サービス機関がほんとうにいまのように派閥人事でなければ、さっと行って
南米移住ならこういう道がありますと言ってやるべきなのに、やったことはない。ですから、農林省の積極的な協力が必要と思う。
次は労働省です。特に、先ほど申しました七万の炭鉱労働者、これはからだは強い。モグラモチみたいに下で働いておった者が今度は
南米の天日のもとで働く。一本草をとればそれだけ収入がふえる。子供も働ける。
日本では炭鉱内で仕繰りで働いていて、大工の
仕事もできるし、かじ屋もできる。私は、
日本の炭鉱労働者は、適当な資金の援助とそれから計画
移住の方法を誤らなければ、
海外では成功する見込みがあると見ておる。したがって、労働省が積極的にこれをやらなければいかぬ。労働省の第二点としては、
技術移住でありまして、それはもうさまざまなものがあります。あなた一ぺん行かなければいかぬと思う。見てくればわかりますが、
日本のこまかい技術
関係、飾り職に至るまでそれは有望なんですから、これらにひとつ適当な
海外移住の道を開くようにしてもらいたい。
次は建設省。建設省はすでに多額の
予算をもちまして建設青年隊というのを何名かずつ派遣しております。ただ、いままでのかっこうが、行ったとたんに農業
移民になってきている。これはおかしいので、むしろ技術
移民として測量とか設計、現場監督をやらして、道路、橋梁、住宅をつくるようなことに向けたらいい。これもやはり積極的にその
熱意を続けさせていかなければならぬ。
次は通産省。特に中小企業庁
関係。御
承知のように、
ブラジルのウジミナス製鉄所というものができて、私
ども行ってみましたが、これは第一次製品ですから、第二次製品、第三次製品となりますと、こまかい経験と技術は
日本の中小業者には及びません。またそんなもののない野っ原にいきなり製鉄所ができているのですから、したがいまして、あそには針金からトタンからくぎあるいは食器類等もつくることができるようになることが望ましいし、
ブラジルも喜ぶことであります。したがいまして、
日本の通産省は積極的に
熱意を持って中小企業者を実際に具体的に出すような便宜をはかってもらわなければいかぬと思う。
次は厚生省であります。医者が足りません。もちろん歯科医師も薬剤士も足りません。これはさまざまな例を私は知っております。私が
青年時代に行っておりましたときに、
サンパウロのドアルチーナという小さな村に小学校がありまして、私はその
日本の小学校に学生時代泊まったことがあるのですが、そこに奈良県の師範学校を出た先生が一人おった。夜中の二時ごろにおじいちゃんがドアをたたいて、先生、先生、いまうちの家内が子供を産みますから来てくださいと言う。先生は二十二歳で、私は二十六歳でした。
田原さん、どうしましょうと言うから、行け、かまわぬ、この教科書の生理衛生のところを見て行ってこい。——これは
戸叶さんには済まぬけれ
ども、上の方から押していけば出てくるだろうからというので、一人で行った。私は留守番しておった。奥さん、私が来たからだいじょうぶだ、安産ですということで、心理的作用でうまく出せるだろうというので行った。すると、翌朝鶏を三羽持って帰ってきまして、
田原さん、子供は産まれましたよと言う。いまではお医者さんも相当行っております。この間のように細江博士のようなりっぱな人が行っておりますし、それからつい四、五日前大阪医科大学で二人の医者が行くというので私は送別に行って激励してきましたが、まだまだ二人や三人じゃ足りません。
アマゾンだけ見たってどえらいところだ。神田錬蔵博士の「
アマゾン川」という本をごらんになればわかります。医者も歯医者さんも出さなければならぬ。それから看護婦と産婆さんが要ります。ボリビアでは、医者がいないために、お嫁さんに行った看護婦さんが西部劇みたいに馬に乗って巡回診療をしております。たいしたものです。でありますから、厚生省が積極的に努力して、
日本医師会ともタイアップして医者を出す。野心ある助教授級は博士論文の原稿書きにでもいいから三年くらい行ってくるといい。そしてそういう拠点をつくってもらいたい。これは
外務省の腕ですから、折衝して、試験研究所、調査所をつくり、それから巡回診療もできるようにしてもらわなければならぬ。それから、養老院あるいは託児所、精神病院、あんま、指圧、こういったものも厚生省
関係では必要であります。いま
アルゼンチンのブエノスアイレスに青木さんという人が指圧の先生として行っておりますが、私が呼んでどうだと言ったら、いやたいしたものです。ブエノスアイレスの医師会はむずかしい神経痛やリューマチをみんなそこへ出すのだそうです。それからパラグアイに一人おります。これは大統領専用みたいになってやっております。
日本人が行くと、あなた方はただでいいからというぐらいにやっておる。
ペルーでは、どこかの貿易会社の支店長が行ったのですが、もう
戦前の話ですが、指圧を知っておったらしい。その当時の
ペルー大統領がどうも神経痛で困るというので、
日本人は神秘的なわざを知っておるということで呼んでやったら、なおった。それで、あなたは貿易商をやめて医者になってくれと言われ、
東京に帰ってあんま、はり、きゅうの本を買って、向こうでりっぱな医者になってやっておる。八十幾つです。こういう例はたくさんあります。メキシコでも、これはお医者さんで私の同県人だというので、あなたどこの学校出ましたかと聞いてもはっきり言わない。言葉をそらしてしまう。私は気がつかぬで何度も聞いたら、机の上に麻布獣医畜産学校——獣医さんなんですね。それがともかく行ってりっぱな医者になって感謝されている。なおるというのですから。アスピリンと重曹とヨードチンキがあればたいてい間に合いますよと言う。ほんとうですよ。そこへ持ってきて、いつまでもそれではいけませんから、やはり厚生省の各機関が積極的に出ていってやってもらわなければいかぬ。
海外移住地における最も必要なことは、医者、教師、宗教、金融です。この四つがそろわなければいけません。アフリカのシュバイツァーのように、医者であり、教師であり、宗教家である人は一人三役もできますけれ
ども、そうでない限り、こういう
人たちを出さなければいかぬ。しかし、なかなか旅券が取れない。あんまさんが行くといったって旅券が取れない。だから、サービスというなら、事業団をつくるというなら、やはり
日本の小社会を移すくらいの
気持でやらなければいかぬ。そのためには、これは対策のところで言うつもりでおったのだが、府県単位、もっと言えば町村単位で
移動した方がいい。隣人眷族で行っておりますと相互扶助で金の貸し借り、農具の貸し借りをいたせますが、いまのようにただ全般的に募集してばらっと集めていく程度では親切心がない、便利がよくない、そういう
希望もあります。
さらに言えば文部省です。文部省は、
戦前には、宇都宮高等農林学校、盛岡高等農林学校、岐阜高等農林学校、それから三重高等農林学校、宮崎高等農林学校、鹿児島高等農林学校に拓植科というものを置いておりまして、これらの高等農林学校出身者が
中南米に行って、黙々としてその地区における
日本人の指導者になって、産をなしております。それから、北大あたりから行った者もあります。しかるところ、敗戦とともに、マッカーサーが来て、いきなり
海外移住はまかりならぬとおどかしたものですから、文部省はそれをばか正直に二十年後の今日まで守ってきておる。
海外移住についで全然教科書もなければ専門の先生もつくっておりません。科もありません。ですから、
海外移住の民間の大先達である永田稠
日本力行
会長がしばしば書いておるのは、文部省をまず口説いて、
海外移住を中学校時代から普及させるということ、それから、地方の大学の農学部等にはそういう拓植コースを置くとかあるいは
南米事情というものを教えなければならぬ、こういうことを言っております。
それから、次は郵政省。ラジオは比較的普及しております。これは、交通が不便でありますから、向こうの民間ラジオの時間を買いまして、きょうはだれが来るということをちゃんと放送している。しかし、テレビは残念ながら大都会までしか入っておりません。したがいまして、この間
アルゼンチンの
大使に会いましたところ、ラジオやテレビが発達している
日本からはなかなか行ってくれぬでしょうねと話しておった。これは一面は見ておるのですね。でありますから、
海外移住については、現在よりも低い生活条件のところに行くということであってはならない。現在以上のものにならなければいけません。それには、こういう国内に住んでおると同様の利便が伴うようにしなければいかぬと思うのです。したがいまして、
移住事業団法の
審議にあたりましては、いずれ
逐条審議をいたしますが、まずここへ
関係各省の局、課、長に来てもらって、とっくりわれわれの意見も聞いてもらい、また、すすめたいこともあるわけであります。
こんな話をしておりますと時間が幾らあっても足りませんので、私は第一回の
質問をこの程度にしておいて、
関係各省の局
課長もいずれお呼びいただいて、さらに
質疑をいたしたいと思います。また、この
質問の最初に申し上げましたように、
衆議院におきましても
海外移住に御熱心な方も与野党にたくさんおられまして、たまたまそれがあるいは建設
委員会あるいは農林
委員会等でやっておりますので、
関係委員会の連合審査をやって、謙虚な
気持ちでお聞き願って、りっぱなものをつくってもらいたい。さらに進んでは、参考人としても、民間で半生を
海外移住に尽くしている人がたくさんおりますので、そういう
方々の率直な意見も聞きまして、そしてせっかくつくるならよいものをつくるという
気持になってもらいたい。御
承知のように、
移民保護法が明治二十九年にできましたが、敗戦とともに廃止になりまして、自来ありませんから、何かよるべき法律が必要と思います。そこで、
海外移住審議会では、
移住基本法と
移住者援護法とこの事業団法、この三法を同時に答申してあります。これらの問題については議論になりますからこの次にいたしますけれ
ども、一つだけ出して、
あと出さぬという
気持ちは私にはわからぬ。全部出して、悪ければあるいはこの外務
委員の練達
たんのうな諸君の御
審議によって修正するなら修正する、こうしてくれればよいのであって、まずいから出さぬ、事業団法だけ出しておこうなんという、そういう態度で
海外移住問題を扱われては困る。
大へん失礼なことをいろいろ言いましたが、私の真意はおわかりと思います。少なくとも、
中南米には、単に年に一万二千なんということでなくて、
戦前には二万六千人行った年もあるのですから、
各省、
国会、民間団体が協力して
移住促進に努力して、年に三万や五万は出せるようにしたいと思うのです。
イギリスは、少なくなっておりますが、豪州、
アメリカ、
南米等には十四、五万は出しております。イタリアも出しております。だから、
日本も、これまた議論になりますが、量より質なんということを言う必要はないのであって、だれが一体質をきめるのか。大ぜい行けば、そこで質もよくなるのでありますから、
移民を出すにあたって質を厳選するというようなけちなことを言わぬで、行きたい者は行かせる。行ってから資金が必要なら、資金を貸してやる。その中で十人に一人返せない者が出ても、ちょうど国民金融公庫の貸し出しがそうであるように、その程度のものを考えていくというぐらいな、親切な厚みのある
移住政策が望ましいし、そのための事業団であるならば、われわれは真剣に取り組んでこれを
審議したいと思っております。
以上で私の
質問の一部を終わって、
あとまたちょくちょく出すことにいたします。