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井伊参考人 私が
国会の
正門の前に到着をしましたのは、やはり皆さんの言われるように四時ごろだと思います。それは、私はチャペル・センター前の人
たちの集まっておる中におったのでありますが、
代表者の
方々は前の方に集まってもらいたいということがアナウンスされました。されますこと二回ぐらい
たちまして——私
自身は、そのところに
陳情団と
一緒に
院内に入るという気持でおったのではないのであります。けれども、そのとき、たまたま群衆の中で
社会党の事務局の一人の人が私を見つけて、「もう
代表団は入るのですから、ここにおいでにならなくとも、
院内にお
入りになったらよろしいでしょう」と、こう言ってくれたわけです。けれども、周囲はもう大体人で一ぱいでありまして、どちらに行くこともできない
状況でありましたが、その人は図書館の方の側——チャペル・センターの側と反対の、そちらの方に自動車がたくさん並んでおりますから、その自動車を越えて行けば、向こうは案外すいておって前へ出られますということでありましたので、その人が先に立ち、私はその
あとについて行ったのでありますが、まさにその
通りで、その歩道のところは比較的人がおりませんでした。もっとも、出かけますときに、その人は私に、「そのままで行ったんじゃ、ともすると制止されるかもしれないから、この肩章を持っておいでなさい」というので、赤の肩章を私に貸してくれたわけであります。それをかけまして、そこを出て、そうして前方の方に参りましたところが——その前方というのは、あの
正門——御承知のように、
正門の前はほぼ三角といってはおかしいのでありますが、道路が前にありまして、一番近い線を——実は歩測でもってその後調べてみたのでありますが、参議院の方の入口の方が短いのであります。それで、それは十二間ぐらいで道路に出ると思います。それから、
衆議院の方から一番遠いところの線のところまで約十六、七間はあるのであります。もっとよけいあったかと思います。前の方は、その曲りかどのところまで道路に沿うての間数は、大体を言うと十六、七間あると思います。やや三角の形をしておるのでありますが、私は、その道路のところに出たわけです。道路を越した向こうが今の三角の地点でありまして、その上に、
正門が三つ並んでおるのでありますが、そこのところへ私は道路を越えて行ったわけです。そのときに、道路にはだれも人がおりませんで、私はちょっときまりの悪い思いをしたのですけれども、そこのところをただ一人で——棒が立っておって、そこに鉄のさくがあります。そこを乗り越えて、私は下手の方、チャペル・センターの方の道路の方を見ながら、そっちの丘の上に上がって行ったのでありますが、そのとき、そのチャペル・センターからその
正門のところへ来るまでに踏み切りがございます。あの線のところの
警察官がきわめて手薄であったように思いますが、何やら上がってくるところの群衆を押えておるというようなものが見えるのであります。そこまでの間、人はだれもいないのであります。そこのところを私は渡って行って、その三角の広場まで上がったのでありますが、上がって下を向いてちょっと見たところが、
正門の三つの門のありますちょうどまん中の門、そのまん前といってもいいところです。そのところが約三間ぐらい離れておって、ちょうど三角の少し上であって、まん中と思われるようなところに到着したところが、そこに二十名あるいはそれ以上かもしれませんが、そのくらいの人が立っておりまして、その中に、
社会党の同僚
議員のたすきをかけた人が三、四まじっておられたのであります。ああ、これが先ほどアナウンスされたところの
代表団であって、それを案内するところの人がここにおったんだなということが、私はそのときわかったのであります。そのときに振り返って下を見たのでありますが、依然として道路の方はそのままあいておるのでありまして、門のところに——門の方を前に申せば、門はちゃんと締まっております。私の目では、そう見たのです。門は締まっておる。その広場のところにはだれもいないのです。うしろを振り返ってみて、チャペル・センターの方の群衆の方を見ますと、道路の向こう方にはずっと自動車が置いてあって、そこのところが厳重に押えてあるわけであります。その向こうの方には旗が林立しているのであります。そうして、今申し上げたように、その下手の方の、横断をしてくるあそこのところで一生懸命防いでいるところが見えました。
さて、今度そこに到着をしました後に、「さあ、行こう」というようなことになったらしいので、動き出したのであります。これは回れ右をして
正門の方へ向いたわけです。そうして初めて気がついたことは、
正門は締まっております。それから、右の方の参議院の門も締まっております。それから、左の方の
衆議院の通用門のところは二枚のとびらが、一枚はきちんと締まっておりまして、一枚が半開きになってあったのであります。その一団の人がそちらの方へずっと左寄りに寄って、そのところへ近づくと、何を思ったのか、ばんと内方からその半開きになっておった一枚のとびらを締めたわけです。ちょうど締めたとき、その
先頭におったところの代議士の人が、「
院内に入るのだ、代議士が入るのだ、どうして締めるのだ」、こういうことを言うのが聞こえました。聞こえましたが、そうしておりますと、私もそのうちに近づいたわけです。その時間というものは、非常に短い時間で到着してしまったのです。とびらの間のすいておるところから見ておりますと、一生懸命にかんぬきをさしておるわけなんです。そういうふうにしておる。ところが、そういうふうに言われましたものですから、その
衛視の人は、非常に困ったらしいような顔つきをしておったのです。そうして、内から向かって左の方にも
衛視のたまり
場所があります。それと、今度反対に右の方に、中央のとびらとの間に
一つまた何かあるのですな。そちらの方に係員がおったものと見えまして、そちらの方に首をこういうふうに向けて、そうして指図を受けるという様子があったのです。それは非常に短い間のことでありますから、私は五秒とか七秒とかの間ではないかと実は思うのでありますけれども、そうしておりますと、人がそこに立っておりますから——向こうから来るのは見えませんでしたけれども、人からはずれると、そこへ今の
衛視の係長というような人が——
名前はわかりません、今その人の顔を見たらわかるかといっても、私はわかりません。わかりませんが、とにかくそういう人が来まして、そうして、何か指図をしたのです。指図をしますと、その人がこのかんぬきをはずして、そうして、初めてとびらをあけたわけです。とびらをあけました。とびらをあけましたけれども、もともとのように、これを完全にしっかりあけてしまったものではありませんで、ちょうど人一人入れるようなふうにあけたのです。それでも、それによりまして、すぐ前の方の人からこう入って行ったわけですが、実際のことを申しますと、すぐそこの入口に三十人なり三十五人なりの人がおったものですから、それが入ろうというので、押して行ったことは事実です。私らは、何も急ぐ必要もないものですから、左手の一番うしろの方に立っておったのですが、大部分入ったと思うので——私の方は最後のつもりであったのですけれども、実際はそうではなかったので、まだ、右手のうしろの方にこられた人があったものとみえます。その狭いとびらのところで、人ととびらの間に手をはさまれまして、小指を多少傷つけられたということがあるのです。そうして私が入って、中はどういうふうであったかというと、その瞬間はどうもわかりません。ころげ込むようににそこへ入ったというような
記憶はどうもないのです。しかし、入って、中には
衛視もおられますし、新聞社
関係、カメラマンもおられたはずです。そういう人
たちが多少狭いところにおりましたので、入って行くのと
一緒に混合しましてそのところがちょっとごちゃごちゃしたような気持はありますが、しかし、入ったところの人
たちは、そのまま隊を組みまして、そこからずっと進んで行ったわけであります。御承知のように、あれからまっすぐ行けば正面の段のあるところに行くのでありますが、そこへ行きませんで、ずっと行きますと、左の方に芝生の植え込んである、あそこのところから左の方へ行くところがあります。あそこまで、私は大体の見当で四十歩くらいだなということで、そんなことを申し上げたのでありますが、まさに、それはその
場所でありまして、歩数が確かでないと思ったので、実は昨日歩数を調べてみましたところが、やはり四十歩見当でもってそこの曲がり目に達するのであります。それで、私が一番しまい——と言うと多少語弊がありますが、私よりも若干、一人や二人の人はうしろにおったかもしれませんが、私はそこのところに行きました。そして、
先頭の人がまっすぐ行こうとしたのです。実は、
院内のことを知らない人が入っておったものとみえまして、まっすぐ行きかかったら、
先頭で代議士の人
たちが、「そっちじゃない、こっちから入るんだ」と言って、左の方に誘導して行ったわけです。すっかり曲がってしまったころ、私は振り返って見たわけです。そうしたら、そこのところと、入ってきた門との間には人はいないと言ってもいいのです。きれいになっているわけです。門のあたりに
衛視はおられたけれども、そんなに固まったほどいたわけではない。ただ見えますことは、外の方に確かに押しておる人がおった。ただし、これは
正門ではありません。私らの入ってきたところの
衆議院の門であった。ところが、外の方で押しておるらしい、下の方は合わされておるのに、上の方がそびれてあいておるような
状態が見えて、押しておるのだなと思ったのであります。そのときは、大体四十歩くらい行ってから振り返ったのであります。もちろん、そのときも
正門の方を私は特に見ようと思ったわけではないのであります。そんなことは気がついておりませんから。そうして、そのところに人の押しておるなという——向こうの方にはないのでありまして、ただあるのは、入ってきたところの門だけを押しておるわけです。それから歩数にして約六十歩ぐらい参りますと、あの芝草のところに、ヒノキだと思うのですが、一本しだれておるヒノキがあります。あすこのところまで参りますその途中だろうと思いますが、
衛視のしかるべき人が二人くらい先方の方に出てきて、そして何か話をしながら先方へ導いて行くような格好でありまして、私は別に不思議にも感じないので、
あとについておったわけであります。
それから私の心持としましては、ばく然と
衆議院の正
玄関から入るのかな、こう思いましたが、そのわきの近いところまで参りましたところが、そこのところには、ちゃんととびらが締まっておりまして、
衛視が数名段の上に立っておる姿が見えました。私は、なるほど正面
玄関から
陳情団が入るなどということは、これはうかつな想像であったと思いながら、それを横目ににらみながら——そこのところに近づいたわけじゃなくて、そのまま行って、南口から入るところのあの入口のところには確かに到着したのであります。そのところに到着をしましたが、案外にも、そこもまた鉄のとびらが締まっておりまして、段の上に
衛視がおり、下にも
衛視がおりまして、そして、そこで
先頭におった人が、ちょっと当惑したような格好でありました。
言葉は、私は正確にはわからないのです。わからないけれども、それは交渉を始めたらしい。
院内へ入ろうとするんだけれども、どこから一体入るんだという、そういうことだろうと私は思ったわけです。そうしますと、何かちょっと話し合いをしている間に「何だと」いったようなことを前の方で言ったらしい。「何だ」というのは、新館の
議面の室でもって会うんだ、こういうことになったらしいので、それで、結局そうかという納得で、そこに案内するところの
衛視の人が二人ぐらいまた加わりまして、その人がまっすぐに新庁舎の
議面の方へこれを導いて行ったわけであります。そうして、向かって陸橋に近いところの右のあの入口のところからみな入ったわけです。そこのところで、だれか一度に入ろうとしまして、がちゃがちゃとガラスか何か一枚ぐらいこわれるような音がしました。それで、だれかが来まして、それらの人を押えるような、そういうようなことはあったのでありますけれども、それから中へそれらの人がみな
入りまして、私は一番左の方の口から、やはり同じ
議面のところに参ったのでございます。私は、この間、
入りましてから後の代議士の
諸君のことは、数名の人
たちですから
記憶しておりません。
淺沼書記長は、ついに私は見落としたということになるようであります。私は、とうとり見ないでしまった、そう思っております。そうしておりましたが、実際は、やはり
一緒に、私よりも、先に入っておられるようでありますが、これは私気がつかないのです。全然わからないのです。それから後それから
行進をしております間には、まさに柏君もおられましたし、それから岡田春夫君もおられました。そのほかの人
たちも私の知っておる人が二人ばかりおられますが、これは
名前を申し上げませんけれども、おられました。しかし、それは、私その間に何か不安な気持とか不穏の気勢とかいうものはあるはずがないので、それは静かに行ったわけでございます。
それから、今度旗の点が出ておるようですが、私は、旗はついに見ません。旗を持っておる人はついに見ません。ただ、どこへ参りましたときだか、これは
議員ではもちろんありませんが、ヨシというか、竹というか、細いものの先を割りまして、そこへ何か紙をはさみまして、御注進とでもいったような、直訴でもするといったようなもの、そんなものを持っておった人がありまして、だいぶ時代がかっていて、念
入りなものだなと私が思ったのは、それはあります。ありますが、その人は、
面会所に参りましてもそれを持っていまして、それで、私はなおのことよく見たわけであります。そのほかに旗を持っていたとか、旗を巻いていたとか、何かそういうようなものをあれしたということは、私は見ません。
それから、今度小林君のことが出るようでありますが、小林君は、私はその列の中に見ません。しかし、向こうに到着しましたとき、小林君はおりました。向こうに行きましたときに小林君はおりました。実は、新潟県の代議士がおるものですから、私は、小林君をそのうちの一人に数えたわけで、私もあるというわけであります。もっと、もう少し新潟県の者はおったわけです。そういうようなわけで、小林君のおったことはわかりますが、小林君が途中歩いてきたということは、私は知りません。どこからどうしてあれしたということは、これは私は知りません。
それから、淺沼氏は
面会所に参りましたときおりません。これは、もう絶対におりません。そういうようなことでございまして、
あと院内に
入りましてからは、何やら柏君が
院内と電話でもって交渉をしきりにいたしておりましたが、「何だ、どうも三十名というのが二十名に制限すると言ってきたが、困ったことだ」というようなことを言っておりますけれども、そうなったんだからということでありましょう、結局、その来た人
たちに諮ってもらって、その来た人の中から二十名を選出してもらって、それらの人がまた別に二列縦隊になって休んでおる、ほかの人
たちは別のいすのところに休んでおるというようなことをしておりました。それで、今度しばらくたつというと、電話の連絡が何だかへんてこになってきた。今度は会われないとか、会わないとかいうような話になってきたというので、大いに気をもみ出しました。何やら、そのときに、どこかから群集が入ったということがその控室のところまで、つまり、
議面のところまでわかってきたものとみえまして、今度は柏君は非常にいらいらし出しまして、「何だ、そんなことならば、なおのこと、これは急いで
面会をしなければ困る」といって、電話をかけておったのを私は耳にしておるのであります。そういうような事態でありますが、とうとう
面会は何かむずかしいようなふうになりまして、そこから一、二の人
たちが
院内に行って連絡をしたり、交渉したりする、それからなかなか行き悩みになった、こういう形でございます。私、その四時のあれのとき、前のところに立ちましたとき、
構内におきましても確かに若干の人はおりましたけれども、その辺のすぐ目の前のところに旗なぞ少しも立っておりません。それだけは明言することができます。旗の立っておるのは、広場の下の道路を越したチャペル・センターのところでございます。だから、それは間違いないと思います。
何かありましたら……。