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我妻参考人 私は、ただいま御紹介のように
東京大学の
名誉教授でありますが、同時に、
原子力委員会に
設置されております
原子力災害補償専門部会の
部会長をしております。本日お招きにあずかりましたのは、
多分その
関係だろうと思いますので、
最初に、この
部会長となったときの気持を一言
説明させていただきたいと思います。と申しますのはこの
部会で何をしておるのか、何をしようとしておるのか、また、この
法案に対して私が
個人としてどう
考えるかということと
関係するからであります。
御
承知のことと思いますが、私の専攻としております
民法の中で、
災害の
補償あるいは
損害の
賠償ということが大きな問題の
一つであります。
最初は、
過失がなければ
責任がない、他人に
損害を加えても、その加えた者が現代の
科学でできるあらゆる
設備を講じておるときには、
損害を与えても
責任がないという原則が行われておりました。しかし、その後
科学技術が発達いたしまして、どうしても避けられない
災害を伴う
産業がいろいろ発生することになりました。たとえば、
鉱山業とか、あるいは
化学工業、あるいは飛行機とか、自動車とか、鉄道とかいう近代の
交通企業というようなものがその例であります。そこで、
民法の
理論といたしましても、
過失がなくとも
責任を負わねばならぬ場合があるという、いわゆる
無過失責任の
理論がだんだん盛んになって参りまして、学説の上だけでなく、
各国の
法律でもそういうことを規定するようになりました。この
原子力を平和に利用するということにも、御
承知の
通り非常に大きな
災害を伴いますので、この正
原子力災害を
補償するということが、
無過失責任の
一つの適用として新しく登場して参ったわけであります。それで、私も
専門の
関係から、この問題に非常な
関心を持ったのでありますけれ
ども、何分問題が新しく、また、そうしたケースが非常に少いというので、
研究が進んでおりません。
東京大学でもその点に目を注ぎまして、法学部の同僚が集まって、文部省から資金をもらって
研究班を組織しております。もっとも、この
東京大学の
研究班は、
損害賠償の問題だけでなく、
国際法の問題、あるいは
行政法の問題にもわたりまして、広く
原子力と
法律関係ということを
研究の課題にしております。そして私もその一員となっておるわけであります。また、これも御
承知のことと思いますが、
原子力産業会議あるいは
保険関係の
方々も、この問題をそれぞれの
立場から
研究しておられるようであります。かような
事情のときに、
先ほど出しました
専門部会の
部会長となることの交渉を受けたのでありますが、もう年をとっておりまして、この問題に自分で取り組むだけの気力もないのでありますけれ
ども、各方面で行われておる
研究を総合して、できるだけりっぱな
災害補償制度を確立するようにお役に立とうかと決心して、
わが国の学問をその点に集中していこう、いわば、その
ブローカーのような
仕事をしようと思ってこれを
引き受けたわけであります。
以上、
部会長となりました
事情を御
説明したわけでありますが、その
部会が何をしようとしておるかということを次に申し上げます。
部会が設けられてからまだ日が浅いので、
研究の
成果は十分に上っておりません。上っておりませんが、
アメリカを初めとして、
先進国がこの問題を
研究しておりますので、まず
最初の
仕事としてこれを
研究し、また、すでになされている
研究の
成果を徹底させることに努めて参ったわけであります。
各国の
制度と申しますと、
アメリカはすでに
法律を作っております。
イギリス、
ドイツ、
スイスなどは目下
法案を
審査中であります。その
法案も、
審査中にいろいろ
修正を受けておるようであります。
ドイツなんかは現在第三次の
草案を
審査しているという
状態でありまして、
確定案がどうなるかということは、まだ必ずしもはっきりしないという
状態であります。
アメリカは
法律を作ったと申しましたけれ
ども、これもしばしば大きな
修正をしております。
法律を
修正するというのは、大てい何か適用すべき事項が生じて、適用してみた上で、不都合があったら
修正するというのが
常道であります。ことに
アメリカあたりではそれが
常道でありますけれ
ども、
原子力の
災害補償という問題、まだ一度も適用すべき事態を生じていないようであります。それにもかかわらず
法律を
改正しているというのは、いろいろ頭の中で
考えてみると不都合な点が
考えられるというので
修正する、あるいは世論の反響を聞いて
修正するというようなことであろうと想像されます。また、一方
ドイツあたりでは、
アメリカの
法律を
参考としながら、
ドイツ人一流の
理論でそれをいろいろ
修正いたしますので、
ドイツ人は、
アメリカの
法律をまねてはおるけれ
ども、おれの方の
草案の方がより進んでおると言っておるのであります。
アメリカは、またそれに刺激されて
修正するという
事情もあるのじゃないかと想像されます。かように、
各国の
法律は、大ざっぱに申しましてはっきりしていない
状態であります。しかし、はっきりしないと申しましても、いわば
最大公約数というようなものはつかまえることができます。それは相当はっきりしております。それを大ざっぱに申しますと、
各国の
補償制度は二本建になっておるといっていいだろうと思います。
一つは、その
設備を動かす者、
オーナー・
オペレーターと申しますか、
設備を運用する者に
一定限度の
保険に入らせる、そうして、その
保険で、生じた
損害を
賠償させる、その額は
各国によって違っておりますが、
一定の
マキシマムをきめまして、そこまでの
保険には入る、そうして、
災害が生じたときには
保険金の全部を
賠償に出せば、それ以上
責任はないことにするというのが、二本建のうちの一本であります。それから他の一本は、その
保険マキシマムの
金額を出しても、なお
賠償しきれない
損害があった場合、あるいは
保険ではカバーできない
災害が生じた場合には、
国家が
補償するということであります。
さらにこまかに申しますと、
各国——各国と申しましても、
先ほど申しましたように、主として
アメリカと
イギリスと
ドイツと
スイスでありますが、その二本建の、まず第一の
マキシマムをどのくらいにするかという点が相当違っておるようであります。これも
先ほど申しましたように、
アメリカでは
法律が変るたびに変ったこともありますし、
ドイツあたりでは第一次案、第二次案、第三次案がそれぞれ違っておりますので、はっきりした
金額を申し上げかねるのでありますが、大ざっぱなところを申しますと、
アメリカが飛び離れて多くて、
日本金に換算して申しますと二百億以上、二百十六億くらいまでの
保険をつける、
イギリスに五十億くらい、
ドイツは、さらに下りまして十五億
見当、
スイスは二十億
見当、
アメリカから比較すると非常に少くなります。これは何によってこの額が定まるのかと申しますと、おそらく
国民所得とか、あるいは
生活水準ということも影響しておるだろうと
考えられますけれ
ども、この
金額を決定している最も大きな
ファクターは、
当該国の
保険業界の
消化能力、どのくらいまで
保険をつけ得るのかということが、おそらく決定的な
ファクターになっておるのじゃないかと思われます。決して
アメリカの
原子炉が危険が多いとか、あるいは
災害が多い
可能性があるので額が多いというわけではないということだけははっきり言えるようであります。そして、この
保険をつけるという点では、
最大公約数として最もはっきりしておる
部分だと申し上げていいと思います。二本建の第二の方の、
国家が
補償するということにも
マキシマムがきまっておる国もあります。
アメリカは、大体千八百億円くらいまでは
国家が
補償するように明示しておるようであります。
ドイツは五億マルクといいますから、大体四百十億円くらいに見ていいでしょうか。そうして
アメリカと
ドイツとは、
国家が必ず
補償するということを
法律ではっきり規定しております。それに反して
イギリスと
スイスでは、
国家が
補償するということをはっきり言っていないように見えます。そのたびに
国会が
補償を決定するというような
法律になっております。しかし、これは
イギリスや
スイスの
国会のフアンクションが、
わが国や
ドイツと多少違うという点にも由来しておるのではないかと思います。
イギリスや
スイスでは、
国会がそれをきめることができるという
法律になっておりますと、個別的に間違いなくやるという保証が、
わが国の場合なんかよりはずっと強いのではないかと
考えられますので、
先ほどイギリスや
スイスをも含めて
国家が
補償するということが
最大公約数だと申し上げたのでありまして、おそらくそう言って間違いないだろうと思います。
以上、繰り返して申しますと、二本建の
一つは
保険制度であり、
一つは、それでカバーしきれないところを
国家が
補償するということでありますから、私が
部会長をしております
専門部会でも、まずこの
二つに沿うて
わが国でどうすべきかを
考えようということになりまして、その第一の方の
保険制度については、
先ほども申しましたように、
保険関係の
方々がずっと前から
研究しておられまして、相当詳細にその
研究内容を定めておられますので、それと協力しながら
——強い言葉で申しますと、監督しながら
一緒になって、少しでもりっぱな
保険約款を作ろうということに努力しておるわけであります。これは、もちろん世界の
保険、他の国に再
保険していくという
関係もありますので、
保険約款の
内容はそっちの方からも牽制されることであろうと思われます。再
保険をする場合の
保険約款、それから
わが国の
保険業界の
消化能力というようなことを
考えながら、
約款の
内容を定めることをやっております。これは、おそらく近いうちにはっきりした答えが出せるものであろうと
考えております。
第二に、
国家の
補償の問題でありますが、これは私
個人の
意見といたしましては、ぜひ
わが国でも
国家補償という
制度を作らねばならないものだと信じております。ただ、それについてどういう
制度をとるか、
マキシマムを定めるか、あるいはそれに費すフアンドを何らかの
方法で積んでおいた方がいいのか、その他いろいろな問題がありますので、これは目下極力
研究中というところであります。
それから、実際の問題といたしましては、二本建の
研究で済むようでありますけれ
ども、実はこの
二つの問題の
基礎について
理論的な問題がひそんでおります。これは
先ほど申しましたように、無
過失賠償という
理論をとった場合に、
原子力災害にもこの
理論を適用するということがなぜ正しいのかということも、やはり一応
理論としては固めておかねばならない。それから、たとえばさっきも申しましたように、
オーナー・
オペレーターが
保険に入った、
マキシマムを出せばそれ以上は
責任を免れさせるということをはっきりさせるわけでありますから、その点についても
理論を固めておく必要があるであろう。のみならず、さらに進んで
賠償を得るという場合に、たとえば多数の人が
一緒に
災害をこうむった場合に、その
補償を受けるのに何か特別な
方法が必要なんじゃないか、あるいは御
承知の
通り原子力の
災害はずっと
あとになって、十年もあるいはそれ以上も
あとになって生ずることもあるので、そういう人に対する
補償をどうしたらいいかというような問題、その他一口に申しますと、
理論的に
損害賠償が取れるといっても、それを取る
方法をできるだけ公平、迅速に解決していくのに何か特別な手続が必要なんじゃないかというようなことも
考えねばなるまい。そこで、
保険ということと
国家補償という
二つの
制度のほかに、
両方共通の
基礎として、
理論的なことから技術的なことまで
研究すべき多くの問題が残されているだろう。これは
各国でもそれをやっておりますけれ
ども、
日本でもそれをやらねばならない。以上の三つの点、
保険と
国家補償と、その
両方の
基礎となり、あるいは実現の手段となる
方法を
研究するということで、私の
専門部会が今全力をあげて勉強しているという
状態であります。
終りに、さような
事情のもとにある
専門部会の
部会長として、今度の
改正をどう
考えるかという問題でありますが、この
改正は、御
承知の
通り二十三条の二項に九号を追加する、あるいは二十四条第一項に五号を追加するというのでありまして、
原子炉の
設置を
許可するときの
許可条件として、
損害賠償の
措置を十分に講じさせようということであります。これは
提案理由の
説明にもありますように、「とりあえず、民間の
保険をかける
程度の
措置を講じようとするものであります。」とあります。これは、
一定の
限度の
保険に入れ、それに入っていなければ
設置は
許可しない、おそらくこういうところで押えようという
趣旨だと思います。これは、
先ほどからも申し上げましたことでおわかりかと思いますが、最小
限度しなければならないことであって、けっこうなことだと思います。そして
保険の
約款もまだ十分固まっていないと申しましたが、その際申しましたように、これは
最初から非常に
研究の進んだ部門でありますから、おそらく近いうちにはっきりした形をとることができる、この
法律の施行のときまでにはりっぱに目鼻がつくことだろうと私
個人としては
予想しております。しかし、第二の
国家補償という問題は、この
法律では全然触れていないわけであります。
原子炉を動かすことによって
損害を生じた場合に、
保険でカバーしきれないところを
国家が
補償するかしないか、あるいは
補償するならどこまでかというようなことは、全然触れておりません。そのことは、この
法律は
核原料物質、
核燃料物質及び
原子炉の
規制に関する
法律でありまして、
原子炉を
規制していく、つまり、
原子炉を
設置するもの、あるいはそれを運営するものを
国家が
規制していくという
立場でありますから、従って、この
法律としては、
保険に入らなければ
許可しない、あるいは運転することを許さないということをきめただけで十分でありまして、この
法律としてはそれで完全だろうと思うのです。しかし、
国家の
法体系全体から見ていきますと、それで不足なときにはどうするのだという問題が欠けているということになります。従って、私
個人の
意見としては、その方もはっきりさせる必要がある。これはこの
法律に規定すべきものではないと思いますが、どういう
法律にしますか、あるいは特別の
法律を作りますか、いずれにしても、この
法律で
賠償措置を講じておって、それで足りないところは
国家が
補償をするという
法律がぜひ必要だと思います。それが欠けておるのでありますから、全体から見て不十分だといわざるを得ない。
そこで、問題は、そういう不十分なものを残しながらも、これを今
法律にしていいか悪いかという問題に帰着すると思います。しかし、この問題は、まさに
国会で
検討されるべき
政策を含んだ問題だと私は
考えるのであります。と申しますのは、
常識から申しますと、
保険のことだけでなく、
国家補償の問題も
法体系として全部完備した上で
許可をするということになるのが
常識だと思います。しかし、
原子力あるいは
原子炉というものは、御
承知の
通り許可を受けてからいよいよ運転するまでの間に、相当長い
期間を必要とするようであります。その
期間のロスを忍んで、つまり
法体系ができるまでは
許可も受け付けない、
建設もさせないということにいたしますと、
原子炉を動かすことが非常におくれるわけでありますから、おくれてもいいのかという問題になります。
政府当局の意図を推測いたしますと、おそらく、それでは
わが国の
原子力開発が非常におくれるから、一応
許可条件として
保険をつけさせることだけでも、つまり
ミニマムのギャランティがあれば
許可をする、そうしていよいよ運転を開始するまでには
法体系を整えようという
考えではないかと思います。それは
最初に申し上げましたように、普通の場合の
法律の
常識から言うとはずれているようでありますけれ
ども、
原子炉というものの
特殊性から
考えて、これもやむを得ないことかとも
考えられます。のみならず、
先ほどから申しておりますように、
イギリスも
ドイツも、まだ
法律はできていない。それにもかかわらず
建設はやっているのであろうと思います。ですから、
原子炉に関する限りは、あるいは
建設を
許可していくということと、いよいよ動かすまでに
法律をはっきりさせるということと並行してやっていくということが、むしろ現在の諸
国家の
常識であるのかもしれませんから、ここでは私の解釈する
常識というものは通らない。かえってその反対が
常識になっているといってもいいかとも
考えられます。
これを要するに、
国家補償ということについての
法律がはっきりしていないということは欠陥であるに相違ない。しかしながら、
わが国の
原子産業開発の理想から見て、とりあえず
保険をかけるという
ミニマムで
許可を与えることにして、同時に、
法律を作ることを急いでいって、運転するまでに
国家補償のこともはっきりさせるという
措置をとっていくことが、
わが国の
政策から見ていいか悪いかということを
国会で御
審議、御決定なさることが重要な点ではないか、こう
考えるわけであります。
この点に関して私
個人の
意見を申し上げますと、私の
専門部会は、
先ほど申しましたように、私は、ただその
ブローカーのようになって、若い
諸君を激励して
研究してもらっているのでありますから、私自身でいつまでにできるということは申し上げかねるのでありますけれ
ども、およその
予想を申し上げますると、
わが国の
原子炉がいよいよ操作されるときがいつになりますか、そう今年中とか来年中とかいうわけにはいかないだろうと思いますので、それまでには、おそらく
法律を作ることが可能だろうという
予想を持っております。私、
専門部会の
部会長ではありますけれ
ども、一学徒がそういう
立場で、おそらく可能であろうと言っていたことをも考慮の中にお入れになりまして、その点の決定を願いたいと
考える次第であります。
以上で私の口述を終ります。