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国立国会図書館長(
金森徳次郎君) ただいまお尋ね下さいました点につきまして、問題の中で熟成していないものも、いるものもございますが、大体の
方針、今までの動いてきた
道行き等の
関係についてお答えいたしたいと思います。
国会図書館ができました当時、両院の御
意見が非常に学識的な、進歩的なお
考えでございまして、
国会というものが立っていくには、あらゆる
知識を総合しなければならない。その
知識は
政府から吸収するだけでは不公平である。だからして
国会みずからが
自分の信頼し得る、多数によって
政治の、あるいは
行政に必要なる
基本知識というものを獲得することが必要だ。ただし、それは何しろ
事務当局に
意見をたださせるのでありますから、それは政策に関与してはいけない。全く
資料を集めるというところ、すなわち公平なる客観的な
資料を吸収して、
あとをいかに処置するかということは、
あとは
政治的な
国会の人々が処置するわけである、こういうふうな
方針によってできましたのが
一つの
考えでございます。
それから第二は、そういうふうにして
一つの
調査機能を持っておる
図書館ができますためには、それだけではできませんので、いわば
一般の
図書館的機能というものを根本に置かなければ、貴重な
資料を的確に作るということはできませんので、どうしても総合的な道筋をとらなければならないという、
一般的、総合的な
図書館活動をも、つまり
政治的調査機関であると同時に、
一般的図書館活動の
機能をも持った
図書館を作りたいという御
希望であって、それが今日の
国立国会図書館の法に盛り込まれておるというふうに存じております。当時できるときからして、そういうように目新しい問題であり、かなり問題をたくさん含んでおることでございますから、そんなに、なだらかに進行するわけではございません。しかし幸いに過去十年間、
国会側が十分に御ご鞭撻下さいまして今日に至ったのでございます。
そこで、今までどんなことをしてきたかということでございます。何しろ全く新しいものができるのでございますから、そんなにあらゆるところから手をつけるということはできません。活動
方面というものも漸次実行に移していく、そう一ぺんに事をするものではないという
考え方で進んで参りました。何しろ当初はローマの町が二枚にしてできるわけではないというたとえのように、ことに自然発生的な形をとり、日本中のあり合せというと悪うございますが、多くの
図書館の
知識を持つ人の協力を得て事務をとって参ったわけでございますが、そのうちに二、三年たちまして、一九五〇年ごろでございましたか、私
どもと
国会の議員
各位、つまり両院の
各位の十人ばかりとともに、
アメリカに参りまして、
アメリカのいろいろな
政治的な意味の
図書館活動というものを皆さんがごらん下さいまして、それからお帰りになってから、
国立国会図書館という日本のものは、その規模等において
政治的に必要な
資料を整えるだけの力がない、もちろんそうでございますが、力がないといったようなことで、
政治的調査の
機能を具体的に申しますると、調査及び立法考査局というところの
機能を、やや倍ぐらいに強めるという
方針の法律に基いて定員等も増加されたわけでございまして、それから活動
部門が相当強力になってきたわけであります。従来こういう
政治、経済的、あるいは法律的、社会的という
部門の調査をいたしますときは、見かけはりっぱにやっておるでございましょうけれ
ども、
内容はそんなに充実したものではございません。ことに調査事務というものが、やはり一種の専門家でございますから、くせがある。
国会の要求に公平に当てはまるようにいっていなかったわけでございます。こういう
国会図書館の協力を
国会でお勧め下さいましたために、その点は、まず若干の足がかりができたわけでございまして、そのときに私が
考えましたのは、
国会図書館は、あらゆる
資料を主として
国会に提供する。あり余るときは、各
行政官庁、裁判所、そのほかに
資料を供給する。さらに余れば
一般国民に余力をもって
資料を供給する、こういう建前で出発いたしました。そこで
国会図書館の調査に関する人事というものは、よほど気をつけなければならぬのでございまして、何しろ
政府とは違って、
国会は常に
政治活動の中心になっておりますので、そこのいわば実質を構成する、肉となり、骨となるというふうな実質的なところを構成いたしますためには、極力、中立性を持たなければならぬ。もしも少しでもどこかにへんぱな行いがあれば、その設備自身がこわれてしまうというような確信に基きまして、そこで
図書館の人事を、品質を選ぶとともに中立性を重んずるというような
考えをもちまして、品質を選ぶということは、きわめて非常にむずかしいことでございますけれ
ども、しかし極力そうする。中堅以下につきましては、厳密に資格と試験制度によって採用していく。中堅以上、高きところの者は個人的に精密な調査をする、こういう
方針で進んで参りました。口で言えば簡単でございますけれ
ども、実際は、世の中とともに動かなければなりませんので、そう完全にはいっておりませんけれ
ども、今日ごらんのような姿として進行しておるわけでございます。
それから第二の問題は、
図書館活動という
方面から見まするというと、そこに非常に困難な問題が起って参ります。というのは、
図書館活動というのは、
行政の一
部門になるわけでございまして、学校が
行政の一
部門になると同じように、
図書館というものが
行政の一
部門になるのであります。
行政の一
部門になりますと、これは内閣の所属になるのが
ほんとうでございます。従って、
国会図書館といえ
ども内閣に所属すべきものであるという気持が起ることは当然でございましょう。この
考え方が、過去、設立当時以後数年の間、表には強く現われませんでしたけれ
ども、内面的にはそうした問題がございます。露骨に言えば、これは文部省の所管であります。もしも、
国会図書館が必要であるならば、
国会にサービスする
ほんとうの専門的な
図書館であればいいのであります。
あとの
図書館活動の全部は、文部省に所管せしめるべきものでございましょう。これが事実そういう傾きももちますと同時に、また、
国会側におきましても、そのような議論が頭を出したこともあるわけでございます。これは非常に厄介な問題でございまするが、しかし、一国の
知識の渕藪としての
図書館というようなものが、おそらく
二つできることは不可能でございまして、
資料の
関係、経費の
関係、人間の
関係等で、これは完全なるものを
一つにするには、多少の紛糾は覚悟して
一つのものにしなければならないということで、これは両院の大体の御承認を得まして、今日まで
国会に
資料を提供するほかに、国民全般にあらゆる
図書館的利益を供与する、こういうことが現実には御承認を受けて発達してきておる次第でございます。将来、問題がわき起ることは、すでに覚悟をしております。その結果、たとえば
国会図書館は
東京にばかりで、地方に
関係を持たぬということは不十分だという議論が、あちらこちらから起って参りまするけれ
ども、私はそういうふうに、よその基盤というものに抗を打つということは、ただでさえ紛糾の起りやすいものを、さらに起す可能性から、極力慎しむべきであるということで、私
どもは他と争うのではなくて、やっぱり
自分たちのなわ張りを守りまして、ただし、手をつないで行くという形において本問題は
解決しようと思っております。そこで、今年くらいに至りまして、やはり地方の
図書館に対して不親切である、大学の
図書館に対しても不親切であるというような議論も世間に聞くところでございます。これは今のような
事情によって、よそに食い込むということは絶対にやらない、ただし、友達としていろいろの活動を便利にしていくということはやるべきだということは、二、三回
関係の識者に
東京に集まってもらいまして、そういう研究の形で話を進めておりまするが、大体、好意的に
考えられているようでございまして、やっぱりこういうところは、われわれの
図書館のいい面の
一つであると思っております。これは
図書館法の中にはっきり書いてございます。それはあらゆる手段をもって、権力的ではなく、しかし実質的に協力するという工合になっております。
そこで、この角度から
一つ問題がございまするが、この
図書館というものは、一面から見れば、全国の
図書館が実質的につながっておるものでございます。仕事の範囲は、おのおのなわ張りを分けなければなりませんけれ
ども、たとえば学校の
図書館、公立の
図書館というようなものでありましても、
図書館活動としては共通の理論と実質があってしかるべきものでございまして、そのうちの一番顕著なものは、日本中のありとあらゆる書物が、今どこにあるのか、どこに申し込めば、それが手に入るのかということが、すぐわかる手段でございしまして、この実行方法は、いわゆるユニオン・カタログというものがこれに当るわけでございます。つまり、全国の目ぼしい所の持っておる書物の全部を系統的なリストにいたしまして、そのリストをめくっていくというと、この書物はどこの公共
図書館にある、どこの大学の研究所にあるということがすぐわかりまして、わかれば、これを適当な方法でお互いに借り合うということができるように、どこの
図書館とも組み合せまして、どうしてもやらなければならない根本の問題でございまして、私
どもの指導方法は、
国会図書館法にもそのことを予想しておりまして、
国会図書館は、そういうユニオン・カタログを作らなければならないという制度になっておるわけでございます。それができておるかと申しますると、やはり急を要しないという
関係で、どうしてもそういうことは
あと回しになりまして、今日やっておりませんけれ
ども、全国的には手が伸びて自由に探せるというふうになっております。そういうカードもいろいろ
考えまして、若干、たしか三十万ぐらいそのカードを集めておりますけれ
ども、三十万では役に立ちません。どうしても百万くらいそろっていなければ実効的ではないというのでございますが、ちょっとこれは否定的に、空論であると見られておりまして、今日まだ十分なる活動に入っておりません。これは法律にも書いてございますし、われわれとしても、これはどうしても国の中央の
図書館でやらなければならぬことであるということは確信しておる次第でございます。
それから次に、全国的に影響を持ちまするような問題、プリンテッド・カードと言っております
図書館の本を探すためのカードでございますが、カードというものは何でもないものだ、こういうことでございまするが、何しろ書物というものは、あらゆる人の間に利用せられるものでございまするから、そのカードは、何か共通的な要素を持っていないと使いにくいわけであり、不自由でございます。たとえば一冊の本が出たというときに、
一つの
図書館でカードを作るということになりますると、なかなか本を分析して簡単に数字として探せるようにするというのは骨が折れます。下手をすれば、一日に一冊か二冊のものしかできないわけでございます。ところが全国的に手をあわせて
一つところでカードを作りますれば、それは千、二千の
図書館で活用ができる。人件費だけでもうんと少く、かつまた非常に筋の通ったカードができる。これも実は
図書館の任務になっております。私
どもの任務になっておりまするけれ
ども、なかなか経費その他の
関係がございまして、ある範囲ではこれはやってはおります、やってはおりまするけれ
ども、全国的に恩典に浴せしめるということはできません。前から
国会関係の方から論議せられておりまするが、そういうカードはただで全国の
図書館に寄贈したらいいのではないか、そうしたら国をあげて非常な経費の節約である。これこそ中央
図書館の任務であるとも言われております。しかし、これはなかなか経費がかかりまして、そこまでやっておりませんけれ
ども、
一つの任務と
考え、何らかの順序を経てそういう方向に進みたいものと思っておるわけです。それを、今までやるべくしてやっていない点を、ちょっと申し上げたわけであります。
そこで、次に
考えまするのは、一体、
図書館というのは、最も不経済な仕事でございまして、だれが読むかわからぬという書物を集め、そうしていつでも利用のできるようにするということは、めんどうくさくもあり不経済でもあり、また従って、どこの国の
図書館だって、そんなに進歩しないのは、ここに根拠があるように見受けられます。日本で明治以来百年間やっておりまして、
ほんとうの発達をしていないのは、やはりこういうところに原因があろうかと思っております。幸いに私
どもの
図書館は、
国会の強い支援を得ておりまするために、ある程度、それが
自分の怠慢をしない限りは、ある程度までは進歩ができるというような確信をもって
——といっても、細々ながら進歩をしておるわけでございまするが、しかし何をやるにいたしましても、それは
図書館は
建物である、こういう言葉、そういう格言があるかどうか存じませんが、実際しかるべきカードがございません。私
どもの
図書館は、今、直轄的には大ざっぱに言って百万持っており、それから幾らか接近したものを集めると二百万になる、そうして今度従属的なものを集めると五百万になる、こういうような書物の分量でございまするが、こういうふうに数が多いものでございますから、秩序整然と動いて蓄積されて利用されていくということは、何をいっても
建物が根本でございまして、私
ども十年前に
図書館を設けるとき、どこかにしかるべき
場所はないかと探しました。しかし、どこの役所だって設備を持っておりませんし、貸してはくれません。そこで今の赤坂御所、当時赤坂御所が借用できましたから、そこに入り込んで、今日まで十年たってしまったわけでございまするが、しかし、宮殿の中で
図書館をやるということは、これはもう非常に困難なことでございまして、どうしても事務能率的な合理的な設備をしなければならぬというので、私
どもの
図書館ができかけてから、まず建築物を持つということに着手をいたしました。ところが、当時いろいろな
関係で、一応の
計画は、胸に描かれたものは四万五千坪の
建物です。これは実際じゃございませんが、当時の
考え方では、四万五千坪のものを持つ、そうしなければ、所定の書物をたくわえ、利用することはできぬ、こういうような
考え方が一応できたわけでございます。しかし四万五千坪というのは、とても事実上できるものではないということで、三分の一に減らしますと、一万五千坪ということになります。一万五千坪あれば大体具体的な
計画も立つというので、拡張すれば四万五千坪になるという、具体的には一万五千坪の
建物を作るという
方針を一応胸に立てまして、
敷地や何かどういうふうにするかということを探しましたところが、あちらこちらの御尽力によりまして、もとのドイツ大使館の跡に、当時六千坪ぐらいだったと思います、それを中心として
計画を作る、四万五千坪は別としても、少くとも一五五千坪の案はできる、その回りに余裕の土地も得られ、将来の発展に応じ得られるのではなかろうか、こういう結論になりました。そこで今度は、その建築に関する
委員会を持って、特に
国会側、大蔵省側も含め、専門家をも含めまして、
図書館建築の方にも臨んだわけでございます。それがだんだんと芽を吹きまして、今日の
図書館建築が進んできたわけでございまして、今のところでは、一万五千坪の
計画はかなり周密にできております。それから、その一万五千坪のものを作れば、中の使用方法をどんなふうにしてやっていくか、
図書館の活動が十分やっていけるかというところも、ある程度まで精密にできているわけでございまするが、とてもその一万五千坪のものを今作るといっても、財政上許されないというので、非公式と申しまするか、半公式と申しまするか、大蔵省とその点を
交渉いたしました。で、大蔵省側の財政
関係者とかが
国会の
委員会へ出てきて、
図書館建築には賛成である、しかし、その順序、方法、経費というものは別問題であるということで、まあはっきりはいたしませんが、いろいろ語尾の間に、将来一万五千坪のものの建築は認めよう、しかし、順序、方法があるから一ぺんにはいかぬと、こういうふうなことでございまして、それがまた、その辺の段階を踏みまして、昭和二十八年ごろから、この
図書館の建築が進行いたして参りました。しかし、何しろ経費が要りますので、今日に至りまして、
本年度の年度が終るまでを計算に入れまして、約十一億以上の経費がこれにつぎ込まれることになっておるわけでございます。しかし、それでできるものかというと、これから先が
——まあ
工事は約四割できておるということでございまするが、なお、先の六割というものを、
完成期になってきて、いろいろこまかい機械装置な
どもございまして、相当
予算を要することであろうと思います。いつまでたってもできないという、まあ今の感じといたしまして、いろいろ努方をしておりまするが、今のところは、年に五億弱ぐらいの
予算しか、ここ数年間はいただいておりません。この調子で行きますると、まだまだ問題は残ると思っております。具体的に申しまして、
本年度は一体どこまでできるか。
現場で建築は実行いたしておりまするけれ
ども、
本年度は、もう相当目ぼしい大切なところの
工事は、ある程度進行しております。大きく申しまして、新しい
図書館は、
敷地のまん中に書庫を置きまして、その回りに事務の庁舎がございまして、利用する
建物がございまして、回りのどの部屋からでも書庫の中に入れる。こういう形でございまして、従って、中心をなしております書庫に重点を置いております。その書庫は、現在のところ、鉄骨は一次
計画に該当する分だけはできておりまして、今後それにコンクリートを詰めたりという方策が、今年から来年度にかけて実行せられるわけでございます。その回りに作ります事務庁舎、つまり調査をする役所でございます。書物に属するいろいろな用途がございまするので、その事務の庁舎を作っておりまして、今鉄骨は南側と東側の二面が、ほとんどある高さまでできております。ことしの間に高さ五階の辺までは
建物ができる、全部ではございませんが、今の
計画に属する分だけについては、五階の高さまではできるということになりまして、相当先の方は具体的に明瞭になっているわけであります。何しろ今後の経費の中で一番めんどうくさい機械装置、たとえば空気とか、湿度とかいうことに関する機械装置が入り用になりまするし、たくさんの書物、推計いたしますれば二百万以上の書物、もっとふえますけれ
ども、さしあたり二百万以上の書物が随時に取り出せるという水平及び垂直の輸送機、コンベヤということで、なお相当経費が要ると思います。私の
趣旨といたしましては、
図書館は世紀の時代を表わすりっぱな建築物であると、こう町では言っておりますけれ
ども、しかし私は、ただ書物を利用する実用的な施設にすぎないと思っておりまするので、奢侈的なものはほとんどございません。しかし、のっぴきならぬ少数の部分だけはいたしておりますが、ほんのぎりぎり
一ぱいの
建物と予想いたしておりますが、それにいたしましても、温度、湿度、照明、それから物を輸送するコンベヤ、それに通信の施設、本を出すときに、それを要求する簡便な通信施設というものも必要になって参りますので、いろいろと頭を悩ましておりまして、昨年までの、この
国会関係の方を通しての大蔵省との話し合いによりまして、何とはなしに、ことしを含めて三年、つまり昨年から計算をすればまる二年の間に建築物それ自身はできる。そしてその
あとでは利用の段階に入れる。これは話し合いの段階で証拠はございませんが、何となくそういう話し合いになっておりますが、なかなかそれが、果してうまくいくかどうかということにつきましては、口の先では、どうしてもできなければならぬと、こう主張するかもしれませんけれ
ども、いろいろ
事情を
考えると煩悶をしている次第でございます。