○片桐説明員 私は、現場において当時指揮をとっておりましたが、先ほど来説明がありましたので、記録にも残っておると思います。が、前段は、漁民の
方々がへいを乗り越えてこられて石を投げられた、そういうものを阻止する
段階。それからその次は、自主的に引き揚げていただくという
関係で、町長さん、組合長さん、それから町
会議長さんにお願いいたしまして、自主的に撤退して下さるようわれわれの広報車を使って放送していただきました。これはおっしゃる
通り、非常にその原因が深刻な問題でありますので、権力一点張りでいくことはどうか、そういうことで、実はその後においても酒を飲んでこられた
方々があり、非常に統制がとれなくて混乱の状況になりまして、町長さんも非常に苦心された
立場にあったのが、私にも十分わかりました。そこでこのままにしておいた方がいいかどうか、こういう点で作戦
会議を開きまして、一応あしたの朝まで退場してもらうのを待とうか、こういうことに一時はなったのでありますか、そのとき、空腹その他のために酒を飲んでこられた方かたくさんになり、それから先ほどの
お話にもありましたように、ちょうど第四機軸隊の前に漁民の三輪車に乗った
方々が三十人ほど、そのあとに約百五十人ほど声をあげてわれわれの警戒陣の中に進んできた。それから工場のスイッチを切り取られて、高圧線をさおでたたいて、それが切れてスパークした。それからさらに、御存じのようにニュースマンがけがをするというような
第三者の被害も出て参りました。その間に、消防車を引きずり出してこれをひっくり返す。こういう混乱が起きましたので、そのままにしておいた場合におきましたは、火事でも出たらどうなるか、こういうことで、私の
責任におきまして、これをすみやかに門の外に排除いたしまして、そして門の外と工場の間に少し間隔を置かせる、これが最上の策だと
考えておりました。そのとき角材であるとか、消防車の水管を激しく投げつけられまして、われわれ警察官の方も、その場合に十五、六人の質傷者を出したことも事実であります。そこでわれわれは門の外への排除が適当なりと判断いたしまして、その排除方を命じたのであります。そこで第四機動隊だと思いますが、一番激しい抵抗を受けまして、これを排除いたしました。門のところまで押していくのには警棒を持っていったのでありますが、漁民の方と警察官の間に私は、約三メートルくらいの距離があったと記憶しております。しかしながら、門のところで、入口が狭いものですからそこで押し合った。そして一時は門を締めたのでありますが、また漁民の
方々が、いすであるとか自転車であるとか、そういうものを投げ込まれて、がたがたゆすふったために門があけられてしまった。その間に押し合いすることが四、五回あったと思いますが、またそのうちに押し切られまして、守衛所とか、タイム・レコーダーなどのあるところで、時計等をこわされた場面がそこに出てくるのであります。最後には押し切って、門のところに土のうを築いてはっきりこれを区画したらどうかという
意見が出ましたが、土のうとかそういうものがないために、警察官が身を危険にさらしてそこをささえていたの。が事実でありまして、この間の状況は日本テレビが非常によくその状況をとってあると、それを見て感じました。
以上のような状況でありまして、私といたしましては、むしろ漁民の
方々を外の方に出して秩序を保った方が
最善なり、こういうような
考えからそういう処置をとった次第でございます。