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宮城タマヨ君 この前も申しましたように、どうもこの
条文を読んでみますというと、気が済まないと申しますことは、やはりこれは
補導院を教育の場だと考えたい私どもの願い心でございますものですから、そうしてまた、過日
矯正局長の
説明にも、ここは教育の場だとはっきりおっしゃって下さったとき大へん力強く思いましたけれども、実際この
条文を勉強してみますというと、やはりそうじゃない刑の場です。それでまあしかしこの
法律の建前からいいますというと、刑の場であっても仕方がない、やむを得ないのでございますが、そこで、私は、ここへ収容されております間にこの婦人たちに一番大事なことは何であろうかといいますと、やはり売春は悪である、売春はやってはいけない、恥かしいことである、恥であるということをしっかり打ち込んでおく。そうして人間の生活というものは粒々辛苦、もう汗水たらしてやるところにほんとうの人間の生きがいがあるよという、その教育というものは私は非常に大事なことではないかというように考えております。そういったような
意味で、
つまり働いて食わなくちゃならぬのだ。寝て食っちゃいけないのだということを教える、そのことは非常に困難なことですが、同時に六カ月でそれができるかということ、これは私は六カ月ということを私どもがこの売春対策
審議会できめましたときも非常にいろいろ問題があったのでございます。とにかく六カ月ということはやはり頭のどこかに刑というような考えもどうしても持たなきゃならない。諸般の事情で、私ども六カ月ということにまあ言ってきた。そうして今日これを再び考えてみますというと、これはほんとうにこの
補導院というものが教育の場であり、そして私どもたよらなければならないりっぱなお母さんを作り出す場所だよということになると、これは六カ月はどうしてもこれは短かいし、そうしてその間に私はその女たちを教育し直そうというようなことになりますと、これはほんとうにいろいろの問題があるというように考えて、もう悩みの種になるようなわけなんでございます。そこで、売春は悪であるということを一方には教え、そして働いて食わなくちゃ人間じゃないよというその勤労の精神を教えようというその場であらせたいというようなことから、いろいろこの六カ月間にというように考えてみたのですが、実は私どもは、この第二
国会以来参議院の法務
委員会におきましては、売春対策のことについて
つまり立法することも考えましたけれども、その対策について非常に苦労しました。それで、あるときに、ここにいらっしゃる
一松委員などを先頭に立てまして、これはどこか女を働かせる場をきめよう、そしてそのとき
一つ夢を持ったのですが、名古屋の近在に機織工場を作って、皆に機を織らせよう、だけれども、売春婦だけそこへ集めてもどうも世間態が悪いから、
一般の未亡人も、
一般の働かなくちゃ食えないお母さんたちも集めて、そしてその名前は、と言ったときに、希望の町というのはどうだろうかというようなことで、希望の町に皆を収容してやろう、ということは、もう生活さえできれば、家族の生活さえできれば何とかこれを教育し直すことはできるんじゃないだろうかというような夢を見まして、いろいろやりまして、私ちょうどそのころにルーズヴェルト夫人に会い、それからまた、その後にルーズヴェルト夫人がいらしたときにあの夫人が、この日本の売春問題というのは大へんなことで、それはアメリカにも責任があるのだ、アメリカの兵隊がその種をまいたのだから、どうか金が要るときには、私が宗教団体や教育団体から金を集めるからどうぞおっしゃって下さいという言葉を残して、
最後に日本にいらしたときもそういう話でお帰りになった。それですでに私は金集めに行こうなんというようなところまでいきまして、いろいろ何回かおぜん立てしまして、相談したのでございますけれども、そのうちにいろいろな事情がございまして今日までそのことは実現しなかった。でも私どもそのときは、ほんとうに今から考えれば夢のようなことで、大規模のことを考えまして、五億の金を集めようなんて、
一松委員なんかもおっしゃっていらして、その意気込みで私ども取りかかっていたのです。今思えばほんとうに感無量の点もございますけれども、私はそういう前々からの歴史が、私を左右する、というのもおかしいけれども、考え方がそういうことにこびりついているものですから、だからこの根本には、売春ということは恥かしいことだからかせごうやということをほんとうにあの女たちに思わせて、かせがせたい。そのかせぐ場所です。そのかせぐ場所はこの六カ月の
補導院ではなかったのです。私はこれが非常に残念だというように考えますが、これはまあやむを得ぬことなのです。そういう考えから私のいろいろな
質問も出てきまして、まことに申しわけないことも申しましたけれども、これは私は自分に対する罵倒をしながら、この
条文をいろいろ読んでいっておりますような次第なのでございます。
それで今は、四月一日からこれを実施しなければならないのだから、何でもかんでもこの辺でしんぼうしようと、実は売春対策
審議会でも残念ながらここでしんぼうしようといって、私どもはかくのごとき不備な答申案を出したのです。そのことがだいぶ
法律面に現われてきて責任を感じておるんです。だけれどもまあ今回は仕方がございませんが、これをもってこの法務省はいろいろな点について
一つ格段のお考えをめぐらして下すって、この今、日本で
補導院に入る者は、私もそんなにたくさんはないだろうと思っております。いつかも申しましたように、どうせばかか、ほんとうにいなかのぽっと出くらいが縛られるんで、あとのほんとうに悪いやつはみな家の中に引っ込んでしまい、
五条違反でやられないだろうと思います。けれども、そういうことで満足することはできません。その裏に隠れているたくさんのお母さんたちが悩んでいる、
一つそういうことを思いながら、この
法律はこれでもう
最後になるということではもちろんないのでございますから、
一つそれをお願いしまして、
条文については私まだたくさんの
質問はございますが、きょうはこれだけで私の
質問を打ち切ります。