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1957-02-28 第26回国会 参議院 文教委員会 第7号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十二年二月二十八日(木曜日)    午前十時五十九分開会   —————————————   委員異動 二月二十七日委員佐野廣君辞任につ き、その補欠として大野木秀次郎君を 議長において指名した。   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     岡  三郎君    理事            有馬 英二君            野本 品吉君            矢嶋 三義君    委員            林田 正治君            三浦 義男君            吉田 萬次君            安部 清美君            高田なほ子君            松澤 靖介君            松永 忠二君            湯山  勇君   国務大臣    文 部 大 臣 灘尾 弘吉君   政府委員    大蔵省主計局長 森永貞一郎君    文部大臣官房会    計参事官    天城  勲君    文部省初等中等    教育局長    内藤誉三郎君    文部省大学学術    局長      緒方 信一君    海上保安庁長官 島居辰次郎君   事務局側    常任委員会専門    員       工樂 英司君   —————————————   本日の会議に付した案件 ○参考人に関する件 ○理科教育振興法の一部を改正する法  律案内閣提出) ○私立大学研究設備に対する国の補  助に関する法律案内閣提出) ○教育、文化及び学術に関する調査の  件  (当面の文教政策に関する件)  (昭和三十二年度文教予算に関する  件)   —————————————
  2. 岡三郎

    委員長岡三郎君) それではこれより文教委員会開会いたします。  まず、委員異動について報告いたします。昨日佐野廣君が辞任され、その補欠として大野木秀次郎君が選任されました。以上であります。   —————————————
  3. 岡三郎

    委員長岡三郎君) 一昨日委員会散会後に行いました教育環境浄化に関する懇談会の結果に基き、委員長及び理事打合会を開いて協議いたしましたが、結局三月五日火曜日に鳩森小学校関係者参考人として出席を求めることにいたしました。参考人の氏名は、お手元にお配りいたしました一覧表通り十一名であります。右の通り取り運ぶことに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 岡三郎

    委員長岡三郎君) 御異議ないと認めます。   —————————————
  5. 岡三郎

    委員長岡三郎君) 本日の日程は、公報記載通りでありまするが、文部大臣出席が、午前中はできなくなりましたので、先日聴取いたしました派遣委員報告について懇談を行うことにいたします。  暫時休憩いたします。    午前十一時一分休憩    ——————————    午後二時三十一分開会
  6. 岡三郎

    委員長岡三郎君) 午前に引き続き委員会を再開いたします。  理科教育振興法の一部を改正する法律案及び私立大学研究設備に対する国の補助に関する法律案、以上二件を一括して議題といたします。政府から提案理由説明を求めます。
  7. 灘尾弘吉

    国務大臣灘尾弘吉君) 提案理由の御説明を申し上げます前にお許しを得まして一言ごあいさつ申し上げます。  先般の石橋内閣の総辞職、引き続いて岸内閣の成立に伴いまして、私は再び文部大臣の重責を汚すことになりました。どうぞ相変らず御指導、御鞭撻のほどを心からお願いする次第でございます。  ただいま議題となりました理科教育振興法の一部を改正する法律案並びに私立大学研究設備に対する国の補助に関する法律案につきまして、それぞれその提案理由を御説明申し上げます。  まず、理科教育振興法の一部を改正する法律案でございますが、現在、わが国の急務とされている科学水準の向上をはかるためには、初等教育及び中等教育における理科教育を一段と充実させ振興させる必要があるのであります。  このため従来、理科教育振興法に基き、公立学校に対しては、相当の援助を行なってきたのでありますが、さらに私立学校に対しても公立学校と同様の措置を行うことが適当であると考えるのであります。  この法律案は、以上の理由によりまして、国の補助私立学校に及ぼすとともに関係規定整備をいたしたものであります。  これがこの法律案を提出いたしました理由及びその内容概略でございます。  次に私立大学研究設備に対する国の補助に関する法律案につきまして御説明申し上げます。  私立大学が、わが国高等教育において重要な地位を占めており、人材の養成はもちろんのこと、学術研究においても、わが国学術振興上重要な使命をになっていることは、申すまでもありません。  このような私立大学使命とその研究設備状況にかんがみ、昭和二十八年度以来、私立大学の基礎的な研究設備整備について、助成の措置を講じてきたのでありますが、政府は、その重要性にかんがみ、この際私立大学研究設備に対する国の補助に関する制度を確立することがきわめて適当であると認めまして、本法律案を提出した次第であります。  次に法律案内容概略を申し上げます。  第一は、私立大学を設置する学校法人に対し、予算の範囲内で、その学校法人の設置する大学が行う学術基礎的研究に通常必要な設備購入費の二分の一以内を補助することを規定いたしたことであります。  第二は、補助に関する配分の方針または交付の決定を適正に行うために、私立大学研究設備審議会を設け、その意見を聞くべきことを規定するとともに、関係法律規定整備をいたしたことであります。  以上がこの法律案提案理由及びその内容概略であります。何とぞ各案につきまして十分御審議の上御賛成下さるようお願い申し上げます。
  8. 岡三郎

    委員長岡三郎君) 本件に対する質疑は後日に譲ります。   —————————————
  9. 岡三郎

    委員長岡三郎君) 次に当面の文教政策及び昭和三十二年度文教予算を一括して議題といたします。質疑のある方は順次御発言願います。
  10. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 これから当面の文教政策並びに来年度の文教予算審議をするわけでございますが、その文教予算の中の科学技術教育振興中の国際地球観測年事業予算に関連して、当面国民関心の的であるところの宗谷の問題について、若干本日に至るまでの経緯並びに今後の見通し並びに対策について、文部大臣並びに海上保安庁長官並びに森永大蔵省政府委員に対して質疑をいたしたいと思います。  まず、本部長に伺いますが、その後宗谷からどういう情報が入っているか、私伺いたい点は本部長として宗谷自力脱出可能と見通しを立てておられるかどうか。昨日来の報道によりますというと、南東の風が吹き出したというようなことも入っているようでございますが、その後の情報並びに見通しについて伺いたいと思います。
  11. 灘尾弘吉

    国務大臣灘尾弘吉君) 現地状況につきましては、一応海上保安庁長官からお答え申し上げることにいたしたいと思います。
  12. 島居辰次郎

    政府委員島居辰次郎君) それではお尋ねのございました宗谷離岸から、現在までの状況をかいつまんでまずお話し申し上げたいと思います。宗谷は二月の十五日の現地時間で十二時三十分に着岸位置を離れまして帰国の遂についたのでありますが、ちょうりど三十四海里のオープン・シーを、これはたやすく前進いたしました後にクローズパックに遭遇いたしまして一たん待機、二月の十七日に砕氷前進を始めまして、十時間にようやく八百五十メートルを前進したのでありますが、氷状悪化のために前進不可能となりました。それから二月十八日に宗谷の周辺の氷の状況は厚さ約四メートル、径十メートルから五十メートルのフローが密集しまして、その間にはブラッシュアイス、いわゆる氷の割れたようなものでありますが、そのブラッシュアイスが層をなして盛り上っておりまして宗谷能力では前進できないような悪状況でございまして、外洋までその当時約七海里の氷海であったのでありますが、二月十九日に宗谷船長から、現状では脱出可能性が、自力ではなかなか可能性がむずかしいという連絡を受けましたので、本庁といたしましては宗谷船長に対しましてオビ号及びその他付近を航行中の外国砕氷船連絡を保っておくように指示したのであります。このオビ号とはすでにオビの方から宗谷に二月の七日から呼び出しがありまして、気象を送ってくれというので、気象の通信は毎日一回ぐらい送っておったのであります。  それから二月の十九日、西南西の微風がありましたので、それによって氷状、氷の状況が好転いたしましたので、七時間に約一・五海里前進いたしましたが、氷状が再び悪化いたしましたために前進が不可能となったのであります。本庁ではだんだんこの事態悪化をするのではないかということを憂慮をいたしまして、今の宗谷電波状況からいいまして、宗谷オビ号とは現地も近いし、また船は御承知のように、船と船との連絡によっていろいろやるのでありますので、それはよく連絡できるのでありますが、グレイシャー号とは、これは非常に遠距離であり、南北に離れておりますので、電波状況が非常に悪いのであります。それでとりあえず最悪の場合は援助を願いたいというようなことを、アメリカ大使館の方に相談に行ったのであります。それから二十一日は氷状がやや好転いたしましたので、砕氷前進を再び始めましたが、九時間にやっと一・一海里を前進いたしまして、その後も御存じのトリミングとか、ヒーリング、爆破作業、あるいは温海水等のあらゆる手段を尽しましたが、二十二時間の間にわずか六百メートルを前進したのみで、二十二日前進が不能となったのであります。二十三日は季節風がまた強く吹きまして、船尾の付近フローが押し寄せまして、推進器が危険に瀕するような状態となったのであります。そして二十四日に至りまして、宗谷船長から推進器フローが接着のために前進はもちろん後進も旋回も不可能な状態にあるので、脱出援助オビ号に依頼した、またグレイシャー号に、これはなかなか連絡がとれないので、東京の方を通じてやってくれ、というふうなことを言ってきたわけです。また隊員の海鷹丸への移乗でありますが、また脱出不可能な場合にはいろいろ越冬も決意してるというような、御存じ通り、そういう報告がありましたので、オビ号援助を正式にソ連大使館、これは正式と言いますとおかしいのでありますが、船の救難は御承知のように、大体が現場において船同士がやるのでありますが、やっぱりソ連大使館の方へこちらも念のために言った方がいいと思いまして、二十五日いろいろ準備を進めまして、二十六日に外務省を通じましてソ連大使館の方に申し入れたのであります。それからその当時松本船長からオビの方の援助方を要請したのでありますが、オビとは毎日連絡をやっておりますので、オビからすぐに返電がありまして、油その他の状況があまりたくさんもないようであるから返事は後刻するから、しばらく待ってくれ、というようなことでありまして、その翌日救助に行くというようなのが出ております。それから二十六口の夜半から南東の強風が吹き始めまして、氷状が好転いたしまして二十七日の早朝より砕氷前進を開始いたしまして、夕刻新たにできましたオープン・シーに出ることができまして、二十七日の十二時現在で宗谷サウス六十八度十七分、イースト三十八度三十分まで行っております。ちょうどそのころは現地離岸いたしまして四十八海里北上したことになっておるわけでございます。それからつい先刻発表されたのでありますが、オープン・シー付近に見つけまして、宗谷の約西の方に見つけまして、そしてそこに入っていたのであります。そうしてつい先ほどこういうことを発表したのでありますが、オープン・シーが二十七日午後三時ごろ、日本時間で言いますと、午後九時であります、雪の晴れ間に宗谷西方約四海里に現われ、宗谷の南方約五海里を迂回して北東方に移動し、長さ七海里の巨大な氷山によって形成されたものである。次に宗谷の午後四時二十分の位置外洋へ直接向う針路上の氷状が悪いので、ウォーター・スカイの状況からこのオープン・シーに入れば脱出に容易な氷海域があると考え、西方に約一海里前進してこのオープン・シーに入ったのである。次に海鷹丸パックアイス外縁を行動中である。同船と共同してオープン・シー外洋との距離を調査したところ密群氷クローズパックの幅は約十海里である。右の状況オビ号連絡し、脱出にはまだ確信がない旨通知した。なおオビ号の午後五時の位置は南緯六十六度一分、東経三十度四十九分である。こういうふうに発表したのでございまして、二十八日午前零時、日本時間の午前六時では、宗谷サウス六十八度二十分、イースト三十八度三十三分であります。そして風速は十二メートル、東南東よりちょっと南に寄っておるのでございますが、そのところにおります。なおこれは南極観測統合推進本部の方から御発表になった方がいいのかと思いますが、ついでに発表さしていただきますと、日本時間の午前五時、グレイシャー号メルボルンを発した、メルボルンから現地まで約三千八百海里であります。十五ノットか、あるいは十四ノット半、その程度で行きますと、まあ十二、三日、暴風雨圏がございますので、十二、三日ごろに着くのではなかろうかと存じておる次第であります。大体経過現状を申し上げた次第であります。
  13. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 さっき伺いましたように、宗谷自力脱出可能性というものはどういうふうに見通しを立てておられましたか。それからオビ号はすでに宗谷に相当接近しているのではないかと思うのですが、そういう情報はまだ入ってないのですか。
  14. 島居辰次郎

    政府委員島居辰次郎君) どうも失礼しましたが、そこで脱出可能性でありますが、これはなかなかはっきりした答えというものはちょっと申し上げにくいと思うのでありますが、まあ考えられるとすれば、南極の氷の状況というものは、今のクローズパックがございますが、これはいわゆる風によっていろいろの氷板がくっついてできたのがおもなのでございまして、いわゆる寒くなって凍ってできたものではないのであります。毎年こういう状況なんであります。これが風の方向によって、押し寄せられて、まあ悪い風と言えば北の風、東の風等でありますが、これが押し寄せられまして、地図をごらん下さるとわかるのでありますが、ちょうどまだリュツォホルム湾を出ておりませんので、東の風が吹いてきますと氷板の行きどころがなくて、自然に押し込まれる、こういう状況で閉じ込められているというのが状況であります。そして昨日から吹いておりますような南東、あるいは南の風がちょっと吹いて、相当強い風でありますが、これが吹いてくれますと、そこに必ずクラック、みぞが、水路ができてきまして、そこを脱出すれば脱出できたかと思うのでありますが、しかしこれも相手は大自然でございますし、ずっと現地の風の方向の統計をとっておりますが、東の風が割合よく吹いております。南の風が吹くと温度は下るのでありますが、そのときよく前進しておるようなわけであります、何とも申し上げられにくいと思うのでありますが、全然それほ見込みがないことはない。現に今すでに行動いたしておりますような状況でございますので、それが第一の方法でございます。  それから次の方法は、先ほど御質問がございましたようにオビ状況でございますが、けさの日本時間の午前六時の状況によりますと、宗谷との距離が百五十海里の要所におるようでございます。そこでオビ砕氷能力は不明なのでございますが、万一宗谷よりもより多い砕氷能力があれば、現に宗谷水路をヘリコプターで天候さえよければけさ調査しておりますが、それをもってとの水路を割ってくれる。それからグレイシャー号能力はわかっておりますので、またグレイシャー号は去年三月二十三日から二十六日ごろまでリュツォホルム湾の辺を、今、宗谷がおりますよりももっと南の方に氷を割って入っております。また砕氷能力も二十フィート、約六メートルぐらいありますので、これが今のうちにくれば十分脱出できるかと思うのであります。  まあ大体今のところではそういう状況を申し上げるのでございまして、別に楽観すべき状況でもなければ、また全然悲観すべきことも言えないのであります。現実事態に即応したいろいろの処置をしていくよりほかないかと思っておるのでございます。
  15. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 南極は全く未知の所で、初めてのことではありますし、また伝えられるところによると、非常に気象等急激な大きな変化をするということを承わっておりますから、とやかくの批判がましいことは差し控えたいと思っておりまするし、また状況の詳細、並びに今後の対策というものはどなたかお帰りになれば明確になると思うのでございます。  私ここで若干伺いたい点は、砕氷能力の一メートルという宗谷、それから随伴船として参った海鷹丸の動きを新聞等で見ていますというと、時間の経過とともに無氷地域にだんだんと海鷹は離れざるを得ないような状況で、果して海鷹丸はあの性能で随伴船の役をなし得るのかどうか、その点私は宗谷そのもの砕氷能力と、随伴船海鷹丸能力というものについて、未知の所に行ったとはいえ、計画上やはり足らざるものがあったのではないかということを今反省してもそうはずれていないのではないか。これは来年度の本観測準備を整えるに当って非常に大切だと思いますので、その点を伺いたいのであります。  それと、率直に答弁していただきたいと思うのですが、私どもただラジオ新聞等承知している以外何も承知していないわけですが、どうもこの救援措置については、当事者は何とか独力で脱出できるだろう、またそうあってほしい。オビ号にもグレイシャー号にもお世話にならんで自力脱出してほしい。またできそうなものだというちゅうちょ逡巡しておった気配があるのじゃないかということを、ずっと新聞ラジオを注意しておってそういう感じがするのですが、その二点をまず伺いたいと思います。
  16. 島居辰次郎

    政府委員島居辰次郎君) まず、宗谷砕永能力の問題でございますが、御質問になるのも私ごもっともだと思うのであります、現在の状況において、またいろいろニュース等のことだけから考えますと、いろいろそういう御疑問のおありになるのもほんとうにごもっともだと思うのであります。しかしそれでお話すれば長いことになるのでありますが、簡単にそういう宗谷が一メートルそこそこの砕氷能力で行ったということを、まことにおそれ入りますが、簡単に話させていただきたいと思います。  一昨年でございますが、南極観測ということが始まりましたときに、砕氷能力のある船ということがまず問題になるわけであります。そこで当時どういう船がいいかということにつきましてはそれぞれ観測木部の方でも学術会議の方でもいろいろ御検討になったのであります。そうして日本にはもう適船がない。そこで外国の船を用船して行ったらいい。予算は別でございますが、金は別の話にして、とにかく外国の船を用船して行ったならいいだろうというので、ある方々が引き合いを出された。ちょうどきょうはその引き合いを出された船を持って参りませんでしたけれども、大体私の記憶によりますと、三隻ばかり引き合いが参っております。しかし、ほとんどノルウエーの船だったと思いますが、そうしてそういう船はほとんどが五、六百トンの船で、馬力が一千馬力ぐらいでございまして、現地ノルウエーにおいては多少いわゆる砕氷船といいますか、当時耐氷船ぐらいと思いますが、そのように使っておったと思います。そこでそういう船でも使うかというような話があったのでございますが、いろいろお考えになって、とてもこんな船でに大ぜいの人を積み、機材を積んでは問題にならないというので、外国の用船というものがだめになった。それでは日本の船で行くということになりますと、日本の船にはずっと見渡したところ、いろいろ検討いたしました結果、二隻の船が類上に上ってきたわけであります。その一隻は鉄道の方の宗谷丸であり、あとの一襲は私の方の宗谷であります。それで鉄道の方の宗谷丸はいろいろな関係から、これはだめになりました。結局結論だけ言いますと私の方の宗谷、当時この船は燈台補給船として全国各地燈台に補給しながら回っておったのでありますが、これがあてられたのであります。それでやってくれないかということで、私の方といたしましても、非常に海上保安庁救難いろいろ船も要りますし、燈台の船を取られますと、あと困るのであります。あとをそれでは買ってやろうという大蔵省の非常な御配慮によりまして、あと宗谷よりも小さい船を買っていただいて、燈台の方は何とかがまんさして、そうしてこの船を起用することになったのであります。そこであらかじめ南極はこのくらいな氷であるとかいうことからいったのではなくて、当時の手として世界中探して、結局とういう船に落ちついたということをかいつまんでお話しするわけであります。そとで宗谷の持っている船体からいたしまして、自然にその砕氷能力というものは制限されてくるわけであります。しかし宗谷の持っている排水量から計算して精一ぱい砕氷能力をつけさせたというのが、日本のそのときの、別な言葉でいえば国力といいますか、あるいはその当時の日本政治情勢経済情勢というと少し大きくなりますが、そういうようなことから、そういうことにきめられたのであります。それでまあ海上保安庁やれ、ということになったので、と私の方としては大へんなことであるが、そうしなければ学術観測ができないということになれば、日本の威厳に遜色を来たしますので、勇気を鼓舞してというのは単なる義務をいったのでもございませんが、宗谷改造、エンジンを全部改造いたしまして前のべききの方を強力につけたといいますか、補強した。両方にタンクをつけ、また前後にタンクをつけ、そういうふうないろいろな改造に費用をかけて、そうして砕氷能力ができた。とういうふうなのがその一メーターくらいの砕氷ということになった経緯でございます。しかし宗谷は一メーターではございますが、これは計算上の一メーターでございまして、現実南極においては一メーター半くらいのものは割っていっているわけでございます。  海鷹丸につきましては、これは私の方でございませんので……。
  17. 緒方信一

    政府委員緒方信一君) 宗谷につきましては海上保安庁長官から申し上げましたので、海鷹について申し上げますと、御承知のように海鷹丸は東京水産大学実習船でございまして、約千五百トンでございます。これは今お話がございましたけれども、最初から南極氷原に突入するという役割りはもっていなかったのでありまして、宗谷に随伴して参りまして、そうして途中もそうでありますが、特に氷原に入ります場合に外側から気象、あるいは海上の状況等を調査いたしまして、これを宗谷に知らせて援助するという役割りを持っていたわけでございます。ただいまのお話にございましたように宗谷外縁パックと申しますか、その外側に停泊しておるのでありますけれども、現在におきましても宗谷状況を通報いたしまして十分役割りは果しておる、かように考えます。ただ先ほど申しましたことは砕氷船ではございません、随伴船として宗谷を助けるということをいたしております。なおそれに加えまして外洋気象観測の仕事も兼ねてやって参る。どういうことになるわけであります。
  18. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 救援措置は……。
  19. 島居辰次郎

    政府委員島居辰次郎君) 現地に行っております松本船長以下でございますが、これは先ほどの宗谷というものを選ばれたときの経緯にもさかのぼるのでありますが、つまり行くとなりますとやはり船内の和というものが非常に大切なのでございまして、南極の航海になれた一人々々の船乗りというものは日本には捕鯨船もございますのでもちろんたくさんおるとは思いますが、しかし何といっても一つの和が大切である。組織をそのまま持っていくのが一番向うへ行ってやりいいということからも宗谷に決定された一つの理由かともわれわれは推察するのであります。そこでそれをやるにつきましても私の方としましては、日本の海員組合の方の組合長、あるいは南極の方へ経験のある方々、要するに船員関係のベテランを集めていただいて、そうしていろいろ検討して、こういう人物の人々にやってもらおうということでいろいろ検討した結果、現在の松本船長を選ぶような状況になったのであります。そうして去年、つまり一昨年になりますが、船長、航海長機関長というものを向うべやったような経緯もありますし、現地状況というものももちろんリュツォホルム湾の中までは入って行っておりませんが、近くまで行っております状況も一応存じております。そういう選んだ経緯からいたしましても、非常に私の方からほめますと手前みそになるのでありますが、非常に沈着にして優秀なわれわれの方の海上保安庁の職員のうちから選んだのでございまして、決して昔のように来ないうちに何とかしょうとかという気は私の方としては見られないと思うのでありまして、非常に手前みそになりますが、ほんとうにあれくらいな船であそこまで行ってくれたということに、よくやってくれているとほんとうに感激しているようなわけでございます。
  20. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 文部大臣にお答え願いたいのですが、私はこの問題は大きな教訓をもたらしておると思うのです。文部大臣は科学技術の振興というものを当面の文教政策の大きな一つの柱に立てられておるわけですが、従来わが国の科学に関する問題については、学術会議等においていろいろと慎重審議して結論を出されて、政府並びに関係方面に強く要望して参られたことは一向取り上げられない。ことに科学技術なんかという方面は非常に専門的な素養と知識がなければ理解しがたい面があるのにもかかわらず、行政官が行政官的な一方的な判断で予算を組むとき簡単に切り捨ててきておるということが繰り返されて参ったわけでありますが、そういう事柄に対する大きな警告を発するものだと思う。  で、本年の国際地球観測年事業予算は十億五百万円となっておりますが、これが三十一年度の予算編成当時は、第一次査定は約四億円だと記憶しております。そんなことではとうてい少いというので復活要求をしてやっと十億五百万円になって、そうして宗谷海鷹がああいうふうにして行かれるようになったわけです。さらに来年度の予算編成に当っても、南極地域観測は四億七千七百万円、予算書に出ております。国内一般観測、ロケット観測合せて八億五千万円というような予算を計上されておるわけですが、去る十二月に文部省議で一応きめられた予算は八億六千六百万円だったのですが、それが一千六百万円削除された。この一千六百万円の差というのは大蔵省の主計局でどういう科学的な判断のもとに削られたか、そういうことはつまびらかにされていないわけですが、こういう点に私は非常に他の予算と同じようなものさしで、大した知識も素養もない者が一律的に予算を組み、査定をやるというところに、私は非常な合理的な、科学的なものが欠如しておると思う。こういう点、来年度本観測をやる場合に、今後宗谷のいかんによってさらに対策を立てられなければならぬと思うのですけれども、これらの点について文部大臣はどういう反省を持たれて、今後いかなる決意をもって対処されんとしておるのか、この点と、それから当面救援措置については決してちゅうちょしないというけれども、もう少しあと海上保安庁長官に聞かしてもらいたいのですが、少くともラジオ、新聞でわれわれが承知したところでは、どうも納得できないところがある。そのうちで予算関係でですがね、これまた新聞で見ただけなんで真偽のこともはっきりしてもらいたいのですが、昨日海上保安庁長官は衆議院の文教委員会で、二十四日に宗谷からオビ号の方に連絡してほしいという連絡があった。そうして二十六日の午前中に外務省を通じてソ連の大使館に救援を要請しておるわけですが、その間実に三十五、六時間というものが経過されておるわけです。三十五、六時間の空白ができたのは、救援を頼む以上は予算が必要なので大蔵省との折衝に手間取ったというふうに、国民にとれるように各新聞には報ぜられおる。こういう記事を読んだ。私は隊員なり、乗組員の家族というものはつまらないだろうと思う。またわれわれ国民としても実にばかばかしくてしょうがないんですね。いかに役所仕事といえども、ああいう南極のような未知の地においては、待機しておって、ほんの瞬間のチャンスをつかんで脱出しなけりゃならぬものだと私は思うのです。それをそういう、二十四日夜半きたということ自体私はずいぶんおそいなあと思ってるんですけれども、それがきてから実に一日半というものを予算折衝でこうなったというに至ってはどうも納得をしかねる。従ってこの経緯長官並びにことに大蔵大臣お見えになってないですが、森永主計局長お見えになっておりますので、主計局長から御答弁いただきたいと思います。
  21. 灘尾弘吉

    国務大臣灘尾弘吉君) 科学技術の問題につきまして、しろうとの行政官があれこれわかりもしないのにいろいろな査定をするのはけしからぬ、こういう御質問だと承わったのですが、私から申し上げますまでもなく、予算を要求する方の側と予算を査定する方の側とにいろいろ食い違いを生じてくることは、これはいつもあることでございます。しかし、ものによってはまた考え方を変えなくちゃならぬというようなこともあると思う。ある一つの仕事をやりますために、要求する側はかりに百と言う、大蔵省は逆に六十と言う、その問いろいろ折衝した結果七十くらいになるということも、これは財政その他の関係上やむを得ない場合も私はあると思う。そのために要求する側が十分なことができないのに悲観せられるということもあり得ることでありますが、ある程度はこの事情は御了承願わなければならぬ。しかしまた南極観測というような問題になってきますというと、これは銭金だけの問題じゃなく、大事な人間の命に関する問題でございますので、これが向うに行き、あるいは向うに滞在をし、あるいはこちらに帰る期間を通じて、このことに万一の不足を来たす、あるいは用意が不十分なことがあったというようなことがあっちゃならぬわけであります。その意味におきまして、私は今回の南極観測につきまして、大蔵省も十分に御協力いただいたと考えておるのであります。その点については当初計画いたしておりましたことと、今日目今の場合とを比較いたしますれば、あるいはいろいろ御批判もあろうかと思うのでありますけれども、予算を編成いたしました当時におきまして、私は要求する側においても、また査定をせられる側においてもともどもに協力して、でき上るのに差しつかえない程度の予算は組むべきものと確信をいたしております。今後の問題をどうするということもございますし、せんだっては三十二年度の予算を組んだわけでありまするが、何さま現地状況ということについてはお互いに暗いわけであります。現に向うに行っておられるわけでありますので、われわれといたしましては、こちらで考え得べきいろいろな資料をもとにいたしまして、三十二年度の予算は組みましたけれども、これで果して現地状況にほんとうに即応するものかどうかということにつきましてはむろん疑問を持っております。そういう意味から申しますというと、向うから帰られました上でいろいろ向うの状態も聞きまして、本観測については遺憾のない予算を組んで参りたい、またそのことについては大蔵大臣と私との間におきましても、今度はこれで一応やるけれども、実際の状況が判明してさらに必要とする場合には十分考えてほしいということも申しておるわけでありますので、その点につきましても一つ御心配のないようにお願いを申し上げたいと思うのであります。事柄によりまして、決して単なる事務的な査定で終るものではないということは十分心得ておるつもりでございます。
  22. 岡三郎

    委員長岡三郎君) ちょっと速記とめて。    〔速記中止〕
  23. 岡三郎

    委員長岡三郎君) 速記を始めて。
  24. 島居辰次郎

    政府委員島居辰次郎君) 言葉が足りませんと、ときどき誤解を受けますのでまことに残念に思うのでありますが、御承知のように船の救難というものは、われわれ当然御承知と思ってときどき言葉を省くのが誤まりになるわけでありますが、船の救難というものは、船がまあ一番非常なる場合はSOSを打ちますと、すぐその近所の船、あるいは電波を受け取った船が全部集まることになるわけであります。その前は緊急通信でございまして、スリー・エックスというものをやる、そうするとそれを受けてそれに行けるものは行くというふうなことになるわけであります。大体船と船同士でもって救助、救難その他の連絡をすることになっておるわけであります。そこで二十四日の日に松本船長オビ号に、ずっと前から申しておりますように、オビ号とは一日に一回連結をしております。二十四日の日にすでに現地において救助というか脱出援助につきましてオビ号に要求しておるわけでございます。それについてすぐオビ号からは今油の状況があまり十分ではないと思われるので、後刻返事をするということを言っておるわけで、船の救助はそういうふうに現場でやるのが通例なわけであります。そこで私の方の話は割った話になるのでありますが、ソ連関係につきましては、人命の救助は別でございますが、いろいろ海難の救助、船舶の水路をあけるというようなことになりますと、いわゆる費用の請求ということがあるかもしれないということを懸念いたしまして、そうしてそれについて向うが要求されておるわけではもちろんないわけでありますが、いろいろの方と相談し、考えて、そういうことがあるかもしれぬから、それについて自分の方から前もって東京で、そういうことはいわゆる行政事務でございますので、大蔵省にも連絡をしたのでありますが、もちろん大蔵省は早速それについては取り運んでいただくわけでありますが、つまりそういうことでおくれたというのでは決してないのでありまして、おくれるとかおくれないということではなくて、救援については私の方から大使館に行く前に現場でもってやるのが通例だということを一つお含みおき御了承願いたいと思うのでございます。そこでしかし今の費用とかその他が万一かかるかもしれないから、それについてはそれは現場でやるべきことではございませんが、商船の場合は普通現場でやるのでありますが、今回の場合は当然東京でやらなければいけませんので、前もって大蔵省の方に私の方から連絡をした、こういう経緯なんでございまして、決して救援がおくれたとか何とかいうのではないのでございますので、その点私の言葉が足りなかったかもしれませんが、十分一つ御了承願いたいと思うのでございます。
  25. 森永貞一郎

    政府委員森永貞一郎君) ただいま島居長官からお答えの通りでございまして、予算の折衝で本件の救助がおくれたという事実は全然ございません。二十六日でございましたか、島居長官から電話がございまして、万一若干経費がかかることになるかもしれぬが、含んでおいてくれというお話がありまして、私は即座に電話で、もし本年度内に金が要るなら予備費もあるし、金は来年度だが今年やはり義務を負わなければらぬということになると、国庫負担行為についての予備費の制度もあることですから、そういう点についての御心配は要りませんということを申し上げた次第でありまして、こういう緊急の問題でございますから、私どもといたしましても、予算関係で特に救助をおくらせるというようなことは全然ございません。またそういう事実もなかったことを御了承いただきたいと思います。  なお、科学技術関係予算の査定につきましては、先ほど灘尾文部大臣からもお話がございましたが、私どもといたしましても、極力専門家の検討を尊重ういたしておるつもりでございます。なかんずく今回のような国際的な大事業、特に人命にも関係のあるような大事業につきましては、極力専門家の意見を検討いたしまして、基幹的な部分につきましてはほとんどそのままお認めをいたしておるというようなことも数少くないわけでございまして、予算の点につきましてもそのつどつど先ほど文部大臣がおっしゃいましたと同じような気持を持っておりますことを申し上げておきたいと思います。
  26. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 大臣に私もう一回伺っておきたい。それは大臣先ほどの答弁の中には、このお帰りになった後に検討して、そして対策を立てられるという言葉があったんですが、その場合私は二つあると思う、場合が。宗谷の船体そのものが帰る場合と、帰らん場合があると思うんですね。で、帰って来た場合においても現在予算書に出ている八億五千万円というものが再検討される場合があるという意味の答弁をきれました。で、もし宗谷の船体が帰って来ない場合、その場合あなたはどういう基本的態度で今後臨んでいくかという点を承わりたい。新聞の伝えるところによると永田隊長は、国内態勢が帰国隊員を中心に準備されて、そして万全を尽して年末に多数の人が昭和基地に上陸できるようにありたい、してもらいたいということを永田隊長は電波で送ってきております。従って私が承わりたい点は、万が一ソ連船あるいはアメリカ船の救援が効を奏せず、宗谷の船体そのものが帰って来ない場合には、伝えられますようにしろうとが考えても本観測に相当の支障がもたらされてくると思うのですが、しかし今からそういう場合を一応想定して万全の準備を整えれば私はある程度やり得るものと思うのですが、そこは私は大臣の腹一つだと思うのです。大臣は積極的にこの対策を立てることによって何としてもこの事業に参加し、成功をおさめんとするのか、それともまああまり無理をしないで何だったら適当に打ち切ろうというように、きのうの衆議院のあなたの答弁の新聞紙を通じて拝見したところでは、もうあまり無理をしないで適当なところでというような、非常に消極的な印象を私はあの記事で受けた。従って大臣はどういう腹でおられるのか、それを伺っておきたいと思います。
  27. 灘尾弘吉

    国務大臣灘尾弘吉君) 私は今日もなお宗谷が帰って来ることを期待いたしておるのであります。できるだけの方法を講じまして何とか一つ帰ってもらいたいということを心から願っておりまするし、しかも今日の段階におきましてまだ絶望するのには早いというような心持がいたしておるのでございます。最悪の事態を予想してのお答えはまことにいたしかねるわけでありますし、お互いに想像したくないわけでございますが、万一不幸にして宗谷が帰って来ることができないということになりますというと、遺憾ながら来年の本観測につきましては重大な支障にぶつかるであろうということを私は心配いたしておるのであります。何とか帰ってもらってこれを基礎にして次の方策を一つ考えてみたいということを目下のところ思っておるわけでございますが、もし帰らないということになりますと、本観測にはかなり大きな支障を来たすのではなかろうかと思うのであります。もちろん私といたしましてはこの大事業に日本封参加いたしまして、乗り出しておることでありますので、ぜひ継続してこの仕事をやって参りたいという熱意に燃えておるわけではございますけれども、しかし一面から申しますというと現実というものを無視するわけには参らない。日本がそのときに必要とする一体整備を整え得るかどうかという問題が出てくる点はあります。整え得ますればこれはむろんやりたいと思っております。しかし整え得ない、日本のいろいろな事情からいたしまして安心のできる装備を持った観測隊というものが編成できないということになりますれば、これはよほど考えなくちゃならぬと思います。私が昨日無理はしない方がよろしいということを申しましたのは、決してこの安易な心持で申しておるのじゃございません。事柄がこういう事柄でございますから、どんな一体不幸な目にあわなくちゃならぬかということも考えられますので、ただ単に観測はぜひやりたいという熱意だけでやっていくわけには参らない。そういう意味におきましては、客観的ないろいろな条件というものを勘案いたしまして、無理なことは避けて可能のできることをやっていくという気持を実は申したつもりでおったのでございます。あるいは世間に多少の誤解はあるかもしれませぬが、決して安易な心持で、ただやればいいのだというようなことで考えておるわけではございませんので、心持といたしましては何とかしてこの仕事を一つ完成したいと、かように考えておる次第でございます。
  28. 松永忠二

    ○松永忠二君 海上保安庁長官に二、三今の御説明からお伺いしたいのであります。一つはオビ号砕氷能力というものは非常に不明だというお話がありましたが、今お話を聞くと、十九日の日にすでに宗谷自力では不可能ではなかろうかということを言われておった。そういうふうなことになりますと、しかもその非常に近い所にオビ号があって連絡を保っているという話もあるわけであります。で、二十六日の日には宗谷も要請をしておるし、こちらでも外務省を通じて要請しているというようなことから考えてみて、その間現在なおかつオビ号砕氷能力というものは不明なのか。あるいはこれについてやはり何とかそういうものを明確にして、やはり安心感を与えていくなり、また協力も得ていくというようなことが必要だと思うわけなんでございます。その点についていまだになお不明なものなのか、そういう努力をなさったのか、そういう点についてお伺いをしたい、それが一つ……。
  29. 島居辰次郎

    政府委員島居辰次郎君) お答えいたします。オビ砕氷ということでございますか……。
  30. 松永忠二

    ○松永忠二君 そう。
  31. 島居辰次郎

    政府委員島居辰次郎君) それからさっきお言葉の中に、二十六日ではないのでございまして、二十四日の日に宗谷船長からもうすでにオビに救援脱出援助を依願しております。それだけ……。  それから今のオビのいろいろな要目でございますが、実はわれわれも方々、八方手を尽しまして、御存じのようにゼーンという軍艦年鑑があります。これは世界各国の軍艦の大体の要目が、写真が載っておるわけでございます。これにもオビは載っていないのでございまして、それから外務省を通じて大使館の方にも依頼し、また現地宗谷連絡いたしまして、宗谷オビとの通信によってその能力を知らしてくれ、こういうふうに言ったのであります。そういたしますとちょうど宗谷の方から連絡が参りまして、総トン数は七千五百五トン、機関はディーゼル電動式で七千馬力である。砕氷能力はこれは一応宗谷からの、松木船長からの言って来た報告によりますと一・五メーターである、こういうふうに書いてあるのでありますが、これは宗谷松本船長オビ連絡してやってくれたものかどうか、そこまで確実には私電報内容に書いてありませんからわかりませんが、そういうふうなことを宗谷から連絡してきております。  それからここへ出席いたします前に、外務省の方から連絡がございましたが、砕氷能力については不明である。ソ連大使館連絡した結果、砕氷能力については不明であるということを外務省の方から承わった、これだけ申し上げておきます。
  32. 松永忠二

    ○松永忠二君 もう一つの点は、グレイシャー号が、今お話によると、メルボルンを出て、大体十二日か十三日くらい要するのではなかろうか。そういうことになると、グレイシャー号砕氷能力をもってすれば、大体従来の南極気象観測の常識から考えてみて、こうしたまあ常識的には相当、半月の期間を要するわけなんです。そういう期間を要しても、なおかつ六メートルの能力を持っておれば、やはり宗谷を救援するということは十分な力を持っているというふうに判断をされておるのか。その点ほいかがでございますか。
  33. 島居辰次郎

    政府委員島居辰次郎君) 先ほどの私の説明でも申し上げましたように、グレイシャー号はちょうど去年の三月二十三日から六日まであの辺を航海しておりますし、今現在宗谷がおります地域よりもなお南方に行っておるような状況でございます。グレイシャミの持っております馬力は二万一千馬力でございまして、砕氷能力は、二十フィートでございます、まあ六メートルくらいということでございますので、われわれといたしましては、大体砕氷していく可能性があると思っておるのであります。
  34. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 長官、私はこの点はっきりしてもらいたいと思うのです。それはオビ号の件ですが、私自身こういろ印象を受けたのです。宗谷オビ号現地で救援を頼んだ。それから東京にいる本部からは外務省を通じてソ連の方に援助を要請するようなことはしなかった。ところがオビ号はすぐ近くにいるにかかわらず、油がないという理由で断わったようだ。救援を断わったようだ。ほんとうに油がなかったのか、残念だったなあと、こう思っておるところに、今度は救援に行かれるということを承わって、私は非常に異様な感じがしているのですが、それは新聞をずっと見ていて、時間的にそうなんです。あなたはオビ号宗谷が二十四日に依頼したと言うけれども、もう二十三日に新聞に出ています、連絡したということは。そして油の調査いかんによって云々と、もっと早く出ている。報道によると、これも報道は幾通りも出ているのですよ。日本時間で二十五日の六時に、ディーゼル油の検討の上回答するというオビ号から連絡があったという情報が入ったというのも出ている。また他の面では、日本時間で二十五日の十一時二十五分に、オビ号から松本船長に了解したという通報があったというようなことが出ている。これは両方とも新聞には出ているわけです。それで、あなたの方は先ほどなんでしょう、ソ連の大使館の方には二十六日に連絡をした。アメリカ大使館の方には十九日に少くとも口頭で依頼しているわけですね。だから、私が疑問に残る点は、東京において十九日と二十六日のズレが出たこと、それから現地においては、私は二十四日以前に宗谷オビ号連絡をしているというように私は新聞で見ているわけなんです。それで私は伺いたい点は、あなたの方で外務省を通じて正式に依頼しなかったことは、現地におけるオビ号宗谷の話し合いのまとまるのがおくれた原因になっておるように私は判断せざるを得ないのですが、これは真相はどうなんですか。どう判断したらいいのですか。
  35. 島居辰次郎

    政府委員島居辰次郎君) 二十一日から二十三日までは連絡はとれておりませんでございます。そこで二十四日に宗谷船長からオビ連絡しております。それから先ほど前から申しますように、いわゆる気象通報その他の連絡は、もう二月七日からずっとオビととっておるわけであります。そこで、今いろいろおっしゃいましたように、二十五日に油の問題が……二十五日でございますから、二十四日に宗谷オビ連絡しまして、二十五日に返答を受けておるのですから、ずっと順序を追っていっておると思っておるわけであります。  それからアメリカ大使館の方へ私の方でいったのは、先ほど説明申し上げましたように、現地ではなかなか電波状況というのは、これまた学界でもわかっていないようでありますが、東西というのはなかなかとれない、南北の方が非常に電波が入りやすいのであります。ほかの例で申し上げますと余談になりますが、われわれは太平洋で巡視船を救難いたします場合でも、マグロ、カツオ船のような、ああいう弱少の電波を持っておるのでも、南の方へ行ったのは非常にとりいい。ところが東の方へ行ったのは、南極でなくてこの辺でも、なかなかとりにくいというような状況にあるので、これはまだ電波の方の学界も、なぜそうなるかということはわかっていないようでありますが、とにかくそういう状況で、グレイシャーとは宗谷はとりにくいということ、そういうので東京の方を通じてやってくれということは前からありますので、もちろん十九日には宗谷は自分でやっていこうというのはできなかったわけではありませんが、独自の力でやっていって、いわゆる前進不能というところまで、前進不能といいますか、絶体絶命というところまでいっていないのでありますが、しかし、われわれ本庁で見ますと、あのグレイシャーというのは非常に遠方におりますので、早くから、アメリカ本国へ帰らぬうちに手を打っておかないと、万一の場合に、ああいう今世間でいわれております最大の能力を持っておるグレイシャーを確保した方がいい、こういうような本庁のわれわれの老婆心から、あらかじめ念のためにアメリカ大使館の方へ連絡しておいた、こういうような状況なんであります。  そこで、たびたび申すのでありますが、よく誤解されるのでありますが、船舶の救難というものは、船舶から本国へ電報を打って、本国からほかへやってというのは、異例中の異例でありまして、船から直接救援通信やSOSをやって、その付近の船舶、あるいは電波の届く範囲の船舶を集めるというのが普通の慣例であるし、また、これをやらなければ、とっさの場合に間に合わないのでありまして、そういうようないろいろの事情を詳しく御説明申し上げればよく御納得いくかと思うのでありますが、大体かいつまんでお話し申し上げますと、かような状況になるわけでございます。
  36. 湯山勇

    ○湯山勇君 大体大部分の要点は質問が終りましたので、簡単にお尋ねいたしたいと思うのですが、それはこういう事態になりましたので、先ほど長官の御説明になった計画当初の事情を私少し調べてみました。そのときに砂木部長が国会に出て御答弁になっておること、松本船長が御答弁になって、おることを総合いたしますと、きわめて、この程度の一メートルの砕氷、それからゆさぶり、外板、五千馬力、こういった程度のものでは接岸も非常に困難じゃないか、さらに砂本部長の御説明では、まあしかし不十分だけれども、直接大きな危険にさらされないように十分注意したい。しかしながら氷にとざされる心配もあるということをお述べになっております。そうすると私はまあ今日の事態から考えてみると、接岸して上陸に成功したということは、これは長官が申しましたように松本船長以下非常に努力をされ、非常にりっぱな成績をあげられた、そのあと事態については、これはやはりある程度予測できたのではないかというような感じがしてならないのですが、そういう事態に対する何らかの対策を事前に立てるというりようなことはなさらなかったのかどうか。この点一点お伺いしたいと思います。
  37. 島居辰次郎

    政府委員島居辰次郎君) いろいろほんとうに事情をよくおくみ取り下さいまして、また非常に激励のお言葉、また感謝というのはおかしいですが、いろいろお言葉いただきましたことにわわれれ全く感激しておるのです。一々世間で何だかんだ言われるのですが、まだ目下われわれは一生懸命脱出に努力しておるときであります、一々弁解とか何かしなければなりませんけれども、それよりも一生懸命何とか脱出したいという一方にやっております。今のお言葉また現地に伝えますとどれだけ船長以下感激するかと思います。まことにありがとうございます。  それから今のお話でございますが、もちろんそのお話通りでございまして、先ほど砕氷能力一メートルしかないというまことにいい御質問があったのでありますが、経緯は御説明申し上げました通りでありまして、世間は、あまり知らない人が保安庁が甘かったとか、よけいなことを書かれるのでまことに残念なのですが、その当時の日本の国力、また日本におかれた立場からいたしまして、われわれとしてやむを得ず引受けて、何とか観測事業にわれわれも援助したいというので引受けたわけでございまして、おっしゃる通りある意味においては無理だったかと思うのでありまするが、しかしながら一年前に松本船長その他をやりましたのに比べまして、何とか行けるところまで行って、これはやってみよう、こういうのでございまして、そこで万一の場合もありますので、あの辺の地図、その他につきましては関係の諸国からいろいろ資料を受け、また平素から万一の場合は、ということもございますので、その方面のところとは連絡をとって緊密にやってきたようなわけであります。まことにいろいろありがとうございましたが、どうか今後も皆様のお力によりまして、何とか御声援をいただきまして、無事に宗谷を帰らせたいとわれわれは念願しておるわけであります。
  38. 湯山勇

    ○湯山勇君 そこで私も実は宗谷が帰って来ることを期待し、願っておるものであります。これが当然帰って来るとして、帰って来た宗谷がまた出て行かなくちゃならない、これも考えなければならない問題だと思います。で、帰ってからどれくらいの期間日本におることができるのか、その期間が短かいとすれば現在のままの宗谷でもう一ぺん行かせるかどうかという重大な判断を長官としてはなさらなければならない、こういう事態ではないかと思います。そこでその辺の御決意とともに、もしやるとすれば今のままではいけないというような点お考えになっていらっしゃるかどうか、その点一つ伺いたいと思うのであります。と申しますのは、先ほど文部大臣の御答弁にあったように、もしいろいろな事情がわかりますならば、さらに予算面その他について十分努力したい、こういうことですし、一方においては現在の砕氷能力、現在の状態が船の古いこと、トン数等から考えても最大限だというようなこともかつて言われたことがあるわけなんで、そういたしますとその判断はむずかしい判断ではないかというようなことを考えますので、その辺に対する長官のお心がまえというようなものをお伺いしたいと思うわけです。
  39. 島居辰次郎

    政府委員島居辰次郎君) お話の件は全くごもっともでございまして、今現在の事態からいたしますと、何とかもう少しでも砕氷能力を増さなければならないかと思うのでありますが、御存じのように宗谷の船体その他から来る制約されたものでございます。また現在の状況よりも、むろんケープタウンを出ますと、多少船も手がすきますので、今回の観測の航行に出ていろいろな、こうすればよかった、今度はあそこをああすればいいというデータがケープタウンを出てから電報で来ると思います。それを検討いたしまして、いろいろなお一そうの改良を加え、今後のこともありますので、本観測に私どもとしては備えたいと思っております。気持といたしましては、いろいろ本年の観測したデータを見まして改良し、向上さしていきたいという心がまえでおるわけであります。
  40. 岡三郎

    委員長岡三郎君) ちょっと速記をとめて。    〔速記中止〕
  41. 岡三郎

    委員長岡三郎君) 速記をつけて。
  42. 湯山勇

    ○湯山勇君 今のと関連して国際地球観測年の国内観測の問題ですが、これは国内八カ所で観測をする、これに対して初年度二億でしたか予算がつけられましたが、そのときの説明では結局三十一年度が準備期間だから、その期間に十分検討して、その結果三十二年度予算には十分できるように努力するという御答弁があったわけであります。当時の要求としては初年度四億五千万の要求であったのに対し、二億しかついておりませんし、それから附置研究所等の施設、あるいは資材、そういうものもこれに協力させるというようなお話であったわけですが、果して国内観測が今年度約二億五千万円程度ついておるようですが、これで十分なのかどうか、私はやはり今までの状態からみて、これではこの目的を達せられないのじゃないかという懸念を持ちます。もしそうだとすれば、さっき大臣が言われたようなことについても、また本観測にはいる場合には予算の増額なり、何なりの措置が考えられるのかどうか、この点一つ局長の方から伺いたいと思います。
  43. 緒方信一

    政府委員緒方信一君) ただいまの御質問は国際地球観測年の事業のうちの国内一般観測のことでありますが、ただいま御指摘のように、二億五千三百万円という予算を計上をいたしまして御審議を願っております、これは各部門に分れるのでございまして、これはただいまおっしゃいますように部門に分れるのでございますが、要求は先ほど大臣から申し上げましたように、いろいろ要求いたしましたが、二億五千三百万ということで政府案としては御審議を願うということになっております。これにつきまして果してできるかというお話でございますが、私どもとしましては、これにつきましては学界の方とも十分連絡をいたしまして、具体的に申しますと測地学審議会というのがございまして、これが文部省にございます、この審議会で関係の機関それから学者の人たちを集め、この地球観測年の仕事を担当していただきます部分がございまして、そこべ諮ってこれから実施するということにいたします、その意見に徴しましても、まあこれで十分やっていけるということでございますので、まあこの二億五千三百万円で支障ないものと、かように考えております。
  44. 湯山勇

    ○湯山勇君 これは質問ではないのですけれどもぜひ御要望したいのですが、実は今の宗谷の場合も政府の御答弁が予算はないけれども所期の目的を達するには十分だという御答弁を、やはり国会においてはしておられます。そしてまあ学術会議その他専門家の方も今、局長のおっしゃったのと同じような形でそれで納得して宗谷はああいう形になったわけですけれども、しかしこれは今、大臣が言われた通りに国際的な影響のある問題ですから、森永局長も今のようにこういう問題についてはあまり削らないといいながら現実には削っているわけなんですけれども、何とかこの際大臣の言明もあり、大蔵当局の言明もあったわけですから私は少しでも文部省の最初お考えになっておったようなことが実現するように骨折る余地があると思いますので一つぜひそうしてとの観測に遺憾なきょうにしていただきたいということを重ねて申し上げておきたいと思います。
  45. 岡三郎

    委員長岡三郎君) ちょっと速記をとめて。    〔速記中止〕
  46. 岡三郎

    委員長岡三郎君) 速記を始めて下ざい。  以上で、本日は散会いたします。    午後四時一分散会