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1957-06-27 第26回国会 参議院 建設委員会 閉会後第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十二年六月二十七日(木曜日)    午前十時二十八分開会   —————————————   委員の異動 五月十八日委員武藤常介君、中野文門 君及び北勝太郎辞任につき、その補 欠として草葉隆圓君、森田豊壽君及び 森田義衞君を議長において指名した。 五月二十一日委員野本品吉君、鈴木万 平君、草葉隆圓君及び森田豊壽辞任 につき、その補欠として中野文門君、 西田信一君、斎藤昇君及び武藤常介君 を議長において指名した。 六月十日委員中山福藏辞任につき、 その補欠として北勝太郎君を議長にお いて指名した。   委員長補欠 五月十八日中山福藏委員長辞任につ き、その補欠として森田義衞君を議長 において委員長に指名した。   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     森田 義衞君    理事            石井  桂君            岩沢 忠恭君            田中  一君    委員            斎藤  昇君            中野 文門君            武藤 常介君            内村 清次君            大河原一次君            坂本  昭君            重盛 壽治君            村上 義一君   事務局側    常任委員会専門    員       武井  篤君   説明員    経済企画庁開発    部長      淺田 重恭君    農林省農地局計    画部長     秋濱 浩三君    運輸省港湾局計    画課長     東   壽君    建設政務次官  小沢久太郎君    建設省河川局長 山本 三郎君   参考人    新潟県知事   北村 一男君   —————————————   本日の会議に付した案件 ○理事補欠互選建設事業並びに建設計画に関する  調査の件  (信濃川分水問題に関する件) ○参考人出席要求に関する件 ○派遣委員報告   —————————————
  2. 森田義衞

    委員長森田義衞君) ただいまより委員会を開催いたします。  私前国会末、建設委員長に選任されました森田でございますが、きわめて不敏であり、ふなれでございまするが、今後皆様のお引き回しによりまして、円満なる委員会の運営をやって参りたいと思っておりますので、何とぞ御協力のほどお願いいたします。  それから委員変更の件を御報告申し上げます。五月十八日中野文門君、武藤常介君、北勝太郎君が辞任され、その補欠として森田豊壽君、草葉隆圓君、森田義衞君がそれぞれ指名され、五月二十一日野本品吉君、鈴木万平君、草葉隆圓君、森田豊壽君がそれぞれ辞任され、補欠として中野文門君、西田信一君、斎藤昇君、武藤常介君がそれぞれ指名され、また、六月十日中山福藏君が辞任され、補欠として北勝太郎君が指名されました。   —————————————
  3. 森田義衞

    委員長森田義衞君) お諮りいたします。委員の移動に伴い、理事一名が欠員になっておりますので、この際、その補欠互選を行いたいと存じます。つきましては、この互選の方法は成規手続を省略して、便宜その指名を委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 森田義衞

    委員長森田義衞君) 御異議ないと認めます。それでは私より西田信一君を理事に指名いたします。   —————————————
  5. 森田義衞

    委員長森田義衞君) なお、この際御報告申し上げておきます。建設事業に関する実情調査のための派遣委員の第三班は、都合により取りやめとなりましたので、その旨議長あて届け出をいたしておきました。以上御報告申し上げます。   —————————————
  6. 森田義衞

    委員長森田義衞君) それでは、本日は建設事業並びに建設計画に関する調査継続調査をいたします。
  7. 田中一

    田中一君 第二十六国会閉会後、われわれは院の決定によって福島県、新潟県等の調査に参りました。その際、長い間の懸案としていまだ未解決のままになっておりますところの、旧信濃川関屋分水計画並びに本流導流堤建設計画というものが、一応の結論は出ておるそうでございます。しかし、中央において何らそれを取り上げてない。ことに、各省間においても最後的な意見調整ができておらないというように聞いておりまするので、その点について、まずきょうは調査を進めていただきたいと思うのであります。ついては、新潟県知事北村一男君をこの際参考人としてお呼び願いたいということを要望いたします。
  8. 森田義衞

    委員長森田義衞君) ただいま田中君から動議が提出いたされました。お諮りいたします。田中君の動議通り北村新潟県知事を本日の委員会出席を求めることに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  9. 森田義衞

    委員長森田義衞君) 御異議ないと認め、さよう決定いたしました。  なお、この出席を求める手続につきましては、委員長に御一任願いたいと存じまするが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  10. 森田義衞

    委員長森田義衞君) 御異議ないと認め、さよう取り計らいます。  それでは、参考人の方から御意見を加わります前に、まず各班の委員派遣の御報告を第一班の方からお願いいたしたいと思います。
  11. 斎藤昇

    斎藤昇君 それでは、先般福島新潟両県下の建設事業調査に参りました第一班としまして、私から御報告を申し上げます。  去る六月十日から十六日まで七日間の日程をもって、田中委員村上委員とともに、福島県下は主として猪苗代水系及び阿賀川水系治水利水事業新潟県下は主として旧信濃川及び阿賀野川水系治水利水事業新潟海岸侵食対策事業及び佐渡島内建設事業等調査して参りました。  視察の経路を申し上げますと、まず郡山で下車、日程の打ち合せ等をいたしまして、猪苗代湖までに東京電力安積流水系の三発電所及び上戸揚水場の説明を聞きながら猪苗代湖に達し、湖北を進み、さらに裏磐梯に入り、長瀬川系の三発電所を見て引き返し、猪苗代湖排水口に当る十六橋水門より戸の日系の三発電所を経て会津若松に着きました。翌十一日は、会津若松から只見川水系に入り、東北電力既設発電所田子倉の逆調整池である滝発電所建設予定地を過ぎて、電源開発株式会社建設中の田子倉発電所まで参り、帰路は、支流伊南川をさかのぼって駒止峠から阿賀川本流の大川に沿って若松まで帰りました。翌十二日は、若松を出て日橋川、大川の改修工事視察し、阿賀川本流既設発電所を経て、東北電力建設中の上野尻発電所視察上野尻より磐越西線経由新潟へ参りました。新潟では、県庁で建設事情等を聴取し、日程を打ち合せて、直ちに問題になっている旧信濃川河状整理関屋分水地点新潟大火復興状況等視察して宿に入りました。翌十三日は佐渡へ渡り、両津港の修築計画及び両津都市計画視察し、行政協定関係道路の陳情を受けまして、米軍軍用道路を金北山に登り、新保川砂防事業等の説明を聞いて下りました。相同時を経て尖閣湾まで参り、引き返して相川に泊り、翌日は佐和田都市計画国府川改修工事視察し、新潟市周辺に問題が多いので新潟に帰りまして、関屋分水に関連のある新潟海岸浸蝕対策事業新潟港の状況を視察、さらに阿賀野川下流治水事業新片郷排水事業等視察して参りました。  以下概略を御報告申し上げます。  まず調査主要目標である只見川水系から申し上げますと、この地域は只見総合開発特定地域に指定されており、その目標は電源の開発灌漑用水の補給、森林資源開発、鉄道、道路など交通の整備等種々あげられておるのでありますが、その根幹となるのは、あくまでも電源の開発でありまして、他はすべて従と見るべきであります。すなわち只見川は豊富な流量に加えて、地形地質とも水力発電に適しており、標高千四百メートルにある尾瀬原貯水池以下の落差を余すところなく利用することによって、その包蔵水力は全国の約一割百九十二万キロワットに及ぶ本邦最大水力包蔵河川であります。只見川水力調査は遠く大正年間にさかのぼり、上流只見川は当時の東京電灯下流阿賀野川筋については当時の東信電気に始まり、下流筋昭和の初期から開発が進められましたが、中流及び上流は未開発のままに残されておりました。戦後通産省では、昭和二十一年以来只見川開発計画調査に乗り出し、自後引き続き日本発送電東北電力東京電力福島県及び新潟県においても調査をいたしましたが、大規模貯水池を有する上流部開発方式をめぐって、只見川本流に沿って開発する本流案と、奥只見地点より信濃川に流域変更する分水案とが対立し、政治問題にまで発展しようとしたことは御承知の通りであります。本流案分水案との論争は六年に及び、その間中流部開発は急速に進み、沼沢沼、片門、柳津、上田、本名等東北電力発電所の新設、宮下発電所増設等完成により、発電力合計五十万キロワットに達し、あらためて本河川開発計画が確立されるに至ったのであります。すなわち昭和二十七年九月に電源開発調整審議会において調査河川に決定した後、二十八年七月開発地点に決定し、その計画本流案を骨子とし、奥只見貯水池より信濃川下流土地改良計画に対する灌漑用補給水を隣接の黒又川に分水し、黒又川の流水を合せて黒又川発電計画を立て、非灌漑期においては、黒又川より只見川に逆に揚水し、またその建設用道路をして付近森林資源開発に寄与せしめようとするものであります。現在この開発計画に基き田子倉黒又川奥只見の三建設所開発は進められておりますが、今までのところ福島県側から通行可能なのは田子倉だけであります。  田子倉建設所昭和二十八年九月開設、現在はダム低部のコンクリート打設及びダムと一体となる発電所放水鉄管路の据付け中で、現場は活況を呈しております。三十四年七月に発電機二台により一部発電を開始、三十五年六月にダム完成とともに三号機の運転開始、さらに上流奥只見発電所の竣工を待って四号機を完成し、最終的には三十八万キロワットの出力を持つことになります。田子倉ダムは堤高百四十五メートルで、佐久間ダムにわずかに及ばないのでありますが、堤長四百七十七メートル、堤体積は百九十万立米で、本邦第一のものとなる予定です。また奥只見完成を待って、その大きな貯水量により、只見川には完全に洪水をなくすことができる予定であります。  田子倉発電所で問題になっておる点は、第一に、水量の調節により下流既設発電所発電量の増加、いわゆる下流増の問題で、現に下流東北電力発電所では発電機の増設を予定しておりますが、下流増による分担金の問題は早晩起ってくるものと考えられます。第二には、国鉄会津線の延長問題であって、現在発電工事用専用線として川口—只見間約二十キロの間は、発電所建設工期関係で六月未完成を期して急いでおりましたが、これに要する費用は約三十億円で、この路線はあとで国鉄線に払い下げられる規格のものとし、また国鉄工事を委託いたしております。ところで国鉄の新線計画にもいまだ上っておらず、買い受け価額の点も今後問題になるものと思われます。第三に、補償問題は大部分片づいておりましたが、残っているのは国鉄予定路線としての所有地及び国有林で、買収価額の点で折り合わないということでありますが、公共機関同士の話合いでありまするから、早急に妥結することを期待いたします。  下流東北電力の七発電所は、すべて最近新改築したものでありますが、中で沼沢沼揚水発電所は本邦で珍しいばかりでなく、四万三千八百キロワットの発電力は、この種のものでは世界屈指のものであります。  次に猪苗代湖について申し上げますと、猪苗代湖は周囲五十三キロ、わが国第三の湖水であり、明治十五年オランダ人ファン・ドールンの設計になる安積疏水完成し、安積平野の海潮を行なったことは有名でありますが、古くから灌漑、雑用水猪苗代湖を利用するものに戸の口、布藤両堰があって、会津盆地及び磐梯村に灌漑いたしております。昭和十六年小石浜制水門による湖面低下工事完成により、猪苗代湖利用水深は、以前の三尺二寸より十尺七寸、三・二四メートルとなり、この有効貯水量丸ビル容積の一万二千倍に相当し、電力に換算すれば二億キロワット・アワー、またこの貯水の水位を一センチ低下することによって得られる電力量は、東京都の需要を一時間まかなえるということであります。  日橋川を含む猪苗代湖水系発電所はすべて東京電力の所管で、水位の操作もまた東京電力に委託されておるわけでありますが、昨年七月の出水には日橋川の破堤によりはんらんし、家屋の浸水百余戸、田畑の冠水二百三十町歩に及んでおります。これに対し阿賀川改修計画の一端として日橋川改修が行なわれているのでありますが、口橋川は全体で四億二千万円で本川大川との合流点付近のショート・カットに重点がおかれております。日橋川の今年度の予算は千八百万円、大部分が用地費であり、工事費はわずかに二百二十万円で、いささか心細い感じがいたしますが、それにもまして日橋川下流計画洪水量千百十立米パーセカンドに対し、猪苗代湖排水口である十六橋制水門計画量は約五十五立米パーセカンドとのことでありましたが、この水門の許可放流量は八千箇、約二百二十三立米パーセカンドで、また破堤するのではないかと思われます。この計算には百年洪水を採用し、昨年の洪水は支流の出水が大きかったようでありますが、またこの計画洪水量については検討中とのことでありましたが、急いで結論を出していただきたいと感じた次第であります。  阿賀野川福島県内本流阿賀川と呼んでいますが、ここでは東北電力建設中の上野尻発魔所視察いたしました。この地点は中下流部に位し、その特徴は低落差、大流量の発電であり、落差十四メートル、最大使用水量四百三十立米パーセカンドで、その発電力最大五万二千キロワット、発電機の大きさが非常に大きくなり、ダムと一体として発電設備の据付けが行なわれて、現場はなかなか活況を呈しておりました。  次に、新潟県で最も重要な問題は旧信濃川河状整理に関する関屋分水計画であります。信濃川下流蒲原平野一帯は、土地低湿であるために、古くから信濃川の水害に苦しめられることがはなはだしく、明治四十年に起工し、大正十一年に通水した大河津分水の大工事により下流一帯の水害ははなはだ少くなったのでありますが、一方旧信濃川洪水時の土砂の海へのはき出しがきかず、最近に至って河口の土砂の埋没がはなはだしく、新潟港として利用している河口港内埋没土星は年間百五十万ないし百八十万立米と推定されております。このため新潟県では、新潟港を旧信濃川と堤防によって分離するよう運輸省の認可を得て計画を進めてきておりましたが、これでは港内を狭くせねばならぬし、また河口浚渫工事は依然として残されるわけであります。のみならず旧信濃川中流部においては河床の上昇のため田畑の排水が不良となり、新潟市内においても排水が不良になっている現状から、この際、市の西方関屋付近日本海に抜ける新水路を開さくし、河口及び新潟港内の埋没を防止し、洪水を短距離で海へ放流することにより、上流洪水を低下せしめ、沿岸低地排水を有利にし、さらに市内旧川の一部を浚渫土によって埋め立て、土地造成をはかるとともに、運河による交通をはかるというのが関屋分水計画目標であります。  一方新潟海岸侵食ははなはだしく、この四十年の間に三百メートルも海岸線が後退しており、この海岸侵食防止工事として約十億の工事を行なっておりますが、最後の砂丘によってわずかに新潟市は守られているといったきわめて心細い状態であります。この海岸侵食も大河津分水による新潟海津への土砂の供給不足から来ているという説もあって、関屋分水もさらにこれを促進するのではないかという心配もないわけではありません。いずれにしろ関屋分水関係するところは、河川、港湾、耕地、加うるに海岸と、はなはだ多方面であり、また学理的究明もされなければならないのでありまして、短時日の調査ではその概要をつかむ程度にすぎないのであります。従ってこの問題につきましては、後刻本委員会の決定を得まして、新潟県当局並びに関係各省に伺い、従来の研究の結果を詳しく御説明願いたいと思っております。  佐渡島内建設事業につきましては、両津港の修築計画両津市、佐和田都市計画国府川改修計画等種々ありますが、それぞれに工事も進行しており、最も問題になるのは行政協定関係道路についてであろうと思います。これについては、去る二十五国会において請願百十四号佐渡島内駐留軍使用道路の補償に関する請願が本委員会にも出ており、採択いたしております。われわれが参りましたときは、たまたま米軍のトラックも少いようでしたが、両津市から金井村の新保に至る九キロの県道は、駐留軍大型トラックで損耗することは確かであって、この舗装については、行政協定関係安全保障諸費か、一般道路事業の補助で行うかの二通りがありますが、建設省の御意見も承わりたいと思っております。  以上、長くなりますので、この程度で御報告を省略させていただきますが、詳細は持ち帰りました資料をごらん願います。以上をもって第一班の報告を終ります。足りないところがありましたら、村上、田中委員から補足を願いたいと思います。以上であります。
  12. 森田義衞

    委員長森田義衞君) それでは、ただいまの御報告について御質疑はございませんか。
  13. 田中一

    田中一君 今、斎藤委員から報告があったように、関屋分水本流導流堤工事に関しては、われわれつぶさに現地を見、かつ関係者報告意見も聞いて参りましたが、地元の北村知事をきょうお呼び願ったので、この点について歴史的な今日までの経過をまず最初に御報告願いたいと思います。そしてそれによっていろいろ各省の方がお見えになっておると思いますが、御意見も伺いたいと、かように考えております。委員長、まず北村知事から。   —————————————
  14. 森田義衞

    委員長森田義衞君) それではこの際、信濃川分水問題に関する件を議題に供しまして、参考人北村新潟県知事から本件について御意見を承わりたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  15. 森田義衞

    委員長森田義衞君) 御異議ないと認めます。  それでは北村参考人から御意見を承わることにいたします。
  16. 北村一男

    参考人北村一男君) 今斎藤議員の御報告を承わっておりますと、いわゆる旧信濃川関屋分水、それから今これを一般に信濃川新潟港河口分流と申しておりますが、港の中に信濃川川尻を持ってきて、防波堤を破って日本海に流す河口分流関屋分水というものは、これは中央におかれても相当量要視しておられまするし、新潟県あげて非常な関心を払っておるというような状態でございます。たまたま先般本委員会から三議員がお見えになりました節も申し上げたところから、国会としては初めて私どもの意見をお聞き取り下さる、こういうようなことに相なりましたことは、まことに感謝にたえないところでございます。  この問題は申すまでもなく、今斎藤議員が御開陳になりました御報告の中にも盛られておりまするように、一番端的の問題としましては、新潟港が毎年一億くらいの浚渫費をかけないと港としての用をなさないと、これはどうした力がよろしいかということで、主として御所管運輸省におかれまして御研究なされ、また県においても研究いたしまして、当時は導流堤というのが、御視察においでになりました議員皆さん承知でありますが、港の中に川を作った方がよろしい——信濃川川尻を港の中に作りまして、そして防波堤がここにございますが、防波堤を破って川尻を持ってきた方がよろしい、こういうことに当時の県の当局も考えまして、運輸省にぜひかような工事をすることの御承認を願いたい、こういうことをお願い申し上げまして、一応港湾計画会議におかれましては、それがよかろうということに相なったのでございます。ところが信濃川には、建設省からずっと御配慮を願っておりますが、河状整理という問題があって、ことしも相当額予算をつけていただいてその仕事を進めておるのであります。話が前後いたしましたが、この河口分流につきましては、まん中堤防をかなり作っておりますので、港域を狭め、御承知のように新潟港にはソ連から今相当のたくさんの材木が入って参っております。こういう港域を狭くいたしまして、刺身ぼうちょうみたいなものにしてしまいますと、ここで木材を積みおろす際には、特に風でも吹くときは木材が散乱して、港は役に立たぬということで、港湾業者こぞってこの河口分流——この防波堤を切って川を作るということには反対いたしております。こちらはほとんど使い物にならぬ、西の方は使い物にならぬというような反対の声があり、また衆内の議論というものは、県会でも自民党、社会党その他の中立派もあげて河口分流には反対である。どうしても関屋分水と申しておりまするあの計画を推進してもらいたい。港の一点から見ましても、もはや新潟県内には河口分流なんと言う人はないのであります。そんなことをうかうか言うと、袋だたきにあうというようなことで、今河口分流の声は全く沈黙状態にある、こういうことに相なっておるのでございます。ところが信濃川河状整理と申しますのは、今この辺まで進んでおります。ずっと川のまん中を深く掘りまして、斎藤議員が仰せになったように洪水調節をしなければならぬ。深く掘りますからだんだんこの両岸に土地ができてくる。今この辺には大きな島が川の中に、この辺にもございますが、畠ができております。揚子江のようなわけには参りませんが、ちょっと大陸的の様相を備えておる。こういうような状態でございまして、それが洪水のときじゃまになるというので、建設省の御配慮によりまして、この辺まで工事が進んでおります。だんだんずっと参りますと、この信濃川の、旧信濃川というのは今御報告の中にありました大河津というのがこの上流にございますが、その間にできる耕地がおよそ千二、三百町歩、大きく言います人は二千町歩耕地並びに工場敷地ができるこういうことになっておるわけでございます。そこで両方の議論一がしきりに戦わされておるのでありますが、これをやりますには金がよけいかかる、金がよけいどのくらいかかるかというと、先ほど岩沢議員も四、五十億かかるのではないかと言われましたが、さすがに練達の士でありまして、よく言われました。これは四十億ばかりかかる。四十億かかるから多いと言われますが、秋田八郎潟干拓に、今度東北開発にからめて国が出される金が百五十億、それでどのくらい米が増産できるかというと、秋田知事は五十万石と言っておりますが、五十万石はできません。これは私の方がくろうとでありまして、よくわかりますけれども、四十万石できればいい、人の計画なんかどうでもいいんですが、それに百五十億出される、こういうことでありますから、これは金の問題は四十億といえども私は大した問題ではない、大した問題ではないという理由はまた後刻申し上げますが、四十億かかるということが一番大きな障害になっておるわけであります。ところが千五、六百町歩土地ができる、それから新潟にここに三分の二水をはかして、三分の一だけ港がきれいになるように水を通す、こういうことになっておるのでありますが、三分の一ならば、当然川幅は三分の一でよろしいのですから、これをずっと埋めて参りますと、ここに三十一万坪の土地ができる。今新潟は三十億から五十億の工場天然ガスを中心として新潟周辺だけで七、八の工場ができる計画になって、もう着手し、今計画し、あるいは御視察になりました議員皆さんもごらんになったように、もうすでに完成して操業している工場もありまして、天然ガスだけの原料を使った化学工業工場が七つ八つできることになっておりますが、遺憾ながら土地が少いのであります。工場敷地が少い。でありますから、新潟の地価というものは東京の地価と大して変らぬのであります。市内で坪三十万円とか四十万円とかいう土地が少くない。工場敷地にいたしましても、相当こんないなかの所で三千円とか四千円ということになって、これが難点になっておる。しかし下を掘れば原料の天然ガスが無限に湧いてくるのでありますから、まあ三千円、四千円でもがまんして土地を買って工場を作る。もはや市内にはございませんので、かなりさかのぼりまして、この辺の島に今度三井化学工業工場を作る、こういうように土地が非常に逼迫しておりますとき、この分水によって三十一万坪の土地がここに造成されるということは、新潟県市にとりましては非常な魅力となっております。ですから、まあどこかから金を貸してやらしていただければ、県はこの土地を先売りして坪一万円で売れるのでありますから、三十一億円取れる。ただそれを推進する資金がないというので、今弱っておるのでありますが、そういったような非常な一番欠点である土地の造成が市内にできる。それから、これから上流洪水の時期には、こういうふうに大迂回をして港の方へ、海の方へとかく行くのがまっすぐに、ほとんどまっすぐに出る、こういうような特長もあるわけでございます。それから先ほど申しましたこの上流土地の造成ができる。こういうような利点があるわけでございます。  ここに分水事業費四十三億と言いますけれども、これは土木部で立てました設計でありまして、観兵式の訓練的な設計である。もしも実戦の雄が立てますれば、私はこんなにかからぬと思っている。私をして言わしむれば、これはここの方をちょっと大きく掘りましても、ここは砂丘でありますから、砂のことでありますから、おのずから流れて日本海に出るのでありますから、これはこれらの土壌をみんな動かすときに四十三億かかるというのでありますから、水の力を借りれば——これは私の計算でありますから、私は土木の方の経験はないからあまり大きなことは申し上げられませんが、三十五億円ででき上るのではないかと思うのであります。そういたしますと、かれこれこの土地の代金とこの分水の金というものは、まあほぼとんとんで合うのではないか、こういうふうに思うのであります。そうしてこの幅をこう狭めれば、今万代橋というのは五億六千万円ぐらいないとできないということでありますが、それが三分の一でできるとなると、この辺に橋をたくさんこしらえて……新潟の大火のときに一番困りましたのは、ポンプには事を欠かなかったのでありますが、橋がございません。万代橋とここに昭和橋というのがございまして、これは今日でも腐朽しておりますから、ここにその隘路ができまして、近くの町や村から来たポンプがみんなこの辺にとまって、この辺が焼けたのでございますが、この辺まで来ることができなかったというようなことがありますので、ここに橋をかければそういう災害の場合にも事欠かぬようにできる、こういうようなことになるのであります。  ただ、ここに率直に申し上げておかなければならぬのは、この問題について地元がことごとく意見が一致しているわけではありません。新潟の市会でどうして一体この河口分流がいいということを一、言うたのかしりませんが、きっと当時の知事は、私のようには政治力のない男ですから、市会の応援でも得ようというのでやったのじゃないかと思うのであります。それで市会の一部の者が、われわれはかつて議決したことがあるから、どうも今にわかに賛成しがたいというようなことを言うている者があるそうでありますが、私には直接言うた者はありません。言えばやかましいものだから、そんなことを言い得ないのだが、陰に回ってこそこそ言うているのがある、こういうことを聞くのですけれども、もはや白昼公然と河口分流なんと言うのは新潟にはいない、一部分陰で言う、こういうような状態であるわけであります。私どもは今日まで、ここに港湾局の計画課長もお見えになっているので、はなはだ申し上げにくいのでありますが、運輸省にこれをお願いしたのでありますが、これは信濃川の流域変更でありますから、当然建設省でお取り上げ下さらなければならぬ、建設委員会でお取り上げ下さるのが妥当であるのじゃあるまいか。これは建設、運輸の、両大臣御同席のところで私は申し上げた。両大臣は反対されませんでした。両大臣で話し合ってみよう、こういうことなんですから、両大臣とも私の説には一応了承されたわけなんであります。今度改造になりますからどうなりますか、これを私は案じているのでありますが、両大臣は一応了承されたのであります。でありますから、この問題は建設省の問題でありますから、建設委員会でお取り上げ下さる問題であって、たまたまここから砂をかき出して、港へ砂が行かぬようにすれば、運輸省で毎年おつけ下さる約一億の浚渫費というものが省けるというのだから、建設省でもお喜びになるのじゃないかと思っております。  そこで、今日までそういうようなことを考えないというのは、私のようにたまたま参議院に八年出ておった人間が知事に出なかった。ようわからなかった、中央とのつながりがわからなかった、こういうとなんで、私はこれだけでも参議院に八年いたかいがあった、こういうふうに喜んでおる次第でございます。  そこで、今度七月の十六日にソ連の世界学生友好親善会に日本から五百名の学生、青年を乗せて行く、こういうことになっておりますが、どこへ船を入れるかと、よく考えたら新潟港以外にない。もっとも新潟港にはソ連をよく理解している知事がいるということも一つの大きな理由であったのですよ。これは決して自慢するわけじゃありませんが、ソ連の国情をよく理解している、私は滞ソ八年の体験があるからよく知っているのであります。でありますから、あすこには物わかりのいい知事がいるということも一つの理由であったのでありますけれども、また港が悪ければ、知事ばかり理解しておっても船が入れない。でありますから、これはそういうようなことでソ連から見ると、新潟の港というのは非常にいい港でありますから、御承知のように河口港には河口港の特徴があるのですけれども、これは計画課長に伺いたいと思いますが、世界の河口港で、港の中で川を作るなんというのは、僕はこの計画をもって嚆矢とするのじゃないかと思うのであります。でありますから、まず私は港という利用度から見ても、利用価値からみても、この計画計画会議で一応おきめになったというのだけれども、新潟県にも港湾の審議会というものを作って、中央の権威者も網羅しまして、今審議していただいているのでありますが、中には、やはり前の計画会議でおきめになったということにこだわりをお持ちになって、これをやればいいじゃないか、一応やってみて悪ければ、またそのときは直せばいいじゃないかというけれども、十何億かかる。これは河口分流計画十二億となっていますけれども、これはこんなことでできるものじゃありません。どうしてかといえば、これは西北の季節風というのが、御案内のように日本海共通の風が冬になると吹く。そうしますと、防波堤を二百五十メートル切りましたならば、一体新潟の港はどうなる。これは施設が全部こわされてしまう。去年の十二月の四日か五日のあの大風で、かなり丈夫な防波堤まん中六十メートルふっ飛んでしまった。そこでこの施設は被害二億円ばかり、これは民間の埠頭でありますが、被露二億円ぐらいの大きな損害を受けた。だからそこを、防波堤のあるところを切ってしまったならば、これは新潟の港は使いものになりません。そこで、ここに鉄工所があります。二、三千トンの船を作る造船所もありますが、これらはもう機能が喪失してしまって、これをどこにやるか、移転を命ぜればいいじゃないかというような第一港湾建設局長の話でありましたが、移転を命じたって、どこに一体移転するか、港に必ず必要なものでありますが、これの行き場所がない。かりにどこかに立ちのきをしてもらったとしても、これは十五億ぐらいの移転費がかかる。だからこの十二億の上に十五億プラスしなければいかんのを、これをプラスしてない。これは正直に持って参ったものでありますが、この計画は、だから観兵式の訓練で、実際の役に立たない予算である、私はかように考えております。そこでなお、ここらにも工場が多いのでありますが、これは用をなさなくなる。去年の十二月の五日の風浪の体験からいきますと、どうしてそんなふうになったかというと、これは、新潟で一番大きな問題に地盤沈下という大きな問題がある。地盤が沈下しておりますから、新潟市民や漁民や港湾業者は潮位が高くなった、海が高くなったといいますけれども、海が高くなったということではなくして、地盤沈下のために防波堤が低くなったから防波堤の役を果さなくなってきておる、役目が減ってきておる。そのときにこれをやりましたならば、これはどういうことになるか。これは海岸計画にも大きな問題でありますが、こんなことによって起きる被害というものは甚大なものがある。国際港としての新潟港の価値というものはなくなるということになるのじゃないかということを非常に皆心配いたしております。でありますから、そうすればここに昭和石油とか日本石油とかいう製油会社がございますが、タンカーが入ってきますが、御承知のようにタンカーは、もうマンモス・夕ンカーで、十万トン以上のタンカーでないと採算がとれない。新潟に入ってくるのは一万二、三千トンのタンカーしか入らない。と申しますのは、これをつけて船を回そうとしても、導流堤というじゃま物がありまして船が入らない。そうしますと、せっかく港について今まで便利であった製油所というものが立ちゆかないような事態になる。新潟の産業というものは、こんなことをされると非常に困る状態になる。  こういうようなことをいろいろな点から考えまして、二つの案のうち河口分流、港の中に川をこしらえるというようなことは、これはやめてもらわんけりゃならぬ。これは運輸省ではごきげんが悪いかもしれませんけれども、運輸省のごきげんをとっておって、そうして港百年の大計を誤まるというようなことは、地元の知事としてはどうしてもできない、こういうわけでございます。で、悪かったらこれをふさげばいいじゃないかということは、これは暴論と言わなければならない。もう一たん悪くなって、この辺を荒されちゃって、ふさいだときはどうなるか。あんな危険な港には、ことに外国船などは船長が神経質になって、ここに入るとは申しません。でありますから、こういういい港があるのですから、港を自然に利用して、一ぺんここから砂を流さないようなこういう分水をしてもらいたい。しかし、これは港本位ではなくて、私どもは今申した河状整理によるいろいろの特典を一つ新潟県に与えていただきたい。繰り返して申し上げますが、斎藤議員の御報告の中にもありましたように、洪水などもありますが、洪水がどんどん入ってくる。だから砂を合せて流す。それから河状整理によって、まん中にある淺瀬とか大きな島もありますのですが、そういうものをどんどん取り払って、水はけがよくなるようにする。そうすると、ここは米の産地でございますが、一年でもって七十万石、八十万石という米を、ここらはみな米の産地でありますから、そこの地下水が自然に下れば——新潟県の土地改良の必要というものは排水であります、この辺は海抜以下の所やマイナスの所もありますので、そういう所の地下水が自然に下ってくれば、八郎潟のごときものではない、何十万石の増産が期待できる、こういうことに相なりますので、今田中先生から歴史的と仰せになりましたが、歴史をたどればこれは御報告申し上げることは際限がございませんが、かつてこういう計画運輸省港湾計画会議で、一応委員各位の中に反対なさった方もあるそうでありますが、きめられているのでありますけれども、これは運輸大臣の御参考になる諮問機関でありますから、運輸省としてまだおきめになっているのかいないのか、私はきまっていると思ったら、岩沢議員からそれはお前知らないのだ、これはまだきまっておらないのだ、計画課長に伺ってもまだ運輸省としての省議や何かではきまっておらぬようであります。きまっておらぬのは非常に私どもには助けになるのであります。  大体美点と欠点を数えたわけです。これに対しては今申すように四十三億かかるじゃないかというようなのが、ただ一つの反対であるわけでありますが、これはちょっと今の金で四十三億でございますから、大したものじゃございません。これはもう金目のものができるのでありますから、ほんとうに本委員会の御尽力によって、十億か十五億私に貸して下されば、新潟県の事業としてやりたいと思うくらいの事業でございます。  以上、また御質問があればお答え申し上げますが、ざっと概況だけ申し上げました。
  17. 森田義衞

    委員長森田義衞君) どうもありがとうございました。
  18. 田中一

    田中一君 今の北村知事のお話よくわかりましたが、それだけじゃあなたは主唱者であって、政府の方はどういう見解を持っているかわかりませんから、一応全般として運輸省、それから農林省、建設省、それから全体的な計画として、総合計画としての企画庁の意見を伺ってから質問したいと思います。委員長運輸省の方から一つ今までの審議会のもって来たった経過を御説明願いたいと思うのですが。
  19. 森田義衞

    委員長森田義衞君) 御参考までに、きょう政府側から経済企画庁開発部長の淺田君、農林省の農地局計画部長秋濱君、運輸省から港湾局計画課長の東君、建設省から政務次官の小澤君、河川局長の山本君が御出席になっております。  それでは順次政府側から御説明を承わりたいと思いますが、まず運輸省の方から先に御説明願います。
  20. 東壽

    説明員(東壽君) 私の方から今の新潟県知事さんのお話しになりました点の中で、港湾局が計画についてとって参りました態度と、現在に至った経過、これを申し上げさしていただきたいと思います。  先ほど運輸省港湾計画会議、そこでこの案が決定されたというふうになっております。三十年三月十六日に新潟港の管理者である新潟県知事がこの案を提出いたしまして、それに対しまして、運輸審議会というのがありますが、その港湾計画会議でこれを決定しておるわけであります。それでこの案を県が作りまして運輸省に出しますまでに、次のような経緯でもってこれを作られております。終戦後すぐ裏日本の、ひとり新潟港でありませんので、秋田、酒田、新潟、伏木等の河口港に対しまして、埋没対策につきまして、日本海河口埋没対策専門委員会というものが作られたのであります。これは新潟県知事が会長になっておりまして、その中に新潟港委員会というものがその新潟港を担当して計画をいたしております。これには港湾の諸先輩、それからまた地元の方々も入られまして、これを検討いたしておりましたが、その新潟港におきましての問題は、その一つとしまして、年間約百万立米に及ぶ砂が年々港湾埋没せしめておるのであります。これに対する維持補修費が約一億円ずつくらいを支出しております。それで元来港湾局の方では維持に関しましては、それは港湾の管理者である新潟県がやることなんでありますが、従ってそれに対して国の分担あるいは補助ということはしないようなことになっております。港湾法ではなっております。しかし非常に大きな量でありますことと、港の本質的な問題でありますので、これに対して国としての補助を出しまして、ずっとその計画をしております。これに対して年々それだけの、新潟港の修築費のほとんど大部分を維持にしておりますので、これを何とか解決する方法がないか、これが第一点であります。  第二点は、終戦後全国の戦災復旧港湾計画を立てたのでありますが、その後油の関係その他で船の大型化の問題が起って参りました。大体まあ新潟港は七メーターから八メーターを維持する計画でもってずっと修築の方針として参っております。ところがそれを維持するのに今申し上げたような土量の維持、補修がいるわけであります。ところが最近の情勢が、それが少くとも水深九メーターの程度に港を必要とするということになりましたので、そのための対策はどうするかという問題が起って参りました。  それから第三番目に、これはぜひいわゆる関屋分水との関連において、御検討願うときに特に必要でありますので、少し詳しく申し上げますが、新潟海岸の決壊の問題であります。それでこの問題は例の信濃川によりましてできます砂州が大河津の分水によりましてその補給源を断たれて、結局その砂州がだんだんと後退しておる、これは先ほど知事さんも言われた通りでありますが、現在それに対しまして約十億の海岸決壊防止の工事を行なっております。ところがこの海岸決壊防止の対策は、表面に現われたもののみについてしておりますので、現在まだ私たちは技術的な研究を進めておりますが、その根本問題はやはり海底の勾配がだんだん急になってきておることにあるのであります。明治三十七年くらいの例で申しますと、約現在の海岸線から六百メーターの地点海岸線があります。ところが大河津分水大正十一年に完成しまして、それから砂の補給源を断たれましたため、昭和十八年には約六百メーターの個所におけるゼロでありました水深が四百メーターくらいになっておる、それから昭和二十五年、六年当時におきましては、約七メーターにその水深がなっております。その水深がなっておりますことは、海底の勾配はそれだけ急になりましたのですから、波が非常に押し寄せて参る、それで波は大体水深四メーターくらいの所がくだけます。これが一番強いものとしてそれから一つの流れのようになってぶつかって、砂をだんだんとっていくわけでありますが、現在そういう状態のもとに六百メーター後退して、砂丘が三つありました最後の砂丘によってこれを維持しておるわけであります。それで終戦後私たちはこの海岸決壊防止のために十億の海岸決壊防止対策というものを立てまして、潜堤と縦堤とそれから護岸によってこれを防いで参りましたが、それと同時に浚渫した土砂を毎年そこに補給いたしまして、やや今安定の状態にあるのであります。従って潜堤と護岸、それから縦堤だけでもってこれをなし得るものではなくて、その海底の勾配をなお急ならしめないように、その砂を補給することが必要なのではないか、従ってその砂をどういうふうにして補給したらいいか、ポンプ船でもって浚渫しますのを、今までは全部それをそこへ補給して参りましたが、それをいかにして補給するかという点に対する対策。以上申し上げました河口港の埋没をただ浚渫するだけの金はもったいないので、それだけの金を何かの方法に変えることによって、さらに港の発展の積極的な対策にこれを使うことをする方法はないか、これが一点と、それから大型化の問題で、水深九メーター程度の港にするためにはどうしたらよいか。それから三番目には、新潟港の、新潟市の宿命である海岸決壊を——護岸が決壊するのではなくて、海底の勾配が急になって参りますから、それに対する対策を、砂を補給することと、表面に出た護岸を決壊しないようにすること、この三つが大体あそこの地図にも出ておりますが、そういう計画を立てております。これを港湾管理者である新潟県知事港湾計画会議に、本省に提出したのであります。  そこで、私たちは長い間の研究の結果でありますので、これを計画会議にかけまして、三月十六日に決定をいたしました。ところが予算要求をいたしまして、実施する段階になりましてから、新潟県知事の方から関屋分水の案が出てきて参りました。それで一応様子を見るためにそれをとめたんであります。その後今年になりまして、知事の諮問機関としての委員会を、新潟港改良調査協議会という協議会を作ることによってさらに論議を尽したいということでありました。多少この計画会議までに至る経緯を、当事者でありませんが、その後記録によって調べてみましたところ、なるほど論議を尽さない点があったようにも思われます。それからまた公共事業の本質としまして、これは多くの人の利害というものの最大公約数的なもので非常に論議を尽しまして、当然そこにある程度のがまんをしていただいて、そして公共の仕事というものが計画されると思います。そういうような点でさらに論議を尽されることはけっこうでありますので、その協議会にどういうことが論議され、まあとりあえず今のこの計画に対するいろいろ反対意見が出ておりますが、港の規模を縮小したということ、それから左岸が現状以上に悪くなるのではないかという不安に対する問題、そういうものが出て参ると思います。それから関屋分水に対する計画がさらに検討されると思いますが、そういうことが検討されることによって、先ほど申し上げた論議が尽されましたら、私の方ではまたこれをどういうふうに扱うかをきめたいと思う。ただ、今いろいろ意見を言うべきであるかもしれませんが、それは今までの研究の結果もいろいろあります、技術的な問題もありますが、今差し控えたいと申しますのは、私たちが申し上げることは非常に何かイニシアチブをとるようにとられるおそれがありますので、私たちの出先が出ておりますし、また港湾の先輩がみなこれに全力をあげておりますので、その決定を待ってから私たちの方は処したい、こう考えております。  以上で簡単でありますが、報告を終ります。
  21. 森田義衞

    委員長森田義衞君) 次に農林省から御説明を願いたいと思います。
  22. 田中一

    田中一君 私は農林省に伺う要点をちょっと申し上げたいのですが、現状のままで、現状のままというのは、今運輸省の計画課長から伺った計画会議決定案と、それから関屋分水によるところの両方の考え方に対して、農林行政といいますか、土地改良といいますか、そうした総合的な農林省の立場から見るところの利害を伺いたいと思うのです、この上流地における土地改良の面について。
  23. 秋濱浩三

    説明員秋濱浩三君) 局長都合が悪うございますので、私計画部長でございますが、かわって御説明申し上げたいと思います。  この信濃川建設省所管の直轄河川でございまするので、これに関する調査建設省に伺わなければなりません。それから分水の計画につきましては、農林省はこれに今まで私どもタッチしておりませんために、その内容を十分検討してからでなければ詳しいことは申し上げられないと思うのでございますけれども、現在までの計画を聞かしていただきますと、この分水によりまして、その上流地点土地改良事業にどのような影響があるかという点につきまして申し上げてみたいと思うのであります。そのためにこれを二つに分けまして、海岸に近い部分の土地改良事業が分水によって海水の影響をどの程度受けるかという問題と、それからもう一つは、上流のいわば大河津分水から関屋分水——先ほど知事さんからも御説明のありました関屋分水点までの土砂の沈積状況と、土地改良の事業に対する影響という二つの点を申し上げてみたいと思うわけであります。  第一の分水に関係いたしまして、分水をいたしますと、おそらくそこに海水の影響がある点、つまり干潮点がどの程度上昇するかということにつきましては、今後のしっかりした計画ができましてからの問題でございましょうが、先般の新潟県の信濃川河状整理委員会調査によりますと、大体現在の分水計画によりますと、万代橋付近で平水位が六センチほど低下するということでございまして、そうしたことから推定いたしますと、ここに影響されますものは、亀田港の土地改良地区とわれわれ申しておりまするが、その地帯のうち、この船通川とそれから栗ノ木川の沿岸の土地改良事業でございます。これがここに両方合しまして大体十七カ所の取水口を持っておるわけでございます。これらが海水の影響を受けるであろうと想像されるわけであります。しかしこれにつきましては、栗ノ木排水機場からサイフォンによりまして取水する設備を作ることによりまして、この被害を解消することができるのではないかと私ども考えておる次第であります。分水の海水の影響につきましては、現在のところその程度に私ども考えております。  それからもう一つの上流地方の、川の上流土砂の堆積状況について申し上げてみますと、これも、先ほども申しました信濃川河状整理委員会調査によりますと、大体大河灘分水の点から中ノ口川の分岐点、つまりその地点から八キロの地点でございますが、その地点が大体河状が河床が変化しておるということでございます。それから中流部は大体安定しており、それからその下流が上昇しておるということでございまして、これらによりまして、私どものやっております土地改良事業に影響する点を申し上げてみますと、大体信濃川から取水あるいは排水等、これに関連して信濃川を利用しております土地改良事業の受益地帯は現在のところ五万町歩ありまして、そしてそこに取水あるいは排水をやっております個所が大小取りまぜまして、ごく小さなものは、たとえば蛇かご式の取入口、そういったものまで計算いたしますと、六百六十ほどの取入口その他を持っておるわけでありますが、このうち河床の上昇によって現在影響されておるもの、あるいは将来影響されると推定されますものは、大体百五個所かと思うのであります。  なお、信濃川の河状が年々変動いたしておりますために、先ほど知事さんからも申されましたような河状整理をいたしますと、そこに耕地ができるという問題もございまするし、なお河川の流域の堤外地等は排水不用に陥っている部分もあるように調査の結果が示しておりまするので、これらはこの河状の整理をいたされますと著しく改善されるであろうと私ども考えておるわけであります。  なお、信濃川分流によってこれらの上流地点土砂の堆積がどのように影響されるかという点につきましては、建設省等の御意見も承わってからでなければわれわれ目下のところ申し上げられないと思うのであります。  はなはだ簡単でございますが、私どもとして現在考えておりますところを申し上げた次第でございます。
  24. 森田義衞

    委員長森田義衞君) 次に建設省から御説明を願います。
  25. 山本三郎

    説明員(山本三郎君) ただいま運輸省並びに農林省から御説明がございました。私どもといたしましては旧信濃川の——多少重複いたすかもしれませんが、旧信濃川の全般的な問題を御参考までに簡単に御説明申し上げたいと思います。  ただいま知事さんから御説明がございましたこの新潟地点は、昔におきましては信濃川の全流域の河口に該当しておったわけでございますが、それを明治の初めから明治の終りごろ、明治四十年ごろだと思いますが、先ほどからお話がありましたように、河口から上流約五十数キロの地点から日本海に放流いたしまする大河津分水工事を始めまして、大正の終りにこれが完成いたしたのでございます。そういたしましてこの大河津分水洪水のほとんど全部を放流いたしまして、最大洪水時におきましてもこの旧信濃川には信濃川の木流から約二百立方の毎秒の流量しか入れないというふうな構造物を築造いたしまして、本流の蒲原平野に対する洪水の害をそれによりまして除却いたしたわけであります。その後におきましてこの大河津分水から下流新潟に至る間の河状につきましてその後相当長い年月を経過いたしておるわけでございまして、その間に先ほど農林省からお話がございましたように、大河津の分水のところにあります洗堰というので区切っておりますが、その下流は河道が潜掘ぜられ、それからその下流におきましては安定しておる、それからその下流に至りまして堆積が相当ひどいというふうな状況に相なりまして、しばしばこれを何とかしなければいかぬという問題にされておったわけでございますが、終戦後に至りまして新潟県に旧信濃川河状調査委員会というのができまして、これは先輩の技術者の方々が顧問になり、また学校の、大学の先生等も参与に相なります。そうして新潟県の当時の副知事の野坂相如さんが副委員長になられまして、建設省、農林省、それから県の担当の土木農林方面の方々が委員になりまして、この旧信濃川の問題をどうするかという問題を検討したわけでございます。  先ほど農林省から御説明がありましたように、この旧信濃川は蒲原平野の五万町歩という広い面積に重大な関係を持っているわけでございまして、これの用水、また排水の重大な幹川をなしているわけでございます。従いまして、これをいたずらに水位を下げてしまうということもできないわけでございます。従いましてその水位を灌漑にも支障のないように、また排水にもよきょうにというふうに考えなければならぬという点がありましたので、そういう点に特に注意を払いまして研究されたわけでございます。そうしてその計画の基本といたしまするのは、この旧信濃川は従来におきましては、信濃川の全流量を受け持った川でございますので、川幅が非常に広いわけでございます。従いまして、本流の水は大河津分水に参りましたけれども、旧信濃川におきましては、川幅が非常に広いために堆積が起ったりいたすおけでございまして、これを適当な幅に狭めまして、しかも深さを川の流れに適するようにいたしますならば、堆積も起らないで済むというふうな持論を通しまして、川幅を大体そのところのふだん一番多く流れる流量に応ずるような川幅にする、しかも深さもそれに応じた深さにする、しかもその川底の土質も十分調べまして、それに応ずるような川幅の勾配なり、幅なり、深さを決定いたしまして、その信濃川河状整理計画を立案したわけでございます。  それで、その工事昭和二十七年から新潟県が事業主体となりまして、建設省が補助を出しまして、旧信濃川工事といたしまして、中小河川の改良工事として現在までやっておるわけでございます。その工事の総額は、当時におきまして約十一億余りでございましたが、そのうち特に堆積のひどい下流部分を第一期工事といたしまして、六億円余りの総工事費になるわけでございますが、現在までに約その第一期工事の分に該当する、金目にいたしますと、約三割ないし三割五分の事業を現在までにやってきております。この事業につきましては、県におきましても非常に強い要望がありますので、建設省といたしましても重点を置いてやっておるような状況でございます。  それで、今の計画がそれでは旧信濃川計画だというので河口の問題とどういう関連になっておるかという問題でございますが、当時、先ほど港湾局から御説明がありましたように、日本海岸の沿岸の港湾埋没をして困るということで、新潟港も何とか考えなければならぬというようなお話もございまして、川の計画といたしましては、万代橋のある川がございますが、そこまで川の低水路を決定いたしまして、低水路の幅を決定してその中を掘って、今の広いところは埋め立てをいたしまして、川幅を狭くするというような計画に相なっておるわけでございまして、万代橋下流につきましては、港湾との関係もございますので、その結論を待って、それと合せたものにしようというふうな考えで当時の旧信濃川計画決定されたのでございます。  そういうわけで、河川といたしましての工事なり計画をやっておるわけでございますが、さてただいま問題になりました下流港湾関係の問題については、建設省がどういう態度をとってきたかというような問題でございますが、先ほどお話がございました新潟港港湾調査会と申しますか、それに対しましても、建設省からは委員が出まして、河川の立場から審議にあずかったわけでございまして、河口分水が初めの委員会におきましては決定されております。それに対して建設省はどういう立場をとったかと申しますと、上流河状整理に影響のないように、しかもそれが効果がマイナスよりプラスになるようなことから両案——その当時から関屋分水河口分水と両案がありまして、それについて慎重な審議がされたのでございますが、私の記憶に間違いなければ、関屋分水も、河口分水におきましても、川の立場としては洪水の処理、それから上流河状整理の立場からいいますと、いずれも川としては差しつかえない。しかし分水工事は非常に金がかかるので、当時これはすぐには取り上げられない問題であるというふうな観点から河口分水工事決定されたというふうに私どもは解釈いたしておる次第でございます。
  26. 田中一

    田中一君 企画庁では、この関屋分水か、本流の単流堤の建設、この二つの案に対して総合的な調査と申しますか、考え方を持ったことがあるのですか。もしあるならばそれを明らかにしていただきたい。ないならばないという答弁をしていただきたい。そうして今後どうするか、各省の事業の調整をしようという点、ことに東北総合開発地域に入った旧信濃川新潟県の問題として見解を明かにしていただきたい。
  27. 淺田重恭

    説明員(淺田重恭君) この旧信濃川及び新潟港関係におきまして二つの大きな問題があるということは承わっておるのでございます。先ほど来関係各省からいろいろ御説明がありましたように、一つは大河津分水によりまして、旧信濃川の河床が逐次上昇しておる、その関係からいたしまして、用水、排水系統に支障が増しつつある、こういう問題でございます。もう一つは新潟港関係におきまして、海岸決壊の問題と、それから上流から押し出す砂、及び漂砂のために港口が埋まって十分に港湾の効果が発揮できない、この問題でございます。そこで申し上げるまでもなく、日本海側におきまする輸出入港といたしまして、また各種の工場、今後天然ガス等の資源を中心といたしまする開発計画から申しましても、この問題は何とかしなければならんということを非常に関心を持っておる次第でございまするし、また中、上流部におきましても、非常な穀倉地帯でございます。これらの農業振興上、これもすみやかに解決しなければならんというふうに考えておる次第でございます。それで関係各省の御意見をいろいろお聞きいたしておるのでございます。先ほど来お話のありましたように、いろいろ検討中である、こういうことでございまして、私どもといたしましては、各省の御方針等のきまるのを待ちまして、調整を要すべき問題が起りますれば、調整をいたしたい、かように考えておるような次第でございます。
  28. 森田義衞

    委員長森田義衞君) 北村参考人並びに関係各省から御説明があったのでありますが、これに関連いたしまして御質疑がございましたら御質疑願いたいと思います。
  29. 村上義一

    村上義一君 ちょっと伺いたいと思うのですが、お話を伺っておりますと、明治の中期に比較しまして新潟の裏の海岸線は約六百メートルも後退している。昭和の初めごろから比較しても三百メートルほど後退している。現に三つ砂丘があったのが、第一も第二もすでに取られてしまった。今第三の砂丘の中ばをすでに浸蝕されている。きわめて新潟市の安全と申しますか、非常に危機に直面している。それがために海岸の沈下といいますか、その勾配が非常に急になったという運輸省当局説明でありましたが、そういう事態においおいなっていっているのは、ただ日本海の特に冬季西北風の強烈なために浸蝕されていくということが主たる、原因であるのか、また、実は聞くところによりますと、大河津分水工事ができてから一そう激しくなったというような巷間の説も耳にしたのであります。従いまして、関屋分水工事を遂行した場合に、新潟市の裏面の海岸線の浸蝕という問題とどういう因果関係を生ずるかということについても、実はかえって西北の風がちょうど新潟の裏に流砂を吹き寄せると海洋線の浸蝕はとまるのみならず、新たに砂丘もできてゆくのじゃないかというような意見も聞きましたし、しかしまたその逆な意見も耳にしたのでありますが、知事さん初めとして関係当局はその点をどういうふうに観察しておられるか、一つ伺いたいと思います。
  30. 北村一男

    参考人北村一男君) これは技術関係各省の権威者がいられるのでありますから、私が御説明申し上げるのもいかがかと思いますけれども、海というのはなかなか化けもののようなものでありまして、各海に特異の現象があることは皆さんとされても御承知通りであります。ここで私が、毎日ではありませんが、折さえあれば今御指摘の海岸決壊の場所に行って見まして、しろうとなりに一つの結論を得ているのであります。それを申し上げて、また機帆船の船長などの意見を総合しますと、どうして海岸決壊が起きたかということで、これもまた運輸省の技術担当官の権威を侵すようになりますが、これは率直に申し上げんと何ですから申し上げますが、海岸に潜堤といって横堤が出ている。横の堤防がずっと出ている。ところが海岸決壊の起きたのを大河津分水ができた以後の現象だと言われますけれども、その道の者はここに防波堤を作ったこの角度がいけない。御承知のように、潮流はこういうふうに流れているのであります。ところがここに当りますと旋回して海岸をずっとまたある地点まで逆流する、そこへ持ってきて潜堤といって横に、海津に並行の堤防を作ったものでありますからたまりません。これはここへ川ができてしまう、そうしてこの川の勢いでみなこれを蚕食していってしまっておる、これが一番大きな原因であるということを、しょっちゅうこの辺を歩いておる船長どもが申しておるのであります。でありますから私が就任しまして、先ほど東課長が申されました知事が会長になっているというのは、私の前任者でありまして、私が当時知事をしていればこんなばかなことはいたしません。でありますから、課長が知事と言われたのは、前の知事のことだと御了承いただきたいのでありますが、そこで私は就任しましてここに、ちょっとごらんになりにくいのでありますけれども、沿岸流を断ち切るために縦堤というものを出しました。そうしたら昨今ここがやや小康を得まして、もうこれ以上去年あたりから、去年、お話申し上げた十二月の四日の大きな風浪のときにもここが蚕食されんで、だんだん幾分ずつ縦堤を出しますと、出しましたところはみな砂がつきつつあるわけであります。でありますから、これは私どもだけでなしに、新潟大学の農学部長の伊藤博士もドイツへ行ってごらんになったとき、やはりドイツにも、オランダの海岸にも海岸決壊の現象があるが、縦堤を出して防いでおる、安定しておる、こういうことをこの前の新潟港海上調査協議会で意見を述べておられましたが、私もそういうふうに考えて縦堤を出すべきだ、横堤を出せば横の水の勢いが非常に強くなる、こういうことで今小康状態を得ていますのは、縦提を出した結果でございます。これとても私はただしろうと見解で出したのではない、私もこれでも砂防のことについては相当の研究をいたしておるのであります。でありますから、もうせっぱ詰まりましたから一生懸命に勉強をして縦堤を出すべきものである、こういうことで、決して運輸省の技術官がわからなかったということでない、工法の順序を誤まった、だから私は、おわかりになっているけれども、新潟の海の特質を御承知になる方が少いので工法の順序を誤まった、工法全体に誤まりがないとしましても、順序を誤まった、こういうふうに考えております。そうすれば今ここへ横堤を作りますれば、海が急に深くなってくるということを防ぐことは事実であると思いますが、まず縦堤を出すべきものであった、こういうふうに私は考えております。それから今海岸決壊を防ぐのにこの河口を分流した方がいいという意見があることは事実であります。こういうふうになってくると、横にぶつかって還流していく潮流を利用すればここに砂がつく、こういうことを言っておることは事実でありますが、これが私ははかない希望であるということを証明する材料として、今、東課長が申されたように、港内の浚渫した砂はずっと前からここへ流しておったのでありますが、にもかかわらず、ここはずっと決壊していった、こういうことは、ただ砂をここへ補給したからということでなしに、今申したようなこの防波堤の角度がいけないという説があるのでございます。角度がいけない、これにぶつかったのは還流するから、新潟海岸の決壊というのは実にこの防波堤ができてからの現象である、こう言われておりますので、砂の補給のごときは、まあ補給があればいいという程度でございまして、砂の補給前にこの沿岸流がこういっているのがここにきますというと、還流する。この現象を技術家が見落しておられるのではないか、こういうふうに私は考えております。これはもう私も何度も試験してみました。物を流して試験してみました。でありますから、そういう新潟港特有の現象があるということが第一点で、それからここをあけて砂を出せば補給ができるのでありますけれども、これは季節風が絶えず吹きますから、河口がふさがらなければという前提条件がなければならぬわけであります。ところがここらはみなふさがるのであります。この辺もみんな毎年浚渫しましても、この辺がやはり一年に一回ずつ必ず浚渫しなければならぬというのは、一冬経過しますと必ずふさがるのだから、この水もこの河口もふさがってしまう。浚渫するまでは非常にここに漂砂が堆積する、こういう現象がありますから、これは全効率を発揮するなんという予想は私はちょっと立たない、やはり秋から冬季へかけて河口というものは相当ふさがるのである。これはまだ運輸省の御計算に入っておらぬのじゃないかと思うのでありますが、そういう現象もある。それからここへ砂を出しても、まあこの辺まできっと還流の影響があるというお考えかどうかしれませんが、砂はこっちへこない、こないということをいう人があるのでありますが、これはやってみないとわかりませんので、こないであろうということなんでありますが、こういうふうに導流堤を出しましてちょっと先までいけば、この影響というものは海岸ぶちだけの影響でありますから、私はこういうふうに持っていって、それから沖に砂は、これもまた機帆船のこの間遭難したのにもサルベージをやりますときの経験者の話によると、船がすぐ二十尺くらい砂で埋没してしまうというようなことですから、沖に砂のあることは間違いないのでありまして、絶えず波がくればこっちへ砂が寄ってくるのでありますが、この沿岸流のために思うようにここへつかない、こういうことになるのじゃないかと思うのであります。これによって海岸決壊を防ぐというよりも、これは金がかかりますけれども、この角度をちょっと考えて、ちょうどこういうふうに北上してきます潮流がここへぶつかって還流するような角度を考える。特にこの先に低くなっておりますのは、昭和十八年ですか九年ですか、軍が新潟港を北鮮航路に使いますときちょっと出しましたのが、なおさらその悪影響を与えて、これから目立って欠けてきたということを申しておりますから、防波堤の影響ということも考えに入れてお考え願わなければいかぬということなんでございまして、まあ砂の補給があればといいましても、海津決壊を助けるために砂をどんどん流してくるというようなことも、これも困る問題でございますので、この海岸決壊の対策というものは、これは別に考えなければいかぬ。港と別に考えなければいかぬ。これを今までの計画では海岸決壊も防ぎ、港もよくするというようなふうに、いわゆる一石二鳥なんという考えでありますが、これは石ゼロ鳥であります。ゼロ鳥でありますから、こういう考えはもうやめなければならぬ。一石二鳥なんという計画にろくなものはございません。そんなものはできるものではございません。海を相手でございますから、そんなことはできるものではないというのが、私の考えではございません、新潟県民の考えであるわけでございます。
  31. 東壽

    説明員(東壽君) 知事さんと技術論をやってもしょうがないのでありますが、ちょっと一言だけ申し上げます。  私の方もこの新潟港の海津決壊の問題につきましては、おそらく全国で一番昔から調査をやっている、それで毎日あそこで流れのどういうふうであるか、潮がどういうふうに流れているか、それから砂がどういうふうに動いているか、実は真剣な調査を長年にわたってやっておりまして、資料の整っておることではおそらく海岸調査の問題では一番ではないかと思うのであります。そこで先ほどの御質問に対して二点だけ申し上げます。それで知事さんとの技術論は——先ほど新潟港改良計画協議会というふうに訂正したいということでありますが、今知事の諮問機関として作られておるところでそういう点が詳細にわたって検討されることと思いますから、その結論に待ちたいと思います。それで二点についてだけお答えいたしますと、海岸の浸食の問題は、つまり言いますと、汀線が欠けていく問題でありますが、いずれにせよその海津の砂の粒、勾配、そういうものが抵抗いたしまして、それに砂の補給源がこれを押します。そして波、流れというものの外力とのバランスから起ってくる問題であります。従って一番大きな問題はやはり信濃川の砂がそれに押し出してきておる。問題はその力が——押し出してきた力がなくなったということがこの問題のやっぱり一番大きな問題なんで、ここでこれを捨てるわけにはいかないと思います。普通のそういう問題がないときの砂の、海岸浸食の問題は、表面から始まって、まず約四メーターくらいの水深のところで起って参りますが、先ほどもちょっと申し上げたように海底の勾配がだんだん下って参ります。ここは海底の勾配がだんだん下って参ります。そしてそれが四メートルくらいの水深のところで一番波を強くします。その波を強くしますところがだんだん海岸に近づくものですから、従って海岸津を浸食する——汀線を浸食するということになります。防波堤の問題が出ましたが、これも海岸線がありますと、この防波堤とある地点との間に一定の堰堤ができるわけであります。従って防波堤では必ず局部的な浸食が起ることは当然でありますが、どうも長い間の問題はこの防波堤だけの安定ではなくて、もう少し下ったところに安定の線が放っておきますとできるような性質のものではないかというふうに考えられます。で第一問のお答えはそれだけにしておきたい。  それから第三問に対しましては、これは一番関屋分水との関連で重要な問題でありますが、もし関屋分水によりましてここに砂がつくことがわかるのでしたら、この問題は私たちはまず十年の年次というものを頭に置いて、さしあたり十年の年次の期間において計画をいたしておりますが、さらにそれが二十年、三十年の期間においてこの問題を解決しようとするときに関屋分水において砂がつくということがわかりますれば問題はないと思います。そこで関屋分水の砂がつくかつかないかということは、私たちもまだわかりません。それはどういうことかといいますと、防波堤の影響もあるでしょうが、流れの方向が北上をしておりますが、先ほどもお話のあったように、砂置きというものはこういう流れによって起っておるのでありますから、まず第一になるべく近いところまで砂を持ってきて、そして出したい。これがその技術的な問題としては第一に考えられる。そこら辺に問題の点があると思います。従ってこれに対してはつかないという結論も出しておりません。しかしつくことはもちろん出ておりません。で今のここでもってどうしてつけるかということを、一番近いところへ砂を持ってきてやることをやっておるわけであります。その点が関屋分水との間の——従って関屋分水計画というものは、もしこの問題を解決していくならば、私たちは新潟港という面からこれを見ていきますので、その点においての問題点はそこにあると思います。第二点の御質問に対しては、技術的にはお答えがまだできる段階ではない、そういうことでございます。
  32. 斎藤昇

    斎藤昇君 今村上委員の御質問に対するお答えを伺いましたが、私もそこの海岸の浸食の状況視察をしました。そのときに県の土木部長に、これは堤防関係からじゃないか、堤防ができてからひどくなったのじゃないかと私は質問したわけですが、それは私一つ知っておりますのは、伊勢湾の鈴鹿市の地先、白子近辺だったと思います。今名前はちょっと覚えておりませんが、たしか漁港だったと思いまするが、その漁港にちょうど風の向きとこの堤防の角度と同じような堤防を作る。そうすると、これと同じような浸食が起って参って、今日もう放っておくとその砂丘が浸食されてしまって、田畑の方に海水が入るのじゃないかというような心配を地元が非常にしておるのですが、その原因は全くの堤防を作ったということ以外の何ものも考えられない。そこには今まで砂丘の浸食を防ぐ砂を流す川もなければ何にもないところで、ただ堤防を作ったというだけで、そういう現象が起きております。で、堤防を作ってどうしてやるのか地元の連中はよくわからぬけれども、そのために、あるいは海流が変るとか、またひどい波がくると、左側の方に、海岸の下に真空地帯でも起って、そうして下から掘られていくのではないかと思っておりますが、そういう実例がありましたので、質問いたしました。私は知事さんのお考えと同じような感じがいたしましたから。今の運輸省の御説明では堤防関係もあるかもしれないが、大したことはなかろうというお考えでしょうが、これがやっぱり一番原因ではないだろうかというように、私も知事さんと同じようにしろうとでございますけれども、そういう実例はあるいは他にもあるのじゃないかと思います。堤防との関係をやはり私は相当重点に置いて、そうして科学的な結論を出していただきたい。われわれ科学的な結論でこうだというふうになれば安心ができますが、しかしそういう実例もありますから、知事さんの今言われたような単なるしろうと論ではなくて、実際そういう例は他にもあるということを念頭に置いて調査をしていただきたい。希望だけ申し上げておきます。
  33. 田中一

    田中一君 あの、運輸省は、その浸食される海岸はこれは港湾地区になっているのですか。
  34. 東壽

    説明員(東壽君) 港湾地区になっています。
  35. 田中一

    田中一君 なっているのですね。  これは山本君に伺いますが、そういう例はありますか、港湾地区はどこからどこまでですか、地図で。
  36. 山本三郎

    説明員(山本三郎君) 港から何マイルとかいう規格があるらしうございます。ちょうど港湾地域に入っておるということを聞いております。
  37. 斎藤昇

    斎藤昇君 それは砂丘部とははずれますか。
  38. 山本三郎

    説明員(山本三郎君) ちょっと先へ行くとはずれますが、何か港湾という定義が……。
  39. 田中一

    田中一君 それをちょっと調べて下さい。
  40. 東壽

    説明員(東壽君) ちょっと線でははっきりどういうふうになっているかわかりませんが、とにかく水面にこういう一つの線が出ます。それは新潟港港湾地域というものになります。
  41. 田中一

    田中一君 大河津分水港湾地域に入っておりますか。
  42. 東壽

    説明員(東壽君) 入っておりません。
  43. 田中一

    田中一君 大河津分水によって今の新潟市の決壊の遠因があるのじゃないかということを東君言っておるけれども、河川局長どう考えていますか。
  44. 山本三郎

    説明員(山本三郎君) この点につきましては、運輸省におきまして長年決壊の部分につきまして調査をされておるわけでございまして、ただいま計画課長から御説明があったように、私どもも了承しておるわけでございますが、大河津分水によりまして、それではどういうふうな変化が来たかという点だけは私の方でも関心をもっているわけでございまして、旧信濃川の河流も調査委員会報告書にも書いてございますが、当時港湾を、内務省で港湾もやっていますし、大河津の分水も内務省でやっておったのでございますが、その当時新潟港港湾を受け持っておられました安芸博士の論文によりますと、新潟港付近に二百万立米の年平均土砂が沈澱しておったという報告がありますが、現在は先ほども御説明がありましたように、港湾の区域内に約百万立米の堆積があるというような状況でございますので、それらを比較勘案をして大河津分水をやったために新潟港付近の土砂の堆積は減った。従いまして旧信濃川に入ってくる土砂もそれに応じて減っておるわけでございます。
  45. 田中一

    田中一君 東君に伺いますが、一体新潟港建設という面についてどういう想定のもとにその規模を考えておられますか。
  46. 東壽

    説明員(東壽君) お答えします。私たちの港湾計画はあるレーンジをきめて、やはりその間の計画をいたしませんとなかなかいろいろ大きな膨大な金額になります。それからまた将来に対する発展がどのように変るかもしれません。それに対処することができません。従って自然的な条件からその港の今の形でできる姿の数量を推計いたしまして、この新潟港におきましては昭和三十九年において三百五十万トンと思いますが、三百五十万トンの規模を持つものとしてこの計画会議決定計画されております。ちょうど約十年間目標にしてやっております。
  47. 田中一

    田中一君 三年前に新潟に伺ったときに北村知事に申し上げたのですが、北村知事は北鮮とも中共ともソビエトとも物資の交流がないという前提らしく、規模の小さいお考えを述べておられたので私は笑っておったわけなのですが、戦前における新潟港の水揚げというものは二百四、五十万程度が最高、現在もうそれになっておるというように聞いておるのです。これも今言う通り北鮮とか、あるいは中共、あるいは満州ですね、ソビエトロシア等との交易がないというのが現状であります。そこでそういう点を考えますと、ソビエト自身にしてもシベリア開発というものを相当重点的にやっておる、従って物資の交流が相当あるのじゃないか。三十九年で峯百五十万トン程度では不可能じゃないかと思うのです。そして河口港というもので、私なにに行ってびっくりしたのです。タイのラングーンに行ったのですが、相当大きな船が入っております。従って、三十九年度で完成する三百五十万トンの港ということになりますと、今言うような導流堤を作って本流で分水するというようなことになりますと、さっきも北村知事が言われた船の操作、あるいは三百五十万トンの水揚量というものが不可能になるのではないかと考えるのです。そういう点についてはむろん相当……関屋まで海水が来るのだと思うのです。今言うその程度新潟港建設を考えておるのではおそらく他の港の方に持って行かれることがあるのではないか、何といっても信濃川河口港は日本海でも一番いい港であろうと考えておるのです。これはあなたに伺って追い詰めるわけではないけれども、その程度のものではおそらくアジア貿易の窓口としての新潟港の将来はもう間に合わないのではないかという考えを持っておるのですが、その点はどう考えておりますか。
  48. 東壽

    説明員(東壽君) お答えいたします。先ほどの説明が少し足りませんでしたので、補足をいたします。御意見通りでありまして、港湾計画は、先ほど十年、三百五十万トンというものを目標にして計画会議の案ができたと申し上げましたが、それはこういうことであります。港湾計画は十年の計画をいたしましても、さしあたりその第一年の年にやることがむだにならないように計画をいたします。それで、それには十年の計画を立てなければならない。それから客観情勢が変りましたら二年目といえども、三年目といえどもすぐそれをやり直します。そしてやれるように、簡単に言いますと算術方式みたいな数式でそういう客観情勢が与えられれば、それがすぐ施設計画になるように計画ができております。それだけは私たちが一生懸命努力してきたことでありまして、将来の推定に対して今おっしゃるような事態が起るということが予想できますならば、必ずその全体の計画を変えます。ただ私たちがやりたいことは、今ことしやりますことが、将来のそういう客観情勢に対してむだにならないだけを計画の根本にいたしております。従って御趣旨のようなことでもっていつでも計画が変えられる、そういうふうにしております。
  49. 田中一

    田中一君 では今の計画、むだにならない計画の本年度までやっている工事というものは最大どのくらいの、何百万トン程度のものまでも期待されるのだというような計画ですか。
  50. 東壽

    説明員(東壽君) 今の規模に対しましては、先ほど申し上げた規模であります。それから現在は先ほど申し上げましたように、現状の機能を維持するだけに精一ぱいであります。それで調整費によりまして水深を九メーターにする計画でもってやっております。先ほど申し上げたようにその埋没に対して普通でありましたら七メーターか八メーター程度に維持するのが精一ぱいでありますが、金をかけてそれをより深く現在の情勢に合せるためにやっているわけであります。
  51. 田中一

    田中一君 現在の本流導流堤を作ると港が狭くなることは事実ですね。
  52. 東壽

    説明員(東壽君) そうです。
  53. 田中一

    田中一君 それから土砂関屋分水によって本流に流れないことも想像されますね。埋没度が軽減されるということも想像できるわけですね。
  54. 東壽

    説明員(東壽君) 今の第一点につきましてはこの分流しました川に当りまする部分は、現状以上に、悪くならないということでこれを計画しております。そのために努力をいたしております。たとえば、ここの水深の問題でありますが、これは三メーターくらいの水深であったと思いますが、それをこういう水制によりまして整流いたしまして、なるべく現状以上に浅くならないようにする。それから船は大体千トンくらいの程度で出入りがこちら側からもできるようにする。それから波に対しては、ここにできる防波堤によって押えて現状以上には悪くならない、現状程度を維持するということにしておりますから、ちょっと港の規模が小さくなって、現状においては同じだと思いますが、将来に対するものに対して不親切であったのではないか、そういうふうに私は個人として考えております。将来ここをどういうふうに港として発展さしていくかという規模を、現状程度でいいというふうに押えたのがこの間の審議会の計画だったと思います。それから砂につきましては関屋分水することによって、砂の補給源というものが今以上に少くなる。従って海岸決壊の問題は、先ほどの防波堤の問題よりももっと本質的な、これは水深四メーターくらいのところから問題が起ってくるわけでありますが、もっと奥の六百メーター先の水深からどんどん下って行っている、その本質的な問題を解決する道はないか。従って関屋分水がここに砂をつけるかどうかということは、どうも技術的にこれをつける、あるいはどうする、どうなるだろうかというようなことは現在の私どもの研究では結論がまだ出ておりませんし、お答えすることができません。
  55. 田中一

    田中一君 海岸決壊を主に考えている新潟港なのか、やはりアジア貿易の荷物の集積地の積み上げ地としての新潟港を考えているのか。さっき知事は一石二鳥を零にするという比喩をもって言っておりますが、どちらにウェートを置いているのですか。
  56. 東壽

    説明員(東壽君) お答えします。その問題につきましては、今先ほど申し上げましたこの私たちの計画というのは第一に管理者が立てる計画であります。そこでその管理者の計画を受けて、運輸省としては、計画会議でそれをきめて、全般の施策に対する方針とするわけであります。従って管理者である新潟県知事から、新潟港の発展に対して、別な観点から、今先ほどの、論議を尽すことがある程度少なかった、さらに論議を尽したいということがありましたから、そこで規模の問題、それから河口に当る部分でありますが、現状だけでなくて、さらにそれを発展するものであるという、そういう問題と合せて、港を中心として、さらに論議を尽したいということで今やっておりますので、その決定を待ってあれしたい。今先ほど申し上げましたあまりこまかい見解をいろいろ申し上げると、まるでイニシアチブをとって、何か運輸省が、ずっと横車を押して、ぐいぐいやっておるように思われるのですが、なるべく決定を待ってからやりたい。そういうように申し上げておきたい。従って将来の規模に対しては、新潟県と、計画協議会というものの一番大きな問題として、それが論議される。その程度で御勘弁を願います。
  57. 田中一

    田中一君 山本君にもう一ぺん伺いすが、今まで、今斎藤委員も言っているように、河川行政と港湾行政とは、上の方で同一な役所でなくなったために、そうしたいろんな問題が起きたということは例がありますか。
  58. 山本三郎

    説明員(山本三郎君) 具体的な例かどうかわかりませんが、これと同じような例が、山形県の酒田のところにあるわけでございまして、あれは酒田港を生かす面もございますし、また最上川の治水という面もございまして、洪水のための河口を一別にいたしまして、右の方で川を寄せまして、港を作ったという例がございます。その当時は両方とも内務省でやっておりました。そして、その後、港は運輸省に移管になり、港湾の方は建設省ということに相なりまして、その間にあります堤防をどちらでやるかという問題もございましたが、そういう点につきましては、話し合いが順調に行きまして、完全なものにいたしまして、運輸省所管してもらうというふうにやっております。それから今回の問題につきましても、先ほどからお話がございましたように、県で御計画を立てられまして、建設省運輸省の審議会にも出ております。立場は違う立場でございますけれども、港の利用という観点に立ちまして、私どもも審議に参画しておるわけで、決してその間にいざこざがあるというようなことは、ただいまのところはございません。
  59. 田中一

    田中一君 前国会で東北総合開発の促進法も通過しておりますし、この新潟県もこの地域に入っております。従ってただ政府部内で、各省間で話し合いすることばかりでなくて、東北総合開発審議会で相当な論議がかわされるものと想像されるわけです。そこでこういう問題については、やはり経済企画庁が、重大な問題ですから……というのは、アジア貿易に対する唯一の窓口じゃないかと思うのです。従って大きな日本の将来の発展を左右するような、アジア貿易に対する門戸としての、経済企画庁としては、東北開発審議会で十分に意を尽す論議を戦わして、同時にまた経済企画庁が中心になって、各省の調整をしようという方向にもっていこうとする意思があるかないか。これはあなたに聞いて工合が悪ければ小澤建設省政務次官に伺って、建設省の態度をお伺いしたい。
  60. 小沢久太郎

    説明員小沢久太郎君) ただいま田中さんの言われました運輸省の問題、あるいは農林省の問題、あるいは建設省の問題、そういう問題にまたがっていることは、企画庁で総合調整する、あるいは総合計画を作るということは、ぜひお願いしたいと思います。そこでわれわれの方といたしましては、その河川行政に関する限り、その治水の問題等、いろいろの問題に誠意をもって十分にやりたい。そういうように考えております。
  61. 田中一

    田中一君 きょうでこの調査案件は終るのですけれども、最後に希望しておきたいことがあるのです。御承知のように、東北総合開発促進法が通りまして、現在は、もはや各省別々でもっていらっしゃる。よく計画されて、それを調査して、それをつき合せて云々というものではなくて、今まで、そういうものが、自分の方の調査したものは、同じ学者でありながら、運輸省へ行っての答弁と、建設省に行っての答弁が食い違うようなことが、今までままあったのです。結論が同じでも表現が違うものですから、運輸省運輸省で、それを有利に解釈するし、建設省建設省で有利に解釈する。そういうことがないように、経済企画庁が中心になって総合的な調査を早急にやるということが一番大事じゃないか。新潟県の、ことに旧信濃川の流域には、今言う通り、湿地帯の改善ということもあれば、天然ガス開発もあれば、また今言う一番大きな問題で、日本海の向う側における開発は直接新潟港に影響があるものなんです。北鮮や中共やソビエトロシアとの貿易は好ましくないという政治的な含みがあろうとも、国民経済の上から、どうしてもそれはしなければならぬのです。またしなければほんとうの意味の平和はないと思うのです。そこでそういう点も考えながら、運輸省にしても抜本的な新潟港建設ということを考えなければいかぬと思うのです。これは一石二鳥じゃなくて、一石五鳥にも大鳥にもなる案なんです。運輸省の案は一石零鳥かもしれませんが、今お互いに相当調査を持ちながら、総合的な調査をやれば、一石五鳥にも六鳥にもなるということであれば、経済企画庁が真剣になって呼びかけをやっていただきたいと思うのです。いずれ私も審議会の方の委員会でも開かれれば、これは総合開発審議会の上でも取上げて、十分に促進したいという気持を、私は持っておりますので、御了承願いたいと思います。
  62. 坂本昭

    ○坂本昭君 この際参考までに、河川局長に大河津の分水に伴う新しい河口の御説明をちょっといただきたい。
  63. 山本三郎

    説明員(山本三郎君) 大河津の分水をいたしまして、新潟港方面に参ります土砂は、先ほど申し上げましたように減少したわけでございますが、大河津の分水の河口には、従来河川からの土砂補給がなかったのが、今度は寺泊という町がございますが、その付近に州が発達いたしまして、相当面積の州が形成されております。
  64. 森田義衞

    委員長森田義衞君) ほかに御質疑がなければ、本件はこの程度にしていただきます。  北村知事には、わざわざおいで願いまして、懇切なる御説明を承わりまして感謝いたします。  速記をとめて。    午後零時三十九分速記中止    —————・—————    午後零時五十五分速記開始
  65. 森田義衞

    委員長森田義衞君) 速記をつけて。  本日はこれにて散会いたします。    午後零時五十六分散会