○
参考人(
北村一男君) 今
斎藤議員の御
報告を承わっておりますと、いわゆる旧
信濃川の
関屋分水、それから今これを一般に
信濃川の
新潟港の
河口分流と申しておりますが、港の中に
信濃川の
川尻を持ってきて、
防波堤を破って
日本海に流す
河口分流、
関屋分水というものは、これは
中央におかれても
相当量要視しておられまするし、
新潟県あげて非常な関心を払っておるというような
状態でございます。たまたま先般本
委員会から三
議員がお
見えになりました節も申し上げたところから、
国会としては初めて私どもの
意見をお聞き取り下さる、こういうようなことに相なりましたことは、まことに感謝にたえないところでございます。
この問題は申すまでもなく、今
斎藤議員が御開陳になりました御
報告の中にも盛られておりまするように、一番端的の問題としましては、
新潟港が毎年一億くらいの
浚渫費をかけないと港としての用をなさないと、これはどうした力がよろしいかということで、主として御
所管の
運輸省におかれまして御研究なされ、また県においても研究いたしまして、当時は
導流堤というのが、御
視察においでになりました
議員の
皆さん御
承知でありますが、港の中に川を作った方がよろしい
——信濃川の
川尻を港の中に作りまして、そして
防波堤がここにございますが、
防波堤を破って
川尻を持ってきた方がよろしい、こういうことに当時の県の
当局も考えまして、
運輸省にぜひかような
工事をすることの御承認を願いたい、こういうことをお願い申し上げまして、一応
港湾計画会議におかれましては、それがよかろうということに相なったのでございます。ところが
信濃川には、
建設省からずっと御
配慮を願っておりますが、
河状整理という問題があって、ことしも
相当額の
予算をつけていただいてその仕事を進めておるのであります。話が前後いたしましたが、この
河口分流につきましては、
まん中に
堤防をかなり作っておりますので、
港域を狭め、御
承知のように
新潟港にはソ連から今
相当のたくさんの材木が入って参っております。こういう
港域を狭くいたしまして、
刺身ぼうちょうみたいなものにしてしまいますと、ここで
木材を積みおろす際には、特に風でも吹くときは
木材が散乱して、港は役に立たぬということで、
港湾業者こぞってこの
河口分流——この
防波堤を切って川を作るということには
反対いたしております。こちらはほとんど
使い物にならぬ、西の方は
使い物にならぬというような
反対の声があり、また衆内の
議論というものは、
県会でも自民党、社会党その他の
中立派もあげて
河口分流には
反対である。どうしても
関屋分水と申しておりまするあの
計画を推進してもらいたい。港の一点から見ましても、もはや
新潟県内には
河口分流なんと言う人はないのであります。そんなことをうかうか言うと、袋だたきにあうというようなことで、今
河口分流の声は全く
沈黙状態にある、こういうことに相なっておるのでございます。ところが
信濃川の
河状整理と申しますのは、今この辺まで進んでおります。ずっと川の
まん中を深く掘りまして、
斎藤議員が仰せになったように
洪水調節をしなければならぬ。深く掘りますからだんだんこの両岸に
土地ができてくる。今この辺には大きな島が川の中に、この辺にもございますが、畠ができております。揚子江のようなわけには参りませんが、ちょっと大陸的の様相を備えておる。こういうような
状態でございまして、それが
洪水のときじゃまになるというので、
建設省の御
配慮によりまして、この辺まで
工事が進んでおります。だんだんずっと参りますと、この
信濃川の、旧
信濃川というのは今御
報告の中にありました大
河津というのがこの
上流にございますが、その間にできる
耕地がおよそ千二、三百
町歩、大きく言います人は二千
町歩の
耕地並びに
工場敷地ができるこういうことになっておるわけでございます。そこで両方の
議論一がしきりに戦わされておるのでありますが、これをやりますには金がよけいかかる、金がよけいどのくらいかかるかというと、先ほど
岩沢議員も四、五十億かかるのではないかと言われましたが、さすがに練達の士でありまして、よく言われました。これは四十億ばかりかかる。四十億かかるから多いと言われますが、
秋田の
八郎潟干拓に、今度
東北開発にからめて国が出される金が百五十億、それでどのくらい米が増産できるかというと、
秋田の
知事は五十万石と言っておりますが、五十万石はできません。これは私の方がくろうとでありまして、よくわかりますけれども、四十万石できればいい、人の
計画なんかどうでもいいんですが、それに百五十億出される、こういうことでありますから、これは金の問題は四十億といえども私は大した問題ではない、大した問題ではないという理由はまた後刻申し上げますが、四十億かかるということが一番大きな障害になっておるわけであります。ところが千五、六百
町歩の
土地ができる、それから
新潟にここに三分の二水をはかして、三分の一だけ港がきれいになるように水を通す、こういうことになっておるのでありますが、三分の一ならば、当然川幅は三分の一でよろしいのですから、これをずっと埋めて参りますと、ここに三十一万坪の
土地ができる。今
新潟は三十億から五十億の
工場が
天然ガスを中心として
新潟周辺だけで七、八の
工場ができる
計画になって、もう着手し、今
計画し、あるいは御
視察になりました
議員の
皆さんもごらんになったように、もうすでに
完成して操業している
工場もありまして、
天然ガスだけの原料を使った
化学工業の
工場が七つ八つできることになっておりますが、遺憾ながら
土地が少いのであります。
工場敷地が少い。でありますから、
新潟の地価というものは
東京の地価と大して変らぬのであります。
市内で坪三十万円とか四十万円とかいう
土地が少くない。
工場敷地にいたしましても、
相当こんないなかの所で三千円とか四千円ということになって、これが難点になっておる。しかし下を掘れば原料の
天然ガスが無限に湧いてくるのでありますから、まあ三千円、四千円でもがまんして
土地を買って
工場を作る。もはや
市内にはございませんので、かなりさかのぼりまして、この辺の島に今度三井
化学工業が
工場を作る、こういうように
土地が非常に逼迫しておりますとき、この分水によって三十一万坪の
土地がここに造成されるということは、
新潟県市にとりましては非常な魅力となっております。ですから、まあどこかから金を貸してやらしていただければ、県はこの
土地を先売りして坪一万円で売れるのでありますから、三十一億円取れる。ただそれを推進する資金がないというので、今弱っておるのでありますが、そういったような非常な一番欠点である
土地の造成が
市内にできる。それから、これから
上流の
洪水の時期には、こういうふうに大迂回をして港の方へ、海の方へとかく行くのがまっすぐに、ほとんどまっすぐに出る、こういうような特長もあるわけでございます。それから先ほど申しましたこの
上流に
土地の造成ができる。こういうような利点があるわけでございます。
ここに分水事業費四十三億と言いますけれども、これは土木部で立てました設計でありまして、観兵式の訓練的な設計である。もしも実戦の雄が立てますれば、私はこんなにかからぬと思っている。私をして言わしむれば、これはここの方をちょっと大きく掘りましても、ここは砂丘でありますから、砂のことでありますから、おのずから流れて
日本海に出るのでありますから、これはこれらの土壌をみんな動かすときに四十三億かかるというのでありますから、水の力を借りれば——これは私の計算でありますから、私は土木の方の経験はないからあまり大きなことは申し上げられませんが、三十五億円ででき上るのではないかと思うのであります。そういたしますと、かれこれこの
土地の代金とこの分水の金というものは、まあほぼとんとんで合うのではないか、こういうふうに思うのであります。そうしてこの幅をこう狭めれば、今万代橋というのは五億六千万円ぐらいないとできないということでありますが、それが三分の一でできるとなると、この辺に橋をたくさんこしらえて……
新潟の大火のときに一番困りましたのは、ポンプには事を欠かなかったのでありますが、橋がございません。万代橋とここに
昭和橋というのがございまして、これは今日でも腐朽しておりますから、ここにその隘路ができまして、近くの町や村から来たポンプがみんなこの辺にとまって、この辺が焼けたのでございますが、この辺まで来ることができなかったというようなことがありますので、ここに橋をかければそういう災害の場合にも事欠かぬようにできる、こういうようなことになるのであります。
ただ、ここに率直に申し上げておかなければならぬのは、この問題について地元がことごとく
意見が一致しているわけではありません。
新潟の市会でどうして
一体この
河口分流がいいということを一、言うたのかしりませんが、きっと当時の
知事は、私のようには政治力のない男ですから、市会の応援でも得ようというのでやったのじゃないかと思うのであります。それで市会の一部の者が、われわれはかつて議決したことがあるから、どうも今にわかに賛成しがたいというようなことを言うている者があるそうでありますが、私には直接言うた者はありません。言えばやかましいものだから、そんなことを言い得ないのだが、陰に回ってこそこそ言うているのがある、こういうことを聞くのですけれども、もはや白昼公然と
河口分流なんと言うのは
新潟にはいない、一部分陰で言う、こういうような
状態であるわけであります。私どもは今日まで、ここに
港湾局の計
画課長もお
見えになっているので、はなはだ申し上げにくいのでありますが、
運輸省にこれをお願いしたのでありますが、これは
信濃川の流域変更でありますから、当然
建設省でお取り上げ下さらなければならぬ、
建設委員会でお取り上げ下さるのが妥当であるのじゃあるまいか。これは
建設、運輸の、両大臣御同席のところで私は申し上げた。両大臣は
反対されませんでした。両大臣で話し合ってみよう、こういうことなんですから、両大臣とも私の説には一応了承されたわけなんであります。今度改造になりますからどうなりますか、これを私は案じているのでありますが、両大臣は一応了承されたのであります。でありますから、この問題は
建設省の問題でありますから、
建設委員会でお取り上げ下さる問題であって、たまたまここから砂をかき出して、港へ砂が行かぬようにすれば、
運輸省で毎年おつけ下さる約一億の
浚渫費というものが省けるというのだから、
建設省でもお喜びになるのじゃないかと思っております。
そこで、今日までそういうようなことを考えないというのは、私のようにたまたま参議院に八年出ておった人間が
知事に出なかった。ようわからなかった、
中央とのつながりがわからなかった、こういうとなんで、私はこれだけでも参議院に八年いたかいがあった、こういうふうに喜んでおる次第でございます。
そこで、今度七月の十六日にソ連の世界学生友好親善会に日本から五百名の学生、青年を乗せて行く、こういうことになっておりますが、どこへ船を入れるかと、よく考えたら
新潟港以外にない。もっとも
新潟港にはソ連をよく理解している
知事がいるということも一つの大きな理由であったのですよ。これは決して自慢するわけじゃありませんが、ソ連の国情をよく理解している、私は滞ソ八年の体験があるからよく知っているのであります。でありますから、あすこには物わかりのいい
知事がいるということも一つの理由であったのでありますけれども、また港が悪ければ、
知事ばかり理解しておっても船が入れない。でありますから、これはそういうようなことでソ連から見ると、
新潟の港というのは非常にいい港でありますから、御
承知のように
河口港には
河口港の特徴があるのですけれども、これは計
画課長に伺いたいと思いますが、世界の
河口港で、港の中で川を作るなんというのは、僕はこの
計画をもって嚆矢とするのじゃないかと思うのであります。でありますから、まず私は港という利用度から見ても、利用価値からみても、この
計画は
計画会議で一応おきめになったというのだけれども、
新潟県にも
港湾の審議会というものを作って、
中央の権威者も網羅しまして、今審議していただいているのでありますが、中には、やはり前の
計画会議でおきめになったということにこだわりをお持ちになって、これをやればいいじゃないか、一応やってみて悪ければ、またそのときは直せばいいじゃないかというけれども、十何億かかる。これは
河口分流計画十二億となっていますけれども、これはこんなことでできるものじゃありません。どうしてかといえば、これは西北の季節風というのが、御案内のように
日本海共通の風が冬になると吹く。そうしますと、
防波堤を二百五十メートル切りましたならば、
一体新潟の港はどうなる。これは施設が全部こわされてしまう。去年の十二月の四日か五日のあの大風で、かなり丈夫な
防波堤が
まん中六十メートルふっ飛んでしまった。そこでこの施設は被害二億円ばかり、これは民間の埠頭でありますが、被露二億円ぐらいの大きな損害を受けた。だからそこを、
防波堤のあるところを切ってしまったならば、これは
新潟の港は使いものになりません。そこで、ここに鉄工所があります。二、三千トンの船を作る造船所もありますが、これらはもう機能が喪失してしまって、これをどこにやるか、移転を命ぜればいいじゃないかというような第一
港湾建設局長の話でありましたが、移転を命じたって、どこに
一体移転するか、港に必ず必要なものでありますが、これの行き場所がない。かりにどこかに立ちのきをしてもらったとしても、これは十五億ぐらいの移転費がかかる。だからこの十二億の上に十五億プラスしなければいかんのを、これをプラスしてない。これは正直に持って参ったものでありますが、この
計画は、だから観兵式の訓練で、実際の役に立たない
予算である、私はかように考えております。そこでなお、ここらにも
工場が多いのでありますが、これは用をなさなくなる。去年の十二月の五日の風浪の体験からいきますと、どうしてそんなふうになったかというと、これは、
新潟で一番大きな問題に地盤沈下という大きな問題がある。地盤が沈下しておりますから、
新潟市民や漁民や
港湾業者は潮位が高くなった、海が高くなったといいますけれども、海が高くなったということではなくして、地盤沈下のために
防波堤が低くなったから
防波堤の役を果さなくなってきておる、役目が減ってきておる。そのときにこれをやりましたならば、これはどういうことになるか。これは
海岸計画にも大きな問題でありますが、こんなことによって起きる被害というものは甚大なものがある。国際港としての
新潟港の価値というものはなくなるということになるのじゃないかということを非常に皆心配いたしております。でありますから、そうすればここに
昭和石油とか日本石油とかいう製油会社がございますが、タンカーが入ってきますが、御
承知のようにタンカーは、もうマンモス・夕ンカーで、十万トン以上のタンカーでないと採算がとれない。
新潟に入ってくるのは一万二、三千トンのタンカーしか入らない。と申しますのは、これをつけて船を回そうとしても、
導流堤というじゃま物がありまして船が入らない。そうしますと、せっかく港について今まで便利であった製油所というものが立ちゆかないような事態になる。
新潟の産業というものは、こんなことをされると非常に困る
状態になる。
こういうようなことをいろいろな点から考えまして、二つの案のうち
河口分流、港の中に川をこしらえるというようなことは、これはやめてもらわんけりゃならぬ。これは
運輸省ではごきげんが悪いかもしれませんけれども、
運輸省のごきげんをとっておって、そうして港百年の大計を誤まるというようなことは、地元の
知事としてはどうしてもできない、こういうわけでございます。で、悪かったらこれをふさげばいいじゃないかということは、これは暴論と言わなければならない。もう一たん悪くなって、この辺を荒されちゃって、ふさいだときはどうなるか。あんな危険な港には、ことに外国船などは船長が神経質になって、ここに入るとは申しません。でありますから、こういういい港があるのですから、港を自然に利用して、一ぺんここから砂を流さないようなこういう分水をしてもらいたい。しかし、これは港本位ではなくて、私どもは今申した
河状整理によるいろいろの特典を一つ
新潟県に与えていただきたい。繰り返して申し上げますが、
斎藤議員の御
報告の中にもありましたように、
洪水などもありますが、
洪水がどんどん入ってくる。だから砂を合せて流す。それから
河状整理によって、
まん中にある淺瀬とか大きな島もありますのですが、そういうものをどんどん取り払って、水はけがよくなるようにする。そうすると、ここは米の産地でございますが、一年でもって七十万石、八十万石という米を、ここらはみな米の産地でありますから、そこの地下水が自然に下れば——
新潟県の
土地改良の必要というものは
排水であります、この辺は海抜以下の所やマイナスの所もありますので、そういう所の地下水が自然に下ってくれば、八郎潟のごときものではない、何十万石の増産が期待できる、こういうことに相なりますので、今
田中先生から歴史的と仰せになりましたが、歴史をたどればこれは御
報告申し上げることは際限がございませんが、かつてこういう
計画が
運輸省の
港湾計画会議で、一応
委員各位の中に
反対なさった方もあるそうでありますが、きめられているのでありますけれども、これは運輸大臣の御参考になる諮問機関でありますから、
運輸省としてまだおきめになっているのかいないのか、私はきまっていると思ったら、
岩沢議員からそれはお前知らないのだ、これはまだきまっておらないのだ、計
画課長に伺ってもまだ
運輸省としての省議や何かではきまっておらぬようであります。きまっておらぬのは非常に私どもには助けになるのであります。
大体美点と欠点を数えたわけです。これに対しては今申すように四十三億かかるじゃないかというようなのが、ただ一つの
反対であるわけでありますが、これはちょっと今の金で四十三億でございますから、大したものじゃございません。これはもう金目のものができるのでありますから、ほんとうに本
委員会の御尽力によって、十億か十五億私に貸して下されば、
新潟県の事業としてやりたいと思うくらいの事業でございます。
以上、また御質問があればお答え申し上げますが、ざっと概況だけ申し上げました。