○辻原
委員 今の話によりますと中学の三年だけにしかその影響が及ばぬという
お話であります。私はその時間数の配当の問題等のこまかいことを申し上げるのではなくて、これは後刻も質問をしたいと思うのでありますが、教科書の問題等において、そういう徳目的教科に重点を置くのあまり、
ほんとうの広い
意味における、従来われわれが強調し、またあなた方も強調されてきた
一つの芸術教育とかあるいはスポーツ振興とかいう面に、何がしかその暗い影が及んでいく
ように今度の教科改訂なり最近の方向を見て私は感ずるのであります。かねてから
高津委員が
相当な時間をさいていわゆる芸術振興の論議をここでやられておる。それと逆行する
ような
一つの教科設定なり指導要領あるいは指導方法というものが生まれ
ようとする傾向がその中にはらまれておるのではないかということを私はおそれておるのです。まあそれは音楽の時間を一時間減して直ちにその
効果がどういうふうになるかという
ような算定はできません。しかしそういうものが長い年月の間に積み重なり、国民の間に浸透していくことは、そういう
文化的な情操の教育を怠って逆に
道徳教育がそういう面でこわされると思うのです。
ほんとうの
道徳教育なんていうものは、そういうスポーツを振興し、あるいは音楽あるいは図工、こういった情操教育を徹底していくうちに健全な社会の姿というものが生まれる。私は口先だけではなしに、先年中国等に行ったときにもあの青年があるいは老年が喜々としてスポーツや
相当高度の音楽あるいは演劇というものになじんでおる姿を見て、その社会のあり方は別といたしまして、その現実に見る社会の中に
一つの健全さというものを発見したのです。そういう
意味からいいますと、音楽の一時間や図工の一時間、体育の一時間を減して、五十何科目にわたる徳目教育をやれば
道徳教育が振興できるのだという考えは、いかにも近視眼的であり過ぎると思います。そういう心配がないのかどうか、
ほんとうにないならばけっこうでありますが、スポーツあるいは情操教育、こういうものの軽視の傾向が今後出てきはしないかということについて、私は主管の
局長であられる御賢明な内藤さんにとくと申し上げると同時に、さらに御賢明な大臣におかれても、この点について慎重に真剣に考うべきであると思います。情操教育などというものは一朝一夕にその成果が結ばれるものではなしに、じりじりそれが堆積されるものであります。そういう行き方から考えると、むしろ情操教育なりあるいはそういうスポーツ振興というものを、教科からではなしに、社会教育の部面において、あるいは国民全般の動きの中において、もっと大きく
文部省あたりが指導的な何になって、どんどん振興策をはかっていくという
ようなことが、いわゆる社会道徳を確立する基礎になると私は思う。たしか
審議会のある
委員のお言葉が新聞でしたか、私は聞いたのですが、今日
道徳教育が非常に叫ばれなければならぬ、またわれわれが間々単なる社会の人間
関係の中におけるエチケットが欠けておる、あるいは子供たちの頭の中にそれすら知らないというその原因が一体どこにあるか、それを指摘するのに、社会の環境が安定をしていない、教師自身のその点についての考え方自身が安定をしていないということを指摘しておったと思うのです。そういう
意味からいってこの重要な一番の基礎になる健全な社会の確立ということにおいて、学校教育の面からそれと逆行する
ような方向をたどっていくことについて、私は絶対に賛成できないのです。そういう
意味で将来そのために教科を改訂なさる場合には、ただいまの内藤
局長さんの言は食言としてこの
委員会に持ち出すことあることを申し上げておきたい。
それから同様な問題として、今ついでにその問題が出ましたので、教科書の問題でありますが、年来かなりの国において無償制度が実施されておる。ですから私
どもはやはり無償を実現したいということで法案等も提出をいたしたのでありますが、今度
文部省は何か貸与制を考えられておるということを聞いておる。しかも明年度の
予算要求をなされておるということでありますが、この中においても選ばれた教科は芸能科であります。芸能科をのみ貸与制にし
ようということである。私は
アメリカの各州あるいはデンマークですか等にこの貸与制がやられておるということを聞いておりますが、貸与制もけっこうであります。また
日本で
アメリカのモデル・スクールをやった中においても、この貸与制がかなりうまく運営されておるのを見ました。しかしそれはこまかいことになりますが、備付じゃなしに、やはり子供らが自分で買ったと同じ
ように自分のものとしてそれを尊重できる
ような貸与制でなくちゃならぬという
意味からいって、ちょっと今度の貸与制についての
文部省の構想については、にわかにけっこうであると双手をあげるまでにはいかない。三年ごとに更新をする。そして芸能科は別にうちに持って帰って予習も復習もしないから、自分の教科書はあってもなくてもよかろう、極端に申せば、はっきりいえば、そういうことになる。そこに芸能科軽視の傾向があると私は指摘する、どうでしょう。