○
政府委員(
瓜生順良君) 中央公論に載っておりますその論文は、私も最近それを見ましたが、今お読み上げになった中の、陛下は小説はもうお読みにならないというのは、これは小説、文学はそれほど好きでなくて、生物学が非常に好きなんで、そうお読みにならないらしいのですが、全然お読みにならないようでもないように思います。特にお好きではないのですが、そのために
一般の人情とかそういうものがおわかりにならぬのではないかというような推察がその論文に書いてございますが、その点はそうした御心配は要らないのじゃないかと思います。特に最近、数年前のことはよく私は詳しくは知らぬのですが、新聞とか雑誌も相当ごらんになっております。で、ラジオ、テレビ――テレビについてはもうおひまなときは常にごらんになっておりまするから、そういうような点でいろいろ世の中の御
活動も御存じでありまするし、それから御兄弟に当られる高松宮さん、三笠宮さんがおいでになって
お話しになっておりまするし、お子さん、御
親戚、そういう方もいろいろおいでになって
お話しになっておりますが、そうした方から非常な世の中のこまかい点、また以前でしたらあまり御存じなかったようなことも、いろいろそうした方から聞いて御存じになっております。なおわれわれが接する場合にも、今そこにありますように姿勢をどうもくずさないというかた苦しいものではなく、敬意は表しておりまするが、にこにことお互いに雑談をするのでありまして、そうかた苦しいとは思いませんです。私も二年半前に入ったので、その前はそうした社会に全然いたことはないので、どういうものだろう、そんな窮屈なところは勤まるだろうかと思って入りましたが、そうした窮屈な面もそう強くは感じません、で
侍従とか女官がずっとすわって能面のようにじっとしておる。これはまあ儀式なんかのときにはそういうふうにいたしております。これは儀式なんかは、そうしたときはその式の
空気を作るためにみなそうした方が式の
空気が出るのでそうしておりますが、平生うちにくつろいでいる場合はそうかた苦しいものではないのであります。こう言っては何ですけれども、女官あたりはきゃっきゃと言って声を出して笑って話をしておる場合もありまするし、
一般で
考えられておるほど今の
宮中の
空気がかたい、冷たいものであるということではなくて、普通の人間の家庭とあまり変らないというふうにお
考えになって間違いはないと思います。なおその雑誌に、外国使臣にお会いになる際に
最初の握手の際にはにこっとされるが、
あとはすましておられるということですが、これはまあ私は国賓が見えます際には出ておりますけれども、握手の際には特ににっこりなさいますが、それから後も微笑を含んで
お話しになっております。握手の際は特に非常に、われわれから見るとずいぶんあいそうよく笑顔をなされます。それから
あとも微笑を含んで
お話しになっておるので、そうかた苦しい感じはしてないように思うのであります。あるいはときによるとお疲れの日、きょうは比較的むずかしい顔をしておられるな
あということを感ずることはございます。これは相当お疲れになっておるときで、われわれも相当疲れておるときはむずかしい顔になるので、お疲れのときはそういうようなこともございますが、それが常にそうだというふうにその雑誌からおとりになりますと、間違いじゃないかと思うのでございます。
で、なお
宮中の中のいろいろ用語なんかにつきましても、これはわれわれが入りましてから、いろいろ
検討のときも、いわゆる
宮中言葉というようなものが昔からあるというので、むずかしい、普通には通じないような
言葉だというように聞いていたんですが、それは今の陛下の生活にはほとんどありません。一部残っておりまするが、古い女官なんかでそういうのがありますけれども、それはおなくなりになった貞明皇后さんのときは相当むずかしいのがありましたが、今の両陛下の場合にはそうむずかしい
言葉を使っておられませんで、われわれもそれですから普通の
言葉でどなたとも話して何も不自然でないというのが
現状でございます。古い
言葉が混乱して伝わって誤解を生んでいるのではないかというふうにも感ずる次第でございます。