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1956-04-10 第24回国会 衆議院 公職選挙法改正に関する調査特別委員会 第15号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年四月十日(火曜日)     午前十時二十九分開議  出席委員    委員長 小澤佐重喜君    理事 青木  正君 理事 大村 清一君    理事 淵上房太郎君 理事 松澤 雄藏君    理事 山村新治郎君 理事 井堀 繁雄君    理事 島上善五郎君       相川 勝六君    赤城 宗徳君       加藤 高藏君    菅  太郎君       椎名  隆君    田中 龍夫君       中垣 國男君    二階堂 進君       福井 順一君    古川 丈吉君       三田村武夫君    森   清君       山本 勝市君    山本 正一君       佐竹 晴記君    鈴木 義男君       竹谷源太郎君    滝井 義高君       中村 高一君    原   茂君       武藤運十郎君    森 三樹二君       山下 榮二君    山田 長司君       川上 貫一君  出席政府委員         自治政務次官  早川  崇君         総理府事務官         (自治庁選挙部         長)      兼子 秀夫君  委員外出席者         法制局参事官         (長官総務室主         幹)      山内 一夫君         総理府事務官         (選挙部選挙課         長)      皆川 迪夫君         参  考  人         (早稲田大学教         授)      中村 宗雄君         参  考  人         (朝日新聞社社         友)      下村  宏君         参  考  人         (静岡大学教         授)      鈴木 安蔵君         参  考  人         (法政大学教         授)      中村  哲君         衆議院法制局参         事         (第一部長)  三浦 義男君     ————————————— 四月十日  委員赤城宗徳君、足立篤郎君、河野金昇君及び  中馬辰猪君辞任につき、その補欠として山本正  一君、中垣國男君、臼井莊一君及び山本勝市君  が議長の指名で委員に選任された。     ————————————— 四月七日  小諸市の選挙区に関する請願(西村彰一君紹  介)(第一七一四号) の審査を本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  参考人出頭要求に関する件  公職選挙法の一部を改正する法律案内閣提出  第一三九号)  公職選挙法の一部を改正する法律案中村高一  君外四名提出衆法第二二号)     —————————————
  2. 小澤佐重喜

    小澤委員長 これより会議を開きます。  この際参考人に関する件についてお諮りいたします。去る七日の理事会の申し合せによりまして、お手元に配付いたしました名薄通り、四名の諸君を参考人として選民し、本日の委員会において、それぞれ各問題について意見を聴取することに取り計らうことに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 小澤佐重喜

    小澤委員長 御異議なしと認めまして、その通り決定いたしました。
  4. 井堀繁雄

    井堀委員 議事進行について発言をいたしたいと思います。それは、本日ただいま決定になりました参考人の御意見を聴取いたしますに当りまして、たまたま他の委員会等において公聴会が開催されておりまするやさきでありまして、新聞などにも、参考人意見を聴取することと、また国会法の五十一条、さらに衆議院規則第三節にありまする公聴会と混同されるきらいがございまするので、念のため公聴会においては、われわれといたしましては、後日理事会においてわれわれの計画を述べ、御同意を求める用意がございますので、この機会に、今後議事を正常に進行する意味において誤解のないようにいたしたいと思いますので、この点について、あらかじめ委員長から、はっきり御回答願いたいと思います。
  5. 小澤佐重喜

    小澤委員長 ただいま井堀君から議事進行に関する発言がございましたが、本日の参考人の供述を求むるのは、議事規則第八十五条の二に基くものでございまして、その点は御心配ないと存じます。  議事に入ります前に、一言参考人各位にごあいさつを申し上げたいと存じます。  本日は、御多用中のところ、特に本委員会に御出席を願いましたのは、下村宏君よりは、内閣提出公職選挙法の一部を改正する法律案について、また中村宗雄君よりは、内閣提出と社会党の中村高一君外四名提出公職選挙法の一部を改正する法律案の両案の一事再議に関する問題について、それぞれのお立場より忌憚のない御意見を拝聴し、もって本委員会審査参考に資せんとするものであります。つきましては、何分腹蔵のない御意見の御開陳を希望する次第であります。  それでは、これより参考人に関する議事に入ります。まず内閣提出公職選挙法の一部を改正する法律案及び中村高一君外四名提出公職選挙法の一部を改正する法律案一事再議に関する問題について、中村宗雄君より御意見の御開陳を願います。参考人中村宗雄君。
  6. 中村宗雄

    中村(宗)参考人 私早稲田大学中村宗雄であります。私の専攻は訴訟法学でございまして、本日意見をお求めになりまする一事再議原則、これにつきまして訴訟法学立場から私の存じておることを申し上げまして、この問題御解決の資料にさせていただきたいと思うのであります。  御案内のように、一事不再理と申しますが、これは、訴訟が重複した、すなわち二度同じ事件について訴訟が起った場合にどう取り扱うかということの原則でありまして、ローマ法以来、この基本原則発展して、民事訴訟に、また刑事訴訟においての基本原則となり、さらにこれが一般議事通則になっておるわけでございます。これを一事不再理とわれわれは訴訟法学の方面では言っておりますが、これは主として訴訟を中心として議論が発展して参りました。しかも民事訴訟刑事訴訟とその発展内容において異なっておるところがございます。議事通則といたしましては、十九世紀に入ってからの理論的発展でありまして、これの方はいろいろな政治的モメントが入っておりますので、訴訟法学における一事不再理の原則のごとく、緻密な法律的な理論構成ができていないように思うのであります。そこで、今回、この公職選挙法に関連いたしまして、国会において、この一事再議原則についての内容を確立される段階にあると私は存じておるのでございます。これにつきましては、民事訴訟もしくは刑事訴訟基本原則をそのままに持ってこれないものがあるのでございます。このことは、議事通則としては別個の立場からの考察が要るのであります。何と申しても訴訟法学におけるこの原則発展過程、このうちからして議事通則としての一事再議原則の骨組みが見出されるように思うのであります。  私、この件に関しましての意見を申し上げるにつきまして、誤解があってはなりませんので、申し上げますが、私の理解するところといたしましては、前国会から継続審議に付せられておりまする公職選挙法の一部改正法律がこの三月一日に衆議院を通過した。ところが、次に、三月十九日に再び衆議院における小選挙区制を目当てとした公職選挙法の一部改正法律案政府から提出された。この二つ改正につきまして、前回修正された条文のうちのあるものが政府案において再改正され、ここに一事再議原則がこれに当るか当らないかということが問題だと私は理解いたすのであります。また、私の理解する限りにおいての政府の御意見としては、法案目的趣旨客観的状態前回改正と異なれば一事再議原則に反しない、すなわちその適用外にあるのだという御意見のように承わるのであります。この法案目的趣旨客観的状態前回は中選挙区制のもとにおける参議院選挙目当てとしているが、今回は衆議院選挙目当てとする改正であるから、法案目的趣旨客観的情勢が全然異なっているのだ、こういうような御意見のように承わっております。その他派生の問題もあるようでありますが、それらはこの際取り除きまして、なお、後に御質問があれば、私の意見を申し上げることといたしまして、今回の政府提出公職選挙法改正法律案のうち、前回改正条文をさらに改正することが一事再議原則に該当するかしないか、これに対しましては、議事運営通則というようなものが現在の日本にはございませんので、結局一般原則によってこれを判断するほかないのであります。  この一事再議原則から申しますと、これに対しては二つの対立した意見がありまして、一つは、これは一事再議に該当するという意見であります。これは、イギリス法の二重危険防止日本憲法三十九条にありまする「何人も、実行の時に適法であった行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。」これは英国におけるブル・ジェパディの原則が入っておりまして、この立場から申し上げますと、今回のこの問題については一事再議原則に反するという結論に到達するわけであります。しかし、また民事訴訟法の高度に法律技術化した原則からいいますと、ある程度条件を付して、この場合一事再議に該当しないという結論が出てくるわけであります。この場合、議事通則といたしましては、果して民事訴訟原則に従うべきか、あるいは刑事訴訟原則に従うべきか、あるいは両方に従えないか、これが問題になるのであります。  この問題を論定いたすにつきましては、この一事再議原則発展過程を簡単に御説明申し上げて、皆さんの御参考資料に供することが便宜かと思うのであります。それで、本日、委員長の御許可を得まして、簡単な一事再議原則に関する史的発展の経過をここに書いたものを、各位に差し上げた次第であります。何もこれは、私、大学の講義ではありませんから、これをことごとく講義するつもりもございませんが、このうちの要点だけをば申し上げたいと思うのであります。  先ほど申し上げました通り、この一事不再理の原則ローマ法以来の原則であります。ローマ法におきましてはきわめて素朴的な考え方であります。訴えを提起する、つまり訴訟係属、これをリティス・コンスタシオと申しますが、これによって訴権アクティオが消滅する。アクティオが消滅するから、再び同じ事件について訴えを起せない。これは訴権消耗説と申しておりますが、再び訴えを起せない。一事不再理、ここにありますようにネ・ビス・イン・イデムという原則であります。この考え方が中世から近世にかけて発展して参り、これが民事訴訟と違った立場からして理論発展し、さらに十九世紀の後半期において議事通則にまで盛り込まれてきたわけであります。こまかい理論的な問題はこの際省略いたしておきます。  ドイツ普通法時代におきまして、多くの法典が現われております。たとえば、一五三二年のカロリナ法典、一七八一年のオーストリア普通裁判所法、一七九三年のプロシャ普通裁判所法、また一八〇四年のフランス民法千三百五十一条等でありますが、これらの法典条文を通じまして、この一事不再理の原則が、大体において十八世紀の終りから十九世紀の初めにおいて近代的理論が固まってきたのであります。  この理論二つに分れております。すなわち、近代期となれば、今さらローマ法時代の、訴えを起せば訴権がなくなるというような素朴な物理的法律観はとることができない。しからば一事不再理の原則の根拠をどこに求めるかということについて、二つ考え方が現われてきました。一つは何かと申しますると、既済事件権威、すなわち事件判決によって確定したのだから、二度は審理しないぞという考え方であります。それから次は、判決をしたのだから、その判決効力として二度の訴えは許さない、こういう考え方であります。この既済事件、レス・ジュディカータと申しますが、この既済事件については、再び国家がこれに関与しないのだという考え方は、先ほど申しました一八〇四年のフランス民法の千三百五十一条に、既済事件権威ということで規定がされております。この方の立場から申しますと、一ぺん判決を経たものは、いかなる理由があろうとも再び審理しないという考え方であります。それから、次の、確定判決効力として再び審理しないというのは、大体において一七八一年のオーストリア普通裁判所法、一七九三年のプロシャ普通裁判所法等がこれの萠芽をなしておりまして、一八七七年すなわち明治十年のドイツ民事訟訴法においてこの原則が確立してきたのであります。これは主として民事訴訟の面において発展したのであります。これは後ほど御質問があれば申し上げまするが、民事訴訟においては、一ぺん判決した事件をば二度は審理しないぞと、そう簡単には言い切れない関係がありますので、同じ一件であっても二度審理することは一向かまわない。ただし違った判決はできないのだ。すなわち、一事不再理原則というものは、民事訴訟原則においては後退いたしまして、違った判決はできないという原則、これをば一回限りの原則、プリンチップ・デア・アインマリヒカイトというような原則に置きかえられておるということを、ここに申し上げておきたいのであります。いずれにせよ、十九世紀の前半において固まった理論は、前の訴訟において、国家がこれに対して判決をしたのだ、これに対して再び審理はしないぞ、すなわち国家意思尊重議事通則の方に持って参れば、院議尊重というようなところに重点が置かれておるわけであります。  しからば、何について再理ができないか、すなわちいわゆる一事不再理の一事とは何ぞやということにつきまして、同じくここに学説二つ対立したわけであります。と申しまするのは、判決事件に対する国家的な判断であります。これを、法学概論などでは、事実を認定する、その認定せられた事実に法律適用した結果の宣言が裁判である、こういうふうに説明しておりまするが、この定義からも考えられるように、裁判には、事実と法規範の面と、二つの面があるわけであります。しかして、この一事不再理の原則のどこをもって一事と見るかということにつきまして、事実面に重点を置いて考える立場と、法規範面の方に重点を置いて考える立場と、こう二つあるわけであります。まなわち、判決せられた事件そのもの一事不再理の原則適用されるんだという考え方、すなわち、事件に対する裁判、つまり国家意思というものは一個しかあり得ない、二度は判決しないぞ、こういう考え方であります。この考え方が、先ほど申し上げました一八〇四年のフランス民法の千三百五十一条に現われておる。また、英法における二重危険の防止日本憲法三十九条にあります、無罪とされた行為については、再び刑事上の責任を問われない、同一犯罪については、重ねて刑事上の責任を問われない、この考え方、また刑事訴訟法第三百三十七条でありますが、「左の場合には、判決で免訴の言渡をしなければならない。」「一 確定判決を経たとき。」すなわち、一ぺん確定判決があったならば、再び蒸し返しは許さない。被告人保護のためであります。前に強盗罪で起訴したが、無罪であった。しからば、もう一ぺん蒸し返して窃盗罪で起訴する、これはできない。理由いかんを問わず、再び審理判決できない。すなわち事件という方に重点を置いた考え方であります。  これに対して、民事訴訟の方の理論はそうではない。民事訴訟は、御案内のように、原告被告が対立し、原告請求について裁判所理由ありやいなや判断するわけであります。そこで、原告の主張する請求原因については、裁判は一個しかない。これは、私、学生によくこの例をあげるのでありますが、運送品をなくされた。それで損害賠償訴えを起すのに、ただ運送品をなくされたから損害賠償をよこせと言うたって、裁判所は満足しない。これは、不法行為による、故意もしくは過失によって運送品をなくしたから、金何万円の損害賠償をよこせ、不法行為による損害賠償請求、あるいはまた運送契約債務不履行——運送経営者は、善良なる管理者の注意、義務をもって運送品をば目的地に到達させる義務がある。その義務を履行しないから運送品が滅失したから、債務不履行として損害賠償を求める。いずれかに請求原因をば固めていかなければならない。そこで不法行為として損害賠償請求訴訟を起した。それで、不法行為訴訟というものはなかなかむずかしい問題であって、相手方の故意過失を証明しなければならぬ。請求棄却を受けた場合に、次には、同じ事件であっても、債務不履行による損害賠償請求をすることは、これは一向民事訴訟としては禁止しておりません。つまり、民事訴訟としては、同一請求原因について二つ判決はしない。従って、請求原因が違えば、同じ事件について再び訴えを提起し、審理し、判決を求め得るという原則が成り立つわけであります。この場合、前の訴訟とあとの訴訟一事不再理になるかならないかということを決定する基準は、請求原因が同じであるかないかということであります。  この請求原因につきましては、法律解釈理論として多くの学説判例が集積しておるわけであります。これを本件の場合について言うならば、再度の法案目的趣旨が異なれば、一事再議原則に該当しない、ぴったりこれに当てはまるわけでありますが、ただ、いかなる程度において目的趣旨が異なれば一事再議原則に該当しないかという客観的基準がないわけであります。また、前の既済事件についての立場からいえば、一ぺんこの法案条文に手を入れて修正したなら、同一会期中、いかに目的が違おうとも、その点について再び修正を求めることは、一事再議原則に反する、こういう結論になるわけであります。結局、この問題は、従来の学説理論から申しますると、二つ立場がある。すなわち、大ざっぱに言うならば、刑事訴訟理論——もっとも最近の刑事訴訟理論はだいぶ民事訴訟法化いたしまして、現在の刑事訴訟法学者としては、私の結論には必ずしも御賛成でないかもしれませんが、代表的なものとして、英法における二重危険の防止明治憲法三十九条の立場、これから申すと、同じ法案、同じ条文の再度の修正は、理由いかんを問わず、一事再議原則に該当するという結論になる。現在の高度に法律技術化した民事訴訟理論から参れば、一定の条件、すなわち全く異なれる目的趣旨であるならば、再度の法案修正一事再議原則には該当しない、こういうことになるわけであります。  しからば、いずれの原則によるべきかということが問題であろうと思うのであります。ただいままでは従来の学説発展を申し上げたのでありますけれども、それに基きまして私の現在の学者立場として申し上げるならば、議事通則としては、高度に技術化された民事訴訟既判力理論はどうもとることができないと私は思うのであります。と申しまするのは、民事訴訟既判力理論につきましては、すでに、先ほど申し上げました通り一事不再理の原則が後退しておる。再度の審理はしてよろしい、しかしながら異なれる判決はしてならないというようになっておりまするが、この面をばこのまま議事通則として入れたならば、同じ法案が何べんでも出てくる。審議はするが、前と違った修正はできないというのでは意味をなしません。この点が一点。第二点は、民事訴訟において、一時不再理の原則を後退させて、違う判決ができないとしたその基準は、請求原因である。同じ事件であっても、請求原因が違えば、既判力が及ばないという立場であります。この請求原因とは何かということについては、もとより学説判例の一致せざる点もありますが、法律解釈論としてとにかく一つ基準が与えられている。しかしながら、国会議事を見てみますると、こういう基準が現在において何らないから、議事録を拝見いたしますると、政府委員の御答弁と国会委員各位の御質問とは常に平行線になっているのであります。法案目的趣旨が違えば何べんでも法律改正ができるということになれば、竹谷さんが仰せられたように、それでは一事再議原則がなくなってしまうではないか、これはまことにごもっともであります。民事訴訟におけるがごとき請求原因に該当すべきこれを判断する基準が、議事通則にはないのであります。  そこで、さらに、現在の既判力理論一事再議理論の背景をなすところのものは、国会意思尊重ということであります。言葉をかえて申せば、院議尊重ということであります。しからば、同一会期中に一ぺん院議が決定して再びこれに手を触れることは、原則として賛成しがたい、肯定しがたいというふうに私は思うのであります。しからば、結局において、英法における二重危険の防止のごとく、理由いかんを問わず、同じ事件については再び審理判決ができない、一ぺん法律修正したならば、同一会期中においてはいかなる理由があっても絶対手を触れられないと結論できるかというと、これは私学者としてそうは言い切れないように思うのであります。と申しますのは、この刑事訴訟の二重危険の防止は、被告人保護ということが著しく前面に押し出されております。また、すでに過去に行われた犯罪に対する処罰でありまして、それから後における事情変更などがないのであります。しかしながら、政治は生きて動いており、刻々において変化しておる。一ぺん院議で定めたものを再び変更できないというように、くぎづけにはとうていできないものと私は考えておる。かるがゆえに、明治憲法三十九条における一事再議原則規定も、「同会期中」とあり、また現在の一事再議原則についても、同一会期というものを一つの区切りにしておる。永久ではないことは明らかであります。しかして、現在においては、同一会期でも、明治憲法下の当時と比べて著しく会期が長くなっておりまして、その間において政治的情勢が変ることもあり得るのであります。この一事再議原則をば、英法における二重危険の防止のごとく、絶対的なものとなし得ないと私は思う。しからば、どの程度においてこれを緩和し、どの程度において例外を認めるかという問題になるわけであります。  まず第一に、事情変更であります。いかなる制度同一事情存続原則の上に立っております。事情が変れば結論も異なってこなければならない。ただ、問題は、いかなる程度事情変更がなければならないかということであります。一事再議原則も同じく法律制度であります。事情変更し、一事再議原則をとり得ざる程度事情変更があるならば、これは例外ではない。当然一事再議原則適用範囲外である。そういう意味において、この委員会においても問題になったようでありますが、第十三回国会において、国家行政組織法が八回改正された、行政機関職員定員法が七回改正された、こういうのがあるから一事再議原則国会議事には現在行われていないのだというふうにも考えられますが、私はこれは事情変更だと思う。やってみたが、どうしてもそれではできないとなるから、新しく法律改正するので、事情変更するならば、十ぺんが二十ぺんでも、同一会期中において変更することは当然のことであります。ただ、問題は、法案の再度、三度、四度、重ねて修正を要するがごとき事情変更ありやいなやということであります。この事情変更原則というものはすこぶる便利なものでありまして、すべて事情変更だといえばそれまでであります。この事情変更原則適用については、相当戒心しなければならないのであります。事情変更原則というのは、われわれ学者で言う一般条項でありまして、一般条項には何らそれを決定すべき基準がございません。たとえば、民法九十条にある公けの秩序善良の風俗といいましても、何が公けの秩序か、何が善良の風俗かということは、民法九十条には現われてない。またそれの下位に属する別な基準を求めていかなければ、果してこの事件善良の風俗に反するか、公けの秩序に反するかという判断はできないわけであります。ですから、一般条項適用については非常に戒心しなければなりません。ヘーデマンが、一般条項の名による法の軟化現象ということを言っております。フェルワイヒリッフング・デス・ゲゼッツェス、一般条項は、あまり乱用すると、法規というものはあってなきがごとしになるから、この適用については細心の注意を払わなければならない。ごもっともであります。ことに、一般条項のうちでも事情変更原則はその例外条項でありますから、ゆえに、さらにこの例外だから、事情変更したから一事再議原則適用がないという結論は速急には出し得ない。十分なる理論的根拠というものを見出さなければならぬ。これを、私、学者立場として申し上げるわけであります。  果して、しからば、今回の場合に、三月一日には中選挙区制をば基準とした法律改正があった。それによって衆議院に関する条文を若干修正された。三月十九日に新たに小選挙区制による衆議院選挙に関する条文改正が提案された。この約一月弱の間にかくのごとき重大なる事情変更があった——事情変更というのは法案それ自身ではない、客観的情勢であります。この客観的情勢変更があった。これは、私、社会人の一員として、それだけの大きな事情変更があったとは考えておりません。でありますがゆえに、本件の場合に事情変更原則というものは適用されるべきではない。しからば、どこに問題があるかといいますと、法案目的趣旨前回と著しく異なった。これは全然別個のものであります。民事訴訟理論でいえば、請求原因が違うのに匹敵すべき、全然別個の法案目的及び趣旨が違うのだというところに論点があるのではないかと思います。政治は生きものであります。民訴理論、刑訴理論としては、事情変更は外部から参ります。その事情変更した場合には、既判力一事再議原則は行われない。ところが、政治は生きものであります。政治は活動であります。みずから客観的情勢を作り上げる。この新しい小選挙区制に基く法の提出について、新しい客観的情勢を作り上げる。かるがゆえに前回条文修正とは全然別個のものであるという主張も、私は十分な権利を持って成り立つと思うのであります。ただ、問題は、そのような客観的情勢を作り上げることがいいか悪いかというところが、これは政治問題として十二分に御考究願うべきところではないか。この問題になりますると、すでに法律学の範囲外になっております。これこそ国会各位が十二分の良識を持って御決定に相なるべきところであります。  政府の御答弁によると、法案目的趣旨客観的情勢、この三つをば不可分の関係で仰せられておりますが、私は、第一段といたしまして、目的趣旨法案のそれ自身の問題であります。客観的情勢は、法案自身の問題ではなく、これは切り離さなければならぬと私は考えております。しかしながら、その法案目的趣旨によって客観的情勢を作り上げるという意味において不可分の関係にあるということも言い得るかもしれません。とにかくこういう新しい情勢を作る。これは、われわれ法律学者から言いますると、事情変更原則適用外場面なんです。これは十二分の戎心を必要、また十二分の理論的根拠が私は必要なのではないかと思うのであります。この私の立場から申しますと、議事通則といたしましては、一応すべて同一法案に手をつけることは一事再議原則に該当する。しかしながら、客観的情勢、著しき事情変更があれば、その一事再議原則適用されない。しかしながら、新しい立場における法案、新しい全然別個の目的趣旨を持った法案提出する、これは法案自身の問題でありまして、こういう法案を出し得るかいなかということは、これは一事再議原則例外をなす場合、決してこれは一事再議原則範囲外とは私は心得ておりません。この点につきましては、太田長官が例外でないというようなことの御説明を私見たようでありますが、私は、現在議事通則といたしましては、これは例外に属するものである。しからば、例外に属するならば、これに対する十二分の理論的根拠を示す必要があるのではないか。先ほど申しましたように、われわれ法学者の間においては、事情変更原則適用は、これは戒心をしないと、法の軟化現象を来たす、法あって法なきに帰するであろうと言った。このことは同じく国会議事運営についても妥当するのではないかと思うのであります。私は、現在、法治国家、法による政治ということが理想であろうと思います。これは私の考えだけでありますが、日本は法治国駅でありますが、まだ形式的法治国家で、条文にさえ該当しておればよろしい、実質的法治国家にまだなっておらない。これらの点について十二分に御考究に相なりまして、果して、この今回第二回の法案前回法案と、民事訴訟法理論でいえば、請求の原因が異なるほど、全然別個の立場における法案、それを提出できるか、この法理問題と、こういう法案提出することが政治的に是認され得るか、そういう政治問題、各方面から国会各位が良識をもって御判断願う。これは、われわれ訴訟法学者、法律学者の字間の研究範囲外である。  私は、ただ、この問題について以上の意見だけを申し上げて、御参考に供しておきたいと思います。
  7. 小澤佐重喜

    小澤委員長 それでは、中村参考人に対して質疑を許します。山本正一君。
  8. 山本正一

    山本(正)委員 今、中村先生から、この問題になっておりまする一事再議原則の問題につきまして、訴訟法学立場から見た原則の意義、主としてそれを伺いまして、なお会議体にこれをどの程度に応用すべきものであるかということを詳細に伺ったのでございますが、私は、今国会においてこれが問題になっておりますので、主として会議体の場合における一事再議原則というものをどういうふうに解釈すべきものであるか、それから、具体的懸案になっております。三月一日に成立をいたしました公職選挙法の一部改正法律案、ただいま審議中の公職選挙法の一部改正法律案、この両件が果して一事再議原則に抵触するものであるかどうかという点について、若干お尋ねをいたしたいと思います。  ただいまの先生のお話にもございました通り訴訟法学上の一事不再理の原則と、会議体における場合の一事再議原則というものは、おのずから別の考察を加えなければならないという御趣旨でございます。私も、その点は、仰せの通り、ごもっとものことと思うのであります。そこで、会議体における一事再議原則というものは、どういう必要からこれを採用しておるものであるか、この点を一応先生の御意見を伺いたいと思います。
  9. 中村宗雄

    中村(宗)参考人 今の御質問、私触れませんで失礼いたしました。  この会議体への応用の問題でありまするが、明治憲法においては少くとも三十九条の規定があったのでありますが、現在においてはその規定がない。しからば、一事再議原則というものは会議体になくてもいいじゃないか、こういう考え方も一面においてはあり得るのであります。私は、条文がなくても、一事再議原則というものは当然議事通則として行われなければならぬ。何となれば、特に国会においては、国家意思の単一化ということが一事再議原則の根本趣旨であります。院議尊重ということは、国会の精神である。国権の最高機関たる国会が数個の意思を持っておったのでは、国民は帰趨に惑う。院議尊重国家意思を一個にする、国会において表示せられるところの意思は、少くとも一会期中においては一個でなければならぬというこの基本命題を取り上げるならば、一事再議原則というものは当然国会議事通則として行われなければならぬ。この議事の円滑な進行をはかるということは、機能的、末梢的なことである。根本は、国家意思を一個ならしめ、院議尊重するという命題をば尊重する限りにおいては、当然一事再議原則というものは全面的に国会会議体に応用されなければならぬ、こういうふうに考えております。
  10. 山本正一

    山本(正)委員 今、先生の御意見は、この一事再議原則というものは、院議尊重ということが主目的であるという仰せでございました。私もそのように理解をいたします。しかしながら、この会議体の運営というものを合理的に進める、それからその進行過程の秩序を維持するということも、院議尊重と同時に、相当重要視すべき内容のものではないかと思うのでありますが、先生の御意見はいかがでございますか。
  11. 中村宗雄

    中村(宗)参考人 その点に一向異議はございません。ただ、問題は、われわれ学問的立場として、常にものは二面性があります。形式と内容二つの面があります。両方をば同じバランスにおいて見るか、あるいは一方が主であって、他方がそれに付随すると見るか、これは学問的な立場であります。私は、この一事再議原則の出発点、基本は、国家意思尊重院議尊重、ここから出発して、さらに、機能的な面として、議事を円滑に運営させるというようなことが、それに当然不可分の関係としてくっついてくる、だから、一事再議原則の応用の限界を立てるについても、まず第一に考えるのは、国家意思の単一化、次に考えることは、議事運営の円滑化というような順序で考えていくというのが、私の学問的な立場でございます。
  12. 山本正一

    山本(正)委員 御趣旨はよく理解できます。私伺う順序がちょっと違うのでありますが、その点先に伺いたいと思いますが、会議体の運営を合理的に進めるということと、秩序を維持するということは、場合によっては、院議尊重と同じ程度に重要視されなければならない場合が、現実にはあると思うのであります。たとえば、同一内容の事柄をしばしば提案し、同一の論議が繰り返されることによって、会議体の運営というものが著しく秩序を乱る、そして後に行わなければならない院議の決定というものが非常に停滞をする、あるいは不可能に陥る場合も実際問題としてはあり得ると思うのであります。そういう意味からすれば、事は消極的な方面から申すのでありますが、一事再議原則違反ということが許されれば、結局院議尊重ということにも響いて参ります。こういうふうに思うのでございますが、その意味において、私は院議尊重という表面に出てくる意義ももちろん大切でございますけれども、裏面に行われるであろうところの会議体の運営を不合理にする、あるいはこれを停滞させるためにことさらに同一事項を繰り返し繰り返し許すというふうなことは、その意味から言うても、抑制しなければならぬと考えます。この原則の中には、そういう要求も非常に強い程度に含まれておると私は思うのでございますが、先生の御意見を伺います。
  13. 中村宗雄

    中村(宗)参考人 今仰せられたことは私一々ごもっともと思います。ただ、これをわれわれ学問の立場から申し上げますると、私の申し上げたことは、理念的な考察、いわゆる一般的な考察でありまして、今具体的な例をあげると、むしろ議事の円滑あるいは秩序維持の方が重要ではないかというのは、われわれ学問的な立場から言うと、個別的な現象的な考察であります。これは全然角度が違うのであります。ことに、法律問題でございますると、この理念的考察の結論が、大体において個別的な考察、具体的な考察にもそのまま現われてくるのであります。政治のごとき生きた現象におきましては、具体的な個別の問題においては、必ずしも理念的考察がそのままに現われて参りません。理念的考察としては、あくまでも国家意思尊重、次に会議における議事の円滑な進行、この学問的段階を付しておりまするが、具体的な例から言うと、むしろ第二段階にある議事運営が円滑を著しく欠かせられる。それなら一事再議原則が通則されるのではないかということもあり得る。これは、立場の相違ですから、議論の分れるところであります。私は学生によく言うのでありますが、人の性は善なり、これに対して、うちの隣の人は悪人だと言ってみても、議論にならないのであります。これは、今仰せられました御考察まことにごもっともであります。私もそう思います。でありまするから、これを具体的に決定するのは、政治的常識によって御判断相なるべきものだと思います。
  14. 山本正一

    山本(正)委員 なお伺いたいのでありますが、御案内通り、旧憲法におきましては、一事再議原則というものを正面からは規定してございませんけれども、側面からこの原則というものを明文において認めております。なお、当時の貴族院の議事規則衆議院におけるところの議事規則も、同様の趣旨のことを明らかにされておったのであります。ところが、現行憲法におきましては、これを削除いたし、両院の議事規則におきましても、国会法においても、これは規定しておりません。現行憲法及び現行国会法が従来ありましたこの規定を特に削除いたしましたのには、何らかの理由があると思うのでございます。この点先生はどういうふうにお考えでございますか。
  15. 中村宗雄

    中村(宗)参考人 私訴訟法学の専攻でございまして、公法学、憲法学を専攻いたしておりませんので、この点のお答えは専門学者としてお答えを申し上げかねるのでございますが、私は、現行憲法制定に際しては、いろいろな側面からの影響が相当ありまして、明治憲法を全面的に廃棄するという考え方で、こまかい法技術的な点にまで考えが及ばなかったのではないか。あの明治憲法三十九条は、当時、会期三カ月、天皇の内閣が中心となって議会を運営するがためには、ぜひああいう条文がほしかったのであります。民主主義国家となれば、というような考えもあったのではないか。ことに、GHQがおった時分には、同じ法律が何べんも同じ会期修正される、しからば、一事再議原則などの規定を置いたら、あとで動きがつかないという考えがあったのではないかと思います。しかしながら、私が申し上げますのは、いかなる会議体においても、一事再議原則というものは当然根本において適用さるべきである。ただ、時代によって、その範囲が私の言う例外として縮小される場合が相当あり得るのではないか。ことに、先ほど申しましたように、第十三回国会における同一法律の数回の改正は、いずれも事情変更原則適用の場面でありまして、ああいう現象があったがゆえに一事再議原則が現在の国会では行われないのだ、あるいは規定がないから一事再議原則は現在の国会では行われないのだとは結論できない、こういうふうに考えております。
  16. 山本正一

    山本(正)委員 実は私はその当時それに直接関係した者でないので、正確にはわからぬのでありますが、私どもが今理解しておる範囲におきましては、旧憲法時代一事再議原則を明らかに規定したものが現憲法において削除されておる趣旨は、先生の今のお言葉の中にも、側面からの影響があったというお言葉でございましたが、まさしくその通りに私どもも伺つておるのであります。それで、これはちょうど社会党の淺沼先生が議運の委員長の時代でございましたが、衆議院の事務当局では、現行憲法のもとにおいても、少くとも国会法には一事再議原則というものを明らかに規定する必要があるであろうということで、当局の原案にはこれを入れておいたのだそうでございます。ところが、今先生のお言葉にもございましたごとく、側面からの当時の占領軍総司令部の意向によってこれが削られた。入れることを許されなかった。どうしてこれを削らなければいかぬかということを、これは公式の文書には残っておらぬそうでございますが、尋ねましたところ、その司令部の説明は二つあったそうでございます。一つの点は、この現行憲法を基本にしてすべての制度衆議院優先主義をとっておる。そこで、ある法案が先に衆議院に参れば、その優先せられたる衆議院の意思というものは十分に審議に反映していく。しかしながら、御案内のごとく、案件の性質によりましては、参議院が先議することが実際上あるのでございます。もし、そういう場合に、参議院が先議をして、そこで否決してしまう。そうすると、同一の案件は再び提案することを禁じられるのでございますから、優先すべき衆議院の意思というものは全然反映もされない、無視されたままで、これを扱うことができない、そういうような現実の問題があるわけであります。そこで、それを救済する方法としては、衆議院が、参議院で否決せられたる案件を三分の二以上の議決によって復活することができるのでございますが、不幸にして三分の二以上の同意を得られないという場合は、結局優先すべき衆議院の意思は全く抹殺されてしまう。これはまことに不合理であるということが、一事再議原則憲法にも国会法にも規定しなかった理由の第一として伝えられておるのでございます。第二の問題は、これは時間的の問題でございますが、旧憲法における会期は御案内のごとく三カ月、現行憲法における常会は五カ月でございまして、時間的に非常に長期にわたる。しかも、終戦以来今日までの社会情勢、これは円際的にも国内的にも非常に変動が激しいのでございます。この社会情勢の変動の激しいということに対応する必要が一つ、また、国会が長期にわたるので、その町にどのような変動が起るか予測することができない、この情勢の変化に適合させるためには、国会の劈頭に改正せられたる法律を、さらに一たび三たび修正、あるいは場合によっては廃止するという必要を感ずる場合もあるであろう、そういうものに適合させるためには、やはりこの一事再議原則を固着的に機械的に扱うことは非常に危険であるから、憲法はもちろん、国会法にもそういう規定を置くことは有害であるという意味が削った意味であるというふうに伝えられまして、私どもも、これは、その当時の事情とし、現在の事情としてはもっともなものであろう、こういうふうに理解しておるのでございますが、経過の説明はともかくといたしまして、今申したような趣旨に対する先生の御見解はいかがでございましょうか。
  17. 中村宗雄

    中村(宗)参考人 今いろいろ御説明下さいまして、私の気のつかなかったことも教えていただき、非常にありがたく思うのであります。要するに、これは一事再議に関する規定を置くか置かないかという問題であります。今第一の、衆議院の先議権を侵害するというような問題は、さらに立法の際に十分考えるならば、何とでもこれは切り抜けられる問題であります。また、会期が長期にわたって事情変更する。これは、先ほど申し上げました下げ変更原則というものは、いかなる場合にも、法律規定がなくても当然適用されるべきものであります。結局、今お話に出て参りましたことは、終戦後において一事再議原則を表わすところの規定を置かなかったという経過でありまして、議事一般通則、当然あるべきところの一事再議原則が、この規定がないがゆえに、日本国会議事運営にはそういう拘束がないのだとは言い切れない。すなわち、法規範法律規定、これは分けて考えなければならないと思います。先ほど申し上げましたように、この民事訴訟法における一事不再理も、最初は規定がなかったが、実際の必要上からこういう理論が巻き上ってきた。会議体においても、もう当然の構造、基本原則一つとして、一事再議原則というものはあるべきである。しかしながら、それが現象形態としていかにあるべきか、たとえば、旧憲法にあったように、三カ月という短かい同一会期、しかも否決せられた法案に限定すべきか、あるいは、会期が長くなってきたならば、その会期を幾つに分けるとか分けないとか、こういう問題は法技術的な問題でありまして、私は、会議体における根本原則として、一事再議原則というものは行われるのだという考え方でございます。
  18. 山本正一

    山本(正)委員 その点は私も先生の仰せの通り理解をしておるのでございます。憲法及び国会法規定のあるなしにかかわらず、現実の問題として一事再議原則は今日なお生きておる、これは尊重すべきものであるということは、仰せの通りでございます。しかしながら、今申し上げた点は、国会が長期にわたるという場合、社会情勢が非常に変りやすい状態のもとに置かれておる、こういう場合には、この一事再議原則を解釈し適用するに当って、これらのことは十分参酌されなければならない。この事情そのものを尊重しなければならない。一事再議原則尊重すると同時に、この根本にある問題を尊重しなければならない。こういうふうに私は考えるのでございますが、先生の御意見を伺いたいと思います。
  19. 中村宗雄

    中村(宗)参考人 まことにごもっともであります。現在国会が長期にわたり、その間において重大な客観的情勢変更を生じ得る可能性がある、また、政府当局においても、施政方針、根本方針において、変り得る、こういうことは確かにあるのであります。これは事情変更原則適用するに際して考慮せられるべき具体的な問題かと思います。そこで、私先ほども申し上げましたように、国会議事通則としては、イギリス法における二重危険の防止のごとく、理由いかんを問わず、再度の審議は許さないという原則はとり得ないであろうということを、私は申し上げたわけであります。しかしながら、また、民事訴訟理論のように、当然違った法案も出し得るという結論にも到達される。しからば、どの程度においてその一事再議原則の不適用の場合が認められるかと申しますと、まず第一にあげましたのが客観的事情変更、それからその次が法案目的趣旨前回のとぎと根本的に違っておるということの法理的根拠のある場合、民事訴訟における請求原因が違っておる——どうも、訴訟学者ですから、訴訟法に行ってはなはだ恐縮ですが、いやしくも法治国家である限りにおいては、全然違う目的趣旨であるということを示す法律的根拠があれば、私は、一事再議例外として——例外という言葉が悪ければ、一事再議原則がその範囲において縮小される、こういうことも言い得るのではないか。これは原則適用場面における問題であります。これは、もう、すでに学問の範囲を越えました現実の問題に当面せられる国会各位が良識をもって御決定になる問題ではないか、こう思うのであります。
  20. 山本正一

    山本(正)委員 先ほど先生のお言葉にもございましたように、事柄は、一事再議のその一事というものはどういうことを言うものであるか、つまり内容同一性ということが最後の問題点にしぼられてくると思うのでございます。そこで、形式上の一事でないということは私はきわめて明瞭だと思います。たとえば、前議会に提案されておる法案の名称、形態が同一であるから、一事再議原則に反するという議論は成立をいたさない。つまり、ここに言うところの一事というものは、形式上の一事ではない。実質上の一事でなければならない。そこで先生に伺いたいのでございますが、実質的に同一のものであるなら、事情いかんにかかわらず、これを提出することはできない。刑法の訴訟法学理論のようなものは窮屈である。そこで、事情変更のあります場合は、実質的に同一の議案でありましても、客観的事情変更がある場合には、これは一事再議には抵触しないという先生の御意見のように伺っておるのでございますが、そこでどの程度にその事情変更が加えられておるかという認定の問題でございます。この認定は、先生の御説によりますと、これは学問的に決定すべきものでない、理論的に決定すべきものでない、終局は、国会の判断において、いわゆる国会の良識においてこれを判断決定すべきものである、こういうふうに仰せられておるように伺うのでございますが、その点は私の今の理解に間違いございませんか。
  21. 中村宗雄

    中村(宗)参考人 今仰せられた通りに私は理解いたしております。この事情変更原則、これは先ほど申しました一般条項でありまして、こういう事情変更すれば法則が適用されないということは、学問的、論理的に言い得るのであります。しからば、いかなる程度事情変更があれば法則が適用されないかということは、現象的な具体的問題であります。これを解決するがためには、さらに別な基準が要るわけであります。そこで、法律制度である民事法においては、各方面にそういう場合の規定がございます。要するに、われわれ法律家というものは、法律規定が出発点になります。それを基準として、いずれもそれに足らざるところは解釈を補って、この場合においてはある規定適用排除をするほどの事情変更ありやいなやということが、法律解釈の問題として結論が出てくるわけであります。しかし、それにしても、学者の主観的判断が加わる余地が多いがために、ヘーデマンが、一般条項適用を慎しめ、しからずんば法の軟化現象を来たす、これは有名な言葉でありますが、われわれ法学者に対して戒告いたしておるのでございます。ところが、一般国会法案審議となりますと、この方には法律家としてよるべき条文が何らございません。旧憲法の三十九条のごときああいう規定もない。あとは、議事一般通則としてこういう原則があらねばならないという程度以上には、法律家としては言い得ないのであります。具体的な場合においてこれが事情変更に当るか当らないかということは、結局においてその衝にお当りになる方が御判断にならなければならない。すなわち訴訟でいえば裁判官の裁量にまかされるわけであります。しかし、この場合においても、いやしくも、法の裁判であるという場合に、裁判官は十分なる先例その他を調べて、決して裁判官の主観的判断を表に出さないように心がける、それと同じように、国会においても、この場合事情変更があるのだと言われるがためには、これに対し各種の人に実質的な相当納得のいく根拠が必要なのではあるまいか、こういうことであります。
  22. 山本正一

    山本(正)委員 先生に実際の問題をあまり伺うことは、あるいは適当でないかもしれませんが、今問題になっております具体的なケースについて少し伺いたいと思います。先生も、世人を納得し得る程度事情変更があるならば、一事再議原則に反するものでないという御趣旨のようでございます。そこで、先ほど先生のお話のございました、三月一日に法律として成立いたしましたこの案件と、今この委員会で審講中の公職選挙法改正案、これは件名においては文字の示す通り同一のものでございます。しかしながら、この内容におきまして、果して先生のおぼしめしにかなうほどの実質上の事情変更があるかないかという点でございます。この点について伺いたいのでございますが、これに関する従来行われた論議は、速記をごらんいただいておるようでございますから、私はそれを繰り返すことは省略をいたしますが、先生の先ほどのお言葉の中には、社会人としてこれを見た場合に、さほど事情変更というものがあるようには思われないというような趣旨の言葉があったのであります。しかしながら、この三月十九日に提案された法案を用意されたのは、ことしの一月ごろからでございます。昨年の暮れ以来この三月までの世界情勢の動き、国内情勢の動きというものは、これは一つ一つ申し上げる煩を省きますけれども、これは近ごろにない、非常に本質的に大きな変化が生まれておるのでございます。たとえば、ソ連におきましても集団指導制というものがある。これは、具体的に、しかも強いものになって参ります。日本政治経済の変更にいたしましても、御案内通り、幾つかありました政党というものが、社会党は左右が統一いたしまして今日の日本社会党になり、保守党も、自由、民主両党が統一をいたしまして、今日の自由民主党になっておるのでございます。政治の構造というものは非常に本質的に変っております。こういう背景の上に、小選挙区というものの必要を認めておるのでございます。もちろん、それには反対の意見もあることはむろんあるのでございますが、少くともこの法案を用意いたしました立場といたしましては、これらの国家内外における政治、経済、文化の著しい深刻な事情変更に適合するような政治構成をしなければならない、それには小選挙区の制度というものが必要であるというところに、提案の基盤があるのでございます。これは私は著しき事情変更であると申し得ると思うのでございます。先生の御意見を伺いたいのであります。
  23. 中村宗雄

    中村(宗)参考人 お承わりいたしまして、ごもっともと思いますが、よく考えてみますと、どうも事情変更ということの意味の理解の仕方が、私と山本委員と違うように思うのであります。と申しまするのは、われわれ、事情変更原則と申しますることは、客観的情勢をさします。たとえば、本件でいえば、法案目的趣旨は入っておりません。この社会が今仰せられた国際情勢、国内の政治情勢、そういうものの変更、これが新たなる法案提出を必然ならしむるがごとき変更ありやいやな、こういう趣旨であります。今国際情勢についていろいろお話を承わりました。いずれもごもっともと思います。ただ、私は、法律家でございまして、どうも、結論を出すのは、論理的、法理的な必然性がないと、私としてはそれに共鳴いたしかねるのであります。なるほど、こういう世界的な情勢のもとにおいては、小選挙区制をとる必要があるという結論も成り立つと思いまするが、それが論理的、必然的に一個の結論とは私は考えないのであります。そういう趣旨におきまして、私は、前法案と今回の二度目の法案との、この時間的な間に、客観的情勢事情変更、新しい法案提出するに必要なる観客的情案の変更があったとは、私は思わないのでありますが、しかし、政治はただいま申した通り生きものであります。新しい情勢を作る。法案目的趣旨によって新しい情勢を作る。たとえば、今仰せられたような国際情勢のもとに小選挙区制を作ることがいいか悪いか。むしろ問題はそちらの方に移っておるのではないか。事情変更原則適用そのものの場面ではない。新しい法案目的趣旨が新しい政治情勢を作り上げる、そういう法案を出すという問題に直面した場合、法律問題としては、それが全面的に許されるがごとき、前回と全く異なった法案であり、またこういう法案をば出すことを是認すべき法理的根拠というものが、われわれ法律家として考える必要があると思うのでありますが、しかしながら、法律問題というのはものの一面であります。さらに、政治問題として、そういう新たなる情勢を作り上げる法案を出すことがいいか悪いか、こういうことも十二分にこれは論議さるべき問題であるわけであります。それら法理問題、政治的問題、それらを総合して御決定に相なるのが国会の御任務であって、この点で参りますと、われわれ法律家の学問的なものの範囲外であるということを申し上げたいのであります。
  24. 山本正一

    山本(正)委員 非常に御謙遜な御意見で、むしろ恐縮いたすのでございますが、私どもも、できるだけ学者の先生方にも十分共鳴していただけるような処置をとりたいと、常々念願しているのでございますが、今お断りがございましたように、国会で現実にやっておりますことと、先生方のお立場からごらんになりました場合の御見解は、多少のずれのあるということも事実でございます。そこで、先生の仰せも、結局は国会の良識によって一事再議に抵触するかどうかを判定すべきものである、こういう仰せでございます。そこで従来国会は具体的にどういうような扱いをしているか。先生も十三国会の例をお話しいただいたのでございますが、特に終戦後の第一国会、第二国会、これは御承知のように第一国会は社会党の片山内閣でございます。第二国会は芦田内閣でございましたが、実質上は、芦田総理大臣のもとに、西尾先生でございますか、副総理、官房長官で、これは保守党と社会党の実質上の連立内閣でございます。この二つの内閣のもとに行われた第一及び第二の国会におきまして、かなり典型的な事柄が処理されているのでございます。ごく短かいものでございますから、御参考までに申しますが、第一国会の片山内閣において行いましたものは、地方税法の一部改正法律案、これは、税の全額を、二回にわたって、同一国会において改正に次ぐまた改正を行なっているのであります。しかも、期日もわずか三日あるいは五日という、きわめて接近した期間にこれが相次いで改正をされたのであります。これは、もちろん、年度が二十二年でございますから、終戦直後でございまして、経済事情変更というものも相当に激しいものであったことは、想像せられるのでございます。しかしながら、わずか一カ月の間に、前後二回、改正に次ぐ改正があった。同一件名であり、同一内容でございます。たとえば、税を百二十円のものを百八十円にするとか、その百八十円をさらに二百四十円にするというふうに、単なる数字の訂正というものだけで、前後二回改正が行われているこの場合に若干の議論があったようでございますが、先ほど先生からイギリスの例をお話しいただいたのでございますが、この場合に少し誤解が生じている。イギリスにおきましては、御案内通り、初め一事再議というものは野放図に許された。いや、イギリスにおいては、先生のお話のごとく、一事再議原則適用というのは非常に厳格でございまして、ほとんど事情いかんにかかわらずこれを許さなかった。これが一八五〇年の制度によりまして許されるようになった。ところが、一八八九年でございますか、これをまた廃止することにいたしまして、一八八九年のインタープリテーション・アクト第十条の「いかなる法律も議会の同一会期において変更し、修正し又は廃止することができるものとする。」これは非常に広く扱うようなことになっている。そういうようなものが非常にこの前から反映いたしまして、特にこういう議論が成り立ったようでございます。一たび法律として成立いたしましたものは、もはや審議の手を離れているのである、その成立した法律に対して、その後必要ある場合は、いかようにこれを修正し、極端に申せば廃止することも、それは別個の院の自由意思であるというような議論が、英国の国会法によって確立せられたもののようでございます。それがそのまま片山内閣以来の国会に採用されたかどうか私存じませんが、ともかくも適用されたと思われるような形において、今申すきわめて短かい期間に、前後二回改正が繰り返されておるのであります。これが実例の一つでございまして、第二国会は、今申す芦田、片山の連立内閣でございますが、この場合にも、復興金融金庫法の同一条項中の特定事項を、きわめて短かい期間に、前後二回にわたって改正しておるのでございます。これが議事録を調べてみますると、これらの問題について一事再議原則に反するような意見は、どなたも申しておりません。全会一致でこれは採択されておるのでございます。  そこで、先生の、最後は国会の良識によってこれを決定すべきものであるということは、非常に尊重すべき御意見と思うのでございますが、その託されておる国会は、今申す通りかような扱い方をしておるのでございまして、将来の問題としては、いろいろ御議論もあろうと思うのでありますが、現実に国会はこういうふうな扱いになっておるのでございます。事例はまだ他にもたくさんございまするが、私は今それの一々を申し上げることは省略いたします。要するに、国会においては、こういうふうな前例になっている。これにつきまして先生に御所見がございまするならば、何とぞこの際承わっておきたいと思います。
  25. 中村宗雄

    中村(宗)参考人 御趣旨のほどよくわかりました。英法の問題でございますが、これは私の申し上げるのを誤解のないように、ちょっとこの点を釈明させていただきまするが、英法におけるダブル・ジェパディ、二重危険の防止、これは刑事法における原則でありまして、これが日本憲法の三十九条にある。これは全面的に再審理を禁じております。これを例としてあげたのであります。イギリスの議会における議事法につきましては、私専門外で、本日これに触れもいたしませんし、触れる能力もありません。この点は、むしろ政治学の専門の学者より意見をお聞きを願いたいと思うのであります。ただ、私は、イギリス法におきましても、一事再議の反則が著しく制限された、しかしながら全面的に廃止されたものではないというふうに理解いたします。そこで、終戦直後の当時は、御案内のように混乱の時期でありました。法律規定、明文さえ行えなかったのであります。それでこの一事再議原則適用されなかった。われわれから見れば乱れておった。理論的な追究も足りなかった。しかし、これは、英法における議事通則一事再議原則は不必要だからというお考えの方もあったかもしれないが、そういう点にお気づきにならなかった方もあるだろうと思います。もう終戦後十年を経ました。そろそろこの辺において各社会も立ち直って参っております。かるがゆえに、今回、公職選挙法改正という点から見れば、まことに枝葉末端と見えるこの一事再議原則国会において取り上げられ、この通り大問題となったのは、国会におきまして、この原則に対する十二分の御関心をお持ちになったからだと私は考えるのであります。この際こそ、この点について徹底的に御研究を願いたい。終戦直後においてこういう前例があったから、今でもそれでいいではないかという議論、またそういう御議論とは考えませんが、私はそういう考え方はとらないのでありまして、むしろ、問題は、日本国会にどの程度イギリスの議事通則が入ってくるかという問題だと思います。これは一つ政治学専門の学者にお聞きを願いたいのであります。私は、本日は、この一事不再理原則史的発展及び訴訟法学立場からして、学問として許される範囲の意見を述べたわけであります。これから先は、私が本日訴訟法学者として呼ばれた立場において申し得る限界に到達いたしているわけであります。
  26. 山本正一

    山本(正)委員 今私の申し上げたのは、第一国会、第二国会の終戦直後の事例であります。先生のお説は、その当時の事例をもって今の場合を議論することは、あまり適当ではないというお説でありますが、実は省略をしたものでございまして、それ以来先生の先ほど御指摘の十三国会であります。その中間に国会ごとに五回も七回もあるわけです。これはそのままずっと承継されまして継いでおるのでございます。その中には、極端に申しますならば、選挙改正法案の中で、この選挙区ごとにという文字を毎選挙区というふうに、ただ文字を書きかえただけで、別案として一事再議原則には抵触しないという扱いをさえ受けております。私は、先生の御意見を待つまでもなく、選挙区ごとにという文字を毎選挙区というふうに書きかえただけで別案として扱うようなことは、常識的には必ずしも適当ではないと思います。しかし、その当時のその法律案の背景になっておった社会情勢、あるいはその法律案の前提になっておったところの社会事情というものが、おそらくこれを別案として扱うことを許したのであろうと私は思っておるのでございます。ただ、遺憾なことは、学者の先生方の御意見国会運営の実際とが必ずしも一致しない場合があり得る。これは、先生方の方があまりにも理論的であるのか、国会の方がいわゆる軟化的なものであるか、議論は別といたしまして、少くともそこには相当の幅のあることは明らかになっておるのでございますが、少くとも、国会運営の実情は、ひとり終戦直後の第一、第二の国会だけではなくして、ずっと今日までそういう扱いが継続しているということを、一つ御念頭におとどめを願いたいと思います。  以後に、私は、先生に、これは一事再議の実質論の問題ではありませんけれども、重要な関連のあることとして伺いたいのでございます。  先ほど、先生は、損害賠償の例をお引きになりまして、このケースについての御説明をなされたのでありますが、私は、この一事再議に抵触しているかどうかということは、法案審議の先決問題であろうと思うのでございます。これがもし一事再議原則に抵触するものとするならば、法案の実体について審議するということは意味をなさぬところであります。むしろ審議をやらしてはならないことと思うのであります。そこで、損害賠償の事例でありますが、損害賠償請求の事例においても、損害の責任原因があるかないかということが先決条件であろうと思うのであります。損害賠償責任があるかないかということを審査することが先決の問題であって、その賠償責任ありという前提に立って、しからば何ほどの金額を賠償すべきものであるということは、あとになって起る問題であろうと思うのであります。それを、前後を逆にいたしまして、賠償すべき金額を先に審理して、責任原因をあとにするというようなことは、審理の本末を転倒するものでありまして、およそ、訴訟におきましても、国会会議体におきましても、審議の前提条件というものは必要的に私はあると思うのでございます。そこで、一事再議原則に抵触するかしないかということは、法案審議の必要的先決条件であろうと思うのでございます。この必要的な先決条件を、法案審議の実態に入りまして、その審議の過程中いつでも野放図に主張できるというようなことは、冒頭にも私は申したのでございまするが、いたずらに審議の運営を停滞させる、ある意味におきましては、院議の決定を渋滞させ、妨害する、それがすなわち院議尊重という精神にも反する、こういう結果を招来するおそれが多分にあると思うのであります。  そこで、具体的の案件につきまして先生に一つ御判断を願いたいと思うのであります。今審議中のこの法案は、本年の三月二十三日の衆議院議院運営委員会に諮られておるのでございます。御案内のごとく、本会議に上程するかしないかということは、議院運営委員会を経てこれを扱うことになっておるのでございます。この議運の委員会におきまして、日本社会党の委員の方から、この法案については一事再議原則に抵触するおそれがあるという御主張がございました。自由民主党の委員からは、抵触しないという意見開陳がございました。それで、これは抵触するという意見と、しないという意見で、いろいろ実情に即しましての論議が尽されました。その後もこの議運におきまして同様の議論が再び繰り返されました。自治庁の責任長官もこれに出席をいたしまして、政府側の見解も御説明申し上げてあるわけであります。ところで、この委員会は採決をいたしました。そしてこれは本会議に上程すべきであるという結論に到達したのであります。すでにこれは本会議に上程をせられまして、政府は提案の理由の説明をいたしました。日本社会党の代表の方お二人から、本会議において、この法案の実質内容につきまして、いろいろ詳細にしてしかもきわめて熱心なる御質問がございました。政府はそれに対する答弁もいたしました。それで、この委員会に付託されて、この委員会に参りましても、何ら一事再議原則を後日に留保するという明確なる御主張もなく、法案内容に入りまして、実質案文はもちろん、個々の選挙区割りの当否についてまでも、非常に詳細なる審議が行われておるのでございます。こういう事情から見ますると、最初にさかのぼりまして、やはり、一事再議原則の中には、すでに決定せられたる院議尊重するという要求ももちろん強いのでございますけれども、会議体の合理的なる運営、秩序を保持することは、相当強い要求として入っておると思うのでございますが、審議の過程において、野放図に、いつでも一事再議原則を取り上げて、際限もなしに繰り返し繰り返し同じことを議論をする、こういう議論をこういう段階において繰り返すこと自体、その議論そのものが、今私が申し上げました過程からいきまして、一事再議原則に反するものであるかのように私は思うのであります。先生の御意見を伺いたい。
  27. 中村宗雄

    中村(宗)参考人 いろいろ実情を伺いましてありがたく思います。  第一点でありますが、終戦後一、二年の間これは混乱しておる、しかし、それから後もなおこの一事再議原則適用されない事例があまたあるというお話であります。これは私も若干心得ておりましてそれを、申し上げなかったのは言葉が足りませんでしたが、しかし、そういう一事再議原則が乱れておる——私の立場からいえば乱れておるのです。乱れておったのを、ここでそれをば徹底的に解決しようという機運になってきたのじゃないかと私は思うのであります。この私の見解に対して二つ考え方があります。いや、これは一事再議原則が乱れたのじゃない、イギリスの議事通則がむしろ本然の姿で日本国会に入ってきたのだという考え方もあるかもしれない。あるでしょう。そうしますと、これは、少くとも、明治憲法下における、日本の当時の帝国議会における議事の運営の法則と違うのでありまして、新たなるそういう慣例ができ上ったと見なければならぬ。私の先ほど申しました立論の根拠は、何ら議事通則がないという立場で、一事再議原則理論的な適用を申し上げたのであって、この国会において、すでに一事再議原則はきわめて適用をルーズにするという慣例が成り立っておるならば、これはまた別問題であります。慣例が成り立っておるか成り立ってないかということは、結局において認定の問題であります。訴訟における裁判の問題であります。これは、すべての法的な根拠を示して、この点は慣例なりやいなやということは十分に御審議願うべき筋合いのものであろうと思います。これは私の専門外のことであります。そういう慣例が成り立っておるか、成り立ってないかということが問題であろうと思うのでありまして、また、その慣例について問題であればこそ、もしくは慣例がないと見られる方もあればこそ、ここで一事再議原則がこのような大問題として取り上げられておるのじゃないかと思うのであります。  と同時に、次の問題でございまするが、一事不再理の原則は、民事訴訟原則から申しますると、この原則が後退いたしまして、同じ問題を何べん審理してもいい、しかしながら異なっている裁判をしてはならない、こういう結論になっておりまするが、この民事訴訟原則は、どうも国会議事通則として採用しがたいであろうということは、事情変更ということで私先ほど申し上げました。一事再議原則の本然の姿は、いわば玄関払いであります。同じ事件だったら二度審議しないということが本然の姿でありまするから、これは先ほど仰せられたような先決問題であります。しかしながら、これは理論的な段階としての先決問題でありまして、具体的手段としては、その審議と並行して、その引き続くべき——われわれ訴訟法学においていえば、本案の審理と並行してやっていくことは、制度としてもあるし、理論としても可能なのであります。場合によっては、訴訟法の理論としては、本案の審理に入っていながら、あとになって管轄違いの抗弁とか、あるいは訴訟能力の不具備とか、いわゆる訴訟の先決問題が持ち出されることもあり得るのであります。これは理論的な段階と現実の訴訟の進行の段階とが食い違っておるからであります。私は、訴訟法の立場からいって、一事再議原則はもとより法案内容審議に対する先決問題であると思います。しかしながら、議事の現実の進行においては、双方が並行して審議されることもあり得る。それで並行して審議していくのが一事再議原則に該当しないというのならば、それはそれでおしまい。該当するというのならば、それまでの法案内容審議が全部法的効果を失う。こういうふうに訴訟法学的には理解しております。
  28. 山本正一

    山本(正)委員 いろいろお話を伺いました。主として訴訟法学的な御意見を十分に伺ったのでございますが、先生も申されております通り国会会議体における一事再議原則というものは、いろいろそのワクが違うのです。要するに先生の御意見は、一事再議原則に抵触するものであるかどうか、具体的のしかも終局的の判断は国会の良識においてこれを誤まりなく行え、終戦以来今日までややそれがルーズになっておるという傾向があるので、それをこういう機会に改めるようにしてほしいという御希望も、十分理解せられるのです。私どもも、実は、このケースにつきましては、先生と若干見解は違うようでございますが、非常なる社会情勢の変化がある、この社会情勢の変化に適応させるためには、従来の中選挙区制では適当でないから、これを小選挙区制に改める、そういう前提に立ってこの法案が用意され、審議を求めようとしておるのであります。そこに立場によりまして若干見解の相違があることは当然でございますが、少くともこの法案趣旨はそこに存するのでございます。あくまでもこれは一事再議原則に抵触せざること明瞭なるものであると思っておるのでございます。しかるに、今申し上げますように、この一事再議原則に反するという名において、議論が野放図に反復され、そこに非常に国会運営の秩序維持の上から遺憾な点がございますので、いかにしてこういう状態を改善してもらえるかということに、われわれは今困難を感じておるのです。機会がありますならば、先生からまた適当にそういうような方々に御理解を願えるようなお話を伺わせていただきたいと思うのです。私は、時間の関係もございますから、お尋ねはこの程度にいたします。
  29. 小澤佐重喜

    小澤委員長 山本正一君に関連いたしまして、古川丈吉君に発言を許します。
  30. 古川丈吉

    ○古川委員 時間も大へんおそくなっておりますので、まことに失礼でございますが、ただいまの山本正一君の質問に関連いたしまして、二、三お聞きしたいと存じます。  先生の御公述によりますと、民事訴訟法一事不再理の原則刑事訴訟法一事不再理の原則、また議事通則としての一事再議原則というものは、おのおのその認められる理由が違う。議事通則における、一事再議原則というものは、その院議尊重する意味において、一たんきまったことをすぐに変えるということのないように、そういう意味において認められておるものである。また法律に例文があるといかんにかかわらず、現在のその原則は認められるというこの御趣旨は、これは全く同感であります。ただ、今回の具体的な場合は、政府当局は、事情の変化と趣旨目的の変ったために、この法律を出したのだという点については、事情の変化は認められないと思う、ただ趣旨目的変更という意味から考えてこの問題を判断さるべきだ、こういう御趣旨のように承わりました。私は、その前段における事情の変化がないという先生の考え方には、ちょっと違う考えを持っております。ただいま山本委員から申し上げましても、なお先生には十分御理解を願えなかったようでございますが、実は、選挙制度調査会というものが内閣に設けられまして、ここ一年ばかり選挙制度について研究されておったわけであります。その間だんだんと事情が変化いたしまして、選挙制度調査会の審議が小選挙区制をとるような方向に向ってきたわけであります。この委員は、先般来、これは先生のおいでにならなかったときでありますが、社会党の諸君は、勝手に政府与党は自分の結論が出るような委員ばかりを設けて、社会党側の委員は少い、実はこういう攻撃をされておったわけであります。ところが、実際の問題を申し上げますると、自由、民主両党時代で四名、社会党が、少数であるにかかわらず四名を出しておる。これは非常に社会党の立場尊重されて政府がされたものと思いまするが、そういうような党の代表の委員を出して審議を進められてきたわけであります。その間、総会を開き、さらに小委員会を開き、さらに起草委員を作って、いわゆる今度の調査会提案の原案というものができたのであります。その間に、小委員会を設けましたときにも、本日、この国会公職選挙法の特別調査委員に社会党を代表して来ておられる島上善五郎氏であるとか、あるいは鈴木義男氏であるとか、中村高一氏であるとか、あるいは森三樹二氏が参画しておられます。そうして、森三樹二氏のごときは、小委員会のときにおきまして、われわれは党と連絡しなければ審議を進められないから、国会の休会中は一週間に一度では困る、二週間に一度にしてくれ、こういう主張で、絶えず党と連絡を保って今日までこの審議に参画してこられたのであります。それで、この委員会というものは、委員会の案がまとまれば政府がその案を提案するということは、与党も野党もひとしく認めておった事実であります。そして去る三月一日に公職選挙法の一部改正案の成立したことは事実であります。しかし、そのときすでに、自他ともに、小選挙区制に関する調査会の答申ができ、結論が出れば、今国会に提案されるということは、政治家の常識として知っておったわけであります。でありまするから、前の公職選挙法改正する三月一日にそのことを一応断わっておけば、形式的な問題はなかった。けれども、実質的には、これはひとしく与党も野党もそういうことを予期しておった。こういう点から考えますと、実質的には院議尊重するという意味には一つも欠けておらぬ。従って、事実の認定の上においても、解釈の上におきましても、これは適法ではないか、私はこういうような解釈をいたすわけであります。その点について先生の御意見一つ伺いたいのでございます。
  31. 中村宗雄

    中村(宗)参考人 今いろいろ従来の経過を御説明下さいましたが、結局私のお答えすべきことは二点にしぼられているように思うのであります。一つは、前法律と今回の政府提出の試案との間に、事情変更が認められないと私は申し上げた。これに対する御意見と思うのでありますが、今るる御説明下さいましたことは、これは法案成立の過程である、そういう経過でこの法案ができたという御説明に承わりました。なるがゆえに、私のいう客観的情勢がこの間に変った、私はこう考えないのであります。これはあくまでも法案自身の問題であろう。そこでそういう法案自身が中選挙区制を根本的に違ったものができ上った。これは私もそのように思います。しかるに、その違った法案を出すことが、この事情変更原則例外——私の立場からいえば例外ですが、例外として認められるか認められないかということが、問題の焦点としてしぼられるのではないか、こういうふうに私は考えるのであります。ついては、その経過の過程の間の御説明として、社会党と十分連絡してあるから、十分院議尊重せられておるという。ごもっともであります。これは事実そうであろうと思いまするが、しかし、われわれ法律家、また法治国家としては、やはり一つの形式を尊びます。すなわち、院議尊重ということは、一定の形式を踏んだ院議国家意思であり、たとえば法案修正、決議、そういうものを尊重するという意味でありまして、内部の事前の工作に相互意思疎通したということは、われわれ法律家の言う国家意思尊重とか院議尊重という意味にちょっと入らない、こう思うのであります。
  32. 古川丈吉

    ○古川委員 私御質問申し上げる趣旨が少し的をはずれたような質問をいたしまして恐縮でございます。実は事実の認定の問題と解釈の問題でありますが、解釈の問題だけでしたわけですが、事実の問題といたしまして、当初は必ずしも小選挙区を前提としておらなかった。ところが、その後におきまして、御承知のように、昨年の十月の中旬には社会党が統一し、十一月の中旬には自由民主党が統一をいたしました。そういう事実の事情の変化によって、委員会も、二大政党の対立として、二大政党政治を確立するためには、ぜひとも小選挙区制にしなければならぬ。——二大政党対立ということが、その過程において起ったのであります。この間三月一日に提出されましたところの公職選挙法の一部改正というものは、前国会からの継続でありまして、その改正案が提出された当時におきましては、二大政党対立ということが確立いたしておらなかった。ところが、その後において二大政党の対立が確立いたした。従って、二大政党の対立したところの政治を運用し、安定した政権を確立するためには、ぜひとも小選挙区制をしきたい、こういう建前から、委員会もそういう工合にしぼられてきたわけでありまするので、私が、その間の事情の変化というものがある、こういうことを申し上げるのは、実は大事なところを間違えましたので、その点は一つ御了解を願います。
  33. 中村宗雄

    中村(宗)参考人 よくわかりました。今二大政党対立と言われ、これは国民常識としても非常に好ましいことであります。それで、今の御説明について、私の申し上げたことと結びつけて申し上げるならば、この小選挙区制による新しい法案は、目的趣旨が従前の中選挙区制を目標とした法案改正と全然違うのである、また訴訟法学の問題に参りまするが、全く請求原因が違うのだということ、やはり国会の良識をもって御決定に相なった以上、その条件としてそれらの法律的な根拠を明確にする必要があるんじゃないか、こう私は考えるのであります。そういたしますると、小選挙区によって確かに二大政党の対立が実現されるということが論証されるならば、これは、新しい法案前回の中選挙区制の法案とはく然違うものであるということを基礎づける、りっぱな根拠ではないかと私は思います。ただ、小選挙区制により必ず二大政党の対立がもたらされる、中選挙区制ではとうていもたらされないという、学問的なまた実証的な結論が出るかどうか。これについては、私は訴訟法学立場ではわかりませんので、どうぞ政治学の学者の方にお尋ねを願いたいと思います。
  34. 古川丈吉

    ○古川委員 その問題はその程度にいたしておきまして、先生にお伺いしたいのでありますが、社会党から出ました公職選挙法の一部を改正する法律案を御存じでございましょうか。
  35. 中村宗雄

    中村(宗)参考人 ちょっと拝見いたしました。
  36. 古川丈吉

    ○古川委員 それではそれに関連して伺います。  御承知のように、この問題は、今国会において、社会党の諸君から、一事再議原則に反するじゃないか、こういう議論が起って、本日大家の諸君の御出席をわずらわしたようなわけでございまするが、社会党の諸君は、小選挙区には反対である、しかも、公職選挙法改正というので、今回の国会においては、政府一事再議原則に反することをしているのではないか、こういうことを責めておるわけであります。そうしますると、小選挙制度を否認する立場から、社会党のこの公職選挙法の一部を改正する法律案というものは、これこそ私は一事再議原則に反する、こう思うのでございますが、先生の御見解はいかがでございましょうか。
  37. 中村宗雄

    中村(宗)参考人 この一事再議原則の建前のとり方でありまするが、一ぺん法案をいじくったら、二度その法案に手をつけられない、こういうようにきわめて広く解するならば、もとより社会党がお出しになったこの一部改正法律案一事再議原則に該当すると思います。しかし、何らの規定のない現在の国会議事運営方法は、それほど広く一事再議原則というものはとり得ないのじゃないか、せいぜい、しぼったところで、法案のうちの各条文個々にしぼるほかないのじゃないか。そうしますと、私まだよく拝見しておりませんが、社会党のお出しになった公職選挙法の一部を改正する法律は、選挙犯罪に対する問題とか、特定の寄付の禁止とかいうので、選挙区制とは直接関連しない、また条文もぶっついていないのじゃないかと思うのであります。形式的にもし条文がぶっついておれば、同じくこれは一事再議原則に一応該当するわけですから、先ほど申した目的趣旨が根本的に違うということの証明が要ることになるのではないか、こう思います。
  38. 古川丈吉

    ○古川委員 ただいま中村先生の御意見は私も全く同感でございまするが、実に、今度の議会の運用というものは、これは政治論でございますが、おかしい。一事再議原則を攻撃する社会党から、まず第一にこれが三月十五日に提案になった。政府提案が三月十九日。世間ではサルのしり笑いといいますが、サルのしり笑いよりまだひどい。自分たちがまず違反をしておいて、それでしかも目的趣旨が違うということにすらけちをつけようとしておるのが、現在のこの委員会の運営の実際であります。  それはそのくらいにいたしておきまして、この間実は社会党の諸君にこの問題をこの委員会で突っ込みました。そうしますと、政府の提案の三月十九日に——これも実はおかしな話です。これが出てから後ならわかるのですが、この方が先に出ておる。それにもかかわらず、この案が非常に不備だから、これを補う意味においてこれを出したのだという御説明なんです。そうしますと、これはこの法案を前提としての法律案でありますから、この法案提出を是認しておられる。しかも社会党全員がこれを提出いたしておりますから、この問題に関する限り、社会党としてもこの法案の提案を認めておる。従って、先ほど来先生からたびたびお話のありました通りに、議会における最後の解釈は、とにかくこの一事再議原則というものは、院議尊重する意味だ、こういう立場から言いましても、社会党が政府案の補いのためにこれを出すという考え方で出しておるならば、社会党としては、一事再議原則に反するというような議論は実際にできないはずだ、こういう工合に私たちは考えておるわけであります。それに対して先生の御意見一つ伺いたいのであります。
  39. 中村宗雄

    中村(宗)参考人 どうも困りましたた。こういうことについて、専門からはずれてお答えをしていいか悪いか知りませんが、お答えさせていただきますと、社会党から出たのが前であるにもかかわらず、あとから出た法案の不備を補うという趣旨はおかしいじゃないかと言われる。これは、先ほど言われたように、この法案を作るまでに、何べんも党との連絡をとらしたのだが、その間におそらく漏れたのではないかと思うのであります。(笑声)まあそれはいいとしまして、自分の方でこれを出すことは認めるがゆえに、今さら一事再議原則が出せないんじゃないか。これは法律問題であります。この点についてでありますが、私は、その提出を認めるということと、訴訟でいう抗弁を提出することとは別問題であります。本来の審理が開かれても、政治上の抗弁を提出する権利は留保することができます。と同時に、多くの矛盾した主張をなす場合、訴訟法学にいう仮定抗弁というのがありまして、たとえば運送品を渡せという場合に、そういう運送契約を結んだ覚えがない、裁判所がそれを認めるならば運送賃の支払いを求めるという仮定抗弁があるのですから、運送契約を否認しながら運送賃を払えと請求できる。その辺はやはり、訴訟は戦争でありまして、あらゆる場合が想定されて、規定理論が組み立てられております。今の場合、なるほどそういうやり方は政治的におもしろくないじゃないかという不当論は言えるかと思いまするが、これは違法論にはならないかと思うのであります。
  40. 古川丈吉

    ○古川委員 私もそれは承知の上で先生にお伺いしたのでございまするが、少くともこれは、議事の通則上の一事再議は、院議尊重するという意味から言いますと、先ほど山本委員からも本会議での経過の話がありましたように、一応納得というか、認めてやったので、これはもちろん法律論ではございません。その後になってこれに反対するということは、政治の問題といたしまして妥当でないと私は考えておるわけであります。さらに、最後に、先ほど来の御説明で十分でありますけれども、この一事再議原則に反するか反しないかは、国会自身が決定すべきものである。これは法律論としてはその通り私は思っておるのですが、一応念のために承わって、私の質問を終ります。
  41. 中村宗雄

    中村(宗)参考人 仰せの通りかと思います。
  42. 古川丈吉

    ○古川委員 ありがとうございました。
  43. 小澤佐重喜

  44. 竹谷源太郎

    竹谷委員 ただいまは、中村さんから、ローマ法以来の訴訟法の一事不再理の原則に関するお話、また十九世紀からの議事通則議事運営に関する一事再議原則の発達についていろいろ御意見を承わり、そのお話はわれわれの審議上大へん参考となる貴重な御意見でございました。まことにありがとうございました。お話の大体についてはまことにごもっともと存ずるのでありますが、その間一、二疑問のある点についてお尋ねをさしていただきたいと思います。  ただ、その前に、先ほど来問題となっております客観的の情勢の変化でございまするが、これにつきまして、山本委員から、片山内閣あるいは芦田内閣の時代に、第一国会、第二国会等において、地方税に関する問題で百二十円が百八十円となり、また二百四十円となった。また復興金融公庫の貸付限度につきまして、金額が二度にわたって増額された、こういうようなお話もありましたが、これは、その当時の事情をよく中村さんは御承知と思いますが、この当時は、消費者物価指数において半年の間に五割ないし十割暴騰をいたしております。それから、東京都における小売物価指数に至りましては、六カ月間に三倍もインフレの結果騰貴いたしておる。そういう客観的情勢の激変に伴うところの金額の変更でございまして、これはわれわれも一事再議原則の場合やむを得ざる例外として認めざるを得ない。このように考えておるものでございまして、それぞれの事情のあったものが大部分でございまして、これは御了承を願っておきたいと思うのでございます。  さて、先般来、当委員会において、自治庁長官あるいは法制局長官といろいろ一事再議の問題につきまして論議を重ねて参っておるのでありますが、その答弁はその都度いろいろ変って参りまして、捕捉に苦しむのでございます。参議院の議院運営委員会でこれを論じた場合の結論を見ますると、林法制局長官が述べまして、それをまたあとで自治庁長官がその通りだと答弁しておるのは、一事再議を許される場合には、客観的情勢の著しい変化及び目的趣旨が全く違う、こういう場合には一事再議してもよろしい、同一性がなくなってきておる、こういう答弁がありました。しかるに、この委員会におきましては、その後、それに内容理由等が違えば同じ問題について再審議ができる、このような答弁をいたしておりまして、そうなりますると、理由があればどんな法律改正を何べんやってもよろしい、不信任案を何べん出してもよろしいとなるのではないかという私の質問に対して、明快なる答弁を避けて今日に至っておるのでございます。ところで、ただいま、中村さんからは、客観的情勢の変化で、同一事件であっても違った事件になってくるというような場合には、一事再議原則に反しない、このようなお話があり、ただ目的趣旨が非常に違ってくれば、この場合は国会としていろいろ考えられて判断せらるべきことであろう、このようなお話があったのでございまするが、われわれも、この事情の激変、これは一事再議というものの原則例外になるということについては、大体そのように考えるものでございます。ただ、先生のおっしゃった中に、目的趣旨変更という場合には、一事再議の許される場合があり得るというようなお話がございましたが、しかし、考えてみますと、目的趣旨というようなものは、非常に政治的な主観的なものが入り込んできている。こういうものをどの程度認めるかということは非常に困難である。従って基準がないようなことになる。であるから、これはどうも議事通則としては——訴訟法の場合は、それぞれ基準法律によりあるいは法令等によって定まっておるが、議会の場合にはこの基準がなかなか見つからない。そうなりますると、これは非常に判断に苦しむ問題で、議事通則としてはそういうようなことは認めない方がいいのではないかという御意見もあったのでありまするが、そのあとで、ただ法案を新たに作って新しい情勢を作る、そういうような場合には、この新しい法案を是認すべきやいなやは政治問題であって、国会できめなければなりますまい、このように伺ったのでございます。そうしますと、この目的趣旨が変ってくるということの中に、どうも明確でないものがあり、時の情勢、国会の情勢等によって、あるいはこの問題について右左限界が明瞭でなくて、変なことになるのではないか、こう思われるのでありますが、この点もう一度一つお話を承わりたいと思います。
  45. 中村宗雄

    中村(宗)参考人 今の御質問、前段の方はまさしくお話の通りに私も思っております。十三回国会、その後におきましても、数回同じ会期において法案を再度修正しておる。これは、多くの場合は、事情変更則の適用の場合、先ほど申し上げたような物価指数が激変しておるというような、すべて客観的情勢変更、これはやむを得ざる場合であろうがゆえに、当時一事再議原則が問題にならなかったのだ、私はこう考えるのであります。しかし、先ほど山本委員のお話のように、一事再議原則がもうずっとゆるめられる慣例が成り立ったんだから当然なんだ、こういう見方もあるわけでございますが、これは見解の相違になりますので、いずれ国会の方の御審議で御決定願いたい問題でございます。  次の、小選挙区制をねらったこの改正法律案は、従来の中選挙区制を基準とした法律改正とは、法案目的趣旨客観的情勢が全然違うのだから、一事再議原則に当らないというのが、政府の御答弁のようであります。また、私速記録を拝見しますと、太田長官は、これは何も例外ではない、目的趣旨客観的情勢が違えば当然提出できるので、これは何も一事再議原則例外ではないというような御趣旨の御答弁があったように思うのでありますが、この点について私の学問的立場とは違うのであります。もし目的趣旨、情勢が違えば何べんも改正できるというならば、これは、どなたかが仰せられたように、そんなことをいえば一事再議原則がなくなってしまうじゃないか。なくていいというならそれまでのことでございますが、一事再議原則があるという前提に立てば、この議論はとり得ないと私は思うのであります。しからば、どう考えるか。すなわち、ものには出発点があります。私は、それなるがゆえに、この一事再議の従来の理論発展の根本の立場が対立する、つまり、事件の事実面に重点を置くか、あるいは法規範面重点を置くか、この二つの対立があるということを申し上げたのでありまして、事実面に重点を置くということはきわめて素朴的な考え方である。その最も素朴的なものが、先ほど言ったローマ法訴権消耗説で、この事件に対して訴えを起したのだから二度は訴えを起せない、これはきわめて簡素であるが、またきわめて合理的な制度なんです。民事訴訟理論はあまりにも高度に法律技術化しております。十分なる内容、組織を持った実体法が民事訴訟の背景をなしておる。しかしながら、国会議事運営においては、こういう民事訴訟における実体法のごとき背景がない。いずれも政治的な活動、政治的な決議によって動かされるのであるから、どうも、民事訴訟における法規範面重点を置いた、あまりにもこまかい法理論をとれば、あちこちに差しつかえが起る。むしろ、素朴な、同じ事件は二度扱わないのだぞという議事通則が、大体において——私は政治学の専門でございませんから、この点については責任を持って申し上げるわけにはいきませんが、一般議事通則はいずれも事実面に重点を置く、イギリス刑事訴訟法における二重危険の防止、一ぺん処罰されたらその事件はもう二度と公訴できないという、きわめて素朴な理論がとられておるように思うのであります。しかしながら、素朴な理論というものは、とかくつっかかりが多い。そこで漸次例外を認めようという動きが起った。その例外の大きなものが、先ほど申した事情変更原則、これは、学問的に取り上げられたのは二十世紀、第一次世界大戦後でございますが、事情変更があるならば、それと函数的に従来の法則の適用が制限せられ、あるいは効力を失う。これは法律理論として今一般に認められておる。しかしながら、本件の場合には、客観的情勢にそれだけの変更があったとは見られない。法案自身に変更はあったでしょうが、法案制定の過程において変化があったかもしれないが、社会情勢には、中選挙区制から小選挙区制に移らなければならない必然的な客御釣情勢の変化があったとは私は見られない。しかしながら、政治というものは生きものであるから、新しい法律によって新しい情勢を作るということは確かにあり得る。しかし、それはあくまでも例外に属する。太田長官とはこの点の立場が違うのであります。例外に属するということは、十二分の理論的根拠を示していかなければならない。訴訟制度ならば、この理論的根拠はあくまでも法規範的な根拠である。しかし、政治ば必ずしも法律にのみ縛られない。政治的根拠もいいでしょう。しかし、法による政治であるならば、やはり法理的背景を持ち根拠を持って、この例外を立証する必要があるのではないか。それが証明できない限りにおいては、これはやはり一時不再議原則に該当するといわざるを得ないのじゃないか。私はこういう考え、またそういうお考えでこの議事を御進行になってはいかがですかという意見を申し上げた次第であります。
  46. 竹谷源太郎

    竹谷委員 お話よくわかりました。政府が今中村さんのおっしゃるような理論的根拠を示さないので、われわれは承服できないでおるわけでございますが、そうした場合に、先ほど、中村さんは、そうした情勢については国会の判断によるよりほかはない、こういうお話でございましたが、そういう国会の判断というものは、多数でめちゃくちゃに押し切ればどうでもいい、法があって、法なきがごとし、これは、力の政治でいけば、いかようにもそのような情勢の変化と判断して、一事再議原則を踏みにじる結果になるのでございますね。そういうことは法治国家としてまことに嘆かわしいことなんです。そういう場合に、十分な理論的根拠なくして、趣旨目的が全然違い、しかも情勢も違ってきたからという理屈のない結論だけを言って、そうして法律を一国会会期中に何べんも改正するということはどんなものでしょうか、一つ意見を伺いたいと思います。
  47. 中村宗雄

    中村(宗)参考人 今のお話は、法理問題にかかわると同時に、政治問題にも入っております。政治問題については、私ここで意見を申し述べるべき立場にないかと思うのであります。国会が良識をもって判断していただきたい、また判断すべきであると申し上げましたが、しかし、それはもとより法律的根拠を示してということも、またあとから申し上げたわけであります。この法律的根拠と申しますると、先ほど心情変更原則について申し上げました通り、相当納得のいく程度理論的根拠を示さなければ、良識ある政治とは言えないのじゃないか。多数の力をもって、柄のないところに柄をすげるというようなことがあっては、これはとんでもないことであります。しかし、これは実は法律の世界にもおそれがあり得る。そこで、事情変更原則は、これを適用するにつききわめて戒心しなければ、法の軟化現象を来たすであろうということをヘーデマンが戒告しておる。この戒告は、同じく国会各位に対しても至上命令として妥当すると私は思う。何も今の自民党の皆様がそういうお考えであるとは私毛頭思っておりませんが、ただ設例として申し上げるならば、多数をもって問答無用という式で結論をお出しになることは、これは法による政治ではないでありましょう。しかし、これに対する法律論、政治論を展開された場合に、これはそれぞれ立場の相違ということもございます。どこまでも、納得ずくといいますか、最後までお互いに意見が一致するわけはないので、一億一心などと言った時分にも、実は決して一億一心ではなかった。はなはだ古いことを申し上げますが、古代バビロンの法制には、何かの会議の決議で全会一致の場合はもう一ぺんやり直せという議事通則があった。これは私は文献で読んだのであります。ということは、多くの者が集まって全会一致ということはあり得ない。これは、今の言葉でいえばアンデュー・インフリューエンス、不当威迫が行われておるに違いない、もう一ぺんやり直せ。これはおもしろい議事通則だと思います。とどのつまりは多数決でいくほかはないのですが、多数決へいくまでの道程において、十分なる法理的な政治的な論議を戦わしていただく。これは、どういう方向に向うかということは、われわれ法律学の学問的範囲外である。ただ、私としては、これは例外の場合である、太田長官の言われるように当然の事例ではない、だから、例外であるならば、必ずそれに対して十分なる論拠を示す必要があるのじゃないかということ以上には、私の立場としては申し上げかねるわけであります。
  48. 竹谷源太郎

    竹谷委員 よくお話を承わりましたが、結論は、十分の合理的な理論的根拠のもとに例外として認められる場合にのみ一事再議が許されるべきであるというお話、ごもっともであると思います。そうしまして、結論は、良識のない、不合理な、暴力的な、多数で押しつけてしまうようなやり方で、これは一事再議ではないなどと押しつけることは非常におもしろくないという御意見、まことにその通りで、ぜひわれわれも国会運営の上において合理的な科学的な良心的な審議を続けたい。先生の希望せられるように、われわれはそれを望んでおる次第でございます。  さて、少しこまいことに移りますが、実は今回政府から提案されました公職選挙法の一部改正に関する法律内容は、十三カ条にわたって——三月一日に衆議院において可決をし、そして参議院にその法案が送付せられまして、たしか参議院は三月十四日に可決をして、三月十五日からこの法律は施行になった。そういう法律改正があった直後、三月十九日に政府案が提案になってきたのでございますが、この改正になったばかりの公職選挙法を、十三カ条にわたって今回の政府案は再改正をしようといたしております。しこうして、政府の説明によれば、これらは小選挙区という理由目的趣旨の非常な事情変更に伴って改正する参議院議員の選挙に関する問題である、このように言っておりますが、この各条項について調べてみますと、十三カ条のうち、七カ条にもわたって、衆議院のみならず、都道府県教育委員会委員選挙、都道府県知事の選挙及び市長選挙、これらの衆議院議員選挙の小選挙区とは関係のない他の三種類の選挙についても再改正を試みんとするものである。こうなってきますと、だから、公職選挙法の別表であるこの選挙区割りを小選挙区に改正をする、こういう趣旨目的変更があるという理由をもって公職選挙法三百条にわたって全部また再改正をやっても差しつかえないか、このように質問いたしたのに対しまして、答弁を避けて答えない。先生は、こういうふうに、十三カ条にもわたって再改正を行わんとし、しかも、その中に七カ条については、他の選挙区に変りのない——御承知の県教育委員選挙は全県一区の選挙区であり、参議院につきましては一人区のところがあり、二人区のところがあり、三人区のところがあり、これは従来とは変りがない。都道府県知事や市長に至りましては一人一区の小選挙区であることは、昔も今も変りないのでございます。こういうものにまでずっと改正を加えてきたということが一体許されるかどうか。この論を推し進めますならば、別表の改正に伴って、他のすべての公職選挙に再改正を何度やってもいいという結論になるような、そういう一事再議が認められるということになるならば、一事再議原則というものは全然存在しないとひとしくはないか、こう思うのでございますが、中村さんはいかようにお考えになりますか、お差しつかえのない限度で御意見を承わりたいのであります。
  49. 中村宗雄

    中村(宗)参考人 前段でございますが、この約十二、三カ条が再度改正になっているようで、私はこの十三条が一事再議原則に抵触するかどうかということの判断は、これは、条文の個々につくのではなくて、新しい修正法案それ自身の全体としての目的趣旨から判断をすべきものだと思うのであります。その目的趣旨がただ従来と大した違いがないということならば、私の立場から言うならば、これは一事再議原則修正法案それ自身が該当するのである。そのうちのどの条文という問題はない。それで、法案が新しい——とにかく、今までの政府の御説明ですと、参議院選挙について、中選挙区を小選挙区に改めるがゆえに、目的趣旨が全面的に違っておると言われるのですが、この点については、先ほどるる申し上げました皆様の良識ある御判断、法理的な理論的根拠をもって、この点についての御解決を願いたいのであります。もしこれが今政府の仰せられる参議院の小選挙区制の趣旨目的、この範囲内においてはいわゆる重複しない、一事再議にはならないと言いましても、それはその範囲内であります。それがもし参議院選挙に関係し都道府県の教育委員選挙に関係するなら、これはおのずから問題は別になっております。私も、不勉強でありまして、実はこの法案を逐一当っておりませんが、法律家の常識として知っておりますところで申しますと、この数カ月後に迫っておる参議院選挙には直接関係する条文はないようであります。それがまた三年先の参議院選挙にも直接関係がある条文は、今回の改正にはないように思われるのであります。ただ、この教育委員の方については私は気がついておりませんでした。もしこの教育委員選挙について再度の修正があるというならば、これは、教育委員それ自身についても、やはり法において改正をする目的趣旨が根本的に従来と違っておるということの証明がなければ、これはやはり一事再議にならざるを得ない、こう考えるのであります。
  50. 竹谷源太郎

    竹谷委員 御答弁下さった前段の問題についてはこれは何度もお聞きしてわかったわけですが、私言葉が足らなかったのでございますが、目的趣旨がかりに小選挙区採用ということで再議が許されると仮定をいたしましても、申し上げたように、十三カ条のうちには、参議院、都道府県知事、教育委員、市長、これらに関する選挙規定が七カ条も変ってきていることは事実でございます。その著しい例は百四十四条の第一項第一号におきまして、ポスターの数を、旧法においては二千枚、現打法は五千枚、それを今度の政府案は三千枚に改正をしており、しこうしてこれは衆議院と教育委員適用になる条項でございます。従って、教育委員選挙に関しまして、旧法は二千枚、現行法五千枚、今度は三千枚に改正しよう、こういうのでありますから、これははっきり教育委員にこのような変更を加えておる。ところが、教育委員選挙に関しましては、衆議院議員選挙に関して小選挙区をとろうがとるまいが、変りはないので、趣旨目的変更ということはどう考えても理屈がつかない。このようなことが二百一条の六以下に五項目についてあるのでありまして、参議院、都道府県知事、市長選挙、これらの選挙の場合における政党の政治活動に関しまして、ずっと再改正が行われ、こういう案が政府の今回の案にございまして、かりに趣旨目的の著しい変更があるとしましても、これは趣旨目的変更が及んでいないところの他の選挙に関する問題でございまして、ただ歩調をそろえるというような単純の理由にすぎない。これは、政府の答弁でも、衆議院の場合と歩調をそろえるんだということを、参議院の選挙について言っておりますが、しかし、都道府県知事、首長、あるいはことに教育委員等に関しましては、そんな理屈は全然筋が通らないし、何らの因果関係もない。こういうふうな事情でございますので、かりに趣旨目的というものによる例外一事再議原則に認めるといたしましても、今回政府の提案は、どうも一事再議原則に反するような内容を持っておるのでございまするから、そういう場合には、これは一事再議原則違反だ、こういうふうにお考えになるように思うのでありまするが、もう一度お伺いいたしたいのであります。
  51. 中村宗雄

    中村(宗)参考人 御質問に対し私の言葉が足らなかったようであります。私は、この目的趣旨が全面的に違うという法理的根拠を示せば、例外として一事再議原則適用がないというのが、私の立場でございます。この場合、もし今までの政府の御答弁また速記録に出ておるところを見ますると、衆議院議員の選挙についての小選挙区制、これに問題が限定されておりますので、その範囲内においてのみ一事再議原則適用がない、こういうふうに理解しております。例外であるが、きわめてこれは縮小して解釈しなければならない。ついでであるからといって、関連の条文変更する。これはまさしく一事再議原則に私は抵触すると思います。同時に、これは衆議院議員の選挙についてであります。都道府県の知事または教育委員選挙についても同じく再度の改正をするには、それについても同じように法案目的趣旨が全面的に違うということの法理的根拠を示されなければ、これは同じく一事再議原則に抵触する。一事再議原則というのは、私の立場では例外なのであります。これは、衆議院の議員の選挙の小選挙区制に関する限り、もしそれが万やむを得ざるものである、絶対的なものであるということが証明されたということを仮定した場合には、その範囲内、その範囲に限るわけですから、それと関連した点にまで当然一事再議原則適用排除が拡大されるとは、私は考えないのであります。
  52. 竹谷源太郎

    竹谷委員 よくわかりました。なおお尋ねしたいのでありますが、本会議も始まり、採決もあるそうでありますから、一つ午後に質問を留保さしていただきたいと思います。
  53. 小澤佐重喜

    小澤委員長 それではこの際暫時休憩いたします。     午後一時五分休憩      ————◇—————     午後四時三十二分開議
  54. 小澤佐重喜

    小澤委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  中村宗雄参考人に関する議事は暫時留保することといたしまして、次に、内閣提出公職選挙法の一部を改正する法律案について、下村宏君より御意見の御開陳を願います。参考人下村宏君。
  55. 下村宏

    下村参考人 私から、今度の小選挙区を主題にしたこの選挙法の改正、つまり小選挙区制を私どもが唱えることになった成り行きといいますか、経過をまずお話ししたいと思います。  言うまでもなく、新憲法になって国会の権能が旧憲法のときよりも著しく強くなって、すでに内閣の首班も国会議員によって選ばれるということになったのが、いわゆる民主政治の根底だろうと思っております。ところが、新憲法になってからの国会の状態がどうかといいますと、むろん、敗戦のあとでありますから、普通に律することはできませんが、とにかく議会に汚職問題が出る、あるいは乱闘が続く。それで、国会の状態は、一方でまず社会党は左右二派に分れてしまう、一方でまた自由党には嶋自党というものができた、こうした状態で一体敗戦の日本がどう再建されるのかということが、私どもの間で問題になったのであります。それで、私の宅へ石黒忠篤、小泉信三、松本烝治、前田多門、村田省蔵の諸君をお招きいたしまして寄り合いを開いたときに、結局、公明選挙ということによって、一そう国会の質を向上させようじゃないか、また国民を一そう警醒するほかはないということにきまりまして、大体前田多門と私が世話人をやりまして、公明選挙運動を続けたのであります。これは皆さん御承知の通りでありまして、だれも不公明がいいと、言う者はないのであります。ただ、これを実現するのに、さてどうするかというときに、的確なめどがなかなかつきにくいのであります。それで、一時は、公明選挙によってだれを公明選挙の候補者に仰いだらいいかという問題も起りましたが、それはほとんどできぬ話でありまして、皆さん御承知のように、私ども公明選挙運動をやり、そうこうしておる間に、私ども、地方を回りますと、理屈はもうよくわかっておるんだ、じゃだれを出せばいいんだという問題であるということで、結局、中には、そう言う下村お前が出たらいいじゃないか、まず身をもってその見本を示したらいいじゃないかという声も聞いたのであります。私は、たまたま自分の家が火事で焼けまして、すべての文献を焼いてなくしてしまっております。筆をもって立つ仕事ができなくなりました、そこへ火災の保険金の百五十万円で私が全国区の参議院議員の候補に立ちました。どこへも所属がないということと、法定の金の中でやったことと、私の至らぬためにみごとに落選したのであります。一方からいうと、一そう私どもは公明選挙の実をあげたいということから、結局、せんじ詰めると、ただアブストラクトに公明という問題よりも、まずどうしたならば一番われわれの庶幾する目的を達しやすいのかというので、小選挙区ということを考えついたのであります。  私は、今まで、大正の末から、選挙の推薦もすれば応援演説も続けております。ことに、過去四回くらいでありますか、ずいぶん応援演説もいたしました。それも、改進党といわず、自由党といわす、社会党といわず、各方面の候補者に進んで応援を続けたのであります、私が、二十八年末でありますか、この前の前の選挙のあとで、私の郷里が和歌山県でありますから、紀州の友の会、紀友会というものを東京に作ってあります。私はそれの会長をしておりましたので、和歌山県出身の代議士諸君の当選の祝いの会を開きました。その会の席上で、私が今までの自分の体験した限りでは、一つ選挙区ということにして政局の安定をはかる、小選挙区ということによって、われわれ候補者としては経費も少く済むし、また回り切れないという広いための体力の問題もあります。これは緒方竹虎君なども数回私に訴えておったのであります。とても回り切れない。それで行かぬと、おれのところに来ないと言う。これは重労働だと言っておったのですが、どこでもそうだと思います。さらに、選挙する人の身になるとどうか。候補者が非常に多いのでありますから、その中からだれを選んでいいかということを識別するのが非常に困難であります。今度は、識別できたとして、人本位にやるか、その政党その政策本位にやるかということが、一つの問題であります。それで、同じ政策、またこの人とこの人を選びたい、一つ選挙区で定員が四名、五名とあるとしますと、出したい人が、政策からいっても、その党の人は全部出したいのであります。また人からいっても、この人もあの人も出したいのであります。けれども、一体その札がどう分れるかということは、これは見当はつかないのであります。組織があって、組合があって、その政党に属する人はわかっておっても、浮動票といいますか、政党に属さない札は非常に多いのであります。これがどう動くか、これはなかなかできるはずはないのでありまして、それがために、選挙する人の身になると、そういうことならこっちに投票するんだった、こうであったというような問題は、いつも起るのであります。のみならず、選挙区が多いために、候補者の数も多くなり、また自然小党分立ということができるのであります。これは皆様には、釈迦に説法でありますけれども、とにかく、イギリスやアメリカは、一人一区という小選挙区になっているために、その間に政局が安定して、一貫して政治がとれるのであります。最もひんぱんに動いているのはフランスであります。これは、小党が分立しておるために、どの内閣でも、四つ五つのものが手をつながなければ議席の過半数を占めることはできない。そうすると、これは、どうしても、その間の交渉を進めるために、時がかかる。今度はできても、寄木細工であるから、なかなか進行は困難である。すぐまたつぶれる。かくのごとくにして、終戦以後、フランスは、すでに二十回以上政変がある。一年二回の政変があるのは御承知の通りであります。だから、私どもは、この小選挙区ということによって、一人一党での小党の分立を避け、これによって政局の安定をはかるほかはないんだということで、小選挙区の運動を始めたのであります。  ゆえに、今の紀友会の席上でその旨を述べて、諸君は、政党政派を超越して、どうか社会党の諸君は左右が合同してほしい。また改進といいましたか、民主といいましたか、自由との間にどこに違いがあるのか、これは合同してほしい。ところが、事実は社会党は両派に分れている、保守党も分れている、こういうことじゃいけないんだという希望を、私は同志を代表して申したのであります。そのときは大体においてみな賛成でありましたが、片山哲君は、これに対して、それは、社会党としては不利であるから、即答できぬということでありました。これは、後日になって、片山君から、一つやろうじゃないかという話がありまして、これが私のこの運動を始めた起りであります。片山君は小選挙区に賛成であります。今日のこの問題にどうこう言って片山君に私は言うんじゃないのであります。私どもは、促進会という会を作って、小選挙区をやるときの理事であります。私どもこの人たちとみな寄ってやったのであります。この今日できた案がどうとか、また今の政府の案がどうとか、それは別問題であります。とにかくそうした意味で私ども始めた。また私どもの同志の古い新聞人の毎月寄る会があります。この会の席上で、今度小選挙区の運動をやるんだということを申しまして、ここで諸君と議論を戦わすんじゃないんだ、もし反対の人があれば反対と言ってくれと言った、ときに全会みなこれによるほかはないんだということで、この紀友会という新聞人の会で集まったのが、この会のできた起りであります。  それで、私どもは、前申したように、現行のやり方ではとにかく選挙区は広過ぎるんであります。広過ぎるのみならず、不自然であります。これは、極端な例ではありましょうが、たとえば佐渡の島と新潟市と西蒲原郡が一つの区であります。あるいは、長崎県の第一区は、長崎の市と島原の半島と諌早、大村方面と、それにさらに佐賀県と福岡県へきて、海上七時間かかって壱岐と対島が一つの区であります。そんな区は私どもありようはないと思うのであります。無理であります。そうしたこの広過ぎるものを、とにかく、小選挙区ということによって、候補者も親しくみなに接して意見を述べることができる、選挙民は、選挙民で、甲乙その間の識別ができる、こういうことにしたい。ことに小選挙区はかえって金がかかるということを近ごろよく聞いております。もちろん、一票当りにすると、現在の選挙区よりも小選挙区の一票当りは高いかもしれません。けれども、四人、五人出るところで全体の選挙民に運動するのと、小選挙区の定員一人のところで運動するのでは、前者の方が、選挙の事務所を置く数にしても、方々回り、通信なりあるいは交通、すべての費用と、あらゆる点において金がよけいかかるのは当然であります。ただ、今までの小選挙区では、ことに運動が非常に激烈になる、買収も盛んになる、そのあまり競争がひどいということを、今までの小選挙区制の例で言うことを私どもはよく聞くのであります。この前の小選挙区の時代にも、私はやはり応援演説をしております。事実当時の小選挙区の運動は確かに苛酷でありました。私どもが、兵庫の若宮貞夫君から、今度は金沢の永井柳太郎君と、山本条太郎君は福井で応援したのであります。けれども、わずかに二千ぐらいの投票のところで、山本条太郎君と松井文治郎君との間の競争が非常にきつかったと思うのは、私がいよいよ今晩一晩で金沢へ移るというときに、今行かれちゃ困る、今確かに十票ぐらい負けている、それでもう一つふんばってくれ、永井君が出るのはきまっておるから、もう一日延ばしてくれというので、私は延ばしましたが、私が延ばす延ばさないという問題よりも、その一日の間に非常に熾烈な運動をしたと見えて、これで辛うじてかれこれ四、五票は勝つだろうというて、ふたをあけると、確かに五票違っておったのであります。そのくらい選挙区が狭いと熾烈になるということは事実であります。けれども、そのときの小選挙区の区域なり投票の数というものは、今日とは問題にならないのであります。そのときの小選挙区は、市になっているところはみな独立選挙区になっておった。独立選挙区になっておって、その市では、中には票数千に満たないところさえあったのであります。そのくらい少いのであります。多くのところは二千、三千、四千くらいのところで競争するのでありますから、熾烈にもなり得るのでありますが、今では、市の人口そのものは、市が非常に太ってきた。のみならず、選挙権も年齢がだんだん低下してきた。さらに戦いのあとは婦人が参政権を得て倍になっている。かつては千以下あるいは二千以下で勝敗を争ったのと、この小選挙区はとにかく人口からいっても十八、九万を一区当り平均にしておるから、今日とはほとんど問題にならぬ。とても問題がなくて、元のような熾烈なる競争は起り得ず、また買収するとかどうするとかいうことは、手もなかなか回らず、金も回らず、警察の取締りもむろんあるが、何よりも、その時代よりも国民全体が目ざめておると、私は確信しておるのであります。  それで、私が小選挙区を唱えております根底は、何といっても同士打ちを禁じたいということが、もう私の問題のすべてのもとになっております。私どもが選挙区を今まで回った事例からいいましても、互いに戦っておるのは、反対党ではなくて、むしろ味方であります。反対党の札というものはとれるものではないのであります。浮動票なり、いわゆる味方になるかどっちともきまらぬものをお互いに争っておるのであります。そうすると、前申したように、その間に地割りをしなければ、なかなか札の割り振りがつかない。その地割りというものが、それでは厳重に理想通りいくかというと、なかなかうまくいかない。こんなことを諸君に言うのははなはだ逆でありますが、そういうことを世間で言っておるのでありますが、この地割りをするが、その通りいかないということを、私は至るところの応援演説で実見してきたのであります。従って札をあけてみて、それではこっちへ投票するのだった、それではこっちへ投票するのだったということが、必ず比々として起るのであります。ちょうど今参議院の選挙がこれから始まりますが、定員の二人というところに、候補者が、社会党なりあるいは保守党の方から、どっちかが二人出す、どっちかが一人出すということが、一番普通起るのではないかと思います。そのときに、その二人の票を合せてみても、どっちにしても一人々々にしかならない場合と、二人とも出得る場合と、その二人がまた相戦わねばならぬという場合が起ります。札をあけてみると、その札のあんばいがよろしきを得れば二人出れたのだけれども、一人の札が行き過ぎたために、結局二人出るところが一人しか出ないということもむろんあり得るのであります。現在の第一区でも、鳩山一郎君は三人前の札をとったのであります。とり過ぎておるのであります。とり過ぎてその札が死票になることも少くないのであります。しかし、問題は、今申したように、どう札を振り分けていくかということができないために、見込み違いの結果が出るということは、古いときには、政反会の総裁の鈴木喜三郎君は、神奈川県の第二区でありますが、これで落ちておるのであります。遠からずに河上丈太郎君は兵庫県の第一区で落ちております。神奈川県の第三区で片山哲君が落ちておるのであります。私は、河上君なり杉山君を応援しているときには、私ごとき者が応援したから、せぬからといって、河上君や杉山君が落ちる落ちぬ、そんなことではないのであります。いつでも訴えているが、なぜ君たちが一つにならぬか。束になって一つになっても過半数占めないきとに、なぜ小異を捨てて大同につかないのか。日本の政局を高めなければならぬ。これがためには、大選挙区になっておって札が割れたり、またしからずんば、見込みが違って、今申したように思わぬ河上君なり片山君なりが落ちました。宮城県でたしか内ヶ崎作三郎君が落ちたのもそうであります。まるで予定が狂うということが起るのであります。私は朝日新聞に十六年おりました。選挙のときには、もう皆さん御承知でしょうが、あの人は見込みないと書かれたら、これは明らかに見込みないのであります。けれども、見込みありと書かれるのもよしあしであります。ちょうど当選の線上を上下しているということを書いてもらうと、一番都合がいいのであります。地方ではどうか知りませんが、東京では、かつて、東京で大きな選挙区へ出るときに一番見込みないといわれた蔵原惟郭君が、最高位で出たことがあるのであります。その意は、浮沈しているというか、もう少し出たら当選する、ちょうど危ないところにあるということがいいという、前申したようなことを裏から証明していると私は思います。それで、地割りとして見込み違いになるとしても、まだお互いに無理をせぬうちはいいのでありまするが、どうしても、追い込みになって、これは危ないということになれば、その地割り等のお互いの約束は守りがたいのであります。かくのごとくにして、どうしても、いざとなると約束を破って、いわゆる泥試合、内輪試合をします。さらに、私どもが、この前の選挙のときでありましたか、ある県の立会演説会では、与党が自分の仲間の人身攻撃すらあえてするのであります。私は、そういうことをせねばいかぬという候補者を、非常に気の毒というか、苦々しく思うと同時に、そういうことを言うことが、ある場所では受けるような、まだそういう日本国民の程度であるのかということを、非常に私としてはつらくいまだに感じておるのであります。  それで、私は今皆さんにいろいろ申し上げたい点もありまするが、海外の事情は、皆さんも御承知でありますが、アメリカとイギリスは、お互い御承知のように一人一区である。そうして政局を安定しておる。フランスは前に申したようにいけない。そのイギリスが、私どもに言わしむれば、選挙の腐敗とか弊害ということは、ずいぶん過去においてはひどかったのであります。少くとも今日のように、イギリスはそんな戸別訪問だとか買収だとかいうこともなくなった。ほとんど違反が起らなくなってきた。これは少くとも五十年以後のことで、最も選挙が腐敗して、これではいけないというので、連座制を設けるとか、その他国民の目覚めによって、少くとも五十年の歴史を経て今日になっておるのであります。今度こういう改正をした、だからもうすぐよくなる、そんな甘いことは私は申しません。またあり得ないのであります。一回の選挙、二回の選挙、その間に、ことに婦人が選挙権を得ておるのであります。そういう国民が、全体の政治に対する認識を深めるというか、それに関する関心を高めるといいますか、こういうことによって、相当選挙の粛正公明というものがだんだんできてくるものである。イギリスのようなことは日本じゃ無理だとか、日本人にはどうだといって諦める必要はないので、かすに時をもってすれば、一回一回よくなっていく。漸をもっていくということを私は申したいのと、それから、私は、社会党の方にもよくお話をしておったのですが、とにかくイギリスで自由党と保守党が前に相対立しておった。それが、後、労働党が出てきまして、労働党が、まず当選の数が四十人だ五十人だという程度でくすぶっておったのは、相当長かったのであります。けれども、あるときに、がぜんとして、そういつまでも保守党じゃない、自由党でないというある時期がくると、一九二三年でありますか、一挙にして百九十八人の議員を得て、マクドナルドの最初の内閣ができたのであります。次の選挙で二百九十二の定員を得ています。それで、今度は、戦争でイギリスはチャーチルによってともかくも勝ったのだけれども、戦後チャーチルは退いて、アトリーの労働党内閣になっておる。これから先、年を重ねるに従って、われわれ、また私のような年寄りはお先へみな死んでいくのであります。毎年新たに選挙権を得るのは若い人であります。これから一回一回やっていけば、今日二人とか三人とか四人ということによって、じりじりといいますか、はっきりしないよりも、一人一党で戦って、はっきりアブソリュート・マジョリティ、そういうことによってまず政権を確実にやるということで、天下回り打ちで、この前の片山内閣とか芦田内閣というような寄木内閣ができるということでは、私は、その党のためではない、日本のためにこれは好まないのであります。  問題はいろいろありまして、申すまでもなく、連座制あるいは公営、その他いろいろな問題が相待っていきますが、すべての根底は、まず小選挙区にして、二大政党の、対立にする。これによって日本の政局の安定が得られる。すべてはまずそれからの話だ。この小選挙区にするために、あるいは選挙区割りとかその他にいろいろ意見はありましょうが、これはそれぞれ論議されていくことであって、とにかく与党が絶えずお互いに戦うということになっておって、そこで同士打ちをする。裏切ったというように、みぞのできたことは、東京のようなところではあまり気がつきませんが、地方ではやはり人心の上にあとでみぞができて、その土地土地の地方行政、その他社会の上に非常な悪化をもたらすのじゃないか。いわゆるモラルの上からこれはどうしても除きたい、そういう余地を少くしたい、これが私の小選挙区を唱えてきたゆえんであります。  なお御質問がありましたら、私の存ずる限りは申し述べたいと思います。
  56. 小澤佐重喜

    小澤委員長 次に、内閣提出公職選挙法の一部を改正する法律案及び中村高一君外四名提出公職選挙法の一部を改正する法律案一事再議に関する問題について、鈴木安藏君より御意見の御開陳を願います。参考人鈴木安藏君。
  57. 鈴木安蔵

    鈴木参考人 与えられた時間はおおむね三十分ということでございますが、若干超過するかもしれませんから、御了承を願います。  最初に、御質問一事再議原則につきましては、旧明治憲法において明文の草分けがございましたので、それについてお話し申し上げたいと思います。  明治憲法の起草者は、旧憲法第三十九条についてどういう立法理由を持っておったかということを顧みる必要があると思うのでありますが、枢密院本会議提出されました立法理由書によりますと、再議提出は議院の権利を棄損するからいけない、及び会期がいたずらに遷延して一事に渋滞するの弊があるからいけない、この二つ理由をあげております。この再議提出は議院の権利を棄損するという説明を考えてみますと、いやしくも、国会において、一たびその会期において議決いたしましたことについては、もはや国会の意思は確定したものである。国会としてはそれ以上同一事項について再議する必要がない。のにかかわらず、それを再議しろということは、なすべき必要のないことをしいるものであるから、国会の権利を棄損する。おそらくこういう意味であろうと思います。ところで、明治憲法の案文は、御承知のように、「両議院ノ一二於テ否決シタル法律案ハ同会期中ニ於テ再ヒ提出スルコトヲ得ス」こういう条文でありますから、一事再議原則と申しますけれども、その中の特殊の場合をいっておるものといわなければなりません。  当時、これを立案いたします明治憲法の起草者たちは、どういう外国の憲法参考としたかと申しますと、申すまでもなく、第一にイギリスにおける一事再議原則参考といたしております。イギリスにおいても一事再議原則は確立された憲法慣習であるが、ただこういう場合がある。政府は、上院、下院の委員会において、ある議案がどうも通りそうもないということがわかった場合には、まだ本会議にかかる前には、それを適当に修正して再提出してもかまわない、あるいはまた、両院の一において、他の議院に回付した議案について、どうも委員会において異議があって通りそうもないような場合には、まだ本会議にかからないうちには、別に改正した案を出し直してもよい、こういうのはすなわちできるだけ国会議事運営を円滑ならしめるための便法であるのだ、イギリスの予算案その他の法案について見ると、そういうふうな扱いをしておる。しかしながら、それが限度であって、イギリスにおいても、議院において、本会議においてすでに否決をしてしまった一つの議案をもって、その名称、文字を変更し、再びこれを提出して、もって事実上の再議をはかるようなことは、厳に憲法上許されないとして禁じられておる。そのほか、明文をもって当時定めましたものは、イタリア憲法、スペイン憲法あるいはドイツの州法の憲法等に、明治憲法三十九条と同じ条文がございます。  以上を顧みますると、明治憲法において、この原則が、先ほど申しましたような形態において確定されましたその趣旨というものは、御承知のように、明治憲法における帝国議会は、今日の国会と違いますから、多少の歴史的制限があると思います。あるいは、立法者といたしましては、可能な限り議会の発言を少くする、一たび否決されたものについては、また蒸し返して政府攻撃の材料にするようなことは避けたい、そういう意図があったかもわかりませんけれども、しかし、客観的に見ますと、要するに、一事再議原則は、議事を不必要に重複させたり混乱させたりしない、能率的に議事を運営するためにはどうしても必要であるという観点、さらに議会における意思決定は軽々しく行わるべきではない、また軽々しく行うものでもないのであって、同一の事項について一会期において前後相違するような議決があるべきものではない、国会の意思はその会期においてはただ一つあるのみである、これが、立法機関としての国会のファンクションから申しましても、また権威から申しましても、必要なことである。大体この二つの点を考えて、明治憲法三十九条が規定されたものと思われます。そして、これに関する当時の書記官長あるいは公法学界における定説も、ほぼ私が説明したような意味にこの条文を解釈いたしております。  以上が明治憲法における一事再議原則趣旨でありますが、次に、日本憲法においてはこの原則がどう考えられるかということを検討してみたいと思います。  明治憲法の場合には、多少制限された形においてではありますが、憲法上明文をもってこの原則を確認したのでありますが、日本憲法においてはこれがない。一般に、ある事項について憲法が明文をもって定めていないということについて解釈し得る場合が、少くとも三つあると思います。一つは、そういう事項について憲法は認めない、また必要としない、そういう趣旨である場合であります。第二には、その事項について別にそれを第一の場合のように積極的に否定するとか禁止する趣旨ではありませんで、関係法令にゆだねてよい、憲法に明記するまでもない、こういうふうに考える場合であります。第三には、そういうことは現代の憲法政治のもとにおいては当然のことであって、わざわざ憲法上の明文を必要としない、こう考える場合であります。たとえば、その事項について憲法は認めない、むしろそういうことは禁止する方針である、こういう意味において憲法上明文を求めない事項はたくさんございます。たとえば、天皇が法律案を裁可するとか、あるいは統帥権をつかさどるとか、こういうようなことは日本憲法においては禁止する、そういうことは全然問題にならない、こういう意味において明文の規定がないのであります。第二の点の、そのことを禁止する趣旨ではないが、関係法令にまかして十分である、こう思われることは多々ございます。たとえば、会期不継続の原則というようなことについては、憲法は何ごともいっておりませんけれども、これは当然のこととして関係法令に定めてあるものといってよいと思います。また、常任委員会とか、特別委員会とか、今日の国会においてはも最重要な議事運営の機能を果しておりますものについても、日本憲法は何一ついっておりませんけれども、憲法上明文がないから、常任委員会制度、特別委員会制度というものを認めないというような趣旨でないことは言うまでもありません。第三の場合といたしましては、あまりに自明でありますから憲法の明文を必要としないという事項でありますが、たとえば、内閣の総辞職という場合に、御承知のように現行憲法は六十九条と七十条の場合きり定めておりませんけれども、しかし、言うまでもなく、内閣が総辞職するということは、その他の場合にも多々あるわけでございます。憲法上明文がないから、六十九条の場合と七十条の場合きり総理大臣が辞職することはできない、内閣の総辞職ができないということは、もちろんどなたもお考えにならぬと思う。そういうことは、もはや憲法上一々明文を書く必要がないという事項でございます。  さて、一事再議原則について、憲法国会法も各院の議事規則も何一つ触れておらないのでありますが、このことをどう考えるかという問題であります。これについては、学界においても、旧憲法の場合と違って、日本憲法の場合には、会期も非常に長期にわたるのであって、この一事再議原則を明文化することは、かえって弊害があるであろう、そこで明文を書かないのであろう、こういうふうに解釈する学説もないわけではございません。しかしながら、一事再議原則会議の運用の常識としまして合理的なものである、こう考えることが、日本憲法の以下述べまするような構造からいって妥当ではないかと、私どもは考えるわけであります。すなわち、先ほど申しました第二の場合であって、憲法自身は直接それを明文をもって定めないけれども、当然そういうことは認められてよいとして、関係法令にゆだねておる事項であります。しいて申しますならば、憲法第五十八条第二項前段において、そういうことを国会法なり各院の議事規則が定むべきものにかかわらず、それを定めなかったということは、いわば法令のか疵である。しかし、そのことをもって、この原則日本憲法のもとにおいて弊害があるとか、不必要であるという趣旨ではないと考えます。そうして、今日まで若干の資料を拝見いたしますと、この日本憲法下における国会におきましても、一事再議原則は当然合理的な原則であるとして、今日までしばしばそれを前提とした論議が行われておったようであります。そしてそれは正当な態度であると考える次第であります。  そこで、この日本憲法のもとで、この原則が合理的であると考えられる理由を、次に多少立ち入って申し上げてみたいのであります。  申すまでもなく、日本憲法は、国会の自律的集会主義を認めておりません。依然として、明治憲法下における帝国議会と同様に、他律的集会主義を認めております。しかしながら、他方、日本憲法下におきましては、あとう限り実質的に自律的集会主義に近づいておる。自律的集会主義と同時に、もう一つ国会の民主的な運営原則として考えられるところの会期制度につきましては、旧憲法の場合はあとう限りこれを短かくしたわけでありますが、日本憲法においては、無休常設的のそういう制度はとりませんけれども、非常に会期を長く、自主的に決定し得るように定めておることは、申すまでもないところであります。これは、憲法における国会の新しい地位から見まして、当然だと思うのでありますが、このような特質に着目して考えますと、やはりなお完全な自律集会主義ではない、また完全な無体常設主義でもないのでありまして、従って、常会、臨時会、特別会というような会期の種類も、憲法上あるいは国会法上存在するわけであります。こういう点から考えますと、やはり、日本憲法のもとにおいて、当然のこととしまして会期制度が相当きびしく存在するのでありますから、会期不継続の原則も必要でありますし、同時に、一事再議原則も、当然これを前提としておるといわなければならないと思うのであります。それはおよそ次のような理由があると思う。会期を有効に使用すべきはずの国会における議事が、いたずらに不必要に重複したり混乱したりすることを避ける、こういう要請が一つあると思います。第二には、司会の意思決定が慎重であって、確実であるということが当然期待される。一つ会期において同一事項についてしばしば変更されるということは、この期待に反する。のみならず、常会、臨時会、特別会という会期の種類がありまして、随時これは開くことができるのでありますから、一事再議のルールがありましても、重要な事柄について国会としての職能が果せないということはない。常会においてもしもだめでありまして、しかも客観的情勢のもとにおいてどうしてもそのことを急いできめる必要がありますならば、常会が終りましてから、直ちに臨時会を開いてやることもできるのでありますから、一事再議原則を認めておっても、何ら重大な不利益はない。以上の観点から申しまして、私は、日本憲法のもとにおいても、一事再議原則は当然前提とされている、またしてよろしいと判断するのであります。  しかしながら、それにもかかわらず、憲法が明文をもってこのことを旧憲法の場合のように条文化しないという趣旨は、おそらく、多くの学者もすでに指摘しておりますように、旧憲法のように会期が非常に短かく区切ってある、あるいは他律集会主義、こういうことを批判しまして、先ほど申しましたような新しい原則に移っておりますから、旧憲法ほどに厳重に憲法上の明文をもって一事再議原則を定めずに、これを国会自身の運営、国会自身の判断にゆだねている。常任委員会、特別委員会あるいは会期不継続、そういう原則と同じように、国会の運営自体のうちにおいて適当にこれを扱うということを、憲法は期待しているものと思うのであります。これが日本憲法におけるこの原則についての私の見解であります。  最後に、しからば一事再議一事とは何であるか、これについて意見を申し述べてみたいと思います。  旧憲法の場合には、このことについてはきわめて厳重に解釈されておりました。当然私どももそれを顧みなければならない。たとえば、ほとんど最高のケースと言ってよい美濃部博士の説によりますと、一事再議一事とはあくまでも同一の事項である、きわめて常識的に見ても厳重な同じ事項、選挙権なら選挙権という事項については、これは一事である、他方また選挙権という問題と選挙区という問題、これは相関連するけれども、別の事項である、こういう扱いをいたしておりますが、私も基本的にはそれが正しいと思います。そこで、こういう場合に、一事とは何を意味するかというケースを考える場合に、おもなるケースを考えまして、次の四つの場合が考えられると思います。一番まぎれのないものとしましては、同一法案同一の議案という意味であります。これはもう問題の余地がない。否決されました同じ法案、それを名前も同じ内容もそのままでもう一度出す、こういうことは初めから問題にならない。第二には、名称や若干の規定の文句が変更されておりますけれども、しかもほぼ同一趣旨目的、従って同一内容と判断される法案ないしは議案であります。たとえば、不信任の決議案の場合に、若干の文句を変えてまた出すということは、当然これは一事再議原則上おかしい。これが第二のケース。第三のケースとしましては、法案名が違い、またその法案の根本趣旨、主要目的が違いましても、その規定している事項がさきに議せられた法案において規定している事項と相当の範囲において同じ事項であり、さきに議せられた法案は否決されたのに、実質的にはその部分については再び提出されたものとなるような場合には、やはり一事といわなければならないと思うのであります。法案名が違い、法案の根本趣旨が違いましても、その実質に着目して、相当の範囲内において同一の事項を議するというような場合には、やはり一事再議原則にかかると思うのであります。最後のケースとしましては、法案名がほぼ同じである、その基本の趣旨も同じである、またその規定している事項がさきに議決された法案において議せられた事項と相当の範囲において同じ事項である、そうして、さきに議せられた法案が可決され、今度はそれをそのまま肯定するという場合はともかくとしまして、それを新しく改めるというのであれば、やはり一事であり、不再議原則を犯すものと見るべきであろうと思うのであります。なぜならば、この最後の場合には、その同一の事項に関する限り、同一会期中における議院のあるいは国会の意思が変更するということになるからであります。この相当の範囲内において同じ事項という言葉を使いましたが、その範囲はどの程度のものかということを数学的に確定するということはできないと思います。その十項の重要さ、特に国民の権利義務に対して及ぼす影響、そういう点を考えて判断すべきであろうと思います。  以上考えられました一から四のおもなる類型、おもなるケースがございますが、それにもかかわらず、一事再議原則には触れるけれども、諸種の客観情勢あるいは背景から考えまして、どうしてもこのことを再議して議決することが、国民の基本権の伸張のために、あるいは国会としての全体の職能を民主的に果すために、万やむを得ない、こういう考えがある場合、これは今日の時局において必ずしも絶無ではないと思います。こういう場合には一事再議原則には抵触するけれども、この再議をなすことがやむを得ないのだ。つまりそれはプリンシプルに対する例外であります。その例外をあえてする場合には、広く、国会内においてはもちろんのことでありますが、社会全体について明確にまた異議なく承認されるような、そういう万人の承認するような、そういう事実が立証されなければならないと思います。日本憲法は、明治憲法と違いまして、明文をもって定めていないのでありますから、そういうような事態が万一にも存在するということを広く承認されましたならば、その程度例外の扱いは憲法上可能である、こう考えるのであります。  大要私の見解は以上の通りであります。
  58. 小澤佐重喜

    小澤委員長 それでは、次に、先刻来保留いたしておりました中村宗雄参考人に関する議事を継続いたします。質疑を続行いたします。竹谷源太郎君。
  59. 竹谷源太郎

    竹谷委員 休憩前に保留いたしておきました中村さんに対する御質問を一、二さしていただきたいと思います。  休憩前のお話で、中村さんは、客観的情勢の著しい変化がある場合には、再議を認めてもやむを得ない場合があるとおっしゃり、なお、引き続き、目的趣旨が著しくあるいは全く違うというような場合に、例外として再議を認める場合もあり得るが、これは例外であって、きわめて厳重に慎重に制約して考えられなければならないというお話であったのでございます。しかし、考えてみますのに、目的趣旨というようなことになりますと、これは非常に主観的な要素が強くなるわけでありますし、そうして新しい法律で新しい情勢を作るような、そういうことになるわけでございまして、これは結局国会内にわける党派の政治的意図が加わります場合が非常に多い。この政治的意図が、しかしながら、きわめて合理的であり、妥当であり、万人の認むるところであるというようなものでありまして、それが正しい目的趣旨のもとに行われる場合でありますならば、それに再議を認めましても弊害がないかもしれませんが、しかしながら、どれが妥当であり、合理的であり、どれが不合理であり、不当であるかというようなことになりますと、その決定は結局国会意見できまるという御意見なんです。そうなりますと、いつの場合でも、多数党が多数でもってこれは再議が許される。一時不再議原則適用されない。このようにいたしますならば、妥当なものも、不当なものも、一緒くたに、多数の暴力的な見解によりまして、勝手に趣旨目的というものがこしらえられて、そうしてそれはいろいろな理由をつけるでありましょうが、せんじ詰めると、どんな理由をつけても、多数党は自分の思い通り趣旨目的変更させて、そうして再議をする、同一会期中に同じ事項について二度も三度も朝変暮改をする、こういうことになりましたならば、一体国会の意思が邦辺にありへ、また法律を朝変暮改して、国民はどれに従ったらよいかわからないということになるのでありまして、こういう客観的なことでありますなら別でありますが、主観的要素であり、法案自体の問題でありますところの目的趣旨というようなもので例外を認めると、どうもこれは一時不再議原則は認めない、そんなことは憲法上の原則としてないのだという結論にならざるを得ないように思うのであります。この目的、極言の問題につきましては、非常に厳格に、狭く、特殊な例外として考えられなければならぬということをおっしゃっております。しかしながら、それは先にもお話がございました法治国でないような結果になる。多数でもってしゃにむに自分の思い通りに物事をやっつけて、これが新法律による新しい情勢の変化であるというようなことになりますと、どうも国会のルールとしてはおもしろくないのではないか、こう思うのでありますが、もう一度御意見を拝聴いたしたいわけであります。
  60. 中村宗雄

    中村(宗)参考人 御意見まことにごもっともと思うのであります。いかにも現在日本国会には一時不再議に関しまして何らの規定がない。これが最大の欠陥かと思うのであります。今も鈴木先生がはからずも私と同じような御意見でありまして、規定がなくても一時不再議というものは当然行われなければならぬ。当然行われるならば、これは法則として行われるのであるから、これを明確ならしめる規定が要るわけなんです。ところが、規定がないからして、ただいま仰せられたような事実があるかないか。これは私は学者立場としてどちらにも断定いたすのではございませんが、今竹谷さんが仰せられたようなことが生じ得る可能性は、確かに現在の状況においてはあるといわなければならないかと思うのであります。従来法案目的趣旨が全然違うということを判定する何か客観的な基準がないかということで、いろいろ御質問があったが、太田長官また法制局長官の御答弁を私拝見した程度においては、何らの客観的基準が示されておらない。これは示されないのが当然なんです、何ら規定がないのですから。今竹谷さんが仰せられた主観的基準以外に何らない。しからば、そういう基準がないからこの例外は認めないでいいじゃないか、認めない方がいいではないかということは、これはまた一つ政治問題、政治論であろうと思います。その方がいいか思いか、これこそ国会で御決定に相なるべき問題であります。  われわれ法律家といたしましては、とにかく一事再議原則というものは厳然としてある。しかし、どうも、英法における二重危険の防止のごとき、絶対この例外を認めないということは、議事通則としては無理ではないか。現に、明治憲法では一つ会期中再審議を許さぬ。会期は切っております。しかもこの会期は現在においては長くなっており、政治的な情勢というものは客観的に刻々変化をするということを考えれば、学問的にも例外を認めなければならぬということは、これはわれわれ学者の良心としていわざるを得ない。しからば、いかなる程度にまでその例外を認めるかといいますと、何らの規定がない。現在において何らの前例がない。しからば、どうもわれわれ学者としてこれに対する明快なる基準をお示しいたすわけには参らぬ。そこで、今鈴木先生も仰せられたでしょう。何人も納得のいくような事項を立証してかかれ。これは私と相はからずも意見が一致しております。何人も納得のいかないようなことで多数をもってもし御決議になったとすれば、これは議会に対する国民の不信を買う以外はないのでありますから、私は本件の問題においてそういうことはないであろうと考えております。またこの問題についてそれ以上私は考えたことはございません。
  61. 竹谷源太郎

    竹谷委員 どうも中村さんありがとうございました。  ただいま鈴木さんからもお伺いしたのでありますが、ただいま中村さんにお尋ねした問題について、鈴木先生になおお尋ねしたいと思います。ただいま、一事再議の問題につきまして、例外を認められる四つの類型を示されて、いろいろと御説明がありましたが、第五番目に例外の問題として、ただいま中村さんからお話のあったようなことにつきまして、御意見を承わったのでございます。鈴木先生のお話によりますと、例外として一事再議が認められる四つの問題は、一事再議原則に反する、しかしながら、これが例外として、客観的情勢から見て、国民の基本的人権の尊重なり、あるいは国会全体に関する非常に重要な問題について、再議ではあるが、どうしてもこの問題を解決して改めなければならない、そういうような情勢の場合には、しかもなお、それが、国会はもちろんのこと、社会全体が承認するような場合には、例外を特に認める場合もやむを得ない、こういうお話でございましたが、これは、言葉の上では一応わかったような気がするのでありますが、まだ非常に抽象的で、ぴんとこないような気持がするので、なおこれを砕いてさらに具体的に御説明が願えたら、幸いであると思う次第であります。
  62. 鈴木安蔵

    鈴木参考人 法律論の範囲をお答えするのが、私の役目でありますが、たとえば、国会憲法下に発足しましてから、「一の会期において同一法律規定に関し再三議決が加えられた事例」というものを、参考人に対する資料としていただきまして、これは重要なことでありますから拝見したのでありますが、突然のことであって、一々その事例について、つぶさに当時の記録を調べたり情勢を検討するいとまがございませんから、あるいはさらに研究の結果結論が違うかもしれませんけれども、一応拝見した限りにおいて、私は二つの点が今の問題に関連しておると思うので、申し上げてみたいと思います。  一つは、第七国会において、政府職員の新給与実施に関する法律の有効期限の問題でございますが、これは、御承知のように、当時衆議院の議院運営委員会におきましても一事再議の議論が行われたと書いてありますが、この委員会で、当時の事務総長から、題名を初めとして本則及び附則の中一部条項に相違のある点が指摘され、結局一事再議適用がないものとして取り扱われた、こう説明されてありますが、私は、今まで拝見した範囲では、これは、私の観点からすると、一事再議原則に触れると思います。でありますから、当時の事務総長の説明のように、これは一事再議適用がないのである、こういう説明は私は正しいとは思われない。これは一事再議原則に触れたのであります。しかしながら、つまりそれの重要な例外として認めたという方が正しいのではないか。けれども、考えてみますと、この昭和二十五年における政府職員の新給与実施に関する法律につきましては、思うに、相当、インフレーションであるとか、ベース・アップであるとか、こういう切迫した事情がございまして、三月三十一日までに国会において議決するわけにいかなかったけれども、これを長きにわたって遷延しておくことは妥当ではない、勤労者のために、公務員のために、これはあえて四月一日をもって国会が議決して、そうして適当に対処する、こういう場合には、事公務員の給与に関する問題でありますから、一事再議原則から申しますといささか手落ちがありますけれども、これは認められることではないか、こういうふうに判断するのであります。  それから、もう一つの例としましては、補助金等の臨時特例等に関する法律(昭和二十九年法律第二十九号)、この問題については、この説明書に、本予算に見合う関係においてであるから一事再議原則適用はない、こういう説明でございますが、これはそうであろうと思います。こういうふうに、暫定予算であるとか本予算、こういうものが最初立法当時よりも著しく違いまして、当然のこととしてこの期限を五月三十一日、六月三十日、さらに翌年の三月三十一日まで延ばすというようなことは、これは事の道理上やむを得ないことであって、一事再議になっておりますけれども、一事再議原則にはかからない。大体、法律的に申しますと、二つの点でただいまのお答えになると思います。それで、一般的の基準は、先ほど申し上げました通り、数学的には与えられませんけれども、今日の議会政治に対して、憲法が要求いたしますように、可能な限りそういうことはまぎらわしい意見の対立というものがない、おそらく、この二件につきましても、その当時の国会において若干の疑義がありましたろうけれども、国会全体としてはあまりにもはなはだしい意見の対立がなしに、また世論もそういうことに関しましては妥当である、こういうような状態のもとにおいて認められたものと思います。
  63. 竹谷源太郎

    竹谷委員 そこでもう少し突っ込んでお尋ねしたいのは、今回の公職選挙法の一部改正に関するこの政府提出法案は、大体十三カ条くらいにわたって——先般本院が三月一日に議決をし、そうして参議院に回付せられて、三月十四日に参議院を通過いたしまして、三月十五日から施行になりました。この六、七月に行われる予定の参議院議選挙を大体目標とした改正法律がすでに実施になっておるのでございますが、その国会の決定を見たのは三月十四日であります。これに対しまして、三月十九日に、それらの法律のうち約十三カ条にわたってこれと抵触するような政府案が、わずか五日置いて提案になった。ところが、政府の言うところによると、これは趣旨目的が違う、小選挙区という建前の上に立った改正であって、従って一事再議には反しないのである、こういう説明なのでございます。実は、この三月十五日から施行になった改正法というものは、前国会から継続審議で、今国会になりまして、衆議院において一部修正の上、参議院に回付になり、参議院がこれに承諾を与えた。これは相当長くもんだので、その決定を見たのが三月十四日でございます。ところが、この小選挙区の問題は、すでに選挙制度調査会等において去年以来研究され、またそのような提案があるのではないかという予想が十二分についておるときに、改正を見たその法案がきまったわずか四、五日後にこの政府案が出されたのでございますが、この中には、ひとり参議院の問題のみならず、衆議院や都道府県知事あるいは市長、教育委員、これらの選挙の問題につきましても、同一事項について改正を試みんとするものでございますが、これらほかの選挙のことは第二といたしまして、衆議院だけに関しましても、一体、小選挙区制の採用ということが、鈴木さんのおっしゃるような万人が認め、国会がもう異議なく、これはどうしてもやらなければ基本的人権の尊重はできない、あるいは非常に重大な問題の解決ができないというような、この例外として一事再議を認める場合に該当し得るかどうか。これを一つ、学問的な観点から——政治的考慮等は無論要りません。学問的観点から、一つお考えをもしできればお伺いいたしたいと思う次第でございます。
  64. 鈴木安蔵

    鈴木参考人 直接お答えになるかどうかわかりませんが、資料によって拝見いたしまして、今回の公職選挙法の一部を改正する法律案と三月十五日に確定しておりますところのものとを比較検討いたしてみましたところが、少くとも、これが明治憲法のもとにおいてであれば、たとえば先ほど論及しました美濃部博士の説明等から判断いたしますと、これは明白に一事再議ということになると思うのであります。なぜならば、選挙という相当重要な国民の公権の使用に関しまして、その実質に影響のある事項が相当ございます。今まで調べましたところ、十三、四カ条ございますが、そのうちには、いわば形式的なテクニカルな、ある実体的な法規が変れば当然技術的に変更しなければならない点もございますが、それのみにとどまらないで、たとえば、重要な点といたしましては、私の気づいたところでは、ビラの枚数を変更する。あるいは放送回数を変更する、あるいは一定の政治団体が、単に政治活動のみならず、選挙期間中選挙運動をなし得るということについて、二十五名以上の公認候補ということを五十人以上に引き上げた、こういうようなことは、いやしくも選挙運動という観点から見ますと、きわめて重要な実体的な規定でございますが、こういうことを三月十五日の国会の意思として確定しておいたことを、さらに一カ月もたたない今日において再び改めるということは、私は、旧憲法における解釈の立場から言うと、もう全然問題にならない。これは明白に一事再議であって、なすことができない、こう思います。ただ、問題は、先ほど申しましたように、日本憲法にはそういう明文がない、つまり、どの範囲にまでこういう事態を認めるかということでありますが、もしも一事再議原則をプリンシプルとして日本憲法が認めるというのであれば、以上触れた点は最小限度一事再議ということになるのではないか。こういう点をあえて犯して、そういう原則に触れましてもこれをやらなければならない、こういう重大な理由があるかどうか、速記録を回していただいてそれを拝見した限りでは、政府当局あるいは提案者の方には、そういうことについて十分の説明がございません。
  65. 竹谷源太郎

    竹谷委員 どうもありがとうございました。これをもって私参考人に対する質問を終ります。
  66. 小澤佐重喜

    小澤委員長 井堀繁雄君。
  67. 井堀繁雄

    井堀委員 中村先生、鈴木先生の一事再議に対する明快な御説明をいただきまして、われわれは非常によき参考を得た次第であります。  そこで、時間の都合もございますので、いずれまたこれは公聴会との関連もございますから、その節にお手数をわずらわすようなことに相なるかと存じますが、この機会に簡単に一、二のことをお尋ねしたいと思います。  まず、中村先生にお尋ねいたしたいと存じますのは、先生の御説によりますと、訴訟手続の上で一事不再理の原則についてきわめて明確に御説明をいただきまして、よく了承ができたのであります。さらに、これと、議事運営上の会議規則の中で、一事再議の問題が今日当面したわれわれの問題になっておるわけでありますが、訴訟手続の上からいたしますと、民訴の場合は、その争いがいずれも利害関係者が民間でありますが、刑事訴訟の場合は、多少違うにいたしましても、この場合に両者の争いが全く対立をいたしました節には、大半の裁判官の判定を得るという形において、一応結論を出すことができるわけでございますけれども、今日のわれわれの当面しております問題は、すでに御案内のように、今日の国会におきましては、不完全ながらも二大政党と小会派を残すだけであります。その二大政党のうちの社会党が、一事再議については全く理解ができない、一時不再議の事実はいかんとも動かすことができないという見解をとっておるわけでございます。さらに小会派もわれわれと考え方を同じくいたしておるわけでございます。不幸にいたしまして、多数を占める自民党のみが、これを一時不再議でないという建前をとって、議案の審議をわれわれに要請をしておるわけでありますけれども、こういう場合に、その断定は、私どもの考えでいえば、もちろん、今日の日本国会の実質からいえば、多くの国民の意思に従って決さなければならぬものではないかと思うのでありますが、しかし、今日の場合、それを問う方法が問題になると思うのであります。この点について先生のお考え方を聞かせていただきたい。
  68. 中村宗雄

    中村(宗)参考人 まことにむずかしい御質問でありまして、この問題の解決は政治論、政治学の問題だと思うのであります。まさしく訴訟裁判所がすべてを判定いたしますが、この国会内の議事通則といたしましては、事実的な意思を決定するその過程の原則でありますから、結局において多数決原理に従うほかはないということになると思っております。しかし、いかに多数決原理といっても、法治国家、法による政治であるならば、必ず法理的な根拠をもって各位が自己の議論を御主張なさるべきであり、またなさっておることと信じます。緻密なる法律論にも積極説、消極説がある。いわんや政治的なモメントが変っている生きた政治問題をお扱いになるこの国会における論議としては、それぞれ十二分の学問的な原理を背景として相対立する議論があり得る、私はこう思っております。しかし、その議論の戦わせ方のワクの作り方として、私は、議事通則一事再議原則論といたしまして、事実論といたしましては、先ほども鈴木先生の仰せられたように、かつての美濃部博士の言われたように、一会期においては一つの事項については再び審議を許さないという原則、私の言う一事再議理論のうちの事実面に重点を置いた理論、プリンシプルが議事通則の基本に立たなければならぬ。これは私は学者的な確信を持って申し上げることができる。しかしながら、また、他面において、国会の扱う政治問題、法律の制定ということは、生きた政治問題が背景となり、またそれを対象にいたしておりますがゆえに、一会期中に、絶対的に、旧憲法におけるがごとく、一事再議原則はとり得ないのではないかということを私は申し上げた。しからば、いかなる場合において一事再議原則例外が認められるか。これは、先ほど何べんも申し上げ、また鈴木先生も仰せられた、何人も納得のいく理論が示されなければならぬじゃないか、理論の示されない限りにおいては、いかに多数党のお方といえども、その主張をばお引っ込めになるのが当然であります。もとより、法による政治であるがゆえに、十二分の理論を持って御主張のことと思う。もっとも、この主張は、それぞれの政治的な立場、学問的な立場がありますがゆえに、そこに理論の対立することは当然のことでありますから、その場合においては多数決によって決定さるべきでありますが、とにかく、これは例外を主張するものであるから、十二分の根拠は提案者の方においてこれを主張し、立証する必要があるのではないか。そう考えてみますと、なるほど、一般原則としては、今度の会期が長いから、この一事再議原則例外を認めてもしかるべきではないかということも一つの論点になりますが、本件の場合は、三月の初めと中旬もしくは下旬と、きわめて時間が切迫している。従って、会期が長いからということは、具体的な問題を取り扱う際においては問題にならない。それからまた二大政党の対立は一般国民の欲するところである。これはおそらく現在のところ何人も異存がないところでありましょう。しかしながら、この二大政党の対立を来たすがためには、必ず小選挙区制でなければならないという法理的もしくは政治学的なあるいは政治論的な論証をして、大多数の者が納得のいく理論的背景を持たなければならない。私、実は、政治学が専門でありませんので、そういう具体的のことを考えては参りませんが、なおいろいろ論点もございましょうけれども、ただ法律を学んだ学者の一人の意見としては、この議事録を拝見いたしただけでは、政府の御答弁では、どうも、なるほどこれは例外に当てはまるという意見を私がもとめるべく、まだ不足しておるのではないか、こういう意味であります。
  69. 井堀繁雄

    井堀委員 今まで御参考に差し上げました速記録以外の事柄についてちょっと申し述べて、お尋ねする所存でございますが、それは事情変更の事実問題に対するわれわれの論争の中心になっておる問題であります。この内容については、先日指摘して、速記録の中にも明らかになっておりますが、実は、三月十四日に参議院を通過いたしました同一選挙法でありますが、その選挙法の審議が、たまたま衆議院で——これは参議院からの提案でありまして、衆議院に回付されまして、衆議院におきましては自民党からこれに重大な修正が加えられまして、衆議院におきましてもかなり激しい対立の中で論議が行われて、ここで多数決で衆議院を通過して参議院に回付されたものであります。その中でわれわれの指摘いたしましたのは、あらかじめ参議院を通過いたしました原案は、各派で共同提案の形式で提案が行われておるわけであります。参議院と衆議院とはもちろん院の構成が違いまするけれども、政党の性格を論ずる場合には、きわめて重大な事柄だと思うのです。御案内のように、緑風会といったような政治結社もありますけれども、今日の自民党、社会党、それに緑風会その他の小会派も話し合いに応じて、一つ法案がまとまって、それが参議院から衆議院に回付されたものであります。ここで、同じ党派に属する自民党の衆議院における意思と参議院の意思とが違っておったという事実が一つあるわけであります。さらに、大事なことは、今度の一事再議の際に、政府が例記いたしましたもののほかに、最も大きな改正点の一つとしてあげられると思うのでありますが、これは、政府がしきりに質的変化を強調するための例示にしておりまする、小選挙区と従来の選挙区の変更目的趣旨に重大な変化を与えるもののように言っておりまするが、この修正案の、衆議院において自民党から出しましたものは、従来、政治団体としての労働団体あるいはその他政治結社は、法規による手続をとれば、それが政治活動ができますと同時に、選挙法による許された選挙活動が公然と認められておったものを、この修正案によって、一つの政党以外の政治結社が一人の候補者に特定の運動を行おうとすれば、その政党の公認を否定して他の結社の公認を受けるようにするとか、もしくは、政党の公認を受ければ、支持団体としてのほかの結社の応援を受けることができないというように、修正をしてきたわけであります。でありますから、この精神からいえば、この修正案というものは、ここに政府が小選挙区法を実施するためにという主張の中で、新しい事態の発生という主張をする根拠にしておりますけれども、その根拠がもし今日許されるとするならば、この法案の提案される前、すなわち二月の末から三月の初めにかけて衆議院のこの委員会で論議されたときに、小選挙区に対する主張が行われておるとするならば、私は一脈関連があると思うのでありますが、この点については、一方政府の諮問機関である選挙制度の調査会においては論議をされておりながら、その修正案を出した際には何らこれが考慮されていなかった。この事実は先生方のところに差し上げてある参考資料の中にはございません。しかし、これはあとで気がつきましたから、速記録がございますので、これをぜひ御検討いただきたいと思います。私このことを申し上げまするのは、今回小選挙区法の問題が突如として出されてきておりますが、しかし、修正案を自民党が用意した際には、一方においては、同じ政党から選ばれ、あるいは同じ政党の上に立つ政府が小選挙区法については諮問をしておるわけです。こういう関係が非常に実際問題として重視されなければならぬと思うのであります。こういう問題は、先ほど先生が論理的に展開されましたように、これは、明らかに、ここで院議を決定するときに、党の意思というものは、もうすでに表明されておるわけであります。それと根本的な異なったものを出すということになりますと、これは朝令暮改もはなはだしいことでありますから、もしこれが多数党であるからということで通れば、議会のルールというものは多数党の手によって専制が行えるということを認める結果になるわけでありますから、この一事は非常に重大だと思いまするので、この点に対する先生の論理的な見解と結びつけてお答えをいただきたいと思います。
  70. 中村宗雄

    中村(宗)参考人 いろいろるる承わりまして、なるほどと私感じたのでございまするが、はなはだ遺憾でございまするが、今の御説明下さいました問題は、主として政治の分野に属するのではないかと思うのでございます。しかしながら、今仰せられたうちには相当法律問題を含んでいるようでございますが、これは今初めて承わりましたので、何とも私ここでお答えいたしかねるのでありますが、とにかく結論として、今仰せられました、こういう事案を認めるならば多数党横暴が生ずるのではないかと言われたお言葉であります。これは、現在私はその内容を存じませんがゆえに、多数党横暴があるかないか私はそれは存じません。存じませんが、しかし、そういう現在の議事規則がこのように白紙の状態にあったのでは、多数党横暴を生じ得る可能性があるということは、学問的立場から十分に言い切り得ると考えております。しからば、これをどうするかという問題は、結局将来の問題になりまして、こいねがわくは、この議事規則において、新しい、現在の国会に即した運営規則のうちに、この一事再議に関する詳細な規定を置いていただく、これが先ほど申しました実質的な法治国家としては当然そうあるべきであります。日本は、先ほど申しましたように、形式的な法治国家で、一応法律に従う。今の状態ならば——今現実日本にあるかないかそれは別問題として、仮定論として多数党横暴といわれても、これは多数決原理によって決議されれば適法なる決議であります。これは、私に言わせるならば、形式的な意味においての法治国であって、実質的な多数党横暴が行われるということは、実質的な意味の法治国家ではないということをいわなければならない。(「実質的な法治国家とはどういうことだ」と呼ぶ者あり)また、実質的、形式的ということにつきまして、今何かお言葉があったようでありますが、これを申し上げますると、また相当時間をちょうだいいたさなければならぬのでありますが、私は、一昨年ドイツに参りまして、こちらの法務委員会からも御依属がありまして、憲法裁判所、最高裁判所のあり方について調査いたして御報告申し上げたのでありますが、その際、私の得たところでは、ドイツは現在法治国家になり過ぎておる、こういう言葉で当時御報告いたし、学界においてもおもしろい表現だと言われたのであります。と申しまするのは、現在のドイツにおいては、学者が現行法の解釈ということに非常に没頭しておる。一流の学者はことごとく各州の委員となりあるいは立法委員になる。また、ドイツにおいては、すべて国家試験を通らなければ官吏になれない、またその他になれませんので、一流の学者は、みんな試験委員になっておる。それで多くの注釈書を出しておる。なるがゆえに、基本的な基礎法学に関する研究が現在のドイツにおいてははなはだ手弱いというふうに、私は感じたのであります。第一次世界大戦後においては、先ほど申し上げましたようなヘーデマンの一般条項の乱用に対せる戒告とか、あるいはヘックの利益法学とか、多くの野心的な論著があったのでありますが、第二次世界大戦後においては、これがないと私は思う。そこでは、あまりにも現行法にこだわり過ぎているのじゃないか、その意味において法治国家になり過ぎている、法令が汗牛充棟ただならずという状態である、こう申したのでございます。最近において私は考えた。ドイツは、過去においては、日本と同じように憲法下における法治国家であります。第一次大戦前におけるドイツ、これは法治国家ではあるが、形式的な法治国家といわなければならぬ。単に法律にさえよればよろしい。あとは、裁判官は、これは私の方の専門になりますが、日本民法がそうでありますが、ハンデクテン・システムというものによって裁判官の裁量範囲が非常に広くなる。同じ条文で解釈が違うことによって、原告勝訴の判決もできれば、請求棄却判決もできる。だから、形は法律によっているが、実際は裁判官の専断というものが非常に入っている。これと同じように、政治においても、法治主義をとっているが、時の政府が自由にこれを引きずり回し得た。昔、何とか食い逃げ解散とかいうものがあったそうでありますが、ああいうものも適法に行われる。しからば、日本は過去において法治主義でなかったか。法治主義だ。こういうのを私は法治主義で形式的法治主義。実質的な意味においては専断主義であります。終戦後の西ドイツにおいては、この形式的法治主義から実質的な法治主義に脱皮しようとするこの悩みが、法令の汗牛充棟ただならずという多くの条文として現われ、また学者法律の解釈に没頭しているのだ、私はこう考えるのであります。そういうことに気がついたのであります。そう考えてみると、わが国の情勢というものは、まだこれに対してはなはだ距離があるようであります。この一事再議原則について、公職選挙法の一部改正について、枝葉末端と思われるようなところでこのような多くの議論が戦わされるということ自身が、すでに、日本はこういう点についてもっと詳細な規定がほしい、実質的法治主義にいきたいという意欲がすでに現われておるのじゃないか。そうなれば、将来においてこういう点については詳細な規定をお設けになる必要があるのではないか。しかしながらそれは将来の問題。現在としては、われわれ学者としては、単にプリンシプルだけしか申し上げない。それからあとは、良識を待ってこの問題は御解決を願いたい、こういうことを申し上げたわけであります。
  71. 井堀繁雄

    井堀委員 中村先生には大へん御懇篤な御説明たいただきまして、まことに感謝にたえません。ことに、先生の御説明の中で——われわれは一事再議の問題をとりあえず解決して、選挙法全体の審議について態度をきめようという意見が、党内の有力な意見であります。しかし、一応一事再議であるかいなかということについて、われわれは一事再議であるという事実を通して判断をしておるわけでありますけれども、有力な多数党がこれを主張している限りにおいては、一応内容についても相手の納得を待つように協力態勢をとって審議をしようという方針できたわけであります。これが、たまたま、先生によりまして、選挙法の内容について論議を進めることによって、一事再議の主張を放棄したかのごとく、一部の人が主張しておりますことの誤まりであることが明らかになりまして、この点でも、私どもは非常に意を強くして、その通りだと思うわけです。  そこで、大へん御迷惑をかけましたので、先生に対するお尋ねは一応この程度にいたしたいと思いますが、鈴木先生に、ちょっと今の点と関連はございまするが、もう一度お答え願いたいと思いますのは、これは一事再議であるという私どもの主張の根拠になっておりまする、広範なものでありますけれども、これが、たまたま、客観的な情勢の変化を前提として、一事再議でないという主張を自民党、政府ではいたしておりますけれども、時間的に全くそういう変化を認めるような時間差がない。この点は、先ほど中村先生にお尋ねするときに申し上げましたように、参議院の選挙改正案が出されましたのは二十九年でございましたが、それが審議未了になり、そして今度参議院を院議を経て衆議院に回付されたわけであります。こういう経過からいたしまして、参議院の原案というものが、第二十二国会におきまして、先ほど申し上げるように、各派の共同提案の形式で院議を経て衆議院に回ったりその院議の、すなわち一院の決定の内容というものが、政府は、十三点について、特に七カ条が一事再議の疑いを持つ関連条項だと言っておりますけれども、実は、この案を審議いたしました私どもといたしましては、この速記録にも明らかになっておりますが、原案を決定いたしましたそのものの提案趣旨の中におきますと、ほとんど今度政府案として提案されておるのに関係のない条項はないのであります。全部それぞれについて改正が行われてきておるわけであります。たとえば、今度の法案改正は、言うまでもなく、都道府県知事、衆議院、参議院の選挙、ことに参議院の選挙を全国区に関する問題を新しくするということで、他の点においては、都道府県知事、教育委員選挙衆議院選挙にも関係を持つ改正でありまして、ことに、問題となりまするのは、選挙運動全般について、たとえば自動車、船舶の使用上の規定でありますとか、それに乗る定員の問題、演説会のポスターの問題、立て札、ちょうちん、看板、文書図画、腕章に至るまで、さらに選挙公営の一つでありますはがきの枚数とか、こういう広範にわたる改正であります。それが院議を経てこちらに回付されてきたわけであります。ところが、それに対して、先ほど申し上げるように、自民党が党議を経てこれに修正を加えてきた。その修正個所は、政党及び政治団体の選挙運動に関する規定の部分を改正してきておるわけであります。今度政府の提案いたしましたいわゆる小選挙区割りを前兆とするところの改正案につきましては、わずかに、これと全然独立したものと考えられまするのは、議員の定数の問題と選挙区の問題、盛んに政府は何か個人本位のものから政党本位ということを言っておりますけれども、この内容から見ますると、従来も政党本位であることは、先ほど私の修正案のときに説明いたしましたように、大幅に政治団体の選挙活動を禁止する挙に出たことで明らかな通りであります。こういう点からいきますると、法案の原案とこの修正されました部分とを含みまして、いずれも全く同一のものをこの際提案してきたものであることは、疑いの余地がないのであります。ただ、ここで、議員の定数の増加とかあるいは選挙区の区割りを変更するということで、目的意識もしくは、この法案の本質を全く異にするかのごとく主張されるところに、みそがあるわけでありますが、このことは、私は、定数の問題については区割りの関係から起ってくるということ、あるいは定数の問題については人口増加によるということを政府も説明しておるのでありますから、この点はいずれをとるかという問題もあるかと思うのであります。こういうように、実際問題から、私どもとしては、一事再議についてはどうしても納得をすることができないという建前をとって、また事実をそう見てきておるわけであります。そこで、こういう事実に基いて、先ほど中村先生にちょっとお尋ねをいたしましたように、今日の衆議院を構成いたしております二つの政党のうち——小会派も私どもと同じ意思を持っておるわけでありますが、先ほどの経過からいきますと、一つの政党の党内事情、一言でいえば、党内事情に何か特別の変化があって、この改正案を出さなければならない事態になったという以外に、われわれとしては判断をする資料がないので、一政党の御都合主義でこういう提案が行われます場合には、先ほどお尋ねして明らかになりましたように、他党の了解と協力を得る条件が整わなければ、こういう一事再議のような国会運営の原則的なものを疑いを残したままで審議を強要するということは、これは、言うまでもなく、二大政党のあり方としては許されない、私は多数の暴力であると断ずるのでありますが、この点に対する鈴木先生の見解を聞かしていただきたい。
  72. 鈴木安蔵

    鈴木参考人 一事再議原則についての法律論としましては、種々の政治的のいきさつはございましたろうけれども、三月十五日に、国会として、中選挙区制を前提とする——参議院選挙を主たる目的とするとは申しましても、公職選挙法に関して意思を確定した。つまり、三月十五日の法律を拝見いたしますと、中選挙区制を前提としておる。ということは、国会の意思として、その瞬間においては中選挙区制が妥当であると御認定になったという法律的の意味を持っておると思います。しかるに、今日におきまして小選挙区制を妥当と認める公職選挙法改正案をお出しになるということは、私は一事再議原則法律意味からいっておかしいと思います。  第二点といたしまして、明白に同一の事項の再議ということに抵触することは、先ほど申し上げた通りであります。これは、法律論として、たとえば先ほど指摘しましたような選挙活動に関する諸規定には一切触れませんで、議員の定数の増加であるとか選挙区割りの変更ということだけを御提案になったのであれば、私はまだ一事再議原則には抵触しないと思う。従って、法律論としましては、この会期中にこういう形態の改正案をお出しになるということは認められないと思います。  それから、最後の点につきましては、非常に政治的な問題でありますが、このことにお答えするために、あり合せのイギリスの議事運営に関する文献を二、三冊読み返したのでありますが、イギリスの保守党の憲法論者として有名なアメリーという人の「ソーツ・オン・ザ・コンスティチューション」という本がありますが、これに対して、労働党の左派の理論家であるハロルド・ラスキが「リフレクションズ・オン・ザ・コンスティチューション」で、同じ要領で反駁を書いているくらいに、イギリスの政界及び学界においては問題になった本であります。このアメリーの「憲法に対する思想」、この中で、機械的な多数による決定というものは絶対的な疑いのない原則ではない、なぜなら、イギリスの議院内閣制の不可欠の要素は、実に議会における完全な自由討議とこれに関する寛容の精神であって、これなくしては、議会と内閣とによる立法の過程に、国民生活の種々の利益というものを反映させ、これを適宜変化させていくということが困難となるであろう、こういっております。つまり、これはただいまの御質問に対する一つのお答えになると思います。また、同じくイギリスにおいて、政治家も学者もきわめて便利な有力な参考書であるとされておるところのイルバート卿の「パーラメント」、これの一九五〇年版もやはり同じような結論を下しております。すなわち、デモクラシーは、多数の支配を意味するのではなくして、少数派の権利に対する正当な尊重を伴った多数の支配であり、これはデモクラシーによる責任ある寛容な反対派の存在する事態を意味する。これは、イギリスの議会におきましても、そういう文献を拝見いたしますと、いろいろやはりまだ未熟なところがあるようであります。絶えずやはりトラブルが起っておるようでありますが、そういうことに対して議事運営の規則をいろいろと批判したり説明したりしておりますけれども、最後には、そういう観点からやっていくことが、イギリスのこまかい議事規則を越えた議会政治の特質でなければならないということをいっております。御参考までに申し上げておきます。
  73. 井堀繁雄

    井堀委員 大へんどうもありがとうございました。おかげさまでわれわれの自信を固めることができまして、まことに幸いに思います。
  74. 小澤佐重喜

  75. 山本正一

    山本(正)委員 重ねて、恐縮でございますが、ごく簡潔に二、三お尋ねをいたしたいと思います。  鈴木先生に伺いたいと存じますが、先生先ほどのお話の中で、一事再議原則の基本は、同一国会の場合に事情変更等によって前のものをもう一度議決をし直す必要が起きた場合でも、規定による常会というものと臨時会というものがあるのであるから、常会が済んだあとで臨時会を開いてそこで扱えばよろしかろう、従って同一国会会期中にはそういうものは許さないというような御趣旨を述べておられるのでございますが、私の聞き違いであろうかもしれませんので、念のために伺っておきます。
  76. 鈴木安蔵

    鈴木参考人 それは多少聞き違い——私の説明が足りなかった点があると思います。つまり、一事再議原則日本憲法のもとにおいても採用してよいのではないか、継承してよいのではないかということの理由をあげました二つ理由の最後に、たとえば、明治憲法と違って明文をもって書かないのは、一部の解釈のように、明治憲法の場合と違って会期が非常に長い、またさらにそれを自神的に延長することもできるから、社会の変遷の激しい場合には、一事再議原則を固執してはかえって弊害があるだろうという解釈もあるだろうけれども、しかしながら、日本憲法の場合には、たとえば一事再議原則を相当厳密に固守しましても、臨時会、特別会というものを比較的自律的に開くことができるのであるから、それを厳密に採用しても実際において弊害はないであろう、反対説が言うようには弊害はないであろう、国会としてのファンクションを発揮するのには何ら重大な支障はないであろうという意味において申し上げたのであります。大体においてそうでありますが、多少、ただいまお話し申しましたような点——多少違うと思います。
  77. 山本正一

    山本(正)委員 それは非常なる疑問が残るのでありますが、議論を避けたいと思います。先生の先ほどのお言葉の中に、事情変更に応ずるためには、この一事再議原則というものは適用しなくてもよろしい、しかし、その事情変更というものについては、あくまでも合理性がなければならない。この合理性がなければならぬという御見解には私ども非常に共鳴いたします。これは、現在与党、野党たるを問わず、この事情変更の根本に合理性を必要とするという観念においては、これは何人も先生の御意見と同じで、異論を持っておるものはなかろうと思います。  そこで、私は、この合理性の問題でありますが、先ほどの方が先生方に伺いましたお話の中には、たとえば、この三月一日に成立した法律、今審議中の法律案、これを比べてみますと、その中には同一事項が相当ある、あるいは、同一ではないが、類似の事項が相当ある、これらの個条が十数項目にわたっておるので、言いかえればこれは分量的に同一法案であるという御見解のようにも伺っておるのです。しかし、先生のお話しになりますように、またわれわれが理解いたしますように、合理性というものはあくまでも今申すような分量で判断すべきものではないが、分量がいかに多くても、先生が申されるような合理性が何人にも理解できるものであるならば、たとい同一事項が多かろうが少かろうが、あくまでもその合理性を尊重するという建前において、これは同一事項ではない別案のものである。かりに逆に類似もしくは同一の事項がたとい一、二カ条の少いものであっても、これを変更する合理性が認められぬという場合には、あくまでもこれは別案ではありません。あくまでもこれは一事再議原則を厳格に適用して、それらの法案審議というものは排除しなければならないと私は考えておるわけであります。さらに、もう一つは、この両案が扱われておるのは時間的に非常に接近しておる。私は、この合理性というものは、今申したのは分量の問題について印したのでありますが、時間的にも議論すべき問題ではないかと思うのであります。たとえば十年、二十年長期に経過いたしましても、合理性のないものはいかんともいたし方がないのであります。世人認めて合理性ありと思われるものは、一日といえども、一時間といえども、時間の観念に拘束されるものではなく、あくまでもその実質に基いて、先生が最も厳格にお話にありました合理性があるもの、私は、その場合においては、合理性のあるなしによって一切は判断すべきものである、その間に、時間の関係であるとか、あるいは分量の観念というものは入るべきものではない、進んで入れてはならないものであるというふうに考えるのでありますが、これは、時間が経過して恐縮でありますので、お答えも要旨だけお聞かせいただければ、けっこうでございます。
  78. 鈴木安蔵

    鈴木参考人 つまり、一事再議原則を、原則として認めるという立場を考えますれば、やはりその会期中には国会の意思を二つにしないという要請があると思います。でありますから、これは失礼な話でありますけれども、国会できめてしまった瞬間に、これは大へんなことになった、これではいけなかったのだ、これは非合理である、少しも早く改めなければならないと思うようなことも、あるいはあるかもしれない。そういう場合には、改むるにはばかることなかれでありますけれども、しかし、いやしくも国の制度として国会というものがあります場合、そういう極端な場合はなかなかありますまいけれども、そうなった場合に、その次の日なり、その一週間以内にすぐにまたやるということは、あまりにも国会の意思那辺にありや、おかしい。そういうところから、一事再議のプリンシプルが順奉されているのではないかと思います。でありますから、長きにわたって非常に非合理であったと思うようなものは、置いておいてはいけないのでありますが、この原則が打ち立てられましたのは、少くともやはり会期が改まってそれからにしたらどういうような、イギリスの長い一つの知識、体験が積み重ねられてでき上ったものではあるまいか。でありますから、抽象論としまして時間の長短を問わないと仰せられますけれども、プリンシプルとして一事再議のプリンシプルを認めるならば、やはり、一つ会期においては、国会の意思というものは、基本的な事項については一つであるというふうに受け取るべきであろうと私は思うのであります。
  79. 山本正一

    山本(正)委員 私が伺いましたのは、その合理性というものを中心に伺ったのでありまして、そのお答えには私は少し満足いたしかねるのでございます。  中村先生に重ねてちょっと伺いたいのでございますが、先生の午前中の御説明は、主として訴訟法学立場から、司法過程における一事不再理の原則というものに重点を置いてお話をいいだいたわけであります。そこで、私が先生にもう少し御再考を願いたいと存じますことは、申すまでもなく国会は立法機関でございます。訴訟過程は司法過程でございます。国会で作られた法律を解釈し適用するということが司法の過程でございまして、すなわち現実にはこれは訴訟の手続になるわけであります。私が先生に申し上げたいと思いますことは、すでに立法によって法律というものができておる。でき上りました以上は、その法律内容、実質が社会の現実に適合する、しないにかかわらず、法律がある以上は、あくまでも厳格に解釈し、誠実に適用しなければならぬことは当然であろうと思うのであります。そこに、事情の変化によって解釈を左右にし、適用を二、三にするということは、司法の観念からは許されないことだと思うのであります。従って、先生のお立場による訴訟法学的な立場からすれば、一事不再理の原則というようなものは、先ほど先生がおっしゃった以上に厳格な態度で臨まなければならぬと私ども思うのであります。現実に例を申しますと、御案内のごとく米穀管理法というものが今日生きております。お米を自由に売り買いするということは禁じられております。しかし、現実の問題としてこのお米が自由に売り買いされておるということも、だれも否定できない事実であります。たまたまこれは問題にならぬからよろしいのでございますが、訴訟法学的の立場から一たびこれを法律問題として見ます場合に、法律があります以上は、これは処罰の対象になります。けれども、世人これを非常に悪徳の犯罪と考える者は今日なかろうと思う。そこで、司法の過程においては、私は法律という固定されたものの上に機械的にこれを運営するということになると思うのであります。しかし、立法の過程においては、そういう社会情勢の変化に法律趣旨、使命というものを適応させるために調整をしていかなければならない。これが立法の分野の使命であろうと思うのであります。言いかえるならば、立法というものは、あくまでも新しい制度を創設をする、作り上げていく、そうしてすでに作ったものが社会の実情に沿わない場合には、これを実情に沿うように調整していくということが、立法過程の実質であり、使命であると思う。従いまして、これほどに違う立法過程における一事再議原則というものと、この固定されたものを機械的に解釈、適用していくという使命、実質を持つ司法の過程においての一事不再理の原則というものは、一事不再理の原則という名称は同じでございましても、性質というものは非常に迷うものであると私は思うのでございます。簡単でけっこうでございますが、先生の御意見を伺いたいと思います。
  80. 中村宗雄

    中村(宗)参考人 今の御意見全面的に御同感であります。訴訟制度は一国の法律制度であり、国会がこれを制定する。その法のもとにおいてすべての法の実現をはからなければならぬ、これはその通りであります。また立法は新しい政治的情勢を作る、だから法律制度民事訴訟法とは根本的に性格が違う。それはその通りであります。私、その点につきまして、山本さんと全面的に同じ意見であります。  が、しかし、今ここで取り上げている問題は、二つ判決——前に確定判決があって、また再び同じ訴訟が起った場合にどうするかという問題でありまして、訴訟制度それ自身、事件裁判の問題ではない。やみ米をそこで売っている、これを処罰しないのは悪い、それはその通りでありますが、これが問題になっているのではない。早い話が、やみ米を売っておるからといって起訴されたが、それが無罪判決があったにもかかわらず、再びこれを起訴された場合に一体どうなるのか、こういう問題であります。(「ケースが違う」「訴訟行為と立法行為は別だということです」と呼ぶ者あり)それはよくわかっております。それはその通りであります。そこで、私は、一事不再理の原則というものは、結局判決というものは国家意思の宣言である。すなわち、国会がお与えになったところの裁判官の権限によって、判決の名において一国の国家意思を宣言したもの、これを尊重しなければならぬというところに、一事不再理の原則の根本を見出し、これが十九世紀前半において一応とりまとまった規範的理論であります。これは国会の制定せられた法律を執行する裁判所の機能として当然であろうと思うのです。と同時に、立法の問題としますると、これは確かに同じには参りません。しかしながら、前に一ぺん法案修正し、再び同じ法案を出すというこの二つの関係は、同じく国家意思が二分するか二分しないかというところで共通の問題があることだけは事実でありますが、しかしながら、立法と司法とは性格が違うから訴訟制度理論をそのまま立法の議事規則に持ってくるべきであるとは、私は先ほどから申し上げておりません。だから、それをいかに修正してここに待ち込むべきかということについて、私の意見を申し上げました。決して訴訟における一事不再理の理論をそのまま議事運営の通則として持ち込めと私は申し上げたわけではございません。どうかこの点は御了承願いたいと思います。
  81. 小澤佐重喜

    小澤委員長 これにて中村宗雄参考人及び鈴木安蔵参考人に関する議事は終了いたしました。  御両君には御多用のところ長時間にわたってお引きとめいたしまして、まことに御苦労でございました。厚くお礼を申し上げます。これにてお引き取りを願います。  次に、内閣提出公職選挙法の一部を改正する法律案について、中村哲君より御意見の御開陳を願います。なお、中村さんにお願いしますが、だいぶ時間もおくれましたので、大体二十分ぐらいで、要領だけをお話しいただきとうございます。
  82. 中村宗雄

    中村(宗)参考人 かぜを引きまして、今日休ましていただこうかと思いましたけれども、予定されておりましたので参りました。たどたどしい話になることと存じます。  この公職選挙法の一部を改正する法律案を大体拝見いたしまして、ことにその説明書を見ますと、法律案内容はともかくとして、その説明の理由というか根拠というような点についても、私は多少の批評を持つものであります。しかし、これを一々申しておりますと切りがありませんので、大体の要点を問題にしていきたいと思います。  この理由書を追って申しますと、この公職選挙法改正国会における多数党を基礎とした政権の安定を考えているということはよくわかりますが、しかし、問題は、一つの政権が国会との関係で安定するというだけでなく、国民の多数の意思を反映して、国民との関係において、その政権が民意を真に代表するという意味において安定しているかどうかということが一審問題だと思いますので、私は、小選挙区制によりますと、国会と内閣との関係はやや安定しても、国民の総意を必ずしも反映しない、そういう点で小選挙区制には反対なのであります。その他、小選挙区制については、これまでも、国会の中でもまた新聞でもいろいろ議論されておりますので、そういうことを繰り返して申す必要もないかと思いますが、特にこの理由書であげられていることといたしましては、選挙において、小選挙区制によって、政党本位に、しかもその政策、施策を中心として争われる。このことはけっこうでありますけれども、しかし、政党といいましても、二大政党だけが政党なのではないし、また二大政党といいましても、今日二つの大きな政党が、ほんとうの意味で統一の実をあげているのかどうかということについては、多少のまた批判もあると思いますし、それから、現にこの選挙法がもし施行された場合に、公認された候補者だけが有利であるようなこの選挙法におきましては、同じ政党の中で、たとえば自民党あるいは社会党の中で公認されなかった人が実際に相当数当選してくる。あるいは、選挙の過程において公認されない者が、つまり反幹部的な公認されない人たちが相当広範囲に選挙に立候補する、こういうことになりますと、そのことによって、二大政党というけれども、政党の中から分裂する傾向を持ちはしないか、ことに公認されない候補者たちが相当多数国会に出てきたとしますと、その人たちがその本来属している政党にそのままいるかどうか。別の行動をすれば、ここに第三党を作ることになります。でありますから、二大政党を前提として小選挙区制を作りましても、この選挙法の実施によって、おのずから二大政党でなくなる場合もある。大体二大政党というものと人為的に作ろうとするそういう考え方自身に問題がありまして、ことに、この小選挙区制が、少数政党、これから伸びようとする政党、あるいは与党に対する野党がいろいろな意味で不利であるということ、この点が国民としては当然問題として憂慮しているところです。  そこで、この小選挙区の内容につきましては、その区分けその他につきましては、非常に技術的なことでありますので、私はこれには立ち入りません。ただ、一人区に対して二人区を設けているというような点で、世間もよく申しておりますように、客観的理由があるのかどうか、非常に政略的な意味が強いんじゃないかといわれておるのですが、この点も私も疑問を持ちますが、そういう小選挙区の問題はともかくといたしまして、短時間でありますので、一番問題となる点を私はここで申し上げたいと思います。  それは、この公認制度をめぐってであります。これは、下手をすると、憲法に違反をするんではないかというふうにも考えられる非常に大きな問題だと私は考えます。それは、この理由書を見ますと、政党の候補者の公認制度を確立するとともに、選挙運動期間中における政党の政治活動の規制を合理化し、その政治活動が選挙運動にわたっても妨げないものとしたこと、それからさらに、衆議院議員の選挙においては、政党を代表し、その公認候補者として立候補するためには、その政党の総裁、委員長等の発行する公認証明書を提出しなければならない。その問題に関してですが、実際に問題になります条文は、この法律案要綱の第七ページの「公認制度の確立に関する事項」の一番最後の5というところの「何人も、衆議院議員の選挙においては、一の政党その他の政治団体が公認候補者を有する選挙区における当該公認候補者以外の候補者で、当該政党その他の政治団体に所属する者のために、その者が公認候補であると誤認させるような事項を公にし、又は当該政党その他の政治団体に所属する者である旨を公にして選挙運動をしてはならないものとすること。」これについては罰則があるようでありまして、公認されない候補者が、公認された候補者であるかのように誤認させるような行為をした場合と、それからその政党に実際に属しているにかかわらず、その政党に属していることを公けにして選挙運動をした場合、これは二百四十四条によって「一年以下の禁こ又は千円以上三万円以下の罰金」ということになるものと考えられますが、要するに、これは、政治的には、その政党の幹部の了解がつかなくて公認候補者とならなかった者、法的にはただその政党の公認候補者とならなかったというだけのことですが、そういう人、それは、自民党の党員であれば、依然として自民党の党員であることは間違いないし、社会党の党員であることは間違いない。ただ社会党あるいは自民党等の公認候補者ではない。しかし、その公認候補でないのに、公認候補者というようなことを誤認させるような虚偽な事項を公けにすれば、そこに問題が当然ありますけれども、しかし、その人は公認候補者ではないけれども、依然として自民党の党員ではある。または社会党の党員ではある。ところが、そういうことを選挙のときに公けにして、つまり当該政党その他の政治団体に所属する者である旨を公けにして、選挙運動した場合には、これが一年以上の禁固あるいは千円以上三万円以下の罰金に処せられるということになりますと、憲法の十四条にいう「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」というのが、同じ党員でありながら、公認された者とされない者とでは差別されて、ただ差別をされるだけでなく、罰則を受けるということは、憲法の十四条に違反するものというふうに考えられなければならないんじゃないかと思うのです。先ほど申しましたように、自分が公認候補ではないのに、公認候補であるように誤認させるようなことをすれば、そのことについて何らかの反射的な制裁を受けることはあっても、その人が実際に自民党の党員であるのに、その党員であることを、選挙中、しかも普通のときと違いまして、選挙というものは、政治的な所見をそこで国民に公けにして戦うときなんで、そういう公けの一番重要なときに、自力がその党員であるということをもし公けにしたならば、あるいはそれを刑罰に課す、こういうようなことは、政治的な平等に反するのみならず、思想、表現の自由に反すると思います。そういう点で、選挙のときであろうとなかろうと、たとえば自民党でありますとそういうことでありますが、実際共産党の党員である者が、選挙のときに共産党員であるということを言ったところ、それが刑罰を受けるということになりますと、これは思想の自由あるいは表現の自由を侵すことになると思う。ですから、共産党の場合一番はっきりすると思うのですが、その点政党そのものがそういうことを認めてよいのかどうか。何か、公認制度というものが、憲法にいう政治的な平等に反するように思われる。その点私は一番重要だと思うのです。  それから、その他立会演説等を制限しておりますが、これも、政策本位に争う場合には、当然立会演説を重視しなければならないと考えますし、また、連座の問題については、これは、従来と違いまして、選挙を一そう公正にするためには、こういう規定ができることはいいと思います。その他個々の点については、それほど問題にする必要はないかと思うのですが、どうも今私が申しました公認制度というものは、政党そのものの発展を妨げるのじゃないかというふうに考えるわけです。先ほど申しましたように、二大政党の対立ということを理想としていながら、みずから公認されない党員を作って、そして第三党、第四党というものを作るような条件を生み出しているというふうに思いますので、この点が特に問題かと考えます。  その他は、供託金の問題であるとか、繰り上げ補充の問題とか、それぞれ多少の意見はございますけれども、私重点的に申しますと、それだけであります。
  83. 小澤佐重喜

    小澤委員長 これにて中村参考人に関する議事は終了いたしました。  中村参考人には、御多忙中のところ、特に御不快のところ長時間にわたりお引きとめをいたしまして、まことに御苦労でございました。どうぞお引き取りを願います。  次会は明十一日午前十時より開会いたします。  本日はこれにて散会いたします。     午後七時二分散会