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1955-05-16 第22回国会 参議院 運輸委員会 第6号
公式Web版
会議録情報
0
昭和三十年五月十六日(月曜日) 午後二時三分開会
—————————————
委員
の異動 五月十三日
委員山本經勝君辞任
につ き、その補欠として
大倉精一
君を
議長
において指名した。
—————————————
出席者
は左の
通り
。
委員長
加藤シヅエ
君
理事
仁田 竹一君 早川 愼一君
重盛
壽治
君
木島
虎藏
君
委員
入交 太藏君
岡田
信次君 黒川 武雄君
三木與吉郎
君
内村
清次
君 三浦 義男君
国務大臣
運 輸 大 臣
三木
武夫
君
政府委員
運輸大臣官房長
山内
公猷君
運輸省鉄道監督
局長
植田 純一君
運輸省鉄道監督
局国有鉄道部長
細田 吉藏君
事務局側
常任委員会専門
員 古谷
善亮
君
常任委員会専門
員 田倉 八郎君
説明員
日本国有鉄道
副 総裁 天坊 裕彦君
日本国有鉄道営
業局長
唐沢 勲君
—————————————
本日の会議に付した案件 ○
運輸一般事情
に関する
調査
の件 (
紫雲丸遭難事件
に関する件) ○
派遣委員
の
報告
—————————————
加藤シヅエ
1
○
委員長
(
加藤シヅエ
君) では、これより
運輸委員会
を開会いたします。 まず、
紫雲丸遭難事件調査
のため
派遣
せられました
派遣委員
の
報告
をお願いいたします。
木島虎藏
2
○
木島虎藏
君 それでは、ただいま議題となりました、
紫雲丸調査
のため本委員から急遽派遣せられました
委員派遣
の概要の報告を申し上げます。 五月十一日早朝、突如として
紫雲丸遭難
の悲報が入り、昨年来
洞爺丸
、相模湖、そして今回の
紫雲丸
と、相次ぐあまりにも大きな
悲しみ
と
不祥事件
であり、特に相模湖事件と同様、楽しかるべき修学旅行の
小中学生
のあどけない学童が、
遭難人員
のうち、
死亡者
百四十七名中九十名、
行方不明
約四十名中十八名と、最も多くの
犠牲者
を生じていることは、非常に重大な社会的問題を含んでいる。これが
徹底的原因
の究明と責任の追及を行うことによって、今後かかる事態を絶対に繰り返してはならないのであります。 当
運輸委員会
において、事態の重大なるにかんがみ、即日
緊急委員長
及び
理事打合会
において、これが対策を協議し、一刻も早く現地に委員を派遣し、遭難の実情を調査するとともに、
遺家族
、
遭難者
に対しまして、深き弔慰とお見舞を申し上げることが至当であるとし、十一日夜行で、
加藤運輸委員長
、
木島理事
、岡田、内村、高木各委員、五名が出発いたしたのであります。 まず
宇野港
より
海上保安庁
の
巡視船
「
むらちどり
」に乗船、海上は荒天のため相当の風浪でありましたが、
遭難現地
に午後一時ごろ到着、なまなましき現地とその
救助作業
をまのあたりに見て、また
紫雲丸
の
沈没個所
に白い
救命ボート
二そうが転覆している付近に至り、新たなる深き
悲しみ
に打たれたのであります。
加藤委員長
ほか
派遣委員
の方々より、それぞれ花束を海中に投じ、
遭難犠牲者
に対しまして心からの冥福をお祈りいたした次第であります。
高松桟橋到着
後、直ちに
四国鉄道管理局
に立ち寄り、さっそく
四国鉄道病院
に向い、負傷の患者に
御見舞
を申し上げ、次いで遺体の
安置所
であります
労働会館
に参りまして、
河井参議院議長
よりの花環一対を御霊前に差し上げ、
一同焼香
をいたしました。引き続いて、
遺家族
並びに
行方不明
の家族の分宿しておりまする市内十一カ所全部に弔慰と
御見舞
をいたし、再び
鉄道管理局
にて、
間瀬管理局長
より説明を聴取いたしました。翌日は県庁及び市役所を訪問、県並びに市の
救助対策
について、副知事、市長及び
県衛生部長
より説明を聴取し、次いで
中村船長未亡人宅
を訪問、弔意を表し、なお
鉄道管理局内
にて、
労働組合
の代表と、日夜健闘を続ける
労働組合救難対策本部
の人々と、懇談いたしました。以上が大体の
訪問先
であります。 次に、まず
四国鉄道管理局
の説明の概要でありますが、 (一)、衝突当時の状況 五月十一日五時三十分
濃霧警報
を
船舶当直
が発令したのを、
高松桟橋
から
紫雲丸
に五時四十分連絡した。また一方、
宇野ラジオ
・ステーションを介して、六時二十分第三
宇高丸
に連絡した。
紫雲丸
は六時四十分第八便として高松を出港、第三
宇高丸
は六時十分宇野を第百五十三便として出航した。従って
宇野港
出港後同船は
濃霧警報
を直ちに受けたものである。
紫雲丸
は貨車十五両(全部盈車)、乗客は推定であるが、
桟橋推定
では七百から八百人程度の推定であった。第三
宇高丸
は貨車十八両(盈車三両、空車十五両)
紫雲丸
が高松を出港するときは、大体女木島が見える程度、すなわち視界四百五十ないし五百メートル、無風、潮流なし。港口を出て平均十ノットの
スピード
で、
霧中信号
をしつつ航行、六時五十一分にこの地点に到達した。ところが、
右前方
に他の船の
霧中信号
を聞いたので、わずかばかり北西に変針した。船長は出港より
レーダー
を回し見ていた。六時五十三分ごろ急に濃霧となったので、五十四分両エンジンを停止するとともに、かじを左にとって約二分進んだところ、右側に急に第三
宇高丸
らしき船影を認めたので、直ちに面
かじ一ぱい
とって、急ぎかわそうとしたが及ばず、六時五十六分ごろ、第三
宇高丸
の船首が本船の
右げん機関室付近
に衝突した。 これより先、第三
宇高丸
が
宇野港
を出港したころ、霧はなく視界良好、六時三十五分おぞの
瀬西浮標
を
左げん
約百メートルに通過後、視界約六百メートルになったので、
レーダー
発動し、百二十度に転針して、六時四十分ごろ、西行する汽船を避航するため、百三十度に転針した。このころより濃霧となったので、
霧中信号
を励行しながら、船首に見張員を配置して続航し、六時五十一分
レーダー
の二マイルの範囲に
紫雲丸
らしい船影を認めたので、その方位を監視したが、方位が変らないので、これをよけるためさらに南に転進した。その後
紫雲丸
の像を常に左に見ているので、安全に行き違いするものと思っていたところ、六時五十五分突然
左げん船首
に
紫雲丸
の船影を認めたので、取り
かじ一ぱい
を命令したが、その効なく、
本船船首
が
紫雲丸
に約七十度の角度に突っ込んだ。六時五十六分である。第三
宇高丸
は
紫雲丸
の沈没をおくらすため、突っ込んだまま約三百メートルぐらい流された。七時零分、約四分にして
紫雲丸
は沈没をした。 (二)
救難処置
七時沈没直後、高松、宇野両桟橋より直ちに鉄栄丸、嶺南丸及び第一
竹崎丸
を現場に急行、
海上保安庁
より、「
さよちどり
」等六隻の出動、宇野在泊中
自衛隊艦艇
二隻を現場に急派を依頼、付近の漁船約三十隻にも協力を依頼するとともに、貨車航送船第一、第二
宇高丸等
により直ちに
救助作業
に従事した。三井造船からは
自発的出動協力
を得て、捜査を開始した。 一方、
潜水夫
を
深田サルベージ
に
出動方
を依頼し、
一流サルベージ会社
については本庁を通じ、
水中切断器
、
水中電灯等
を持った
作業隊
の派遣を願った。これらは
遠隔地
であるため、この日の作業には参加できなかった。結局
潜水夫
七組が十一時から
船体外部附近
の死体の収容を開始し、二十時まで作業に従事した。また午後、
死体流失
を防ぐため、十三隻を集合さして死体の
底引き捜査
に当り、
夜間作業
も続行した。 翌十二日は、南西風が強く、
潜水夫
十一組により、主として三等客室、二等客室、食堂、船橋等捜査し、船橋から
中村船長
の死体を、三等
客室内船尾側
より五十三体の
死体発見
、収容した。
九時潮流
激しく作業は一時中止のやむなきに至った。十一時に
飯野サルベージ
の
作業船到着
により、
水中電気
の使用が可能となったので、この装置を持つ五組と午前の十一組の
潜水夫
とともに、三等
室内捜査
を行なった。底引きによる
死体捜査
は、前日同様、十三組出動した。 (三)
遭難者人員
(五月十三日三時現在) (イ)
生存者
一般者
四四五名 職員 五八名
売店職員
五名
小中学生
二六六名 計 七七四名 (ロ)
死亡者
一四七名中、
小中学生
九〇名 (ハ)
行方不明
約四〇名中、
小中学生
一八名 (四)
沈没原因
責任者
の一部死亡のため、詳細は
海難審判
を待たなければ明らかでないが、各般の状況より見て、
紫雲丸船長
が、第三
宇高丸
との行き違いについて、航法を誤ったものと推定せられる。当時は
局地的濃霧
があり、視界は非常に困難であったが、
レーダー
は両船とも完全であったと思われる。 以上が
四国鉄道管理局
の説明の大要であります。 なお
管理局
において
派遣委員
より論議の焦点となった点を要約して述べますと、 第一に、
気象通報
の
濃霧警報
の通報を両船とも受け、
霧中信号
を発しつつ、
レーダー
で両船ともお互いに近接しつつあるのを確認していたといわれる。しかるに、当時
紫雲丸
が
右げん通行
の
航行法規
を守らず何ゆえに左に切ったか、また第三
宇高丸
が十二ノットの速力を落さなかったか、などの点で、
海難衝突予防法
の違反の疑いがあるのではないか。この点まことに不可解なる事件である。いずれにしろ、
国鉄当局
の責任は免れないではないかと思われる。 第二に、
紫雲丸
、第三
宇高丸
の
上下便
の
コース
はすれ違っているが、衝突の現場は
上下便
の最も近く出合う危険な地点である。
コース
の上では相当の距離が保たれているが、両船の
操舵法
と合せ、また陸上と海上の
ダイヤ編成
上困難もあろうと思うが、
海上速度
と陸上との連絡及び
海上コース
の接点は最も
安全度
のあるところに設けられるよう、
弾力性
を十分考慮されるべきであろう。この点当局の説明では、列車、
連絡船
の接続について、乗りかえ時間は実績上は七分を必要とし、大体十分あればよいとのことで、現在の
ダイヤ
上接続の一番短い時間は十三分で、普通十五分以上とってあるとのことであります。 第三に、この事件直接の
担当当事者
としての両船長の
健康状態
及びその経歴が問題となったが、
紫雲丸中
村船長は
宇高航路
に十二年八カ月、第三
宇高丸三宅船長
は
宇高航路
に七年七カ月の経歴を持ち、
熟練練達
の士であり、健康について異常はないことが判明した。 第四に、
遭難者
の数が的確にとらえられず、
遺家族
、
行方不明
の
家族等
は焦躁にかりたてられたのであるが、平水面を航行する船舶は
船客名簿
を備えなくてもよいとの規則により、
事務長
が乗船客のカウントをとったと言われるものの、非常に不正確であった。 第五に、災害と同時に
救助対策本部
を桟橋、
管理局
に設けられ、その職員の日夜の奮闘は賞賛されるが、縦横の連絡が不十分に感じられる。すなわち
救難作業
の
状況報告
、
遺体収容
の報道を組織化して、定期的に時間を定め、権威ある発表を一カ所から発表する措置を講ずべきで、
遺家族
、
遭難家族
はまちまちの情報にとまどい、ますます焦躁感にかられ、
救難対策本部
も一時にこれら興奮した人々の多数の到着のため混雑をきわめ、
救出作業
をますます困難ならしめていた。 次に、
四国鉄道病院
において収容された
遭難者
は五十二名、
軽傷者
十六名はすでに退院、五月十二日十四時現在三十六名中、重態二、重傷八、他は中傷でありました。愛くるしい児童が多く、ベッドの中のあまりにも痛々しい姿は、無事を喜ぶとともに、心中新たなる感慨に打たれたのであります。 なお学校の教員、
教育委員
、
遺家族
の父兄より数々の要望があり、この点について早速
当該関係機関
に対し、強く要望に沿うよう、即日申し入れを行なった。 次に、
香川県庁
における
救助対策
の概要を申し上げると、午前八時、
紫雲丸遭難
の報により、副知事以下
関係職員
は直ちに登庁し、
民生労働部長室
に
対策本部
を設置し、棧橋駅前に
現地連絡所
を設置し、副知事以下
応急救助
の直接指揮に当り、
災害救助法
を適用し、救助の万全を期した。 (1)
避難所
の設置
市体育館
ほか数カ所に
臨時避難所
を開設し、
罹災者
を収容したが、午後状況の安定するに従い、市内十三カ所の旅館を開放し、
罹災者
を移送収容した。 (2)
医療班
の派遣 直ちに
県医療班
二コ班を編成し、
日赤医療班
一コ班とともに現地に急行、
罹災者
はほとんど
医療措置
を必要とするほか、衣服の支給、給食の必要を認められ、
四国管理局
の措置にあわせて
応急救助
を行なった。 (3)、その他、たき出し、肌着を主とする衣服、日用品、特に毛布百五十枚、日赤四百枚の放出は、非常に効果を持ったとのことであります。 県側の要望として、特に
災害救助法
が
国会通過
の際、
付帯決議
をなされた趣旨に基いて、
水難救助法
が活用されていない点があるので、
災害救助法
と同様に調整されるべきで、この点所要の改正を願いたいとの要望があった。 次に、
労働組合
の
災害対策本部
の方々よりの要望として、一、今回の災害は機構上の欠陥があると思われるので、その
管理方式等
について
日本国有鉄道法
を根本的に再検討されたい。二、
船員法
と
就業規則
との相違に問題がある。すなわち
船員法
によれば、睡眠時間は四時間継続してとること、また一週間五十六時間と明記してあるが、
国鉄連絡船
にはこれが適用がなく、すべて
就業規則
による
業務命令
であるため、
昼夜兼行
のこともあり、
精神的弛緩
というより疲労のためと思われる。 最後に、
紫雲丸遭難
に関して早急に結論を下すことは困難であり、またこれは
海難審判所
の厳正なる審判にまつものであるが、少くとも今回の災害は天災というよりも人災であることは、正しく世論の示す通りであって、ここに
国鉄当局
の猛省を促すとともに、次の諸点について特に要望する。 一、綱紀を粛正し、
人命尊重
に
上下一体
となって細心の留意を払い、
サービス精神
に徹し、特に
団体旅客
の取扱い方についても万全の策を講ぜられ、もって国鉄の
名誉回復
のため一そうの努力をなし再出発すべきである。 二、
人命尊重
の趣旨に沿うごとく、
国鉄現業関係業務
に関する機構、
人員配置
、
予算措置等
になお一そう遺憾な生を期し、特に最近
船舶部
内に事故発きの多いのにかんがみ、
連絡船
の運航が
国鉄ダイヤ本位
となることなく、
海上輸送
の秩序と
安全性
を尊重し、かつ七万トンの大船主である
船舶部門
について
相当ウエイト
を持たせ、
海運部門
を充実せられんことを望んでやまない。 三、遭難の
遺家族
に対しては、
生存者
の
健康診断
、
負傷者
のすみやかなる回復、
犠牲者
の
損害賠償
及び
精神的慰謝等
、万全の措置をすみやかに講ずること。 四、
海難事故絶滅
を期し、船員の再訓練に特段の意を用いること。 以上概要を御報告申し上げます。
加藤シヅエ
3
○
委員長
(
加藤シヅエ
君) ただいまの
報告
に対して
政府
及び
国有鉄道当局
に対して御
質疑
のおありの方は、どうぞ御
質疑
をお願いいたします。
三木運輸大臣
より、
運輸大臣
が昨日
現地
を視察して帰られましたので、
運輸大臣
よりも
報告
をお聞きになったほうがよろしゅうございましょうか。いかがでございましょうか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
加藤シヅエ
4
○
委員長
(
加藤シヅエ
君) それでは、
三木運輸大臣
の
現地視察
に関する御
報告
を伺います。
三木武夫
5
○
国務大臣
(
三木武夫
君)
参議院
の
運輸委員会
からも、
現地
においで下すって、ただいまの御
報告
があったわけでございますが、私も十三日に
東京
を出て、昨夜帰って参りました。その後多少
負傷者
の数等にも変化がございますので、私の
現地
におもむきました御
報告
を申し上げたいと思います。 五月の十三日の夜、
東京
を出発して、十四日
神戸
より
海上保安庁
の
巡視船
「あわじ」にて
高松
に向いました。午後二時半ごろ
現地
に、
遭難現場
に
到着
して、
弔意
を表して、
高松
に上陸後は
四国鉄道管理局
にて、
事故
の
原因
、
遺体
引き揚げ
作業
を初めとする
各般
の
処置
について、
関係出先機関
より
事情
を聴取した後、
遺体安置所
あるいは
四国鉄道病院
に
入院
中の
負傷者
を見舞い、
遺家族
、
学校関係者
などの
高松市内
の寄宿舎を見舞って、夕刻には
紫雲丸遭難者救護対策連絡協議会
の
代表者
とも会見をいたして帰って参りました。
遺体
の
引き揚げ状態
につきましては、私が参りましたときには、
潜水夫
七組、
文鎮こぎ
十二隻等で全力をあげておりました。
船内
はすでに数回
捜査
しており、今後は
船内
で発見し得ないのではないかとも言われておりました。しかし、
船内
の
捜査
をさらに続行いたしますほか、
漁船
などによって
遺体
の
捜査
を続けていきたいと考えております。まだ
行方不明
の者は、これは十六日午前八時現在、
学童
のみ十名となっております。先ほど御
報告
にもございましたように、
乗客名簿
がございませんために、正確な
乗客
の
人数
の把握にはなかなか困難を来たしたのでございますが、
遭難
をしてから
相当
な日にちがたっておりますので、
香川
県
警察本部等
でも大体次のような数字であろうということでございました。それは
乗客合計
九百四十三名、
死亡
百五十八名、
生存
七百七十五名、
行方不明
十名。十六日の午前八時現在でございます。
負傷者
につきましては、
最初負傷者
は五十二名でございまして、
四国鉄道病院
で治療をいたしたのでございますが、すでに
退院
をされた方もございまして、私が参りました十四日午後四時現在では、二十六名を残して、ほかの
方々
は
退院
をされておりました。二十六名中、特に重い
症状
の方は一名であります。しかし
病院長
の話では、生命は大丈夫と思われるということでございました。また、
病院
の取扱いについてはおおむね良好で、感謝をされております。
入院
後
死亡
した者は、今申したように、一人もございません。なお、一
たん帰郷
後
大阪鉄道病院
に
入院
している軽い
症状
の方が一名ございますが、今後
希望
によりましては、
住居地
の
病院
に、あるいは帰ってから
入院
が必要となるような場合には入ってもらうことにしてございます。あるいは
生存者
ですでに帰郷せられた
方々
にも
健康診断
を、御
希望
によってその土地の
鉄道病院
によって
健康診断
をするような
手配
をしてございます。
参議院
の
調査
にも行かれた
方々
の御
要望
もございまして、こういう
手配
をいたしました。 まだ
行方不明
の
学童
、
入院
中の
負傷者
の
遺家族
、
学校
その他の
関係者
が
高松
で滞在中でございまして、この方を中心として先ほど申し上げました
紫雲丸遭難者救護対策連絡協議会
が設けられ、この
代表者
の
方々
とお目にかかりまして、御
要望
がございました。それは、
遺体
の
捜査
を今後も続けてほしい、それから
弔慰
に対しては最高の
処置
をとってもらいたい、また年齢、収入、生計などによって差を付さないで、
人命尊重
、
精神保障等
の意味を考慮して
弔慰金
を支払ってもらいたい、あるいは
遺家族
の
関係者
の
高松
に滞在する
人々
の
人数
をあまり制限しないでほしい、また
生存者
の被害の補償及び
健康保持
などについても万全の
措置
を講じてもらいたい、などというような
要望
がございました。この
慰謝料
の問題については、いままでの例もございますものですから、その例に従ってできる限りのことをしたいということをお答え申したのでございますが、それ以外のことについては大体御
要望
を尊重して、世間の
常識
もあることであるから、その
常識
に従って
処置
をしたいというお答えをしておったわけでございます。また
検事——検察庁
、
警察
、
海上保安庁
、その他各
政府
の
出先
き
機関
あるいは
公共団体
の、
国鉄
に対する
協力
、相互間の
連絡協調
については、万遺憾なく、私が参りましたときは、行われておりました。 次に、
旅客貨物
の
輸送状態
でございますが、十一日は
関西汽船
の
舞子丸
、十二日には
関西汽船
の
ひかり丸
をチャーターして、
輸送力
の
欠陥
を補いましたが、十六日は広島の
三菱造船所
のドックに入れておりました
鷲羽丸
を緊急回航し、十三日以降は
眉山丸
、
鷲羽丸
の
両船
にて
所定
の帰りの
輸送
を行なっておりました。
貨物輸送
は、十一日は四国発本土行き
貨物
を受託したりあるいは発送することの停止を行いましたが、十二日より十四日まで四割減、十五日から十九日まで二割減となっておりましたが、二十日よりは
所定
の
計画ダイヤ
となる見込みでございます。 またいま御
報告
の中にありました、今後改革をすべき点という御
指摘
になりましたことは、私も
現地
を見まして、全く御
指摘
になった点は同様に私も必要だと考えて、今後これは至急に改善を加えていきたい。いろいろ今後改革すべき点は、全く、私が考えておりましたことと
参議院
の
現地調査
をされた
方々
の
結論
はほとんど同じような
結論
でございましたことを、あわせて御
報告
を申し上げておきたいと思います。
加藤シヅエ
6
○
委員長
(
加藤シヅエ
君) では、ただいまの
運輸大臣
の御
報告
並びに先ほどの
委員
の御
報告
につきまして、御
質疑
がございましたら、どうぞ……。
重盛壽治
7
○
重盛壽治
君 先ほどの
報告
せられた
諸点
について、ちょっと御質問したい。
衝突
した当時乗っておった
舵手
に会うことができたか、
舵手
の
考え方
がどういう
考え方
であったかをお調べになってきたかどうか。
紫雲丸
に乗っておった
舵手
が
——船
が
右側通行
であり、右に行くべきものが、まん中に来ておったという話を聞いておる。もし、当然
船長
の
命令
ではあっただろうが、
舵手
が
左転舵
をしたように聞いておったが、船が左に曲ったように御
報告
があったし、新聞その他の論調から言っても、左に曲ったように思われるのですが、そのときに乗っておった
舵手
が生きておるかどうか、それと会ってどういうような話をしてこられたか、なぜ
舵手
が左にそのとき切らなければならなかったか、その点を一つ伺いたいと思います。
木島虎藏
8
○
木島虎藏
君
舵手
には会わなかったです。それから
鉄道局
の
説明
では、
舵手
は
船長
の
命令通り
に動いた、こういうことを言いました。それから
舵手
もそう言っておるという話でしたね、そうでしたね、
内村
さん。
内村清次
9
○
内村清次
君 ただいま
木島委員
から言われましたが、ちょうど
鉄道局長
の
事故
に対する
報告
がなされておりました際に、実は私も
舵手
の問題につきましても質問したわけですが、ちょうど、
舵手
もその後やはり
関係者
として、あるいは
鉄道当局
から
取調べ
を受け、あるいはまたは検察その他の方面からも
取調べ
を受けておるというようなことで、実は、
舵手
から直接に、そのポイントでございます、
事故原因
の一番重要なところでございますから、
調査
のために聞きたかったのですけれども、そういうような
事情
で、
舵手
から直接聞くことはできなかったわけでございます。この点は
木島委員
の言われた
通り
でございます。まあ問題は、
原因
の点については重大なこれが問題に影響してくるだろうということは、私たちは想像いたしております。
重盛壽治
10
○
重盛壽治
君
運輸大臣
の御
報告
は、事務的なことは御
報告
されておるが、今度の基本的な
原因
は一体どこにあるか。どこにはっきりしたあやまちがあってこういう結果になったか。
洞爺丸事件
のときは、御
承知
のように、
天災
が過半数を占めておったということになりますが、私どもは必ずしもあの場合も
天災
ではない、
人災
の方が大きいように考えたが、今度の場合ははっきり
天災
よりも
人災
だということを言われておりますが、その
原因
がどこにあるかというようにお認めになってきたかを、まずお聞きしたいと思います。
三木武夫
11
○
国務大臣
(
三木武夫
君) この
事故
の
原因
については、御
承知
のように、
神戸
の
地方海難審判理事所並び
に
高松地方検察庁
が当ることになります。
審判所
の
理事所
と
検察庁
とがそれぞれの立場から
調査
されるわけでございますが、両者は緊密に
連絡
をとっておられ、私が参りましたときにも、十三日に
紫雲丸
の二等
運転士
、第三
宇高丸
の
一等運転士
兼
船長
並びに二等
運転士
の三名が
高松地方検察庁
によって逮捕されております。これは
海難審判所理事所
の
調査
にも支障を与えないような
措置
をとると、検事正もそういうふうに言っておりました。
事故
の
原因
は、詳細今後
調査
しなければならないのでございますが、とにかくこれは
海難審判所等
の裁決を待つことが一番正確な結果が得られましょうが、私自身が
現地
へ参りまして、しろうととして感じたことは、
両船
の
スピード
がああいう
濃霧
の中に、
紫雲丸
は一〇・八ノットということでありますし、また第三
宇高丸
は一二ノットということで、ああいう
濃霧
の中に
両船
がこれだけの
スピード
を出しておったということ、これは大きな
事故
と関連性があるということを感じたのであります。いろいろその背後には、
船員
の訓練あるいは
機構
等の問題もいろいろあると思いますが、直接あの
事故
に対して、
スピード
が非常に
両船
ともああいう状態の中で
スピード
が早かった、こういうことも大きな
原因
の要素だということを私は感じたのであります。詳細は、今後早急に
海難審判所
としても
結論
を出されるということでございましたので、その
結論
を待たなければならぬが、
現地
を見ての感じはそういう感を深くいたしたのでございます。
重盛壽治
12
○
重盛壽治
君 海の
事故
は
海難審判所
の
結論
を得てからということは、これはだれにも言えることです。しかし、御
承知
のように、常に
洞爺丸事件
の問題が例に引かれるのだが、
事件
後七カ月にもなって、いまだこの
結論
が出ていない。しかも
洞爺丸
は沈んだときとほとんど同じ状態にあって、六月に引き揚げられるのか、七月になるのか、八月になるのか、わからぬという状態だ。かりに六月に引き揚げられるものと仮定いたしましても、この船の実態というものは、当時から考えますならば、さびつきもしましょうし、それから余分なところから水が入ったり、いろいろな状態がすっかり変って、そういうことによって、
原因
の
調査
ということはむしろぼけていくのではないか。非常に不明確な結果が逆に出てくるのじゃないか。もちろん今ある
機構
で、
海難審判所
の決定を待ってやらなければならぬということは当然でありましょうけれども、冒頭私が申しましたように、
天災
より
人災
である。しかも私の聞きたいことは、たとえばああいう
濃霧
の中を右に右に行かなければならぬ船が、どうしたことか、左に
かじ
を切ったというような
原因
は一体どこにあったのか。そういうしろうとでもわかる
原因
がどこにあったかということ。それがもしわかったとすれば、一体だれに罪があるのか。あなたのおっしゃるように、もちろんこの
濃霧
の中を十二ノットの速度で行くということは、危険ということよりも、むしろ乱暴といわなければならぬのじゃないかと思うのですが、そういう
海難審判所
の制度といいますか、そういうものに対しても私は若干疑義を持たなければならないと思うし、これの
審判
の進め方というものも、普通の場合とは違って、海の中へ船が沈んでしまうのですから、それをサルベージ会社に委託して引き揚げてから実態を調べるというのが、これは筋であるかもしれませんが、そういうようなことでは、沈んだ当時の
事情
はわからぬ。いわんや、
洞爺丸
のように半年以上も海の中におるというようなことになれば、船の中の実態というものは、すっかり変ってしまうのじゃないかと思います。そういう点等から考えて、
海難審判所
が
結論
を出さない前に言い得る
原因
というものがどこにあったかということを、お聞きしたいのです。
三木武夫
13
○
国務大臣
(
三木武夫
君)
現地
などにおいても、いろいろ
事情
を聴取いたしましたが、
紫雲丸
があの場合に左に
かじ
をきったということに対しては、だれも、どうして左に
かじ
をきったものか、その
船長
が死んだことも
原因
ですが、不思議だ、なぜあの場合に左にきったかということで、左にきったのは、まあその現状において、にわかに第三
宇高丸
が現われてきて、そういうとっさの場合の
処置
でありましょうけれども、左にきったということについては、だれもそれを解明する人は、まああの場合、私が参ったときに、こういう理由であったということを、
事情
を
説明
する人はなかったのであります。私自身も今不思議に思っておる一つでございます。これは今後いろいろこういう問題が、今度の
海難審判所
などにおいても問題になる大きな個所でございましょうから、これは明らかにはなると思いますが、
現地
においてそれを解明するということをする人もなかったので、私も不思議に思いながら、それを疑問として残しながら、帰って参ったような次第でございます。
重盛壽治
14
○
重盛壽治
君 視察に行った諸君も
舵手
には会っていない。それから大臣も
舵手
にはお会いにならぬのかどうか、会ったのかどうか。
三木武夫
15
○
国務大臣
(
三木武夫
君) 会いませんでした。
重盛壽治
16
○
重盛壽治
君 これは大臣でもなんでもいいのですが、だれか会った人はいますか、行かれた人は……。
加藤シヅエ
17
○
委員長
(
加藤シヅエ
君) だれも会わなかったのでございます。
舵手
には。
間瀬管理局長
からみな
代表
して、いろいろ
説明
を聞いたのであります。
木島虎藏
18
○
木島虎藏
君 ちょっと
説明
します。私どもが参りますときに、
原因
調査
を主力にして行ったのではなかったのです。それもありましたし、それからいろいろ取り込んでおりまして、ですから、あのときは直接、そういう意味になると、第三
宇高丸
の
船長
さんや皆さんに会って話さなければならぬのでしたけれども、そういうことをやらなかったのです。むしろ
鉄道当局
の調べた結果をよく聞いて、それから慰問なりその他に主力を注いだわけです。
重盛壽治
19
○
重盛壽治
君 もちろん、
参議院
の諸君が行かれたことに、
原因
を全部調べてこいというようなことは申し上げられませんが、会った結果が、いわゆる
天災
でこれは仕方がなかったのだということならば、そういう前提に立てばそうでありまょうが、主として
人災
であるという建前に立つ上におきましては、やはり
原因
を若干お調べになった方がよかったのではないかと考えますが、その面はいいといたしましても、海運
局長
としては、これの
原因
については、
海難審判所
の結果を待って、国民大衆に、今度の
原因
がどうであったかということをお知らせするということだけでは、私はいかぬのではないか。私が見た形からいくならばこうであります、この点がまことに遺憾であったということを、逆に早く打ち出すべきであって、そういう点からいって、
舵手
なりなんなりとただ法律的な人たちだけが会うということではいかぬのではないか。そういう点……。
三木武夫
20
○
国務大臣
(
三木武夫
君) 今
現地
で、
紫雲丸
の
船長
、操
舵手
が二人とも
遭難
したわけです。そうして一方の方の第三
宇高丸
の方も、
船長
は逮捕されております。そういう点がやはり、刑事
責任
を追及するために
検察庁
が逮捕したわけです。そこで
現地
で大体今までのところ明らかになっておるのは、両方の
スピード
、それから
紫雲丸
が左へ
かじ
をきったことは、明らかな内容でございます。それで一番めんどうなのは、なぜその場合に左へきったかという
原因
が、これは非常にめんどうなのでありまして、あるいは
国鉄
の方がそれに何らかの御参考になるようなことを答えられるかもしれませんが、私が見たのでは、なぜあの場合左にきったかということについて、これは
事故
の
原因
に大きな重要な問題でありますので、何回もいろいろな
人々
に質問を私自身も発したのですけれども、それはついにそれに解明を与える
出先
きの
機関
の者がいなかったのでございます。そういう事実だけがわかって、なぜそうしたかということが明らかにならなかったのであります。
重盛壽治
21
○
重盛壽治
君
調査
して下さった
木島
さんが
説明
して下さいましたが、その前に、そこで左にきった
原因
は、今
運輸大臣
の言われるように、これは私どもばかりでなく、国民全部が不思議に思っているところであります。ここを国民が、不都合なことをやったのじゃないかというふうに考えておるのであります。そこで、なぜ左にきったかということと、もう一つは、あなた方が
調査
に行かれて、こういう海の状態であるのに、左にきらなければならなかった、これだから左にきらなければならなかったという理由が、何か見当ったかどうか、これを一つ。
木島虎藏
22
○
木島虎藏
君 私、皆さんといろいろあそこで話し合った経過を、ちょっと
説明
さしていただきましょうか。こういうわけです。今御
指摘
になった
通り
でございまして、私どももなぜあの場合左にきったかということが、非常に疑問になったのです。そうして一体、
舵手
を調べたが、
舵手
は
船長
の命のまま動いた——
舵手
は生き残っておるんでしょう、
舵手
は今。
船長
はあのとき、
船長
の位置におれば、絶対死ぬどころじゃない。それを
責任
を感じて、
船長
はそのまま海に沈んだんじゃないかということを申しておったのです。そうしてなぜ左に曲げたかということは、どうしてもわからない。私どもも、それから
鉄道当局
の皆さんも、どうしてもわからない。そこで私は昔、長いことああいう大
事故
の調べなんかしたこともありまして、それで大きな
事故
にならぬときも、
機関
車の乗務員なりあるいは車掌なりを調べたときに、自分でもどうしてこんなことをしたのだろうという
事故
が、ままあるのです。それと同じではないか。俗に言う魔がさしたのであろうかというふうにしか、われわれの知恵の範囲では考えられなかったのです。それからもう一つの問題は、今大臣が
指摘
されたように、霧の中に
スピード
を落さないで走った、これがどうもいけなかったのじゃなかったかという議論が、そのときに出たのです。まあこの二点ですね。 それで
管理局
では、じゃ、その
濃霧警報
を確かに両方の船に伝えたのか、これを質問したのです。すると、何時何分にこういう経路でこういう
コース
でと指示して、船の方はそれをキャッチしておる、こういう
説明
があったのです。私どもとしましては、それ以上その
原因
を調べるとなると、いろいろ検察
当局
のやるようなことをしなければいけないし、まあその
程度
でとどめたのですが、われわれも左にきったということは、どうしても理由がわからなかったのです。
重盛壽治
23
○
重盛壽治
君 ただ、私もそれは、
海難審判所
で法的
結論
が出てから、
原因
はここにあったのだということを明確にすればいいと思いますが、何度も申しますように、国民の大部分は新聞を見たり、ラジオを聞いたりして、ずいぶんでたらめなことをやっているのではないか、右にきりそれで
右側
を通行し、しかもそういう
事態
であったならば
右側
に転進するのが当然のように、しろうと考えに考えられるが、左にきったというこういう
原因
は——しかも
船長
は人命
救助
のために最後まで戦っておって、その結果、自室に入って鍵をかけて死んでおった。
船長
の最期的な立場はきれいであったか知らぬが、
事故
の起きるときの
考え方
というものは、何か非常に見誤まりをしておったのではないか、こういうように言われておるものですから、できるならば、
海難審判所
を通じてなら通じてするとして、急速にこの問題を解明して、あのときはこういう
事情
にあったから左にきらなければならなかった。あるいは
木島委員
の言われるように、魔がさしたなら——魔がさしたというような言葉があり得るかどうか知りませんが、そういうことをもう少し明確に早くすべきだと思うのですね。
木島虎藏
24
○
木島虎藏
君 魔がさしたのじゃないかというのですよ、わからぬのですから、さっぱり。
重盛壽治
25
○
重盛壽治
君 ええ。それでそのぶつかった
現場
は、
運輸大臣
や
委員
の
方々
は御覧になったのですが、やはりその場合に、その場所を見て、なぜ左にきったかということが本当に——あるいはもう右にきれないというような所じゃないわけですね。そういう点はわからないのですか。
三木武夫
26
○
国務大臣
(
三木武夫
君) それはもう、やはりすぐ島があると、私も最初は島が右の方に迫っておって、右がきれないのかと、こういうふうに思いました、
東京
を出るときには。そうでございませんでした。やはり右の方には、そう、
遭難
の場所は島が迫っておる地域とも思われないと思います。
重盛壽治
27
○
重盛壽治
君 そうしますと、そういう
濃霧
の中を十二ノット、あるいは十・八ノットの速度を出さなければならぬという、ここに大きな
原因
がありはしませんか。いわゆる
国鉄
の
ダイヤ
の面に、
海上輸送
の天候等の変化等を考慮せられずに、平素の天気のときに何分かかる、こういうようなものを中心にして、もちろん七分のところを十分の
程度
の余裕はあるかもしれませんが、もう少しそこに余裕を持たしたならば、ああいうときにはあるいは停止し、あるいは速度を落すというようなことができ得たのじゃないか。それが、その速度で行かなければ次の
連絡
に間に合わないというようなことのために、
濃霧
であろうが何であろうが、ああいう速度を出してきたということは、これは大臣その他の関係の専門家の方の意見は、その点はどうなんです。
唐沢勲
28
○
説明員
(唐沢勲君) 国有鉄道の方から申し上げます。営
業局長
の唐沢でございます。 今の
原因
につきましては、ただいま大臣その他からお話ししましたように、
審判所
で徹底的に糾明してもらうわけでございますが、私どももできる限り
調査
しております。で、先ほど左へ切ったことについて、
舵手
が
船長
の命を受けたかどうかという問題でございますが、これはもちろん、
舵手
は
船長
の命によってそちらに
かじ
を動かしていることはもちろんでございます。
加藤シヅエ
29
○
委員長
(
加藤シヅエ
君) ちょっとお諮りいたしますがね。
運輸大臣
は衆議院の予算
委員
会の方から呼ばれておりますので、
運輸大臣
にまだ御質問がございますでしょうか。
重盛壽治
30
○
重盛壽治
君 それはまだたくさんあります。それは予算も大切だろうがね、こういう問題のときは、
運輸大臣
としては
運輸委員会
に一番重点を置くべきであって、予算
委員
は何と言っておるか知らぬが、そう時間の制約をされちゃ困る問題であって、ほかの一般問題でしたらけっこうですが、これに関しての予算を組むために、それなら予算
委員
の諸君にこちらからでもお話ししますから、もう少しいていただきたいと思うのです。 その前に、それじゃ
運輸大臣
に聞きますが、この点はこまかいことですが、先ほどの
説明
の中で、名簿がない。名簿は、やはり短時間に
航行
せられる
船舶
だから名簿がないということが
原因
であろうと私は思うのですが、ここらにも非常に矛盾したものがある。 もう一つ、九百四十三名大体乗っておった。それから百五十八名が死んで、七百七十五名が生きておる。
行方不明
は十名だというのだが、
学童
のみの
行方不明
が十名というように私は聞いておるの、だが……。
三木武夫
31
○
国務大臣
(
三木武夫
君) ええ、そうです。
重盛壽治
32
○
重盛壽治
君 そうだとすると、
学童
だけの十名の
行方不明
は認めるが、あとの者は、名簿がないために、
行方不明
者はもう一人もないのだというような理屈に、この数字から行きますとなりますが、その点はどういうことになりますか。
三木武夫
33
○
国務大臣
(
三木武夫
君) これは今までに日がたっておりますから、もしもあの船に乗る予定のあった人で帰って来ないという——まあ全然縁故のない人が乗っておれば、これは別だと思います。縁故が全然ない人、何の身寄りもないということになれば、これはだれからもそういう申し出がなくて、あるいはそういう人であればわからぬような場合があるかもしれませんが、とにかく多少縁故があれば、これはああいうふうな時期にあの船に乗るべき人であったならば、すでにもう申し出があることが
常識
でございますから、今までにないところを見ると、大体これが実数に近いのではないかという
推定
をいたしておるわけでございます。あるいは、これはやはり確実にこういうものだと言い切れるものではないのですが、大体今までに申し出がなければ、これは実数に近いのではないか。 もう一つは、御
承知
のように、内海航路に対しては、時間も短いわけで、そういうふうなことで
乗客
の人も手数がかかるということでしょう、船客の名簿を必要としないことに法律でなっているわけでございます。あるいはそういう法律については今後改正をしなければならぬという御意見が出るかもしれませんが、現行法ではそうなっておる。これはいずれにしましても、法律改正等の問題もございますので、私は
現地
に参って、入口をもう少し狭い入口にして、確実に乗った客の数だけはみな計算のできるような
措置
をとるようにということを、厳重に言って参った。何分にも短い時間にどっと走っていくものですから、数の計算はしたといっても、非常にこれは誤差があったわけでございますので、それは入口に多少の不便があっても、こういう場合のことを考えますと、これは忍んでいただかなければならぬことでありますから、入口を何カ所かにして、そして一
人々
々
連絡船
に乗っていただくような方法で、数だけは少くとも正確に計算のできるような方法をとりたいということを、
現地
で申して参ったわけであります。
重盛壽治
34
○
重盛壽治
君 これはまあ、今大臣も言われているように、方法が悪いと思うので、これに対しては将来十分気をつけなければならない。 それから特に、今
報告
されたようなことでは非常にずさんだと思うので、十分関係
当局
を通じて、この数字でよかろうというようなことでないように、一つ万全の策を講じていただきたいと思います。私はやはりこの
事件
の起きた
原因
は、何と言いましょうか、
命令
系統というか、指揮系統が一貫していないのではないかということが、一つまずあげられると思います。 もう一つは、
洞爺丸事件
の起きたときに、将来再びかかることの起きないように、あらゆる手段を講じてもらいたいという要請をした。特にそのときに、今後は各方面の権威者を集めて、
連絡船
というふうなものをどういうふうにしなければならぬかという
機関
を設置してもらいたいという要求をしたのです。ところが、そういう
機関
はできた。できたけれども、はっきり言うと、それが
国鉄
の
関係者
だけであったという形がだいぶあるように聞いているので、そういうことでは本当の
調査
研究は進められないではないかというように考えられるので、こういう点を一つ中心に、十分考えてもらいたいと思います。 もう一つ最後に、この起きた問題に対する基本的な将来の
処置
を大臣はどういうふうに考えておられるか、これを一つ明確にしていただいて、どうしても時間が許さないのなら、私はこれで質問を打ち切ってもいいと思います。あとは次の機会に……。
三木武夫
35
○
国務大臣
(
三木武夫
君) 御
承知
のように、
洞爺丸事件
のときには、船の構造などについて、
連絡船
の構造に改善の余地がないかということで、造船技術審議会の中に
船舶
安全部会、これはむろん
国鉄
の人よりも外の人ばかりで、造船界の権威と言われる
方々
にお集まりを願って、その
結論
も出て参って、今二隻新造をしている
連絡船
は、この
結論
に従って設計を変えているわけであります。まあ、しかし、こういうふうな
事故
が二回も引き続いて起ったということについて、これはやはりこの機会に徹底して
事故
防止の
対策
を作らなければならぬ。そのために、これはおもに外部の
方々
にも参加を願って、
連絡船
の改善の
対策
委員
会を至急に設置をいたしまして、
事故
防止のために万全を期したいと思っているのですが、今
木島
さんからの御
報告
の中にもありましたように、
現地
を私は見まして、そういういろいろな点は、技術者が加わって今後
対策
委員
会において検討しなければならぬが、さしあたりこういう点について今後改善を加えたいということを、すぐできる問題は
現地
でするよう、たとえば人員の把握のようなものは、そういうことをやるようにと言って帰って参ったのであります。 一つは
船員
の訓練、
——船
員の訓練についていろいろ服務規程があるわけでございますが、しかし私自身が今考えていることは、あるいは
濃霧
の場合であるとか、あるいは非常にガスが強い場合であるとか、こういう気候の変化に従って勤務の一つの態勢を切りかえていきたい。平時、あるいは警戒態勢、あるいは非常態勢、天候の変化によって三段がまえくらいに勤務の態勢を変えていって、そうしてそういう警戒の霧が濃いというような場合、
濃霧
が非常に深いというような場合には、その度合に応じて、警戒態勢に入る場合があり、非常態勢に入る場合がある。入れば、
乗客
には直ちに救命袋をみな与えて、そうしてこういうふうにするのだという
説明
を加える等で、
船員
も緊張するでしょうし、だらだらとあの平和な海を何回も何回も毎日往復しているというところに、ややもすれば精神的な弛緩も起りやすい条件を持っているものですから、
船員
にも一つ緊張した気分を与えるということで、そういう勤務の一つの態勢を切りかえていく、こういうことはぜひとも実現をさせたいと思っておりますが、勤務の状態を変えていきたい。 もう一つは、船の管理
機構
というものがどうしても、全体の
国鉄
の企業の内容からすれば、それは鉄道に比べれば
船舶部門
というものは小さいのですけれども、しかしながら青函
連絡
にいたしましても、宇高
連絡船
にしても、あの
船舶
で毎日運んでいる人たちの数というものは、これは非常なものであります。しかも、それに
事故
がたびたび起るということになって参りますと、人命を守っていくという見地から、これは全体としての事業量が多い少いにかかわらず、
船舶
の管理
機構
というものを強化したいと私は考えております。それでたとえば、これは研究しなければなりませんが、やはり青函
連絡
あるいはまた宇高
連絡
に対しては、
船舶
管理部とか
船舶
管理局
とか、こういう
機構
の中における
相当
強力なやはり
船舶
を管理する一つの
機構
を持ちたい。また中央においてもやはり、現在よりももっと強化された形において、全国の
連絡船
をこれを管理するような
機構
を、中央にもこれはもう少し強化された形にして置きたい。そうして
船舶
の管理というものには専門家もそこにいるのでありまして、
ダイヤ
と申しましても、汽車と違ってレールの上を走っているのじゃないのですから、船はよほど、汽車を動かすような感覚で船を動かすようなわけにはいくまい、こういうことなので、これは
船舶
の管理
機構
を強化していきたい。 それから船の構造につきましては、これは今申したような造船技術審議会等の
結論
に従って、今設計している船はその
結論
に従って設計を変えていくわけですが、さらに
事故
が二回も起ったということからして、今の
連絡船
に対しては改造を加える余地があるかないかということにも、検討を加えていく。 さしあたり一番大事なことは、やはり
船舶
の構造ということもこれはいろいろ検討しなければならぬですけれども、
船員
の一つの訓練、こういうものについて、あるいは
海上保安庁
などに委託して
船員
の再訓練等も考えてみたいと思っております。その他いろいろな総合的な
対策
は、今申したような
連絡船
改善
対策
委員
会で、これを機会に一つ徹底したこういう
事故
防止の
対策
を考えたい、こう現在は考えております。
重盛壽治
36
○
重盛壽治
君 最後に……。私はやっぱり、もちろん
機構
の改革が必要じゃないかと思います。先ほどの御
報告
の中には、両
船長
とも練達の士であるという御
報告
がなされておりますが、練達の士であるだけにむしろ危険であるということが、逆に言い得る。それはやっぱり
機構
上の問題で、もちろん船のことは
船長
に一任することが当然でありますが、
洞爺丸事件
のときのことを考えても、今回の
事件
の実件を考えても、
船長
自体にも落度があるのじゃないか。特に一例を言うならば、たとえば
気象通報
などというものを、なに、海のことは海にまかせておけ、
船長
でわかるのだという
気象通報
を軽視する傾向が海員全体にあるのかあるいは
船長
にあるのかわかりませんが、私は
洞爺丸事件
のときに痛感したのですが、
命令
系統を厳重にするとかなんとかいうことじゃなくして、
船長
にはまかしてあるのだが、
船長
を訓練していくことを考えていかないといかぬのじゃないか。どうしても私はやっぱり、
気象通報
を軽視するという傾向が今度の場合にもあるし、
ダイヤ
に無理がないとするならば、七、八ノットで行こうというような感覚があれば、こういうことも起らなかったのではないかと、あとの祭であるかもしれないが、考えられる。乗ったからには
船長
にまかせるといいながらも、そういう点に大きな
原因
があると考えられるので、十分考慮してもらいたい。 それから、船はそっちこっちのものを集めると、先ほどの御
報告
のように、七万トンをも保有しておるような実態からいきまして、大船会社であって、その大船会社が、
洞爺丸事件
のときに専門家を
調査
したらば、専門
学校
を出た者が上層部には二人か三人しかおらぬというような実態で、きわめてさびしい状態である。それはどこから来るかというと、運輸省の予算の面から来る。こういう点に非常に困難があると私は思うのです。そういう点、予算はきまりつつあるようでありますが、今から予算
委員
会に出るそうですから、一つ運輸予算の増額を考えて、たとえば定点観測の問題にいたしましても、こういう
事件
の問題の解決の鍵はだんだん掘り進めていきますると、予算に私はやっぱりぶつかってくると思いますので、その点十分御考慮の上、大臣は
処置
をせられることを
希望
いたしまして、私の質問は今日はこれでやめておきます。
岡田信次
37
○
岡田
信次君 大臣もお認めになったように、今回の
事故
は大部分人的要素であると思うのですが、先ほど
重盛
君の最後の質問でお話ございましたけれども、どうもこれが、設備が不備であるとか、あるいは設備に故障があったというのですと、その
対策
は楽なんですが、人的要素を含んだ
事故
というのは、今後の
対策
が非常にむずかしい。しかるに、大臣はこの
事件
以来たびたび万全の
措置
を講じてこれらの
事故
がないようにするということを言明されているのですが、その具体的の
対策
といたしましては、ただいま
重盛
委員
にお話しになった
船員
の訓練、あるいは
船舶
業務の
機構
の拡充という、その二点でございますか。
三木武夫
38
○
国務大臣
(
三木武夫
君) 今
重盛
さんのお話にもありましたが、
ダイヤ
の点も
現地
で私は直ちに検討してみたんですが、あれはちょうど
遭難
場所というのは一番狭い所ですね。もっと広い所で——一方の第三
宇高丸
というのは
貨車
の航送船なんですから、そんなにあまり時間的に、旅客よりも制約される度合が少い。
ダイヤ
等は検討してみたらどうか。そういう一番狭い所ですれ違わないで、もっと広い所ですれ違う方法は考えられないのかということを、
現地
で申したのであります。これは私が今申し上げたのは、すぐにでもできるような応急の
対策
としてお答えをいたしたわけでございまして、これが恒久的ないろいろな
対策
、たとえば
連絡船
の船の構造等の問題になって参りますと、これはやはり技術者の意見も
相当
検討を加えて聞かないと——私自身が、今
運輸大臣
として、すぐにでもこの改善を加えたいと考えておる数点を申し上げたのでございまして、いろいろ恒久的な
対策
については、さらに各方面の意見を徴する必要があろうと考えておるのでございます。
岡田信次
39
○
岡田
信次君 それで
船舶
業務の
機構
の問題なんですが、これを拡充強化するということは大へんけっこうなことだと私も思うのですが、ただその際に
船舶
業務
機構
の内容というものを御検討願いたい。と申しますのは、どうも従来
国鉄
の
船舶
関係の陣容が主として、船の設計というか建造というか、そっちの方のエキスパートがなっておって、実際の船の運航というものに対する知識経験なるものがあまり要求されておらない。従って、どうも
ダイヤ
を作る場合とかあるいは船の運航そのものに対しては、失礼な申分だけれども、知識が欠けておる。何とか船の方のデザインの方の権威者がこれをやっておるという点があると思いますが、この点についても、
機構
の改正その他については、十分御考慮を願いたいと思います。
三木武夫
40
○
国務大臣
(
三木武夫
君) その
通り
だと私も思います。そういう点で、
機構
の強化というものは内容的にも、運航に対して経験知識を持っている人、こういう面の強化を中心として考えたいと思うのであります。今御
指摘
のように、雑船を入れると七万二千トンですから、これは
相当
な船の量であるし、ちょっと時間は短いけれども、あれが生命に与えておる影響などを考えてみますと、これはやはり
連絡船
というものに対しての
人命尊重
からの
国鉄
における比重が非常に重いと思っておりますので、これはいろいろ御意見がありますれば、各位の御意見等も一つわれわれにお与えを願って、そうしてこの
事故
防止に
対策
を講じていきたい、こう考えております。
内村清次
41
○
内村清次
君 私も
派遣
議員の一人といたしまして、
現地
に行きました。大体今までの
委員
の
方々
や大臣の御答弁によって私も意を尽しておると考えますが、しかしまだ一、二の点で、これは再確認の意味から、ぜひ一つ大臣から、
責任
を持って、これだけのことはやるという再確認の答弁を聞きたいんです。 それは、先ほど
重盛
委員
の質問の中に、
事故
の真因というものは、やはり
中村船長
が殉職をされておりまして、どうして左
かじ
を
命令
したかというその点が、これはおそらく
海難審判所
で
審判
されましても、この点はやはり不可解のままに過ぎはしないかという考えを私たちは持っておるんです。そこでまた大臣は、速度の点も確かに一つの誘因だということで、私たちもその
通り
考えております。特にまた
紫雲丸
の方はエンジンの停止をやったと申しますけれども、速度はやはり
相当
高い速度が出ておる。特に第三
宇高丸
は平常速度で行っておるんだから、この点などやはり
相当
な影響力があると考えておるのでありまして、そうすると、
舵手
の方はおられても、
船長
の
命令
である以上はやはり
舵手
の人はその
命令
に従っていくということであるし、それから私たちが少しまだ不安に考えておりまするのは、
レーダー
には
両船
が約二海里の間に入ったんだ。その後の
処置
といたしまして、先ほどの速度の問題もありましょうし、あるいはまた
衝突
直前におけるところの
紫雲丸
の
船長
及び
舵手
の操法の問題もありましょうが、そのほかに右げんのほうで警笛を聞いたというので、そこに右げんのほうに聞いた以上は、それが本当の事実であると、全
船員
がそういうふうに聞いたというような、あるいはまた全
船員
でなくても、その操縦の所にいらっしゃる
方々
が聞いたということになれば、それが一つの錯覚になって、
船長
が左
かじ
を命じたというようなことにもなってくるのですが、その点が、これは事実かどうかということは、私たちも実は
関係者
の
方々
に聞きたかったのですけれども、先ほど
派遣
議員の中から言われましたように、真因を突きとめるのが今回の
派遣
議員の任務の全体ではなかったわけです。そういう点で問題点は残っておるわけです。 そこで、
運輸大臣
が行かれまして、気のつかれたところに、私もこの誘因の第一
原因
があると見たのは、
ダイヤ
の問題です。
ダイヤ
の問題は、御
承知
のごとく、あの十海里の航海の中に、大体平均速度十一キロ乃至十キロで走るとすれば、現在の運行
ダイヤ
では、六十五分ないし七十分のほとんどきまった
ダイヤ
の筋がなされておるのですね。そうすると、行き違いの
地点
というものはおのずからわかっておるのです、
海上
の問題で。それが第八の
ダイヤ
、
紫雲丸
の
ダイヤ
ですね、これとそれから第三
宇高丸
の
ダイヤ
の行き違う
地点
というものが、この
ダイヤ
全体に対して一点だけが、あの
高松
寄りのところで、予定
コース
の、行き違いの
コース
の路線の線上にあるのですね。これは重大な
事故
の誘因です。こういうような
ダイヤ
というものは、技術的にも直ちに改善される問題です。これを
運輸大臣
が気がつかれたから、私も先ほどこの点は特に具体的に申し上げたいと思っておりましたが、これは早急に一つ変えていただきたい。しかも
海上
においての
ダイヤ
に
弾力性
を持たせて、そうしてああいう行き違いの点が
事故
の誘因になるような点を避けて、なるたけ行き違いの点は海面に間隔を持たせてやるということを、至急にこれはやってもらいたいという点が第一点。 それから第二点は、これは
派遣委員
の方で
要望
いたしました一、二、三点ですね。この三点は、
運輸大臣
は確かにこれを引き受けた、こういうふうな、
対策
を至急にやるという発言は聞きましたが、しかもまた第二の
機構
の問題につきましても、あるいはまたは非常態勢及び警戒態勢というような問題に対しましても、明確に御答弁なさっておりますが、この点は私もぜひ一つ実行してもらいたい。と同時に、しからば長崎
国鉄
総裁はこの
責任
をとってやめられた。で、今
国鉄
総裁の選考中である。そうすると、
運輸大臣
はこの
機構
の問題に対しましても、あるいはまたは第一要点でございまするところのサービスその他
団体旅客
の取扱い等に対しての
国鉄
の
名誉回復
の問題に対しましても、あるいはまたは第三の要点でございまする
遺家族
の補償の問題、いわゆる
遭難者
に対するところの補償の問題、こういう重要な問題は、これは長崎総裁のこの辞任の
原因
をよくお考えになって、そうして長崎総裁が辞任された後においても、やはり完全にその長崎総裁のやろうと考えておった国民への謝罪というか
責任
というか、この面がやはり十分含まれるように、早急に解決をしてもらいたいのですが、問題は、まだ後任総裁が決定しておらないが、
運輸大臣
はどういう法制上の権限でこの
対策
をやろうとせられるのであるか。この点ははっきり一つ、再確認のために申し上げておきます。
三木武夫
42
○
国務大臣
(
三木武夫
君) 御
承知
のように、国有鉄道法によって、天坊副総裁が総裁の職務を代行しております。これは総裁の辞任によっていささかも、いろいろ事後の
処置
を遅滞せしめるようなことはしないつもりでございます。 それから今私がここで申し上げたのは、これは私自身がぜひやりたい、今ここで言ったことは。いろいろな専門的な技術者が検討すべき問題は、これは時間をかけなければならぬわけでございますが、今この
委員
会で申し上げたようなことは、これは格別予算を伴うものでもございませんし、また
国鉄
のような場合、ことに交通
機関
というものは、やはり人命の尊重というものがサービスの基本だと思いますので、ほかのものを犠牲にしてもいいと私は思っております。そのほかのもののサービスは、すればそれにこしたことはございませんが、やはり人命というものを尊重することがサービスの基本である。だから、少しは
乗客
の
方々
にも御迷惑の場合もあるかもしれません。そういう何か救命具などをいろいろ各人に持ってもらったりするようなことがあるかもしれませんが、百万べんの無駄があっても、一ぺんそういう必要が起った場合には、それはやはりしてもらわなければならぬということで、今この
委員
会で申し上げたようなことは、私自身が、御
承知
のように、よく御存じのように権限を持っておりません。国有鉄道の運営の権限はないのですが、
運輸大臣
としてそういう指導を行なっていきたい、
国鉄
に対して。そうして今申し上げたようなことは、できる限りすみやかにそういうことが実現をするような指導を行なっていきたい、こういうことを申し上げたのでございます。
内村清次
43
○
内村清次
君 この際、それでは総裁代理の天坊副総裁から一つ、この問題について……。
加藤シヅエ
44
○
委員長
(
加藤シヅエ
君)
内村
委員
、ちょっとお待ち下さい。 それでは、
運輸大臣
に対する御質問はもうこれで終りますか——では、
運輸大臣
が予算
委員
会の方に行かれます前に、
委員長
からちょっと大臣に一つ……。
内村清次
45
○
内村清次
君 今の大臣の御答弁に対して、大臣はもちろん監督権はございますけれども、法制上の権限がありませんから、これを実際
責任者
が経営をやらるる上について、現在早急を要すべき問題があるのです。だからして、
国鉄
総裁の代理として副総裁がかりにやっていらっしゃるから、副総裁の答弁をはっきりと一つ聞きたい。
加藤シヅエ
46
○
委員長
(
加藤シヅエ
君) それでは
運輸大臣
にもうちょっとお待ちいただきまして、天坊副総裁の御答弁をお願いいたします。
天坊裕彦
47
○
説明員
(天坊裕彦君) 今回
紫雲丸
の大
事故
を惹起いたしまして、まことに申しわけない次第でございます。亡くなられました百五十数名の
方々
の冥福をお祈りいたしますとともに、遺族の
方々
あるいはまたけがをなさっている
方々
に対しまして、
国鉄
といたしまして最大の努力をもちまして、十分なお見舞、御慰謝のことをやって参りたいと考えております。 と同時に、先ほどからもいろいろお話がございましたように、一番大きな贈りものになるものは、将来決して二度とこういう
事故
を起さないということが第一であろうと考えるのでございますが、これに対しましては、先ほど来もいろいろお話がございました。また当
委員
会におかれましても
委員長
初め
委員
の
方々
が
現地
に
調査
においで下さいまして、いろいろ御理解ある御
措置
があったわけでございますが、その点われわれとしてもありがたく存じているのでございますが、またその御
報告
の中に非常に適切な
対策
についての御指示をいただきました。その内容等につきましても、全く私どもも同様に考えておる数々の問題でございまして、先ほど大臣からもお話がございましたが、私どももこれらに関しまして必要なものは即刻にも手を打って参りたいというふうに考えておるのでございまして、ただいま御質問にございましたそれに、大臣が自分もその
通り
考えていてそういうふうに指導するのだとおっしゃいましたが、私どもも全くその
通り
にやって参りたいというふうに考えておるのでございます。 特に一言つけ加えて申し上げまするならば、先ほどから一番大事な問題として、船が行き違いをする所が非常に危い所にあるというお話がございましたが、この問題につきまして、一つは基本的に、あそこにブイをもう少しふやしたい。この
措置
を四国で、
海上
保安部の方へ
連絡
をいたさしております。それができ上りますまでは、先ほど申しました
ダイヤ
の改正を、六月中旬ぐらいを目途として、やらせることにいたしました。さらにその
ダイヤ
ができ上るまでには、当分霧等があった場合には、その視野の範囲に応じて適宜に船をとめる、あるいはおくらせるということをやるようにということを、
現地
へ通知をいたした次第であります。まあそのほか、訓練の問題、その他大臣がお話になりました数々につきましても、即刻できるだけのことはやって参りたい。また
機構
等の問題につきましても、新しい総裁がお見えになりましたら、すぐ決定していただくようなところまで案をこしらえて準備中であります。それらのお話に対しまして、
国鉄
といたしましては万全の
措置
をとって、二度とこうした
事故
を繰り返さない覚悟でございます。大臣のお考えと全く同様でございます。
内村清次
48
○
内村清次
君 ただ一点、天坊副総裁にお願いしたいことは、確かに今回の
事故
の直後におきましては、
相当
な混乱があっておることは、
現地
に行きましてよく話を聞いて参りました。で、それというのは、やはり
対策本部
の問題ですが、この本部の
国鉄
自体が、今回はその
事故
の本拠でございまする以上は、やはり主体的には鉄道がすべてその
救助対策
におきましても、あるいは
連絡
対策
におきましても、やらなくてはなりませんが、
事故
の発生当時において幾らかの混乱のあることは、これは私たちもそうとがめようとは考えませんけれども、しかしながらやはりこれは一つの訓練と申しますか、あるいはまたは平素の計画と申しますか、そういうようなことがやはり等閑に付せられない
程度
において、各関係部門においては
相当
な
対策
が見られることが必要であろうと思うのです。特にまた対外的には、
県庁
、市役所、あるいは
警察
と、広範な人命の
救助
の問題に対しましては、
相当
に
連絡
も必要でございましょうから、こういうような訓練関係に対しましては、やっぱり常時的に
相当
な計画をやって、人がかわってもその問題は直ちにできるというようなことも——私たちは実際はこういうような
対策
というものはないように、絶対
事故
を起さないということを確約していただきたいのですよ。まあしかし、こういう際においての万全なる
対策
は漏れなく——遺族の
方々
から
相当
な非難も現実にあっておって、
現地
の
局長
あたり
相当
な私たちは困難な状態に立ち至っておる場面も見て参りましたからして、そういうようなことも一つ早急に解決をしまするように私は
希望
いたします。この点につきましての副総裁の所感を一つ……。
天坊裕彦
49
○
説明員
(天坊裕彦君) 御注意ございました点は全く同感でございまして、平生からも各関係官署というようなところとも十分な
連絡
、平時のいろいろな意思の疎通ということも十分必要でございましょうし、今回も私は関係地方
機関
との
連絡
においては、私も
現地
へ即日参りましたけれども、そういう手が打ってございます。特に
検察庁
やなんかに参りましても、検事正は
管理局
長と一緒に八時の船で
現場
に行ったという話で、非常に
連絡
がよかったので、ほめていただいたのでございます。そのほか、現実に遺族の
方々
等の関係におきましては、いろいろ問題がないとは言えないのでございます。その点はこうした
事故
の性質上、いろいろ遺族の方としての話の中でのいろいろな意向というようなものがあることも、これは今もお話がございましたが、あってはならぬことなんですが、そうした場合にあり得ることなのでございます。できるだけのことをして、遺族の方の御満足のいくような格好で、処理を進めて参りたいと考えております。
加藤シヅエ
50
○
委員長
(
加藤シヅエ
君)
運輸大臣
も予算
委員
会の方へおいでの時間が参ったようでございますから、今日は
委員
各位が十分な御
質疑
もなさいましたし、また
運輸大臣
及び
国鉄当局
からも十分な御答弁もあったのでございますが、先ほどの
質疑
応答の中からまだちょっと御発言がなかったように考えます点で、
委員長
から一つ
運輸大臣
に質問をお許しを願いたいと思います。 それは、今後こういう
事故
が起らないようにという見地に立ってはいろいろ御発言もございましたし、御答弁もあったのでございますが、なお今後こういうことが起らないために、あるいは万一
事故
が起った場合に、その犠牲を最小限にとどめるというための観点から立ちまして、私はここに読売新聞の好意によりまして、
紫雲丸
に
乗船
した
乗客
が
事故
発生直後、第三
宇高丸
に移りまして、そこからまあいわゆる涙のシャッターをきったという、この修羅場を写した写真を今日借りて、ここへ
委員
各位にお目にかけるために持って参ったのでございますが、この写真にも見えておりますし、
現地
においでになった
運輸大臣
も御覧になったのでございますが、
紫雲丸
の
救助
ボートが二隻ともさかさまにひっくり返って、いまだに
海上
に浮いております。で、ああいうようなボートが、もしもあの場合ロープを何かの器具を持って行って切断して、そうしてこれを
海上
に浮かすことができましたならば、もう少したくさんの人命が
救助
されていたのではなかったか。それから救命具がどの
程度
、
事故
が起ってから
沈没
するまでのまあ三分か四分の短い時間でございましたが、
船員
たちによって
乗客
にどの
程度
配付されたか。この
事故
が起ってから
救助
するまでの間のときにおいて、まあ承わるところによりますと、
学童
を引率された先生の尊い殉職の犠牲があったという御
報告
も伺っておりますが、こういうような
事故
が起ったときに、一体
船員
としては人命
救助
のためにどれだけのことを、どういう順序でするようにというような訓練を日ごろなさっていらっしゃったかどうか、そのことを承わりたいのでございます。
三木武夫
51
○
国務大臣
(
三木武夫
君) 私も、
生存者
が
病院
におられまして、私が参りましたときも、まあ各
高松
の旅館に分れていられる人をたずねたときも、その点をどの旅館においても
生存者
に私は尋ねたのであります。中には、やはり遺憾の点があったということを言われる人もあります。あるいは救命ブイの指示を
船員
がされたということを確認した人もおります。何も指示がなかったと言われる人たちもございました。こういう点で、ああいう何分にも三、四分の間に
沈没
をしたのですから、その間適宜の
処置
が十分であったと私も思わないのであります。これは今申したように、訓練が、ああいう場合の訓練というものが、やはり今後そういう場合のないことを期待するのでございますが、しかし万一という場合の
処置
として、訓練は十分にしておかなければならない。それが全然統一がなかったという印象を受けました、生き残った人に。 そのいう点で今後ともこういう訓練、私が最初にお答えした中にも、一つの勤務の状態をけじめをつけて考えたい、だらだら、だらだらとああいう静かな海を勤務しておったのでは、いろいろな点で
乗客
に対しても、いざという場合の準備もできませんし、
船員
の心がまえも弛緩しやすいものですから、そういう勤務状態にけじめをつけたいと考えるのも、そういう訓練というものをしたいという意図でございます。今までどういう訓練をしておったかということは、これは今まで私が知っている範囲内では、海技専門
学校
等に毎年ある
人数
の人を、上級の
船員
は海技専門
学校
に、あるいは下級の
船員
については運輸省にそういう再訓練の
機関
を持ちまして、そこに入れてございます。しかしそれは全部というわけにはいきませんが、そういう訓練の
機関
というものも全然やっていなかったわけではないので、高級
船員
、下級
船員
に分けて訓練をやっておったわけですが、やはりこれは強化しなければならぬ必要が私はあると思う。最初に私が申し上げたのは、場合によっては
海上保安庁
などに一つその訓練を委託するようなことも私は考えているということを申し上げたのであります。確かにやはり訓練というものはもう少し強化しなければならぬものだと考えております。
加藤シヅエ
52
○
委員長
(
加藤シヅエ
君) それではお約束の時間になりましたので、
運輸大臣
、どうぞ御退席下さい。 なおここにおいでになります
政府
当局
及び
国鉄当局
の
方々
に、何か御質問がございますでしょうか。
岡田信次
53
○
岡田
信次君 天坊副総裁にお尋ねしたいのですが、この賠償金はいつごろ払うお見込みですか。
天坊裕彦
54
○
説明員
(天坊裕彦君) もう即刻でも払えるような態勢で、それぞれお一人ずつについての
調査
をいたしております。大臣からも一カ月以内に何とか完了するようにやれというお話もございましたので、督促いたしております。
岡田信次
55
○
岡田
信次君 そうすると、大体一カ月以内に払われるというふうに考えていいわけですね。
天坊裕彦
56
○
説明員
(天坊裕彦君) ぜひそうしたいと考えております。ただ手続になかなかいろいろめんどうなことがございまして、一件々々の処理に時日を要するのでございますが、できるだけそういう方針でやっていきたいと考えております。
岡田信次
57
○
岡田
信次君 もう一つお伺いしたいのですが、今は交通安全運動というのを実施していますが、これは一体どこの主催でやっておられるのか、そうして
国鉄
はこれに参加しているのか、していないのか、参加しているのならばどういう形式で参加しているのか、その点を伺いたい。
天坊裕彦
58
○
説明員
(天坊裕彦君) ただいまの交通安全運動は、国家
警察
本部で主になっておやりになっておるのでございまして、
国鉄
もこれに
協力
いたしておる格好になっております。
岡田信次
59
○
岡田
信次君 そうすると、今
国鉄
がこれに
協力
しておられるというお話でしたが、どの
程度
に
協力
しておられるのか。
天坊裕彦
60
○
説明員
(天坊裕彦君)
警察
と運輸省との両方の主催でございますが、これに
協力
いたしまして、
国鉄
も、主として
警察
関係が多いのですから、自動車関係に重点が移っておるようでございますが、そのほかこれに呼応いたしまして鉄道、
船舶
等につきましても、やはり
事故
防止という観点から運動は一緒にやっておるのでございます。
岡田信次
61
○
岡田
信次君 どうも今までのお答えだと、あまり積極的に参加しておられないようなんですが、どうも主として民間の自動車関係が主なようなので、民間がやっているのだからおれの方はというような気分が見えるようですが、今後ぜひ一つ積極的にこういう運動にも参加して、それをもとにして、全般に
事故
がなくなるように御努力を願いたいと思います。
天坊裕彦
62
○
説明員
(天坊裕彦君) 仰せの
通り
でございまして、十分今後そういう部外からの運動についても一段とこちらも一生懸命やりたいと存じております。もちろん鉄道部内といたしましても適時に運動というようなこともやっておりますし、そのほか
事故
の防止につきましては鉄道独自の立場からもいろいろなことをやっておるのでございますが、そうした運動に対しても本腰を入れてやる格好が今度は足りなかったのではないかという気もいたします。
内村清次
63
○
内村清次
君
紫雲丸
の船体引き揚げはいつ完了いたしますか、その御計画を。
天坊裕彦
64
○
説明員
(天坊裕彦君) 先ほどからもお話がございましたように、大体
船内
の
遺体
は、一両日、もう見当らないという格好でございます。やはり御遺族の
方々
のお気持というものもございますし、もう数日
船内
の
潜水夫
による調べをやりまして、その後すぐこの引き揚げに取りかかりたいと、かように考えております。
内村清次
65
○
内村清次
君 先ほどの
乗船
名簿と関連もありますが、逐次の
遭難者
の生死の御発表、これが確かに時間的にも——これは御遺族の
方々
ももちろんでございますが、あるいはまたは一般国民が受けました感じというものは、まだまだ
行方不明
の
方々
がおられはしないだろうかというような感じが多分にあると思うのですが、と同時に、その点に対しては、先ほどの御答弁では、
連絡
があって、
家族
の
方々
からの
連絡
があったときにおいて、あとの生死不明の問題に対しては逐次解決をしていこう、こういうようなお
考え方
でもございましょうが、ただその
船内
に
遺体
がないということは、これは潜水をいたしましてくまなく探せば判明することでございましょうが、あるいは
遺体
がほかに流れている、あるいはほかに海底にどっかにかかっている、こういうようなことは非常な、これは
相当
捜査
上も御困難な点もありはしないかと思うのですね。だから、これと関連をいたしまして、やはり一つ、
船内
に
遺体
がないとしたならば、まず船体を可及的に早く引き揚げて、そうしてあとの
連絡
関係と一緒になって、残った
遺体
の
捜査
にやはり遺族の心を持って私はやらなくてはならぬだろうと思うのですが、それが第一点。 第二点は、やはりあのところに船体が長くあれば、
航行
上にも
相当
一つの支障がありはしないかと思うのです。それで私たちも早急にあの船体はやはり引き揚げて、そして善後
措置
をさらに早くとるということが、
当局
の一番大事な善後
措置
ではないかと思うのですが、この点よくお考えいただいておりますか。
天坊裕彦
66
○
説明員
(天坊裕彦君)
遺体
の
捜査
につきましては先ほど申し上げた
通り
でございまして、その観点から申しますならば、一応あのままでできるだけ早く引き揚げるにしても、
相当
の時日を要するのだから、あの中にもしや残っていないかという意味で、遺族の方のいろいろなお考えがあるわけですから、その線でも十分
捜査
したい。と同時に、今お話がありましたように、あのままで置いておきますことは、航路の支障にもなりますので、これはできるだけその必要な期間をおきまして、あとはできるだけ早く揚げたいというふうに考えております。
内村清次
67
○
内村清次
君 これは技術的に、引き揚げ開始から引き揚げ完了までに、どれくらいかかるものですか。
天坊裕彦
68
○
説明員
(天坊裕彦君)
現場
は非常に
潮流
が早い所でございますので、一日の
潜水夫
の
作業
が
相当
時間的に制約されるというふうに聞いておりますが、大体かかってから七、八十日あれば揚がるのじゃないかと考えております。
加藤シヅエ
69
○
委員長
(
加藤シヅエ
君) ほかに御
質疑
はございませんでしょうか——ございませんでしたら、今日はこれにて散会いたします。次回はいずれ公報でお知らせ申し上げます。 午後三時五十二分散会