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1954-04-16 第19回国会 衆議院 法務委員会 第41号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十九年四月十六日(金曜日)    午前十一時四分開議  出席委員    委員長 小林かなえ君    理事 鍛冶 良作君 理事 佐瀬 昌三君    理事 田嶋 好文君 理事 花村 四郎君    理事 高橋 禎一君 理事 古屋 貞雄君    理事 井伊 誠一君       押谷 富三君    林  信雄君       本多 市郎君    木原津與志君       木下  郁君  出席政府委員         検     事         (民事局長)  村上 朝一君  委員外出席者         議     員 山本 勝市君         参  考  人         (日本大学教授、         経済学博士)  井関 孝雄君         参  考  人         (全日本中小工         業協議会委員         長)      中島 英信君         参  考  人         (経済評論家) 高橋 亀吉君         参  考  人         (日本興業銀行         調査部長)   梶浦 英夫君         専  門  員 村  教三君         専  門  員 小木 貞一君     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  利息制限法案内閣提出第一〇六号)     ―――――――――――――
  2. 小林錡

    小林委員長 これより会議を開きます。  本日は利息制限法案を議題とし、各参考人より意見を聴取することといたします。ただいま出席されておる参考人は、日本大学教授井関孝雄君、及び全日本中小工業協議会委員長中島英信君であります。なお午後には経済評論家高橋亀吉君並びに日本興業銀行調査部長梶浦英夫君が出席される予定であります。  参考人各位には、本日御多用中にもかかわらずわざわざ御出席くださいまして、まことにありがとうございます。今回提出されました利息制限法案は、現行利息制限法の施行後の経済情勢変遷にかんがみ、金銭を目的とする消費貸借上の利息制限を調整する等の必要があるとの理由で提出されたのでありますが、本案法律として成立することになる場合には、各界に及ぼす影響はきわめて大なるものがあると考え参考人各位よりそれぞれのお立場からの御意見を承り、本案の審議に資し、本委員会として本案に対する公正妥当な態度を決定いたしたいと存じておる次第であります。参考人各位にはこの趣旨をよく御了承くださいまして、忌憚のない御意見を御開陳願いますようお願いいたします。  それではただいまより順次御意見を承ることといたします。まず井関孝雄参考人よりお願いいたします。
  3. 井関孝雄

    井関参考人 利息制限法改正について本委員会から意見を求められましたので、簡単に私の考えておることを申し述べたいと思います。  従来の旧法の利息制限法は、古い時代に定めた法律でありまして、時代変遷にこれが伴わず、不便がたくさんあつたのですが、その近い例を申しますと、私が昨年まで奉職いたしておりました国民金融公庫では一割二分で貸しておつた利息制限法では一割以上認められないので、公証役場に参りましても一側以上の公正証書の作成ができないというような事実があつたのであります。この点改正されたことは時宜に適したものと思います。古い利息制限法は、その当時私が考えておりましたのは、撤廃してなくしてしまう、もしくは改正するという二つの方法だと思つたのです。今回法務省からこの改正案が出て参つた。この改正案単独にそれ自体切り離して見ますると、そういうふうな点において改正されたことと私は認めるのでありますが、それだけでなく、現在大蔵省出資受入預り金及び金利等取締に関する法律案というのが別に出ておりますので、これと関連しての考え方を述べないと、これ単独ではどうも論ぜられない。この両方を関連して考えますのには、どこが問題になるかと申しますと、第一条の金利の問題、それから第四条の延利の問題、それから附則の第三項の百十七条の問題、この三つに帰着すると思います。この三つの問題を論ずる前に、私は前提として一、二の基礎的の考え方をこの法案からくみとつてみる、また私の意見を申し述べてみますると、利息制限法自体は、特別な事業として金貸し事業というものを認めるか認めないかということが第一に関係する。大蔵省出資受入預り金及び金利等取締に関する法律案におきましては、この立法趣旨説明書を読んでみましたところが、一応特別な事業としては認めておるようであります。それは利息制限法以外の特別な利息を認めておりますが、しかしその根本考え方は、大蔵当局が出した案は、利息だけを特別な事業としてこの金貸し業に対して認めているというだけで、他は全部禁止しております。今まであつた貸金業等取締に関する法律というものを全部撤廃しておる。そうしてみますと、利息制限法では貸金業というものを、特殊なものは一応は認める。大蔵省のこの出資に関する法律案で、金利は第一次的に認めておるのでありますが、自由営業としては特殊なものとして認める。しかし立法趣旨は、ほかの金融業にも一応適用するし、民事、商事両方とも適用するのでありますから、特殊な法律とはいえないと思います。それから大蔵省はこの法律案で、他人受入れの金を禁止しておるわけです。自己の金を出して貸すのであるならば、金利の拘束を大蔵省の方で特に干渉する必要はないので、これは利息制限法へまかしておけばいいという考えも起きるのですが、この二つ法律が、そういう根本的なものがはつきりいたさないというように私は考えるのであります。この根本考え方附則の第三項にも関係して来るのでありまして、特別な事業として認めるならば、大蔵省出資受入預り金及び金利等取締に関する法律案というものは、特殊の法律となつて一般法より先行するということになつて、この方が有力になるのでありますが、これは今のところは併用するわけであります。それから業として認めるようになれば、各国立法例を見てみましても、利息制限法適用から除外するのがほんとうだと思います。各国立法例を見ましても、質屋その他はアメリカのスモール・ローン・アクト、英国のマネー・レンダー・アクトも、みな利息制限法からは特殊なものとして除外しておるということが見られるのでありまして、この根本の問題をはつきりする必要があるのではないか、こういうふうに考えております。  それからもう一つは、利息制限法高利取締法というのは、発達の径路から申しましてどういうことから起きたかと申しますと、昔主として消費貸借だけで、商業企業も発達いたさない時代に、生活資金消費貸借影響を及ぼすという考え方から、この利息制限法が生れて参つたのであります。中世に至りまして、われわれ金利を研究しておる人間がいつも引合いに出す中世教会法学者トマス・ダギノは、十字軍以後商業企業が発達いたしましたので、相当の高い利子を認めなければいかぬというので、公平なる利息というものを認めることになりました。今までのように利息を禁止するという法律でなしに相当な利子はとつてもいいのではないかという考えになつて参つたのであります。要するにこれを営業として認め、商業その他企業が発達いたしますと、その企業利潤があるのでありますが、生産資金にまわす以上は企業利潤と同じように、金利というものは認めなければならぬのじやないかという考え方になつて参つたのであります。  それで、利子というものは一体何から支払われているかと申しますと、企業利潤でございます。投資した企業利潤から払われる。消費資金の場合は消費に使われ利潤を生まないから、生活資金は、そういう無知または困苦に乗じて不当な利息をとつてはいかぬという制限はありますが、商事の場合は利子はそういうふうに企業利潤によつて生れるのでありますから、企業利潤範囲であればさしつかえないという考え方にかわつて参つたのであります。従つて従来の法律も、今度の改正法附則第三項の第百十七条、商事に関しては利息制限適用しないという法律各国とも生れて来たのではないかというふうに考えております。最近の例から見ましても、有名な英国経済学者のケインズは、利子はどこまでを最高限としてきめられるかと申しますと、資本限界効率、つまり投資した資本がどのくらい利潤を生むか、その利潤を生む範囲利子最高限だ、それまでは払い得るのじやないかというのが、利子決定の学問的の基礎になつております。これは需要供給関係もありまして、大口資金の方は供給が多いでしよう、小口の方の危険負担の場合は供給が少く需要が多いのであります。一般営利銀行なんかでは、危険なものは自分事業から除外している。たとえば農業に対する金融長期にわたり、農業というものは生産利益は薄いものである、従つて低利でなければいかぬので、農業金融というものは特別に農林中央金庫をこしらえて、自分の方ではやりたくないので金融市場からはみ出している。それからもう一つ長期信用銀行、不動産の銀行です。これも自分の方でやりたくないというので、別な金融機関長期信用銀行でやるというので、そういう長期にわたる危険性の多い低利のものは自分仕事から除外している。それから大きい事業開発や創業をやるものは開発銀行でやることにして、そういうものは危険性が多いので、自分の方の営利金融機関から除外している。中小金融零細金融もその一つでありまして、一般金融機関からはみ出している。理想的に申しますれば、予算さえあればこういう零細金融などは国家でやるべきものだというふうに私は考えておりますが、現在の日本財政状態で、中小金融零細金融まで込めて国家の経費でやるということは、おそらく経費的にできない、またやるといたしましても、郵便局のように窓口をたくさんこしらえて、今営業者がやつておるようにすみずみまで、かゆいところに手が届くようにはできないと私は思う。国民金融公庫でも今度五万円までの貸付をやりますが、現在の人手と資金量では、一般業者の方がやつているようにそうすみずみまでも、かゆいところに手が届くようなやり方はできない。現に日掛集金に行くというようなことは当然できないと思います。従つてやはり現在ある業者を利用して行くことになるし、またその必要があるのじやないかと思います。現に公益質屋がありますが、公益質屋貸付資金量よりは普通の質屋貸付資金量の方が多い。それから、政府事業としてやります仕事には限界がある。こういう仕事では利益一緒積極性が出て来るのでありますが、公務員の制度であるために奨励金もなし、特別な賞与金もない。一生懸命にやつた者も一生懸命にやらない者も、年限が来たら大体同じように昇進して行くような公の機関としては、こういう事業はなかなかやりにくいし、成績が上らぬというように私は考えておるのです。  いま一つ申し上げたいのは、この利息制限法の提案の理由説明書にも書いてありますが、一般中小企業が正規の金融機関から締め出されて困つておるから、低金利で――日本事業は高金利で困るので、事業を発達させるには低金利でなければならぬ。これは現在日銀、大蔵当局考えておる低金利政策で、私は一応ごもつともな話であると思う。低金利に越したことはない。ところがこれらの人は一般のそういう金融機関では不十分でありますから、営利金融業者のところへ参るのであります。だが、一体借りる方がいつも弱者であるかどうか。この説明書でも一応そういう解釈がなされておりますが、借りる方が必ず弱者だということは私はいえないと思う。これは零細金融の場合、消費資金とすれすれの、いわゆる生業資金生活資金営業資金とが一緒になるような、五、六万円か七、八万円以下の金融の場合にはあり得ると思う。しかし大きい金融の場合はそういうことはないのであります。金融業者の中には二口ありまして、大口手形割引で何十万以上何百万もやつておるところと、小口の零細なもの、五万円以下くらいのものを主としてやつておるところ、この二つにわかれます。現在の業者を調べてみますと、組合員全部で一万二千のうち、その七、八割までは零細な、五万円以下の貸付をやつておる。質屋と同じような事業をやつておる。残りの二、三割が大口なんです。大口の場合は借手の方が強いのです。現に先年の手形の不渡りのときに、日本建鉄や津上製作所あたりは何千万円も貸し出して損害を受けておる。また現在の金融恐慌によりまして、金融業者は倒産のために損書を受けておる。こういう大きい業者は、もう事情を知つてつて知り抜いた上で、いわゆる世間で高利貸と申します金融業者のところに来るのです。行き詰まつて倒れたときには、この高利で倒れたように申しますが、実際はその前に経営的に行き詰まつております。経営のまずさから経営が行き詰まつて最後に泣きつくところがなくてそこへ来ておる。そういうものはそろばんをはじいておるのです。すいも甘いも知つて来るのです。だから一番むずかしい金融業は、おそらく銀行から貸し出さない五、六十万から七、八十万、百万以上の金を借り歩く人間が一番危険であると思う。つまり中小企業金融公庫あたり対象にする階級が一番危険である。これは金融の技術にすれておるのです。つまり金融に対してはすれつからしなんです。その連中が来るのでありますから、こういうものまでも一応対象にして保護する必要はないと私は思う。保護さるべきものは、さつき申しましたように零細金融業者無知または困窮に乗じて不当な利子とつたというものに限られておると私は思う。従つて大口の方は自由に営業させてもいいのではないか。たとい一時高い金利の金を借りましても、安い金利の金とまぜ合せて使つておる。金融機関もそうであります。金融機関でも年七分三厘か、七分五厘で商工債券とか、興業債券とか、農工債券などを出しておりますが、こういう金利ではとても高い。募集費なんか入れるとおそらく八分くらいにつくでしよう。そういう金利預金着の安い金利両方入れてまぜ合せて使つておる。事業におきましてもそうで、金貸しだけの金利で商売をやつておるということはないので、最後手形落ちとかなんとかいうので半々に使う場合が多いのです。そういう階級の人までもこの法律によつて保護する必要はない。あくまでも零細な下の方の小口だけを保護すればいいのではないかというふうに私は考えておるのです。従つて根本方針はそういう方針のもとに行くべき性質のものではないか。従つて第一条の十万円未満の場合、これを問題にすればいいと思う。十万円以上百万円まで、それから百万円以上の場合は、私はなくていいのではないかと思う。さらに極言いたしますれば、無知または窮迫に乗じて不当な利益をむさぼるという従来の抽象的な考え方で一応解決がつくのではないか。特に零細な業者の場合は、私は別に意見を申し上げますが、零細な業者の場合は最低資本金をきめてやはり事業化してやる以外に道はない。集まる資金が多ければ金利が安くてできるし、また他人資本の安いのを導入すれば、コストが安くなるから安くできると思いますが、現在のようないわゆる零細企業質屋にしろ、小口貸付にしろ、五、六十万円から六、七十万円というのが普通の資金状態でありますが、これが零細な手数のかかる貸付をやつておる。質屋の場合も、今度の出資受入れ預かり金におきまして同じ法律を認めて日歩三十銭でありますが、質屋の場合は一応倉庫に入れて担保をとつておる。しかし小口貸付の場合は、日掛でやる場合は集金に参りますし、担保はとつておりませんので調査をしなければならぬ。従つてこの三十銭よりは幾らか高くやらなければ、おそらく経営が成り立たぬであろう。もつとも資金が零細でありますから、資金の最低限を法律できめるようにすればもう少し安くやれるのではないかと思う。その意味からも業者資本をもう少し高いところにきめて、営業ができるようにして、一応安くする必要がある。私はかように考えております。  それから第四条の延滞金の問題ですが、大蔵省事業として許す場合の日歩三十銭というのは、一応利息制限法でも認めております。ところが延滞になりますと、この利息制限法によりまして、第一条第一項に規定する二倍――だから元本の百万円以上の場合を例にとつてみますると、日歩が四銭一厘になるわけです。これを倍額にいたしまして八銭二厘になるわけでしよう。ところが貸すときは日歩が三十銭であります。そうすると悪質な業者は、故意に延滞して訴訟に持つて行こうとする弊害が起ると思う。ですから三十銭を認める以上は三十銭以上の延滞金でなければ、私はこの延滞金効果は発生しないと思う。これは特に業者の場合まける場合もあります。実際はとらない場合もありますが、一応規定としてこの低い延滞金をきめるということは、かえつて延滞を増して悪質の借受人を保護するということになつて、かえつて逆の効果を生ずるのではないか、やはり一方大蔵省の方で業者日歩三十銭以上の利子を認めている以上は、三十銭以上の金利を認めている以上は、三十銭以上の延滞日歩を認めないと、一応悪質延滞者を防ぐことにはならないと私は思う。国民金融公庫では先年日歩三銭三厘ですが、一割二分をとつてつたときに、十銭の延滞金とつた――まあ四銭、五銭という延滞金が普通でありますが、戦争後金利が高くなつたので、日掛十銭をとつた。これを改正したとき、どうも体裁が悪いし、かえようと思うので、貸付の事務を扱つておる現場の人間意見を聞きますと、これでなければ延滞がふえて困る、四銭、五銭では延滞がふえて困るというので、反対を受けたことがございますが、しかし現在では日歩五銭に延滞日歩を下げました。もつとも初めの貸付金利の方も一割に下げましたので、延滞金も下げましたが、いずれにいたしましても貸付金利よりは延滞は高くとれる、もしくは同等以上とれるということでなければならぬと思います。英国の一九二七年に出した貸金業法あたりも、むろん延利貸付金利以上にとれるということを契約書の中に書くことを認めておるのであります。  それから最後に、さつき申し上げました附則の第三項の百十七条の削除ですが、これはやはり商事に関しては、さつき申し上げましたような前提のもとに、一般業者ではない事業として認めたという以上は、商法として、さつき言うように利息というものが企業の投資の限界効率によつて自然にきまるのでありまして、そろばんをはじいてやる人間が多いのですから、大きい金融の場合はこの必要はないと私は思う。これを商事方面から削除するのがいいんじやないか、商事方面には適用しないということにして、利息制限法から適用外に置くことがほんとうじやないか、私はかように考えます。以上私思いついたままを申し上げました。何か御質問がございましたら、お答えいたしたいと思いますが、一応これで私は打切ります。
  4. 小林錡

    小林委員長 これにて井関参考人意見の開陳は一応終りました。井関参考人少しまたお待ちを願います。  次に中島参考人にお願いいたします。
  5. 中島英信

    中島参考人 私ただいま御指名いただきました全日本中小工業協議会委員長中島でございます。  この利息制限法につきましては、現行利息制限法の中には、実情に沿わなくなつて来ているものがあるということははつきり認められると思います。その点ではこれは改める必要があるということはかなり明白であるのでございますが、ただ問題としてはこういう法律が必要であるかどうかということ、もし必要であるとすれば、どういうふうに改正したらいいかということが出て来ると思います。それでもし利息制限法を持つて行くということになりますと、この案の中で問題になる点は、やはり第一条が最も主であり、なお今井関さんも言われましたように、附則の第三というのが問題になるんではないかと私は思います。一応問題の点を三つあげて考えたいと思いますが、一つはこの法律案の意義と申しますか、この法律案の持つ性格なり効用の問題、あるいは特に他の法律との関係の問題であると思います。第二番目にはこの法律金利はつきりと数字をもつて規定して行くことが適当であるかどうかという問題であろうと思います。第三は実際のここにかけられる利子の率の問題、利率がどの程度のものならば適当であるかという問題があるかと存じます。  第一番の問題でありますが、これはこの法案説明の中にも出ておりますけれども、現在金利関係に関する法令としては、臨時金利調整法がございますし、なお現在国会に提出されております出資受入預り金及び金利等取締に関する法律案というものもございます。これらの関係がどうなるかということが一番問題であると思います。もしこれを――もつともこの点について私は法律専門家でございませんので、法の理論上の点については私の申し上げるべき点でないと存じますが、この説明によりまして、そのように解釈ができるといたしますと、一応この利息制限法限度内の利息は、裁判所に訴えて請求して保護を受けることができる、この限度を越えて日歩三十銭までの利息は、裁判所に訴えでもつて請求することはできないが、刑罰制裁は受けない、三十銭を越えると刑罰制裁がある、こういう関係適用される。ある意味において一応出資受入れ等に関する法律案の方はこれと並んで、あるいはときにはこれに実際的には優先して、適用されるような形になると思うのであります。もう一つ臨時金利調整法との関係はやはりこれも大体並行して適用されると思うのでありますが、しかし今の出資受入れ等法律案と準じて一応行政官庁がこの行政監督上の金利最高限度を定めることは、この利息制限法趣旨をそこなうものでないというふうになりますと、実際上にこの利息制限法適用される範囲というものは割合に狭い範囲内であると考えるわけであります。つまり金融機関あるいは貸金業貸金業も広い意味金融機関であると思いますけれども、そういつた貸金金融を業としておる人たちの金を借りる、その人たちが金を貸すといつたような場合よりも、むしろ個人的な貸借関係の面に一番強い意味を持つて来るというふうに考えられるのであります。その意味では、利息制限法といいましても、非常に広く、実際的には日常生活なり日常の行為においては、一般事業を営んでおるもの、あるいは金融機関等に直接的にこれが働いて来るという点は非常に少い。その意味では、ある意味効果のかなり薄い法律であるというふうに考えられると思うのであります。つまり非常に限られた範囲内において一つ意味を持つて来る。つまりある程度経済的な知識もない人間が金を借りる場合、利息に関するいろいろな常識なり基準というものがなくて、そのために不当に不利益を受けるという場合に、これを保護する面で若干の役に立つであろうが、それ以外に意味があるとすれば、国家の意思、国家考え方として、利子というものは少くともこの程度以下のものでなければならぬということを表示し、あるいは宣言するといつたような意味、つまり金融あり方の基本的な考え方がここで表明されるという程度意味になるのではないかと思うのであります。そういう意味では、この法律あり方というものは、ある意味では絶対的に必要な法律であるというふうにも考えられない点がもちろんあると思います。ことに民法その他にはやはり一応公序良俗に反する利子をとつてはいかぬという規定もあるのでございますから、その意味では重要性はかなり薄い点もあるかと考えられます。しかしあつて悪いかというと、ある程度効用を持つという程度考えられると思うのであります。  第二番目の問題の、法律によつて国家はつきりと率をきめることがいいのか悪いのかということはかなり問題になると思うのでありますが、この点は、利子というのは実際上非常に動きやすいものでありますので、そういうものを法律できめるということはなかなか困難な問題であるということが第一に考えられます。特に現実にどういう金利が実際に存在しておるかということになりますと、非常に高いものも非常に低いものもあり、また非常に複雑になつておるわけであります。しかもそれが絶えず動いているわけでありますからして、その意味ではなかなかこういうものは、法律の条文の中にはつきりうたうということは実際面にはいろいろな障害を生ずる場合もあります。つまりあまり高ければこれは問題を生じないかわりに、利息の方向を場合によつたらやはり高い方に持つて行くという結果も出る、あまり低くきめれば、これは実情にそぐわないために違反の問題がたくさん出て来るといつたような問題を生じると思うのであります。ただこれをきめることによつて、いわゆる弱者の立場に立つている借手が一々裁判に訴えて処理するということは、実際問題として困難である、そういう面において一つの役割を持つということが考えられるわけであります。ただその場合に、普通われわれにしてもそうでありますが、その裁判に訴えるということはなかなか困難な問題でありますけれども、その裁判が一応の裁判の方式ができればこの場合はもちろん別になると思います。たとえば家庭裁判所のようなものがあるわけです。労働関係であれば諸外国にも労働裁判所のようなものがあるし、日本にも労働委員会のようなものがある。この場合には、なかなか法律の手続であるとかその他に暗い人間であつても、実情をはつきりして訴えて来れば、それが十分に保護されるというような面もできるわけでありますので、そういつたようなことが可能であれば、必ずしも明確に法律の中に率をきめなくても済むといつたようなことになるのではないかというふうに考えるわけであります。  第三番目が私は一番重要であると思いますので、その点について若干考えてみたいと考えます。つまりそれでは利子はどのくらい――かりにこの法律をきめるとした場合この第一条によりますと、元本が十万円以下の場合は年二割、元本が十万円以上百万円以下の場合は年一割八分、元本が百万円以上の場合は年一割五分というふうになつておりますが、この率が妥当であるかどうかということは、私は一番大きな問題であると考えておるわけであります。先ほどちよつと申し上げましたように、これはあまり高過ぎても、低過ぎてもいけないわけでありまして、実際の率というものは、利子というものは非常にたくさんあつて、かつ動いておる。それで一応この法律が全般的に個人的な貸借、金融機関の行う金融全体を包含して一応適用されるわけであると思いますが、そういう観点から見た場合に、これが実情に対してどういうことになるかということを最初見てみる必要があります。現在はどういうことになつておるかと申しますと、私は個人的な貸借の場合と金融機関による貸借の場合とわけて考えなければならぬと思いますが、一番低い場合は、個人的な貸借の場合においては、利子のない貸金というものは相当に行われておることはもちろんであります。私らは事業の面で、事業体で金を借りる場合は別として、個人の場合に金を借りたり貸したりする場合は、ほとんどないわけでありますが、友人とか知合いから頼まれて金を融通する場合があるとすれば、実際上利子をとるということは絶対にないと言つてもいいことになるわけであります。おそらく普通の場合に、純粋の友人関係、あるいは知合い関係で何か余裕があつた金を貸してやるといつた場合には、利子なしで金を貸すということはしよつちゆう行われることであります。つまりこの場合は、利子をとるということはとうてい考えられないという立場をとつておる人は、相当多いわけであります。しかしそういう純粋の個人の間の場合であつても、やや長期になる場合とか、あるいは自分の方でも余裕があれば、実際は必要であつても、借り手の方はもつと必要である、だから自分の方で必要な金であるが、幾らかまわしてやる、それがある程度大きな金額になり、ある程度長期にわたるという場合には、たとい個人の場合であつても、そこである程度の犠牲を負うことになりますから、それを補償する意味での利子ということは出て来ると思います。そういう場合に何が基準に考えられるかといいますと、その場合には、その金を普通の金融機関に預けておいた場合にはどの程度利子がとれるか、あるいはこれを生産的な面あるいは投資的な面にまわした場合にはどの程度利潤なりあるいは利益を生むことができるかということが、やはり私は一つの基準になつて出て来ると思いますが、その場合に私はそう高いものは出て来ないと思います。つまり普通の銀行金利子というものは、今日ではもちろん非常に低いものであります。それから普通に生産事業を営んでおる場合の純利益率というものが一割を越える場合は非常に少いと見てよろしいと思います。今日大企業で非常に高率の配当をしておる場合においても、実際の利回りというものは、もちろんそう高いものではない。そういう意味で、そういつた見地から考えた場合には、この場合に利子考えるにしても、もちろんこれは私は非常に低いものになると思うのであります。ですから、そういう個人的な貸借の面を考えた場合には、利子というものはできるだけ低い線に押えることが妥当である。この場合にはそういつた見地から見て、私は普通ならば一割以下くらいでいいところだというふうに考えるのであります。ただこの法律が実際的に一応はその全般に適用されるということになりますと、実際は金融機関でとつておる利子の問題に触れて来ると思います。つまり実際における金融の状況及び動向と深い関連を持つて来ると思うのであります。この場合に出資受入れ等に関する法律案でもつて一応三十銭という線が出ております。現状ではいわゆる貸金業で行われておるところの利子というものは、三十銭から、高いところは五十銭くらいになつておるのが普通であると思います。こういうものと比べた場合には、これはとうてい利子の差というものはあまりはなはだし過ぎて問題にならぬと思います。三十銭にいたしましても、これは十何割かになるわけでありますから、非常な差があつて、これはとうてい問題にならない。それから普通金利がいわゆる金融機関という名でもつて統制されておる場合はどうなるかといいますと、この中で比較的金利の高いものの認められておるのは信用金庫とか信用組合であると思います。ことに信用組合は比較的高くて、大体現状では五十銭くらいまで認められておる。この場合に一番問題になるのは、信用組合との利子関係であると思うのでありますが、信用組合にもいろいろのものがありまして、非常にある意味で原始的でもあり、また非常にこじんまりした信用組合の場合には、普通の金融機関よりもむしろ利子が低いということもある意味において可能でもあるし、また建前でもあると思うのです。しかしある程度の規模をもつて運用されている信用組合の場合には、逆に高くなる。これは金を集める関係あるいは貸出しの手数その他の面から見て私は逆に高くなると考えます。つまり信用組合の中でもほとんど自己資金を使つているような信用組合、しかも有給の役職員を持つていないような信用組合であれば、経費は非常に少いわけであります。こういう場合には資金のコストはかからないし、貸付のコストもかからない。その他経営のコストもかからない。従つて高い利子を必要としないということになるかと思うのであります。ただ現在の日本の信用組合というものは一定の限度の資格を持たなければ認可されない関係上、割合に規模が大きくなつております。この場合に実際においては預金を集めるために、かなり手数を要しておるというような関係から高い利子が認められているわけであります。もしそういう形の信用組合を一応頭に置いて考えるならば、これは貸金業の面と多少近づいている性格を実際は持つておるのであります。つまり貸金業の中にも日掛でもつて金を徴収しているような場合には、これはその面において非常にコストがかかるために高い利子をとらなければならないことになつて来る。そういつた面では共通のものでありまして、もしも貸金業関係を別途に考えるならば、信用組合の場合も従つて別途に考えなければならない性格だろうと思います。その意味ではこれは一応別に考えた方がいいと思います。そうしますと、信用組合等を別にして考えて、普通の金融機関利子考えた場合には、現在においてはやはり年少くとも一割五分以内で押えられることはできると思つておるのであります。ことに日本金利は非常に高いのでありまして、スイスのように高くても年三分五厘くらいの金利になつているといつたようなものに比べて、日本銀行金利は非常に高くなつている。スイスあたりは、普通の金融機関で最も安いのは二分以下のものもあるようでありますが、そういう状況から見ると現在の日本の普通の金融機関における金利も非常に高くなつている。最近は経済情勢関係からインフレ措置のために高金利政策に転ずる必要があるという意見も出ているのでありますけれども、一方には高金利にすれば当然コストが高くなるという意味で、物価の面には逆の作用を起す面もある。全体的に日本の経済を再建して行く方向からいうならば、私はやはり金利というものをそうむやみに上げて行くべきものではないと考えるわけであります。そういう観点から見ても私は利子というものはあまり高いところへ持つて行くべきではない。従つて従来一つ制限があるものを高くするということは、利子の方向を高い方へ持つて行くということになるわけでありますから、そういう意味での改正というものは、この際相当に慎重に行わるべきではないかというふうに考えるわけであります。そういう見地から考えました場合には、私はやはり従来は最高一割五分になつてつたのでありますけれども、ここでぜひこれを二倍に上げなければならない理由は納得しがたいものがあるわけであります。もちろん先ほど申し上げましたように零細金融の問題は一応別と考えての話であります。  最後に以上申し上げましたことと関連するわけですが、そういうような観点から行きまして、附則の第三の問題は、先ほど井関さんからもお話がありましたように、金利の問題でたくさんの法律が競合して、その間に混乱を生じて来るということは、あまり適当でないと思いますので、やはり業として金融を行つておるものに対して適用されるものと、そうでないものとは区別した方がいいと思います。そうでないとその間に非常に混乱を生ずる。つまり利息制限法ではある一つ利子をきめるけれども、臨時金利調整法による金利の統制とその他の法律による金利の統制というものが非常に入り込んで来て、ここに問題を生ずる可能性が非常に多い。その一つの例は、先ほど井関さんが国民金融公庫のことについて御指摘になりましたが、そういう問題の生ずる危険性がかなり多いと思うのであります。こういう関係からいつて、この附則の第三は、むしろ削除した方がいい、現在の通りがいいのではないかというように考えるわけであります。  簡単で粗雑でございましたけれども、私の意見を終ります。
  6. 小林錡

    小林委員長 これにて井関参考人及び中島参考人の御意見の開陳を終ります。  この際両参考人に対する質疑があればこれを許します。
  7. 田嶋好文

    ○田嶋委員 ちよつと井関さんにお尋ねいたします。根本問題になるかもしれませんが、私は利息制限法の問題で今日考えなければならないのは、日本における貸金業自体を認めることの可否の問題が大きく浮んで来るのではないか。こんな法律をつくるよりも、むしろ貸金業を絶対に禁止してしまうということも、現在の経済機構の上からいつて考えられると思うのですが、貸金業の禁止の可否についてお尋ねいたします。
  8. 井関孝雄

    井関参考人 これは申し落したのですが、各国の例から申しますと、利息制限法というのは問題になつておらないのであつて、むしろ貸金業をどういうふうに処理するかというただいまの田嶋さんの御質問が各国で問題となつておるのであります。これは長い間各国とも問題になつておる。利息を不当な安いところできめますと、設備のない業者、机と事務所だけなんですから、ほかの事業に転業しやすい。それで引合わないならば、貸金業をやめて、ほかに転業する。民衆のためにいいという利息制限をこしらえましても、かえつて逆な結果を生ずる。これは米国において一度あつた例であります。で、むしろ利息制限法でなしに、小口貸付事業として認めるかどうかということが、ただいま田嶋さんの御質問のように問題になつた英国は千八百九十何年かに貸金業を認めましたが、一九〇〇年に訂正しております。それでは金額に制限はなく、年利四割八分まで認めたのです。これは普通利息三分と見て十六倍。それから米国では一九〇六年に初めて小口貸付を認めました。これは三百ドル以下の貸付ですが、年利四割二分、三分と見ましても十四倍であります。日本の今の金利を七分と見れば、年利八割四分を認めることになる。だから相当の金利を認めないと小口貸付はできない。それから利息制限法の第一条から見ましても、普通信用組合の場合は今五銭です。それから預金があつて、それを見返りにして貸すときには三銭五厘か四銭で貸す場合もあります。五銭といたしますと、元本が十万円以上百万円未満の場合には一割八分で四銭九厘でありますから、五銭の場合はたとい正規の金融機関でもひつかかるわけであります。そのほかに持株を持たされております。それから定期預金か何か入つてくれということを勧誘されるのでありまして、おそらく五分以上についていると思います。信用金庫の場合はそういうふうになつて金融業者の場合は全面的に資金受入れを禁止されている。まるつきり金利だけでなければいかぬわけですから、ほかの見合い預金とか何かは禁止されておりますから、これは大蔵省でやかましく通牒を出しておりますが、それにしてもやはり定期預金は自分で積み立てたように擬装して、実際制限ができない。安い資金を別に受入れても、総合計算すると五分以上についている。そういうふうでありまして、一応零細な金融業は、私は事業として認めなければいかぬと思う。今の大蔵省出資受入れその他において認めたような認めぬような態度で行つておりますけれども、これはいろんな問題を起してやつかいだから、なるべく自分の方ではやりたくないという考えだと思うのですけれども、日本国全体としては、一応この問題を解決せぬと、利息制限法は、むしろ私は今までの法律利息のところをもう少し上げるか、今中島さんが言われたように、利息をスライデング――かわるのですから、はつきりと固定しないでぼんやりと置いてやるかしたらどうか、それは多くの場合調停裁判や何かで済むのですから、いろいろな問題は起きて来るでしようがそう大きい問題はないと思う。不当に高いものだけを押えるというので、利息制限法一本でなしに、むしろ両方を認めるというように各国立法例が行つておると考えております。
  9. 田嶋好文

    ○田嶋委員 同様の質問になりますが、中小企業の立場から中島さんに……。
  10. 中島英信

    中島参考人 これは理想といたしましては、中小企業の立場から言いますと、やはり低い利子の金を借りることができれば、私は一番いいと思います。この点はもちろん問題はないと思いますが、そのための方法といたしましては、やはりそういう零細金融機関を整備して行くということが必要だと思います。その方法は、一つ国民金融公庫であるとか、そういつた零細金融を扱う国家的な金融機関を拡充するのが一つだと思います。もう一つは、大銀行等においてもやはり金融機関の採算を無視して、また銀行経営の健全性を阻害してまでも行うということは実際上困難だと思いますけれども、やはり金融機関の公共性という点から見まして、できるだけ零細金融面を行うということは当然の線だと思います。もう一つかんじんな点は、中小企業特に零細企業の面において大きな役目を持つているのは協同組合的な金融であると思います。つまり信用金庫あるいは信用協同組合でありますが、こういつたものをもう少し拡充して行くことが必要であります。この場合に百要点になりますものは、零細企業の組織化という点が基本的に一つ必要だと考えます。日本中小企業対策の中で組織化方策といつているのは、事業協同組合的なものに主として向けられておつて、非常に片寄つております。これは英米とヨーロツパ大陸とで違いますけれども、ヨーロツパ大陸におけるその方面の組織化方策というものは、主として零細企業に主点を置いた地域的な組織を、法令によつて促進しているというのが、ヨーロツパ大陸における中小企業特に零細企業組織化の方向であると思います。イギリスとアメリカは若干違いますが、一応その線を基本に持つて、それと関連して協同組合的な金融の線を拡充するというのが私は基本的な線であるというように考えます。私はこれが一応方向であると考えるわけであります。ただ問題は、現状において中小企業にはある程度自由業的な性格もありますしいろいろありますから、これを完全に一つの統制的な経済のわくの中に入れるということは困難な面があるという点は認めざるを得ないと思います。従つて将来においても現状においても、やはりそういつたものの中に完全に包含し切れない零細企業というものがある程度出て来ることはやむを得ない。この町にこの貸金業の存在の余地とか理由というものを、やはりある程度認めざるを得ないと思うのであります。そういう基本的な対策なしにこの貸金業を否認するということになりますと、かえつていろいろな種類のやみ金融がふえて来るだけであるという意味からいたしまして、やはり現状においても貸金業というものは一応存在の理由があるので、それに応じては、先ほど井関さんがおつしやいましたように、特に貸金業をどういう方向に持つて行くかといういろいろな措置が必要ではないかというように考えるわけであります。
  11. 田嶋好文

    ○田嶋委員 そうすると、これはうがつた質問になるかもしれませんが、結局貸金業の必要性から来るということになると、貸金業をつぶしてしまうような形における立法は、かえつて中小企業、それからそうした業者のためにならないというように考えられるわけでありますが、この立法の上から、この立法が通つた場合、業者が成り立たないという心配のある条項がおありになるでしようか、この点も御両所から伺いたい。
  12. 井関孝雄

    井関参考人 今の御質問ですが、この業法だけを単独に切り離してでなしに、出資受入その他の方で三十銭が認められております。零細金融はこれではやりにくいと思います。もう少し五銭かその辺じやないかという気がするのですが、大きい金融の方は一応三十銭でもやれる。おそらく二十五銭か三十銭ぐらいで大きい方は貸していると思います。出資受入その他の方で三十銭が認められておりますから、この利息制限法だけでなしに、ほかの方と比べ合したら、事業としては利息をもう少し零細金融にまわしてあげれば私はできるのではないかと思います。しかしこの一条を厳格に使うということになると、さきに申し上げましたように、正規の信用組合でさえこれに牴触するおそれが多いと思う。そこで業者としては非常にやりにくいと思います。  もう一つ第四条の特に延滞納、これはもう根本的に逆に行つているのでありますから、この延滞利息出資受入等の法律案で許した利子以上に認めなければ、延滞の何にはならないですから、将来受入れられるべき予測の利子が入らぬのですから、それだけ金を寝かしてしまうのですから、それ以上の金利はやはり認めてやらなければいかぬというので、四条は改正しなければならない。  それからそういうことから考えて、附則の第三項の百十七条を生かして、商事の場合は業者を認めて、業者の場合はこの制限適用しないということを生かしておけば、この制限法で私はいいのではないかと考えております。
  13. 中島英信

    中島参考人 貸金業関係の面につきましては、私の考えは今井関さんのおつしやつたのと大体同じであります。つまり零細企業者の中には貸金業を利用しなければならぬものがやはり実際にはあるわけでありますから、その面では貸金業が必要だ、その場合に貸金業関係に対しては、出資金受入れ等法律がもしこの国会を通過してそれが実施されるなり、あるいはもし通過しないとして現行貸金業法が生きるといつたような場合には、そちらの方面においてこれは規制される、従つてこれは一応この法律とは別になる、こう考えます。今の御質問で、私先ほど申し上げなければならなかつたことで大事な点を一つ落したものでありますから、特にはつきりと申し上げたいと思いますが、先ほど私が申し上げましたのは、問題になるのは信用組合の金利でありますが、信用組合の金利も、貸金業零細金融をやつているという面では同じであるという観点から、これを切り離すことができるならば、この利息制限法にきめる利子は、できるだけ低い方がいいということを申し上げたわけであります。つまり信用組合の関係の方が臨時金利調整法によつて規制されて、それの方はこの利息制限法の拘束を受けないということであれば、この場合には利息制限法利子はできるだけ低くきめた方がいい。それからそれをこの際、今上げなければならないという理由は認められないという考えです。もしもこの利息制限法がそういつた面まで拘束するということになるならば、多少別の問題が出るのであります。つまり零細金融の問題を解決して行くためには、現存の金融機関並びに協同組合的な金融を行つている面において、金利の体系に弾力性を与えるということがどうしても必要な状態にあると私は考えるわけであります。もしその点に考慮が加えられるならば、現在の協同組合金融というものはもつと伸びて行くと思います。その意味においてこの利息制限法の率の問題は、非常に深い関係を持つておると思うのであります。ですから重ねて申し上げますが、今のこの法律がどの程度臨時金利調整法との関係を持つているかということが一番の要点であります。もしも臨時金利調整法関係資金は別個に、信用組合の利子に対して適当な弾力性を与え、ある程度改正を加えることができるということであれば、これは低い方がよろしい、そうでなしにもしこれを拘束するということであれば、一割五分では実際上零細金融の協同組合金融の方は困難であるということになります。
  14. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 これはめんどうな名前だが、金利取締法が今できようとしております。それから現にありますのは臨時金利調整法ですが、これはあなた方の今の説明と私は大分考え方が違うのです。特別法として基本法であるこの利息制限法を排除するというお考えですが、われわれはそうは考えていなかつた取締るものですから、取締りのためにつくつたのですから、これ以上のものをとつたら取締るぞ、これ以下のものは取締まらない、こういうだけであつて、この法律まで排除する効力のあるものとは思つていなかつたのですが、この点はあなた方の説明には何かもつと理論的の根拠があるのでありますか。われわれはやはり取締りのために、捨ておけばどんな大きなことをやるかしれぬから、これ以上やつたら罰する、それ以下のものならば罰しない、不問に付する、これだけのものだと思いますが、これに対する私どもの考えが間違つているならば蒙を開いていただきたい。
  15. 井関孝雄

    井関参考人 私も先ほど申し上げたように、並行して行われるものだと思つております。これは出資受入れの法が優先して、制限を排除するものとは思つていない。しかしこれが両方並行するとしたら、先ほど申し上げましたように、訴訟に持ち込んで行つた方が得だというような状態が起きる。片一方で高い金利をとり、片一方では貸した金利より低いことになります。ですから私どもの解釈によれば、業者は立ち行かぬということになると考えるわけであります。私の言うのはあくまでも事業として、田嶋さんの言われるように事業として認めるということになれば、業者の立場として特別な法律の措置、特別法が必要ではないか、これを一般適用されたのでは、今の業者はおそらく第四条及び第一条にも正規の金融機関でさえひつかかる。ですからこれを正規に履行することは、業者を非常に圧迫するというように考えるのであります。
  16. 中島英信

    中島参考人 先ほど私が申し上げましたように、これは私も法律の専門的な理論の方はちよつとわからぬのでありますが、一応これは並行して適用されるものというふうに解釈をいたしたのであります。ただこの利息制限法案の逐条説明というものをいただいておりますが、これの一条に関しての御説明によりますと、終りの方に「利息制限法による利息制限が民事上の効果のみを考慮し、別に出資受入預り金及び金利等取締に関する法律によつて罰則をもつて臨む利息限度が定められるものとすれば、このことを前提として行政官庁行政監督上の金利最高限度を定めることは、いささかも利息制限法趣旨を害うものではない。」ということがありまして、実際上出資受入れ等法案の方は三十銭という線がはつきり出ているわけです。それを実際に適用される場合には、たといこの利息制限法において二割の最高限度規定されておつても、この出資受入れ等に関する法律の方は日歩三十銭というものがはつきり法文の中に出ている、従つてそれを実際上その線に沿つて行われると同じように、臨時金利調整法関係のものもそういう形で運用できるのだというように解釈できるのではないかと、私はこの説明からとつたわけであります。
  17. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 これはたいへん大きな問題で、われわれももつと研究いたします。それ以上議論してもしかたがありませんから申し上げません。そこで先ほど井関さんの議論を伺つておりますと、いわゆる消費資金というか零細資金というようなもの、これは保護する必要がある。従つてできるだけ安いところでとめなければならぬという議論だと思うのですが、どうもあとから聞いておりますと、とても年二割くらいではいかぬのだ、こういう説明もあるのです。これは要するに業者としての立場をおつしやるのだろうと思うのですが、それじやかりに業とする者には相当の利率をとらせなければならぬ、そこで三十銭まで認めるということになると先ほど言われた、消費資金として借りる零細な者は三十銭でもさしつかえないという御議論になるのでありますか、これは両立しないと思いますが、この点いかがでありますか。
  18. 井関孝雄

    井関参考人 理想としては私も零細の業者には低率がいい。これはほんとうを言えば国家的な資金を導入して国家でやればいいと思うのですが、これは理想であります。しかし先ほど申し上げましたように、国実ではかゆいところへ手の届くような施設は現在では無理でありまして、質屋の例を先ほど申し上げましたが、質屋においても片方の公益質屋はおそらく月三分くらいでありますが、片方は一割何分です。その質屋の方がおもに融資をやり、公益質屋の方は資金の点等から大した活動をいたしていない。日本の現状から見てその私の理想とする低金利というものは認められない。これは資本主義の落し子なんです。だからどうしても危険な、手数のかかる方へは金がまわつて来ない。まわすためには一応金がまわる程度の、高いけれども金利を認めてやらなければいかぬ。一方それを根絶するのには、公益質屋なり、先ほど申し上げた協同組合の利息をもう少し上げて、営業できるようにしてやる。社会施設、福祉施設をやつて助けてやるというようにして、両々相まつて行かなければ、現在の欠陥は救い得ないと思う。理想は、低金利に持つて行くために現在の実情を認めて、一応営業が立ち行く程度利息は認めてやらなければいけないのじやないかと思います。
  19. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 日歩三十銭といいますと月九円ですから、一年には十一割八分くらいですか、たいへんな高利なんだが、そういう高利のものを借りて、それで先ほど言われた零細なる消費資金利息をを払い、さらにそれで生活を保つて行かれるのでしようか。
  20. 井関孝雄

    井関参考人 全体的に概念約に考えますと、なるほど少々無理だと思います。しかしやはり質屋は栄えておるので、これらが一般の民衆によつてつてつておるのだという事実は認めなければならぬ。一概に申しますよりも近い例で申しますと、八百屋、魚屋、小さい料飲食店等は、その日に仕入れたものがその日に倍額くらいになる。そうすると一日一割でももつて行く。現に私の近所に魚屋がございまして、国民金融公庫で借りたいのだが、あれは安くていいけれどもひまがかかるし、あした仕出しの注文があつてすぐいるので、高くてもいいからすぐ借りられるところはないかという相談を受けました。そういうふうに、企業においては返せる企業もあり得るのです。それから消費資金に使う場合、おそらく今の金融業者は、どんな小口の零細な金融業者でも、サラリーマンに対する金融では成り立たない。日本には消費金融というものはありません。主として生産によつてそれをカバーして行く人でなければ、それを利用してもやれない。一般消費資金には高金利は使えない。消費資金の方はあくまでもほかの事業で、生活保護とか福利施設で補つて行く、そういう方向に行くべきではないかと考えます。
  21. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 どうも私、あなたの説明が一致しておらないと思いますが、八百屋とか何とかは、あなたの先ほどの説明を聞いてみると、零細ではあるけれども消費資金じやない、営業資金なんだ、そういうものもあるからこの附則三条を削除せよと言われる。これは私別に考えてみたい。  そこであなたが先ほど言われた、零細なる消費資金に対しては相当の制限を認めなければならぬ、この点を聞いておるのです。小さかろうと大きかろうと、今言う八百屋のごときものは、これは消費じやなくて営業資金です。それだつて私は、年に十何制なんというものがいいか悪いか問題だと思いますが、これは別にします。ぜひ保護してやらなければならぬと言われる消費資金というものは、それじやとても立たぬじやないか。質屋を利用すると言われますが、私らが知つておる範囲においても、あなたがおつしやつたような消費資金にするために質屋の金を借りるのだつたら、これはもう終りで、夜逃げする一歩手前で焼け石に水を与えているだけであつて、あとは今言われるように、仕入れたものをあした売ればもうかるとか、そのほか水商売をやつておるとかいうものでなかつたら、ほんとうに利用できないと思います。一番聞きたいのは、特にこれだけは保護してやらなければならぬという消費資金の面なんです。
  22. 井関孝雄

    井関参考人 私の言葉が足りなかつたと思いますが、消費資金の場合はやはり利息制限法が必要だと思つております。消費資金の面から見て利息制限法が不必要だとは私は申しません。しかし零細な企業資金には、消費資金と一本のものがある。魚屋とか八百屋というものは、消費資金でも企業資金でもない。その間に差異がなくて、ほとんど消費資金に近いものです。しかし企業として一応成り立つ場合には、そういう零細金融でも成り立ち得る。これは日本だけでなしに外国でも、そういう小口貸付法というものを一応認めております。だから消費資金だけを貸す場合には、社会的に考えて、むろんこの制限をした方がいいと私は思います。
  23. 中島英信

    中島参考人 やはり金利は、いずれにしても実際一割二分もしくは一割以下という方向へ持つて行くことが必要だと考えておるわけです。先ほどお尋ねの零細企業の場合に、三十銭というような金利で成り立つかどうかという問題でありますが、工業の場合には成り立ちません。はつきり申し上げて、そういう対象になつておるものは、零細企業の中でも零細商業の方が多いと思います。つまり非常に回転率の高いもの、少くとも月四割くらい回転するものでなければ、そういう資金を借りて返すことは困難であると思います。そういう場合も方向としては、そういうものを高利金融の線から正常の金融の線に持つて行く必要があると私は考えておるのであります。できるだけそういう措置をとつて、なくして行くことが必要だ。但し現状ではそういう措置がとられてないために、貸金業全体をここで禁止したのでは非常に大きな問題だ。だから現状においては認めざるを得ない。その場合に利子の源泉になつておるものはやはりコストだと思うのです。つまり自分資金だけではやれないからほかの資金を使う。資金の吸収に要するコスト、貸付に要するコスト、それから回転に要するコスト、一般の運営に要するコスト、こういうものは実際上金利をある程度は高めて行くことになつているので、それを実情に即してやる必要がある。そのほかに若干の危険の負担の問題ですが、業として営む以上は若干利益ということも出て来る。コストと危険の負担と利益という点から見て、現状の零細高利金融における金利水準というものも、実際には若干の根拠があると考えられる。それはやむを得ざる実情にあるので、今日これをただちに否認してしまうことは困難だ、こういう考えであります。
  24. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 それで大分その理論がわかりましたが、そこで問題は利息制限法によつて保護してやりたいという、いわゆる消費金融なるものと、零細なりといえども企業金融なるものとを一々区別できるかということが問題になると思うのです。区別ができぬということになると、やはりどこかへ持つてつてやらなければならぬ。何か区別できるようなめどがありますか。
  25. 井関孝雄

    井関参考人 これは今中鳥さんも言われたように、安い資金をたくさん導入できるようになつたら、金利というものは安く営業できると思います。今の金貸し事業自体が非常に零細なんです。零細なものは資金が四、五十万から五、六十万なんです。そうするとその事業自体も零細企業なんです。つまり資金の量が少いから高い金利でなければやれないし、危険があるし、それから手数がかかる、しかも安い資金の導入ができない、こういうところに難点がある。だから資金を相当導入すれば、おそらく安い金利でできるのではないか。外国では株式会社で債券なんかを募集させてやつて、やはり安い金利でやつておるのがあるのですから、資金の導入をふさいでおいて安い金利でやれという、資金を少くしておいて安い金利でやれということは非常にむずかしくなつて来ると思う。信用組合の例を数年前に聞いたのですが、いなかで従業員一人の資金量が三百万円。現在銀行あたりでは、おそらく一千万くらいなければ一人の人を使えない。ところが普通の質屋金貸しの場合は平均五、六十万あるかないかくらいだと思います。そこで手数がかかるのと貸し倒れがあるのとで、結局高い金利になる、こういうことになる。これをどうするかという案は私自身にもないので、資金の導入をし、それから大きい資本金を許してやる、それから金貸しというものを社会的に認めてやらなければならぬ。一方は他人の安い金を借りて営業をやる銀行があがめられて、自分の金を貸して高利貸々々々と言われておるようでは、いい人は従事しない。従事するようにやはり立法措置をやつて資金の導入をして、そうして安い金利取締つてやるという以外は私は道がないのじやないかと思います。
  26. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 それで今言うなかなかむずかしいことだが、零細なものはある程度制限してもいいが、大きなものは制限せぬでもよかろうという議論なのですが、ここでいろいろ例をあげましたが、一流会社が高利貸から金を借りるようになるときは、私が先ほど言つた焼石に水をやるようなものだ。しかしそれにしてももう少し利息が安かつたらあれが伸びたろうということもあるのだが、どうもあなたの説を聞くと、大きな金を借りるというのはどんな高い金をとつつてさしつかえない、こういうように聞いたのですが、それはさしつかえないものかどうか。
  27. 井関孝雄

    井関参考人 それはお金を借りられるような施設があることは私は必要だと思います。それはさき申し上げましたように、現にアメリカの銀行は、小口貸付課というものをこしらえて大銀行がやるようになつておる。日本ではそれをやらないで締出してやつておる。従つてそういうものにたよらざるを得ない状態になつて来た。しかし金融業者それのみではなしに、ほかの機関がそういうものに貸す施設をやつてつて、そういうところへ行かなくても済むような施設にすることが必要だ、だからそこへ行くのがあたりまえだとは私は考えていないのであります。
  28. 佐瀬昌三

    ○佐瀬委員 時間の関係がありますから一点だけお伺いしておきたいと思います。  私はいわゆる消費資金あるいは生産資金企業資金商業資金に共通した金融体系としての立法の一元化を主張する一人なのですが、それはしばらくおきまして、日歩の立て方の問題なのですが、明治何年かに百円について日歩三銭とか何銭とかきめられたことが、今日もすべてそのまま通用しておるというのは、インフレによる貨幣価値の下落というような経済現象の今日においては、あらためて考え直さなければならぬ問題じやないかと思うのです。明治何年かの百円というものは、経済的にも社会的にもそれぞれの意義、価値、効用は非常に大きかつた。それを基準にしての日歩何銭だということでありますが、今日ではおそらく百円台の貸借というものはないので、いずれの資金にしても何万円が主体になつておると思うのですが、それにもかかわらず、なおかつ百円についての日歩何銭ということを踏襲して行くということ自体に、何か非常に時代的な矛盾を感ずるのですが、そういう問題については、今まで金融理論と申しましようか、あるいは金融家の方では別に検討されなかつたのか、また御両氏のそれに対する御意見はどうであるかということをお伺いしておきます。
  29. 井関孝雄

    井関参考人 ごもつともなお話でございます。私が小林委員長とドイツに一緒にいたときにインフレーシヨンになつた。インフレになると非常に金利が高くなります。日本金利は高くなつたとはいつてもそれほど高くなつていない。ほかの資金の豊富な国から比べてもともと高かつたかもわかりませんが……。それでも漸次高くなつておりますが、しかしお話のようなほどに私は高くなつていないと思います。そういう状態でありますから、大蔵省で押えても、両建とかいろいろな問題が起きて来ると思います。それは今の正常な金利でさえ私は多少の無理があるのじやないかというふうに考えております。これは一般金融業者の方としてはあまり触れていないようですけれども、おそらく私はそういう金利を上げるということが社会的に言い出しにくいのだと思います。やはりそうでなしに、預金とかほかの面でそれを補つて行くようにしたい、かように考えております。これはお説の通りで、一応もう一ぺん考えて、正常な金融ができるというのは幾らか、インフレ時代金利が上るのは幾らくらいが正当かということを考える必要があると思います。
  30. 中島英信

    中島参考人 私は今の御質問の意味を取違えているかもしれませんが、日歩の百円につき何銭の立て方が妥当であるかどうかという点についての意見を述べよということだつたと伺つたのですが、そういう点は私法理面の専門家ではないのですけれども、簡単に申しますと、一つは私はやはり期間の問題だと思います。これはやはり短期の金融を必要とするという観点から日歩ということがとられておる。それから百円という単位はどうかという問題でありますが、これはきめられた当時に比べれば、今日では一万円あるいは十万円ということになつておりますけれども、実際に行われておる零細金融の中には、五千円とか千円単位のものがあります。そういう点から見ると、上げても千円単位というようなことにも考えられる、上げれば銭が円になることになつて来るわけですから、その場合に一万円未満の金融もあるという点から見ると、急いでこれを立て方をかえなければならぬというほどの状況でもないというような考え方を持つております。なお実質レートが適当かどうかということは、これは井関さんがおつしやつたように、利子の合理的な基準というもの、それからどういう場合にどういうふうに変動するか、どうスライドさせたらよいかということはよく検討して行く必要があると考えます。
  31. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 先ほど四条について議論がありましたが、何か延滞日歩をよけいにしないといけないということですが、この法律では二倍までを認めておるわけですが、それでもいけないというのですか。
  32. 井関孝雄

    井関参考人 この第一条の二倍になるわけであります。そうしますと片方で大蔵省日歩三十銭は一応認められておるわけであります。その三十銭よりも低くなるわけであります。
  33. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 その三十銭が正当だという理論から問題があると思う。
  34. 井関孝雄

    井関参考人 三十銭よりも低くなると思います。安い日歩法律両方並行されるとすれば、片方三十銭というものを立法として認めるということはどうかと思います。
  35. 木下郁

    ○木下委員 ごく大ざつぱなことを伺います。今貸金業者に日歩二十銭、三十銭を払つておるのもある、その払つておる連中は利息制限法というようなもののあることを知らない、一ぺんふん切ろうとしてふん切りそこなつて小口の借金をした、そのために約束が日歩二十銭、三十銭というのがあつて、それが法律的には保護されておるということの無知なために払つてつて、結果的には自分仕事もオジヤンになるというような事例が非常に多いと思う。一般利息制限法というようなもののあることを知らないという無知のために、金融業者の方は日歩二十銭、三十銭をとつ営業が成り立つておるというような事実があるのであります。そういう点はありませんか、その点だけ伺つておきます。
  36. 井関孝雄

    井関参考人 そういうことはあると思います。同時に大い金額を借りる人、知識を知つて知り抜いておる人が、訴訟にまで持ち込んで行くという傾向がある、そういう弊害も一応一面にあると思います。それでお説のような、利息制限法があるのを知らないでやるというのは、割合小さいものであるから、訴訟まで持ち込まないで大体完済しておるわけで、そういう人間が不便をこうむつて、大きいもので、よく事情を知つてつて、訴訟まで持つて行くというような傾向は私はあると思います。
  37. 木下郁

    ○木下委員 その点ですが、小さい連中で、無知で訴訟まで行かないというのは、無知のために行かないのであつて、そこそこに片づく、それから大きい連中が借りておるのは、借りるときは知らぬような顔をして借りて、今度利息の点で制限法を持ち出す、これは金貸しの上手を行くやつですが、そういうのもたまにはあろうと思う。しかしそこはまた貸金業者の方は営業だから、そういうケースというものはごくまれだろうと思います。一番保護してやらなければならない小口の、先ほどお話のあつたような、料理屋から注文をとつて来て料理を納めれば利益が何割もあるが、資金が少ししかないから、魚の仕入れをするのに借りるというような、普通困り切つておるとわれわれの考えるような者は、無知なために、一ぺん約束した証書にきちんとあるというので、その証書面の文句にとらわれて、高い金利を事実上払つて苦しんでいる。その反面、貸金業者がそれで商売が成り立つというけはいがありはしないかという点を伺つたのです。
  38. 小林錡

    小林委員長 古屋貞雄君。
  39. 古屋貞雄

    ○古屋(貞)委員 私は基本的に承つておきたいのですが、今の御説明を聞いておりますと、今の時代にというお話がよくあるのです。実は法律立法化すると、恒久化いたしまして、これをすぐ改正するわけには行かない。従つて今の日本における資本主義経済の状態がどう変化するかということが問題なんですが、今御説明や、お話を承りますと、今の社会事情について非常に重点を置かれておるようであります。やはり経済の見通しから考えまして、終戦後における日本の経済状態が安定していないというところから、いろいろ経済の体系がくずれて、ただいま御説のように、生産資金の問題、あるいは流通資金の問題というものがごつちやになりまして、そして無理な金を必要とする、こういうことになつておると思いますが、最近政府といたしましても、だんだん公益的な問題――ただいま参考人からいろいろ承つております利息制限法も、この目的は公益を目的とするわけです。従いまして、公益を目的とするということが前提になり、日本の経済安定が徐々に確立化するということが前提となる。そこでただいま御説のように、この法律趣旨は、金融業者を保護するということよりも、つとめて無理な金融業者をなくしてしまつて、平常に引きもどして、金融業者も成り立ち、無理な金を借りなくても済むようにしたいということが、公益的な立場から考えられるのであります。従いまして、政府自体がこれから後は零細金融機関というものを強化する状況に置かれておることも明らかであります。中小企業金融公庫とか、あるいは国民金融公庫とかいうものはそういうものの現われだと思う。これは私ども社会的な要求から相当強化されて来ると思う。皆さん方から参考人に承りました御議論は、そういう見地から承つたというふうにとつてよろしゆうございますか。それとも、さらに将来は経済が安定されて来る、従つて金融業者というような特殊なものの保護よりも、金を借りる者を保護する方に重点を置かなければならない、従つてただいまの金利の問題、あるいは不履行の場合の損害の利息を加味した取立てのできる範囲、こういうようなことが考えられているのですが、要するに、公益的な立場からできるこの法律が、経済の安定される状況に置かれている環境において、さらに公益的な金融、零細資金の制度が強化されて来る現在の過程において、ただいま御説明のような御議論が生れて来ているのかどうか、その点だけを承りたいと思います。
  40. 中島英信

    中島参考人 ただいまおつしやつた通りであります。私はどちらかというと、借りる方の立場ですから、金利はできるだけ安い方がいい、やはりできるだけ低くすべきだという考えであります。ただそれをやるために、今お話のように、それは金融制度の拡充ということと相まつて行われなければならないという考えであります。大体そちらの方向に持つて行く傾向にあると考えますから、大体子の方向へ持つて行くべきだ。ただ現状はそれが完全に行つていない。そのために、どうしてもそこにこぼれるものができて来るから、ただその金利制限という面だけでは解決しない面が残つている、こういう意味であります。
  41. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 先ほど中島さんの言われたことで法務省が非常に御迷惑だろうと思いますから、もう一ぺん考えてもらいたいと思うのです。先ほどあなたは、法務省から出ている逐条説明の第一条の説明で、別の法律を定めれば、三十銭までとつていいと書いてあるとおつしやつたのですが、これを読んでみますとそうじやないのです。さつきあなたがお引きになつたのは三枚目のところの「すなわち」というところからだろうと思いますが、「すなわち、利息制限法限度内の利息は、裁判所に訴をもつて請求し、国家権力による保護を受けることができる。」限度内のものは裁判所に訴えられる。「この限度をこえ、日歩三十銭までの利息は、裁判所に訴をもつて請求することはできないが刑罰制裁は受けない、日歩三十銭をこえると刑罰制裁があるということになる。」こうある。これは私があなたに質問をしたと同一のことが書いてある。あなたはさつきそうじやないように書いてあるように言われましたが、その点は御訂正願いたいと思います。
  42. 中島英信

    中島参考人 これは最初お断りしましたように、私は法律の理論の方は専門でありませんが、私の解釈しましたのは、利息制限法によつて一つ制限がせられているけれども、もう一つの方の法律によつてはある程度認められている。その結果、制息制限法による罰則によつて刑罰を受けないということに実際上はなつている、ということは、実際の運営においては、やはり国家法律日歩三十銭までは認めるということを法文の中にはつきりうたわれているわけでありますから、それをそのままに解釈しただけであります。つまり出資受入預り金及び金利等取締に関する法律案によれば、一応日歩三十銭までということがはつきり法文の中に出て来ておる。その法律によつて、実際上はそれだけのものを貸してもいいということに、普通の法律を読む国民としては解釈せざるを得ない面が出て来るわけであります。ですからこれは今の法律解釈について、今の鍛冶委員意見に反対するのではなくて、ただ二つ法律案を見た場合に、普通の人間は、一方の法律法律である以上は有効な法律であると解釈せざるを得ないというだけのことであります。別に意見の相違ということでなしに、ただ二つ法律の受取り方の問題であろうと思います。
  43. 小林錡

    小林委員長 それでは午前はこの程度にとどめまして、午後は一時三十分から再開いたします。  暫時休憩いたします。    午後零時四十九分休憩      ――――◇―――――    午後二時十九分開議
  44. 小林錡

    小林委員長 休憩前に引続き会議を開きます。  利息制限法案を議題とし、参考人より意見を聴取することにいたします。ただいま出席されておる参考人は、経済評論家高橋亀吉君及び日本興業銀行調査部長梶浦英夫君、以上二名の方々であります。  参考人各位には、本日はまことに御多忙中にもかかわらず、わざわざ御出席くださいまして、またたいへん長くお待たせしましてまことに失礼をいたしました。今回提出されました利息制限法案は、現行利息制限法の施行後の経済情勢変遷にかんがみ、金銭を目的とする消費貸借上の利息制限を調整する等の必要があるとの理由で提出をされたのでありますが、本案法律として成立することとなる場合には各界に及ぼす影響はきわめて甚大なものがあると考え参考人各位よりそれぞれの立場から御意見を承り本案の審議に資し、本委員会として本案に対する公正妥当な態度を決定いたしたいと存じております。参考人各位にはこの趣旨をよく御了承くださいまして、忌憚のない御意見を御開陳されますようにお願いいたしておきます。  それではただいまより順次御意見を承ることにいたします。まず高橋参考人からお願いいたします。
  45. 高橋亀吉

    高橋参考人 今度の利息制限法案につきましては、私ども一般論からお話を申し上げる以上の知識を持つていないのでありますが、一般の問題から考えますと、今度の利息制限法案はその内容というよりは性質に重大な変化があると思うのであります。それは従来の利息制限法がもつぱら消費信用を対象としておつたのが、今度は商業信用をも含めたというところに質の変化があるのではないかと思うのであります。自然これを考えますには従来のそれと、そういう性質の変化があつたということを頭に置いて審議あるいは研究する必要があるように思う次第であります。それからもう一つは、利息制限法はずいぶん古くから行われているわけでありますが、その時代と今日との間には金融機構の発達というもので非常な変化を来しておる。おそらくこの利息制限法が最初にできましたころには、金融機関というものはまだあまり発達しておらず、従つて金貸し業者というような機関金融を依頼しておつた人たちが非常に多かつた時代ではないかと思うのであります。それが今日は金融機関がかなり整備されており、ことに庶民金融方面も相当機関の整備を見ておる。そういう変化があるということを一応もう一つ頭に置いて考える必要があるのではないかと思うのであります。と申しますことは、この法案のことに第一条のわけ方でありますが、このわけ方については、つまり十万円未満と、十万円以上百万円未満、百万円以上というわけ方になつておりますが、このわけ方につきましては、この中で主として各種の金融機関に依存して大体国民経済の金融の目的は達せられるという分野と、そういう金融機関から漏れておるどうしても金貸しその他の業者の活動に依頼しなければ他にこれを補う機関が非常に欠乏しておる、不十分だ、こういう分野があると思うのであります。そこで金融機関に依存し得られる分野につきましての利息制限と、それ以下の機関に依存せねばならない分野の利息制限というものはかなり性質が違つておるというふうに見て、この利息制限法を考うべきではないかと思う次第であります。といいますのは、金融機関に頼り得られる範囲の、そういう分類に入り得る資金であれば、これはもつぱら金融機関にたよらす建前をとつていいと思うのであります。金融機関にたより得る資金でありながら、一時の不渡り事件、不渡り手形が起るとかなんとかいうふうな理由によつて、あるいは他の理由によりましてかなり高い金利を使つて仕事をする、こういう道を開いておく必要があるかないかというと、私はそういう部面においてはそういう道を開いておくということの方が社会的弊害が非常に多いと思う。現に最近でも事業で破綻を来しておる、いろいろの背任罪的な金の使い方をし、調達の仕方をしておる、こういうものは成規の金融機関を当然通じて融通すべき筋の資金を、それ以外の資金源を通じて高利のものを借りておる、その道があるということがこういう誘惑を起さし、そういう不正なことをさせ得る道を開いておるのではないか、そこで成規の金融機関に当然たよるべきである、またそれ以外の金融機関にたよつてつてはとうていその事業はやつて行けない、こういう部類の利息制限というものはかなりこれをきつくしてさしつかえない。しかしながら成規の金融機関にたより得られない資金、どうしても金貸業その他の融通にたよらざるを得ない、こういう資金の部門につきまして、この案を見ますとほかと同じような待遇をしておる、つまり二割と一割八分と一割五分という開き、これは同じ金融資金としてのわけ方であります。これは同じ銀行にしてもこのくらいの差はつける、このくらいの差は当然銀行の中でもつける、そういうわけであるから、これは性格が同じだという建前のわけ方だと思います。しかし正規の金融機関にたより得ないものにつきましては、それはそれだけの金融の性格が違つておるのでありまして、第一は危険率が多い、第二は非常な手間がかかるということであります。従つてそういうものにつきましては別個の基準がいるのではないかと思います。むろんできるだけ高い金利でないようにするということは望ましいわけでありますが、しかし以上申しましたような特殊の金融の性格というものを無視した安い、きつい制限をするということになりますと、こういう金融の道がとざされてしまう、あるいは相当減つて来るという形になると思うのであります。それはちようど戦後家賃を制限して、今まで貸家という形で家が供給できたのが、その供給の道がとざされた、しかも家賃を制限したとなれば、当然公営住宅その他を十分建てる責任があるわけであります――事実やりかけたのでありますけれども、これはきわめて不十分であつたわけであります。そのために非常な住宅難が起つておるのでありますが、それと同じように、ここで特殊の金融の性格というものを軽んじて、高い金利を押えるという面ばかりを強く見ると、それでは貸手がなくなるというのであれば、国としてはこういう制限法をやるからには、当然公営において安く貸し得る機関を設ける責任がある。その設けることが困難である――また事実困難だと思うのでありますが、そうであれば、ちようど家屋において、貸家が成り立つて行く程度の家賃を認めなければ、住宅難で困るというわけで、そういうことになるわけでありますから、この性格がかわつておるということを頭に置いて、このわけ方をやりかえるべきではないかと思うのであります。ところでそれをどういうふうに見るかということは、これは慎重の審議を要するわけでありますが、きわめて大ざつぱでありますけれども、かりに金融機関に十分たより得られる、このくらいの資金は、もう金貸業者がそれでは貸せないというので貸さなくても大丈夫やつて行ける、しかも金貸業にたよらなければならないような経営の仕方それ自身が、すでに間違つておるのだ、そういう権道を歩む道を渡らないようにして行つて大丈夫だというラインは一体どこだ、これは金融業者その他の方で専門に研究してもらいたいと思うのですが、それは大体五十万円以上じやないか、五十万円以上の資金であるならば、これはもう金貸業者にたよる必要なし、利息制限が厳重で金貸業者はそれで貸せないというのであれば、それでさしつかえないと思うのであります。そこでかりに五十万円以下というものは大体正規の金融業者以外のものに主としてたよらねばならない、こういうことだといたしますと、その今のラインは、さつき言いましたように正確ではないのでありますから、研究していただきたいと思うのでありますが、その五十万円以下になりますと、これはそれ以上の金利とは性格が違うのでありますから、刻み方がかなり違つて来なくちやいけない、最高金利の刻み方が違つて来なくちやいけない、というのは第一危険が非常に多い、一般金融機関が相手にしないような金融である、それから手数が非常にかかる、ある場合には日掛、月掛という制度でなければその金融は扱わない、どこでもみな同じような制限をつける、しかもあとにもありますような、そういう手数料その他は全部金利とみなす、こういうのでありますれば、これはよほどそれらの特殊事情を考慮して刻み方をかえて行く、こういうことが必要になるのではないかと思うのであります。そういうわけで、しかもそれは金融が一定の金額以上になれば、特に日掛、月掛というふうなもの、ことに手数料が非常に多い、こういうことになると思うのであります。そういうふうに考えますと、五十万円以下をどういうふうに刻むかということが、実はこの法案の最も重大な対象になるのじやないか、五十万円以下をどう刻むかということが一番大きな問題になる点ではないかと思うのであります。私のほんの腹づもりで、科学的に研究したという意味ではないのでありますが、たとえば五万円以下の貸金、これはもう手数が非常にかかるのであります。そうすると少くとも五万円以下というラインがいるのじやないか。それからまああとそれ以上五十万円というのはあまり大き過ぎる、そうすると五万円以上二十万円、二十万円以上五十万円未満というように、五十万円以下のラインを少くとも三つぐらいに考える必要があるのではないかと思うのであります。  そこでもう一つの問題は、さつき申しましたように、今度の利息制限法商業信用、いわゆる経済的行為に必要な資金需要までも対象にしたのでありますが、その立場から考えてみますと、たとえば五万円以下の金を借りるというふうな場合には、その資金というものはどういう働きをするかというと、この場合には資本にたよる部分はきわめて少い。大部分はその労力を売る、その売る一つの機会をつくるために金がいるのだ、たとえば夜泣きうどんをやるとか、焼きいも屋をやるとか、そういう場合には資本という部面は非常に少い。労力が大部分だ。そうするとなるほど資本から見ますと相当高い金利のように見えても、本人からいえば資本の負担はわずかなんで、大部分は労力を売るのだということになれば、金利の負担能力というものは、そういう意味においてはかなり普通の場合とは違つて来るわけであります。ドツジ・ラインで金融を引締めましたときに、某大銀行の頭取が、こう不景気では金利がゆるむという説をされたときに、私はゆるまないという話をしたことがあります。それはどういう理由であつたかというと、終戦後事業の大半が荒廃している、そうしてあるものはここに二億の設備がある、もう五十万円足せば全体が動くんだけれども、五千万円が足らないために設備が遊んでいる。こういう事情が非常に多い。そういう場合には少々高い金利を払つても全体が動くなら二億五千万円で、普通の金利の二倍払つても、その方がまだ有利だ、こういう状態の場合においては当然金利が高い、下りはしないということを申したのでありますが、それはあの場合は臨時である、変態事情でありましたけれども、おそらく五万円ないし十万円以下の資金を借りて仕事をしている、なりわいをする、経済生活をする、こういう人にとつてはそれにほぼ似たような、つまり労力が大部分だ、資本はわずかだ、それが永久的だ、それが恒久状態だ、こういうふうになるのではないかと思うのであります。そういう場合には金利はなるほど高い、一見高いように見えても、その負担は少い。それを過重に圧迫されて金利を押えられて資金が得られないという場合に比すれば、ある点まで借り入れ得られる合理的な金利、その方が高くてもいい、こういうことになるのではないかと思うのであります。  それからさつき言いましたように、非常に危険が多い及び手数が非常にかかるこういうふうなことから言いますと、このわけ方はたとえば五十万円以上百万円ぐらいのところはもう少し下げていいと思うのです。一割八分から一割五分というのはもう少し下げていいと思います。ことに百万円以上というのであつたらもう少し下げていい。これは金融業者にたより得られるのであつて、その方に主としてたよらすという方向に持つてつていいのではないかと思うのであります。ことにこれらの金利は今後の日本の経済状態金融状態に、一般金利と密接な関係があるので、少くとも五十万円以上が一般金融機関にたより得られるという形になると、一般金利の動きというものと密接な関係がある。ところが大正八年当時に一割二分であつたのを一割五分に上げる。これは非常な逆転だと思います。大正八年当時は日本金利はまだ英米に比べれば比較的にそう高くないのでありまして、二倍以下であります。非常に外国との金利の差は少かつた。今日は三倍近く高いのであります。金利の問題から言いますと、過去に比べて今の金利が高いとか何とかいうことよりも、外国に比べてどれだけ高いかということの方がより重大な問題なのであります。というのは国際競争上金利が問題になるからなんであります。そういう意味から言いますと、大正八年当時よりもむしろ安くなくちやいけないのであります。それを引上げるということはこれは逆行だと思います。しかし実際はどうかというと、終戦後の日本金利はインフレーシヨン時代金利であります。インフレーシヨンのときには金利は非常に高くともこれは経済金利なんです。つまり当時月一割の金利が当然でありましたが、あのときは一割払つてももうかる。物価が二倍三倍に上るのですから。そういうようなインフレ時代金利、特にたとえばドイツのごとき一番ひどいときは、ライヒスバンクつまり中央銀行金利すら十割、市中金利は十割以上、中央銀行であつても十割、こういうふうにインフレ時代には非常に高い金利なんでありますが、これは十分引合う経済金利なのでありまして、高くても問題がないのでありますが、しかし経済界の状態が平常に帰り、むしろデフレ状態になれば、新たな金利水準が出ねばならないのであります。ただ今までのインフレ時代の高金利の覚えがありますそのために、一般金利がまだ必ずしもそこへかかつていない、こういう面が残つています。そういうわけでそういう特殊な事情が尾を引いているということは、考慮する必要があると思うのであります。しかしこれを見ますと、過去においても高利制限法のようなものを設けるとなかなかこれは動かない。明治三十何年からやつて大正八年まで動かしていない。大正八年から今日まで動かしていない。こういうような性格の金利であれば相当先を見てやるべきだ。めつたに動かさない金利なんだ。もし必要があればここ二年内外、全体としては先を見た金利にしていて、ここ二年内外は計画的に少し今の情勢を考慮したものをつくる、そのくらいのことをしておく必要があるのではないかと思うのであります。  しかしながら以上は五十万円以上、百万円以上というふうな金融機関にたより得る面でありますが、それ以下につきましてはこの制限ではおそらく金融業は成り立たないと思う。そういう方面の、しかも金融業者にたよらざるを得ない、ほかに設備がない、しかも負担能力から言いますと金利だけで見るべきでなしに、その資金というものは自分の労力を生かすために使う資金である。しかも貸す方から言えば日掛とか月掛とか非常な手間があり危険もある。これを一般金融機関金利の刻み方で行つたのでは、これはもう話にならないという形になるのではないか。ことに利息制限法が従来は消費金融に限られていたやつが、今度は生産金融商業金融までも入るという形になると、当然そういう考慮がいるのではないかと思うのであります。事実またそれは現に質屋金利等との均衡から言いましても、あまりにこれはけたはずれに安過ぎて、大体金融機関にたより得る金利の刻み方だ、こういうふうに考えられるのであります。そこでしからば五十万円以下のものはどのくらいの刻みにしたらいいか、これは私も科学的に研究したのではないのでありますからその立場で御研究願いたい、こう思うのでありますが、たとえば五万円以下は少くとも今の二割が五制ないし二倍くらいにしなくちや実際に合わないのであります。五万円以下のものは少くともそうじやないかと思うのであります。そうして五万円以上はさつきも言いますように一銭八厘というのは高過ぎると思うのでありますから、そこは下げてもいいのでありますが、五十万円以下という形になれば今度は刻み方が質が違うというので単に二分しか違つていない、三分しか違つていないのであります。百万円との間は……。もう少し開きを大きくして、そうして下へ持つて行く、こういうような考慮がいるのではないかと思うのであります。  次は第三条の利子の天引きの点であります。一応利子制限をするという建前をとれば、天引きの場合の制限がいるということは当然のようだと思うのでありますが、しかしこれではほかの方面で大蔵小委員会や何かの方で出ておるのは、今まで日歩五十銭のが三十銭だというわけでありますが、そういうものとあまりにかけ離れ過ぎていはしないか、利子としてあとから払うのだつたら幾ら払つてもこれは任意に払えばしかたがないというのが、第一条の二項にあります。その利子を割引料というような形で先へ払えばこれは規定利子以上とつていかないという、こういうのではあまりに第一条の二項と第二条がかけ離れ過ぎやしないかと思う。事実また今日の場合日歩五銭ないし十銭というくらいの金は商業的にうんと使われている。大きな証券会社辺でもそのくらいまだ使つております。そうすると、五銭以上、四銭九厘以上の日歩で割引いたとしますと、たとえば十銭で割引いたとすると、四銭九厘以上は元木の支払いとしてあとから差引できるのだというようなことは、これは実際の商行為というものをめちやめちやにしやしないか。一度約束しておいてあとから元本を払うときに四銭九厘だけは元本を払つたことになるのだ、こういう形になつて、それを差引いて払うというから、そこでここはだからといつて制限にということでは、この案全部が無意味になると思いますが、ここにたとえば「前条第一項に規定する利率により計算した金額を」というのを計算した金額の一割五分とかこの一・五倍とか二倍だとかいうふうなものはたとい任意に払つた場合でも、それ以上のものを払つたときには元本にするとか何とかというふうなことにしなければ実際経済の実情というものが、少し悪意を持てば大混乱をするというふうに見るべきじやないかと思うのであります。むろんこれはさつき言いますように私は五十万円以上は相当引下げていいという議論でありますから、そういうものはかりに二倍になつてもかなり安いものになつて行くだろうと思うのであります。  大体私がこれ全体を拝見いたしまして一般的な点から感じました要点は、これだけであります。こまかい技術的な点は私わかりませんので、一般論から簡単に意見を申し上げた次第であります。
  46. 小林錡

    小林委員長 これにて高橋参考人意見の御開陳は一応終りました。ちよつとここでお待ち願つて、あとで質疑をいたします。  次に梶浦参考人にお願いいたします。
  47. 梶浦英夫

    梶浦参考人 それでは利息制限法につきまして私の考えましたことをお話し申し上げます。  まずこの利息制限法というものの性格でございますが、私どもはこの法律を純然たる経済立法というふうに考えず、経済立法的な性格というものが全然ないわけではございませんけれども、やはり社会的な立法だというふうに考えるのでございます。そういう意味におきましてこの法律案考えてみたいと思うのでございますが、今回の改正によりまして大正八年以来のいろいろ実際の仕事の上に問題がありました点が大分改正されるようなことになりまして、私どもたいへんけつこうだと存ずるのでございますが、たとえば現行法によりますと、現実に金利の水準というようなものがあるいは金利の実勢というようなものが、大正八年当時とは大分かわつてつておりますために、私ども銀行仕事の上にも矛盾が実は出て来ておるのであります。一例を申し上げますと、現在銀行金利は一年以下の短期の金融につきましては、これは御案内の通りでございますけれども、百万円以下は一応制限して、百万円と三百万円の間が日歩二銭五厘、三百万円以上が二銭四厘、こういうふうに例の臨時金利調整法によりましてきまつておるわけでございます。三百万円以上というところをとつてみますると二銭四厘、年利に直しますれば八分七厘何がしかになるわけでございます。この金利は実際には金利の実勢を映していないように私は存じます。各般の事情からここ数年だんだんと下つて来ておるのでありますが、この下り方は相当政策的な配慮が込められて行われたように考えます。と申しますのは、申すまでもなく企業生産のコストの中で占めます金利負担、これをできるだけ軽減させなければならぬという考え方、あるいはまたもう少し問題を大きくいたしまして、外国の金利とあまりにも開き過ぎておる、この差というものをある程度縮めなければ、国際競争に金利の点だけからいつてもひけをとることになるというような観点からだと思いますが、多分に政策的にきまつて来ております。少しく言い過ぎかもしれませんが、今日の臨時金利調整法によります短期の金利というものは、そういう意味におきまして私は政策的金利というように考えておりますが、もつと実勢は高いと存じます。特に一年以上の長期金利につきましては、これは臨時金利調整法適用外でございまして、私のおります興業銀行その他において長期貸出しの金利はそれではどうなつておるかと申しますと、大体におきまして、これは銀行によつて違うと存じまするが、三銭一厘くらいが中心だと存じます。これも短期金利の引下げに応じまして若干一、二厘このところ一、二年で下つて来ておりますが、現在のところ三銭一厘くらいが中心ではなかろうかと存じます。申し上げるまでもございませんが、こういつた統制金利以外の金利の中心ということを申し上げたのでありますが、相手先によりまして、あるいは金額によりまして、期限によりましてかわつて参ります。これよりも一、三厘低い、あるいはもつと低い金利で行われております長期金融というものも相当あるわけでありますが、大体三銭一厘くらいであります。そうなりますと、これはすでに一割一分を若干越えることになります。さらにまた最も公共性の強い政府金融機関であります開発銀行の貸出金利はどうかと申しますと、電力その他特殊なものはございますが、基準の金利は年一割というふうにきまつておるのでございまして、旧法の関係と非常に妙なことに現状ではなつておるのでございます。そこで先ほどの三銭一厘が一割一分に当るわけでございますが、これが現行法の千円以上一割という制限とのからみ合いからいろいろ問題がございまして、こういう長期のものになりますと、大体担保をとつて抵当権を設定する、登記をする、この登記の場合などにこの問題が非常にやかましい問題になつております。制限金利を越える契約につきましては公正証書ができないことになつておるのでございまして、われわれかねがねこの点について利息制限法を実情に沿うように改正していただくことを希望しておつたわけでございます。  それではこの改正法をどういうふうに考えるか。第一条にあります金額の切り方、それに応じます金利限度でございますが、高橋さんもお話がございましたように、なかなかこの金額をどこで切るかということも論理的にはじき出すことは非常にむずかしいのではなかろうかというふうに存じます。現在百万円以下は臨時金利調整法によつても自由になつているわけでございますが、従いましてこの金利がどのくらいのところにありますか、正確なことはわかりません。ただ東京銀行協会の調べました東京社員銀行の貸出金利の調べによりますと、最近におきましては貸付金、証書貸付の最高、同時にまた割引手形金利の最高も同様でございますが、一割二分をちよつと越えた、一割二分五毛という数字が統計として発表されております。おそらく百万円以下のものが、全部ではございませんでしようが、これに該当するわけでございます。もちろんこういう数字を申し上げますと、少しく金融に明るい方は、銀行は表面はこういう金利をとつておるけれども、歩積みを要求したり、両建を請求したり、実際の金利負担はこんなものではないというような御意見がすぐ出るのだろうと存じます。こういうものをどういうふうに計算するかわかりませんが、しかしこの最高金利の二倍とか三倍とかいうようなことにはならないので、せいぜい実質的な金利負担というものが三割、四割というように、これ以上になるということはある程度考えられるわけでございます。そうしますと、この改正法によります百万円以下一割八分というところが実質的に考えますと相当の問題のあるところになるのではなかろうかと存じます。銀行の貸出しの場合において、あるいはこういつた金利の計算の仕方をするということ、そのことと、この利息制限法規定の上におきまして最高の金利を幾らにするかという、そのきめました金利との間に、どういう考え方をしていいか、どう結びつけて考えていいか、私も率直に申していろいろ考えてみましたが、断定的な意見にもなりませんでしたが、そういう点を考えますと、ここにあります百万円以下十万円まででございますが、年一割八分というところは決して高いところでない、むしろ若干低いかというような感じを持つたのでございます。  もう一つ、ただいま申し上げましたのは銀行の貸出金利の問題でございますが、ここに対象になります金融というものが、はたして銀行の貸出であるのかどうかという点が一つあると思います。当初に多分に社会立法的なものであるということを考えます場合におきまして、銀行金利だけを考えていいかどうか、あるいはそれを一つの基準にして見て行くということがいいかどうかも一つ問題があろうかと存じます。いただきました逐条説明を拝見いたしますと、金融二つにわけて、生産信用と消費信用というふうにわけられております。これを実際にはわけられる、確かにその通りだと思うのでありますが、もう一つ私は、対象になりますところのものが、大企業ではなくて、生産信用といつて中小企業が問題になるのだろうと思います。中小企業金融の問題は方々で非常に問題にされ、常に銀行中小金融に熱心でなくていかぬといつて私どもしかられるわけでございますが、しかし考えてみますと、この中小金融全部を銀行によつて問題を解決して行こうということは、中小金融そのものの性格あるいは中小企業そのももの性格からいつて問題があるのではないかと存じます。御存じのように戦前におきまして、中小金融の相当部分というものを、いわゆる問屋金融という形によつて解決して来たのが実情でございます。この問屋さんが非常にかつてなことを言つて、ばかに高い金利をとつてつたという批判はもちろんあつたわけでございます。しかしとにかくこの中小企融の上におきまして、問屋金融というものが果しておつた役割というものは、非常に大きいというふうに私は考えるのでございます。このことは一つの例を申し上げますと、戦後におきまして三井物産、三菱商事、これは日本における最大の問屋の二つでございますが、この二つの会社が解体の当時におきまして、中小の業者に対して前渡金という形で資金を融通しておつた額というものは、正確な数字は今日記憶しておりませんけれども、相当大きな額、それもたとえば私どもの方で、三十年来中小工業部という専門部をつくつて中小金融をやつておりますが、それよりもはるかに大きな金額に達しておつたかと記憶しております。こういうような問屋金融というものが、戦後におきましては問屋さんの資本が非常に貧弱になつてしまつたために、なかなかうまく行かない。従来問屋さんは自分資本というものを持たれ、そうしてその資本というものを土台にして、銀行その他から十分資金を調達する力を持つておられた。その資金が問屋金融という形で中小業者に渡つてつたのでございますが、こういつたものが全部切れてしまつた。全部と言つては言い過ぎでございますが、非常に道が細くなつて来たというところに、今日の中小企業金融の非常に大きな問題があろうかと思います。この点につきまして、それでは銀行がその欠陥として出ましたものをカバーすればいいと言えばそれきりでございますが、実際には事実中小金融をやつてみまして、一番問題になりますことは、一口で申してしまえば信用をどういうふうにつかむか、そして金を貸すことができるという判断をどういうふうにして持つかという点に一番の問題があるわけでございます。中小企業の場合におきましては非常に個人的な色彩が濃い。御主人が病気になられると、会社の形態をとつております場合においても、会社自身が振わなくなるというような弱味もございます。あるいはまた売先の市場の事情について暗い。大会社の場合において市場の見通しが先行きあまりおもしろくないというようなことがわかるような場合においても、中小企業においてはそれを知らずになお生産あるいは増産を続けられるというような、こういつた欠陥があるわけでございます。問屋金融の場合におきましては、非常に極端なことを申しますと、割安の資材を調達して来てこれを供給する、あるいはまた技術が不足の場合においては技術者を派遣して指導する、売先のあつせん、これは問屋さんのことですから当然なことでございまして、金融と同時にそういうような信用力を外からつけるような措置が並行的にとられておる。それなるがゆえに、問屋金融が脱落した場合、銀行というような近代的な組織になつておるところでは、そういうかゆいところまではなかなか手が届かぬという事情がございます。こういうことから、ここで問題になりますような中小企業金融を問題にする場合において、銀行だけを問題にすることは非常に困難であります。むしろ銀行以外で資金を調達される機会が非常に多いと予想しなければならぬと思います。そのことがいいことか悪いことかは別にいたしまして、現実にそうなつており、この点はそう急速に改善はされない性格を中小企業そのものあるいは中小金融そのものが持つておるのじやないかと私は考えるのでございます。  そうしまするならば、先ほどの話にもどりますが、銀行の現在貸出をする場合における金利というものの間には、どうしても相当の差を考えなければならないのではなかろうかと存じます。それでは一体幾らにしたらよいのだということになりますが、その前に、ここでどちらかといえば低目に押えておけばよいじやないか、弱いものを保護するという社会立法的な性格を持つておるならば、そういつた性格を非常に強く出して、どちらかと申せば低目に少し出しておけばよいのではないかということも出て参るかと思いますが、これは実際問題としまして、低目に出した場合においては、この規定そのものがなかなか守られないことになつて来るのじやないか。今日の現実の状況を考えましても、私はそう詳しくこの辺の事情を知つているわけではございませんが、私の耳に入りますものから考えましても、ある程度実情に沿つて行く考え方というものを考えていただきたいというふうに思つております。  次に、銀行の立場からこの問題をもう少し考えてみたいと思いますが、先ほど申し上げましたように、現行法では、実際に正当と認められておる貸出の金利の登記もできないような状況になつておりますが、この利息制限法というものが恒久法であるという点から見ましても、この点について一つ私は問題があるのではないかというふうに思います。法律につきましてあまり精通しておりませんので、あるいはそういう御配慮がすでに入つておるのかもわかりませんが、金利そのものの性格から見まして、今後長くこれを固定的に考えるわけには参りません。先ほどもお話ございましたように、今日の金利水準というものは、確かにインフレーシヨンの結果非常に高くなつて来ておる。外国における金利との比較、これまた一般にいわれているような、単に中央銀行の割引レートの比較だけで金利水準を比較することは、いろいろ疑問の余地がございますが、そういうこまかいことは別にいたしまして、全体として見た場合において、やはり外国の金利よりは高い。今日以上にこれが高くなつて行くということは一応考えられないのでありますが、しかし金利というものは一口で申せば、やはり資金の需給関係できまつて行く。今日の金利は必ずしもそういうふうにしてきまる自由な金利ばかりでなくて、金利を動かすことによりまして、各種の経済的な効果を期待する、あるいはそういう効果をねらつて金利を動かすというような意味での金利政策ということも、これは前とは大分違つて来ておりまして、そういうものの意味が強くなつて来ておりますが、しかし金利そのものの性格は、やはりそのときの事情あるいはその国の経済の実情、その実勢によつて動くものであろうと思います。そういうことは当分考えられないといつてしまえば別でありますけれども、他の法令を基礎にしまして十分行政的な指導によつて規制し得るような金利と、ここにおける金利制限との関係を、何かもう少しはつきりできないものかというふうに考えるのでございます。  最後に、先ほど申し上げたことに若干もどることになりますが、この法律によりまして、できるだけ弱い者が、社会的に許されないような高い金利を払わなければならぬということを防ごうとする。それを低目にすれば現実にはなかなか守られなくなる、そういつた矛盾は、どういう法律をつくりましても、現実問題として残るのではないかというふうに私は考えるのであります。この利息制限法そのものの問題ではございませんが、それを解決するには、この法律によらずに、別途そういつた小口金融というか、あるいは庶民金融というか、あるいは生産信用という面に重点を置いて中小企業金融というか、そういつた金融の施設につきまして、もう一段の充実が行われていいのではなかろうかと存じます。特にここ一、二年中小企業金融重要性が問題になりまして、国民金融公庫に対する出資がふえるとか、あるいはまた中小企業金融公庫等の設立があるとか、各般の措置がとられて来ておるのでありますが、先ほど申したような、この法律だけではどうにもできない問題を、無理にこの法律で解決しようということではなくて、別途の措置によつてこの問題は解決さるべきものではないかというふうに考えております。  以上あまり参考にならないことかと存じますが、この法律に関しまして私の考えましたことを申し上げたわけであります。
  48. 小林錡

    小林委員長 これにて高橋参考人及び梶浦参考人意見の開陳は終りました。この際両参考人に対して質疑があれば、これを許すことにいたします。――この際議員山本勝市君より委員外発言をいたしたいとの申出があります。これを許可いたしたいと存じますが、御異議はありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  49. 小林錡

    小林委員長 御異議がないものと認めまして、発言を許すことにいたします。山本勝市君。
  50. 山本勝市

    ○山本勝市君 まことに恐縮でありますけれども、委員外から出まして、二、三の点をお伺い申したいと思うのでございます。私は大蔵委員でありますが、大蔵委員会の方にもこれと裏表になるような法律が出ておることは御承知の通りであります。この方の審議もただいま進んでおるわけでありますが、しかし両方が深い関係を持つておりますので、今日は実はお話を承りに参つたのであります。この機会に、他の委員の方の御質問もあると思いますけれども、お教えを願いたい。  それは、今梶浦先生から、この法律は多分に社会的な法律だ、経済的な法律というよりも、社会的な法律であるというふうな御見解もありましたが、私はむしろ道徳的な要求に基いてできておるように思うのです。しかしながら、それが道徳的な要求に基きましても、一つ法律としてできて罰則までついて来るということになりますと、経済生活に非常な影響を持つものですから、単に道徳の領域でのみとどまるものなら、すなわち罰則などがなくて、道徳上の問題として問題になるのなら別ですけれども、罰則が伴つて法律として出て来る以上は、経済との関係を深く考えなければならぬ。先ほど来これが実際問題として、現行法でもすでに公正証書をつくることができないことになつておるということでありますが、また今後実際行われないようなことにならぬか、こういう御心配もあつたのでありますが、私どもの今の考え方では――これは罰則はついてないのですか、この方はなくて、向うの方がついているわけですな。それでむしろこういう法律はない方がいいのじやないか。これに対して忌憚のないひとつ御批判を承りたい。これは道徳的なことから申しますと、あるいは社会的という要求から申しますと、大体利息そのものをとらない方が一番いい。二宮尊徳の言うように、無利息金融、つまり利息をとらない方がいい。あるいはずつと昔の中世以前の考え方のように、一体金が利子を生むということは自然の法則にそむく、さるが子を生むとか、犬が子を生むという話はわかるけれども、金が子を生むということは自然の法則にそむく、だからけしからぬというような、かつてそういう議論が盛んに行われた。これはやはり道徳的にいえば、むしろ利急なんというものはとらない方がいい。しかしいかにやかましく言つておりましても、やはり利子というものは生れて来る。しかもキリスト教の教会法においてすらも、やはり利子を認めざるを得ないように結局なつて来た。そういう必然に生れて来るものを道徳的な要求で律しようということは、むしろ百害があつて一利がないのじやないか。この書類を見ますと、明治三十三年がどうとか、古めかしい文章のためにもあまり実行されなかつたというようなことを書いておりますけれども、文章が古めかしいとか古めかしくないとかいうことで実行せられなかつたとは思わない。むしろ利息制限を非常に高いところにきめておけば、これは実際上そういう高いところに上る心配はないのですから、これを犯すものはありませんけれども、これは法律があつたから犯さないのではなくて、初めの制限が高過ぎているから犯さないのである。ところが事実効力があるような、場合によつては押えるという法律があるために押えられるというふうなところにきめておきますと、違反者が出て来る。ですから、道徳的に言つても守られない法律というようなことになつて、かえつて効果を持つて来はせぬか。経済的に申しますと、空文になるか、あるいはそういう守られないようなことになるのではないか。ですから私が伺いたいのは、全部そういうことをきめなかつたとした場合に、一体どれだけの不都合を生ずるだろうか。これは立案者の方にも実は伺いたいのですが、きようは参考人の方ですから別ですが、これまで明治三十三年、その後大正八年ですか、また少しかえたというのですが、今までの間にこれが一体そういう効果があつたのか、なかつたのかということであります。私はかえつてない方がいいのじやないか、だからこの機会にむしろこういうものを廃止してもいいのじやないか。これは高橋さんにも伺いたい。廃止したら非常な不都合を生ずるというものだろうか、どうだろうか。大体この金利の役割というものは――これは自分の専門の話で、あまり専門の話を申し上げると固苦しくなるから申し上げませんけれども、結局利息というものが自然に生じて来る。というのは、かりに無利息であつたとしたら理想でありますけれども、無利息になると借手が非常に多くなつて、だれに貸していいかわからなくなる。ですから、利息というものの一番大きな働きは、やはり借手を退却させる、たくさんの借手の中で、ちようど資金供給量のところまで需要者を撃退する役割が一番大きな役割であると思う。これはすべての価格の役割と同じである。つまりただであれば、ほしいものがわんさと寄つて来て、どの人にやつていいか、くじ引きさせるわけにも行かず、結局そこに金を払わなければいかぬ。金を払うのならやめておこうというのでひつ込んで行くものがあるから、結局需要供給のバランスがとれる。資金も、もし金利が全然つかぬということになつたら、借手が山のように押しかけて来て、どの人に貸していいかわからぬでしようから、そこにやはり金利というものが出て来る。その金利を払つては引合わない、もうやめておこうということで借りないものが出て来るから、あとの残つた借手で供給とのバランスがとれるようになる。こういうふうに、借手を撃退するという働きが一番大きな働きであり、第二には貯蓄の一つの大きな誘因になる。つまり資金供給を豊富にするということと、需要を撃退するということ――全部撃退するわけでないのですが、適当なところまで撃退する。そうすると、金利は安ければよいという考え方は、これは道徳的に、金を借りる方の立場の人から考えて、理想が無利息だから、従つてなるべく安い方がいいということになりますけれども、しかし今のような資金供給源である貯蓄をふやすということと、それからその貯蓄が十分でない場合に、需要の方が非常に多い。その需要者を整理して、そうしてほんとうにこれだけの金利を払つても借りようというものだけを残そう、つまり需要者の数を減らして行こうという働きから申しましても、あまり金利が安過ぎるということは、貯蓄をふやす上からいつても困るのです。それから需要を撃退するということから申しましても、あまり安いのは困る。ですから、借りられる人だけの立場から考えると、それは安い方がよいのですけれども、借りた人だけが喜ぶので、ほかの需要者はまつたく借りられない。そうして金融機関で借りられないから、よそへ行つてでも借りようということになると、この法律には罰則がついてないというが、もう一つの大蔵委員会に出た方で罰則がついておつて、そのために今度は事実借りられないというふうな結果になつて来る。むしろ一方で安く借りた人があるということが、ほかの人が高く借りなければならぬような原因になる。ですから、この資金需要供給関係から、供給をふやすということも必要である。それから需要者を適当なところまで減らすことが必要である。その両方の働きからいつて金利は高過ぎてもいけませんし、安過ぎてもいかぬ。高過ぎるのはいかぬということだけは今問題になつておりますけれども、安過ぎるのもいかぬということはあまり考えていない。しかし実際は安過ぎてもいけない。ちようどころ合いがいいのですけれども、そのころ合いというものが、時と所と、あらゆる条件で違つて来る。このころ合いというものを法律で固定させるということはできない。ですから、ない方がいいんじやないか。むしろ金利制限というものは、利息制限法だけでなしに、臨時金利調整法も全部撤廃してしまつたら大混乱を生ずるだろうか。それともそれほどのことはなかろうか。これを特に私は実際上金融業に当つておられる梶浦さんの一つの感想でもけつこうです。承りたいと思います。
  51. 梶浦英夫

    梶浦参考人 まず前者の方は高橋さんの方が適当ではないかと思いますが、あとの方の問題、臨時金利調整法の問題でございますが、先ほど私申し上げましたように、今日のあの制限による金利の水準というものは、実勢を反映していないのではないかということと、あの金利というものは政策的な金利であるということ、これは私そういうふうに信じております。現在そういうふうになつておる金利というもの、これも高いとか安いとか――金利の問題は御承知のように三百六十五日大体高い高いと言われておりますので、安過ぎるのじやないかという話を伺うことはないのでありますが、同時にそういう意味においては非常に問題になる、実勢を反映していないということは言えるのでありますが、それでは実勢はどこにあるのかということは、政策金利でありますだけに非常にわからない。かつて戦後の統制時代にマル公制度がありましたときにも、実際はコストは幾らなんだろう、幾らでならば大部分の会社がその商品を売るのだろうというようなことを、いろいろコスト計算をやつてみてはじいてみましても、なかなかわからなかつた。それが統制撤廃になりました結果、一つの水準というものがおのずから出て来たというようなことも同じような関係ではなかろうかと存じます。私、私見を申し上げるにとどまるのでありますが、臨時金利調整法による金利の引下げというものは、いろいろな意味で無理が重なつているというふうに思います。先ほどもちよつと触れましたように、無理でありますれば、銀行側としてはそれに対応するような措置をとる。結果において利息収入が一定のところまで来るような措置をある程度とる。これは何でもやれるということではございませんが、ある程度のことはやれると思います。そういう意味においても一ぺんあれを撤廃してみたらどうかということは、私も実はよその会合で主張をしたこともございます。その場合においてとんでもない金利になるかどうか、これも私は今日の銀行制度のもとにおきましては、もちろん例外的な金利行き過ぎの事例が出るかもしれませんが、全体の水準としましては、そう大きな変化は出て来ないのじやないかと考えておりますので、むしろ一度撤廃して水準というものをそこで判断をしたらどうだということを言つたわけでございます。ただ今日すぐここでやるかどうかということは、別の問題があるのではないかと存じます。と申しますのは、言うまでもなく民官ともに経済の引締め政策をやつておるというときに撤廃するということは、それに逆行するような効果が出やしないか。撤廃することは、金利そのものとしては大きく響きませんが、むしろ副次的な効果から、経済の正常化を目指して進んでおるとき、おもしろくない効果が出やしないかということをおそれるわけであります。はなはだ自信のないお答えで申訳ございませんが、そういうように考えております。
  52. 高橋亀吉

    高橋参考人 利子制限法を撤廃したらどういう問題が起るかという山本委員の御質問ですが、これは金利が経済的に決定されるという前提においては、おつしやる通りだと思うのです。ところが実際においては金を借りるという場合に、経済的な考慮でなしに、病気だとか、あるいは非常に困つたことが起きたとかいうようなほかのことでいやおうなしに借りなければならないという場合が多々あるわけです。そういう場合にこれをほつておいていいか。しかもその約束したものを法律をもつて強制し得るようなことを許しておいていいかというと、そういう場合には、いつも経済金利ではなしに、貸す方の言う通りの金利で支払わねばならない事情のために借りる人がずいぶんあるわけです。ちようど山本委員のおつしやるようなことであるならば、たとえば労働基準法もいらない、労働法もいらないということになるのでありますけれども、やはり一定のものの標準を与えなければ、弱い方がどんなことをされるかわからない。こういう危険は出るわけでありますし、そういう事情があればこそ、過去において利息制限法というものがずいぶん長い歴史を持つておる。つまりそういう弊害が常に起るわけであります。そこで全体の経済事情から見まして、少くとも法律をもつて約束をした金利をとり得るというのには、一応の限界を置かざるを得ない。そうしなければ弱い位置にいた人はいやおうなしに向うの言うなりにならざるを得ない。こういう問題が出て来るわけです。ほかの方に行げばいいじやないかということになるでしようけれども、実際においては、そういう場合には自分が知つておるとか何とかいつて、何も知らないいろんなところへは行けないという場合も非常に多くありましようし、ある地域ではそれ以外にないというのもありましようし、そういうわけで、私はやはり一定の制限は置くべきだと思います。いわんや法律をもつてそれを強制する、国家が保護を与えるという場合には、当然それは置くべきである。ただ、さつきも言いましたように、家質が高いからといつて、終戦後家賃をあまり安いところへ統制したものだから貸家ができなくなつた。しかもかわりの公営住宅も十分できない。それで住宅難に陥れたのですが、そういうことのないようにすべきだ。それだけは考えるべきだ。けれどもほつて置いていいというわけには行かないと思うのです。これは銀行との取引でも、今は銀行の数が非常に少くなりましたけれども、それでも下の方の金融機関では、手形の期限が来た、これをほつておけば不渡り手形になる、破産になるという場合には、言いなりに借りざるを得ないのですね。そういう場合にある一定の限度を与える。しかもこの法律では、それは任意である限りは問題はないのだ、あとで法律の保護を受けてその契約を実行しようというときに、初めてこれが問題になる。そういう国家が保護を与えようというときには、そういう弱い位置、せつぱ詰まつた位置にいて、対等の需要供給関係において金利を定める資格がないという場合には、一応最高限度を置くべきだと思う。事実また過去においてそういう弊害が非常に多かつたからこそ、利息制限法というのが各国に発達して来たというように私は思います。
  53. 山本勝市

    ○山本勝市君 長くは伺いません。ことに意見の相違ということになると困るから申し上げませんが、ただこれまであの法律は明治三十一年から大正八年までかえずにおつた。それから今までまたかえずにおつたということは、あつてもなくても同じような法律だからそういうふうになつてつたと思う。必要があつて、レーゾン・デートルを主張して来たというものとはどうも私には考えられない。  もう一つ、現にこれまで貸金業法によつて、五十銭までは事実上さしつかえない、五十銭以上は大蔵省へ届出をすることはできない、五十銭以下は一応届け出ればそれで有効であつたのですけれども、五十銭までとつたかというと、とつてはいない。事実上三十銭、二十五銭、十五銭というように、そのときの需給関係で三十銭以下であつて、五十銭まではとつていない。ですからそういうふうに五十銭まではとつていいことになつてつても事実上はとらない。法律があつても犯す者もできて来る。なかつた場合に、高橋さんがおつしやつたようなこともあり得ると思いますが、これはしかし民法に公序良俗に反する契約は無効だという規定はつきりある。この間も東大の民法の先生に聞いたのですけれども、利息制限なんというものは大体外国にあまりない。昔はあつたでしよう。中世紀においては利子そのものを否定するような考え方があつたのですから、あつたでしようけれども、今はなくなつておるそうですが、しかしドイツの場合には、窮迫、無知に乗じてやつた場合にはこれは無効だという規定があるということでありますから、私はその際東大の民法の先生に、ドイツのように窮迫、無知に乗じてやつたのはいかぬというふうに日本法律にきめるわけには行かないかと申しましたら、実は公序良俗に反するという中には窮迫、無知に乗じてやつたものというのもはつきり含んでおるのだ、だからそれでりつぱにやれるのだという話であります。だからこのようにほんとうに困つたところへつけ込んで、そうしてよそへ行けばもつと安く借りられる場合でもよそへ行くまでもない、そこできよう今ちようど金がなければいけないというときに乗じてひどい契約などをすれば、これはもう当然公序良俗に反するものとして無効になる、しかもそれは特殊な例外のもので、それを今度は金利というふうな、経済行為全部につきまとつて来るようなものに対して、つまり資金の賃料と申しますが、資金の価格というようなものを法律で固定しようということは、よほど考えなければいけないのじやないか、こういうふうに私は考えるのでありますけれども、これはしかし議論にわたるようでありますからやめますが、高橋さんのお考えはよくわかりました。どうもありがとうございました。
  54. 高橋亀吉

    高橋参考人 私はこういうふうに思うんですよ。つまり大正八年以降においてこれがだめになつたというのは、インフレーシヨン時代金利という場合に、これとまつたく違つた状態が起つたにもかかわらず、それに順応する措置がまつたく抜けておつた。これは全体として銀行の貸出金利でもみなそうです。ですから浮貸しその他のたいへんなものが起つたわけです。そういうことで法律の方が市場の変化に応じられないというわけで、そういう場合にどうするかということは考慮すべきだと思います。さつきも言つたように、ドイツのインフレーシヨンのときには、ライヒス・バンクは最後には十割何ぼまで高い金利とつた。日本ではこの法律があつたのじや中央銀行でもそういうことはできつこないわけです。そういうときに一体どうするのかという問題が起ると思います。しかしインフレーシヨンというようなことはもう普通にはないものと考えるべきで、そういう場合が来れば、これに応じ得るような措置がいると思います。そういう意味で、私はさつき言い落しましたけれども、何かそういう事態が起つたときには、法律の変更ということでなくとも、つまり一定のそういうようなものをやつておいて、インフレーシヨンということを考えれば、緊急にこれを停止し得るようなことも必要だと思います。  それからもう一つは、限度の区別の仕方というものが、インフレーシヨンになつたのに百円以下とか千円以上とかいうふうに、まるきり貨幣価値と遊離したような規定がそのままに残つてつたところに問題があつたと思います。それでこの金利については、いろいろ見方により意見はあると思うのでありますが、やはり金利というものばかりでなしに、全体の今の大きな傾向として、経済界に非常に大きな影響のあるものを自由競争に全部まかせておいてよいかどうかということになると、山本議員とはよほど立場が違うのでありまして、それは私ばかりではなしに全体の考え方になると思うのでありますが、やはり国全体と考えて、自由競争にまかせておけば弊害のあるところはこれを是正する措置をとるべきだし、それが資本主義経済の発達の大きな傾向だというふうに思つておるのであります。それだけでこれまでのこういう法律がまつたくだめになつたというのは、インフレーシヨンという大きな変革があつたにもかかわらずそれがそれなりになつてつた、そういう怠慢があつたということにあつたのであつて利息制限法それ自身が必ずしも間違つておるのだ、あるいはそれが無効だ、こういうふうに見るべきじやないと思います。ただ問題は、これは上限を規定するのでありますから、それ以下の範囲においてやるのが当然なんです。上限のきめ方があまり社会政策的な点が強調され過ぎて実際の経済に沿わないときに、初めて各種の故障が起る。そういう点で実際の事情に沿うように率を考慮する、こういうことが必要になつて来るのではないかと思います。
  55. 山本勝市

    ○山本勝市君 これはついでにちよつと法務省の方に伺いたいのです。大正八年から今日まで約三十四、五年の間、元金百円未満は一割五分、百円以上千円未満は一割二分、千円以上は一割、つまり百円などという問題にならぬよう数字でそのままインフレーシヨンの中を過して来て、すでにデフレ時代に入つておる今日まで三十何年間、これをなぶらずにそのまま過して来たということは、あつてもなくてもいい、忘れられておるようなものだから過して来られたのではないか。もしこの法律がほんとうに生きておつたのなら、百円未満幾らなんというような、ほとんど昔話のような、問題にならぬような数字で、あのインフレ時代から今日まで何らの修正も行わずに通つて来ておるわけはないのじやないか、この点はどうです。
  56. 村上朝一

    ○村上政府委員 現在の利息制限法があつてもなくても同じじやないかという点でございますが、なるほど現実の金利というものは、主として経済法則によつて定まつておると思います。現在の利息制限法はあの限度を越える利息は裁判上無効であるとしておるわけであります。つまり裁判所に訴えまして、国家権力を借りて強制的に取立て得る限度を定めておるわけであります。でありますから、現実には非常な高金利が行われておりましても、裁判所の力を借り、また執行機関の力を借りて強制的に取立て得る限度というものは、現行利息制限法の制定以来あの率に押えられております。その意味におきまして、決してあつてもなくてもいい、何らの働きもしていなかつたという法難ではないのであります。現在でも、裁判所に訴えますときには、一割を越える利息裁判所が許さない。また一割五分を越える利息につきましては公正証書もつくりません。また執行吏も強制執行しない。その意味においてはその限度における威力を十分発揮しておつた。ただ百円、千円という元木の区分が、現在と昔の貨幣価値からいいまして、はなはだ不合理になつておるということは申すまでもない。その点が今回利息制限法改正案を提案いたしました一つ理由になつております。
  57. 小林錡

    小林委員長 他に御質疑がなければ、本日はこの程度にとどめておきます。参考人には熱心に長時間にわたつて協力くださいまして、まことにありがたく感謝いたします。  明日は午前十時より日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法案について外務委員会と連合審査会を開会することにいたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後四時五分散会