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高橋参考人 今度の
利息制限法案につきましては、私ども
一般論からお話を申し上げる以上の知識を持
つていないのでありますが、
一般の問題から
考えますと、今度の
利息制限法案はその内容というよりは性質に重大な変化があると思うのであります。それは従来の
利息制限法がもつぱら
消費信用を
対象としてお
つたのが、今度は
商業信用をも含めたというところに質の変化があるのではないかと思うのであります。自然これを
考えますには従来のそれと、そういう性質の変化があ
つたということを頭に置いて審議あるいは研究する必要があるように思う次第であります。それからもう
一つは、
利息制限法はずいぶん古くから行われているわけでありますが、その
時代と今日との間には
金融機構の発達というもので非常な変化を来しておる。おそらくこの
利息制限法が最初にできましたころには、
金融機関というものはまだあまり発達しておらず、
従つて金貸し業者というような
機関に
金融を依頼してお
つた人たちが非常に多か
つた時代ではないかと思うのであります。それが今日は
金融機関がかなり整備されており、ことに庶民
金融方面も相当
機関の整備を見ておる。そういう変化があるということを一応もう
一つ頭に置いて
考える必要があるのではないかと思うのであります。と申しますことは、この
法案のことに第一条のわけ方でありますが、このわけ方については、つまり十万円未満と、十万円以上百万円未満、百万円以上というわけ方にな
つておりますが、このわけ方につきましては、この中で主として各種の
金融機関に依存して大体国民経済の
金融の目的は達せられるという分野と、そういう
金融機関から漏れておるどうしても
金貸しその他の
業者の活動に依頼しなければ他にこれを補う
機関が非常に欠乏しておる、不十分だ、こういう分野があると思うのであります。そこで
金融機関に依存し得られる分野につきましての
利息制限と、それ以下の
機関に依存せねばならない分野の
利息制限というものはかなり性質が違
つておるというふうに見て、この
利息の
制限法を考うべきではないかと思う次第であります。といいますのは、
金融機関に頼り得られる
範囲の、そういう分類に入り得る
資金であれば、これはもつぱら
金融機関にたよらす建前をと
つていいと思うのであります。
金融機関にたより得る
資金でありながら、一時の不渡り事件、不渡り
手形が起るとかなんとかいうふうな
理由によ
つて、あるいは他の
理由によりましてかなり高い
金利を使
つて仕事をする、こういう道を開いておく必要があるかないかというと、私はそういう部面においてはそういう道を開いておくということの方が社会的弊害が非常に多いと思う。現に最近でも
事業で破綻を来しておる、いろいろの背任罪的な金の使い方をし、調達の仕方をしておる、こういうものは成規の
金融機関を当然通じて融通すべき筋の
資金を、それ以外の
資金源を通じて
高利のものを借りておる、その道があるということがこういう誘惑を起さし、そういう不正なことをさせ得る道を開いておるのではないか、そこで成規の
金融機関に当然たよるべきである、またそれ以外の
金融機関にたよ
つてお
つてはとうていその
事業はや
つて行けない、こういう部類の
利息制限というものはかなりこれをきつくしてさしつかえない。しかしながら成規の
金融機関にたより得られない
資金、どうしても金貸業その他の融通にたよらざるを得ない、こういう
資金の部門につきまして、この案を見ますとほかと同じような待遇をしておる、つまり二割と一割八分と一割五分という開き、これは同じ
金融の
資金としてのわけ方であります。これは同じ
銀行にしてもこのくらいの差
はつける、このくらいの差は当然
銀行の中でもつける、そういうわけであるから、これは性格が同じだという建前のわけ方だと思います。しかし正規の
金融機関にたより得ないものにつきましては、それはそれだけの
金融の性格が違
つておるのでありまして、第一は危険率が多い、第二は非常な手間がかかるということであります。
従つてそういうものにつきましては別個の基準がいるのではないかと思います。むろんできるだけ高い
金利でないようにするということは望ましいわけでありますが、しかし以上申しましたような特殊の
金融の性格というものを無視した安い、きつい
制限をするということになりますと、こういう
金融の道がとざされてしまう、あるいは相当減
つて来るという形になると思うのであります。それはちようど戦後家賃を
制限して、今まで貸家という形で家が
供給できたのが、その
供給の道がとざされた、しかも家賃を
制限したとなれば、当然公営住宅その他を十分建てる責任があるわけであります――事実やりかけたのでありますけれども、これはきわめて不十分であ
つたわけであります。そのために非常な住宅難が起
つておるのでありますが、それと同じように、ここで特殊の
金融の性格というものを軽んじて、高い
金利を押えるという面ばかりを強く見ると、それでは貸手がなくなるというのであれば、国としてはこういう
制限法をやるからには、当然公営において安く貸し得る
機関を設ける責任がある。その設けることが困難である――また事実困難だと思うのでありますが、そうであれば、ちようど家屋において、貸家が成り立
つて行く
程度の家賃を認めなければ、住宅難で困るというわけで、そういうことになるわけでありますから、この性格がかわ
つておるということを頭に置いて、このわけ方をやりかえるべきではないかと思うのであります。ところでそれをどういうふうに見るかということは、これは慎重の審議を要するわけでありますが、きわめて大ざつぱでありますけれども、かりに
金融機関に十分たより得られる、このくらいの
資金は、もう金貸
業者がそれでは貸せないというので貸さなくても大丈夫や
つて行ける、しかも金貸業にたよらなければならないような
経営の仕方それ自身が、すでに間違
つておるのだ、そういう権道を歩む道を渡らないようにして行
つて大丈夫だというラインは一体どこだ、これは
金融業者その他の方で専門に研究してもらいたいと思うのですが、それは大体五十万円以上じやないか、五十万円以上の
資金であるならば、これはもう金貸
業者にたよる必要なし、
利息制限が厳重で金貸
業者はそれで貸せないというのであれば、それでさしつかえないと思うのであります。そこでかりに五十万円以下というものは大体正規の
金融業者以外のものに主としてたよらねばならない、こういうことだといたしますと、その今のラインは、さつき言いましたように正確ではないのでありますから、研究していただきたいと思うのでありますが、その五十万円以下になりますと、これはそれ以上の
金利とは性格が違うのでありますから、刻み方がかなり違
つて来なくちやいけない、最高
金利の刻み方が違
つて来なくちやいけない、というのは第一危険が非常に多い、
一般の
金融機関が相手にしないような
金融である、それから手数が非常にかかる、ある場合には
日掛、月掛という制度でなければその
金融は扱わない、どこでもみな同じような
制限をつける、しかもあとにもありますような、そういう手数料その他は全部
金利とみなす、こういうのでありますれば、これはよほどそれらの特殊事情を考慮して刻み方をかえて行く、こういうことが必要になるのではないかと思うのであります。そういうわけで、しかもそれは
金融が一定の金額以上になれば、特に
日掛、月掛というふうなもの、ことに手数料が非常に多い、こういうことになると思うのであります。そういうふうに
考えますと、五十万円以下をどういうふうに刻むかということが、実はこの
法案の最も重大な
対象になるのじやないか、五十万円以下をどう刻むかということが一番大きな問題になる点ではないかと思うのであります。私のほんの腹づもりで、科学的に研究したという
意味ではないのでありますが、たとえば五万円以下の貸金、これはもう手数が非常にかかるのであります。そうすると少くとも五万円以下というラインがいるのじやないか。それからまああとそれ以上五十万円というのはあまり大き過ぎる、そうすると五万円以上二十万円、二十万円以上五十万円未満というように、五十万円以下のラインを少くとも
三つぐらいに
考える必要があるのではないかと思うのであります。
そこでもう
一つの問題は、さつき申しましたように、今度の
利息制限法は
商業信用、いわゆる経済的行為に必要な
資金の
需要までも
対象にしたのでありますが、その立場から
考えてみますと、たとえば五万円以下の金を借りるというふうな場合には、その
資金というものはどういう働きをするかというと、この場合には
資本にたよる部分はきわめて少い。大部分はその労力を売る、その売る
一つの機会をつくるために金がいるのだ、たとえば夜泣きうどんをやるとか、焼きいも屋をやるとか、そういう場合には
資本という部面は非常に少い。労力が大部分だ。そうするとなるほど
資本から見ますと相当高い
金利のように見えても、本人からいえば
資本の負担はわずかなんで、大部分は労力を売るのだということになれば、
金利の負担能力というものは、そういう
意味においてはかなり普通の場合とは違
つて来るわけであります。ドツジ・ラインで
金融を引締めましたときに、某大
銀行の頭取が、こう不景気では
金利がゆるむという説をされたときに、私はゆるまないという話をしたことがあります。それはどういう
理由であ
つたかというと、終戦後
事業の大半が荒廃している、そうしてあるものはここに二億の設備がある、もう五十万円足せば全体が動くんだけれども、五千万円が足らないために設備が遊んでいる。こういう事情が非常に多い。そういう場合には少々高い
金利を払
つても全体が動くなら二億五千万円で、普通の
金利の二倍払
つても、その方がまだ有利だ、こういう
状態の場合においては当然
金利が高い、下りはしないということを申したのでありますが、それはあの場合は臨時である、変態事情でありましたけれども、おそらく五万円ないし十万円以下の
資金を借りて
仕事をしている、なりわいをする、経済
生活をする、こういう人にと
つてはそれにほぼ似たような、つまり労力が大部分だ、
資本はわずかだ、それが永久的だ、それが恒久
状態だ、こういうふうになるのではないかと思うのであります。そういう場合には
金利はなるほど高い、一見高いように見えても、その負担は少い。それを過重に圧迫されて
金利を押えられて
資金が得られないという場合に比すれば、ある点まで借り入れ得られる合理的な
金利、その方が高くてもいい、こういうことになるのではないかと思うのであります。
それからさつき言いましたように、非常に危険が多い及び手数が非常にかかるこういうふうなことから言いますと、このわけ方はたとえば五十万円以上百万円ぐらいのところはもう少し下げていいと思うのです。一割八分から一割五分というのはもう少し下げていいと思います。ことに百万円以上というのであ
つたらもう少し下げていい。これは
金融業者にたより得られるのであ
つて、その方に主としてたよらすという方向に持
つて行
つていいのではないかと思うのであります。ことにこれらの
金利は今後の
日本の経済
状態、
金融状態に、
一般の
金利と密接な
関係があるので、少くとも五十万円以上が
一般金融機関にたより得られるという形になると、
一般の
金利の動きというものと密接な
関係がある。ところが大正八年当時に一割二分であ
つたのを一割五分に上げる。これは非常な逆転だと思います。大正八年当時は
日本の
金利はまだ英米に比べれば比較的にそう高くないのでありまして、二倍以下であります。非常に外国との
金利の差は少か
つた。今日は三倍近く高いのであります。
金利の問題から言いますと、過去に比べて今の
金利が高いとか何とかいうことよりも、外国に比べてどれだけ高いかということの方がより重大な問題なのであります。というのは国際競争上
金利が問題になるからなんであります。そういう
意味から言いますと、大正八年当時よりもむしろ安くなくちやいけないのであります。それを引上げるということはこれは逆行だと思います。しかし実際はどうかというと、終戦後の
日本の
金利はインフレーシヨン
時代の
金利であります。インフレーシヨンのときには
金利は非常に高くともこれは経済
金利なんです。つまり当時月一割の
金利が当然でありましたが、あのときは一割払
つてももうかる。物価が二倍三倍に上るのですから。そういうようなインフレ
時代の
金利、特にたとえばドイツのごとき一番ひどいときは、ライヒスバンクつまり中央
銀行の
金利すら十割、市中
金利は十割以上、中央
銀行であ
つても十割、こういうふうにインフレ
時代には非常に高い
金利なんでありますが、これは十分引合う経済
金利なのでありまして、高くても問題がないのでありますが、しかし経済界の
状態が平常に帰り、むしろデフレ
状態になれば、新たな
金利水準が出ねばならないのであります。ただ今までのインフレ
時代の高
金利の覚えがありますそのために、
一般の
金利がまだ必ずしもそこへかか
つていない、こういう面が残
つています。そういうわけでそういう特殊な事情が尾を引いているということは、考慮する必要があると思うのであります。しかしこれを見ますと、過去においても
高利制限法のようなものを設けるとなかなかこれは動かない。明治三十何年からや
つて大正八年まで動かしていない。大正八年から今日まで動かしていない。こういうような性格の
金利であれば相当先を見てやるべきだ。め
つたに動かさない
金利なんだ。もし必要があればここ二年内外、全体としては先を見た
金利にしていて、ここ二年内外は計画的に少し今の情勢を考慮したものをつくる、そのくらいのことをしておく必要があるのではないかと思うのであります。
しかしながら以上は五十万円以上、百万円以上というふうな
金融機関にたより得る面でありますが、それ以下につきましてはこの
制限ではおそらく
金融業は成り立たないと思う。そういう
方面の、しかも
金融業者にたよらざるを得ない、ほかに設備がない、しかも負担能力から言いますと
金利だけで見るべきでなしに、その
資金というものは
自分の労力を生かすために使う
資金である。しかも貸す方から言えば
日掛とか月掛とか非常な手間があり危険もある。これを
一般の
金融機関の
金利の刻み方で行
つたのでは、これはもう話にならないという形になるのではないか。ことに
利息制限法が従来は
消費金融に限られていたやつが、今度は
生産金融、
商業金融までも入るという形になると、当然そういう考慮がいるのではないかと思うのであります。事実またそれは現に
質屋の
金利等との均衡から言いましても、あまりにこれはけたはずれに安過ぎて、大体
金融機関にたより得る
金利の刻み方だ、こういうふうに
考えられるのであります。そこでしからば五十万円以下のものはどのくらいの刻みにしたらいいか、これは私も科学的に研究したのではないのでありますからその立場で御研究願いたい、こう思うのでありますが、たとえば五万円以下は少くとも今の二割が五制ないし二倍くらいにしなくちや実際に合わないのであります。五万円以下のものは少くともそうじやないかと思うのであります。そうして五万円以上はさつきも言いますように一銭八厘というのは高過ぎると思うのでありますから、そこは下げてもいいのでありますが、五十万円以下という形になれば今度は刻み方が質が違うというので単に二分しか違
つていない、三分しか違
つていないのであります。百万円との間は……。もう少し開きを大きくして、そうして下へ持
つて行く、こういうような考慮がいるのではないかと思うのであります。
次は第三条の
利子の天引きの点であります。一応
利子の
制限をするという建前をとれば、天引きの場合の
制限がいるということは当然のようだと思うのでありますが、しかしこれではほかの
方面で大蔵小
委員会や何かの方で出ておるのは、今まで
日歩五十銭のが三十銭だというわけでありますが、そういうものとあまりにかけ離れ過ぎていはしないか、
利子としてあとから払うのだ
つたら幾ら払
つてもこれは任意に払えばしかたがないというのが、第一条の二項にあります。その
利子を割引料というような形で先へ払えばこれは
規定の
利子以上と
つていかないという、こういうのではあまりに第一条の二項と第二条がかけ離れ過ぎやしないかと思う。事実また今日の場合
日歩五銭ないし十銭というくらいの金は
商業的にうんと使われている。大きな証券会社辺でもそのくらいまだ使
つております。そうすると、五銭以上、四銭九厘以上の
日歩で割引いたとしますと、たとえば十銭で割引いたとすると、四銭九厘以上は元木の支払いとしてあとから差引できるのだというようなことは、これは実際の商行為というものをめちやめちやにしやしないか。一度約束しておいてあとから元本を払うときに四銭九厘だけは元本を払
つたことになるのだ、こういう形にな
つて、それを差引いて払うというから、そこでここはだからとい
つて無
制限にということでは、この案全部が無
意味になると思いますが、ここにたとえば「前条第一項に
規定する利率により計算した金額を」というのを計算した金額の一割五分とかこの一・五倍とか二倍だとかいうふうなものはたとい任意に払
つた場合でも、それ以上のものを払
つたときには元本にするとか何とかというふうなことにしなければ実際経済の実情というものが、少し悪意を持てば大混乱をするというふうに見るべきじやないかと思うのであります。むろんこれはさつき言いますように私は五十万円以上は相当引下げていいという議論でありますから、そういうものはかりに二倍にな
つてもかなり安いものにな
つて行くだろうと思うのであります。
大体私がこれ全体を拝見いたしまして
一般的な点から感じました要点は、これだけであります。こまかい技術的な点は私わかりませんので、
一般論から簡単に
意見を申し上げた次第であります。