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1953-07-31 第16回国会 衆議院 法務委員会 第27号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年七月三十一日(金曜日)     午後一時五十八分開議  出席委員    委員長 小林かなえ君    理事 鍛冶 良作君 理事 佐瀬 昌三君    理事 田嶋 好文君 理事 吉田  安君    理事 古屋 貞雄君 理事 井伊 誠一君    理事 花村 四郎君       林  信雄君    高橋 禎一君       飛鳥田一雄君    猪俣 浩三君       細迫 兼光君    木下  郁君       佐竹 晴記君    岡田 春夫君  出席政府委員         法務政務次官  三浦寅之助君         検     事         (矯正局長)  中尾 文策君         法務事務官         (人権擁護局         長)      戸田 正直君  委員外出席者         判     事         (最高裁判所事         務総局家庭局         長)     宇田川潤四郎君         法 務 教 官         (多摩少年院分         類保護課長)  小川  博君         専  門  員 村  教三君         専  門  員 小木 貞一君     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  人権擁護に関する件     ―――――――――――――
  2. 小林錡

    小林委員長 これより会議を開きます。  本日の日程につきまして最高裁判所側より、出席説明したいとの要求がありました場合には、国会法第七十二条第二項の規定により、これを承認するに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 小林錡

    小林委員長 御異議なしと認め、さようとりはからいます。  人権擁護に関する件について調査を進めます。発言の通告がありますから、順次これを許します。猪俣浩三君。
  4. 猪俣浩三

    猪俣委員 人権擁護局長ちよつとお尋ねいたします。あなたのところへ板垣幸三という人物が、何か自分からだ保護を加えてくれというようなことで、相談に行つたことがありますか。
  5. 戸田正直

    戸田政府委員 本年の四月五日に東京法務局人権擁護局に身の保護を求めて、申告に参つた事実があります。
  6. 猪俣浩三

    猪俣委員 その身の保護を求めたというのは、どういう事情でありましようか。
  7. 戸田正直

    戸田政府委員 結局アメリカCICキヤノン機関に不法監禁せられて、脅迫せられてスパイ活動に協力した。その後キヤノン機関が解散したので、竹村という人に自分からだを委託したが、身の危険を感じて逃亡した。そこで自分国籍がどうもはつきりしておらないので、国籍明確化生活の安定、それから身の安全、キャノン機関のした人権侵害に対してこれを究明していただきたい、かような申出でございました。
  8. 猪俣浩三

    猪俣委員 もう一ぺんお尋ねいたしますが、それは本年の四月いつかで、いま一つ竹村とか何とかいう言葉が出ましたが、それをもう一ぺんおつしやつてください。
  9. 戸田正直

    戸田政府委員 申出のございましたのは、ただいまお答えしました通り四月五日でございます。それからこの竹村というのは、キヤノンと一緒に密輸入をやつてつたものだそうで、竹村……。名前はわかりませんで、竹村某であります。
  10. 猪俣浩三

    猪俣委員 そこで国籍がなくなつておるという事情は、どういう事情でございましようか。
  11. 戸田正直

    戸田政府委員 東京法務局人権擁護局に、本人板垣幸三からの申告によりますと、昭和五年三月十一日樺太敷香郡恵須坂町に生れて、父は鉱山で働いておつたが、自分の七歳のときに事故によつて死亡した。その後母の手で育つて、住所を泊居に移して小学校に入学、約一箇月にして塔路移つて小学校三年のときさらに北名好に移りましたが、ここで恵須取中学在学中に勤労動員で伊藤という軍需工場に徴用されて終戦まで働いておつた終戦が近づくにつれて艦砲射撃がはげしくなり、母はそのために終戦のとき死亡して、爾来孤児となり、自分国籍がはつきりしておらないというふうな事情でございます。
  12. 猪俣浩三

    猪俣委員 それに対しまして人権擁護局は、国籍の点は心配してやろうというような話であつたそうでありますが、その後どういうふうになつておりますか。
  13. 戸田正直

    戸田政府委員 実はその結果の詳細の報告法務局から受けておりませんが、民事局の方に、こういう場合に何とか国籍を明確にしてやつてもらえる方法はなかろうかということを問い合せたということでありますが、その後の結果につきましては、まだ報告を受けておりません。
  14. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると彼の一身上の安全については、人権擁護局はどういうふうな考慮をなさいましたか。
  15. 戸田正直

    戸田政府委員 本人は今生命に危険を感じているというような申出でございましたが、本への供述にも多少あいまいなようなところも実はございますし、また生命が危険であるという具体的なことがはつきりしませんし、また人権擁護局の仕事として、どのような保護の仕方をしたかということについて、非常に具体的にははつきりいたしませんでしたので、まず今のところではまだそう生命に危険というようなこともないのではなかろうかという程度で、当時また本人の方の最も強く主張せられた点は、国籍を何とかしてもらえないかということが法務局に申し出ておりました大きな要望でありました。希望としては一身上保護というようなことも言つておられましたが、もし具体的に危険があります場合は、警察等にお願いをするというようなことに相なるのでありますが、まだそこまで参りませんで、ただ聞き置く程度に相なつております。
  16. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうしますと板垣人権擁護局に御依頼をしたことは、自分人権蹂躙を過去においてせられ、なおまた将来危険があるという訴え、いまつは国籍を取得したいという訴え、ところがその人権蹂躪の問題の方は、どうもはつきりせぬのであいまいな話、そこでいま一つ国籍の方も、今あなたの報告を聞くと、民事局連絡したがさてあとはどうなつたかわからぬというようなことですが、何かもう少し積極的に親切にしてやることはできないものでしようか。今後どうなさるつもりですか。民事局連絡しただけで、それでもういいということになつておるのでしようか。あるいはお約束のように、何か国籍が取得できるよう積極的に心配していただけるでしようか。それをお尋ねいたします。
  17. 戸田正直

    戸田政府委員 民事局の方へただ連絡したというだけでなくて何とか国籍が取得できるようにならないだろうかということを要望いたしたのであります。この問題は、決してそのままにするわけではございませんので、とくと研究いたしまして、何とか国籍が取得できるように努力いたしたい、かように考えております。
  18. 猪俣浩三

    猪俣委員 それから宇田川家庭局長にお尋ねいたしたい。  それは一つは、家庭裁判所に相当の離婚その他慰藉料請求等事件が出ておるようであつて、相当調停の成績も上つておるようでございます。ただ私どもが気にかかりますことは、せつかく裁判所である程度調停ができたといたしましても、その調停履行が一体どうなつておるか、たとえば百万円金を、夫がわかれる妻に出すということになつて、毎月十万円ずつ渡すという約束に相なつたという場合におきまして、その十万円の履行がどういうことになりますか。それはただ和解調書をつくるだけで、あと家庭裁判所としてはそれに対しては何らの関与がないものであるかどうか、その点についてお伺いいたします。
  19. 宇田川潤四郎

    宇田川最高裁判所説明員 御質問の趣旨は、調停に関する履行確保の問題ではなかろうかと思うのでありますが、従来の裁判所の観念といたしましては、裁判をしてしまえば、あるいは調停をしてしまえば、その後の結果については何ら関係なく、もしも履行等について不当がある、すなわち不履行などがあるならば、当事者が調停あるいは裁判の結果に基きまして強制執行すればいいということになつておるわけでありますが、家庭裁判所におきましては、その事件の性質上強制執行等ができないために、お話のように不履行のものが多くて非常に困つておるような現状であります。それで私どもといたしましては、これにつきましては何とか履行確保に関する制度を樹立したいと目下研究中であります。
  20. 猪俣浩三

    猪俣委員 どうも役所というものは自分のお務めだけやつておればあとはあまり考えないという傾向があるのでありまして、今人権擁護局長答弁もはなはだ私は不満であります。同じように家庭裁判所の方もやりつぱなしなんです。これはいいかげんなことを言つて口の上手なやつが調停委員や判事をだまくらかして、何か調停書をつくつてあとは知らぬ顔の平兵衛。すると裁判所は本年は調停事件は何件あつたと統計には出て来ます。しかし泣いている者はたくさんある。そんなばかげたことでは何にもならぬのです。せつかく研究をなさつておるのですからしようがありませんが、これは長い間のことで、裁判所も耳に入つておいでになると思うのであります。私はこれは容易ならぬことになると思うのです。それは裁判所なんというものは、調停なんというものは何にもならぬ、われわれのよりどころはどこにあるのだということになつてしまいます。これはわが国の法律秩序を維持する上においても容易ならざることでありますがゆえに、徹底的に御研究を願いたい。そうして先々までも心配していただきませんと、結局悪いやつ、力の強いやつ、無責任なやつが勝利を占めることになる。夫に捨てられたか弱い女性なんというものは結局何にもならぬ。かえつて家庭裁判所が中へ入つて悪いやつが悪いことをやりやすいように肩を持つような結果に陥る。私はこれは容易ならぬことだと存じまするが、まあひとつこの際徹底的に御考慮願いたい。せつかく調停した以上は、その事項の履行についてはどこまでも責任を負う。これは私個への調停でも、一日中へ入つて話をまとめた以上、まとめた人が責任を負うのです。いわんや国家機関として国家の権威にかけてやりますことに対して、一片の紙きれの証書だけつくればあとはどうなろうが知らぬ存ぜぬというようなばかげたことでは話にならぬ。これは現行法規定上いろいろな難問題もありましようが、真摯なる御研究を願いたい。なおこれに関連いたしまして、これはどなたが答弁になるかわかりませんが、先ほど人権擁護局長に質問いたしました板垣幸三なる人物は、いろいろの事情から、昭和二十六年ごろある船からそつと能登半島に上陸せしめられ、金沢から青森の三沢へ行く途中、汽車から暴力団に引きずりおろされて、持つてつた品物をとられ、金をとられ、そうして着のみ着のままで歩いて、私の選挙区でありまする新潟高田警察署のお世話になつた。それから新潟警察へ送られるとともに、家庭裁判所の問題になつた保護観察六箇月半かの言い渡しになつたとたんに、アメリカCICなる機関にこの板垣を引渡した。彼はそれによつて、いわゆる鹿地事件で有名になりましたキヤノン機関に忠誠を誓わせられ、密輸みたいなことをやつてつたスパイみたいなことをやらされた。そこでただいまでも家庭裁判所を非常に恨んでおります。そこでいかなる事情でこの少年理由もなしにさようなアメリカ一種諜報機関であるCICなんかにお渡しになつたのか。この点もしどなたか御答弁できたらしていただきたいと存じます。
  21. 中尾文策

    中尾政府委員 ただいまの板垣少年と申しまするのは新潟少年鑑別所に入つておりまして、そこから出てCICの方に連れて行かれた関係上、私の方からわかつておりますいきさつを申し上げたいと思います。この板垣少年は、高田に第四少年鑑別所というのがありまして、あすこに四月六日に入れられましたが、その後四月八日に新潟少年鑑別所身柄を移された。ところがそこにおります間にCICがよく参りまして、調べたいことがあるからちよつと身柄を貸してくれということで、しばしばれ調べております。そして少年鑑別所では、検察庁から調べに来たり警察から調べに来たりしますので、やはりそういう一般原則従つてCICの方に、その都度渡しておりましたが、昼飯を向うで出して、向うで送り帰してくれるということで、外にとまつたということはございません。ところがCICの方から、本人釈放になる場合は連絡してくれという要請がありましたので、五月三日と思いますが、本人釈放決定がありましたので、釈放いたしますときにCIC連絡をいたしました。そうしますとCICがやつて参りまして本への身柄を連れて行つた、こういうわけになつております。
  22. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると家庭裁判所においては板垣少年に対していかなる処置をなさつたのでありますか。
  23. 宇田川潤四郎

    宇田川最高裁判所説明員 家庭裁判所の問題になりますので、私からお答え申し上げます。家庭裁判所では、先ほど猪俣委員が申されたように保護観察をなしたのではないのでありまして試験観察という処分をなしたのであります。これは五月の三日にいたしております。その主文の内容は、少年昭和二十六年十月三十一日まで少年調査官補三輪誠観察に付する、少年補導を第一項の期間中三島郡寺泊町大字磯矢部与作に委託する、こういう主文のもとに少年調査官補三輪誠観察に付するというのであります。なお補導矢部与作に委託するというようになつております。矢部与作という人は、少年を預かつて職業教育などをして、そのうちは就職のあつせんをしてくれるというようなことを常々やつておる篤志家でありますので、裁判所といたしましてはかような篤志家に預けることによつて少年の将来の幸福を期したい、こういう趣旨で預けたやに聞き及んでおります。これに関しましては、当時この事件関係いたしました少年調査官補三輪誠氏の作成しました意見書にも、また本へに昨日私会いました、が本人の言からもさような趣旨でかような決定をなしたように聞いております。しかるに先ほど中尾局長が申されましたように、身柄CICに渡したのは、これは渡す際においては鑑別所の方から家庭裁判所の方に連絡があつたのでありまするが、そうして裁判所の方も、従来のCICの取調べ態度その他が非常に穏当だと、いうようなことでありましたので、了承して、結論として鑑別所の方から身柄CICに渡したということに相なつておるわけであります。
  24. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると、家庭裁判所決定とまるで違うことじやありませんか。三輪少年調査官補指導に服し、矢部という人に補導させるという決定CICに渡してしまうということは同じことじやないでしよう。そういう裁判所決定があるにかかわらず、まつたくそれと違うような処置を一体どういう根拠に基いてとられたのであるか。CIC側の強要に基くものであるか、あるいは彼らの言うままになつたのであるか、またCICに渡した方がこの少年のためにいいと思つてつたりであるか、それならそのように決定されたこの家庭裁判所決定というものが何も実行されておらぬということはどういう理由でありますか。
  25. 宇田川潤四郎

    宇田川最高裁判所説明員 この点につきましては、猪俣委員の仰せられる通り結果において非常に遺憾な点が多いのでありますが、家庭裁判所といたしましては、まさしくその少年矢部与作のもとに委託して、その福祉をはかろうという意図に出たのでありまするが、何分にも当時占領下のことでありますので、またこの事件につきましては、先ほど来お話がございましたように密輸事件等もあり、CICの方でそれについて調べておるというような事情がありますので、そういう際には友好的に協力するということも当時の日本官憲としてはやむを得ないことじやなかつたかと思うのであります。従いまして結果においては非常に遺憾でありまするが、家庭裁判所といたしましては当時やむを得ざる事情のもとに少年CICの方に渡すことを許したものと考えます。
  26. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると、家庭裁判所の正式な一種の判定によつてCICに渡すことを判定されたのであるか、あるいは家庭裁判所決定といいますか、審判というのか、ちよつと私は失念しましたが、あなたが先ほどおつしやつたことは調査官補三輪の指導あるいは矢部補導に付するような決定をされた、それを取消して、そうしてCICに引渡すという新たなる決定をなさつたわけでありますか、その間の事情を御説明願いたい。
  27. 宇田川潤四郎

    宇田川最高裁判所説明員 さような試験観察処分決定を取消したということはございません。ただCIC取調べが済んだら、ただちに試験観察処分決定のそれができるものと家庭裁判所も信じておつたようであります。
  28. 中尾文策

    中尾政府委員 この板垣釈放いたします場合のことでございますが、ちよつと補足さしていただきます。鑑別所側といたしましても、そういうふうな試験観察に付するような決定がありますのに、CICに引渡すことにつきまして相当考えまして、とうとうしまいに向うに確かめてみますると、CICの方ではそんなに時間をとらぬようなことを言つたそうであります。そうして用が済み次第すぐこちらへ、今の矢部さんという人のところに行けるように本人を必ず返すという書類まで鑑別所側ではとつておるそうであります。なおあとで聞いてみますると、鑑別所の職員または家庭裁判所関係された方もそうだそうでありますが、その後調べてみますると本人が帰つて参りませんので、数回CICに参りまして、そうして早く少年を返してくれということを要求いたしたそうでありますが、まあ要領を得ないでしまつたというような事情もあるということであります。
  29. 猪俣浩三

    猪俣委員 とにかく占領期間中といえども、われわれの許された範囲の権利はこれを守らなければならない。これは鹿地事件といえども同様な問題でありまして、私どもが当法務委員会に先年鹿地事件を取上げましたゆえんのものも1実に日本官憲の腰抜けさかげんというものはお話にならない。それを矯正しなければならぬ、警告を発しなければならぬ、そうしてわれわれの基本的人権を守らなければならぬという意味におきましてあの問題を取上げたのであります。この板垣幸三事件もそうである。警察なんという行政機関じやない。裁判所です。裁判所だけはわれわれが最後のよりどころとして信用しておる。この裁判所が、一たび権力のあるものの前には何らの意味をなさぬということは、実に私どもの明日にとりまして不安この上もないことであります。アメリカCICはなくなりましたでありましようが、ここに新たなる権力が発生いたしますると、また裁判所というものはまつたく側にもならぬ。まあそれを諸君を責めてみてもしかたがないかも存じませんけれども、実に不可解きわまる態度と甲さなければならない。この少年にそういうふうな補導機関に付する決定をしながら、その決定を取消しもせずに、何だかわけのわからぬうちにそういう諜報機関に引渡してしまう。あとそれがどうなつたか知らぬ顏の半兵衛でおる。一ぺんそういう決定さえしてしまえば、あとは何の関係もない、こういう態度。これは先ほど私が家庭裁刊所におきまする和解条項実施状況をどうしておるかということと連関をするのでありまして、やはり責任を持たなければならぬと思うのであります。あなた方が中央におられまして、地方のこういう少年鑑別所家庭裁判所人たち指導なさる際に、もう少し骨のある指導をしていただきたい。今後またかようなことが起らぬとも限らぬ。こんなとほうもない話はないと思います。それがためにかれは実に複利怪奇なる生活を送らせられて、今日世の中にほうり出されて、しかも実に哀れと申しまするかけなげと申しまするか、そんな無情な少年鑑別所であり、家庭裁判所であつても、かれがキャノン機関からのがれ出て、どこべ行つたか。どうにも頼るところがない。そこでやはり新潟少年鑑別所まで尋ねて行つておるのであります。そうするとこれを、亀田の警察署かなんかへ送つてしまつてあと何も関係しない。無籍者として今日までほうり出されておるという始末。何の役に立つのですか、家庭裁判所少年鑑別所なんというのは。こういう具体的事実が現われますれば、こういう機関の機能というものが暴露される。これに重大なる欠陥が存在していると私は思うのであります。まあとにかく板垣幸三なる人物新潟家庭裁判所によつて保護処分決定された。しかしそれが実行せられずして、アメリカ諜報機関に引渡されたことが確実であることだけは今わかりました。それ以上は諸君をお責めしても仕方がないと存じまするけれども、どうも私ははなはだ頼りない感じを受けるのであります。矯正局長もお見えになつておりますが、めんどうを見るならばやはりどこまでもめんどうを見る熱意と、あるいはそれにふさわしい機構というものができ上らないと何にもならぬ。とくとその点に御留意願いたい。それが何ら法律的な根拠もなく、裁判所の何の言い渡しもなしに、いつとはなしに世の中から姿を消されるような目に、板垣はあつておる。鹿地は彼らのために拉致されたのでありまするけれども板垣幸三日本裁判所が渡しておる。重大なことであります。それに対して今日何らの点も明らかにされておらない。これはゆゆしき問題だと私は考える。それに対しまして、私の考えが間違つておるかどうか、宇田川家庭局長中尾矯正局長に御意見を承りたい。宇田川最高裁判所説明員 お説ごもつともでございますが、今後はおそらく、占領下でありませんので、かような事件は起らないと思いまするが、司法権の独立のため、人権を擁護する決意は、各家庭裁判所裁判官も持つておること必定でございますので、今後大いに、人権擁護の精神を高揚いたしまして、かような不祥事の起らないようにいたしたいと考えます。
  30. 古屋貞雄

    古屋(貞)委員 実は報告を受けてから詳しく御質問しようと思つたのですが、こちらから質問いたします。まず第一に宇田川家庭局長に承りたいのですが、一体、最初に板垣幸三新潟家庭裁判所で、ただいま御説明のような試験観察に付する決定をされました。その理由ですね。裁判所本人が出頭したのではないらしいのですが、こういうような経過を経て裁判所がこれを決定するに至つたか。それを承りにい。
  31. 宇田川潤四郎

    宇田川最高裁判所説明員 発端から申しますと、この事件は、新潟家庭裁判所高田支部に地区の警察から送られて来た事件であります。その事件の送られて来た理由は、問題の少年が三時信越線の関山駅付近において行き倒れになつておる。そこで警察として一、これに保護を加えなければ再び犯罪を犯すおそれがあるというような理由のもとに、裁判所の方に送致して来ものであります。裁判所におきましては、先ほど中尾矯正局長の言われたように、ただちに観護措置決定をいたしまして、調査官宇崎某並びに先ほど申しました三輪調査官補がこの調査に当つたわけであります。その結果によりますると、板垣少年は身寄りが全然ない。のみならず板垣少年が乗船しておつたと称する密輸船の人々から、あるいは圧迫を加えられるのではなかろうかというような恐怖心に襲われておるというようなこともわかりましたので、この状況から脱せしめるには、一応少年を社会から隔離して、そしてあるいは職業訓練などを施してから世の中へ出した方がいいというような意図のもとに、試験観察処分をなしたものであります。
  32. 古屋貞雄

    古屋(貞)委員 そこで試験観察処分をされてから後の少年鑑別所に入つております間に、先ほどの御答弁ではしばしばCICが連れて行つたということでありましたが、しばしば連れて行かれたときの実情、それから向うに引渡したときの実情。単に新潟CICに渡したのではなくして東京まで連行して渡したような事実があるらしいのですが、さような事実があるかどうか。その点の経過を詳しく御説明を願いたいと思うのです。
  33. 中尾文策

    中尾政府委員 ここに、ちようどその当時新潟少年鑑別所におりました小川君という方が来ておられますので、おさしつかえなければ、その小川君から説明をさしていただきたいと思います。ただ私ちよつとつけ加えておきたいと思いますのは、あのサンデー毎日には三百間CICに渡したとございますが、決してそういうことはございません。またそういう打合せもしておりません。なお、東京まで連れて来たということも事実に反しております。それだけ申し上げておきます。それでは小川君から……。
  34. 小川博

    小川説明員 当時の新潟少年鑑別所の観護課長として、板垣幸三の少くとも身柄の件、それから鑑別の件に関しまして、直接少年を扱いました立場から、当時の事情をなるべく詳細に御報告いたしまして、そうして先ほどからの委員の方々の御質問の点、それから過日サンデー毎日誌上に出ました記事につきまして、私としてもいささか十分でないと思われる点がございますので、御説明申し上げたいと思います。あらましの経過は、先ほどから政府委員の方から御説明がありました通りでありますけれども、なおその身柄の扱い方に関しまして、私の側から申させていただきたいと思います。  高田家庭裁判所事件の扱いとなりまして、先ほど申されたように、高田の代用鑑別所に数日収容されておつたのでありますが、少年法の趣旨に基きまして、新潟にありますところの、私ども新潟少年保護鑑別所身柄を移送されたわけです。そのときの移送の執行者は、私の記憶では高田警察吏員二名であつたと思いまするが、この高田警察吏員の私への話では、これはおそらく先ほどから話の出ております通り、占領治下であつたという事実に基くものと思いますが、これはすでにCIC事情を知つておる、それでひよつとすると、CICの方からいろいろ調査があるかもしれないということを言われておつたのであります。従つて、私としましても、そのことを予期しておつたのでありますが、なるほど私どもの方へ入りましてから一日、二日かと思いますが、一日、二日して新潟CICの――サンデー毎日の記事にはオニェール中尉と書いてありますが、私の記憶ではオニェール中尉ではなく、ブーアン中尉だつたはずでございます。それからもう一人はフルカワという二世の下士官、それから私の記憶にはなかつたのでありますが、きのう伺いますれば、新潟の国警、たしか防犯課の吏員であつたと思いますが、その三名が参りまして、この板垣少年の背後関係、今までの経過についていろいろ取調べたいから、身柄を貸してくれという申入れがあつたのであります。しかしながら私どもも、家庭裁判所から身柄をお預かりしている以上、単にCICだからと申しまして、警察に渡すというわけには行かないという態度は私披露しておりました。しこうして事情事情と申しますか、本人の申して立てるストーリーというものが非常に複雑怪奇でありましたし、事件の性質も非常に、重大なものかと思いまして、このことはすぐに家庭裁判所の方に連絡して、身柄調査のために貸してやつていいかということについて相談したわけであります。なおその三名の方が来所されましたときには、私としては先方に対して、次のような趣旨のことを申し上げておいたわけであります。それは当時警察その他の政府機関で、鑑別所身柄を預かつた少年について、なお余罪その他あるいは現地検証等の必要があつて調査するというようなときには、原則としては所内の特定の調査室で調べるのを原則とするけれども、場合によつて何とも必要があつて外へ連れ出さねばならぬというときには、できるだけ短かい時間ということにいたしておりました。その具体的な方策としましては、二日以上つまり一泊以上の時間にわたつて少年を外へ連れ出すというようなときには、これは観護措置を一時取消して、身柄を一時軽くして、そうしてその調査機関あるいは関係機関に引渡しする。それからもしそれほどの時間を要せずして、一日でその日のうちに帰つて来れるということが約束されるならば、これは場合によつて検察庁、主として最終的には裁判所でありますが、そこの許可があつた場合、身柄の受書をとつて、必ず帰すという約束のもとに出してやるという方法をとつております。お宅の場合、われわれもその一般原則あるいはその具体的なやり方について当てはめるにしては事情が全然違うので、大体その内規の中に入つておらないのだけれども、まあ事の性質上お貸しすることは裁判所と協議の上でいいということになつた、しかしながら一日以上とまりがけで毎日調べられるというようなことでは、観護措置の取消しの決定をしてもらわなければならぬので、非常に複雑になる、もしとめる必要があるならば、毎日迎えに来てくれ、こちらの方からも身柄責任上、教官をつけてやるからということを申し上げておつたのであります。それでこのブーアン中尉という人も年配二十代の人でありまして、非常に物わかりのいい八という印象は私として受けておつたのであります。なおフルカワという下士官は、いわば通訳の役をしておつたわけであります。よくわかる人で、日本側のそうした規定については十分尊重しようということを言つてくれまして、私どもの主張通り警察その他で身柄調査のために連れ出すときのやり方を準用してこれをやつてつたわけであります。そうして朝になりますと、必要のあるときには車で迎えに来て、うちの教官をつけて、なお昼食等も携行させてやつてつた。そのときは必ず身柄の受書を私としてとつておきました。このことは間が若干ずつ抜けたことがありますが、私の記憶では、後ほどそのときの記録が私の手元に届くのではないかと思いますが、おそらく一週間くらいはCICの事務所へ連れて行かれて、そうして調べを受けておりました。  ところがこの教官をつけてやるということにつきまして、若干の問題もありまして、一応向うの方で責任を持つからということで、警察の場合もそうでありますが、警察の場合でも教官が同行するということはない。身柄の受書をとりまして間違いなく何時何分までに帰すから……、こういうことでやつてつたのであります。そ約の束事項はCICとしては厳守しておりました。必ず夕方までには返しておつたと私は記憶しておりす。それからその調べの内容については、私は詳しいことはあえて聞きもいたしませんでしたが、要するに問題になつておりました密輸船に乗せられておつたということ、それから満州におりましたときにいろいろ共産教育を受けたとかいろいろなことがありましたので、その関係のことを主として聞いておつたということを私聞いております。なお調べ方につきましてもサンデー毎日の記事によりますと、いささか何か体をがんじがらめに縛つてまでひどい調べ方をしたような印象を与えるごとき記事になつておりますけれども、これは事実と違うことと私は推測します、というのは、そこでやつておりますことは、うそ発見器というものに体を縛りつけるというのは言葉が悪いですが、うそ発見器を用いて調査をした、これは私の持つております観念では、アメリカでは一般に俗に言ううそ発見器がこれは学術的にはいわゆる精神検流計、P・G・Rというものでありまして、当時私ども鑑別所にも一台和製のものが購入されておつたのです。本人がある日調べから帰つて来まして、うちの精神検流計を見て、これと同じようなものがCICにあつたというとを言いました。私もその心理学の方の知識で今の関係のところに勤務しているわけでありますが、アメリカの精神検流計、俗に言ううそ発見器はいろいろな式がございますけれども、身体の多少の動揺があつても非常に鋭敏な機械でありますので精神電流が移動するのであります。そういたしますと的確なる診断ができかねるものですから――アメリカのある種の機械は体をいすに固定して、そしていろいろな式がございますけれども、腹部それから腕部、そういつたところにバンドをかけて精神検流をやるのです。そのとき板垣少年がその機械で調べられたということは――私記憶いたしませんけれども、少くも本人は同じものがCICにあつたということは言つておりました。今から察しますにおそらくその式の精神検流計でテストをされたものと私は解釈しておるのであります。一般的に言いましても、CICにおける取調べが苛酷であつたかどうかというようなことにつきましては、私の印象としてはむしろその逆であつたのではないか、少くも新潟CICにおつた限りにおいてはさようなことはなかつた、その証拠には少年は連日の調べにもかかわらず比較的喜んでおつたのであります。当時はまだ食糧事情もあまりよくない時分でありましたわけですが、進駐軍関係は御存じの通り非常に食糧関係はよろしい、それで向うで――うちでも昼食は持たしてやつたのですが、ほとんど握りめしに若干の副食があつたくらいのもので、それは一般の少年とかわらぬわけですが、それよりも同じ向うで出してくれる食事の方がすばらしい、それでほかの、同時期に収容されておつた少年たちがむしろうらやましがつてつたくらいであります。そしてまた少年の間で新潟CICで苛酷な調べを受けたというようなことがあれば必ずそういつた話が伝わつて、それがまた関係しておるところの職員に伝わるはずでありますが、いささかもさようなことはなかつた。従つて私といたしましてもその間取調べについていささかの疑念も持たなかつた、むしろそういつた点では背後にそういつた事実があります関係上私どもの方へ収容されて、そして調べを受けております保護事件の内容、これは先ほど字田川局長からお話がありましたけれども、単に少年法の制限内では行き倒れといつたようなことで保護事件となつたわけなのでありますが、それ以上のCIC調べたような事件の内容であれば、これは少年保護事件を超越した問題と私は解釈いたします。これを調べ機関としては当時の日本政府官憲も当然参与してしかるべきものでありましようが、当時はとにかく占領時代でありまして、CICがこれにタッチして来たところで、私はいささかの疑点もないと思います。しこうして先ほどから少年調査の請求に当つての私のとつた処置というものにも私はいまだ間違いはないと思います。それから同時にCICのブーアン中尉に対しましては直接今のようなことを申し入れて滞りましてこれは私ども少年身柄を預かつたのだ、しこうして事件新潟家庭裁判所に係属しているのだが、日本裁判日本の法律というものは、これは厳に遵法してもらいたい。従つて決定に影響があるようなことは差控えてもらいたいというようなことを申し入れましたところが、ブーアン中尉という万は非常に理解のある方で、よろしいというようなことでありまして、なおアメリカにおける少年保護事件の扱い方というようなことにつきましても彼の知つている限りのことを私に教えてくれなどしまして、きわめて友好的にしかも守るべきところは厳に守つて、お互いにやつたつもりであります。それからなお向うとしましては一体決定がどういうふうになるであろうかというようなことについては、私が折働の前面に出ておりました関係上私によく聞きましたけれども、御承知の通り決定家庭裁判所でやることで、私どものあずかり知らぬところである。従つてあなたに対してそのような情報を提供することはできないという旨をはつきり申しております、そのこともわかつてつてくれたのであります。いかなる決定があつてもよろしい、しかしわれわれの方にも調べたいことがあるから、さつき言つたこういうことで調べたい、そういう話で、それから最後に行きまして、どうか保護処分決定があつたならば、自分の方へすぐさま連絡してほしいという要請がありました。これは何ら他意のあるものでありませんので、私としてはよろしいというので承知をいたしております。そうしておそらく審判の期日も五月の三日だつたろうと思いますが、その日までこれはどういう決定を下されるかということは部外者としては知らないわけでありますが、その日に係判事の審判でいわゆる保護処分ではなくてそれのらち外に若干出る、これは宇田川局長さんの範囲になるでありましようが、保護処分のややらち外に出ている、試験観察という決定があつたわけであります。この決定がありますれば同時に出所の指揮書が出るわけであります。そういたしますとその実施をせねばならぬということになりますと、うちの身柄ではなくなる、鑑別所少年についての身柄上の責任決定があれば切り離すわけであります。ですから先ほどからの委員殿のお話にありました通り、あるいは役所流の考え方をすれば、そこでわれわれとしてはしでに手を切つてもいいはずであります。少くとも鑑別所としましてはもうあとのことはどうでもいいということになつてもいいわけでありましたのですが、私がその約束に従いましてCIC決定を伝えたところが、実は新潟でいろいろ調べたけれども不明な点が多い、ここではらちが明かないので東京の本部ヘと称して、東京の本部へ連れて行つて調べたい、こういう申出がありました。これも私ども鑑別所職員の場合は法的にあずかり知らぬところでありますが、今まで私が折衝の前面に出ておりました関係上、これを今度は身柄並びにその試験観察処分の実施については家庭裁判所の手の中に入つて来たわけでありますが、これをすぐ家庭裁判所に知らして、矢部与作さんのところに試験観察のために保護委託されるわけだが、CICからこういう依頼があつたということを私は伝えた。そうしてそのことに対しまして、裁判所側からは、結論的に、その必要があるのではないかということでよかろうという話になつたのであります。それで私どもといたしましては、決定があつてすぐに所に連れて帰りまして、そして矢部与作方におもむかすべく準備をしておつたのですが、そういう話になりましたので、急遽その事由を変更しましてCICとその実施方について打合せをやつたわけです。そのときは私どもの役所としてはすでにうちの責任ではないのでありますけれども、私も板垣少年の身の上について非常に気の毒には思つておりましたし、それからCICがいかに親切にやつてくれたとはいいながら、やはり少年のことではあり、CICというような国柄も人間も言葉も違うようなところに毎日のように調べに連れて行かれて、一抹の不安を感じていたことを私もよく看取しておりましたので、中間に立つ私としてはいろいろ骨を折つてつてつたのであります。それで私どもも、これも私どもの仕事としてはそれ以上のことはせぬでもよろしいわけでありますけれども、念のためにブーアン中尉に対して、家庭裁判所から許可があつた、従つて身柄はお貸しする、しかしながら何しろ決定の内容は矢部与作さんのところに保護委託にやることになつておるのだから、東京での調べが済み次第できるだけ早く矢部与作方に帰るようにとりはからつてもらいたい、それで後々の証拠のために、済まぬけれども一筆書いてくれというところまで私は押しておるのであります。そのときの書面も、新潟から後刻到着するはずです。そうして、あれはたしか五月三日の昼の急行で立つたのではないかと記憶しておりますが、その当時の進駐軍のRTOの待合室で何時何分に落ち会う、向うの方ではCIC新潟の隊長、これは大尉でありましたが、これがじかに連れて行く。それではうちの方では自分のところの車で昼食、夕食を携行させて、そうして駅で身柄をお渡ししましよう。そこまで約束してその実施方にかかつたわけです。そのほか、私としてはそのようなことは別にせぬでもいいことでありますけれども、間食等までいろいろ買い求めて、そうしてこれを駅ヘ連れて行きました。そこで先ほど申したような文書をとりまして、駅頭で私がじかに見送つておるのであります。それでその後板垣少年と相まみえることはないのでありますが、その後もあの少年が一体どうなつたかということについて常々非常に気にかかつてはおりました。これも私どものところの身柄を離れたわけなんですから、何ということはない、試験観察処分を実施していただけばそれでよいわけですが、どうも長引くような模様でありましたので――それからつけ加えますが、記事にありますように、三日間貸してくれということは、私は記憶しておりません。当分の間というようなことであつたと覚えております。  それからもどりますが、その当分の間が、なかなからちが明かない、十日二十日したかしないか私ははつきり記憶しておりませんが、当時私が直接に記載しておつた観護日誌というものがいずれ参ると思いますので、それを見ればわかりますが、十日、十五日してなお帰つて来ないので、少年のために気の毒だと考えまして、その後ほかの用件もありますので、ブーアン中尉のところへ行つて板垣少年はどうなつたのか、早く帰してくれということを言つたのであります。先ほど中尾局長からお話がありましたように、その話は私が再三足を運んでCICに行くと同時に、また家庭裁判所側も試験観察実施者でありますところ三輪調査官自身もCICへ行つて板垣はどうなるのであるか、早く帰してくれぬかということを言つております。それに対してブーアン中尉の話は、どうも調べが長くなりそうだ、済まぬけれどもしばらく貸してくれということであつた。これは当時の事情からお考えくださればわかつていただけると思いますが、いかんせん、これは他国の政府機関であり、その内容の微細な点までついて行くことはできない、それで私どもとしてはそれ以上追究することができなかつたのであります。なお補足いたしますれば、三輪調査官もじきにその後別のところへ転勤になり、私も実は新潟の地を離れて一年間長期出張をしておりましたために、気になりながらも少年あとのことはわからなかつた、決してお話のようにやるだけのことをやればよいというような態度で私たちは終始したのでもなければ、また連合軍に押されたというようなつもりもない、私としてはできるだけのことはいたしたつもりであり、それも一応の範囲においてやつたつもりであります。
  35. 古屋貞雄

    古屋(貞)委員 そうすると、あなたが引渡したのはどういう権限でやられたのか、権力でとられたのか、あなたの説明では納得して渡したようになつておるが、どういう権限であなたはお渡しになつたのですか。
  36. 小川博

    小川説明員 これは私どもの所の意向で渡したのではありません。家庭裁判所裁判官の認可が……。
  37. 古屋貞雄

    古屋(貞)委員 今の問題は納得ずくで渡されたのでしよう。家庭裁判所決定の内容を知つておるにかかわらず、内容と全然離れたことを実行しておりながら、納得したということになつておりますから私聞きたいのです。まず第一にどういう資格で引渡しをしたか。  それから、家庭裁判所の方に特に説明員から報告をして承認を得たと言つておりますが、これはどういうことであつたか。裁判所決定は、裁判であります。その裁判に相違するような行動をとることを納得してやりながら、しかもそれを当然のごとく今説明しておりましたが、それの内容を承りたい。
  38. 小川博

    小川説明員 私が少年を引渡した資格とおつしやる内容につきましては、私は的確に理解いたしかねますけれども決定のあつた少年あと処置というものは、これは決定通りにいたさなければならぬわけです。それで、私ども決定のあつた直後に所へ連れて参りまして、矢部与作のところへ行く手配をいたしておりましたが、そういう話がありましたので、それをすぐ裁判所に取次いで、裁判所の方でよろしいというので、それをやつてくれというお話もありましたし、東京の本部べ連れて行かれるということについては、私としては何ら疑点を持たなかつたのです。先ほどから申しますようにCICでの取調べ方について私としてはいささかの疑点も持たないし、それからまた査問機関ということについても私は全然……。
  39. 古屋貞雄

    古屋(貞)委員 そういうことを聞いているのじやない。資格を聞いているのだ。     〔「何の資格だ。アメリカに頼まれたのか」と呼ぶ者あり〕
  40. 小川博

    小川説明員 頼まれません。     〔「何の資格で渡したのか」と呼ぶ者あり〕
  41. 小川博

    小川説明員 裁判所と協議の上であります。
  42. 古屋貞雄

    古屋(貞)委員 裁判長はどなたですか、裁判長を明確に言つてください。この裁判長を明確に言つていただきたいということは、裁判所自分のやつた裁判を新たなる決定をもつてくつがえしておるのかどうか、そこのところが知りたいのです。ですから、裁判長はだれですか、今の説明員に承諾を与えた裁判長であります。
  43. 小川博

    小川説明員 裁判長は堀切順判事であります。
  44. 古屋貞雄

    古屋(貞)委員 ただいま説明員は、今の説明の中に自分意見を加えた判断をやつておりますから、私も承らなければならぬことになつて来る。CICが連れて行つて調べるのに、行き過ぎはなかつた、無理はなかつた、こういうことをあなたはおつしやいますが、いやしくも日本官憲が大事な身柄を預かつておる以上、それを連れて行くのに相当な裁判所の許可を得なければならぬと私は思うが、その都度許可を受けた事実があつたかどうか。また報告しておつた事実があつたかどうか。それからなお説明員は、私の想像では無理はされなかつた、行き過ぎはなかつたとおつしやつておられますが、どういうわけだから行き過ぎはないのか、それを説明員に聞いておる。いやしくも官憲保護して裁判している者をかつてに連れて行つて、うそ発兄器か何か知りませんがそれで調べて知る、そういうことをやることが一体き過ぎであるかないかということは、当然われわれは行き過ぎであると思つておる。外務省を通ずるか、特定の機関を通じて正式に許可を受けなければならぬのに、直接CICに連れて行つた、さようなかつてなことをやつておる。それに対しましてあなたは行き過ぎのない問題だと言つておる。それからもう一つは、超越した事件だとおつしやつておりましたが、あなたは超越した事件というのはどういうことだと思つておるのか、その説明も願いいた。
  45. 小川博

    小川説明員 私も法律の方は決して明るい方ではございませんので、超越云云のお話についてはいかんとも明確な法的な説明はできませんけれども、当時のああした状況下にあつては、さような場合にはそのようにいたさねばならぬものというふうな一般的な通念をも持つてつたということは……。     〔「そんなことじや話にならぬ」と呼ぶ者あり〕 小林委員長 裁判長と相談して、裁判長の許可を受けるまでのことを、意見を入れないでそのままでいいから説明されたい。
  46. 小川博

    小川説明員 裁判長には直接間――間接といいますのは調査官を通でですが、その都度許可を受けておます。
  47. 古屋貞雄

    古屋(貞)委員 それではもう一つ承りたいのは、CICのやつていることは間違いがない、こういうことを説明されたのですが、間違いがないというその理由は、どういうわけだから間違いがないというのか、その理由をひとつ御答弁願いたい。
  48. 小川博

    小川説明員 私の印象を申し上げたのであります。先ほど申しましたように、連日そういつた不案内なところへ連れて行かれながらも、何ら心配したり恐怖したりしておつた面影が少しもなし、むしろ待遇としてはよくしてもらつてつたような話をいつもしておりました。  なお、うそ発見器については、先ほど私どもの所にもあつたということを申し上げた通り、私どものところのはいささか式が違いますけれども、私どものところでも、実はそれと同じような性質のものを使つておりましたので、そういつたものでいろいろな精神上の問題を調べるということは、決して苛酷とは私は当時判断しなかつたのであります。私自身がそういつた器械を、これはうそを発見するためでなくして、精神検流計として使つてつたのでございます。そのためにCICでそういうものを使つたとしても、私どもとしてはさほどに疑念は持たなかつたわけであります。
  49. 古屋貞雄

    古屋(貞)委員 そういうことを私は聞いているのじやないのですよ。かつてに人の子を連れて行つて調べるということは不穏当だとわれわれは思う。われわれ日本人は、日本の法律によらざることでかつてにつかまえられたりいろいろされることは不当だと思つている。ところが説明員は、不当でない、行き過ぎでないとおつしやるから、その理由を私は承りたい、それが一つであります。  それからもう一つは、片言隻句をつかまえていじめるのじやないですが、先刻、板垣を引渡すとき、あとを心配したのだ、非常に板垣は不安な状態だつたということをあなたは説明しておつた。その不安な状態だつたという説明とただいまの説明と矛盾しているから聞いているのです。普通知らない人が知らない外国へに連れて行かれて調べられるのは、おそらく常識から考えても不安だと思う。それを不安ではない、あるいは不安だつたけれどもというようなあいまいなことでありまするが、そういう点についてもひとつ説明してもらいたい。  それからもう一つ。少くとも大事な日本少年を、どういう理由があろうともあなた自身の手から外国の人に渡したのであるから、それに対する人間としての道義観念上の責任があるかどうか、それをあなたに承りたい。今あたりまえのことをあたりまえにやつておるとかいう発育をしたが、それを承りたいと思う。
  50. 小川博

    小川説明員 不安な事情と申しますのは、それは委員殿のお話通り、わけのわからない外国人のそういう機関へ連れて行かれて調べられるということについて少年が感ずるだろうところの一般の不安であります。しかしながらそれにしても、比載的よくしてもらつてつたようつたということであります。  それから、外国のそういう機関に引渡したというようなことについてのお尋ねでありましたが、私どもとしては、外国とかなんとかいうことももちろんいろいろの意味合いで明確に判断しなければならぬわけでありますが、むしろ私の頭で考えますれば、日本裁判所の方がある意味では――少くとも係属している事件についての審判、それから私ども身柄をお預かりしている関係上、その身柄等につきましては、裁判官の決定が最も重要なものであるというふうに判断しておりました。従つて、先ほどから申し上げますように、毎日のように連れて行つて調べることについても、それから最後に一応試験観察ということになつてその後に身柄の出所指揮が出た場合、これについてその実施方をやりますことも、これも裁判所決定通りにやりたいと思つてつたわけであります。それで、矢部与作のところへやろうとしておりましたときにそういう話がありまして、さらに裁判官に伺いを立てて、そうして裁判官がよろしいとおつしやればもうそれ以上のことはないと私としては観念しておつたわけであります。
  51. 古屋貞雄

    古屋(貞)委員 どうも今の説明員のお話を聞くとふしぎでたまらないのですが、あなた自身は何もCICから話を受けたのではなくても、身柄の問題については直接裁判官へお話願いたいということでけつこうなんです。それをあなたは、非常な好意を持つて裁判官へ取次いで、その結果がああいう結果になつたという説明をしているからあなたにお聞きしているのですが、あなたのおつしやるように、裁判決定されたらその通り執行すればいいのです。CICが百万べん言つて来ようが、あなたはその通り執行すればいいのです。だから本人を連れて行くなら、身柄を連れて行くなら、裁判官へ御相談願いたいとあなた自身が言えばそれで足りるのでしよう。それをあなた自身がわざわざ行つて裁判官の許可を受けたとあなたが言うから、それではそういう決定の許可があつたかどうか私は伺うのです。さようなことはないとぼくは思うからそこのところをお尋ねするのでありますが、あなた自身が進んで積極的に裁判官に、CICの申出があるから、決定より違つた引渡しをすることはいかがですかということをお伺いを立てた。さようなことはしなくてもいい。あなたはしたでしよう。だからその点を申し上げておる。あなたが決定通りのことを行うならば、試験観察ですから、矢部さんのところにお願いするなり、あるいは三輪調査官補に引渡せばいい。それを進んであなたの方から、こう言われたということを裁判所に申し出た。堀切さんの決定を受けたとは私どもは信じられません。これは裁判官を調べます。そういうことですから、あなた自身のあのときのやり方は行き過ぎがある。やらなくてもいいことをやつたとわれわれは信ずるけれども、どうですか。
  52. 小川博

    小川説明員 お答えいたします。私は責任をのがれるような気持はございませんが、当時のほんとうの具体的な私どもの行為については、二年前のことでありますから、はつきりした記憶はありませんけれども、私の申しますのは、大体においてそういう手順で今お尋ねの点はやつたということであります。私が直接にCICの方から話を受けて取次いだかどうかということについては、そのときのことが今はつきりしませんけれども、とにかくその決定のある前々から、どういう処分になるのか、日本側でどういう決定をするのか、それを知りたい、決定があつたら、すみやかに知らせてくれという依頼がありました。これは依頼であります。従つて、従来の行きがかり上、これにお答えするということは、別に私も疑念を持たなかつたし、ましてその後、さらに東京の本部に連れて行くなどということは、夢想だにしないので、決定になつたときに、約束通り伝えたのです。その伝え方が電話で行つたものであるか、そのほかの方法で行つたものであるかは記憶しませんが、そのとき折返し、おそらく実はこういうお話であつたのではないかと思います。またCICが、私どもと同時に家庭裁判所に対しても、おそらく尋ねているのではないかという推測もあります。これは私どもの側のことだけを申しておるのでありまして、家庭裁判所調査官が、はたしてその件についてこういうふうに扱つていたか、また判事の方にCICの方から直接お話があつたか、その点は私は存じません。
  53. 古屋貞雄

    古屋(貞)委員 そうすると、いま一つお尋ねいたしますが、裁判所から指揮書があつたのですか。一応身柄釈放をするから、裁判所から指揮書が来たのか。あらためてCICの方に引渡していいという指揮書が来たかどうか。その指揮書によつて執行し、身柄を引渡すべきだと思う。それからもう一つは、ただいま説明員からは、裁判所の許可を受けたとおつしやいましたけれども、許可を受けた形式は指揮書であつたか。その点を明確にしていただきたい。なお、どうも私どもが納得できないのは、問い詰められますと、私が取次いだかどうかわからないというあいまいなことを言つておるけれども、私どもが言いたいのは、少くとも人間をへ、基本人権の面から考えましても、いかなる権力が来ようとも、よほど真剣に考えなければならない。と同時に、当時敗戦国といえども、われわれは国民の権利を持つている。その権利は、一定の権利の制限をさるべき明瞭なる決定なり指揮がありますれば、もちろんそれに従うけれども、ただいまのように、説明員は、相手方がCICであるというだけで、口頭で頼まれたそちらの方に忠実であつて裁判所決定に忠実でなかつたという結果になつている。ことに皆さん御承知の通り、あなた方がこれをすつぽかしておいて、その後板垣少年はどうなつたかということです。非常なる拷問を受けたと本人は言つていますが、いずれにしても、先刻人権擁護局長の御説明がありましたように、身の危険を感じ、みずからの将来のことを相談にまで行つていることは、事実なんです。さような大きな結果を生むような基礎をつくつたのは、どういう理由があろうとも、今の説明員自身がつくつておるのです。これについて何らの反省もなく、ずけずけと当然のことのようにおつしやるから、われわれはあなた自身が日本人であるかどうかを疑いたい。なお私はこれ以上どうだこうだと言いたくないが、あなた自身は徹底的に反省してもらわなければならぬことになる。そこでただいま申し上げたことに対して、明確に御答弁を願いたい。結局来るべき問題は、裁判所裁判官の問題になつて来る。あなたはかようなことをやつて、今どう考えておるか。あなたの心境を聞きたい。
  54. 小川博

    小川説明員 お答え申し上げます。私の心境からまず申し上げます。私はこの少年の当時のことや身の上話などからいたしまして、非常に気の毒だ。私どものところに参ります少年の大半は、大体において気の毒な少年であります。しかしながら、この少年が私どもにいたします話が非常に気の毒である、特別に気の毒であつたということからも、また少年の素質といいますか、そういう面でも、私は非常に愛すべきものを感じておりました。ことに問題になつておりますように、CICあたりで調べられるということになれば、少年の心情としてきわめておちつかないだろうというようなこともありましたので、いろいろその間に立つて少年自身に慰めの言葉もかけてやり、いろいろしてや呈した。従つて今でも、私はこの少年のことは忘れておりません。それが証拠に、これだけの記憶があるわけです。実は「サンデー毎日」の方からお尋ねがあつたときに、板垣少年のことを聞かれましてほんとうにあの子はどうしておるだろうかと思いました。そのときは、キヤノン機関というようなものについては、私は全然夢想もしなかつたわけです。大体家庭裁判所試験観察に入つておりますことですから、私どもがさほどに行く先々のことまで心配するというほどのことはなくても、一度手がけた少年というものは、たとい鑑別所の在所期間が短かくても、やはり気になるものでありまして、それはほかの少年たちとさして選ぶところがないのであります。今でも私はこの少年に対して、ほのかな愛情といいますか、そういうものを感じ、またほんとうにどうしておるだろうかということを考えておりました。ことに新聞の記事を拝見いたしまして私も実際唖然といたしました。それが私に発したことであるというようなことでありますならば、私はお説の通り深刻に反省いたします。が、当時の実際の面にあたつた職員の気持といたしまして、先ほどからお前がやつたのではないかというお言葉は、私としてはいささか残念なのであります。とにかく私といたしましては、たとい戦勝国であつても、アメリカであつても、日本の法規は守つてもらいたいというような気持でおつたわけです。裁判官という存在と、始終連絡はやつてつたので、その身柄の扱いというようなことは、裁判官の決定を尊重してやつたことであります。私が中間取次いでどうこうというようなことではなくて、裁判官の御決定通り、最初は試験観察、それからそういうような事態が発生したので、そのことについても伺いを立てて、あなたの方にも連絡行つたかもしれないけれども、実はこういう話が来ておる、いかがなものか。その際も、初めの決定通りに、私ども矢部与作のところに簡単にやつてしまうというわけにも行かなかつたのではないかと、私は今でも思つておるのであります。それから決定書は、御存じの通り試験観察という制度は、厳密にいえば保護処分ではないのでありまして最終的に保護処分するその中間の期間として試験的にこれを特定の人に預けて、様子を見、その成績によつて特定期間経過した後に、最終的な保護処分決定をする、一ういうわけでありますから、一般の保護処分と同一にお考えいただくことは……。
  55. 古屋貞雄

    古屋(貞)委員 そういうことを聞いておるのじやない。指揮書があつたかどうかということを聞いておる。
  56. 小川博

    小川説明員 指揮書は出ております。
  57. 古屋貞雄

    古屋(貞)委員 指揮書が出てしまえば身柄をどうしようという権限は何もないわけです。だからそこを責任を聞いておるのです。何でもない身分の者がどういう地位でへの身柄権力的に、また強制的に引渡したかを聞きたい。指揮書が出てしまえば、身柄釈放する義務がある。それを釈放しないならば、もつと強い権限を持つておるはずだ。
  58. 中尾文策

    中尾政府委員 ちよつと私から補足させていただきたいと思います。小川君は法律家でございませんので、そういういろいろな手続規定なんかにつきましてあまり正確に知つておりませんので、趣旨がしどろもどろになつておるのでありますが、結局これは占領下におきまして、もうアメリカ側に持て行かれたということが、法律的にはそれは真実であろうと思います。それで鑑別所側といたしましては、ただいま古屋先生がおつしやいましたように釈放指揮が出ておりますと、どうともいたすことができません。ただあと残る問題は、その釈放のしかたをどうするかという点なのでございまして、鑑別所なんかで試験観察決定なんかがございまして、釈放いたします場合にはいろいろ方法ございますが、先方から引取りに来てもらう場合が一番いい場合でございますが、それができなければこちらの職員が連れて行く場合あるいはまたそこまで手がない、しかも本人がそこに行くのはさしつかえないというときには、本人単独でやりますが、今の場合いろいろ問答が複雑になつて参りましたが、結局のところは裁判所が確かめようが確かめまいが、鑑別所としては釈放するほかにないわけでございます。そこをCIC本人を取りに来たというわけでございまして、裁判所決定は、これはほかのところに本人が行つているわけでありますから、その結果が見えすいておりますので、鑑別所としては大事をとつたつもりで裁判所連絡いたしたわけでございますが、しかしかりに裁判所が引渡してもいいとか、引渡してはいけないということを言いましても、こちらとしては釈放する以外にないわけでございますから、釈放したところを待つてつてCICが連れて行くということになれば、結局それまでであります。しかしなるべくそういうことはしないで、事態をまるくまとめようというわけで、せめて裁判所と相談をしてみよう、あるいはCICに対して、なるべく早くこちらに帰してくれるようにということも約束いたしたわけでありますが、こういうことはあの当時に起りましたまことに残念な日本の立場だと思います。
  59. 古屋貞雄

    古屋(貞)委員 先刻の説明員が納得すくで一筆入れさせて渡したとおつしやるのと、今の御説明とはそこで食い雇う。私どもは先ほど承つたよう権力で奪われて持つて行かれたという答弁汁ならばこれ以上追究はしない、ところが納得ずくで受取書か何か書いたもので渡したというので、どういう権限でやつたのかということを追究しておる。それを当然のことのように説明しておるわけです。その点が一つと、ただいま御説明があつたように、釈放せざるを得なくて釈放せられたのだ、それを権力で持つて行かれた、こう言うのならば筋が通るし、われわれ納得行くが、先刻のように何か書いたものをもらつて納得ずくで渡してやつた、従つてどういう資格でやつたかということが問題になるし、釈放の指揮書が来ておる以上釈放せざるを得ないし、そこで私どもどういう責任でやつたかということを追究しておつたのですすが、ただいまの御説明のようにやむなく権力で奪われたというのか、その点もう一応明確にしておきましよう。記録の上にはつきりしておくようにその点を明確にしておいてもらいたい。
  60. 中尾文策

    中尾政府委員 これは奪われたというのは適当じやないと思うのです。法律的に最後のところを申しますと、釈放したものを向うが待つてつて連れて行くという状態なんです。ただそれがその当時の場合、当事幸いろいろ話し合つたりすることによりまして連れて行つたわけでありまして、法律的にはそれ以外には説明する方法がないと思います。
  61. 古屋貞雄

    古屋(貞)委員 一体人間一匹、尊い少年基本的人権を何か書いたものをもらつて渡したと言つたから問題だ。それがいいか悪いか、そのことを反省していないから聞いておるのです。一体これは物じやない、人権です。そこを言つておるのです。
  62. 小川博

    小川説明員 お答えいたします。確かに私は納得ずくというような言葉は自分で使つた覚えはございませんが、それは権力というものをわれわれは背後に感じておつたに違いありません。しかしながらその権力にとどめを刺す意味で、くぎを刺す意味でただ単に拉致される式に連れて行かれることを避ける意味で念のために帰してくれ、権力で連れて行くにしても、それは何としても帰してもらわなければならぬ人間なのですから、私としてはそのためにぜひ帰してくれという約束をしてもらう意味でやつてもらつただけのことであります。
  63. 小林錡

  64. 細迫兼光

    細迫委員 小川説明員の御説明は依然としてわれわれを納得せしめない。ただ釈放せられればそれで法律的なあなたの御用は済んだといつてもいいのです。しかし矢部さんのところに少年が行きそうな状態であるならば、それでいいでしよう。しかし行先は目に見えておる。CICに行きそうだ。裁判所決定矢部さんのところに行くのではなくて、CICの手の中に入りそうだ、その場合に処しての御処置が私はどうしても当を得たものではないと思うのであります。しかしながらこのことについては、なおわれわれの委員の方から後に聞くと思いますから、しばらくお待ちを願いまして、私は他の問題にちよつと入りたいと思います。今まで触れて参りましたことは、CICに引渡されるまでのことでありますが、われわれがもうら見のがすべからざる事実は、このサンデー毎日の記事の中にありまする板垣少年が、後にドライヴ・インというところに就職しておつたのでありますが、鹿地事件などの新聞記事を見まして自分もまたやみからやみに葬られる身の危険を感じましてそこから脱出いたしまして、そして城東警察署保護を求めて行つたのであります。城東警察署では彼の身の上話があまりに複雑怪奇であるので、気違い扱いをせられておる、それで自分の話を信じてもらえない。日本国中に頼るべきところがない。自分としては非常に印象の悪い、気持の悪いところであるけれども自分保護しておつたところの新湾の少年鑑別所ならば自分を覚えておつてれくるだろうという一縷の望みをそこにかけまして、この新潟少年鑑別所をわざわざ訪れて行つた。そして身の振り方、身の保護を頼みに行つたのであります。ところが新潟鑑別所では、従来の事件におきまして矢部何がしにこの試験観察をなすべき決定がなされておりますならば身柄が目の前に現われた以上は、その執行をしなければならぬ順序に相なつておると思うのであります。しかるに新潟家庭裁判所におきまして、これを新潟県の国警本部に渡されておるのであります。そうして新潟国警本部では、田中警部補の手でさらに国警亀田地区署に送りつけ、そうして、保護とは言いながら、そこで四十日間の留置場生活を余儀なくせられておつたということがここに出ておるのであります。そこでわれわれが調査しなければなりませんことは、新潟少年鑑別所では、何がゆえに一体前の裁判決定があつたにかかわらず、この板垣幸主なる者を矢部何がしの試験観察に付すべく執行せずして、新潟国警本部に身柄を引渡すというような処置がなされたか、こういう点にあるのでありますが、この間の事情を御説明願いた
  65. 中尾文策

    中尾政府委員 そのただいまの事実につきましては調査中でございますので、事実判明いたしましたらただちに御報告申し上げます。ただおそらく私たちの考えますのに、当時もう本人少年ではなくなりまして、年齢はたしかもう二十二才か二十三才になりまして、もう少年ではないというようなことと、それからいま一つは、その試験観察決定がございましたのが一年半ぐらい前だつたように思いますが、それぐらいの時間も経過しておつたというようなことで、そういうようなことになつたのではないかと存じますが、しかし何分この点は詳細まだわかつておりませんので判明次第お答え申し上げます。
  66. 細迫兼光

    細迫委員 いつごろ御調査の結果がお手元に届くようになるお見通しでございましようか。
  67. 中尾文策

    中尾政府委員 あした中にはわかるのではないかと思います。
  68. 古屋貞雄

    古屋(貞)委員 宇田川局長に伺いたいのですが、お聞きのように板垣身柄を渡す前に、前の裁判所決定を取消して新しい決定をなしたかどうか。その点を承りたいことが一つと、それからさような決定をしていないということであれば、ただいま小川説明員の説明したように、身柄引渡しについて、CICに引渡すことを裁判所において判事さんが承諾した事実があるかどうか。
  69. 宇田川潤四郎

    宇田川最高裁判所説明員 試験観察 後にあらかじめ古屋委員のおつしやるような決定はございません。なお試験観察板垣少年CIC鑑別所で渡すことにつきましてこれを承諾したかどうかというようなことにつきましては、記録については何も現われておりませんが、係の三輸誠調査官補の言によりますと、鑑別所の方から引渡してもいいかというような連絡があつたので、裁判官にも伝えたところが、やむを得ないだろうというようなことで鑑別所の方で先ほど小川説明員の言われたような措置がとられたように思われます。
  70. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 大分いろいろな点をお伺いしたいのですが、どうもはつきりない点が一、二あると思う。その前にちよつと小川説明員にお伺いをしておきたい。先ほどの話を伺つておると、CICから身柄釈放前に渡してもらいたいという話があつて、あなた御自身が新潟の駅のRTOのところでCICに引渡した、そのときにはCICの隊長も来ておつた、こういう話であります。しかもそのときに早く帰してもらいたいということに対して、書面をもらつた、こういう話をしておられますし、その前に自分としても、その板垣という少年に対していろいろ心配をしておつたので、お菓子を買つてつてつてつた、こういうような話が先ほどあつたように私は聞いたのであります。その上にいろいろな点で親切なことをしてやつたのだという意味の話をしておられますが、その場合に、あなたの先ほどの説明からいうならば、CICの本部で調べあとには、当然矢部某なる家に試験観察でもどつて来なければならないと思う。そうすると連れて行くところまでは親切にやりながら、もどつて来て矢部某という人のところに試験観察に連れて来るための配慮ということは行われていたかいなかつたか、この点をまずお伺いいたしたい。
  71. 小川博

    小川説明員 お答え申し上げます。すでに処分がきまりまして出所の命令が出ればうちの少年ではなくなります。従つてどもの爾後の保護は法的にはいらないわけであります。しかしながら気になつからそういうことをいたしたのでありますが、実は法的には私どもはその後のことは追究する必要はないと考えております。しかもなお私はそこまでやつたというふうなことであります。それからそこまでやるならなぜそのあとの方をというお話でございましたが、それは今申した通り、法的には私どもには責任がないのでありますが、心配でありましたので、CICに何回か足を運んで尋ねているということであります。
  72. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 それではRTOに運れて行つて向うの隊長に渡したというのは、法的な根拠がなくてあなたがやられたというように解釈して間違いがありませんか。
  73. 小川博

    小川説明員 少年身柄をたとえば鑑別所から外に出します場合に、成人の受刑者等を放すごとくに、お前もうこから出てよいのだというふうに簡単に身柄を離してしまうというやり方は慣例上やつておりません。これは一般的な例ですが、必ず確かな引取人、引受人、そういうものに渡す。たとえば試験観察になつた少年でありますれば、さつき中尾局長が申された通り、その補導を引受ける方の責任者が施設に来て、その上で身柄の引受書をとつて、そうして出してやるのが通例であります。それからそういうことが期待できない場合には、職員がその少年をそのおちつき先まで連れて行くのが通例でありまして、私新潟少年鑑別所に勤務中、所の玄関で少年を放してしまつたということは一件もないわけなんです。それでこのときもその例に従つて、初めは矢部さんのところへやらなければならぬのに、事情がそういうようにかわりまして、裁判官の話もありやむを得ないということでありましたが、試験観察であれ何であれ、身柄を放しますときには必ず身柄の受書をもらつているわけなんです。それに準じて一筆もらつたという意味合いもあつたことをお伝えいたします。
  74. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 そうすると従来の慣例に基いて、間違いのないところに渡す場合にそこまでは連れて行つて世話をする、その例に準じて今度の場合これを行つたのだということになりますと、あなたの場合にはCICというものが間違いのないものであるという前提に立つて、そうしてあなたはそこへ渡して、それによつてあと自分は知らないという、こういう判断の上に立たれたからこそ、従来の例によつた、そう言わざるを得ないのだと思います。そういう観念があつたからこそ、そういうようにして引渡されたものではなかつたのですか、どうですか。もちろんあなた自身法的な根拠はないということは先ほど言われた通りだろうと思いますが、その点と二つ重ねてお伺いをいたしておきたいと思います。
  75. 小川博

    小川説明員 申し上げます。とにかく身柄を適当な引取者に引渡すという意味合いで、その際には変更があつてCICの方に連れて行つてCICと打合せをして、その実施方をどこでどうやるか、実はお前の方ではRTOまで連れて来てくれ、うちの引取人はこれこれこうだ、この者が連れて行くのだからということでありましたので、それと、先ほど言いましたように私としては、日本人としての気持から早く帰してもらいたい、こう思つて普通のいわゆる身柄受書というもの、これは英文でどのようにやるべきものかは私も存じません。まあ、とにかくそういつた意味合いのことを書いてくれ、こういう意味合いのことをお願いしたわけであります。
  76. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 大体従来の慣例に基いてあなたがRTOまで連れて行つたという点が、私は非常に重大だと思うのです。ということは、先ほど家庭局長ですかの答弁を聞いておりますと、いわゆる鑑別所決定というものが試験観察決定を行つているとするならば、この身柄は当然矢部宅に行かなければならないにもかかわらず、しかもその間において裁判長が了解したかしないかはともかくとして、その身柄試験観察に基く方法がとられないで、いわゆるCICに渡されたということであるならば、裁判決定に反する違法な措置が行われた。それをあなた自身が世話をしたということになる。この点はもうあなたが何と言おうと、事実の問題として、法律の問題として明らかに出ているのであつてしかも書面において決定されている事実は、試験観察という決定が出ている。あなた自身の個人的な心情がどのようなものであろうとも、その書面の決定をくつがえすところの具体的な事実が上つておる限りにおいては、あなた自身が違法なことを行つたに違いはないではありませんか、こういう点についていかがでありますか。
  77. 小川博

    小川説明員 お答えいたします。先ほど一度申しました通り試験観察というものは、これは保護処分でないということを念頭に置いていただきたい。それと、保護処分というのはいろいろな処分がございますけれども、たとえば少年院送致、保護観察処分、これも保護処分でございます。試験観察は、これは処分ではございませんで、そこへ一応やつて補導指導をし、観察をせよということであつて、それはいわゆる処分ではないという点に私は一つのポイントがあると思います。これがかりにいわゆる保護処分の中に入るところの保護観察とかあるいは少年院送致の決定であれば、これは絶対に処分決定通りにせにやならぬと思いますが、これは……。     〔「そんな説明を聞いているのではない」と呼ぶ者あり〕
  78. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 そんなことはわかつている。だめたよ。おれの言うことを聞いていなくちや……。
  79. 小林錡

    小林委員長 なるべく重複しないようにお願いします。
  80. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 重複してないですよ。問題は、先ほどたしか家庭局長だつたか、中尾さんだつたかどつちか言われたような気がするが、釈放についての指揮書が出ているのでしよう、出ていないのですか。
  81. 宇田川潤四郎

    宇田川最高裁判所説明員 釈放指揮書というものの写しがありませんので、この事件について指揮書が出ているかどうかということはわからないのでありますが、家庭裁判所によりまして、その法律上の見解から、試験観察処分があつた場合に、釈放指揮書を出すところと、それから全然出さないところとあるのであります。そこでこの場合は出ておるかどうかはつきりわからないのでありまするが、小川説明員の言によりますると、釈放指揮書が一応出ているということでありますので、それが正しいのじやなかろうかと考えます。
  82. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 しかし裁判所決定があつて指揮書が出ていないでそのままほつぱらかしておくということは、常識的に考えられない。あなたも局長をやつておられてそういう例があるとか何とかいうことは、私として常識上考えられないのです。少くとも原則として裁判所決定があるならば、何らかの指揮書が出て来なければならないはずです。釈放になる場合にその指揮書が出て来ただろうということは、これ一は小川説明員の話によつても大体明らかなんでありますが、釈放のための指揮書が出ておりながら、しかもなおかつその釈放のための指揮書に反することを、RTOまで連れて行つたということになると釈放の指揮書に反することになるが、それを小川説明員がやつたことだけは事実じやありませんか、この点はいかがですか。
  83. 小川博

    小川説明員 先ほど申しました通り少年を出所――私ども釈放とは申しておりません、出所と申しておりますが、出所、退所さす場合には、確実なところで身柄を引渡すという式でやつておりますので、そのようにやつたわけであります。
  84. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 それではCICに引渡すのは確実だという判断ですね。
  85. 小川博

    小川説明員 それはやむを得なかつたことではないかと思います。先ほどもいろいろなお話がございましたが、やはり背後にはそういつた権力というものが一般的な問題として感ぜられておつたと私も思うのであります。
  86. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 これは中尾さんに伺いたいと思います。先ほどのあなたの法的解釈によると、法的には釈放という解釈は成り立つのではないか、こういう話をしておられたけれど、ただいまの小川説明員の説明を聞いておつても、釈放の指揮書が出ていて、しかも実際にそれを施行した場合にはどのようにしておるかというと、RTOまで本人を連れて行つて、しかもアメリカ側のCICの大尉ですか、隊長に身柄を渡しておる。これ場を一体あなた自身は、先ほど法律的な解釈では釈放と言わざるを得ない、こう言われておるのであるが、これを釈放と解釈できますかどうですか。しかも従来のわれわれの観念から言えば、ただいま小川説明員の話したようにその少年院から出すというような場合においては、これこそ釈放なりと言えるのです。本への身柄をその少年院に勤務している小川説明員がついて行つて少年院とおよそ場所の離れた新潟駅のRTOでこれを釈放したなどということが、常識としてあなた答弁できるのですかどうなんですか。
  87. 中尾文策

    中尾政府委員 これはまつたく現在のような状態ならばそういう、とは起り得ないことでありますが、あの当時の、つまり日本政府の法律以上の権力があつて、それの干渉を受けたというような、そういう状態のもとに起つた悲しい実例でございまして、これは日本の法律に関する限りはやはり釈放という以外にはない。ただそのあとに別の権力が入つて参りまして、それをまた連れて行つたということなのであります。
  88. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 あなたの釈放という御解釈は、今の問題に関連してもう一度釈放規定お話を願いたいと思う。釈放という場合には、少年院から釈放するというのが当然の常識であり、法的規定なんです。ところが現実はRTOまで小川という説明員がついて行つている。そこでアメリカの隊長に渡したということならば、これはどこから考えたつて釈放でない。これは日本の法律においては明らかに釈放じやありません。明らかにこれは引渡しじやありませんか。あなたは先ほどアメリカ側が引取られたんだというような意味のことを言つておられたが、引取つただけじやない。日本の政府の一機関であるところの少年院の者が立ち会つてこれを引渡した。引取つたんじやない。ましてや釈放などという法的な解釈はどこからも出て来ないはずだ。法的な解釈が出て来るとすれば、具体的に御説明願いたい。これは速記録にも残すことですから、あとになつてそれは間違いましたなどということを言わないでもらいたい。はつきり法的な根拠を明らかにして言つていただきたい。
  89. 中尾文策

    中尾政府委員 やはり私はこれは日本の法律で申しますと釈放であると思います。ただその方法でございますが、釈放いたします場合にも、たとえば親元まで連れて行つてそこで親に引渡す場合、あるいは門のところから釈放する場合と、いろいろへ釈放の効力の発するまでは方法があるわけでありますが、今の場合はなおそのあとに自由拘禁ということがついて参りますので、この点釈放という考え方もたいへん違うわけでございますが、しかしその点に関しましては、これは日本の法律の支配するところでないわけでございまして、占領軍が占領軍の権力によつて本人を護送しているわけでございますから、これは日本政府といたしましては、これに対しましていくら自分の方で釈放したからといつても、向う釈放してくれと言うことはできなかつたわけであります。
  90. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 私の言つているのは、どうもあなたはそらしておるのかもしれぬが、釈放する場合には、日本の従来の法律でやはり確実な身元の引受人がなければならないでしよう。そういう者があつて初めて釈放するわけです。今度の場合には、それではCIというようなものが確実な身元と判断して、そういうものに引渡したということになるから、釈放ということならばこれは釈放の具体的な裏づけになるが、あなたの場合にそこからうしろは日本の法律外のアメリカであるからわからないというならば、釈放という判断もできないじやありませんか。
  91. 中尾文策

    中尾政府委員 釈放と申しまするのは、こちらの権力による拘禁を解くというり……。
  92. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 当然それに付随し関連して身元の問題が出て来るじやないか。
  93. 中尾文策

    中尾政府委員 身元の問題は親切を尽しまして、特に少年の場合には親切にしていろいろ処置を講ずるわけでございますが、しかしそれは釈放の方法でありまして、釈放のに本旨には関係がないわけでありますから、やはり釈放いたしますにはいろいろ親切な方法を考えて、なるべく本人に間違いがないようにはいたしますが、今の場合にはその余地がなかつたということであります。
  94. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 それでは小川説明員にお伺いしますが、そのRTOで身柄を引渡したときに、心配の余り書面をもらつた、その書面は現在どこにありますか。それからその書面の内容についてお伺いをしたいと思うのですが、その書面はだれあての書面でありますか。
  95. 小川博

    小川説明員 お答えいたします。あて先は私覚えておりません。私であつたかあるいは鑑別所長であつたか、これも記憶しません。現在それがどこにあるかにつきましては、昨日電話で鑑別所長に問い合せてお尋ねしましたところが、ある。送つてくださいということで、これも先ほど申した期日に到達の予定でありますから、そのときに御検討いただきたい、こう思います。あて先は今不明であります。
  96. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 その書面をできるだ早い機会に委員会に提出してい光だれように要求をいたします。委員長かつひとつおとりはからいを願いたい。それからその書面は小川さん御自身のお考えとして、これは公文書であるとお考えになつたかどうか。
  97. 小川博

    小川説明員 それはやはり内容を見ての上で、つまりあて名がだれになつているかということにもよると思います。私としては念のためという程度証で、普通の少年身柄を受渡すときには必ず身柄の受領書をとるわけです。その意味合いを書いたわけであります。先ほど言いましたように、英文の場合の身柄の受領書にどのような内容盛り、どのような字句の配置にすべきかということに私はその当時――今もそうでございますけれども、知識がございません。従つて大体においてこういう内容を盛つてくれということを言つたことは覚えているのでありますが、とにかくこういうふうにきまつた少年であつて、これころのところに早く帰さにやならぬのですから、お前さんの方で調べが済んだらすぐに帰してもらいたいという内容を盛つてくれと言つたと記憶しております。これは具体的には実際にその書面をごらんになつて検討していただきたいと思います。
  98. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 そうしますと、あなたがこういう内容を盛つてくれという要求をして、RTOでその書面を受取られた場合に、その要求に満ちたものであると判断されたものかどうか。おそらく判断されたから受取られたんだろうと思いますが、その要求に応じたものであつたかどうかそういう御記憶があればお答え願いたい。
  99. 小川博

    小川説明員 満足のものであつたと私は今でも信じております。それについては疑いを持ちません。サインをいたしましたのは、これも見ればわかると思いますが、ブーアン中尉であつたと思います。
  100. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 そうすればあなた御自身としては、その書面が公文書であるかどうかの判断は別としても、あなた自身その当時受取られたときには、それは明らかに身柄の保証をするところの書面であるという確信を持たれたから受取られたものであろうと思いますが、そういうものと判断してよろしいですかどうですか。
  101. 小川博

    小川説明員 身柄の受書という意味がまず第一にあります。それからそれ以外に先ほどから申しましたように、英文でそういつた場合に、たとえばアメリカ少年院なりあるいはアメリカ鑑別所でどういうものを出すかということは、私は知りませんから、こういつたものを書いてもらいたいということを言つただけのことであります。
  102. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 それではその書面はそのあとどういうふうにされましたか。
  103. 小川博

    小川説明員 それは一般の身柄受領書のつづりの中に入つてつたと思います。
  104. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 それでは身柄の受書に準ずるものというあなた御自身の判断で、そのような措置をとられたものと考えてよろしいですか。
  105. 小川博

    小川説明員 単純にそういうようにお考えいただいても私としては困りますが、とにかく身柄受領書のつづりの中に納めたことを私は記憶しております。
  106. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 そうすると身柄の受書に準ずるというものでないにしても、その受書として一緒につづつたものとすれば、受書と同じ扱いとして扱われていると私は判断して間違いないと思います。なぜならばそのつづりの中につづつてあるのですから……。そうするとCICに渡したというその受書はそのつづりにつづつてあるならば、当然その措置というものはしCIC身柄を引渡すそのための受書である。それは当然法的な措置としてあなた自身が法的な立場でもつてそれをやられたんだというふうに私は解釈していいかどうか、この点はどうですか。
  107. 小川博

    小川説明員 単なる身柄の受書とのみ御判断いただくと困るということを申し上げましたのは、もう一つの気持があつたということをもう一度御記憶を呼び起していただきたいと思います。とにかく早く試験観察の方に入るように、矢部与作の方に帰してもらいたいという字句もたしか入れてあつたかと記憶しております。これは現物を見ていただけばわかります。
  108. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 しかしその点に関しては、あなた御自身権限がないんだからわからないんだ、やれないということを先ほど言つておられたように思う。そうすると矢部与作試験観察の方にまわすということは、あなた自身の当然な法的な義務においてやつたんじやなくて、あなた自身の判断でかつてにそういうことをやつたんだということになるのですね、その文書の中に書かしたということは。
  109. 小川博

    小川説明員 先ほど申しました通り、英文でどのようにしたためていいかわからなかつたという点が一つあると思います。
  110. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 しかしその点は書いてあるでしよう。
  111. 小川博

    小川説明員 あると思います。これは現物を見てから御判断いただいた方が妥当じやないかと思います。
  112. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 それではその点は見てからにいたしましよう。  そこでやはり具体的に問題になつて来るのは、鑑別所決定というものは、あくまでも矢部与作に対していわゆる試験観察に付するのだ。この間に、何か先ほどの中尾局長の話によると、特別の権力が出て来てそういう法的な執行を妨げるような事実が起つて来たのである。これは日本の悲劇としてやむを得ないというようなことを言つている。ところがこれは、その当時は占領下であるとはいいながら、しかもなおかつその下において法律はあつた。そういう法律がありながらも、そういう権力が出て来たからやむを得なかつたというようなことで、なぜそれではこれに対する具体的な措置をとらなかつたか、おそらくこういう問題については、新潟鑑別所あるいはそれを通じてこちらの方の本省側に対して、具体的な事項として問合せなりいろいろなものが来ているはずです。これに対してなぜ具体的な措置を行わなかつたか。その権力がそれを妨げるようなことをしたというのですが、これについて中尾さんがその当時の状況がおわかりになればお答えを願いたいと思います。
  113. 中尾文策

    中尾政府委員 私直接にはよく存じませんが、私考えますのに、この試験観察と申します決定は、ただちに本人身柄を拘束するというような重大な決定ではございませんので、その試験観察というものは、たとえばある場合には、だれかのところに行つて試験観察を受けるというような決定を受けましても、その前に、ちよつとおじさんのところに一日か二日行つて来たい、それからその後に行きたいというような場合がありますと、やはり試験観察でございますと、おそらくその程度のことならば、即時試験観察の身元引受人のところに行かなくても、いいようなことを認められるだろうと思います。それでこれが観護処分の中にひつぱつて行くとか、あるいは少年院に入れる決定があつたのに、少年院からひつぱり出して持つて行くとか、そういうことでございましたならば、おそらくこれは鑑別所当局も、決してそういうことは承服しなかつたと思いますが、とにかく鑑別所から釈放になつたあとは、その身元引受人のところに世話になりに行くのだというわけでございましたので、CICの方が権力を持つて、一時それを向うへひつぱつ行くということでありますと、こちらとしてはそれに抵抗する手段がなかつたというふうに解釈するわけでございます。
  114. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 今の例は試験観察に付する前に、二、三日おじさんのところに行つて来る、こういう場合はあり得るというお話であつた。これは一般的な例として言われたのだと思います。具体的な問題としては二、三日ということがサンデー毎日には書いてあるけれども、先ほどの小川説明員のお話によると、二、三日ということを言つておらない。相当長い間という意味のことでるような、アメリカ側からの要求があつたと言つておる。しかもその後において再三小川説明員は、板垣少年身柄を心配して調べておる。こういうことになつて来ると、相当長い間ということは明らかになつている。その場合にその裁判所決定は、試験観察という決定が行われている場合において、長く帰つて来なかつた場合に対する何らかの措置を裁判所としてはとらなければならない。その場合に、具体的にどういう措置を行われたか、この点について宇田川さんにお伺いをして、おきたいと思います。
  115. 宇田川潤四郎

    宇田川最高裁判所説明員 試験観察 決定後、CIC身柄を連れて行つてから後に、裁判所としては、三輪調査官補CICに早く身柄を返してくれ、試験観察を実施したいという意思表示をしておる、その程度でありまして、それ以上のことは私も存じておりません。
  116. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 それに対する回答はどうなつていますか。
  117. 宇田川潤四郎

    宇田川最高裁判所説明員 先ほどその点につきましては、中尾政府委員がお答え申したように、まだらちが明かないので、もう少しというようなことを言つて要領を得なかつたように聞き及んでおります。
  118. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 その間の前後の事情をもつと詳細に、家庭裁判所の担当の局長から伺いたいのでありますが、もしその前後の事情が、今詳細に御報告願えないとするならば、向うの方の調査をいただきましてから、詳細にその間の御報告をいただきたいと思います。現在もしおできになるならば、今御答弁つてもけつこうであります。
  119. 宇田川潤四郎

    宇田川最高裁判所説明員 その交渉は、三輪誠という少年調査官補行つたのでありますが、昨日その三輪誠少年調査官補に会つて聞いた内容は以上でありまして、それ以上何ら三輪調査官補から聞いておりません。三輪調査官補からもう少し詳しく聞く必要があれば、お聞きしてお答えいたしたいと思います。
  120. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 この事件をわれわれの方の委員会において取上げる場合においても、三輪誠氏がいつCICに対してとりに行つたか、何月何日どこに対してどういうように問合せをして、それに対してどういう回答があつた。そしてまたその後においてどういう問合せをし、どういう回答があつて、その後身柄はどうなつたかということの、具体的なお話でないと、ただ抽象的に、三輪誠なる者が行つてあれしたのだという程度の話では、この委員会で審議する上においては十分なる答弁とはわれわれは考えられないのであります。もう少し具体的に、板垣という少年が五月三日にCICに連れて行かれたならば、そのあと何月何日三輪誠が交渉して、そしてそれに対してどういうことであつたかという点を詳細御答弁を願いたいと思います。現在までのところお調べになつておらないとするならば、その後において詳細にお調べの上で御報告を願いたいと思います。私は大体それだけです。
  121. 小林錡

    小林委員長 小川説明員に私からちよつとお伺いしたいのですが、板垣少年は、その知能程度、教養程度あるいは精神状態、あるいは本人の性質というようなことを、あなたが当られてお気づきの点を伺いたいと思います。
  122. 小川博

    小川説明員 申し上げます。それまでの少年の履歴が非常にあいまいでありましたために、しかもCICに相当期間調査されておりましたために、十分鑑別業務が本人に対してなされたかどうか疑わしいのですが、私は少年身柄を扱つて、そして生活指導をする方の責任者でありますし、それから少年の、今お尋ねのような点については、鑑別課というものがございまして、当時の鑑別課長がそういつた詳細の点を調べているはずです。その点は……。
  123. 小林錡

    小林委員長 あなたの感じでけつこうです。
  124. 小川博

    小川説明員 私の感じを申し上げますと、知能程度はまず尋常、それから性格は異常的なところは認められません。ただ今まで非常に奇妙な生活の連続であり、それから某地の海岸でそういつたよう処置を受けたために、若干精神的なシヨックを受けておつたような印象は私も持つております。その一つの例証といたしましては、妙なことを申しておりました。CICの建物へ行きますと、じゆうたんというものが敷いてあつた。この少年の前歴から考えまして、おそらくじゆうたんというようなものはあまり見たことがないのじやないかと思います。それに外国人のそういつた調査という場面があつたせいかと思いますが、非常に警戒心が強くなつていたように思います。そのじゆうたんに何か仕掛がしてあるのじやないかというような気持がした、それで初めはそこを踏まないようにして部屋に入つたというようなことを、私は笑い話として聞いておつたのですが、若干の警戒心といつたようなものは見受けられましたが、しかし私身柄を預かりまして、特に生活指導を、そういつた事情でありますので、いろいろやつております間に、だんだん明朗になりまして、そうしておちついて、私どもの処遇について来て、調べのない日などは一緒に構内の内庭でバレーボールをやつたりなんかして、私は特にこの少年については積極的にいろいろな話をし、安心させ、おちつかせるように努めました。これはほかの少年の場合だつて少年の心身の安定をはかるということは必要なことなんです。一つの観護技術としてそういつたことを施したのですが、次第に安定して明朗さをとりもどし、少年としては非常にはきくとしたところもあり、少年らしいさつぱりした性格を持つていたと記憶しております。
  125. 飛鳥田一雄

    ○飛鳥田委員 RTOに引渡したときに、それを阻止する方法がなかつた、こういうふうに中尾局長は言つておられるのでありますが、これを阻止する方法は絶対になかつたのでしようか。
  126. 中尾文策

    中尾政府委員 その場合、私具体的に接しませんから、絶対になかつたかどうか、それはわかりません。どうしてもこれは渡してはいけないという場合には、極力それを渡さないということを言い張つて拒否する上りほかはないのでございますが、あの当時のいろいろな実側から判断いたしますと、そういうことをいたしましても、結局向うは最後は持つてつてしまうというようなことでございますので、おそらくこの場合も、何べんもそういう目にあつて日本のあちらこちらでそういう摩擦があつた結果、そういう一つの慣行になつてつたわけでございますから、そういうことで渡してしまつたのだろう、そういうふうに思うわけであります。
  127. 飛鳥田一雄

    ○飛鳥田委員 たしかその当時は、すでにGHQの方から各米軍の関係機関に対して、日本へを逮捕監禁、そういうようなことをする場合には、日本裁判所の判事の勾留状あるいは逮捕状をとれ、こういうレギュレーシヨンが出ていたはずだと思うのです。私今ちよつとここへやつて来たので、その日にちを正確に覚えておりませんが、私は横浜でそういう事態に遭遇した場合に、逮捕状をとつて来たかということをたしかCIDの刑事に尋ねまして、とつて来ないと言うから、それでは君は君の方のレギュレーシヨンに従つて出直したらよかろうということで拒絶した覚えがありますが、そういうレギユレーシヨンは確かに昭和二十五年ごろ出ていたと思いますが、そういう点は御存じなかつたでしようか。
  128. 中尾文策

    中尾政府委員 実はその点は私は気がつきませんでした。もしそういうことになつていたあとにこういうことが起つたといたしますと、これはよほどまた問題の性質が違つて来ると思いますので、その点私もうつかりしておりましたが、至急調査させます。
  129. 飛鳥田一雄

    ○飛鳥田委員 そういうことが出ておつたかどうかとおつしやいますが、しかし占領治下といえども、日本人人権が守られるか守られないかということは、非常に重要な問題であります。私たち横浜におります関係上、この問題につい非常注意して、われわれも喜んでこれを迎えたわけでありますが、それを知らなかつたということでは、はたして人権の擁護についてあなた方が職責を十分に尽すという点で熱意があるかどうか、はなはだ疑問にたえぬのですが、その点について、知らなかつたとおつしやることは訂正していただきたいと思います。     〔「知らなかつたことを訂正しろと言つても、それは知つたということにはならない」と呼ぶ者あり〕
  130. 中尾文策

    中尾政府委員 まあ知らなかつたことは怠慢ということでありまして、知らないということを訂正いたしましても、やはり知らないことになりますので、それはたいへん申訳ないと思います。
  131. 小林錡

    小林委員長 この際暫時休憩いたします。     午後四時二十七分休憩      ――――◇―――――     〔休憩後は開会に至らなかつた