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押谷政府委員 請願の件につきましては、事実を調査いたしましたが、その事件の概要は、昭和二十七年十一月十日午前十一時十分ごろから、
東京拘置所内第三病舎に収容中の向島署十三番、西貝重右ェ門ら数名の者が病舎の一前において、北三舎各階の被告人に対して、
日本共産党中央
委員白川晴一の死をいたみ、赤旗の歌の合唱及び黙祷をなすことを呼びかけて、行事に移
つたのでありますが、その際他の被告人の中から、「うるさい、やめろ」「このばかやろう」等と怒号が起りました。かようなことがありまして、同日の午後二時半ごろに至り、北三舎三階十一房の強盗殺人被告人
斎藤勉は、同人が同目午前中房の窓下に落した鉄製の水道用コックを拾い、運動場におもむく途中、たまたま三病舎の入口付近において日光浴をいたしておりました向島署十三番らの姿を見たので、同人に対して、「今朝のような騒ぎはうるさいからやめてくれ」と申入れ、二、三問答をしておりましたところ、病舎に収容中の朴桂順がやにわに
斎藤をけり、他の数名の者とともにこぶしあるいはゴム裏草履で
斎藤の頭部顔面等を欧打し、また両手をねじ上げる等の集団暴行を加え、さらに
斎藤の所持しておりました水道用のコックを奪
つて殴打したのでありましたが、看守がかけつけて、ようやく
斎藤に事なきを得たのであります。その後向島署十三番ら六名の被告人は、北舎区長に対しまして「拘置所の職員が
斎藤に兇器を持たせて、われわれを殺しによこしたのであり、危険なこの場所にはおられぬから
釈放せよ」とその回答を迫りましたが、回答が遅れましたので、一時は向島署十三番ら六名の被管人及び同病舎の被告人七名が、所持品を整理し更衣して「
釈放に
なつた」と呼号しながら、隊伍を組んで病舎を立ち去る事態も生じましたが、管理部長の四時間にわたる説得により、ようやく静ま
つたのであります。
そこで拘置所側におきましては所、所内の秩序を維持し、同時に向島署十三番ら六名の身体の保全を考慮し、同人らに対し転房を求めたところ、応じなか
つたため、やむなく新病舎に強制的に転房せしめたのでありますが、同人らはこの措置を不服といたしまして、房内のガラス等を破壊し、破片を職員に投げつけるなどの暴行の挙に出たのであります。その際に同被告人らの中には、みずから負傷した者もあ
つたようであります。
以上の次第でありまして、本件についての同拘置所の措置につきましては、同被告人らに対し、
人権蹂躙にわたる取扱いをしたとは認めがたい
実情であります。拘置所内の規律を維持するに万全を期することは必要ではありますが、同時にまた収容者といえども
人権を尊重いたしますことは当然でありますので、今後なお一層
人権擁護に努力いたしたい所存であります。
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