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1952-12-17 第15回国会 衆議院 文部委員会 第6号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十七年十二月十七日(水曜日)     午前十一時一分開議  出席委員    委員長 伊藤 郷一君    理事 坂田 道太君 理事 田中 久雄君    理事 松本 七郎君 理事 坂本 泰良君       東郷  實君    永田 亮一君       長野 長廣君    水谷  昇君       菅野和太郎君    菊地養之輔君       井伊 誠一君    辻原 弘市君  出席国務大臣         文 部 大 臣 岡野 清豪君  出席政府委員         文部政務次官  廣瀬與兵衞君         文部事務官         (初等中等教育         局長)     田中 義男君         文部事務官         (大学学術局         長)      稻田 清助君         文部事務官         (管理局長)  近藤 直人君  委員外出席者         専  門  員 石井つとむ君     ――――――――――――― 十二月十五日  委員竹尾弌君辞任につき、その補欠として白石  正明君が議長の指名で委員に選任された。     ――――――――――――― 十二月十一日  盲、ろう児就学奨励法制定に関する請願竹尾  弌君紹介)(第六六三号)  同(伊藤郷一君紹介)(第七二七号)  教育委員会法の一部改正等に関する請願(山花  秀雄君紹介)(第七二四号)  市町村教育委員会設置費全額国庫負担に関する請願白石正明君  紹介)(第七二五号)  老朽校舎改築費に対する国庫補助に関する請  願(白石正明紹介)(第七二六号)  高等学校における芸能科目必修科目に加入の  請願水谷昇紹介)(第七二八号)  大学における美術関係講座経費実験講座と  して計上の請願水谷昇紹介)(第七二九  号)  教育職員養成大学における図画工作科教員養成  の拡充に関する請願水谷昇紹介)(第七三  〇号)  福島大学学芸学部附属小中学に対する経費の増  額等に関する請願佐藤善一郎紹介)(第七  三二号)  附属学校教官待遇改善に関する請願西村直  己君紹介)(第七三一号)  青少年優良映画製作に関する請願星島二郎  君紹介)(第七三三号)  学校給食に関する請願小松幹紹介)(第七  三四号) 同月十三日  附属学校教官待遇改善に関する請願植原悦  二郎紹介)(第八八八号)  国費による幼稚園設置に関する請願木村公平  君紹介)(第九〇四号)  新潟大学新発田分校統合反対に関する請願(井  伊誠一紹介)(第九〇五号) 同月十五日  石田梅巖先生誕生地史跡保存指定地に関する請  願(中野武雄紹介)(第九八一号)  六・三制教育施設整備費国庫補助に関する請願  (島村一郎紹介)(第九八二号)  私立学校教職員共済会強化等に関する請願(山  下春江紹介)(第九八四号)  文教施設整備充実並びに義務教育費国庫負担  制度拡充等に関する請願山下春江紹介)  (第九八五号) 同月十六日  教育委員会法の一部改正に関する請願外一件(  松岡駒吉紹介)(第一〇七九号)  高等学校定時制教育振興法制定に関する請願(  福井勇紹介)(第一〇八〇号)  幼稚園教員待遇改善に関する請願宮幡靖君  紹介)(第一〇八二号)  幼稚園施設に対する国庫補助請願宮幡靖君  紹介)(第一〇八三号)  中小学校教職員待遇改善に関する請願(丹羽  喬四郎紹介)(第一一四三号) の審査を本委員会に付託された。 同月十五日  教育施設整備に関する陳情書  (第七二七号)  老朽校舎改築費に対する国庫補助陳情書  (第七二八号)  小学校給食費国庫負担に関する陳情書  (第七二九号)  義務教育費都道府県負担より市町村負担に移  行の陳情書  (第七三〇号)  地方教育委員会設置費全額国庫負担に関する陳  情書(第七三一  号)  私立学校振興予算に関する陳情書  (第七三二号)  同  (第七三三号)  同(第七三四  号)  同  (第七三五号)  同  (第七三六号)  同  (第七三七号)  同(第  七三八号)  教育公務員給与ベース引上げ並びに年末手当  に関する陳情書(  第七三九号)  同外二件  (第七四〇号)  同外一件  (第七四一号)  同  (第七四二号)  同和教育推進に関する陳情書外一件  (第七四三号)  石城山神籠石発掘陳情書  (第七四  四号) 同月十六日  教育委員会制度の撤廃に関する陳情書  (第八四〇号)  教育公務員給与ベース引上げ並びに年末手当  に関する陳情書  (第八四一号)  同  (第八四二号)  教職員給与制度改善に関する陳情書  (第八四三号)  義務教育職員給与に関する陳情書  (第八四四号)  義務教育施設復旧製備促進に関する陳情書  (第八四五号)  老朽校舎改築促進陳情書  (第八四六号)  同(第八四七号)  私立学校振興予算に関する陳情書  (第  八四八号)  同  (第八四九号)  地方教育委員会機構運営並びに財政措遣に関  する陳情書(第八  五〇号) を本委員会に送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件 文部行政に関する件     ―――――――――――――
  2. 松本七郎

    松本(七)委員長代理 これより会議を開きます。  委員長が不在でございますので、臨時に私が委員長の職務を代行いたします。  文部行政に関する件を議題とし、文部大臣及び政府委員に対し質疑を行います。
  3. 辻原弘市

    辻原委員 先般の委員会におきまして、新発田大学の問題について、政務次官に対して当委員会から満場一致で、ただいま現地大学が敢行つている移転促進の問題について、調査が完了するまでは少くとも現状のままにとどめておくべきであるという要望を申し上げておいたのであります。その際に政務次官から、政務次官責任において善処をする、こういう確約を得ましたので、われわれは大いにそのとられる措置について期待をしておつたのでありますが、その後どういう措置をおとりになつて、現在おとりになつ措置に基いて現地ではどのような形になつているか、この点をひとつ承つておきたいと思います。
  4. 廣瀬與兵衞

    廣瀬政府委員 お約束を申し上げました通り電話をいたしまして、こちらの委員会事情を詳しく説明いたし、こういうふうになつているからあまり強硬の手段をとらぬ方がいいだろう、私が大臣のかわりに委員会において善処すると約束したから、そうしたらどうかという勧告をいたしました。先方もそれを了といたしまして、十七日まで待ちたいというような話でありましたが、とにかく参議院調査団が行くことだからして、よく相談をした方がいいじやないか、参議院調査団が行きまして、衆議院の方できよう行かれる、こういうことになつておりますので、もちろん調査団の行かれる前にさようなことはしないと存じております。
  5. 辻原弘市

    辻原委員 ただいまとられました措置についてお伺いをして、一応現地においてはとりやめられたという話を承つたのでありまするが、そのお話によりますと、衆議院調査団が行く十七日までは現状にとどめておくというお話であるようですが、そういたしますと、調査団行つて、大体の日程としては御承知のように十九日にまたがると思うのですが、調査団行つて調査をし、かつその調査の結果に基いて結論を出す間については、現地としては何ら保証をされない、こういうことになるのではないかと思いますが、その点電話政務次官お話になられるときにどのようなお話をされたのか。私ども希望としては、少くともさいぜん申し上げておりましたように、われわれとしては調査を早急に行い、しかも結論も出して、なるべく現地もこの問題のために停頓するというようなことのない、そういう取運び方をいたしたい、かように申しおきました観点からも、ただ行くまで待つというのではいささかどうも常識的に考えましても、その点品全現地の方ではわれわれの意向を了解したとは受取れないわけでありますから、その点についは現地と話合いをされたのかどうか承つておきたいと思います。
  6. 廣瀬與兵衞

    廣瀬政府委員 その際向うの希望といたしまして、なるべく衆議院の方の調査団を早くよこしてほしい、こういうことを言つておりましたので、もちろん行く前に移転をするとかあるいは行つている最中にがたがたするとかいうようなことは私は断じてしないと存じております。また電話の模様でもそういうふうに受取られました。
  7. 辻原弘市

    辻原委員 なおこれはすでに参議院調査団が帰つて参りまして、おそらく早急に結論を出すと思うのでありますが、われわれも帰りましてできる限りこの問題についての結論を出して委員会に報告をし、当委員会においても最終的な結論を出されることと思いますが、もしこの問題について種々な角度から検討し、その結果当委員会においても統合不可であるというような結論に到達した場合、これを受けて文部省としてはどういうふうにやられるおつもりなのか。この問題についてはおそらく政務次官もその後いろいろ大臣とも御協議なさつていると思いますので、その態度について一応承つておきたい。さようでなければ、われわれが心魂こめて正確な、しかも公正な調査行い結論を出しましても、きわめて無意味でございますので、どのような取扱い方をされるのであるか、その点をお聞きしたい。
  8. 廣瀬與兵衞

    廣瀬政府委員 昨日参議院文部委員会におきまして、大臣はこの問題につきまして、国会最高権威であるからして、国会の言うことを聞くことになるけれども命令はできぬ。国会の決議によつてなれば別だけれども、そのほかでは命令はできぬ。けれども国会最高権威だからして、国会の言を尊重する。こういうことを言つておられましたので、私もその意見には賛成でございます。
  9. 辻原弘市

    辻原委員 結局国会がそういうような結論を出せ、文部省自体としてはその結論を尊重して、大臣権限にかかる問題でもありますから、従つて最終的には変更することもあり得る。こういうふうに了承してよろしゆうございますか。
  10. 廣瀬與兵衞

    廣瀬政府委員 少し違うように思うのでございます。大臣は、国会最高権威であるから、参議院調査が参りますし衆議院調査団も参りまして相当結論を得た場合に善処する、こういうふうなことを言つておりましたが、あくまでも大臣命令をもつてやることは大学自治に反するから、こういう意見のように私は承つておりました。
  11. 辻原弘市

    辻原委員 大臣がおられませんので、これ以上政務次官にお伺いいたしましても、政務次官としても答えられる方法がないのではないかと思いますので、この点はあとで大臣にお伺いいたすことにいたします。  一点、近藤局長にお伺いいたしたいのでありますが、すでに現地においては十二月一日でありますか、あるいは私の記憶が誤つておりまするか、新潟大学新発田分校校舎所有権が移還されておるということを聞いておるわけでございますが、そういたしますると、これは最終的に結論不可というふうなことになつた場合、どのようなことになるのか、その点を承りたいと思います。
  12. 近藤直人

    近藤政府委員 新潟大学新発田分校校舎を大蔵省と関東財務局返還をいたしたいという話は伺つておりますが、まだ公文が参つておりませんので、詳細なことはわかりませんですが、大学といたしましては一応統合いたしまするので、その校舎をお返しするということに決定されたものと考えます。御指摘のように万一この統合中止なつた場合にはどうなるかということがございますが、その点につきましては、万一中止のような場合にはまたその返還を撤回しまして、再び継続するということになるのではないか、かように考えております。
  13. 辻原弘市

    辻原委員 大臣が見えられましたので、先ほど政務次官にお尋ねいたしまして保留をいたしました点についてお伺いをいたしたいと思います。と申しますのは、すでに新発田大学の問題につきましては、大臣もいろいろ事情をお聞きになつておられると思いまするが、     〔松本(七)委員代理退席委員長   着席〕 それらの点に対して国会におきましては、両院とも調査団を派遣する——すでに参議院の方は調査団を派遣して、現在その調査の結果に基いていろいろ検討中だという話でありまするし、また本委員会におきましても、本日より出発をして調査に当るということになつておるのでありまして、その結論がいろいろの解度から検討をいたしまして、公正な立場において判定をすることになるわけでありますが、その場合に、かりに現在設置審議会において出されまして、現地において進めているような統合とは逆な、統合不可であるというふうな当委員会結論が出た場合、これを受けて大臣としてはどのように措置されるのか、その点を承つておきたいと思います。
  14. 岡野清豪

    岡野国務大臣 お答え申し上げます。これはこの前にも私ここで申し上げたと思いますが、参議院並び衆議院文部委員会が御調査おいでになる。その御調査というのは、むろん私の考えでは、こういうふうにしたい、ああいうふうにしたいという一つの意思、目標を持つて行かれるのじやなくて、現地の実情を十分御調査になつて来て、そしてそれに対して国会はいかなる判断を下すかというために御出張になるだろうと思います。そういたしまして、こちらへお帰りになりまして、参議院衆議院文部委員会でよくひとつ御協議なすつて統合反対であるとか、移輸反対であるとか、もしくはこのままやらしたらいいじやないかという、どちらかの結論が出ると思いますが、その結論が出た上で私は善処いたしたいと考えております。
  15. 辻原弘市

    辻原委員 結論が出ました上でというお話でしごくごもつともでありますが、これは仮定の上の話でありますが、ただこれから調査におもむくものといたしまして、いろいろ問題があつて、総合に問題があるのでありますから、従つてその問題点が今問題になつているのと事実符合いたしまして、しかも現地の要望するごとく、教育的に考えましても、統合不可であるというふうな——あるいは場合によつて統合不可であるという結論に至らなくても、何らかの形において現地教育制度というものを、現地にマツチするような方式をかりに結論的に出すといたしますと、そこに現在の統合という一方の方針とは食い違う場合、全然大臣のお考えなりあるいは文部省方針として、設置方針はくずせないんだというようなかたい御決心があるならば、これはせつかく調査をやりましていかに努力をいたしましても、無意味な結果に終るということも予想せられるのであります。従つて少くともそうした公正妥当な結論が出るならば、それを尊重して、あらためて大臣権限におきまして、設置審議会の議にさしもどすなり、そういう措置をも考慮せられる余地を持つておられるのかどうかという、いま少し具体的なお話を私はお聞きしているわけであります。
  16. 岡野清豪

    岡野国務大臣 お答え申し上げます。これもこの前に委員会で申し上げておいたと思いますが、ただいまの段階におきましては、文部大臣にこれをいかにしよう、こういうような権限はないはずでございます。これは皆様承知通りでございます。しかしながらこれが国会調査班おいでになつて国会統合はいけない、こういうような結論がもしかりに出るといたしますならば、その場合にはその出方いかんによりまして文部大臣は適当な処置をとる覚悟を持つております。
  17. 辻原弘市

    辻原委員 私、あえて論争をしようとは思わないのでありますが、大臣は二、三日かぜを引かれてお休みになつておられましたので、その後の話も若干お聞きくださつていないと思うのであります。大臣が先般の委員会でのお話は、全然これは大臣権限にないという話ではなかつたと私記憶いたしております。少くとも最終的な責任文部大臣にあるという立場においてお話なすつたと私は記憶をいたしておりまして、これを設置審議会に諮問をしたということから考えましても、大学統合基準等に関する問題については、明らかに大臣責任であり、大臣権限下にある。その後いろいろ検討いたしまして、私どもそういう見解に立ちますし、政府委員答弁によりましても、ある程度その点は明らかになつておると私は思うのであります。但し方針を決定して、具体的に取運ぶ等のことにおいては、次官通牒その他をもつて大学に一任されたということで、その事柄によつて大学権限に包括されて入つたということでありまして、本来この統合の問題については、全然大臣責任でないということは言えないと思います。そういう立場から、少くとも根本的にそれがいかぬということになれば、設置審議会結論不可であつたということになり、従つてその設置審議会答申の結果によつて大臣がその方針によつて大学はやつたらよかろうというふうに一任された問題であるから、根本的にそれがいかぬということになれば、あらためて大臣権限の中にもどつて来るのではないか。その一つ方法としては、いま一度設置審議会にそのことを諮問せられる必要が生じて来るのではないか、かようにも思うのでありますが、その点は大臣としていかにもお考えになつておりますか。
  18. 岡野清豪

    岡野国務大臣 これは私この前に申し上げましたことと、少しも意見がかわつておりません。と申しますことは、なるほど大学統合とかなんとかいうような計画は、設置審議会がある方針によりましてこういう答申をして来た、そうして文部大臣は、このときの判断といたしまして、なるほどその統合がいいだろうということで、当時文部大臣がその設置審議会答申に同意しまして、これを大学に知らしたわけであります。そしてそれを実行に移す移さぬは大学自治にまかしてありまして、大学がもしやろうとすれば、これをやればいいのでありまして、やらないと言えば、またやらないのでもいいのです。しかし今日の段階といたしましては、設置審議会答申文部大臣が同意した、そしてこういう方向に進んで行つておるという段階におきましては、文部大臣といたしましては、一応審議会意見を尊重し、同時に文部大臣も同意してやつた方針でございますから、その方針通り大学がやることに対してわれわれとしては何らの干渉もしたくないのであります。しかしながらこれがまた地元もしくはいろいろの方面からの情勢によりまして、どうしてもこれは統合すべきものでないという結論が出、同時にそれが国家の最高機関であるところの国会が決議するならば、これは文部大臣としては、新たに善処し得るところの一つの権能が大学に対して出て来ますから、それによつて私は善処したい、こう考えておる次第でございます。
  19. 辻原弘市

    辻原委員 大体大臣のお考えになつておられる点はわかるような気もいたしますので、この問題についてはこれ以上申し上げません。  この機会文教政策の根本的な問題につきまして、従来御質問を申し上げる機会がありませんでしたので、若干お伺いいたしておきたいと思うのであります。この文教政策に関連いたしまして、最近いろいろ私ども考えさせられる問題がありますので、それに先だつて伺いいたしておきたいと思うのであります。と申しますのは、去る十二日の予算委員会におきましても、成出議員から総理に対して質問があつた先般の十一月十日の首相立太子礼成年式における寿詞の問題であります。私はこれは考え方によつてはきわめてめでたい式のお祝い言葉として、単簡にも受取れるのでありますが、また一面考え方によつては非常に重要な問題をはらんでいるというふうにも考えるのであります。しかも十二日の予算委員会におきましては、総理としてはこれは文部大臣から答弁をする方が適切な問題であろうというふうなお答えもあつたように私も聞きましたので、特に大臣の御見解を承りたいと思うのであります。  第一点は、少くとも寿詞というものは、性格的に見まして、皇太子成年を祝う立場におきまして、国民を代表して述べるお祝い言葉であると私は考えておるのでありますが、そのお祝い言葉が、茂云々から始まりまして、きわめてむずかしい言葉を連ねられております。平たく言えば、こういうふうな相当むずかしい康煕字典をめくつてもなかなか見当らないような言葉を連ねてお祝いを申し上げるというふうな事柄が、はたして現在の国民のすべての階層にわたつてそれを代表してお祝いするのにふさわしいものであろうかという点が第一点であります。特に私は青年皇太子のこのりつぱになられた姿をともに喜びわかつという現在の日本青少年が、この首相寿詞を聞いた場合に、はたしてそれによつてお祝いをするというふうな共感を心の中に呼びもどしたであろうかという点については、まことに私どもとしては考えさせられる点であります。かつてこうした寿詞、あるいは非常にむずかしい言葉を連ねたいろいろな寿詞といつたようなものがやられておりますが、特にそういうものを聞いた際の第一印象として私どもの心の中に響くも考は、これはうやくしくこうべをたれて、そののたまうのを承るといつた過去の回想がその心の中によみがえつて来ると思うのであります。そういう祝い方と申しますか、そういう一つの内容を持つ寿詐というものが、はたして皇太子立太子礼にあたつて適切なものであつたかどうかという点については、これは私は国民教育の上にもきわめて重要な問題であると思いますので、特にその点に対する大臣の所見をお伺いしておきたいと思うのであります。  それに関連いたしまして、小さい問題とあるいはおつしやられるかもわかりませんけれども、この中で使われている言葉は、先ほど申しましたように、きわめて難解である。しかも字句を拾つて検討いたしてみますと、新かなづかいにもなければ、当用漢字の中にもない制限外の漢字をほとんど羅列しているという事柄について、現在学校教育あるいは社会一般に対して、国策としてこの新かなづかいなり、あるいは当用漢字の使用を推奨している文部省立場において、一般教育と遊離してかような事柄が行われるということについて、はたして妥当であろうかどうか。少くとも現在法律文書にいたしましてもいろいろな官庁の諸規定にいたしましても、あるいは手続書類にいたしましても、すべて当用漢字あるいは新かなづかいの線によつて行つているという現況から、ひとり皇室に関するものだけを除外してこれをやるというようなことは、はたして一体どういうことであろうか、別個に考えてよいのであるか、その点を承つておきたいと思います。
  20. 岡野清豪

    岡野国務大臣 お答え申し上げます。あの寿詞言葉が古臭い、同時に今の日本当用漢字にもないような字も使つてあるというお言葉でございますが、儀式はやはり日本の中世紀の儀式をもつて行われたものでございまして、ただいまで申しますならば、モーニングとかなんとかで陛下も出られたり何かされるべきはずのものが、やはり衣冠束帯で出られるというふうになつております。そこでそれに合せなければならないという意味におきまして、お言葉も、またこちらの寿詞もそれに即応したものになつております。御承知通り歌舞伎の芝居を見ますれば、歌舞伎言葉を使いますし、それから新派劇芳居を見れば、新派言葉を使わないとぴつたり来ません。それからもう一つ皆様オペラをお聞きになりますが、あれは御承知通りイタリア語とかフランス語とかいうような語詞の歌を歌手はやはり歌つておりますけれども、それがやはりその場面に最も適当である、こういうような意味において拍手喝采を得ているわけであります。でございますから、私はなるほど御説の通り日本の現代にふさわしい言葉でなかつたことは認めますけれども、しかしそのときの立太子礼の初めからの計画から考えますならば、私はあれが一番即した言葉である、こう考えております。
  21. 辻原弘市

    辻原委員 妙な例を出されまして私も当惑しましたが、一面の真理があるような感じ方にお聞きになつた方もあるかと思いますけれども、私はこの問題についてはまじめに、真剣に考えたい。というのは、それは一つ儀式と見れば儀式と見られる。但しこれは古式にのつとつた神あるいは仏に対する一つのそういう儀式ではなくして、生きた人間をほんとうに祝う、しかも国民の象徴として次の世代をになわれる皇太子に対する国民の喜びという観点に立つた儀式であるとした場合、国民の代表として述べられる寿詞としては受取れないのであります。しかも開院式におきましても、あるいはその他、かつてはおそらく国民にはなかなか難解であつた式辞とか、いろいろ儀式の形式を見ましても、最近においては全部改められて、きわめて平易な形において直接的に国民に接せられておるという現在の天皇の考え方なり、天皇御一家の考え方から見ましても、少くともその儀式に対する言葉として、単なる普通の儀式というふうな受取り方でもつてこれをやるということは、私は天皇のお志にも沿つておらないし、また国民考え方にも沿つておらない。ひとりその寿詞が適切であると考えられた総理、並びにもしその総理言葉をそのまま儀式であるからやむを得ないと考えるならば、文部大臣自身も国民と皇室御一家の間に浮き上つておるものと私は考えるのでありますが、いま一度その点について大臣のお考を承りたい。
  22. 岡野清豪

    岡野国務大臣 辻原さんの御意見もその通りごもつともでございます。しかし私自身といたしましては、あの儀式言葉はやはりああいうような言葉の方がふさわしいという感じを受けて立太子礼に臨んで来たわけであります。御意見はよくわかりますけれども、私自身といたしましては、立太子礼のあの寿詞というものは、あの環境並びに御服装、式の次第というものに従つて、あああつた方がいいこういう感じがいたします。
  23. 辻原弘市

    辻原委員 私はそういう感じで儀式に臨んだし、そう受取つたというお話でありますが、問題は、国民がどう受取つておるかということであります。少くともこれは述べられた総理といえども、また今その考え方を是認せられた大臣といえども国民の間に、述べられた内容もわかつておらなければ、おそらくこれを読みこなせた国民もそう多くはない、かように思われると考えるのであります。しかもこの寿詞のあとで、いろいろ寿詞をめぐつての話が随査所にされております。その国民意見なり批判を見ましても、何らあの寿詞の中に国民の一人々々の感情を現わしておるというふうな把握はしておらない、かように私は考えておるのであります。従つて国民の意思の代表というものはあの寿詞の中には盛られておらないと考えるのであります。それでもなおかつこうした一つ儀式については、国民がわかつても、わからなくとも、一つの古式というものがあれば、それにのつとつてやることの方が適切であるとお考えになるならば、私は少くとも儀式とか、国家的にやられるいろいろな行事というものが、国民に直結しなくともいいというふうな結論をも導き出されるのじやないか。これはお前らの知つたことではないんだ、そういうふうに考えられるならば、それはいたし方はないと思うのでありまするが、少くとも国家的な行事というものは、国民とともにあらねばならいという前提においては、そうであつてはならぬし、また文教政策をつかさどつておられる大臣としては、いま少しそういう点について、国民に日常推し進めているところの教育政策にのつとつた範囲内において、こういう問題を取扱われる方が適切ではないかと私は愚考いたしておりますので、その点については大臣見解とは違うということをはつきり申し上げておきたいと思うのであります。  第二点といたしましては、これは繰返すようでありますが、ラジオ放送の中で、これは総理としては原稿になかつた言葉を読まれておるわけであります。臣茂という特別に臣をつけた点に対して、先般の予算委員会においては、総理大臣で臣がついているから巨に逢いないのだというふうな、まことに子供のような詭弁を弄されまして、だから、臣と申したことは決して誤りではないと断定せられた。私はかような三段論法というものはどこにあるかということを疑うのでありますが、はたして総理大臣とか大臣という名詞がついておるならば、いかなる場所において公的に臣という言葉を表現されてもよいものであるかどうか、こういう点について大臣のお考えを承つておきたい。
  24. 岡野清豪

    岡野国務大臣 臣茂の問題ですが、私はこう考えております。御承知通りにこの臣というのは、だれの臣かということから分析して行かなければならないと思います。この臣はいわゆる主権に対する臣でございます。そういたしますと、主権はだれにあるかといえば、新憲法において主権在民でございますから、国民が主権者でございます。そうして主権者である国民から総理大臣として任命されまして、私は総理大臣でございます。そこで私は国民を代表いたしまして、その代表権を持つておる総理大臣、臣茂があなたに寿詞を申し上げるのでございます。こういうような考えを私は持つております。と申しますことは、これは住友の例を言つてはぐあいが悪いですけれども、住友の総理事というのに任命されます。これは住友家からやはり総理事という任命を受けるのでありますが、しかし住友一家、住友コンツエルンのすべての事業を代表して第三者に言う時には、住友総理事古田俊之助といつて言うのが礼儀でございます。でありますから、私はこれはそうやかましく言うべき筋合いではないと思います。ただ問題は、封建時代もしくは新憲法が出ます前までのいわゆる君臣という君は天皇陛下であらせられ、臣はわれわれ臣民であるというふうな、臣という言葉の速撃がまだ頭に残つてつてそして一般に民主主義になつたということがわからないでおられる人が誤解するということになると私は考えております。
  25. 辻原弘市

    辻原委員 大臣がいろいろ言われますが、捏造だろうと思うのであります。これは予算委員会における総理の御答弁大臣の御答弁のごとくではなかつたと思う。やはり臣というのは、寿詞を申し上げる人に対して、総理大臣であるから臣だというふうな関係において、私が臣と言つたことはあくまでも誤りではないというふうに総理は考られておる。今大臣の御答弁を聞きますと、主権者が国民だから、その国民から委託されて総理大臣なつた、その国民の臣だから臣茂というふうに言つたということになれば、これは私は総理見解とは非常に違うし、また少くとも世に常識というものがございます。この寿詞の中に臣茂と、しかも相手を前に置いて申し上げる場合に、はたして今大臣が言われたように、国民から委託さたそういう立場において臣である、すなわちその臣として申すのだというふうなことは、これはどう考えましても、国民には受取れないことである、かように思うのでありますが、総理大臣考え方も、いまの大臣のような考え方であつたとするならば、私はいささかその用語の使い方については、いま少、これは文教政策の上において教育する必要がある、かように思うのであります。この点は大臣としてはどのようにお考えになつておりますか。
  26. 岡野清豪

    岡野国務大臣 大答え申し上げます。総理もやはり同じような考えで臣と使つただろうと思います。それで後からいろいろ話をしましら、いや、その通りなのだということを言つておりましたから、私は疑問がないと思います。ただ問題は、今まで君臣という言葉が封建時代、君主国時代に使われておつた。その言葉そのままが出て来たものでありますから、それで誤解がおありになると思います。これはひとつあなた方から国民にそいう意味で臣という言葉を使つたのだということを御釈明なさつていただけばけつこうであります。
  27. 辻原弘市

    辻原委員 これは大臣はさようなことをおつしやいますけれども、少くとも現在の日本の政治上において臣などという言葉はあり得ない。しもそんなことは行政上の一つの慣習でもない。またこれが先ほど大臣の言われたように、古式にのつとつてやられた寿詞の中の内容のものであるとすれば、それは現在の考え方に基いた言葉を使用されたとは考えられない。少くとも先ほど大臣が明らかにされたように、これは儀式言葉であるから、これは昔の古式にのつとつて書かれた。そするならば、この中の臣という言葉——つて私はこれは何かの大会において、明治神宮の大会でありましたか、当時の厚生大臣が、臣だれだれつつしんで申すと言つてこうべをたれたものでありますが、その取り方、その内容とも頭かわつておらないわけでありまして、一つ寿詞全体については、昔の儀式だからそういう昔のしきたりをやつたのだと言われるが、その内容からいえば、これは今の感覚で書いたのだ、そういうふうな説明を一々しなければならないような——こういう重要な国家の根本にも関するような事柄について、あいまいな言語を使用されるということは、いかにこれは弁解されましようとも、不適当であるし、そのことについてあとでとかくの理由をつけられるといういとについては、まことにこれは国民を惑わすものであるというふうに私は考えるのでありますが、その点については大臣はさような心配はないと仰せになるかどうか、承つておきたいと思います。
  28. 岡野清豪

    岡野国務大臣 お答え申し上げます。古式にのつとつてできたものに対して臣を使つたという意味で使つたのだろう。こういうようなおぼしめしらしいのですが、しかしそこはやはり世の中でございますから、形式は旧式にしますけれども、しかし今の臣ということは私が解釈いたしましたような意味で使つてあるわけでございますから、これは誤解なさらないでいただきたいと思います。
  29. 松本七郎

    松本(七)委員 関連して……。今の問題は、これは大臣の御答弁を聞いていると、はなはだどうも、りくつはどうにでもつく、口は重宝なものでありますが、これはただ古式にのつとつてそういう深い意味考えずにただ使つたというならば、それを一貫して言われるならば、まだわかるのですけれども、しかし今のような、こういう意味で主権者に対してこうだからああだからというようなことを言われると、いささか聞いてみたいところが出て来るわけであります。先ほど大臣自身も言われたように、今までの使い方からして、今日この時代にその言葉を使つたために、一部には誤解があつた、こう言われるのですが、その誤解のある言葉を使うところに問題があると思う。そういう大切な時機に誤解を起しやすい言葉をなぜ使わなければならないか。そこに問問がある。そう申しますと、実は新しい意味のこういうことで言つたのだと言うのでありますが、それならば、いやしくもそういう誤解が一部でもあるならば、国会議員に了解を得るように努力を求めるということではなしに、それをやつた総理大臣、あるいは文部大臣みずからが、国民に対して臣岡野文部大臣、臣吉田茂、こういう言葉を使つて、この誤解を払拭するだけの気持があるかどうか。いやしくも今誤解を招いておるというこの事実を認められる以上は、私はあくまでもそれだけの積極性のある態度をとつていただかなければ責任はとれないと思う。それだけのお気持があるかどうかお伺いいたします。
  30. 岡野清豪

    岡野国務大臣 私は一般の国民が誤解をしているとは思つておりません。ただ問題は、皆様方がそういうことを仰せになるから、誤解がありますならば、こういう意味で臣という言葉を使つておる、こういうことで釈明をしておるわけであります。先ほども寿詞が古くさいというお話がありましたが、しかし御承知通り、お経はわれわれ聞いておつても何のことかわかりません。しかし儀式としてはああいうお経を読んでいるのです。これはありがたい、ありがたいと言つて涙をこぼして仏様に合掌しているのです。儀式というものはそういうものだと私は思います。
  31. 辻原弘市

    辻原委員 これはだんだんお聞きして参りますと、ほぼ大臣考えている文教政策の骨子にも触れて来ると思うのであります。ただいま大臣が仰せになりましたが、たとえばお経を読んでありがたいというそういう感じ方、それと何か国民はわからないけれども、側とはなしに国が心の中に一つのものを与えて行くという与え方、こういうものによつて国民を教育するときにおいては、これはきわめて民主的ならざる教育の仕方が生れて来る危険性がある。ただ一つの信仰として、そういうふうに国民を導いて行つた過去の教育こいうもの、国民に何かわかつておらはいけれども、環境としてそういう一つのものを生み出した。それが日本の超国家主義ではなかつたか。軍国主義ではなかつたか。それと同じように、お経を読んでありがたいというのは、長い間の一つの慣習として、そういう感じとして受取つておるわけです。そういうことにおいてこれは仏教の場合ならよろしい。それによつて安心立命を得るならばよろしい。しかしながら国民の教育をやる場合には、国家全体としてそういう形態をふむことは、これは私はきわめて重要な問題だと思います。その点については、少くとも戦後新教育の上において打立てられて来たところの教育の姿というものは、単に学校教育にとどまらず、社会教育、さらに国民全般の教育に対しても、そういう教育方針であつてはならぬし、そういう考え方をもつて一国の教育政策を打立ててはならぬと私は思うのでありますが、その点についてはどうでありますか。
  32. 岡野清豪

    岡野国務大臣 私はこの寿詞というものが、国民教育においてそれほど大した影響を与えるものだとは考えておりません。とにかく国家の象徴であるところの天皇、その跡を継がれる太子になられるというときに、日本国民儀式に連なつた。そのときに儀式は古式にのつとつてやられた。そうして荘厳に行われた。こういうことで私はよいのではないかと思います。
  33. 坂本泰良

    ○坂本委員 今のに関連してお聞きしたいのですが、どうも大臣の御答弁を聞いておると、立太子の式は儀式である、こういうふうに受取るのであります。そういたしますと、文部大臣はこの立太子の式を国事の祭典であると考えておられるか、あるいは皇室内の祭典と考えておられるか、その点をまず承りたいと思います。
  34. 岡野清豪

    岡野国務大臣 これは確かに国事でございます。
  35. 坂本泰良

    ○坂本委員 そういたしますと、八千四百万の国民の総意をあげての国事だ、こういうことになるのであります。この国事に対する賀詞に対しましては、これは国事としての立場総理大臣も立たなければならないと思うのであります。そういたしますと、ただいままで大臣はある実業家の財閥の一家のことを例に出されたのでありますが、この立太子の祭典というのは国事である。これと比較することはできないのであります。従いましてこの立太子礼寿詞は、内閣総理大臣吉田茂としての寿詞であるのであります。そういたしますと、国民を代表しておるものである。国家は平和憲法によつてその国家の性格がはつきりいたしておるのであります。この憲法の立場に立ちましたならば、臣茂とか昔の旧日本憲法の君臣の考えをもつて、そしてこの寿詞をつくつたとすることになりましたならば、現在の憲法に反すると考えるのでありまするが、その点についての大臣の御所見を承りたい。
  36. 岡野清豪

    岡野国務大臣 私は新憲法の趣旨に反しないと思います。と申しますことは、内容に臣茂ということが出ておりまして、最後にやはり内閣総理大臣吉田茂と、こう書いて、そして差上げてあるのですから、これはとにかく少くとも臣という言葉が一貫しておると存じます。
  37. 坂本泰良

    ○坂本委員 最後の内閣総理大臣というこの臣というのはこれは一つの職名であるのであります。従つてこの臣をもつて憲法上の昔の君臣の間の臣と考えることはできないのであります。従つてここに大臣国民を代表しての寿詞である、こういうことになりましたならば、少くとも憲法の上に立たなければならない。この憲法の上に立ちましたならば、主権在民のこの憲法において臣という言葉を使うことは憲法に反する、こういうふうに考えるのでありまするが、その点についてもう一度御答弁をお願いしておきます。
  38. 岡野清豪

    岡野国務大臣 先ほども申し上げましたように、臣という言葉はやはり国民主権、その国民から命ぜられた総理大臣、その総理大臣がいわゆる国民に対して臣である。その臣であつて、しかも内閣総理大臣というものが一番国民を代表する一つの職制になつております。それが日本国民の臣である。しかも国民全部を代表してそしてただいま寿詞を申し上げているのです。こういうことで私はりつばに筋が通る、こう考えます。
  39. 伊藤郷一

    伊藤委員長 大臣の御都合を申しますが、日教組と十二時から会見を約束しているそうで、その他参議院文部委員会からも出席を求められておるそうそうですから、そのつもりでひとつまとめていただきたい。
  40. 坂本泰良

    ○坂本委員 それではもう一点だけお伺いしておきます。そういたしますと、大臣の御答弁によりますると、この臣茂というのは国民の臣であるからという意味での臣として使われた、こういうことになるわけですか。
  41. 岡野清豪

    岡野国務大臣 その通りであります。
  42. 坂本泰良

    ○坂本委員 その点は、実は文教政策についての根本を承りましたそのあとで、さらにまたたださなければならない点があると存ずるのであります。従つて私は時間がありませんから、一、二文教政策の根本について大臣の所信を承つておきたいと思うのであります。  岡野大臣は八月の十八日に文部大臣に就任せられ、聞もなく衆議院の解散となつて、選挙後の新たな内閣でもさらに文部大臣として留任せられたのであります。しかしながらこの文部委員会といたしましては、まだ大臣文教政策についての根本は承つていないのであります。また大臣は新聞その他においてはその片鱗は発表されておりまするが、その根本的の主たる政策の発表というものはまだ承つていないのであります。われわれは首班指名後の委員会においてまずこの点をただし、そしてこの国会における文部委員としての職責を果さなければならぬ、そういう考えで休会中に委員会を開いたのでありまするが、大臣の出席がなくて承らずにそのままになり、総理大臣の施政演説となり、今日に至つておるわけであります。そこでこの文部政策については、申し上げるまでもなく憲法二十三条に学問の自由が保障せられ、十九条に思想及び良心の自由が定められ、二十六条に教育を受くる国民の権利を規定しておるのであります。しこうしてこれに基きまして教育基本法が定められまして、この教育基本法に教育の目的、方針機会均等等についてその根本を規定しておるのであります。この点からいたしましてここに総選挙後の文部大臣として就任せられました大臣は、文教政策についていかなる根本の方針を持つておられるか。その大綱を承りたいと存ずるのであります。
  43. 岡野清豪

    岡野国務大臣 私は八月に文部大臣になりまして、天野さんの跡を継いだわけであります。それから第四次吉田内閣にまた文部大臣として再任したわけでございます。文部大臣になりましてから、文部行政に対してどういう考えを持つておるか、こういう仰せでございますが、御承知通りに、やはり自由党内閣でございまして、前文部大臣が持つておられたところの経輪をそのまま私は実行して行きたい。こういうような考えを持つておりますから、あらためて私がかわつたから文教行政というものが非常な方向転換をするということは、自由党内閣の文部大臣といたしましてはあり得ないのであります。ただ第四次内閣ができましたときに、日本は独立したわけでございます。結局今までは被占領下においての政治でありましたが、今後はどこの制肘も受けないで正式に独立の政治をやつて行ける立場にあるわけでございますから、そういたしますと、被占領下におきましていろいろな制度ができたり、またいろいろなことが行われておりましたが、それに対して何か日本の国情に合わないようなことでもあれば、これを改めなければならぬし、あるいはもつとよりよい方策、方針があるならば、それもやつて行かなければならぬ、こう考えますけれども、まだそれは今後の検討によつて、そうして随時随所において私自身の経輪を考え出したいと思います。その点につきましてむろん皆様の御意思を十分尊重いたしまして、そうして御相談を申し上げまして、文部行政を完全なものにして行きたい、こういうふうに思います。
  44. 坂本泰良

    ○坂本委員 まだ根本の方針を立つておられない、そういうようなお話でありますが、これはしかし根本の方針は速急に立つべきものである、すでに大臣は就任せられて、四箇月もたつておる今日におきましては、私はこの国民の最も重要なる文教政策については、すでにその大綱はこの国会委員会において発表せらるべく用意があつてしかるべきだと存ずるのであります。ただ自由党内閣の受継ぎだと申されておりますが、この自由党の教育方針なるものは、総選挙に対するところの選挙政策が非常に含まれておるのであります。また忠実に自由党の文教政策を実行するとされるならば、ここに大臣として就任せられまして、この国民の負託を受けておるところの国会文部委員会において、これはもう発表されてしかるべきだと思うのでありますが、いまだにその大綱が定まらずに随時随所においてやる、こういうのでは文教の責任者として私は怠慢ではないかと存ずるのであります。この点は、ないとおつしやればやむを得ないのでありますが、早急に次の委員会においても発表できるような情勢をつくつて、この委員会に発表していただきたいと思うのであります。  第二に承つておきたいのは、先般の総理大臣の施政演説の中に、文教政策についての文句があつたのであります。それは「終戦後の教育改革については、その後の経験に顧み、わが国情に照して再検討を加えるとともに、国民自立の基盤である愛国心の酒養と道義の高揚をはかり、」こういうふうに述べておられるのであります。文部大臣は、首相の施政演説のこの点いかに了解しておられるか、その点を承りたいのであります。
  45. 岡野清豪

    岡野国務大臣 まず第一にお断りしておかなきやならぬことは、自由党の教育方針は国家の教育を蹂躙するんじやないかという御心配があるようにただいま承りましたが、そういうことは絶対にありません。  それから首相の施策方針演説で、道義の高揚とか文教政策の今後の再検討をうたつておりますが、これは先ほど申し上げましたように、被占領下におきましていろいろの教育改革ができました。しかしながら、これは新日本憲法並びに教育基本法というものが、厳然として文教政策の根本方針になつておるわけでありますから、これを尊重して行くことは当然のことでございます。しかし当然のことでありますけれども、末端に行きますと、われわれも今までいろいろ陳情を受けたりしたこともございまして、今後独立後の政治というものに対しては、被占領下の不便な、もしくは迷惑であつたとか、非常に鋭い言葉をもつてけしからぬというような陳情もあるわけでございますけれども、これは国情に合つた国民の輿論に沿うような文教行政をやつて行こう、こう考えております。しかしそれはまだ十分私としては成案を得ておりませんから、ただいま御発表申し上げるところまで至つておりません。
  46. 坂本泰良

    ○坂本委員 その点をもつとお聞きしたいのです。まだ考えがはつきりしていないということでありますが、これは、そういうふうに少くとも総理大臣が施政演説としてその政治の根本を示した以上は、その文教の任にあるところの大臣は、すでにこの点についての確立がなければならぬと思うのであります。しこうして昨日通過いたしました補正予算にいたしましても、やはりこの確立があつて初めて補正予算における文教の予算についても論議され、その方面から考えて行かなければならないと思うのであります。われわれは今国会の開会最初においてこの点を承りまして、そうして補正予算の審議にも当りたい、こういうふうに考えていたのでありまするが、その点がはつきりしないし、また現在においてもはつりしていないというのは、日本文教政策としてまことに嘆かわしい次第であるとわれわれは考えざるを得ないのであります。ことにこの文教政策の根本が難していませんと、いろいろな問題がここに出て来るのであります。時間がありませんから、一、二点非常に切迫している点についてお聞きしておきたいと思いますが、修身科の復活並びに地歴を社会科から単独科白とする、こういう点が今問題になつておるのでありますが、この点についての大臣のお考えを承つておきたいと思います。
  47. 岡野清豪

    岡野国務大臣 修身科とか、地理とか、歴史とかいうものにつきましては、何とか国民にそういうことも修養していただきたい、こう考えていろいろのことを計画しておるわけでございます。ただ一応皆様方に御了解を得ておきたいと思いますことは、修身といいますと、いかにも封建時代の、ついこの間まで使われておつたところの修身、またついこの間までありましたところの修身科というものがすぐ連想されるわけでございます。しかしながら、私の申し上げます修身は、修身であつてもいいし、生活規則であつてもいいし、何でもよろしい。ただ問題は、国民一人々々が人権を尊重されるべき人であつて、しかもその国民が集団生活をしておつて、国家を形成しておる一員でございますから、そこに集団生活というものが起きます。そういたしますと、どうしてもやはり自分の身を処する一つの生活規則というものがなければ、この集団の安寧秩序、もしくは平和、幸福というものはないはずでございますから、そういう点におきまして、自分は個人であると同時に国民の一人である、国民の一人とすれば、自分はこうしたいけれども、人様に迷惑がかかるからこうしなくちやいけないというようなことがたくさん出て来るわけであります、そういうことをもう少ししつかり考えさせて行く、こういうような教育をして行きたいために、かりに修身科という言葉を用いておるわけであります。しかしこれにつきましても、今後事務当局とよく相談しまして、どういうふうにして行つたらそういうような身だしなみができる方策が講ぜられるかということを考えておる次第であります。  それからまた歴史とか、地理とか申しますのは、これもやはりどこの国の国民でも、自分の国の歴史を知らぬとか、あるいは詳しくないというような国民もございませんし、それからまた文化遺産の点からいいましても、ねずみと人間が違うということは、やはり前人が経験して、失敗して、そうしてそういう教育が頭にあるから、自分自身はそのことだけは自分で壁にぶつつけてしくじりをしなくても、前人がしくじつたことをよく考えれば自分はそれ以上に自分自身を進歩向上させるというようなことになりますものですから、その意味におきまして文化遺産を尊重する、こういう意味におきまして歴史をよく勉強させて行く。地理も日本の国の産業を開発しますにつきましても、また産業を発展させますにつきましても、領土はほとんどありません。ほんとうにこの四つの島が日本のわれわれ国民が生きて行く一番大事な資源でございますから、その意味におきまして、国民はお互いに日本の地理をよく頭に入れて、そうしていかにしてこの激烈なる国際場裡においてわれわれの民族が生きて行けるか、こういうような方策を考える。その意味におきまして、やはり地理は詳しく知つておかなければならぬ、こういうような意味で、地理、歴史、修身というようなものを何とか国民によく知らせるような方策を講じたい、こう考えておるわけであります。
  48. 坂本泰良

    ○坂本委員 修身の言葉についても、さような考えを持つておられるということならば、早くこれを発表しなければならないと思うのであります。というのは、この内容を掘り下げて行けば、時間がありませんから次の機会に譲りますが、修身科の復活といい、歴史を単独課目として取上げるというこの問題は、現在ある一部の者から叫ばれでおりまする愛国心とか、道義心の振興とか、こういう問題と一致させまして、そうして古い日本の教育に引もどそうということが非常に懸念をされるのであります。従つてこの問題については、言葉においても、これは国民を教育する上においては、ほんとうの人の人たるゆえんは人と人との結合にあると申しまするが、人間が社会生活を行い、しこうして国家というものを形成して行く上については、その身を修め、個人の立場とまた社会的の立場に立つ場合とは違うのでありまして、この点についての教育は最も必要であると存ずるのであります。ただこれを昔の古い教育に引もとして、愛国心道義心の振興ということとくつつけまして、修身、歴史をここにやりましたならば、再び日本があの敗戦になつたような方向に進めて行かれるのではないか、いわゆる復古調と申しますか、日本の今後の立場が憂慮されるのであります。この点に立ちましたならば、現在の日本文教政策なるものはまことに重要であると存ずるのであります。従つてもう一つここにお聞きしておきたいのは、このごろ愛国心、道義心ということが叫ばれまして、そうして古い日本の教育に引きもどすという強いカがある。この点を大臣は認識しておられるかどうか。またこういう観点に立つたならば、この修身科、歴史科というようなことについて、もつと国民が社会生活をなす上についての必要な科目として取上げる方向にやるべきものであるかどうか、その点について御所見を承つておきたいと思います。
  49. 岡野清豪

    岡野国務大臣 私は古い、すなわち民主主義以前の道徳とかもしくは愛同心というようなものに持つて行くような考えは毛頭ありません。これは結局新日本再建に従いまして、民主主義国家というものをいかに幸福にして行くかという観点からやつて行くのでございまして、今のお説しごくごもつともでございまして、おそらくあなたの今のお説のような誤解を持つている人も多分にあるだろうと思います。しかしこれははつきり申しますが、民主主義憲法が出まして、そして日本の政治形態というものが百八十度の転回をしておる今日、私は昔のよなう愛国心とか、昔のような道徳というものを復興させるために逆コースを行くというようなことは絶対に考えておりません。ただ新民主主義国家として、もう少し国民がこれに徹底するようにして行かれた方がよくはないかと思いますことは、民主主義、民主主義と申しながら、その民主主義の行き過ぎが、ときによるとふしだらになつたり道義の頽廃になつたりしておることが、新聞雑誌でいろいろ見られておりますから、そういうことのないようにして行きたいというのが私の念願でございます。
  50. 辻原弘市

    辻原委員 愛国心の涵養なりあるいは道義の高揚という点につきましては、これはいくら議論をいだしましても言葉のやりとりの問題でなしに、受けるニユアンスの問題であります。もう一つは坂本委員から指摘されましたように、今心配していることは、どういうふうにして具体的内容を教育の上に盛り込むかという点であります。従つてこれはいろいろ論議しては時間もかかると思いますが、単純に地理、歴史とか、あるいは修身というふうに切り離して、現在の社会科の中から別個にわける考え方は、まことに直接的であつて、そのおつしやる点も一応言葉としては受取るわけでありますが、ただしかし、少くとも戦後の民主教育の基調というものはどこに根底があつたかということは、個の完成という点から見ました場合、はたして分離をしてそういう知識を与えることにおいて教育が成り立つかどうか、こういう点が私は最も大きな、今後の教育政策上の考えでなければならぬ出発点だと思うのです。いくら教科をわけてそういう知識を与えても、結果として得られるものは何かといえば、私はかつての修身書を見まして、その全体を流れている思想というものについては、これは問題があるけれども一つ一つ切り離して考えてみました場合には、やはり先ほど大臣が申されたように、人間が一つの共同社会の中にあつて行うべきことを羅列をしておるわけです。だからそういう一つの与え方をして行つた場合に結果がどうなるかということをよくわれわれとしては考えなくてはならぬ。少くとも現在のこの社会情勢の中で、ほんとうに学ぶという態度を国民教育の中にこれを与えて、みずから学ばせるというところに教育のむずかしさがあるのであつてそこを少くとも重点として考えなくてはならぬ、いかにねらいが、これは過去のものではなくして、新しい一つの民衆教育のやり方として、その範囲内において考えるのだと申しましても、結果としては昔のものに帰つて行くという姿が、今現われているこれらの愛国心なり道義の高揚についておそれられている点であると私は思う。従つてこの教育政策の中に、具体的にこの問題を教科としてはどういうふうに設定し、その内容としてはどうして行く、まろそれを教える場合に、教授方針としてはどのような形にこれを現わして行くのかといつたような点について、精細なものを慎重に検討してやらなければ問題にならない。単純に教科をわけて、それによつてこういうものをねらおうとするならば、それは忠君愛国に結びつく愛国心の涵養であり、または頭から押つけて道徳精神をたたき込むという、かつての教育方針にもどることが必至であるということを必配するがゆえに、この点は十分具体的に検討せられて、しかもその内容を明らかにして、国民のあらゆる階層の意見も聞いて打ち立てなければ、百八十度の転換をまたまたやるというふうに私は予想いたしております。従つてこれに関連いたして、前大臣から受継いで考えられておると聞いておりますところ中央教育審議会については、すでに政令が出されておりまするが、この中央教育審議会においていかなる内容を検討せられようとしておるのか、また本質的に中央教育審議会をつくつたという目的はどこにあるのか、今一つは、その人選については、すでに、これは当初の予定ではもう発足しておらなければならないような時期だと思うのでありますが、いまだにそれが発足をしないというふうな点はどういうところに理由があるのか、この点を明らかにしていただきたいと思うのであります。
  51. 田中義男

    田中政府委員 いろいろご質問がございまして、御意見も伺つたのでございますけれども、先ほど方針については大臣もお述べになつ通りでございまして、その方針にのつとりまして、事務当局として実は慎重にしさいに検討を進めつつあるのでございまして、いずれお話のように手段を尽して適正な結果を得たいと思つて、ただいま検討を進めておるところでございます。
  52. 辻原弘市

    辻原委員 その中央教育審議会については、これはいろいろ注目をするし、また私個人の考えからいたしましてお、今後の教育制度のもろもろについて非常に大きな決割を果すのじやないかというふうに考えておりますので、特に人選等の問題についてはきわめて慎重を期さねばならぬと思うのでありますが、これについてどの程度まで人選の構想が進んでおるか、また少くとも教育制度検討するという目的において設置されるとするならば、これは単に一般的な有識者という程度にとどまらず、たとえば直接教育の現場に従事しておる人たちの意見を反映せしめる必要もあるであろうし、またこれに関連をして、財政方面を担当している人々の意見も聞く必要があるであろうし、相当各界各層を網羅しなければ、この教育政策については一面的なものになる危険があるというふうに思いますが、それを具体的に進めて現状のおる段階を、少しくこまかに御説明を願いたいと思うのであります。
  53. 田中義男

    田中政府委員 地方教育審議会の問題につきましては、しばしば大臣からもお答えがございましたように、人選等についてもいろいろむずかしい問題がございまして、当初の予定通りの進捗もいたしておりませんけれども、各方面からの慎重な考慮のもとにただいませつかく準備を進めておられるのでございまして、近く具体化することと考えております。
  54. 伊藤郷一

    伊藤委員長 大臣の都合が迫つておりますので、他の委員にひとつ譲られぬですか。
  55. 辻原弘市

    辻原委員 一つだけお伺いすればいいのですが、お伺いしてもさつぱりわからないのです。私は人選は具体的にどうなつておるかということを聞いておるのですが、発表できないならできないでいい。  いま一つは、これは私が申しましたように、やはり現場の教職員の意向を十分反映せしめなければ、これは教育政策としても十分なものができないというような点もありますし、またその間の食い違いが生ずることは、これは文教政策上きわめて遺憾なことと思われますので、そういう点についてははたして考慮をせられておるのかどうか、お伺いしたいと思います。
  56. 岡野清豪

    岡野国務大臣 中央教育審議会のメンバーはただいまいろいろ人選中でございます。それにはいろいろ御意見もございまして、三つほどいろいろな方向をきめまして、いろいろな人選をしているわけでございます。ただいまその人選は御発表できる程度にまで行つておりません。しかしながら皆様方の御趣旨はよくわかつておりますから、われわれはそれに対して十分考慮を払いたい、こう考えております。
  57. 松本七郎

    松本(七)委員 時間がございませんから二、三の点だけこの機会文部大臣の御意見を聞いておきたいと思います。今の修身科の問題でちよつとまだはつきりしない点がありますので、もう一度念を押しておきたいと思うのです。先ほど田中局長の御答弁では、何か文部大臣方針従つて研究するというようなことでしたが、文部大臣の御答弁では、修身科——名前はともかくとして、別に科目を設けてやる方針をきめて、そしてその内容だとかあるいは教え方その他について研究するというふうに私はとらなかつれのです。私の解釈では、別個に科を設けること自体について慎重に考慮しているというふうにとつたのですが、田中局長の御答弁によると、何か別の科をつくる方針はきまつてつて、その内容その他について研究するというふうに私は感じたのですが、大臣は大体どちらなのか。私どもが心配するのは、内容は先ほど大臣も言われたように、なかなかりつばな内容なんですが、そういうものを別の科としてやること自体に問題があるわけなんです。そこでその点を文部大臣にはつきりしておいていただきたいと思います。
  58. 田中義男

    田中政府委員 私先ほど申し上げましたように、検討中と申しましたのは、この科を新たに起すかどうかという点についても、これは教育課程全般としての問題もいろいろございますので、慎重な考慮を要する点でございます。それらの点についても私どもただいま検討を進めているのでございます。
  59. 松本七郎

    松本(七)委員 文部大臣もおそらくそういう意味だろうと思うのですが、これは天野文部大臣のときには、その内容にも問題がありましたし、それから別に科を設けることが非常に問題になつたことですから、特に慎重にやつてもらいたいことを要望いたしておきます。  それから私立学校に対する対策について承つておきたいのですが、これは御承知のように、終戦直後今後の日本の私立学校の振興をはかるべきだというので、国会の決議に基いて私立学校復興のための特別の金融金庫を設けようというような動きまであつた。それが司令部のオーケーがどうしても得られないで、これがとうとうだめになつたのであります。その後占領を脱して独立になつた今日、文部大臣としてはこの私立学校に対して基本的にどういう考えを持つておられるか、どういう構想を持つて臨まれるか。現在の私立学校振興会法の範囲でやられるのか、あるいは何か新しい構想というものがおありかどうか、その点にについての基本方針を伺つておきたいのであります。
  60. 岡野清豪

    岡野国務大臣 お答え申し上げます。私は私立学校というのは非常に大事こしなければならぬものだという感じを持つてるのであります。と申しますのは、外国の例で申しますと私立学校が非常に優秀であつて、官立学校はむしろ私立学校の陰に隠れておるす。ところが日本は御承知通りりつぱにやつて行けておつたところの私立学校が、これは自己の責任じやなくて国家の責任、すなわち戦争によつて非常に破壊され、戦災を受けた。こういうような意味から、私立学校は独自の立場で十分なる経営が、今やつて行けるところもありましようけれども、非常に経営困離になつておるというような情勢を私見ております。けれども、私立学校が国家のために非常にお役に立つておることは、これはどうしても見のがすことのできない事実でございますから、これに対して国家といたしまして、できるだけ振興し、助成して行くという方法はますます私は強化して行かなければならぬという考えを持つております。ただ今お説の、私立学校に対する金庫をつくるというようなことは、まだ私の頭としては具体的にきまつちやおりませんけれども、少くとも私立学校振興のためには、国家が十分なる助成、保護もしくは振興をする方策をとつて行きたい、こういう考えを持つております。
  61. 松本七郎

    松本(七)委員 もう一つは、義務教育費国庫負担についての大臣のお考えを伺つておきたい。これは御承知のように、天野文部大臣当時問題になつて義務教育費国庫負担法というものが現在行われておるのですが、ああいう経過を経てでき上りました現行法を、現在あの当時地方財政を担当されておつた岡野大臣として、今日何らか新しい構想をもつてこの義務教育費の確保についての努力を払われる御意思があるかどうか、あるいは現行法のわく内で現行法通りでやられるのかどうか、この点、あの法律ができた当時と岡野大臣のお考えが違つておるかどうか、違つておれば、そのかわつた経過を御説明願いたいと思います。
  62. 岡野清豪

    岡野国務大臣 義務教育費国庫負担法というものについて、当時私は自治庁の長官をしておりまして、地方財政を相当しておりました。そして地方の自治を確立するためには財政権の確立がなければいかぬということで、御承知通りの平衡交付金法というものができてやつてつたのでございます。そこで原則といたしましては、義務教育費国庫負担法というものには私は反対しておつたのであります。しかしながら文部大臣の非常な御熱心さがおありになり、同時に私も教員の給与とかいうものに対して非常な関心を払うようになりまして、最後になりましてあれに私は賛成をいたしまして、あの義務教育費国庫負担法というものができたのでございます。しかしその当時の速記録をごらんになればおわかりになりますように、私は半額国庫負担ということはどうも不徹底だ、もしできるならば全額国庫負担でやつてつた方がいいじやないかということを、小林委員の御質問にお答えしたことがございます。ただいまもその考えはかえておりません。もしできるならばやはり全額国庫負担で行きたいという感じを持つております。これにはいろいろ制約はございまして、国家財政とかまた平衡交付金法の趣旨とか、いろんなことを調整しなければなりませんから、すぐこれが実現するかどうかは疑問でございますけれども、私自身といたしましては、全額国庫負担にできるならばやつて行きたい、こういうような理想を持つております。
  63. 松本七郎

    松本(七)委員 その問題はただの理想としてお持ちであつて、一定の時期を目標にそのころまでにひとつ努力して実現しようというような御計画があるのか、漠然としたお気持だけにとどまるのか、その点を伺いたい。
  64. 岡野清豪

    岡野国務大臣 それはやはりいろんな法律の改正というものに制約されまして、平衡交付金を全面的にかえてしまわなければならぬということが一つの技術上の困難になつております。それにつきましては今度地方制度調査会というものができまして、地方の税法とか平衡交付金というものを俎上に乗せまして改革をやりたい。またこの平衡交付金の改正ということについては、これはみな一致した意見のようになつておりますから、おそらくこれはできると思います。その節に私はそういうような理想を実現できる時期が来る、こう考えております。
  65. 松本七郎

    松本(七)委員 もう一つは教育委員会、特に市町村の教育委員会制度についてでございますが、最近、あの教育委員の選挙を終りましてから後に、各地でこれはどうしても無理だ、何とか任意設置くらいのところで進みたいというような意見が大分強く出て来ているようであります。おそらく今までの文部大臣の御答弁から察しますと、地方制度全般的に調査するのと歩調を合せて、悪いところがあれば直して行きたいというようなお考えではないかと推測するのですが、そういう全般的な改正を待たずに、現状にかんがみて一応これを任意設置くらいに切りかえる御意思はないかどうか、その点に対する御意見を承つておきたい。
  66. 岡野清豪

    岡野国務大臣 お説の通りに今すぐこれを地方制度調査会から切り離しまして、教育委員会というものを形をかえてしまう、こういうような考えはただいま持つておりません。しかしながら地方制度を改革いたします場合には、当然あの教育委員会制度というものは検討せらるべきものと思いますから、それに歩調を合せまして、われわれは考えをまとめて行きたい、こう考えております。
  67. 菊地養之輔

    ○菊地委員 立太子式における総理大臣の賀詞の中の臣というのは、主権を持つている国民の臣という意味だというような新解釈をされたのでありますが、こういうことはおそらくは日本国民としては岡野文部大臣ただ一人の解釈と思うのです。言葉は御承知通りいろいろな歴史的な意味からその内容がきまつて来るのでありまして、にわかに新解釈を下して、そうしてこれはこういう意味だというようなことを言うことはできないことは明らかでございます。これは非常な危険思想でございます。文教の長たる文部大臣がそういう発言をされたので、特に私は関連質問としてお伺いしたのでございますが、いくら文部大臣つて言葉意味を変更する力を持つておらない。これは非常な誤りを犯しているのじやないか。国民は間違つた解釈をしていないとおつしやるけれども、われわれも国民の一員であるけれども、あの賀詞の臣を主権者である国民の臣と解釈する者は、これはだれしもない。文部大臣お一人だ。それでこそ予算委員会で問題になつたのだ。こういういわゆる新しい解釈をして、君臣という意味は何だ、君あつて臣があるのだ、こういう考え方は従来の日本の国がずつととつて来た考え方である。ところがその臣のあり方が国民に対してであるという解釈を下したことは、これは非常な大きな問題だと私は思うのであります。もしそういう言葉を使うならば、別の言葉を使つたらいい。たとえば今日問題になつている修身の問題でも、内容は昔のような修身ではないのだ、これこれだとおつしやつておる、まことにけつこうな内容でございますが修身という言葉自体からわれわれ国民の受ける印象というもうは、言葉の内容というものが大体きまつておる。それを今度は内容が違うというならば、別の言葉でこれを現わさなければならぬ。一体文部大臣言葉自体に新しい解釈を下して国民に押しつけようとするものである。そういう態度を改めて——新しい酒は古い皮袋に盛れないのである。そうなれば新しい内容を持つている修身ならば、新しい言葉でこれを発表しなければならない。そうして国民に指示されることが文部省のやることではないか。文教の府にあるところの文部大臣は、古く中世紀から使つて来た言葉、文字あつて以来使つて来たところの臣という言葉に対して、別個の内容を付したり、あるいは修身という言葉に対して、新しい内容を盛ろうとすることをやめて、そうして新しい酒は新しい皮袋に盛るという考えで文教を進めて行かなければ、とんでもない問題に逢着すると私は思うのであります。従つて修身の問題も新しい言葉で言わなければならない、古い修身の観念から私どもを解放して新しい民主主義的の原則に立つた、われわれの身を修める道を教える、こういう考え言葉というものは考えなくてはならぬと思うのであります。この点に関する文部大臣意見をお聞きしたい。
  68. 岡野清豪

    岡野国務大臣 お答え申し上げます。この臣という、言葉が大分問題になりますが、これは新憲法をつくつた当事から議論になつたことでございまして、一体大臣という言葉を使うことがいいか悪いかという問題が、新憲法制定当時の非常な問題になつたそうです。そのときにやはりその臣は主権者に対する臣である、こういうような意味大臣という言葉を残したということを聞いております。  それからただいま申し上げました私の説をこじつけというようにおとりくださるならば、これは私は間違いだと思います。新憲法制定当時考えられまして、大臣という言葉を残したときから臣という言葉の意義はかわつておるわけでございますから、私が申し上げた点においては、これはこじつけでも何でも——今のこの答弁はでき心で申し上げたわけでも何でもございません。この点は法制上の問題でございますから、ひとつ法制局長官でもお呼び出しを願つて、十分御検討くださることをお願いいたしたいと存じます。
  69. 菊地養之輔

    ○菊地委員 新憲法を例に引かれたのでありますが明治憲法を見ますと臣民の権利義務という言葉を使つております。それをかえて新憲法では国民の権利義務という言葉を使つております。大臣のことをおつしやつたけれども大臣というのは大体においてきまつた形であるから、これに対して文句を言わなかつたにすぎない、しかしながら民との関係におきましては、これを改めて国民という言葉を使つておるのであります。そういう大臣という言葉が新憲法になつたから、今度はその臣という意味は主権者の臣という意味なんだ、こういうふうに解釈するのは誤りだと思うのであります。言葉を使わなくちやならない。文部大臣一人がわかつておるような言葉を使つておることはいけないことはいうまでもないと思うのであります。この点はそのいきさつに拘泥せずに、重大な問題でありますから、文部大臣の反省を深く促しておきます。
  70. 伊藤郷一

    伊藤委員長 なおさきに文部委員会においてきまりました新潟大学新発田分校移転の件につきまして、文部当局から新潟大学当局に善処方を連絡いたしましたが、その結果が委員長に参りまして、委員一同の出張を待つ、それまで移転を見合せておるという連絡がございました。予算審議も昨夜終りましたので、一行は今夜出発する予定でございます。散会後派遣委員の方はお残りを願いたいと思います。  次会は公報をもつてお知らせいたします。  本日はこれにて散会いたします。     午後零時四十一分散会