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岩間正男君
長野さんがいらつしやるような、例えば玉川学園というような学園でおつしやれば、これは私
たちは或る程度納得できるかも知れないのです。あの自然の環境で、恵まれたところ、条件のいいところでやる。併し例えばそういうような
教育というものは殆んど
日本には
現実的にはなかなかできない。我々は自然人ということを言われましたが、同時に
社会的な
社会人であ
つて、そうしてその
社会には
先ほど申しました混乱に満ちたいろいろな條件がある。
労働問題にしましても誠に大きな問題がぶら下
つておるのでありまして、そういうものの解決なしに單にこれは勤労というような観念を言いましても、これは非常に危い。これは人間を
一つの何と言いますか、麻酔の中に追い込むためにはなかなか立派な言葉であるかも知れませんけれ
ども、併し
現実のそういうような問題を解決するにはなかなかそういうわけには行かない。残念ながら非常に約四十分に亘りまして正しい
労働観を御
説明願つたのでありますが、これは私
ども未だどうも納得できません。これはまあそれまでや
つてもできないから、如何かと思いますから、次に移りたいと思うのでありますが、次にはこの第一條に「経済自立に貢献する有為な
国民を養成する」こういう言葉があるのであります。これも成るほど言葉そのものとしてはいい言葉でありますが、これは
現実的に見るときにどういうことになるか。この経済自立の内容というものは一体どういうふうにお
考えにな
つておるか。例えばこれは安本でも
日本の経済自立三カ年
計画というものを立てております。又池田蔵相の
説明なんかを聞きますと、
日本の経済は自主性がある。尤も占領下における自主性だということを言
つておるわけでありますが、自主性がある。それから終戰処理費の使用なんかについても非常に自主性がある。こういうことが我々
予算委員会においてしばしば引出したところの池田氏の答弁であります。併し果して一体
日本の経済というものはこれは現在自主性があるか。そうしますと、そうでないところの反対條件、現象をたくさん挙げることができると思いますが、これは時間の関係から申上げませんが、そういう條件がたくさんある。私は
曾つて開発
法案の討論の中で、我々の持
つている自由は孫悟空の自由じやないかということを言いました。孫悟空がきん斗雲に乘りまして三千世界を飛翔した、十万億土を飛翔した。そうして随分遠くへ飛んだと思
つてふと気が付いて見るとお釈迦様の手の中だつた。そういう形で以て、
日本の置かれておるところの自由というものは、全くそういうような、いわば孫悟空の自由であ
つて、その背後においてがつちり握
つておるものがある。この開発銀行というのは、これは台湾銀行や朝鮮銀行と同じように過去の
日本の帝国主義的な、台湾や朝鮮を支配するところの、金融機関として大きく働いたところの、いわゆる孫悟空の頭にはめたところのあの緊箍兒じやないか。これによ
つて実は都合が悪い、孫悟空こが暴れ出すと、自分で勝なことをしたくて、いわゆる自主性を、自分が自立的なことをやろうとして暴れ出すと、どこまでも締りがかか
つて来る。これによ
つて、緊箍兒の金の輪が頭の中へぎりぎりはまり込んで
行つて全く自由は失
つて来る。こういうことじやないかということを私は討論したのでありますが、誠にそういう形は
長野さん自身もかずかず思い当られることがあると思う。こういう形の中におきまして、経済の自主性に貢献するということは非常にこれは、若しも本当の
意味での
日本民族の独立と自由、こういうものと連
なつたところの経済の自主性を確立するのであつたならば、実に容易ならざる努力と、それからそれに対する認識が私は必要だと思う。先の私の
質問申上げましたところの、いわゆるどのような
労働青少年を作ろうと
考えておられるのであるかという、いわゆる
産業教育の目指しておる人間像の問題にな
つて来るわけです。どのような人間を作るかによりまして、真の掛け声でないところの、全く欺瞞されたものでないところの、経済自立が確立されるか、或いは名前だけの自立経済でありまして、背面におきましては、その経済の八〇%までは完全に私は外国に握られておるというような、いわゆる名だけの自主的な
態勢もできるのであります。そういう点からどのようにしてこれはこの経済自立というものを達成され得ると
考えておられますか。この
法案には成るほど立派な
一つの項目として謳われておるのでありまして、これを達成するところの、
産業教育を通して達成するところの手段というものについては具体的な御
説明がなければ我々は了承することができないのでありまして、この点御
説明を願いたいと思います。