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委員外議員(
中西功君) 私の昨日の
発言について、
懲罰が問題にな
つているわけでありますが、今
速記録を
ちよつと見ますと、
公務員法を押しつけるような
野郎は、このような安い
賃金ベースを、このようなものを作るのであると、その次に、
野郎という
言葉が惡ければ、私は
幾らでも取り消しますというふうにな
つております。更に一番ずつと後の方になりまして、
取消せ、
失言、というような沢山の
言葉がありました時に、私は
ちやんと
取消してある。こういうふうに
言つております。
從つて私はこの本
会議の
議場において、この問題を取り消しているわけであります。
從つてこの上なぜこのような問題を取り立てて、そして
懲罰動議を出さなければならないか。私には全然この点が理解できないのであります。而も若しこのようなことで以て、
議員の行動に対して、いろいろ
懲罰が続々と出て來るというような、若し
先例を作ると、これは非常に由々しき問題になりはしないかということを感ずるのであります。これは
御存じのように、例えば食堂においてもいろいろのことが実際あります。そういうことを我々が
一つずつ今後
お互いが揚足を取るようになれば、実に
收捨の付かないようなことにさえなるのじやないかという氣がするのでありまして、この点について
懲罰委員諸君の、私は非常な熟考をお願いたいと、こう思
つておるのであります。尚この「
野郎」という自
葉自体、私
自身が
御存じのように、この中で
取消しておるのでありまして、
從つてこの問題についてどう
考えておるかということも
必然にお分りだと思うのであります。ただ私が今
日本会議で申上げた
弁明に、このように
取消しておるのに対して、尚挑戰的になされるということに対して、私の
意見を申上げたのであります。いろいろのことを今日申上げましたが、
不逞の輩ということを
言つた吉田首相は、この前の時も、今度の場合においても、これを
取消しておりません。
不逞の輩ということが、若し許される
言葉であるならば、許されるとするならば、そんな
言葉も同じような
意味で許されなきやならないと思う。ともかくも私はそれを
取消したのであります。私は問題の所在は、その
野郎という
言葉がどうであるかないかということでないと思うのであります。それは私
自身取消しておるのであります。問題はこの
意味において、
取消をした上においても尚、公然と
はつきり本
会議で
取消した上も、尚こういうことを
懲罰にかけなきやならないかどうか、そういう点を
はつきりと、この
懲罰委員会において私は問題にして貰いたいと思うのであります。
さつき申しましたが、この
吉田首相が
日本帝國という
失言に対しまして、この
取消を一應しました。で
取消したことによ
つて問題はそれで一應解決したわけです。併し私は昨日の私の
演説は
民主自由党に対しては確かに大きな痛棒であ
つたと思います。私は
民主自由党を政敵として、徹底的に
批判したわけであります。私がどういうふうな
言葉を使おうと、
民主自由党並びに
吉田内閣の
政府に対して非常な徹底的な
批判を、特に
勤労者階級としての非常な憤激を以てこの
政府を
批判しておるという
内容は
一つも変らないのであります。
從つて又そういうふうな政治的の問題は何ら問題となろう筈はないのであります。併しこのような場合に、
吉田首相の
日本帝國という問題と、私が
吉田内閣に対するそういうふうな痛烈な
批判をするという問題と、我々が
考えて見ますときに、
吉田首相のその帝国という
言葉を
幾ら取消しても、彼がその
内容においては結局同じことである。私
自身も
野郎という
言葉を
幾ら取消しても、それは私が
吉田内閣に対して痛烈な
批判を持
つているということは、これは
一つも変りないのであります。今日
日本の
労働者階級が、特に
公務員法の
制定以來、そういう
氣持を持
つている。私は
労働者階級から選出された一人として、そういう
氣持を持
つて、この
議場で
発言しているということは事実であります。而もこの
予算案が……私の
インチキという問題も問題になりましたが、この
予算案インチキであるということは、これはこの
インチキという
言葉を
幾ら取消しても事実だと思います。結局私は、私が申しました
言葉が惡ければ
取消すというふうなことと、そうして私が持
つているこの政治的な
内容、私は
自分のそういう政治的な
内容を決して隠そうとしないのであります。
吉田首相はそういう点で極めて曖昧にこれを
葬むりましたが、私はそういうふうに
はつきり申上げます。ただその
表現が惡か
つたということに対しては私は
取消するのでありまして、その点
懲罰委員の
諸君の
はつきりした洞察を願いたいと思
つております。昔の
貴族院が今日
参議院になり、これは大きな変化である筈であります。曾て私は被
圧迫階級の一人として、あの
貴族の
人々によ
つて、或いは
帝國主義的軍國主義者によ
つて支配されてお
つた軍閥日本の下に、私
たちはその
手下共に、この
野郎、
こん畜生と言われて日夜苦しめられた來た。併しそのような時代が今過ぎて、この
白亞の
殿堂は決してそういうような昔の
軍國主義者、或いは
貴族たちの独占するところではない筈であります。この
殿堂の中ではいろいろの力が闘
つておると思います。私は
貴族を
代表する
人々が、心行くばかり
貴族趣味を発揮するのは非常にいいと思います。又我々が從來の被
圧迫階級の
要求や
氣持を率直に
表現して、そうしてこの議会において活動するのも、これ又
民主主義として許されておると思うのであります。この
参議院がともかくも
参議院にな
つた、その非常に大きな民主的な
意義と、同時に又その一員としてこの我々
議員が今日政治をして來ておる。こういうふうなことを我々が
本当に自覚するならば、このような些少な問題、私はこれがかくも問題になるということは非常に
民主主義的な精神から見れば、非常に遺憾なことではないかとさえ思うのであります。私は
懲罰委員並びに
國会の心ある
人々が、
本当にこの問題を正しく見られ、そうして、眞に公平なる
判断を下されんことを切にお願いしたいのであります。このような小さな問題が
一つの
先例となり、今後いろいろのことが行われるとするならば、この
國会が、人民が由々しきいろいろの束縛を受けて、結局自由でさえも、必要な自由でさえも束縛されるということになるのを私は切に恐れますが故に、この問題をどうか正しく解決して頂きたいと切にお願いするのであります。これを以て私の
弁明といたします。