2020-12-01 第203回国会 参議院 財政金融委員会 第4号
まず、質問通告の一番ではなく、二番の新生銀行について、金融担当大臣であります麻生太郎大臣にお尋ねをいたします。 資料の一及び二、御覧いただきたいと思います。 公的資金の返済に関する新生銀行の発表資料でございます。この中で、真ん中に傍線が、アンダーラインが引かれておりますが、「公的資金返済の具体的な道筋を早急につけるよう、最善の努力を図ります。」と書いてございます。
まず、質問通告の一番ではなく、二番の新生銀行について、金融担当大臣であります麻生太郎大臣にお尋ねをいたします。 資料の一及び二、御覧いただきたいと思います。 公的資金の返済に関する新生銀行の発表資料でございます。この中で、真ん中に傍線が、アンダーラインが引かれておりますが、「公的資金返済の具体的な道筋を早急につけるよう、最善の努力を図ります。」と書いてございます。
恐らく、いろいろな御経験が一番ある麻生太郎大臣でありますので、こういう場合はどうしたら一番いいのかと。今、マーケットもあいていますので、まだ一時間。
このことによって、そのことが要因となる負担が生じ、中小零細業者が倒産、廃業に追い込まれるなどということは絶対にあってはならないことだと考えますが、麻生太郎大臣の所見をお伺いします。
麻生太郎大臣のもとで金融担当の副大臣をやっておりました。 そういうことで、平成二十五年、二〇一三年の十二月五日につくられた、基本的には民間が自主的かつ自律的な準則としてつくった経営者保証に関するガイドライン、これをもって、保証をした結果、何か一家離散になったり、場合によっては本当に世をはかなむみたいな悲惨な事態が生じないようにしていく。
先週で基本的質疑が三日間終了いたしまして、本日からいよいよ一般質疑ということでありまして、麻生太郎大臣を中心に質問をさせていただきたいというふうに思います。 きょう私からお伺いしたいのは、安倍政権になりまして三年余りがたちました。
では、今そうだとおっしゃっていましたので、麻生太郎大臣のお言葉ということで、ぜひとも前向きにお願いしたいと思います。
これに当時気が付かれたのが麻生太郎大臣であり、当時の亀井静香さんだったんです。 その一番下を御覧ください。 小渕内閣、森内閣のときにデフレ脱却をやろうということをおっしゃって、それで当時の亀井政調会長です、亀井静香さん、それから麻生太郎先生、今の副総理は国務大臣であられました。今ちょうど財政、金融担当の大臣。それで、大臣として初めてデフレを認められたのは麻生太郎先生です。
しかし、政治の意思として、やはりこうした、自ら自分たちで身を切っていく、こういう姿勢が必要だというふうに思いますので、是非、政治家麻生太郎大臣としてこうした公務員の削減を是非延長していただきたい、こういうふうに思っております。 それでは、本題の外為特会についてお伺いしたいと思います。
このような委員会で、私たちの世代、また次の世代にとっても、本当に、今一番重要な課題であります財政問題、金融問題の議論をさせていただく、また、麻生太郎大臣と議論させていただくということで、大変光栄に思っております。 私の地元は三島ですが、今回、静岡の選挙区で立たせていただきました。静岡でも麻生大臣の高名が伝わっておりまして、特に私の支援者の中にも、麻生大臣の自称子分だという方がいらっしゃいます。
私は知っているだろうと思って聞いたので、こちらから言わなければいけなかったのかもしれませんが、例えば、平成十八年、十九年のときは、日本が主張しているEEZ内で韓国が海流調査をやろうとした、それに我々は断固抗議をして、海上保安庁の船のエンジンまでかけさせて、そして最終的には大臣同士、これは当時、麻生太郎大臣と潘基文が大臣同士でやり、事務次官同士の協議までやらせて、最終的に今、共同調査となってずっと続けていますよ
麻生太郎大臣に国会で質問ができるということを大変光栄に存じます。この決算の問題に入る前に、政治家としての麻生先生に二つほど質問をさせていただきたいと思います。 麻生大臣の選挙区で香田証生さんという方が、イラクで残念ながら命を落とされたわけですけれども、御家族のところに弔問に行かれたかどうかわかりませんけれども、大変残念な結果になったわけでございます。
私は、過日の麻生太郎大臣の所信表明演説を聞かせていただきました。希望の世紀のかぎとなるIT革命の推進、これが麻生太郎大臣の一つの所信表明でございます。 考えてみますと、私自身、去年の九月にIT担当大臣を拝命いたしましたが、中川官房長官と、その当時IT担当大臣でしたから、論戦をしなければいかぬなと思っていましたら、中川さんが辞職をされた。