2020-03-11 第201回国会 衆議院 文部科学委員会 第3号
私の長女なんかは今でも、もう三十四になるのかな、鹿児島出身の先生だったんですけれども、そのときの同級生が何年かに一度集まって、みんなで鹿児島の恩師のところに行って交流を深める、こういうぐあいに、非常に尊敬できる先生方だったと思っているんです。
私の長女なんかは今でも、もう三十四になるのかな、鹿児島出身の先生だったんですけれども、そのときの同級生が何年かに一度集まって、みんなで鹿児島の恩師のところに行って交流を深める、こういうぐあいに、非常に尊敬できる先生方だったと思っているんです。
それが言わば今回の農業プログラムの中に入れ込んでいただいたと、こんなふうに思っておるわけでありますが、よくよく考えていきますと、歴代の三人の大臣、一番最初が長州出身、山口出身の林芳正先生でありまして、二番目が我が鹿児島出身の森山裕氏、そして最後の仕上げが土佐出身の、高知県の山本農水大臣で、これも歴史の巡り合わせかなと、こんなふうに思っておりまして、大臣もおっしゃっておりましたように、やはりこれは、元年
○野村哲郎君 我が委員会には北海道の先生方が大変たくさんいらっしゃいまして、今大臣もそのことを意識して北海道の話をされたのかなと思いますが、実は私どもの鹿児島もそうでありまして、初代の開発庁長官は黒田清隆でありまして、これも鹿児島出身でありまして、北海道に行きますと、鹿児島のおかげで実は北海道はこれだけ開発が進んだと。
この前も、アマチュアですけれども、鹿児島出身の、まだプロゴルファーじゃないですね、女子ゴルファーで勝みなみちゃんという方がいらっしゃったんですけれども、あの方も、私は、まだ彼女が小学生のころからゴルフ場とかでも隣にいたんです。
また、私は鹿児島出身でございます。地方中の地方、もちろん鹿児島市は中核都市ではございますけれども、そういったところが、成長戦略、地域でもって何か海外に打って出る、もしくはアジアの玄関口になるような転換はできないものだろうかと。 やはり田舎にいると若い方々の仕事がない、所得が低い、だから、どうしても都市部に流出してしまう。
特に、長官も、申し添えておきますけれども、鹿児島出身でありますので鹿児島のこともよく御存じで、何でこんなに起債発行がないのかなというの不思議でならないんですが、どうぞお答えいただきたいと思います。
自由民主党出身でありました鹿児島出身の山中貞則先生、沖縄から、多くの自治体から、名誉市民とか名誉町民としてたたえられた人でございました。そして、本当に政治力を発揮をして頑張っておりました。そして、そういう人は当時の社会党にもいらっしゃいましたし、公明党の先輩議員の中にもいらしたわけでございます。
○松下副大臣 私も鹿児島出身ですけれども、三つの伝産品がございまして、川辺仏壇、そして薩摩焼と言われるつぼ、茶わんをつくっています。それから奄美大島のつむぎですけれども、いずれも同じような問題に直面している。(穀田分科員「本場大島つむぎ」と呼ぶ)はい、本場大島つむぎです。 平成二十年度、先生の指摘により、調査によりまして、おっしゃるように、原材料や生産用具調達の問題が判明いたしました。
ところが、私は、城山というので当然鹿児島の方だろうと思いましたら、そのおかみさんが、実は人から譲られてこの店をやっているので、私自身は鹿児島出身でないのに、福島県の会津の方が酔っ払ってしばしば食器を割って帰られるという話を聞きまして、なるほど、まだやはり明治の歴史と伝統は生きていますねなどと言いましたけれども。
どうも小泉総理はその御先祖は鹿児島出身ですね。どうも小泉内閣版薩長連合でも作ったんじゃないかとか、まあそういった憶測なんかも流れたかどうか分かりませんが、その辺の真偽のほどをちょっとお聞かせ願えますか。
同じ被害を受けられました、同じじゃないですけれども、今度の十四号で垂水地区が、鹿児島県垂水地区も大変なんです、そこの、鹿児島出身の加治屋政務官にお聞かせを賜りたいと思います。
川村局長は鹿児島出身ですのでよく分かっておられますが、鹿児島は畑作が中心であります。鹿児島全体の耕地面積に対しましてこの要件に合致する対象面積は、水田で一八%、そして畑地はわずか一%にすぎません。全国的にもこの傾向は見られます。このことにつきましては、農水省におきましても、平成十五年度の中山間地等直接支払制度の実施状況調査書の中で、畑地での協定締結率が低い、こういう報告もされております。
ただ、私はやっぱりこの報道がなされたときに、畜産県鹿児島出身としては極めて残念だと、非常に苦々しく実は思いました。ただそのときに、大臣も御一緒に仕事をされましたでありましょう山中貞則先生がもし生きておられたらどういうお気持ちになられたかなということも実は考えたところでございます。
安住委員のおじいさんも戦没者だというお話を聞きましたが、二万人余の戦没者の中で二千人余りが私の地元鹿児島出身者、私の地元の関係者である、こういうことでありますだけに、私の硫黄島に対する思いもまた深いわけでありまして、そこで慰霊碑も、ぜひ英霊が誇りを持ってあの地で眠れるというようなものであってほしい、こう思うわけであります。
例えば、西田参考人は鹿児島からいらっしゃっているわけですが、西田参考人は、きょうは今までいたんですが、鹿児島出身の同僚の森山議員から、すぐれた漁業者であると同時に地域の皆さんから非常に尊敬されている方である、たしか担い手である息子さんも一緒に働いているんだ、こういうことでいわば模範的な漁家だと、こういうふうに聞いております。担い手を今後どうしたらいいのか。
鹿児島出身で、そして岡山にも勤務されたということで、地方の現状を十分に知っておられる方でもありました。そういった点で、大変大きなインパクトを残していただきました。日本の各地で、恐らくそのようなニーズというのは広まっているだろうし、これからさらに広まるのではないかと思います。
友人の久保大蔵大臣に非常に期待をいたしておりますが、鹿児島出身、薩摩人、薩摩といえば示現流ですから、この際、次の時代に思い切ってそのシステムをつくるんだという努力を期待をしているわけでありますが、そういう努力をしなければなりません。短い時間ですが、それぞれにつきまして、その四つのことについて一つずつ御質問を申し上げたいと思います。 まず第一は、ディスクローズの問題でございます。
ここには鹿児島出身の鎌田先生もお見えになっていて側存じと思いますけれども、この問題、こういう強固な施設設備の更新のために相当費用がかさんでいるという実態でありまして、これに対しての補助の拡充と申しましょうか、そういう点について強く要望されているのでぜひそれを求めたい、これが第二点。 それから、補助基準の中で組合員が三人以上の団地に対して補助を行うと。
○川原新次郎君 けさほど同じ鹿児島出身の金丸委員から質問がいろいろございましたので、ほとんど尽きたかと思いますけれども、重複することを避けまして、ちょっと二、三お尋ねいたしたいと思います。 まず、建設省にお尋ねしますけれども、またこれは要望を兼ねて申し上げたいと思いますが、十八億八千万円ですか、けさから言われましたね。