2017-12-05 第195回国会 参議院 外交防衛委員会 第2号
一方で、ボランティアの中田厚仁さんが亡くなった、高田警部補が亡くなった、それから、小野寺大臣の後輩になるのかな、堀本崇さんという、私がカンボジアに紹介したんですが、お坊さんになった。ただ、交通事故で亡くなってしまった。 私事ですが、私の息子が二十年ほど前、ちょっと事故で亡くなっているんですが、亡くなる前日に、将来カンボジアで人道援助活動をしたいというんで、遺骨を実は分骨してあります。
一方で、ボランティアの中田厚仁さんが亡くなった、高田警部補が亡くなった、それから、小野寺大臣の後輩になるのかな、堀本崇さんという、私がカンボジアに紹介したんですが、お坊さんになった。ただ、交通事故で亡くなってしまった。 私事ですが、私の息子が二十年ほど前、ちょっと事故で亡くなっているんですが、亡くなる前日に、将来カンボジアで人道援助活動をしたいというんで、遺骨を実は分骨してあります。
そして、九三年五月、高田警部補が亡くなりました。当時、私は中東のイスラエルにおりましたが、日本のこれらの新聞記事を読んで大変重い決断を日本はしたなという記憶が残っております。 そのときのことを思い出しまして、私もう一度、十年前、宮澤さんが書かれた本を読んでおりました。宮澤さん、このときのことをこう言っているんですね。私がPKOという法律を発動しなければ、少なくとも高田警部補は亡くならずに済んだ。
例えば、カンボジアにおきますUNTACにおけるPKO活動にて亡くなりました高田警部補は、協力業務にない警護活動をしている中での御不幸だったというふうに認識しております。したがって、このような二重指揮権は、派遣された方々にとっての心理的な苦痛というのは大変なものではないかなというふうに思っております。
西元さんは、御自身が、一番危険度の高いカンボジアの地域で選挙監視をしたい、中田さんの例もあるし、高田警部補のこともあるし、自分は一番危険な地域に行きたいと志願をされたそうですが、結果的に、そういう経歴の方でございますので、団長にされてしまって、不承不承一番安全かもしれないプノンペンで団長の業務をされておられた。私もお会いをしてまいりましたけれども、そういった立派な方もいらっしゃるわけです。
○大脇雅子君 カンボジアでは高田警部補が殺害されたわけですが、その高田警部補殺害事件に関して、国連の報告書を外務省は受け取っておられるでしょうか。その報告書は公開できるのでしょうか。
こういうときには、どうしても現地からしてみたら、日本の自衛隊は、それは持っている兵器というのは自分の身を守るだけのものなのですが、しかし現実としては軍隊として見ますから、それ以上の、私どもができないことをやはり向こうは要求をするというようなことでございまして、私は、カンボジアのときの、高田警部補が亡くなったりあるいはボランティアの中田さんが亡くなった、あの教訓を残念ながら我々まだきちっと生かしてないのではないかという
この辺の論議不十分というものが今回の高田警部補のああいう問題が出てきた一つの遠因ではないかというふうにも私は思っておるわけです。 さらにまた、昨年六月十一日の衆議院のPKO特別委員会で宮澤総理は、町に出ると我が子を再び戦場に送るなという声を聞くが、この法案は自衛隊を戦場に送るのではない、戦場を平和な土地にしたいための活動だというふうな答弁をされているわけです。
カンボジアPKO活動に派遣されていた文民警察官の方々が四日、武装勢力による襲撃を受け、高田警部補が一命を落とされました。ほか四人の警察官の方々も他国部隊とともに負傷されたわけでございまして、御遺族の方々には心からお悔やみを申し上げ、負傷者の方々に対してはお見舞いを申し上げたいと思います。