2012-08-23 第180回国会 衆議院 予算委員会 第28号
○野田内閣総理大臣 今の東委員のお話を聞いていて思い出した言葉があるんですけれども、もう四、五十年前だと思いますが、亡くなった会田雄次先生が京都大学を卒業する卒業生の皆さんに言ったという言葉ですが、戦後教育の中で三つのものを教えてこなかったと。一つは宗教心です。これは特定の宗教じゃありません、幅広い意味で命をいたわる心とか、そういうことだと思います。二つ目は人の道、道徳。三つ目が歴史。
○野田内閣総理大臣 今の東委員のお話を聞いていて思い出した言葉があるんですけれども、もう四、五十年前だと思いますが、亡くなった会田雄次先生が京都大学を卒業する卒業生の皆さんに言ったという言葉ですが、戦後教育の中で三つのものを教えてこなかったと。一つは宗教心です。これは特定の宗教じゃありません、幅広い意味で命をいたわる心とか、そういうことだと思います。二つ目は人の道、道徳。三つ目が歴史。
そのことを端的にお話をされたのが、私が尊敬をする会田雄次先生であって、この間、文科委員会でもお話をしましたけれども、四十年ほど前に、京都大学を卒業する学生の前で会田雄次先生がおっしゃったというお話がありました。それは、君たちが各方面のリーダーになったときに、この国の将来は心配である。なぜならば、君たちは歴史をしっかり学んでいない、二つ目に宗教を学んでいない、三つ目に人の道、倫理を学んでいない。
だけれども、その前に、国を愛するとか我が国を愛するとか日本を愛するとかという以前に、我が国の歴史をしっかりと子供たちが勉強するということが前提ではないかと私は思っていまして、そこで、ちょうど大臣が京都大学御出身でございますので、京都大学の著名な先生の言葉を引用したいんですが、それは、皆さん御存じの会田雄次先生で、恐らく大臣が在学中、多分京大で教壇に立っていらっしゃったころだと思うんです。
これも皆さんも御存じのとおり、会田雄次さんの「アーロン収容所」、お読みになったでしょう。アーロン収容所で、日本兵を処刑する前にどうするか。日本兵の精神を破壊する。日本兵に対して、ああ、もうすぐあなたは帰れますよ、いとしい妻子に会えますよと言って、いや、だめでしたと言う。しばらくするとまた、もう今度こそ帰れますよと言って、まただめでしたと。そして、最後は処刑。
吉川 貴盛君 吉野 正芳君 大島 敦君 武正 公一君 中村 哲治君 水島 広子君 山内 功君 上田 勇君 山田 正彦君 木島日出夫君 中林よし子君 保坂 展人君 ………………………………… 法務大臣政務官 中野 清君 参考人 (名古屋大学医学部教授) 二村 雄次君
本日は、本件調査のため、名古屋大学医学部教授二村雄次君、日本医師会常任理事西島英利君、新葛飾病院院長清水陽一君、以上三名の方々に御出席をいただいております。 この際、参考人各位に委員会を代表いたしまして一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、御多用のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。
また、これは日本人の「アーロン収容所」を書いた会田雄次先生のことですが、なぜこの「アーロン収容所」を書いたのか。 このままでは済まなかった、私たちだけが知られざる英軍の、イギリス人の正体をかいま見た気がしてならなかったからである。いや、確かに、見届けたはずだ。それは恐ろしい怪物であった。この怪物が、ほとんど全アジア人を、何百年にわたって支配してきた。
だから、耐えがたい苦しみを与えたとあなたはよくおっしゃるが、これは京都大学の会田雄次先生が書かれた自分の体験なんです。「アーロン収容所」というものですよ。自分たちが捕虜になってイギリス兵からどういう処遇を受けたかというのがこれに書いてあるのです。これは学者が書いたものですからね。会田雄次先生の著。
元京都大学教授の会田雄次氏も、著書「リーダーの条件」の中で、個性のある豊かな地域社会実現の条件として、まず言葉であると言っていますが、まことに含蓄があります。彼は、ヨーロッパの諸国に標準語はない、有名なダンテの「神曲」もイタリアのフィレンツェ地方の言葉であるトスカナ方言で書かれているし、ペトラルカもボッカチョも方言で書いたと言っています。
京都大学教授の会田雄次先生がある本に思い出を書いておられる。その思い出は、あの人が復員列車に乗って帰られたときに、 敗戦の混乱の中で国鉄が動いていることがどれほど私達を励まし、復興の支えになったことか。……私達は京都駅で下車したとき列車に向かって——つまり国鉄職員さん達に対して——脱帽敬礼、感謝を表明してから解散したのである。 こうなんです。
そしたら京都なら田中美知太郎教授とか、会田雄次教授とか、そうそうたる連中、東大でも佐藤誠三郎教授にしても、その他京極教授にしても、優秀な先生は、ぜひやれとこう言う。しかしぼけた先生は言わない。ぼけた先生は自分がちよって何というかかっこう悪くなるわけです。そういう実情があります。
そしてまた、あの裁判のあった後で、会田雄次さんという人がおるのですけれども、この人が、私は軍隊を余り好きじゃないけれども、しかし国を守るための軍、自衛隊であれば、自衛隊員が公然と上官に反抗したりあるいは命令を聞かなかったりすることが無罪であっていいとは思わない、そういう意味で一遍これは法律的な問題として考えてみなければならぬじゃないかという意見を述べておるのですね。
沢雄次君は、保土ヶ谷のゴルフクラブで同じメンバーでございますので、一、二回はゴルフをしたこともある、よく知り合っている人間でございます。 それは予算委員会だったと思います。休憩になっておりまして、午後再開と言われたので私が出てまいりましたら、野党の方皆さん席に着いておられました。与党では私が一番先に行ったぐらいのことでございました。
そしてこの検事調書の中身は、いわゆる渡辺尚次被告の供述は、事件発覚直後、国会の偽証告発の動きを察知した渡辺被告が告発を食いとめるために、同社元専務の沢雄次被告を通じ奥野さんに——大臣のことですよ、国会対策を頼むことにしていたというのがあるのです。もちろん大臣はこのことを聞かれて否定をされておりますが、こういうような記事が載る。
たとえば例を挙げますと、田中角榮氏、榎本敏夫氏、檜山広氏、沢雄次氏、それから全日空の青木、植木、藤原、若狭氏、皆そうであります。また児玉譽士夫、それから大刀川といった人もやはり外為法違反ということになっておるわけですね。それを一々挙げますと大変ですから、ひとつ児玉氏の例を引いてみたいと思います。
十、澤雄次全日空専務の公判供述、昭和五十三年三月二十七日、全日空ルート第四十六回公判のうち、金銭を授受した際のエリオット氏との会話に関する供述の要旨は次のとおりであります。 金銭の授受に立会ったのは、二度目に三、〇〇〇万円を受け取った時だと思うが、エリオットに全日空の国際業務を拡大するにはお金が必要だということを言ったと思う。 以上でございます。 〔塩崎委員長代理退席、委員長着席〕
被告人は、橋本登美三郎、佐藤孝行、若狭得治、渡辺尚次、沢雄次、藤原亨一、植木忠夫、青木久頼の八名でございまして、主要な公訴事実は、橋本被告の五百万円の受託収賄、佐藤被告の二百万円の受託収賄、若狭等全日空関係者の外為法違反、及び若狭、渡辺両被告の議院証言法違反等の各事実でありますが、すでに四十一回の公判が開かれまして、これらの各事実の背景立証をほぼ終了し、去る一月三十日と二月十三日の二回にわたりまして
もう一つは、全日空ルートの関連で、沢雄次、青木あるいは植木、藤原という人たちの外為法事件の裁判があるわけですが、ここでも、これらのお金を何のために受け取ったのか、そしてこのお金を何のために使ったのかということも、今後の検察の立証の中では明らかになっていくのでしょう。
○柿沢弘治君 会田雄次さんの「決断の条件」という本がありますが、この冒頭で、「私たちは、殆んど決断や選択という能力を持たないのではないかと思うほど「優柔不断」な国民である。実業界や政治界でのトップたちのいわゆる一世一代の決断とかいわれる話を調べてみても、そこに真の決断は殆んど見られない。
それから沢雄次さん、全日空で、これもマスコミに出た人ですが、現存しているんだと思うのですが、その点確めたい。それから稲益繁さん、この人は横浜税関長をやり、主税局の税関部長をやった、これが日本航空にいる。それから若狭得治さん、これは有名過ぎるから私言う必要はない。それから林陽一さん、これも本省の航空局の審議官から海上保安庁等を歴任した人だ。
若狭得治、沢雄次もそうであります。そういうことで、二年間は短い、短過ぎるということが問題になっておるわけであります。したがって、私がいま言いましたような実態、実情はどうなのか。若狭得治や沢雄次のように、二年経過後天下ったケースというのはどのくらいあるのか。これはぜひ私は掌握することが必要だと思うのです。
東京地検と警視庁は、協力の上、六月二十二日強制捜査に着手し、同日全日空専務取締役澤雄次、経理部長青木久頼及び業務部長兼国際部長植木忠雄を外為法違反の事実により、七月七日藤原を同法違反の事実により、七月八日若狭を議院証言法違反及び外為法違反の事実により、また、七月九日副社長渡辺尚次を議院証言法違反の事実により、それぞれ逮捕しました。