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153件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2006-02-24 第164回国会 衆議院 外務委員会 第2号

その前に、日本の国内では、学徒動員国家総動員法等々は、昭和十五、六年、私が生まれたときにはもう既に日独伊防共協定が、十五年ですから、十六年ぐらいからもうスタートしているんだと思いますが、いろいろな意味で、そのころは一連の法律が変わって、尋常小学校国民学校に変わる等々、皆その前後になっておると思いますので、いろいろな意味歴史が風化していっている部分も多々あろうかと思いますけれども、事実だけはきちんとしておくことというのは

麻生太郎

1999-02-02 第145回国会 衆議院 予算委員会 第8号

○藤田(幸)委員 延長上ということは、哲学はまだ変わっていないということかと思いますが、昨年のバーミンガム、今度はG8になりましたが、この最貧国債務帳消し反対をしたのは、日独伊防共協定じゃありませんが日独伊だけだったわけですが、その中で、イタリアの新しい政権は、今度のケルン・サミットでは債務帳消しに賛成ということを表明しております。

藤田幸久

1993-11-08 第128回国会 参議院 決算委員会 第3号

残念ながらアメリカにはその日本防共努力に対する理解が欠けておった。だから、日本シベリア出兵アメリカは非難し、これを妨害したわけでございます。アメリカからシベリアまでは一万キロ離れております。シベリアが赤化されても満州が赤化されてもアメリカにとっては対岸火事でございます。しかし、日本にとっては満州が赤化されることは朝鮮が赤化されることでもある、それは対岸火事ではないのであります。  

木暮山人

1992-03-11 第123回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第1号

日本日独防共協定を結び、ドイツとは同盟関係にあったからだと言われております。苦しんだ末、杉原副領事は独断でビザ発給に踏み切り、転勤命令が繰り返し伝えられる中、リトアニアを出国する出発ぎりぎりまで、列車にまで押しかけるユダヤ人の方々にその列車の中でビザを書き続け、六千人の命を救ったと言われています。     

草川昭三

1992-03-11 第123回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第1号

日独防共協定というようなものも結ばれたり、当時の情勢としては、ソ連共産主義日本への伝播というか、来ることを極端に嫌ったという社会背景があることは間違いありません。そういう中で結ばれたものだろうと存じますが、その後でそれがよかったのか悪かったのか、これは私はなかなか判断のしかねるところでありますが、その当時として政策の間違いだったということをここで断定するほどの勇気は私は実はありません。

渡辺美智雄

1989-12-05 第116回国会 参議院 外務委員会 第2号

吉岡吉典君 日独伊防共協定というのは、今大臣もおっしゃったように、第二次世界大戦日本が向かう契機になった。枢密院の文書等を読んでみましても、わかりやすく言うと、ヒットラーが強いだろう、ヒットラーと組めば日本世界制覇ができるだろうと、そういう判断のもとに組んだけれども、結局それが誤算でああいう結果になったんだと、そういうふうな歴史的な経過を経たものだと思いますね。  

吉岡吉典

1988-05-10 第112回国会 参議院 外務委員会 第7号

きょうここで議論をしようとは思いませんけれども、私が非常に尊敬しており、絶えず教えてもらいに行っていた外務省の大先輩で、一昨年ですかお亡くなりになりました西春彦さんですね、一九一八年から外交界で活動なさった大長老ですが、この人から行くたびに言われていたことは、戦前日本を誤らせていたのは日独伊防共協定であった。戦後の日本を誤らせているのは日米安保条約だと。これが西先生の持論でした。

吉岡吉典

1985-06-04 第102回国会 衆議院 内閣委員会 第15号

四、尊皇愛国心の昂揚、国防並防共思想の普及。 五、自主憲法の制定、自主国防体制の確立。」こういうことを目的としている日本金鵄連合会であります。こういう連合会が積極的に活動してそういう請願を採択させているわけですね。私は、こういう問題は検討にすら値しない問題だというふうに考えているわけであります。  まさにこの団体、今私がお話ししましたように非常に同情を買うような偽装はしておりますよ。

三浦久

1983-11-22 第100回国会 参議院 行政改革に関する特別委員会 第3号

こういう独自の主張をしないでそういうことをやっていくと戦前日独伊防共協定、あのときも共産主義反対共産主義反対と言って侵略に進んでいったのです。今度もまた共産主義反対などと言って進んでいくという歴史のそういう反省をいまこそすべきではないかと思うのですが、あなたは首相として戦前のあの不幸な日本の歩みから、またいまの事態からどうお考えになるのか、最後にお伺いしたいと思います。

上田耕一郎

1983-01-29 第98回国会 参議院 本会議 第4号

日独伊国軍事同盟は、「防共」「世界新秩序の建設」の名のもとに、あの世界戦争に道を開いた最悪の愚行でありました。これらは、当時、日本共産党を除くすべての政党が同調し、最後には政党自体を解体した経過が伴ったものであります。  私は、この二カ月間の中曽根内閣の動向を憂慮しつつ、総理がこうした点を歴史の教訓として認められるかどうかということをまずお聞きしたいと思うのであります。  

宮本顕治

1983-01-28 第98回国会 衆議院 本会議 第4号

かくて韓国では、朝野を通じて多くの人士が、日韓国民の明暗を比較して、日本人々日米安保の傘の中で、そして韓国という防共の防波堤の内側で、右の人々は繁栄を満喫し、左の人々は自由を存分に堪能しておられる、われわれ韓国人は、自由と民主主義の辺境で自由と民主主義の寝ずの番をしている、もしそれ、韓国防衛費日本の限度にとどめ得るならば、われわれの暮らしは左うちわの太平楽でありますと、その苦衷を述べておられました

春日一幸

1982-08-19 第96回国会 参議院 地方行政委員会 第16号

しかし、たとえば防共挺身隊届け出収入を見ますと、八〇年度ですが、約四千五百五十万です。大日本朱光会、これは約七百四十三万円、そういうふうになるんです。この大日本朱光会は、一千万円以上と言われるような大型宣伝カーを、最近短期間に数台ふやしていますよね。それだけでも届け出収入とはもうかけ離れているわけですね。こういう状況もあります。  

神谷信之助

1981-05-29 第94回国会 衆議院 外務委員会内閣委員会安全保障特別委員会連合審査会 第1号

どちらかというと、初めて体制擁護というのが今度の共同声明で出てきましたから、そういう意味ではその前の防共協定の方に近いのですが、それを直観的に頭に思い浮かべましたよ。あれ以来日本は破滅への道に結局転落していったんですからね。また同じ過ちを犯すのじゃなかろうかと心配するのは私は当然だと思う。この「同盟」の言うところ、これはやはり問題だと私は思います。  

石橋政嗣

1980-10-30 第93回国会 参議院 法務委員会 第2号

この記事の内容が、非常に皇室を侮辱するものであるというようなことを一部の右翼団体の中には叫ぶ者がありまして、七月の十六日の十時過ぎごろ、世田谷にありますところの防共挺身隊が、これは約二十人ぐらいの者が街宣車三台に乗車いたしまして、台東台東一の五の四に所在します凸版印刷株式会社本社に赴きまして抗議をするという事案がございました。

西村勝

1979-04-27 第87回国会 衆議院 外務委員会 第8号

そういうことを考えてみると、先ほども申し上げましたように、あの第二次世界大戦というのは日本ドイツとイタリーの三国、いわゆる防共協定と言われた国が中心になされたそういう行為であって、その中心一つ日本が、その戦争犯罪者及び人道に対する罪の問題に対する時効不適用に関する国際的な世論に対して、この一つの法則に対して棄権をしておくという態度では、国際的にその責任を果たすことにはならないのではないか。

寺前巖

1978-10-14 第85回国会 衆議院 外務委員会 第2号

日本のばかやろう、日独防共協定のときには、ソ連を攻めてくれと言ったときには第三次近衞内閣で、北進論松岡だけを総辞職して首切って、アメリカとの戦争ばかり考えていた豊田貞次郎外務大臣に据えて間違いを起こしている。  この間、私はソビエトへ招待されて行ってまいりましたが、ブラーツクというところで日本の捕虜がドイツの兵隊から攻撃を受けたという……(発言する者あり)耳が痛いですか。

中山正暉

1978-10-14 第85回国会 衆議院 外務委員会 第2号

外務大臣有田次官から、これもまた不思議な因縁で、廣田弘毅内閣のときに大島という大使をどうにもできなくて、ついに日独防共協定というものに入っていった有田八郎、後に革新系から知事に出た方の息子さんがいま次官でございます。五男。この方も政治の世界を見てこられた方だろうと思いますが、その有田外務次官が、外務大臣に、八月八日にいらっしゃい、末広がりでございますとおっしゃったそうでございます。

中山正暉

1978-10-13 第85回国会 衆議院 外務委員会 第1号

しかし、このようなことは非常に大事なことで、かつて日独防共協定が、有田外務大臣薄墨色というようなことを言っておったのに、昭和十五年になったらこれが日独伊国同盟に変わっていったという経緯松岡外務大臣になったらあのように発展した経緯などから見ると、やはり条約の現在の解釈、これは大変大事なことですし、将来に残したいのです。そういった意味で、いまの二点について、条約局長の御意見を承りたいと思います。

塩崎潤