1980-10-24 第93回国会 衆議院 運輸委員会 第6号
そして、運輸省が全部代弁してというよりも、運輸省が監督官庁であって、全部運輸省の方で国鉄のいましているような答弁をしたわけですが、ちょうど長崎総裁のときだったと思いますが、鉄道会館問題から直接呼び出される習慣がついてしまいまして、それで私どもも国鉄にいるときは大分呼び出されたわけでございますが、しかし経営形態としては、完全に官営であるか民営であるか、それともいまの公共企業体であるかという三つのどれを
そして、運輸省が全部代弁してというよりも、運輸省が監督官庁であって、全部運輸省の方で国鉄のいましているような答弁をしたわけですが、ちょうど長崎総裁のときだったと思いますが、鉄道会館問題から直接呼び出される習慣がついてしまいまして、それで私どもも国鉄にいるときは大分呼び出されたわけでございますが、しかし経営形態としては、完全に官営であるか民営であるか、それともいまの公共企業体であるかという三つのどれを
洞爺丸事件では長崎総裁が責任を負うてやめている。今度の場合でも東鉄局長が責任を負ってやめている。つまり責任を負ってやめたということは、やはり国鉄に責任があるということを意味している。それを、総裁が、国鉄に責任はないのだ、事件は不可抗力である——こういうことを許しておいていいのかどうか。日本国有鉄道法に規定するところの、すなわち二十二条の二に、役員の罷免という規定があります。
三番目の総裁は長崎総裁であります。これはすなわち、瀬戸内海における紫雲丸事件が起きたときに、やはりこの問題で責任をとっておやめになりました。あのときも盛り上がる国民の世論の前に、総裁が一身を賭してみずから責任をとられたことによって世論はおさまった。一体この責任のとり方が、官房長官、これは妥当だとお考えになりますか。
第三代の長崎総裁は、これもまた紫雲丸事件で責任をとって辞職をせられておる。桜木町事件といい、紫雲丸事件といい、今起きている三河島事件あるいは東海道新幹線の汚職事件、そういうものから見れば問題の規模は小さい。けれども、国民の多くにこれだけの衝撃を与え、これだけの損害を与えたことはまことに申しわけないと言って、りっぱにその責任をとられて職を辞された。あなたはおやめにならない。
国鉄総裁の責任は、桜木町事件の加賀山総裁、紫雲丸事件の長崎総裁の辞任に次ぐ宿命的な問題であり、同じく責任を高齢の十河総裁に求めなければならないとすることは、あまりにも運命的かつ宿命的な悲しみを感ずるものであります。
これはずっと前に遡ると、加賀山さんも総裁でしたけれども、長崎総裁、それから十河総裁、最終部門、いろいろな問題がこういうように重大な問題に発展したときには、総裁みずから、あるいは副総裁みずから団体交渉の場に臨んで、その責任において処理された場合がしばしばあった。ことごとくと言っても差しつかえないほど団体交渉はそういう形で進められておった。
○青野委員長 それでは委員諸君にはちょっと相済みませんが、委員長から重大問題で関連しておりますので、權田監督局長、小倉副総裁それから上村第五局長にそれぞれ御答弁願いたいのは、私は運輸委員会に四年おりましたが、そのときに、長崎国鉄総裁当時でしたが、なぜガード下のまた貸しを整理しないのか、おそらく全国を通じて一年間ボスのふところに入ってくる金は十億を下らぬと推定するがと言うたときに、長崎総裁は生命の危険
前の長崎総裁のときにも問題になったのだけれども、その後どうも十分な改善ができておらぬと思う。あなたは当時の委員会の様子は御承知と思います。でありますのでやはりこの重要な金の管理の方法につきまして、どうも今の御答弁だけでは私ども納得しにくい。やはり国鉄が財産管理の上において、もっと慎重に最善の注意を払っていく上において欠くるところがあるのではないかと思うのです。
なお非常に疑念の点がありまするが、それは十分に資料をいただいてからお伺いをしたいと思っておりまするし、その点保留しまして、なお長崎総裁の当時は、この資料によりますると、秋田県の所有建物の方に寄舎をして借り入れて入っておられたというふうになっておるのですが、これはどういう関係で、無償提供せられたというふうになっておるのですけれども、どういういきさつなんですか。
○説明員(小倉俊夫君) 私が聞いておりますところによりますというと、長崎総裁が従来あそこにおられまして、そしてあそこから通ってもよいというふうなお話であったんで、そのままになっておったと聞いております。
○理事(大倉精一君) そうすると、今の長崎総裁の場合、これをあえて借り上げをして総裁公邸とするという必要はないわけなんですが、依然として秋田県の所有建物が総裁公邸としての任務を果しておられれば差しつかえないわけでありますが、それをあえて無償で借り上げをする、こういう契約をなすった理由がわからなくなってくるのですが、もう一回伺います。
と申しますのが、その次の長崎総裁のときには公邸がなくて済ましたというのですが、これもまあ、こまかい事情はよく知りませんが、何でも秋田の寮にお住まいになっておったから、別に買わなかったというのですが、これも私はやはり総裁という公職にある方に対する住宅問題、特に大勢の来客等のある公職にあられる総裁に対する邸宅というものがどうあるべきかという問題については、基本方針を明確にしておらないのではないかという気
○説明員(佐藤輝雄君) その次の総裁は長崎総裁でございまして、これは秋田県のたしか寮とかにおりまして、国鉄の方の公舎にはお入りになりません。そのころ人事異動がありまして、公安本部長の宿舎がなかったものですから、とりあえず公安本部長が入りました。この公安本部長のあとに、また現在の公安本部長が入っておる次第であります。
長崎総裁の場合は長崎総裁御自身の御都合もありまして、今までおられました秋田県の寮の方、そちらの方を欲せられたので、その場合は私たちあらためて宿舎を買い求めなかったのでございます。
この問題の要点は、一つはやはり国鉄の所有地を鉄道会館に貸しておられる関係もあり、それから鉄道会館問題は当決算委員会におきまして相当重要な決議もいたしまして、当時の長崎総裁からは長々と今後の方針等についての御説明もあった関係もありますので、特に鉄道会館についていろいろとその後の状況の御説明を願いたい。
総裁の宿舎の件でございますが、長崎総裁は国鉄の宿舎には入っておられませんでして、今度十河総裁にかわられましてから代々木に買い求めたわけでございます。
それから加賀山さんのあとの長崎総裁は、秋田県の寮長みたいなのをされておりまして、寮長と言っちゃおかしいのかもしれませんが、そちらの方におられまして、国鉄の宿舎には入っておられません。
しかし国鉄職員は法律によって保障せられておるから、補償金は十万円でいいというので、私は長崎総裁と相当青筋を立てて渡り合うた。人命というものは一般乗客であろうと大臣であろうと職員であろうと、人間の命のとにかく貴重さという点については、子供も年寄りも男も女も同じだ。国鉄職員は職務に殉じて海底のもくずとなっておる。そうして遭難をされた。
国鉄の場合には、長崎総裁の時分にもこの委員会でそのことをあらかじめ希望しておいた。やりましょうという約束をしておる。速記録を見ればわかる。こういうことについて事務受け継ぎをなさったことがありますかどうか。ちょっと話は脱線しましたけれども、とりあえずあなた方団体交渉に臨まれるときに、対案を持っておいでになったかどうか、その点を一つ明らかにさせておきたいと思います。
ところが今のお話を聞きますと、前の長崎総裁でも、代々の総裁は、労働組合に対して法律を強制することはきわめて手ぎわがいいのであります。その責任を法律を根拠にして追及されることは、きわめて手ぎわよくやられております。今度も何名かの懲戒者を出されたようであります。前には何十名かの首切りを出しております。そして一方において責任は追及しますけれども、一方においてはその果すべき義務は一向にお果しにならない。
たとえばさっきお話のありました国鉄の資産が、長崎総裁は国有財産ではないと言った。それは国有財産法に言ういわゆる国有財産ではないでしょうし、国有国営の形のものを総裁が一度にぽかぽか処分ができるということは、これは常識が許さない。これは一つの例でございますが、もしそれがこの法律で勝手にやってもいいことになっておれば、非常な法律の不備だろうと思う。
長崎総裁が紫雲丸の遭難沈没事件で責任をとられて、その後任に十河さんが総裁になられてまだ日も浅いことでございますから、もし御存じのない点は、ほかの方から御答弁していただいても差しつかえありません。 私がお尋ねしたいと思いますのは、昨年の九月に函館で沈没いたしました洞爺丸は、岡田組との約束では大体今年の二月ころに引き揚げるという予定でありました。
○三浦辰雄君 十河総裁、国鉄の困難な時代に引き受けられて、いわゆる国鉄の公共性、もう一つは企業性との間に板ばさみになって、お苦しみになっておることは御同情申し上げますが、そこで一つお聞きしたいのは、前の長崎総裁もそうであったように思いますが、十河総裁になられても、地方にお出かけになったどこだかの際に、どうもこうなった経営をやっていたのでは国鉄の使命というものを遂行していくのには容易でない。
○説明員(十河信二君) 国鉄は申しわけのない事故を引き起しまして、長崎総裁の退陣となり、はからずも私が老骨をひっさげてこの大任を拝することに相なりました。まことに恐縮に存じております。大任を拝しましたことにつきまして一言ごあいさつ申し上げたいと存じます。 私は、国鉄を退職いたしまして長い年月を経ておりますので、国鉄はその間いろいろな重大な変化を経過いたしております。
最初長崎総裁がおやめになって、次代の総裁として大臣は強く財界から、現に活躍しておられる有力な実業人を起用したいということで、お骨折りになったと伺っておりますが、それにもかかわらず、現に財界で活躍しておられる方々で、せっかくの三木運輸大臣の誠意をもってしても、引き受け手がなかった。これはどういうところにその原因があるとお考えになられますか。
ただ、それは長崎総裁が辞表をお出しになった、それに対して政府としてはその辞表を、本人がいろいろあの事件の直後でございますから非常な責任を国民に感じてお出しになった、その気持を生かすことがその場合適当であるということで、政府がこれを受理したわけでございまして、その辞表の出し方が早過ぎたとかあるいはおそ過ぎたとかいうような御批評はありますけれども、長崎総裁があのときお出しになった、それを政府がいろいろな
○国務大臣(三木武夫君) 長崎総裁が辞職されました経緯は、紫雲丸事件に責任を感じて長崎総裁が辞表を出されました。これを受理することが適当であるという政府の判断に基いて、その辞表を受理したのであります。