2004-05-11 第159回国会 参議院 厚生労働委員会 第15号
この薬学の高等教育というものは、物の本によりますと、明治六年に当時の文部省の医務局長である長与専斎先生がヨーロッパの視察の後に我が国にも薬学教育をすべしということで設立の伺い書を出して、その結果としてでき上がったのが最初だと言われておりまして、現在の東京大学の薬学部に通じるわけでございますが、明治六年に第一大学区医学校に製薬学科というものが設立されたのが最初だということでございまして、これは設立当時
この薬学の高等教育というものは、物の本によりますと、明治六年に当時の文部省の医務局長である長与専斎先生がヨーロッパの視察の後に我が国にも薬学教育をすべしということで設立の伺い書を出して、その結果としてでき上がったのが最初だと言われておりまして、現在の東京大学の薬学部に通じるわけでございますが、明治六年に第一大学区医学校に製薬学科というものが設立されたのが最初だということでございまして、これは設立当時
したがって会長は当時は佐野常民先生、つまり大蔵卿をやられ参議をやられた方が会長、そして副会長には長与専斎先生というような形で、官民の総力結集という形で発足しております。したがってその当時の目的は、現在でいう公衆衛生、あるいは産業衛生、学校衛生、軍人衛生まで含めまして、あらゆる衛生問題をやっていこうという姿勢でございました。
現在の水道条例は、明治二十三年の制定にかかるものでございまして、明治二十三年、当時の衛生局長長与専斎先生が初めて起案をされたものだそうであります。なお水道行政は、日本におきましても最も早くから注目された行政でありまして、明治二十一年には国が補助費五万一千円を計上いたしまして、水道の普及をはかり、函館その他に水道の布設をいたした次第でございます。