2021-05-21 第204回国会 衆議院 環境委員会 第11号
材料でもって時代を分けると、石器時代ってありますよね、鉄器時代とか。今は、コンクリートの時代かもしれないし、もっと言えばプラスチックの時代かもしれないんです。しかし、石器も鉄器もそれほど地球の健康を損ねていませんでしたけれども、プラスチックは大きく地球の健康を損ねておる。問題なんです。
材料でもって時代を分けると、石器時代ってありますよね、鉄器時代とか。今は、コンクリートの時代かもしれないし、もっと言えばプラスチックの時代かもしれないんです。しかし、石器も鉄器もそれほど地球の健康を損ねていませんでしたけれども、プラスチックは大きく地球の健康を損ねておる。問題なんです。
青銅器から鉄器へ変わると、そして刀から種子島、鉄砲に変わると、こういったものもそうでありますし、新興の技術というものもそういった意味ではゲームチェンジャーの手段になってくると。 一方で、次の段階になりますと、主体として、例えば国際社会における特定の国、若しくは一つのゲームにおける特定の人物、これがゲームチェンジャーになる可能性もあると。
ちなみに、立ったついでと言うとあれですけど、先ほど来ゲームチェンジャーの話が出ているんですが、ゲームチェンジャーって三つのレベルがありまして、一つが、先ほど言ったような自律型致死兵器であったり、昔でいえば、青銅器から鉄器に代わるとか長篠の戦いで鉄砲が出てくるという、こういったものが一つの狭義のゲームチェンジャーなんですね。
そんなことが起こるかと思ったときに非常にいい言葉がありまして、石器時代が終わったのは石がなくなったからではない、何で終わったかというと、鉄器とか青銅器が生まれたからであると。
店内には化粧品、衣料品、家電製品、時計、南部鉄器のようなお土産まで売っているんですが、日本語はほとんどありませんで、中国語が躍っております。十四万円する炊飯器ですとか、三ページにありますが、普通の薬局では見たことがないような栄養食品、納豆キナーゼ三百六十粒、十四万八千円と。私が入りますと、警戒されて店員が後ろを付いて回りまして、パスポートの提示を求められたんです。
大臣からはワカメですか、の例を挙げていただきましたけれども、日本の各地にはいろんな名産品がありまして、例えば今、海外からたくさんのお客さんが旅行に来ていただいていますけれども、そうした中で、日本の陶磁器ですとか鉄器ですとか、そういったものも人気があるというふうに私も聞きました。そうした我が国の名産品、その産地でも、このTPP関税撤廃で輸出増ということへの期待感が広がっていると聞いております。
例えば、今回、こちらから輸出するものとして、四国の今治のタオル、また鯖江を中心とした眼鏡のフレーム、そして南部鉄器、陶磁器、こういうものもありますけれども、具体的に経済産業省としてこういうものをどういうふうに応援していくか、このことについて林大臣からお答えをいただきたいと思います。
クール・ジャパンは、報道でよくされているアニメだけではなく、農産物、B級グルメといった食分野、漆器、鉄器などの伝統工芸品、ファッション、また、結婚式、旅館などの細やかなサービス、おもてなしなど、日本が誇るさまざまなものを海外に展開し、経済成長につなげるという点で、私は大きな期待をしております。
この長江文明と縄文文明は交流があったことが明らかになっておりまして、ともに特徴は、徹底的な和をなす文明、共生の文明でございまして、全く戦争というものがない世界ですから、鉄器もないんですが、武器というものをつくろうとしない、共生するんですから武器というものが不要であった。そういう状況の中からそれぞれが、長江流域で稲作漁労文明が盛んになって、日本にも伝播してくる。
もう世界に誇る日本の宝でありますし、東北地方の伝産品では、会津塗とか、南部鉄器とか、山形の鋳造、鋳物ですね。こういう伝統的なたくみの技と、それから世界遺産と、それから温泉等、これをどういうふうに組み合わせるかということがこれからの腕の見せどころ、鈴木先生の活躍のところだというふうに思っております。 我が省としても、省を挙げてお手伝いをさしていただきたいと思います。
これは、例えば伝統的工芸品産業の振興に関する法律、伝産法と言うんですかね、これ、で指定されております南部鉄器、これは岩手県の南部藩、盛岡市だけでなく、伊達藩の水沢市でも製造されているそうなんですね。これを地域団体商標とする場合、伊達藩の水沢市における製造事業者も対象とするのかどうか、お伺いしたいなと思います。
南部鉄器の話もありましたけれども、やはり普通の鉄器よりはいいのかな、品質もいいんだなというふうに、こう思うわけですね。それで一般的には商品を購入することになるというふうに思うんです。やはり、その地域ブランドを商標権として保護するだけじゃなくて、商品の品質を確保する取組、これも併せて実施していただきたいと。
御指摘のように、確かに水沢市は旧伊達藩に属する地域でございますが、例えば水沢市で生産される鉄器の製法、作り方が南部地域に由来している、まあ技術交流をやっていたということのようでございますが。あるいは、主要な原材料、砂鉄、銑鉄といったものを南部地域から昔調達していたとか、そういった地域との関連性があれば地域団体商標の登録が可能であるというふうに考えております。
○達増委員 私も地元盛岡の南部鉄器をつくっているところを何軒か見て回ったんですけれども、やはりバランスが重要であるなと思いました。南部鉄器と秀衡塗という漆器を組み合わせた新商品をノベルティーとしてつくる。それである程度収入を得て、その分の余裕を高級品、昔ながらの手づくりのものをじっくり時間をかけてつくっていくことに回しているところがありました。
また、この盛岡、昭和四十九年に法律ができて、翌五十年に、伝統的工芸品の指定第一号ということで南部鉄器が指定されているのでありますが、その南部鉄器の産地である盛岡に全国から千名近い関係者が出席して、開催されました。この間、盛岡市内の小中学生約五千人が、授業の一環として、展示会やさまざまな行事にも参加をいたしまして、地域を挙げて、伝統的工芸品の産業振興に盛り上がったわけであります。
「オーク・ヴィレッジ」というのはドングリの木の村で、ここでは「「お椀から建物まで」を合言葉として、木器、家具、織物、藤製品、鉄器などを手づくりしている。」あの飛騨の高山でああいう精密家具が発生する根拠もここいらにあるわけです。これを見て、屋久杉からいろいろなものを見せていただいて、私はいいなと思いました。 この間、「喜びも悲しみも幾歳月」という映画を見て感動したわけです。
これは古い時代の石器時代から青銅器時代、鉄器時代、そうして今日に至るまで変わっておりません。現在でも、科学技術の最も進んだところに原爆及びその運搬手段があることは御承知のとおりでございます。そして、その最も進んだ科学技術のためにつくられた兵器というものは必ず使用されているというのが、これが人類の歴史でございます。
○安武洋子君 いま自治体、具体的には私は何か岩手県の南部鉄器なんかは相当おやりになっていらっしゃるんじゃなかろうかというふうなことを聞いておりますけれども、やっぱりこういうふうな自治体が内外市場への需要の開拓とか、それから製品のあっせんとか、こういうことに乗り出すということは非常に大切なことだと思うんです。
いまも長官から言われましたけれども、出土品の中にも九州では三番目の琴柱形の石器とか、あるいは鉄器類が出ておりますし、それから古墳群にしてもいろんな舟形石棺とか縦穴式、横穴式、同じ場所に違った古墳があるわけですね。
繊維製品がゴルフの練習場に変わるとか、洋食器がゴルフクラブに変わるとか、ゴム製品がゴルフボールに変わるとか、あるいは工芸鉄器が携帯用コンロに変わるとか、カバンが携帯用ハンガーに変わるとか、縫製品がリゾートマンションに変わるとか、竹すだれ業が大衆向けレストハウスに変わるとか、そういう例もございます。
○山下(英)政府委員 御指摘の陶磁器関係、ほうろう、鉄器等の有害、危険につきましては、第一次的には食品衛生法で従来とも規制が行なわれてきたわけでございますが、さらに御指摘のように、鉛、カドミウム等重金属関係が除かれておりましたので、とりあえず四十七年十月からは中華食器について安全マーク制度が実施され、さらに、この七月を目途としまして、全食器にそれを適用していくつもりでおります。
○神近委員 鉄器具が出ているかということが一点と、それから、最後に全購連にこのカリをお渡しになっているということはわかりましたけれども、あなたが東独に見込み払いというか、品物のドルの割当でお出しになった金を、全購連からはどういうふうにしてあなたの方に決済しておりますか。
原始民主主義の時代から支配者ができた、貴族時代に入った、これは歴史の必然な過程でありまして、よいとか悪いとかという問題じゃない、しかしこれは大和民族が鉄器のような優秀なる武器をもって他の民族を征服した、征服という言葉が悪ければ、統一した、こういうことは間違いない事実だと思うのですが、その点いかがでしょうか。
私、今古い歴史の記憶がありませんが、新羅から天之日予と申しますか、日槍と申しますか、その人が初めて日本に鉄器を輸入したというふうに記憶しております。しかし歴史上もっと早いのじゃなかったかという説がありますが、その点一つ専門的な立場からお教えを願いたいと思います。
鉄器の輸入された時期というのは、これは文献の方面と考古学の方面、両方考えられるわけであります。文献の方では、さっきおっしゃった日矛の話というようなものも見えております。しかしこれはほかの話と同じように、いつごろからという、その絶対年代というようなものについて考える材料になりがたいわけであります。従ってそれは一応除外いたします。