1985-06-20 第102回国会 衆議院 農林水産委員会 第26号
当時の鈴木農林大臣に対して野党の各先輩議員が質疑をしておるわけでありますが、いろいろな不備を野党から指摘されて、目的に対しても文言が書き加えられたという経過をたどっております。第一には、この暫定措置法では二百海里水域内で日本の主権が確立されておらないという問題であります。第二には、資源の保存と管理というものが極めてぼやけております。
当時の鈴木農林大臣に対して野党の各先輩議員が質疑をしておるわけでありますが、いろいろな不備を野党から指摘されて、目的に対しても文言が書き加えられたという経過をたどっております。第一には、この暫定措置法では二百海里水域内で日本の主権が確立されておらないという問題であります。第二には、資源の保存と管理というものが極めてぼやけております。
これも私の選挙区でありますけれども、いろいろ争いがありまして、そして当時の鈴木農林大臣が中に入って解決をつけられたという、そういう歴史的な事件のあったところの干拓地でございます。これが立派な田んぼになったわけでありますが、百六十九ヘクタール干拓をやったわけであります。 ところが、そこに米をつくってはならないということでけんかになったわけであります。
必ず茶わん一杯レストランなり食堂で上げる場合は、当時の鈴木農林大臣が私に、後に総理になりましたけれども、私に答えて七円だと言う。ところがそのときのレストラン、食堂は全部三十円。そうならないんですよ。そういうことを私はあなた方の言う統計数字と国民の実感、波及効果というものは違うんだ、ここをあなた方認識しなければだめなんだよ。ただ言葉で一円五十銭ですと。
あの二百海里のときに、鈴木農林大臣がモスクワから帰ってきて、国会に要請があって、そして領海法と二百海里法をつくったわけですね。そしてまた交渉に行ったということを振り返ってみますと、この問題については特に慎重に今から対応の準備を整えておかなければならぬのではないのか、こう私は思うのであります。
五十二年にいわゆる二百海里暫定措置法ができるときに、私は鈴木農林大臣と——そのときはまだ農水になりませんでしたが、農林大臣とずいぶん議論をいたしました。
○田澤国務大臣 五年前に、確かに、鈴木農林大臣を中心に、当時の林野庁長官はどなたでございますか、当時のいわゆる防除技術をして、またその当時の松くい虫の現状等を見てみますというと、まああの程度、あのことで完全に五年間で終息できるという目標で進められたと思うのでございますが、何せ自然を相手のことでございますから、これはそのときの五年間の間に、当初考えられたと全然違った自然現象というものが起きてくると思う
そういうことで当時の鈴木農林大臣は、住民の意見を尊重せよというそういう意見に対しまして、特に、これは法案を修正するべきだという点で出したのに対して、わざわざ修正しなくても十分御心配の点は確保できるというふうに御答弁をしていらっしゃるわけです。
そうしてまた別の機会に同じく当時の鈴木農林大臣は、商社や金融機関も関連をしている、「もっと端的に言うと、精糖企業というのは商社の系列の中にさえ組み込まれておるというような指摘もされておる」、こういうことに対するやはり体質改善と申しますか、そういうことが必要だということもはっきりおっしゃっておるわけでありまして、日豪の関係もございますけれども、そればかりではないということが審議の過程で指摘をされております
そういうような立場も私よくわかりましたので、実は昭和五十二年、いわゆる一九七七年のこの日ソ漁業暫定協定が成立しまして当外務委員会でいろいろ論議をされたときに、私が当時の鈴木善幸農林大臣に質問いたしまして鈴木農林大臣から御答弁をいただきました。その御答弁をコピーにしていま両大臣に差し上げたわけでありますが、そういう御答弁を鈴木さんがなさっておるわけであります。
○国務大臣(亀岡高夫君) 前の鈴木農林大臣の答弁が示されたわけでございますが、これをやはり私も気持ちとしては十分強く持っておるわけでございます。
この御答弁どおりになさって実現すれば私は本当に敬意を表するわけでありますが、当時の鈴木農林大臣が私に対してお答えになっていることとはほど遠いような御答弁なんであります。で、私は心から敬意を表するわけにはいかないわけなんです。
で、最終の段階ではやっぱり日本国会が超党派的に鈴木農林大臣のこの仕事をバックアップすべきじゃないかというようなことで、これは衆参両院各党の代表が出かけていってモスコーで鈴木さんと一緒になっていろいろやったという経緯がございます。私もその一人なんでありますが、その北方領土問題が一番この問題を決めるに当たっては問題であったわけです。
○国務大臣(亀岡高夫君) 川村委員から経緯をいろいろお話があったわけでありますが、今回の日韓の数年間にわたる問題の一応の結末を見ることができたということにつきましては、やはり鈴木農林大臣の時代から、歴代の農林大臣並びに水産庁の長官以下の努力がやはり実を結んだものと、私はこう評価をいたしておるわけであります。
たとえば、鈴木総理が農林大臣のときに、砂糖の関係の法案で、前々大臣の発言について責任をとりますかと、責任をあなたは持ちますかという私の質問に対して、当時の鈴木農林大臣は、自民党の内閣が続いている限り、大臣がかわっても、さきの大臣の決定したこと及びさきの大臣の国会で発言したことについては私の責任でございますと、こう答弁しているんです。
やるやると言ったのは鈴木農林大臣から始まっているんだ。いまだに実施できてないでしょう。二百海里というできないことをいますぐと言っているんじゃないんだよ。五条の二号というのは国際関係の問題ではないんだから、国内の政府が決断すれば、発動すればできることなんだと言うんだ、私が言うのは。それを発動してくれというのがいま漁民の訴えなんだ。そこを言っているんだよ。
このときに私が鈴木農林大臣といろいろ議論をいたしました。
そうすると、これは鈴木農林大臣のときに私は改めて聞いたんですが、前々農林大臣が国会で発言したことについては責任を持ちますかと。それは自民党の内閣だし、それが続いているんだから、当然責任を持たなければならぬと、こうおっしゃっているんです。あなたも当然それは持っていると思うんですよ。だから申しわけないという言葉が出てきたんだと思います。
本件については鈴木農林大臣、中川農林大臣等に引き継がれて、農民の反対に遭いながら、ペナルティーをちらっかせて、食管法を守るという美辞麗句を並べて強行したということは御案内のとおりです。農家の皆さんは不安と不満の中で一一二%の達成率を上げた。協力したのです。そして、ことしは農協指導による自主生産調整がプラス六%行われた。約一〇%行われておるわけです。
そこで、いま御指摘の中間ラインというお話はその点を指していらっしゃるんであろうというふうに思っておりますが、なお、その水域あるいはその中間ライン等に関して、当時の鈴木農林大臣から玉虫色云々という御答弁があったというふうにいまも伺っておりますが、当時、大臣は、北方四島関係の協定上の取り扱いというものが、いわば漁業の操業に関する手続上の問題として決めた、それを前提とした協定はいたしておりますけれども、もちろん
これは前に鈴木農林大臣のときに、この海域は玉虫色だというような表現をしておりましたんですが、一体、その玉虫色というのはどんな色なのか、水産庁の方はちょっとこの機会に明確にしていただくと同時に、そういう両国間に緊迫したいろんな外交的な情勢が起こるたびに苦労している羅臼、根室の沿岸の小さい漁民、これらに対する手当てについてどう考えているか、ひとつ。
去年、鈴木農林大臣はこういうことを言っているわけですね。
現に、昨年の国会で米価の審議をする際にも、前鈴木農林大臣はこういうことを言っている。米が過剰基調であるからといって、米価を据え置くというようなことは全然考えていない。このことを再三国会でも明らかにしているわけですけれども、この方針は農林省変わりはないというふうに思いますけれども、次官、どうですか。
しかし、現実はそうではございませんで、米価審議会の方から、確かに大臣は招集するものではありますけれども、前広論議をやって、米審のときには余り長く時間をかけないようにという、米価審議会からの運営についての申し入れ書というものが鈴木農林大臣の時代に参りましてやりましたものでありまして、私どもがそういった意図を持ってやったのではなくして、米審の意向を受けてやったものであり、麦価はあした審議会を開きますが、
病原体はバクテリアでございますから、なかなかむずかしいように聞いてはおりますが、特に私は、昨年の三月十一日の予算分科会でこの問題を当時の鈴木農林大臣にただしてございます。大臣も、確かに対応のおくれを認められまして、現地の視察等を行い、積極的にこの農薬の開発に努力する、こういうお答えをいただいているわけでございます。 その後一年を経過いたしました。
次に、果樹共済の問題で若干お伺いしますが、これも私、昨年三月十一日の予算分科会で鈴木農林大臣に質疑をいたした問題でございますが、御承知のように、山梨県は日本のスモモの全生産量の八割を生産している県でございますが、残念ながらこのスモモが果樹共済の対象になっておらぬ。それにはいろいろ理由がございますが、昨年私はこの問題について、特に一昨年の冷害によりまして山梨県のスモモは全滅をいたしました。
○下田京子君 この問題はいまに始まったことでなくて、前鈴木農林大臣のときにも、非常に希望の持てるような確信のある御答弁を繰り返しいただいているわけなんです。
○安井委員 昨年の二百海里宣言後初めての日ソ会談で、前の鈴木農林大臣が幾らかでも漁獲量を多くしようと大変苦心をされていたその裏で、特定の商社がソ連側に魚の輸入の問題を働きかけていたといううわさがあったが、何かそれの現実化したものというような印象を受けるのであります。