1971-02-16 第65回国会 衆議院 予算委員会 第13号
前の鈴木厚生大臣がこれを社労委員会で取り上げられた、昭和四十一年の性病予防法一部改正のときの審議の内容でございますけれども、そのときにはっきりと、三つの柱を立ててこの改善策に努力をするというふうにおっしゃっておられるわけなんです。それは一つは、性病に対する正しい認識、性病のおそろしさ、病気の実態、こういうものを国民各階層に、特に若い世代の人たちに十分周知徹底せしめる、そのためにPRをする。
前の鈴木厚生大臣がこれを社労委員会で取り上げられた、昭和四十一年の性病予防法一部改正のときの審議の内容でございますけれども、そのときにはっきりと、三つの柱を立ててこの改善策に努力をするというふうにおっしゃっておられるわけなんです。それは一つは、性病に対する正しい認識、性病のおそろしさ、病気の実態、こういうものを国民各階層に、特に若い世代の人たちに十分周知徹底せしめる、そのためにPRをする。
鈴木厚生大臣のときです。この問題は昭和三十五、六年以来、社会保障制度審議会が長期計画として立てた中にもありますし、各党ともこの問題は、児童の人権を尊重するというたてまえから、世界各国が六十二カ国もやっているというたてまえからやってきたのであります。
すなわち、政府は、すでに鈴木厚生大臣の当時、四十五年度には看護婦の充足ができると言明していたのに、現在なお十万人から不足を生じているばかりか、夜間勤務は一カ月に八日以内、一病棟に二人という人事院判定も何ら守られていないのはどうしたことかとの質疑に対し、政府側の答弁は、四十四年度に准看を含め千六百名を養成する計画で、予算も前年度より一億二千四百万円程度多く組んであるが、もちろん、これで十分とは考えていない
大臣に質問いたしたいのですけれども、私は、大臣がお見えになる前に、大体要約、前の鈴木厚生大臣のとき、四十一年のときに、四十五年までに整備をするというお話があった。
○大橋和孝君 あなたいま適当な答弁をしているけれども、前の鈴木厚生大臣のときも四十五年までには何とか段階的にこうしますと言っているが、いま現在何も効果があらわれていないじゃありませんか。あまりも等閑視過ぎるじゃないかと私は思うのですが、あなた実際に責任感を持っておりますか。
たとえば、一つをとってみますと、厚生大臣を、いまは斎藤さん、前は園田厚生大臣、いま国対委員長、その前は坊厚生大臣、鈴木厚生大臣と、一年ごとに、多数派工作のためか何かわからぬが、とにかく厚生大臣をかえておるでしょう。そんなことをして抜本改正なんかできますか。こんなものを党にまかせておいてできますか。これは国会の場におきまして、私どもが審議を通じて政策を進めていこうという趣旨に反することです。
○杉山善太郎君 私は、いまの高橋審議官のお話について、省庁の関係当事者スタッフから直接は聞いておりませんけれども、大体推定の上で、そのような経緯の過程を経ておるというふうには常識的にとらえておるわけでありますが、しかし、私がいまいろいろなことばのあやを交えながら聞こうとしたことは、常識のものさしではかってあまりにもあまりにもと、そういう形容詞を使いましたのは、実は、鈴木厚生大臣の大臣であった時代に、
これは前の坊厚生大臣も、その前の鈴木厚生大臣も、そのことはしばしば言ったわけですが、いまだに実行してないわけです。社会保障の長期計画について大臣がどういうふうな考えを持っておられるかということについて、ひとつ簡潔に所見を述べていただきたい。
その前の予算委員長の総会におきましては、確かに、鈴木厚生大臣のお話を引き合いに出されましたが、四十三年にはこれを実現するようにしようというので、いろいろ各方面で検討いたしておりますと言った。私が言うたのは、これはやや具体的な答弁です、四十三年には児童手当を実現しよう、こういうことで各方面で鋭意検討いたしておる。
○大原委員 この問題ばかりに議論を集中するわけにはいかないのですが、厚生大臣、いままで鈴木厚生大臣、坊厚生大臣、その前は神田厚生大臣、小林厚生大臣、これは忘れるくらいかわっておられる。そういう歴代の厚生大臣は、社会保障の長期計画を立てる、こう言われながら、昨年以来の医療保険の問題で立たなかったわけです。
○柳岡秋夫君 前の国会で前の鈴木厚生大臣は、保険方針は貫かない、負担の限度があるならば、これは国家が積極的に参加をしていくのだ、こういう答弁をしているわけです。厚生大臣は、先ほど、方式がそういう方式であるから、そういう方式に従って対策を立てている、こういう御説明でございますが、そうすると、その考え方に非常に違うところが私はあると思います。
赤字ができたらどうするんだということについては、私や、あるいは熊崎局長がお答え申し上げましたとおり、できるだけ赤字のできないような抜本対策を立てていくと、こういうことで、それは厚生大臣が私であろうとだれであろうと、これは引き継いでいくのが政党内閣でございまして、私は鈴木前厚生大臣がいろいろとお約束をしたり言明をしたりしたことにつきましては、一々これを私は存じ上げてはおりませんけれども、しかし、鈴木厚生大臣
で、元の鈴木厚生大臣は、前の国会で、被保険者の負担が限度にきている、こういうことを言っているわけですね。坊厚生大臣は、一体、この負担の限界をどういうところに置かれておりますか。
鈴木厚生大臣に詰め寄ったところが、それはこれからやりますから、予備費のほうから持ってまいりますと言って、それだけの答弁でのがれた。その後医業実態調査についても諮問しておられるようでありますから、これはまたの機会に言いますけれども、せっかく薬価調査をしておるときにそういう秘密指令が流れて、一部の悪い業者がもうけようとする、それを厚生省が見のがす、だれがそれじゃ監督しましょうか。
○国務大臣(坊秀男君) 去年のその集まりにおいて強い御要請のあったということにつきましては私もお聞きはいたしておりますけれども、そのときに、前鈴木厚生大臣が、その御意見に対しまして、これをもちろん大臣は尊重をされるというようなことをおっしゃったであろうことは、私も信じてこれに対して何らの疑いは持っておりませんけれども、そっくりそのままこれを実施いたしましょうというようなお約束を、おそらくは客観事態に
かつて鈴木厚生大臣の当時に、厚生省の案として公害行政委員会をひとつつくろうじゃないかという具体的な案があったのです。しかし、これは各省庁のよってたかっての袋だたきにあいまして、これが消滅しておるのですね。もう一つは、その際に、鈴木前厚相は、この公害行政一元化の必要性から行政機構を設置する、こういうことを明確に責任ある場でもって公害をいたしておる。
しかしながら、神田厚生大臣、鈴木厚生大臣、坊厚生大臣、一年ごとにどんどんかわってまいりまして、ようやく中身がわかったころには更迭ということであります。そういたしますと、医療保障だけでなしに、そういうたびごとに初めから総合的に研究しなければならぬ。そして医療保険の問題で毎年毎年こういう同じこと繰り返しておる。暫定対策ではなくて、抜本対策に関係がある。
神田厚生大臣、鈴木厚生大臣、これはわりあいスムーズにいったけれども、やっぱり相当修正した。ことしもやる。さらに来年から、四十三年からやろうという意思があるかないかわからぬけれども、あとでお聞きいたしますが、また大改正をやろうというようなことは、これは私は、およそ政治を預かる者といたしましては、これはできないことである。全く責任のがれだと思うんだ。
総理大臣は、前の三月二十三日の衆議院の予算委員会で、私の質問に対しまして、「ただいま前鈴木厚生大臣のお話を引き合いに出されました。」――鈴木さんは四十三年からやると言われた。「確かに四十三年にはこれを実現するようにしようというのでいろいろ各方面でただいま検討している最中でございます。」
○吉田(賢)委員 いまのような御答弁ですと、前前の神田厚生大臣、前の鈴木厚生大臣の時代から、実は後退するのであります。やはり私は、国会の発言はいいかげんにしちゃいかぬと思うのです。いやしくも省の意見としてもしくは国務大臣として答弁せられたら、やはりそのとおりに全責任を持ってもらいたい。
当時の鈴木厚生大臣の発言の要点をずっと拾って読んでみますと、一貫して感じられます点は、児童手当制度については、四十三年度の予算に盛り込むように調査、準備を進めておりますという点が一つと、ただ、もし全体の中学生以下の児童ぐらいは月当たり千円を給付するということにでもするならば、三千億円の原資が必要であるという点やら、その他支給範囲とかあるいは家族手当制度、これは母子家庭のことですが、そういう関係とか、
それからもう一点だけ、せっかくお越しになりましたので、厚生省の方にお伺いするわけですけれども、数字的な問題はこの次にお伺いすることにしまして、第二次佐藤内閣で鈴木厚生大臣がお答えになっていらっしゃるわけですけれども、「脳神経外科など専門的に取り扱う交通救急センターを、人口一〇〇万人に一カ所の割り合いで全国主要都市に配置し、中小都市には救急医療に必要な機械器具を、共同で利用できるよう、医療器具の供給センター
○中沢伊登子君 鈴木厚生大臣のときは大かた審議会をつくろうというようなところまで行っておられたのですが、そのことを被爆者の方々から坊厚生大臣に陳情をされたときに、厚生大臣は、それならば一ぺん鈴木前厚生大臣にそのことを聞いてみようとお約束をされたやに私は承りましたが、聞いてごらんになっていただいたでしょうか、どうでしょうか。
○大橋(敏)委員 これはちょっと立場が変わりますけれども、昭和四十年の九月に、満蒙関係恩給法改正期成同盟という会の会長さんから、当時の鈴木厚生大臣に陳情された中に、おそらく御承知と思いますけれども、満州国等官吏の方々に対する恩典を与えないか。
それと同時に、大臣にお聞きしたいのですけれども、昭和四十一年の十一月十一日、前鈴木厚生大臣は、援護法制定のために、すみやかに原爆被爆者援護審議会を設置してほしい、こういうように被団協が言っておりますけれども、その要請に答えて、援護審議会設置の構想には賛成であり、四十二年度予算で運営できるように、官房長官、総理府総務長官らと話を進める。