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9件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2021-05-28 第204回国会 参議院 地方創生及び消費者問題に関する特別委員会 第12号

簡単に言いますと、この前の参考人のときもそうなんですけれど、承諾を実質化するとか、あるいは納得ずく承諾という形を担保しようと思っていろんなことを考えても、そういう世界ではないと、それは困難だということでありますので、参考人のときに釜井弁護士がおっしゃっていましたけど、被害の現場というのは、不意打ちを掛けて、訪問販売不意打ちを掛けて、あるいはジャパンライフのように、時間掛けて時間を掛けて信頼をさせて

大門実紀史

2021-05-26 第204回国会 参議院 地方創生及び消費者問題に関する特別委員会 第11号

柳ヶ瀬裕文君 私も素朴にそう思うんですけど、多分いろんなことの調整の中でそういうことに至ったのかなというふうに思うんですが、この実質的な承諾を取る上で、釜井参考人も紙での承諾というのは最低限必要な要件なんだということをおっしゃっているわけですけれども、同じ質問を釜井参考人にもお聞きしたいと思いますけれども、この答弁についてはどのように評価されているのか、いかがでしょうか。

柳ヶ瀬裕文

2021-05-26 第204回国会 参議院 地方創生及び消費者問題に関する特別委員会 第11号

竹谷とし子君 続きまして、釜井参考人に伺いたいと思います。  今年の二月十八日、日弁連様で書面交付義務電子化に反対する意見書を提出されたと承知をしております。その中で、仮に書面電子化を検討するとした場合の措置の考え方として具体的な御提案を含む幾つかの御意見をいただいており、大変参考になるものと考えております。  この意見書の内容も踏まえて釜井参考人お尋ねをいたします。  

竹谷とし子

1977-05-13 第80回国会 参議院 内閣委員会 第10号

もう少しちょっと補足をさせていただきますが、この軍関係土地買収あるいは接収に当たった方、当時の記録を、あるいは当時の関係者等を調べてみますというと、もと沖繩にありました第三十二軍参謀陸軍中佐神直道さん、それから旧陸軍大佐の八原博道さん、旧陸軍中佐釜井耕輝さん、それから同じく元三十二軍経理附陸軍主計中尉の田中護利さん、こういう方が関係をいたしておったようであります。

大塚喬

1977-05-12 第80回国会 衆議院 決算委員会 第21号

これは釜井という、先ほど私が申し上げました当時陸軍飛行場づくりの神様と言われた参謀でありますけれども、その方の証言なんです。当時の状況から、当然その証言は私も本当であったろうと思うし、また厚生省の方も、そのことを確認をしておられるわけです。  したがいまして、先ほどこの払い下げの問題について、ちょっとお触れになっておられましたけれども、現在は、いわゆる国有地になっておるわけですね。

玉城栄一

1977-04-08 第80回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第6号

しかもこの中で、第三十二軍の長勇参謀長釜井参謀あてに出した指令などは、何月何日までにどうあってもこの飛行場を建設しろという命令まで出しておる。  さらに、資料にもいま出しましたが、アメリカ軍土地の強奪と旧日本軍による土地接収、略奪との違いがあります。それはいま言いました一切の法的、制度的にがんじがらめになって協力せざるを得ないように追い込まれた、そして協力した。

瀬長亀次郎

1976-10-12 第78回国会 衆議院 内閣委員会 第2号

ところが、その当時の参謀長から命ぜられた神参謀釜井参謀八原参謀、これは高級参謀なんです。その当時の大佐です。この証言も、戦争が済んだら地主にお返しすることを約束しており、厚生省の当時の援護局長がまた認めているわけなんです。これはその当時金を払っていないというのが現実なんですよ。

瀬長亀次郎

1976-10-07 第78回国会 衆議院 内閣委員会 第1号

瀬長委員 これは、釜井参謀の言っているのは宮古飛行場土地問題、それから八原参謀も同じ宮古飛行場の問題、それから読谷の問題がやはり神参謀、この証言、これらは全部そういったような切迫した事態を述べて、土地代は支払われておらないということの証言と、同時に、地主に聞いても、現金を受け取った地主がいません。特に読谷の場合全部そうです。耕作物、芋とかそういったものは代金も幾らか取っております。

瀬長亀次郎

1976-10-07 第78回国会 衆議院 内閣委員会 第1号

秋山説明員 恐らく先ほどの神さんの証言と同じことだと思うのですけれども、厚生省の方からお尋ねになった釜井さんという方の証言で、要するに後で戦争が終わったら返すかどうかということに関しまして、一応ここに書いてあるのは要約でございますが、読み上げてみますと「読谷飛行場の場合は飛行場の性格が恒久的なものであったから、軍において不要となった場合元の地主に払いもどすような条件は付けてなかった。」

秋山雅保

1975-06-13 第75回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第4号

私は、きょう時間がないから、当時その買収に当たった軍隊の当事者たちが何と言っているかということをここで読み上げる時間を省かなければなりませんけれども、一言だけ申しますと、たとえばこれは宮古飛行場買収に当たった元第三十二軍参謀陸軍中佐釜井という人の手記でありますけれども、それには、「戦争がすんだら土地はもと所有者に返される旨説示して住民の積極的な協力が得られたのでありました」ということを言っている

渡辺武

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