2014-11-28 第187回国会 参議院 災害対策特別委員会 閉会後第1号
ところが、この梵鐘は重要美術品でございまして、実際に重要文化財でないものですから、これ補助が出ないというのが現状でございます。これでは困ります。 文化庁にお願いをします。
ところが、この梵鐘は重要美術品でございまして、実際に重要文化財でないものですから、これ補助が出ないというのが現状でございます。これでは困ります。 文化庁にお願いをします。
前回お答えをいたしましたとおり、重要美術品ということが前提でございまして、重要美術品と申しますのは、重要美術品等ノ保存ニ関スル法律に基づくものでございます。
この石塔は重要美術品に指定されているために、返還をするためには文化審議会が可否を判断する手続が必要となるというふうに理解しているわけですけれども、実際に所有している大倉文化財団から文化庁に申し入れがあった場合に、文化審議会で審議する場合に、ここから先は一般論としてお聞きするんですけれども、一般論として、返還を阻害する理由というのは何かあるんでしょうか。
○吉田政府参考人 御指摘の、大倉文化財団所有の五重石塔につきましては、「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」という昭和八年につくられました法律によりまして、「歴史上又ハ美術上特ニ重要ナル価値アリト認メラル物件」ということで、昭和八年七月二十五日付で重要美術品に認定をされております。これは、現在の文化財保護法にいいます重要文化財とはまた異なる種類のものでございます。
御存じのように、北斎の肉筆画八十八点、これは重要美術品でしたけれども、海外に流出したことがありました。けれども、これは文化庁がクリスティーズにクレームをつけて、そして阻止し日本に戻した。戻ったか戻っていないかよく知りませんが、そういうふうに報道ではなっております。そういう意味においては、すばらしいものをそういう形にしておくということはいいことだ、こういうふうに私は思っております。
○中島国務大臣 御質疑を伺っておりまして、こういう問題は重要美術品をめぐることでございますから、やはり早く釈然としたいという気持ちは皆様もお持ちだと思いますので、今政府委員からお答えいたしましたように、奈良博の問題につきましてはしかるべく速やかに明らかにしたい、こういうことでございますので、私もそれを望んでおります。
第一条の目的、それから第四条の公開の義務等々があるわけでありますが、この十寺院の中には相当多くの国宝あるいは重要美術品、重要建物等々を持っておるわけであります。
また出土品が、私も京都の博物館まで見せていただきに行ったのですが、この馬具や鏡も国の重要美術品に指定されて、しばしば京都博物館などで展示もなされておるというようなものだと聞いたのですが、こういうものについてもどうなさるお考えでしょうか。
日本にすばらしいものがあるわけですが、もうほとんど重要美術品に指定されておるものはありません。ですから、いま大手を振ってどんどん外国へ出ていっておるというふうな状況であります。
それから、パッカード氏がアメリカに輸出をいたしましたものの中には、木造倶生神立像というものがございまして、これがニューヨークのメトロポリタン美術館に売り渡しになっておりますが、これは類品もあるということでございまして、重要美術品の認定を取り消して輸出を認めたということでございます。
○政府委員(安嶋彌君) 国宝、重要文化財につきましては海外に流出した事実はないというふうに考えておりますが、文化財保護法以前に重要美術品の保護に関する法律がございまして、現在経過的にこれを文化財保護法対象の物件として扱っておるわけでございますが、その中で六件のものが海外に流出しているというふうに把握をいたしております。
本当に抜本的な改正をするならば、自然的環境、そういうものをもっと別の法体系をつくってはどうかという御意見もございますし、あるいはもっと細かい話になりますけれども、現在、日本の国の中にある重要文化財あるいは重要美術品、こういったものの海外流出についてもっときちっとした、細かい歯どめをするべきではないかというような御意見もございましたし、あるいはまた、具体的に文化財の保護そのものにきちっとした法律をつくるべきだ
○吉田(実)委員 それではひとつお尋ねをいたしますが、選考基準も何も内規的なものはない、こういうことでございますが、四十五年度の文化功労者のある方でありますけれども、この方は、古美術の海外流出の問題につきまして、輸出禁止を旨とする対重要美術品政策は、世界的立場から見れば単なる美術鎖国にすぎない愚劣な政策である、これは学士会の会報に書いておられる方なんですが、私は、この方の美術上における功労についてどうこう
現在重要美術品で七千件ほど認定されておりますけれども、戦後の混乱でもって二千点くらいが所在がわからないというのがございます。これを早く確かめるということがございます。
○柏原ヤス君 くどいような念の押し方ですけれども、完全に優秀な古美術だ、また重要美術品に相当するというものが海外に流出しないとは言い切れないと思うのですね。この点いかがでしょうか。
○柏原ヤス君 重要美術品のほうはおわかりでしょうか。
それから重要美術品につきまして、現在、当面国が買い上げるべきものがどのくらいあるかという御質問でございました。これはどの辺まで押えるかという非常にむずかしい問題がございますけれども、推定いたしまして、約六十件ぐらいあろうかと思います。それの価格も、また推定でございますが、十四億程度を見込んでおります。
その次には、重要美術品が依然として海外に流出しているといわれております。これについての保護対策というものはどうなっているのか。この点をやはり現状を明らかにするとともに、これに対する対策を練る必要がある。
この三十四年の六月の「芸術新潮」の記事、「海を渡った重要美術品」というところに、「先頃、アメリカを一巡してきた美術評論家の河北倫明氏が、各地の美術館をまわってみて吃驚したのは、その日本古美術のコレクションだったという。
関係者はいずれも重要美術品と知らないで売買したと称しておるそうであります。そこでガスキンの手に入って、三十二年の六月に同人がアメリカに帰ったそうでありますが、どういうことで帰ったかはよくわかっておりませんが、その後、三十三年にワシントンのフリアー美術館にパカードと称するアメリカ人から売り込みの申し入れがあったそうでございます。
それからもう一つ下の段階に重要美術品がございます。
○高津委員 それではお伺いしますが、鎌倉時代の重要美術品に指定されておる昭和十三年五月、当時の責任者は奥田誠一氏ですが、瀬戸印刻文瓶という高さ二十七センチのものでございますが、世界陶磁全集の第二巻に載せられておって八十二番という番号が打たれておる。これは重要美術品ですか、鎌倉時代のものですか。
○高津委員 それでは次に、これも鎌倉時代の重要美術品として指定されてある、河出書房の世界陶磁全集第二巻では、八十五という番号が打たれておりますが、瀬戸印刻文百合口瓶、むろんこれは本人が、加藤唐九郎自身が作ったと言っておりますが、重要美術品になっております。そのものの結果はどうでしたか。
○清水政府委員 その今の具体的なお話に入る前にちょっと申し上げることをお許し願いたいのでございますが、ただいま高津先生の方から重要美術品云々というお話がございました。御承知のごとく重要美術品の認定は、昭和八年にできました「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」というのがございます。この法律は、これまた御承知のごとく文化財保護法、二十五年制定の際に廃止になったのでございます。
「文化財保護法の規定によって重要文化財、重要民俗資料、史跡若しくは重要な文化財として指定され、又は旧重要美術品等の保存に関する法律の規定によって重要美術品として認定された建造物」これを防火対象物として政令の中に入れております。
重要美術品に指定され、その後相当な年月がたってから、これは私が作ったものですなんていうようなことを、まるで大地のどん底から幽霊でも出てきたように、加藤唐九郎氏がぬーっと出てきて、やったというわけなんですね。これはちょっといやちょっとどころが、すこぶるおかしい、妖怪物語じゃないですか。ちょいちょい加藤唐九郎先生はソ連や中共、共産圏にお出かけでしたね。
○大谷贇雄君 相次いで重要美術品九点がさらに検討を要するのだと伝えられております。一体、文化財保護委員会には、専門審議会に専門委員の方が委嘱をされてあって、そうしてこれが四つの分科会に分かれていて、それぞれに検討をなさっていらっしゃる。
これも御承知かと思いますが、重要美術品に認定されたるものは当時の社会情勢から、非常に外国へ出る。外国へ出さないで、一時これを仮指定的に認定いたしまして、そうしてゆっくりこれを調査研究をして、そうして当時の、国宝にするものはする、できないものはできないで落とすという意味でもって、重要美術品に認定されたものはあります。
何のために日本の重要美術品を返し、一方的な財産権の放棄までしたのです。拿捕はしないという約束のもとに拿捕されたというならば強硬に主張すべきだ。その指標は一体どっちなんだ。私はこういうことで声を大にして言うのは国民的な憤激をあなた方にぶちまけているのです。これはほんとうですよ。こういう処置をとらざるを得なかったというならば私は了としたい。
これまでのように、平和的な解決々々と言って、譲歩に譲歩を重ねて財産請求権も放棄した、今申した重要美術品も返した、李ラインでどんどん拿捕されておる、こういうことを続けてなお将来に希望を持っていくということが一つでしょう。
こっちの方は友好的な雰囲気が作られると言って、重要美術品を国民にも公表せずに百六点を返しておきながら、しかも向うでは依然として李承晩ラインというものによって漁船をどんどん拿捕していくということであるなれば、対等な立場で、平等な立場でこの友好的な雰囲気が作られるのではなくして、全く一方的な屈辱的な犠牲のもとに話が進められると言っても、私は過言ではないと思う。