2021-05-06 第204回国会 参議院 法務委員会 第11号
光母子殺人事件とか酒鬼薔薇とか、自分も子供が、もう今二歳の子供がいるので、同じことになったら本当に殺してやりたいなと、仕返しをしてやりたいなという気持ちにはなるんですけれども、僕が思うのは、もう、ちょっと話、ずれてしまいましたね。 その話になってしまうことで、今回の改正の場合って、それに、何というんだろうな、結局罪名で振り分けられてしまうようになっているところが問題だと思っています、僕は。
光母子殺人事件とか酒鬼薔薇とか、自分も子供が、もう今二歳の子供がいるので、同じことになったら本当に殺してやりたいなと、仕返しをしてやりたいなという気持ちにはなるんですけれども、僕が思うのは、もう、ちょっと話、ずれてしまいましたね。 その話になってしまうことで、今回の改正の場合って、それに、何というんだろうな、結局罪名で振り分けられてしまうようになっているところが問題だと思っています、僕は。
酒鬼薔薇聖斗事件が起こりましたよねと言うんですね。結局は、未曽有の社会不安とかそういうことがあったとき、子供たちは物すごい不安なんですね。これは安易に結び付けるわけにはいきません。しかし、子供たちの状態が非常にストレスフルで、どこにも話せないと。自分の思いのたけを聞いてくれる人たちも実はいないと思っている。
それが酒鬼薔薇聖斗なんですよね。彼の中ではもう一貫していたんですよ。 だから、そのことが、問題なのはそこで完結せずに、一九九九年から二〇〇〇年にかけての十七歳の犯罪と言われた、例えば愛知県の豊川で主婦を殺害したその当時の十七歳の青年は、犯行をした後に自分で、その今言ったホーリーネームというのは自分で付けているんですよ。
○国務大臣(谷垣禎一君) 今、有田委員の酒鬼薔薇事件の分析等を伺って、大変勉強になったなと思っております。 それで、私も世間の耳目を聳動するような犯罪事件というのは非常に影響があると思うんですね。伝播すると言っては適切ではないかもしれませんが、そういう力を異常な事件というのはしばしば持っているだろうと思います。
いわゆる酒鬼薔薇事件とマスコミなどは言っています。あるいは少年Aの事件などと報道することもありましたけれども、この神戸の当時の事件についての概要についてお示しください。
井垣康弘さん、これはあの酒鬼薔薇事件の神戸家裁当時の担当裁判官でありますけれども、「少年裁判官ノオト」という本を書いておられて、その中に、少年審判は、裁判所内部には、そのまま読みますと、裁判所内部には、嫌な言葉だが、子供の事件は子供にやらせるという言い方があると。子供というのは経験の浅い若手の判事補、三十歳前後に任せると、こうなっているんです。
あのときも、前にいわゆる酒鬼薔薇聖斗事件とかそういったものがございまして、それから、幾つかどうも認定の中で必ずしも事実関係、少年の保護という点ではいろいろ考えたかもしれないけれども、事実関係の認定が不十分であったのではないかと指摘されるようなことも起きてまいりまして平成十二年の法改正になった。それで、今回でございますから、制度も少しずつ変化してきていることは事実でございます。
それを後にどう変えていくかということは、例えば、同じ年齢で起こした、神戸の児童連続殺傷事件、酒鬼薔薇聖斗と名乗った、彼の場合は、七年かかって赤ちゃんからの育て直しをやりました。お母さん役、お父さん役ですね。あるいは、佐世保の小学六年生が同級生を殺害しましたが、この子の場合も赤ちゃんからの育て直しをしました。
もうその方は、大塚先生は、酒鬼薔薇の事件ですとか長崎の事件のところへ行かれて、その学校には花がないと言うんですね。花をやっぱり育てる、そういうところからやりますと、美しいものを美しく、そして、そんなのを踏み付けたらもう全部駄目になるんですからね。そういうようなことをやってやりますと、瞬く間に良くなって、また知識も学力もぐっと上がってきたと。
しかし、この十年、これからの十年、今までの十年は、神戸市の酒鬼薔薇殺人事件始め、長崎での男子誘拐殺人事件とか、もう本当に毎年のように嫌な事件が起こっております。 そして、二ページ目にお示しをしましたが、学校のいじめ、暴力等の状況でございます。
この写真の中に、これは平成九年の五月二十五日の酒鬼薔薇聖斗事件の学校の塀が見えますが、そこにいわゆる子供さんの首がのせられてあったという大変痛ましい、学校を日刊スポーツが当時撮った写真なんです。この写真を、これらのことをこの中に見ていただきたいんですが、玄関の下にプランター、植木鉢があります、ところがここにはもう半年も一年も前の枯れた花しかありません。見てください。
酒鬼薔薇聖斗の、土師淳君が亡くなって以来、これが平成九年ですから、平成十五年には、私の住んでいるところの長崎、そこの西浦上中学校の、種元駿ちゃん、さらに平成十六年、これは御手洗怜美さんが同じ小学校六年生の女の子に殺されるという痛ましい事件が起こったわけですが、こういうふうに非常に次々と子供の凶悪事件が起きてきているわけです。
ちょっと参考になるお話をさせていただきますが、つまり、地域のボランティアその他、連携でいろいろ子供を見守るということは当面大切なことであると思いますが、一九九七年に神戸で酒鬼薔薇事件というのが起きまして、大変残忍な事件でございました。
ちょっとお話をお聞きしながら、私、多分今から三、四年前に酒鬼薔薇事件の起きた町を訪ねるという機会がありました。自治会長さんが迎えていただいて、保坂さん、では今から案内しますが、このビデオを見てくださいとビデオを見せられたんですね。そのビデオは、NHKの「ご近所の底力」というビデオだったんですね。これはその事件と何の関係もないんですね。むしろ空き巣のない町ということで取り上げられていたんですね。
インターネットのこの書き込みの中でも、酒鬼薔薇聖斗を見かけたら書き込んでくれというのがありますね。こういう感じでどんどん書き込まれていく。これを見たら、国民みんなが興味本位で男性捜しするみたいな、物すごく嫌な格好になるんじゃないかなと。 だから、法的拘束力のない段階で法務省が公表に踏み切ったというのは、本当にこの少年の更生にとっていいのかなと。
そして、神戸でのあの酒鬼薔薇聖斗の連続児童殺傷事件、その前から、今の少年非行の深刻化、あるいは少年に対する、現在も非常に問題となっていますけれども、加害行為の問題、こういったものについて、当時においても非常に危機的なレベルにあるというような認識を持っておりました。
あの九七年の酒鬼薔薇事件、神戸で起こりました。それから、またいろいろな事件が、少年犯罪が起こっておりますけれども、今回のが中学校一年生ということで出まして、しかもそれが、幼児を性的な恐らく嗜虐の観点から、しかも男の子が男の子供に対してやったということに対して、普通、中学校に上がったら、大体にきび面して、にきびがいっぱいできて、あの女の子はどうのこうのとか、いろいろな、思春期ですから。
ただ、正直申し上げて、この有識者懇談会の前に、酒鬼薔薇事件の後に既にもう有識者懇談会が開かれているんですよ。そして、その報告を出したけれども、出ただけで何もやっていないんだ、実は。それが現実ですよ、今の政権与党の。 そして、鴻池大臣がどういうことを考えておられるかわかりませんが、ちょっと週刊誌の記事で、ある方の親御さんのあれが出ているんです。
委員長申されましたけれども、私は、ある映画監督が、日本人は魂を見極める気力を失ってしまったと発言をされまして、確かに、この手のひらに生きとし生けるものを見詰める、これさえもう少しチャンスを与えてあげれば、酒鬼薔薇の事件にしても、およそこの凶悪事件は、完璧に人間の社会でございますからなくすことはできないにしても漸減さしていくことができるのではないかと考えておりまして、そうした意味で、官民の力の結集と、
平成九年に起きました神戸の小学生の殺傷事件、いわゆる酒鬼薔薇事件でありますけれども、この真の犯人は権力であるというふうに言っておりまして、それを彼らなりに証明しようということで、犯人の少年の検事調書を兵庫県内の病院から盗んでおります。
かつて、宮崎勤の事件があり、酒鬼薔薇事件があり、これはもう六年前のことでございますけれども、だんだん青少年の犯罪が低年齢化、凶悪化している、日本の社会の病弊がここまで来たかと深刻に受けとめた次第でございます。 皆様御存じのとおり、こうした性的サディズムに起因すると言われます犯罪の一番最初の兆候は、この三つの事件に共通したものがございまして、それは動物虐待から始まっていると言われております。
これは一概に結びつけられないかもしれませんが、かつて起こった酒鬼薔薇聖斗事件、あるいは、これは豊川市の高校生でございましたか、格闘ゲームが好きで、テレビゲーム、そして人を殺す経験を実体験したかった、実際に人を殺すことで自分が成長できると納得して、そして若い人を殺しては済まないから高齢者の御婦人を殺してしまった、そういう事件もございました。
昨年のゴールデンウイークのときに、佐賀県、福岡県で、バスジャック殺人事件というのが十七歳の少年によって引き起こされたわけでありまして、この年齢層の犯罪事件としては、豊川の、それこそ人殺しを経験してみたかったという大変びっくりするような事件、そしてまた、その前ですと神戸の酒鬼薔薇事件、いろいろなものがございます。
十二ページですか、これは、O157やJR列車防護無線盗難事件や警察庁長官狙撃事件や神戸の酒鬼薔薇の事件を、「革命的左翼の壊滅や危機管理体制の強化などを目的とした国家権力の謀略である」ということを言うわけですね。それで、現実にしたことは、先ほどの住居侵入等々はお茶の子さいさいだという設備をもって酒鬼薔薇の検事調書をとって文芸春秋に掲載したということが起こりました。
それは多分、九七年の神戸の酒鬼薔薇幼児殺しという非常に衝撃的な事件が起きて、これがかなり世の中にショックを与えた。新しい現象の事件だったと思います。その後、連続していろんな、その性格は違いますけれども、過激な事件が出てきたということが引き金になったと思うんですよ。 少年犯罪がふえていると言っても、九〇%は軽犯罪ですよね。内容はもうほとんど自転車泥棒とか単車泥棒とかという段階なんですね。
それでは、その世論をつくったマスコミ報道という問題を少し述べてみたいと思うんですけれども、最初にマスコミ報道、要するに少年の凶悪犯罪キャンペーンというものが盛んになったきっかけはやっぱり一九九七年の酒鬼薔薇事件ですね。十四歳の少年が小学生の首を切ってしまったという非常に猟奇性のある衝撃的な事件、あれは確かに今までにない形でした。
これは人格障害とか精神病とかにまつわるような大変難しいところですけれども、これはもともと酒鬼薔薇事件、神戸の中学生ですね、この十四歳の少年が医療少年院へ行ったと。これは専門的な検査が必要だということはだれだってわかるような事態ですから、これも適切な処置だったと思いますし、またその後、それに触発された愛知県の豊川市で主婦殺人事件というのがあります。
それから、酒鬼薔薇事件などの場合ですが、日本以外の国ではすべて、持続性の男性ホルモン抑制剤の使用が異常性犯罪者に対する治療の常識になっています。出所後、こういう制度を採用するということで、外来通院によって軽微なうちに重大犯罪への発展を予防し、または再犯を予防することが可能だと思います。
神戸、いわゆる酒鬼薔薇事件、少年の犯罪があったわけでありますけれども、あれも、そうした被災された方々の悲惨な状況だけじゃなく、実はそれ以外の日本社会の全員が同じように悲惨な状況にあって、この社会を何とかしなければならないという、あれは一種のメッセージともとれると思うのですね。