2021-02-26 第204回国会 衆議院 予算委員会第六分科会 第2号
選挙区も特に島もないところなのに、なぜ離島振興をやっているのかというふうに聞かれることも多いんですけれども、実は、地元の兵庫県尼崎市というところが阪神工業地帯の非常に中心的なところでもありましたので、離島出身の方が実は結構多くて、特に奄美群島ですとか鹿児島方面の離島の方あるいは沖縄の方、そういった島出身の方が多い地域、そういうこともありまして、県人会ですとか、あるいは郷土会のようなものが大変盛んに行
選挙区も特に島もないところなのに、なぜ離島振興をやっているのかというふうに聞かれることも多いんですけれども、実は、地元の兵庫県尼崎市というところが阪神工業地帯の非常に中心的なところでもありましたので、離島出身の方が実は結構多くて、特に奄美群島ですとか鹿児島方面の離島の方あるいは沖縄の方、そういった島出身の方が多い地域、そういうこともありまして、県人会ですとか、あるいは郷土会のようなものが大変盛んに行
一説によると何万人かいらっしゃるんじゃないか、こういうお話もございまして、県人会など、郷土会、こういうものも大変に盛んでございますし、奄美の民謡、芸能といった取組というのも非常に盛んだ、そういう地域であります。
私、地元が兵庫県尼崎市ということで、なぜ兵庫の人間が奄美の世界自然遺産登録の質問をするのかという御疑問もあろうかと思いますけれども、地元に奄美群島の出身の方が非常に多い地域でもございまして、阪神工業地帯の中心地だったということもありまして、大変に出身の方が多いということで、よく県人会であるとか郷土会、こういうものも開催をされております。
農商務省に二年ぐらいして法制局に行ったんですけれども、その後、柳田国男と一緒に、新渡戸稲造とかそういう人たちと郷土会というサロンをつくって一緒に活動していた人です。柳田国男、石黒忠篤、それから戦後農地改革をやった和田博雄、それから小倉武一、東畑精一、その間に河上肇という人も実は農政学というのを書いています。
これは何かと申しますと、私の地元は兵庫県の尼崎市というところでございまして、私の地元で世界自然遺産登録の動きがあるわけではないんですけれども、尼崎市というところは、阪神工業地帯の中心地でございましたので、奄美大島を初め、奄美群島の出身の方というのが実は大変に多い、こういう地域でございまして、よく、地元の郷土会、郷友会、こうしたものが尼崎を中心に開かれていて、大変にふるさとを大事にされる、そしてふるさとへの
その仲間で、郷土会等で勉強している内村鑑三さんが「代表的日本人」というのを書かれる。明治三十二、三年ごろですから、ヨーロッパ文明というものとのまさにせめぎ合いというものの中で、そして日本がそれを受容しながら、そこで日本のアイデンティティーとの葛藤があったと思うのですね。
交通公社との提携によります農業体験事業についての大変ありがたいお認めをいただきましたが、これは実は東京及び東京近郊におります私どもの町出身者の郷土会がございます。
地元としては、また大田区の郷土会としても、昔からの由緒あるところだけに、史跡をぜひとどめるようなそういう小公園をつくって後世に残したいという願望もあります。 したがって、旧六郷橋撤去の際に、文化的遺産となる標柱や欄干など、後世に残したいものがいろいろありますので、工事によって破壊することなく、完全な形で地元へ提供していただきたいというふうに考えておりますけれども、その点はどうでしょうか。