1992-03-26 第123回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第5号
○政府委員(造酒亶十郎君) 基地の問題につきましてはそれぞれ所管の省庁がございますので、やはり私どもが中心になるというわけにはいかない、かように考えているわけでございますけれども、私どもといたしましても振興開発上必要なものにつきましては整理縮小方あるいは返還方をこれまでも関係の省庁にお願いしたこともございますし、また今後ともそのような方向で臨んでいかなければならないと考えているところでございます。
○政府委員(造酒亶十郎君) 基地の問題につきましてはそれぞれ所管の省庁がございますので、やはり私どもが中心になるというわけにはいかない、かように考えているわけでございますけれども、私どもといたしましても振興開発上必要なものにつきましては整理縮小方あるいは返還方をこれまでも関係の省庁にお願いしたこともございますし、また今後ともそのような方向で臨んでいかなければならないと考えているところでございます。
○箭内説明員 多摩サービス補助施設につきましては、従来から地元の皆様からたび重なる返還方の要望がございましたので、防衛施設庁といたしましては、施設特別委員会におきまして、非公式に米軍の本施設の返還についての考え方を打診したことがございます。米軍といたしましては、本施設の有効利用を今後も継続していきたいという趣旨でございまして、返還に対する考え方はきわめて否定的でございます。
そして外務大臣もまたは図書館長も、この問題について返還方あるいは収集方についての措置をとりたいということを発言をされたわけですが、この占領中のとられた措置について、その後どのように収集をされたのか、報告を図書館長からお聞きをしたいと思います。
しかしながら、先生御指摘のように、数年来地元からの強い返還要望がございますので、当庁といたしましては、機会あるごとに米軍に対して返還方を申し入れたのでございますが、米軍は現在内部で検討中ということで、いまだにその回答を得ていない状況でございます。
それから、北方諸島におきまして拿捕されている日本漁船、漁夫の問題、これはすでに請求権留保を行ないまして、返還方を要求しております。 ただ、北の問題は、わが国の北方領土に対する領土問題、それに対するソ連側の態度、こういうことによりまして問題が複雑になっております。したがって、わが方は請求権を常に留保しておりまするけれども、実際にソ連側が損害賠償したという例はまだございません。
それがまとまり次第、この分についても追って米側に返還方を要求していくことといたしたいと思います。 先生おっしゃるように調査団を派遣するかどうか、まあこれは関係各省とよく相談をしてみなければならない問題だと思います。
べになりました、わが上野図書館を継承いたしました国立国会図書館の目録になくて、警保局の発行いたしました目録に載っておるもの、すなわちアメリカ議会図書館にあると推定されます図書の洗い出し作業をいたしまして、その結果、安寧秩序に関するものが千三百六十三、風俗に関するものが四百七十三、計千八百三十六冊の本がわれわれといたしましては非常な関心を持つ図書ということでございますので、その結果を外務省に申し上げまして、その返還方
次に、ゴルフ場その他提供した施設、ことに多摩弾薬庫につきましてのお尋ねがございましたが、これはかねてから地元公共団体等からも返還方を要望されており、政府といたしましても、早期返還に努力してきたところでありますが、現段階では、まだ返還の見通しは立っておりません。したがいまして、あと地の利用方法につきましては、具体的な検討を行なう段階に至っておりません。
一号から三号の防衛庁のほうだけが返還されるというのは、確かにこれは不合理である、まあタイムリミットもあろうけれども、とりあえずもう一ぺん強力に四号、五号も同時に返還方をアメリカと交渉してみようということになったわけです。その後の交渉の経過並びに結果は、簡単でよろしゅうございますけれども、どうなったでしょうか。運輸省からまずお聞かせください。
二、上水道事業に必要な水量を確保するために与座川水源の返還方について関係当局に接渉していただきたい。 三、農村部落経営の簡易水道の施設改善に要する経費に補助金を交付していただきたい。 一九七〇年十一月二十八日 糸満町議会 こういうのが出ております。
外務省は時折りソ連に向かって返還方を要求するにはする。しかしソ連はノーとはねつけるか、要請に見向きもしないか、二つに一つである。ガイムショウの外交官は肩をすくめて、またもや沖繩に君臨する米人の問題にとりかかる。」
大阪の大正第一突堤に車両が七台あったわけでございますが、これにつきましては、労組側の二人の見張り員がおりましたのですが、会社側から返還方を要求いたしましたところ、一人は逃走して、一人はこれを拒否した。その後、任意出頭を求めましたが、途中からこの拒否した方も逃走しております。エンジン・キーは同所にはなかった。したがって、車両は検証後会社側が合いかぎを使用して持ち帰った、こういうふうに聞いております。
だから大臣、この問題は外交ルートを通じまして——まぼろしのフィルムの問題については、ああいうふうに上映についてはいろいろ議論がありますが返ってきておるわけですが、当時の広島、長崎の米穀通帳が返ってまいりましたら一これは、被爆の実態を調査しようと思ったアメリカが、これはよりどころになるというので持って帰ったあれがあるわけですから、外交ルートを通じてこれの返還方を求めて、そしてあるならば返還をしてもらって
もし正式に市のほうから、具体的な事業計画をもちまして、そのような希望がありましたときには、私ども検討いたしまして、防衛施設庁を通じまして、米軍側に返還方の申し入れをするという段取りになろうかと思います。
それから国後、択捉につきましては、もともと日本の領土でございまして、これが日本に返還方を強く要求しておりますが、不幸にして日ソ共同宣言の交渉におきましてこの話がつかなかったところでございますので、これは平和条約まで継続審議という形になっております。その意味で、日本政府といたしましては、あくまでその継続審議というたてまえのもとにその返還を強く要求していくということでございます。
そこで私は、もう三、四年前になると思いますが、この雁ノ巣の返還方について当内閣委員会で問題を取り上げました。そのときの政府の答弁は、善処をしてみるという意味の答弁をいただいたわけです。ところが、最近この雁ノ巣の飛行場についての地元の方々の返還連動が起こって、実は問題がここに新しく出てまいったわけであります。
そこで、当庁といたしましては、さっそく施設特別委員会を通じまして米側に全面返還方を提案したわけでございますが、昭和三十五年の五月には、米側からどうしてもこの広弾薬庫は必要であるから返すわけにはいかない、代替施設を提供してもらうなら考慮する余地があるという回答がまいったわけでございます。
にわたりまして申し上げたような観点からも重大な関心があるという、そういう角度から、文部大臣は、外務省もお見えになっておりますが、外務大臣その他とも十分連絡をとっていただいて、このような歴史的な遺産である原爆フィルム、言うなれば国民的な遺産でもあるわけですが、人類の平和と幸福のために役立てるような、そういう意味において非常に重要なそういうものであるフィルムについて、アメリカに対しまして、私は外務省を通じて正式に返還方
○国務大臣(上原正吉君) 射爆場の返還は、御承知のように、長い間の懸案でございまして、一日も早く解決したいと考えまして、就任早々、実はライシャワー大使に面会を求めまして、返還方を懇請いたしたわけでございます。
○石野委員 これはいずれにしましても、あとでまた私は委員会でも論議していただかなくちゃいけないと思いますし、防衛庁長官が参りますればその事情等ももう少し詳しく聞かなければいけないと思いますけれども、射爆場については、ぜひひとつ返還方についての長官の努力をお願いしたいと思っております。 それで、炉の規制に関する法律の一部を改正する法案に関して、私は二、三質問したいと思うのです。
したがって、内閣全体のレベルにおいて閣僚が協力して、返還方について一段の努力を払うべきだ、かような認識に立ってあらためて措置を講じつつあるわけでございますが、主管といたしましては、何と申しましても防衛庁関係になりますので、私どもとしても防衛庁長官をバックアップいたしまして、何とかひとつすみやかに結末をつけたい、かように考えておるわけでございます。