2020-01-17 第200回国会 参議院 外交防衛委員会 閉会後第1号
大臣は、イランの国防軍需大臣に電話されていますけれども、そのときに理解、同意を明示に取っているのかどうか、イエスかノーかで、で、取っているのであれば、どういう内容で取っているかをお答えください。
大臣は、イランの国防軍需大臣に電話されていますけれども、そのときに理解、同意を明示に取っているのかどうか、イエスかノーかで、で、取っているのであれば、どういう内容で取っているかをお答えください。
実は、もっと正確に言えば、軍需大臣は、東条内閣の後半におきましては東条さんが兼ねておりました。そして、軍需次官国務大臣というのが岸信介さんの東条内閣の後半のお立場だったんです。 私がもう一つ申し上げたいのは、これは読売新聞のナベツネさんから聞いた話なんですけれども、岸さんが、(発言する者あり)渡辺恒雄さんですね、失礼いたしました。
記録によりますと、鉄道大臣、軍需大臣、続いて商工大臣と三回やられておるということですが、私から見ると、ぜひ大臣も一回だけじゃなくて四回くらいやっていただきたいという激励を申し上げたいのですが、ひとつ決意のほどをお聞きしたいと思います。
次に伺いますが、これは当然ダイヤの処理にあたって結論が出されなければならない問題でありまするので、国有財産局長に伺っておきますが、戦時中に皇室から軍需大臣に対して下賜されたダイヤモンドが三千五百九十一個、百十一・八五カラットありました。それからプラチナが百十一匁三八あった。それから金が一匁二六。
すなわち、岸総理は、カルテル法といわれました重要産業統制法のそもそもの立案者でありましたし、昭和十一年には、商工省工務局長として、さらに同法を改正強化し、戦時中は、商工大臣、軍需大臣として、大企業を中心とした統制経済の総指揮者であったのであります。
(拍手) 最後に岸総理に一言申し上げておきたいことがあるのであるが、あなたは、戦前・東条内閣において戦争を推進し、時の軍需大臣として、東条総理以上の主戦論を展開し、戦いに負けては、上等兵や伍長が戦犯として生命を断ったにもかかわらず、免れて釈放され、戦後は、百八十度転換して、自由と平和を看板に、民主主義の洗礼者であるとうそぶき、総理となっては、去年の暮れ、あなたが政治生命をかけたあの警職法の廃案に際
私はフィリピンと鉄鋼三社と木下さんともとの軍需大臣であった岸さんとの関係を考えてみると、そういう疑惑は当然起きると思うのです。私は岸総理大臣の答弁を求めます。
その日記の中の二百九十九ページ、九月四日というところに、これはあなたが軍需大臣をしておられるころです。「岸は」——そう書いてあるのですから、失礼ですがその通り読みます。「岸は在任中数千万円、少し誇大に云えば億を以て数える金を受けとりたる由、而もその参謀は皆鮎川にて、星野も是に参画しあり。結局此の二人の利益分配がうまく行かぬことが、内閣瓦壊の一つの原因でもあった。
私はなるほど軍需大臣の時代に鉄鋼統制会というものを作り、統制会の役員で、今名前が上っているような人が関係をしておったということは事実であります。しかし私がかるがゆえに今お話のような疑惑を受けるというようなことは、いかなる根拠によるか、全然私には理解できませんし、私としては断じてそういうことがないということを明確に申し上げておきます。
さらに韓国日報においても、その翌日の十五日に、これはあなたに対してはまことに失礼ですけれども、東条内閣の軍需大臣を歴任した岸氏を相手に進展のない、無意味な韓日会談をこのまま継続するべきかどうか、政府当局の再考を望む、これはごく一例であります。こういうことを言っておるのであります。さらに友好な雰囲気と申しまするけれども、あの六月に拿捕されました第二星丸の事件を何と見られますか。
それはあの改造社から翻訳出版され、私が戦争中に北先生におすすめして、北さんが当時それを藤原軍需大臣や東条総理に読むことをすすめたというのでありますが、これにも、あの民主主義のイギリス国においてすら、もう少しで軍のクーデターが行われようとした事実があるのです。
蕭何はいわゆる軍需大臣、運輸のことや食糧のことをみなつかさどった大臣で、これが勲功第一で、当時の人を驚かしたということは、十八史略にもすでに書いてあるところであります。日本はあまり軍需大臣というものに重きを置かなかった、私はやはりこれに非常に重きを置かなければならぬと思う。
○北委員 御承知のごとく戦争が始まれば、どこの国でも軍需省というものができて、軍需大臣ができるのでありますが、この国防会議法案では軍需省や軍需大臣を予定しておらぬ。これは私は仮の国防会議法案だと思う。戦争が起きないときを見越したもので、戦争が起ったせつなには軍需省ができて、軍需大臣ができて、これが国防の補給の第一線の責任を持たなければならぬと思う。
例えばこれは戦争中の話でありますけれども、国内の制鉄業には外国炭でなければならんという話がありましたときに、これには藤原軍需大臣が北海道の石炭でどうしても間に合せようというのでやつたこともあります。
ただいまあなたのお話を聞いて、ややわかつて来たのですが、当時閣議でそういう話が出て、そうして一応軍需省もそういう例にならわれて、いわゆる軍需大臣命令を出そうとしたけれども、やはり同じような過程において押えらておつたのです。これが誤り伝えられまして、全国に散在しておりましたすべての物資がかつてに処分されたことは御承知の通りであります。
通産大臣は軍需大臣でもないし、国防大臣でもないのであつて、通産を進めればいいのだから、この点については通産大臣として遺憾の点があるに違いないと私は思う。これじや困るというお考えがほんとうはあるだろうと思う。それを正直にこの委員会なんかでは言うて、通産大臣としての識見を国民の前に明らかにせんといけないだろうと思うが、これはどういうようなお考えでしようか。
私がさつき言うたように、通産大臣は軍需大臣でもなければ、陸軍大臣でもない、産業の大臣なんだから、その識見としてどう考えておられるか。これは抽象論のようでありますけれども、そうでない。そこがしつかりしませんと、どんなに言うても、日本の経済、産業というものは立ちはしません。
でありますから、大臣の、今の段階においてはそういうことはないということは了承しますけれども、現在の武器等製造法はそういう一つの必然性を持つておるのだ、氷山の一角が現われたのだ、今通産大臣小笠原三九郎と、こう言つておりますが、やがては軍需大臣小笠原三九郎と、こう看板が塗りかわる日が来るかもしれない要素を内容に持つておるのだということを、私ははつきりと断言せざるを得ないのであります。
当時たしか軍需大臣が藤原さんだつたと記憶いたしておりますが、私は二度ほどお小言をちようだいいたしたのであります。もつと手ぎわよく早く仕事をしろ、こういうことであつたのでありますが、とにかく非常な人気であつたのであります。 そこで、百貨店におきましては、当時各階に便利な買上所というものをつくりまして、お客様と直接折衝をいたしますのは、大体金属関係の番頭さんたちが当つたのであります。
○佐々木(秀)委員 死んだ人はいたし方ないといたしまして、橋井さんという人が、当時のいわゆるこのダイヤを工具に使う方の軍需省の責任者、その方に報告が参ることは当然でありますが、あなたは、先ほどの証言の中に、ダイヤの買上げが、非常に鑑定が遅れて、軍需大臣からおしかりを受けたこともあるということでありますので、たまたま軍需省にもおいでになつたと思いますが、当時の機械局長でありました橋井さんにお目にかかつたことがありますか
普通陸軍、海軍に工業用ダイヤが八万カラット余もあれば、軍需大臣は東条英機ですから1内閣総理大臣であり、陸軍大臣であり、軍需大臣であり、大東亜大臣であり、一世の権限を一人で掌握しておつたのです。従つて自分にその意思さえあれば、軍需省が必要なものであれば、陸海軍からまわしてもらうのがあたりまえなんです。それを生命財産と人間は一口にいいますが、その生命に次ぐ財産です。
○明禮委員 しかし、証人は、機械局長におなりになる前には軍需大臣の秘書官をされておつた。軍需省におられたわけであります。それから、二十年の三月二十二日ころでありましたか、あなたが機械局長に栄転されました時分には、おそらく就任と同時に、かかる大きなダイヤの買上げがあるということは、少くとも御承知になつたことでありましよう。
実は軍需省でも、このような御下賜品をいただいて、当時藤原軍需大臣はこれに対する謹話を発表しております。しかもその後の官僚たちの操作がまずかつたのか、あるいはどういう考えでありましたか知りませんが、ダイヤモンドの数もはつきりいたしませんし、ダイヤモンドの処置もわかつておりません。特に私らが関心を払いますことは、白金がどうなつたかということで、これが明確でないのです。
むろん当時あなたがお係でしたから、出した後において、あるいは出す際に、その形とか、中にはめられております宝石、あるいはダイヤ、あるいは地が白金であれば白金の目方、こういうようなものは、お下渡しになれば、軍需次官あるいは軍需大臣よりお礼言上に参つておるのでありますから、それぞれの事務当局には御報告があつたものと私は思うのでありますが、この点についてはいかがでしようか。
○中野(四)委員 今のお話によりますと、陸海軍には相当数の工業用のダイヤがあつたことをお認めでありますが、当時の軍需大臣は、あなたが秘書官をしておいでになつた独裁宰相と言われるような東条英機さんであつたはずであります。
○内藤委員長 あなたの御証言を聞いておると、軍需大臣は東條英機の兼務であつた。東條というものは当時の独裁者のようなものだ。その力をもつてして商工省なんか動かすことはできなかつたのですか
○私市証人 当時の軍需大臣は東條内閣総理大臣の兼任でございます。それから国務大臣岸信介氏が軍需次官をしておりまして、その後竹内可吉氏が軍需次官になられました。
その次に発電水利に関する監督でありまするが、これは水利の関係は御承知のように河川法に基きまして、河川管理官庁である都道府県知事が水利権の使用の許可をやるということになつておりますけれども、昭和十九年の軍需大臣訓令によりましてこれはまあ現在でも生きておるわけなんでありますが、知事は五百キロ以上の発電使用の許可を行う場合には予め電力の主管大臣である通商産業大臣に稟伺をいたしまして、使用を認めたらよいか悪