2008-04-15 第169回国会 衆議院 環境委員会 第5号
西田幾多郎先生の歌碑でありました。それを見ながら、西田先生は、自己の主体性というものを非常に尊重されながら、海外のいろいろな思想、哲学を参考にはしつつも、みずからの道を追い求められた方なんだなということを改めて感じたわけであります。
西田幾多郎先生の歌碑でありました。それを見ながら、西田先生は、自己の主体性というものを非常に尊重されながら、海外のいろいろな思想、哲学を参考にはしつつも、みずからの道を追い求められた方なんだなということを改めて感じたわけであります。
安藤忠雄先生がつくられた西田幾多郎さんの哲学館にもローカル線で行ってまいりましたけれども、町並みも、古いものと新しいもの、すばらしいし、私の新潟県にも、それから河本副大臣のところにもすばらしい文化があって、そちらは科学技術のSPring8がございますね。私も大臣中あっちこっち、本当に現場を見せていただいた。
また、先ほど先生の方からお話がございました西田幾多郎哲学でございますけれども、あの李登輝さんも門下生といいますか、そういったところから、アイデンティティー、そしてナショナルアイデンティティー、これによって新台湾人というまさにナショナルアイデンティティーを構築された哲学者の一人ではないかなというふうに考えているわけでございます。
○松本参考人 アイデンティティーという言葉は確かにこなれの悪い言葉でありまして、戦前にも、西田幾多郎という日本哲学、東洋哲学を代表する哲学者が自己同一という言葉を使いました。これは何が何だかわからないんですね。優しく言うと、自分が自分であることということを自己同一性という言葉で言いました。 私たちが考えるのには、国民的な一体感というものがどこにあるか。
学校の成績は落第坊主でありますけれども、その間に、当時はカント、ヘーゲル、フィヒテ、シェリング、これらあたりが中心で、現象学のフッサール、ハイデッガー、ベルグソンまで、あるいは日本で言うならば田辺元、あるいは西田幾多郎、高山岩男、高坂正顕等々、いろいろな楽しい本を読んでおりました。したがって、戦中から戦後にかけてでありますので非常にかつえてはおりましたけれども、精神は非常に楽しゆうございました。
あの人は京都大学の出身で、前にも申したかもわかりませんが、西田幾多郎先生に大変私淑しておられるという立派な方ですから、そういうことで日本は江沢民さんと今度APECで会って、徐立徳さんの問題はまだ解決はしていないと思いますが、私はそういう意味で日本の政治的な指導者は、東洋は東洋のことなんだからそういうことでお互いに話し合う機会、その仲介の労をとる、お互いにけんかをし合う仲をだれかが中へ入らなかったらこれは
そのときに私が非常に感銘したのは、この方は西田幾多郎先生を最も尊敬する門弟であるということで、西田哲学に大変に畏敬の念を持っておられる。端々にこの西田哲学の言葉を挟んで我々にお話をしていただいたわけであります。 東洋道徳というのは、御承知のように東洋の一番真髄は何かといえば徳です。私はモラルだと思っています。ですから、そういう意味で日本がその仲介の労をとることが私は非常にいいことだ。
あるいは相矛盾するならば、西田幾多郎先生の絶対矛盾的自己同一、まあ西田先生の専門であったときもあったんですから、どうしても西田先生の言葉を一つぐらい言わなければならないと思ったんです。でも、どっちかというと、表面で矛盾だと思っても、やっぱり両方でやることによってそれは実際というものですよ、現実だということ。現実は矛盾だらけ。それでやりながら、それ人間の人生だということ。
○国務大臣(中曽根康弘君) 西田哲学の有名な西田幾多郎先生が、自由、平等、博愛ということに対して、自由の背後に責任あり、平等の背後に差等あり、そういう言葉を言ったのを私、昔、本で読みました。やはり自由の背後に責任というものがなければ本当の自由は成立しない、平等と言っても悪平等は本当の平等ではないんだと。人間おのおの天から与えられた生理的機能もあるし、職分というものがあるであろうと。
和辻哲郎、それからゲーテを研究した木村謹治博士、仏教の宇井伯寿、それから社会学と経済学の高田保馬博士、それからマルクス経済学の河上肇博士、西田幾多郎博士、阿部次郎、穂積重遠、フランス文学の辰野隆、まだ幾らも続きますけど、どんなに続けてみても教育学の分野でそれに相当する人というのは出てきませんね。これは教育学自身の中に短所があるのかもわからない。それは、目的は倫理学で方法は心理学だと言われています。
ただ読んでいるのですが、しかし西田幾多郎先生の言葉に読書考ということがありますが、読んだだけで考える人間はない。読み、かつ書く、その過程において考えるということでありますから、作文教育というと小さなことのようでありますけれども、私は知育上きわめて大事であると思います。
小泉信三、長谷川如是閑、馬場恒吾、鈴木文史朗、信時潔という音楽家、それから西田幾多郎、それから小説家は武者小路、志賀直哉、広津和郎、正宗白鳥というような超一流の人が呼ばれているのです。 それで広津さんは水交社へ行った。
西田幾多郎先生がかつて学生に対して講義の初めに、フランス革命で自由、平等、博愛ということを言ったけれども、民主主義はこれではできない。自由の背後に責任あり、平等の背後に差等あり、博愛の背後に懲罰あり、この六本柱で民主主義は初めてできるのだ、ということを西田先生が教えられた由に私は承っております。私もそのように、六本の柱がなければ、国は今日においては存立し得ない。
○国務大臣(愛知揆一君) 一々のこまかい経歴等はいまここでつまびらかに申すだけの資料も持っておりませんけれども、先ほど申しましたように、日本の哲学界における権威者と目されておる人であって、たとえば、最近の著書も私読みましたけれども、これは主として西田幾多郎先生などを中心に書かれたものであります。たいへん敬意を表して私としては読んだわけでございます。りっぱな方であると私は信じております。
○国務大臣(愛知揆一君) 一口に申せば、京都哲学派とでも申しましょうか、西田幾多郎先生などと親しいといいますか、その系列に属する方ではないかと思います。現在東京学芸大学の学長をやっております。
西田幾多郎さんは禅の問題ではかなりな問題を提起して、哲学としては初めて日本に組織なるものをやった。こういうふうなものを調べている人とあまり違わないのじゃないでしょうか。自衛隊のそういうふうなことを考えるならば、国法を犯した者は一人も採用しないという前提で今まで入隊さしていますか。