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98件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1986-09-09 第106回国会 参議院 決算委員会 閉会後第2号

古い話ですと倉石農林大臣とか小林法務大臣とか西村防衛庁長官とかいろいろあります。ですけれども、この方たちは全部辞任をしておられます。近くは中曽根内閣になってから平泉長官の問題とかあるいはまた渡辺通産大臣毛針発言とかいろいろあったわけでございますけれども、このことは陳謝をなさった、こういうことであったわけです。ただ、今回の場合は説を曲げない、つまり信条であったということです。

刈田貞子

1985-12-06 第103回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

市川正一君 今お答えがありましたように、例えば七一年の当時の高辻法制局長官は、五年というものは長いといえば確かに長い、できる限り五年ということに画一的にしない、さらに西村防衛庁長官は、長いと言うが、そういう面があるかもしれないというふうに肯定的におっしゃっています。江崎防衛庁長官も、最悪五年というふうにおっしゃって、五年というのは最悪の事態というふうに見解を表明されております。

市川正一

1985-11-20 第103回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第2号

宇都政府委員 ただいまお話しのありました一九七一年十二月の法制局長官答弁西村防衛庁長官答弁等が引用されておりますが、これは公用地暫定使用法を制定するに当たって、その時点での経過的期間について見解を述べたものでございまして、本件のような土地収用法特別法であります駐留軍用地特措法という従来からある法制度の適用について期間を述べたものでないと考えております。  

宇都信義

1982-05-13 第96回国会 衆議院 内閣委員会 第16号

七一年の西村防衛庁長官、国連は田舎の信用組合、モルジブなんか土人国。原労働大臣、七二年一月ですが、養老院我利我利亡者の集まり。いずれも憲法国民を侮辱することでは甲乙つけがたいところですけれども、今回の伊藤防衛庁長官発言は、その態度、言葉の低劣さからいってもこれまでの更迭大臣にまさるとも劣らないと私は考えるわけです。

中路雅弘

1977-05-18 第80回国会 参議院 本会議 第13号

このような暫定使用法は、米軍による土地強奪の蛮行を免罪するとともに、戦時中の国家総動員法でさえなし得なかった、権力による問答無用土地強奪を合法化する希代の悪法であり、憲法第二十九条国民財産権保障規定憲法第三十一条適法手続条項憲法第十四条法の前の平等の原則に違反し、立法手続においても、憲法第九十五条地方自治特別法住民投票規定などに違反する悪法であり、当時の西村防衛庁長官でさえ、延長しようなどとは

岩間正男

1977-05-14 第80回国会 参議院 内閣委員会 第11号

太田淳夫君 次に、かつて西村防衛庁長官は、昭和四十六年十一月の十七日でございますけれども、この法律案、すなわち暫定使用法のことでこのように答弁をされているわけですね。「暫定期間を設けて、そして使用権を立てさせていただいてその間にお話し合いを進め、あるいはどうしてもお話し合いがつかない場合はその他の措置によってやっていく、一定期間暫定経過措置、こういうふうに考えていただきたいのであります。

太田淳夫

1977-05-11 第80回国会 衆議院 本会議 第25号

六年前の沖繩国会において、政府は、まだ施政権返還前であった沖繩には憲法が適用されないためのやむを得ざる措置として暫定的に五カ年間使用すると説明してきたのであって、だからこそ当時の西村防衛庁長官でさえ、余りの悪法のため、「延長するという考えは全然ございません」と答えざるを得なかったものであります。

山原健二郎

1977-05-11 第80回国会 衆議院 本会議 第25号

この点について、当時の西村防衛庁長官が「一定期間暫定経過措置であるから、将来改正して延長しようなどとは全然考えておりません」と答弁していることを思い出さなければなりません。法律の性格上も延長することは許されないものであります。また、みずからの言明を破って、事もあろうに五カ年の延長を強行することは、沖繩県民に対する二重、三重の欺瞞を行うことであります。

柴田睦夫

1975-06-19 第75回国会 参議院 運輸委員会 第10号

まず第一に、昭和四十六年七月に起こった雫石の大惨事の後の国会で当時の西村防衛庁長官は次のように答弁しておる。「国民自衛隊であるものが万一にも今回の事故のように国民危害を与えるようなことがあっては大変であります。」、そうして「今回海上を使うということを中心に置きまして、やむを得ざるものにつきましては、民航の安全第一を第一義として」いろいろな処置をとりたいという言明をしているわけであります。

岩間正男

1975-05-29 第75回国会 参議院 運輸委員会 第7号

たとえば西村防衛庁長官——これは自衛隊もよく耳を澄まして聞いておいてくださいよ。あなたたちの今後の答弁にこれは非常に影響する。  当時の西村防衛庁長官はこう言っています。ここのところを読んでみますと、「国民自衛隊であるものが、万一にも今回の事故よう国民危害を与えるようなことがあってはたいへんであります。」

岩間正男

1974-05-21 第72回国会 参議院 内閣委員会 第20号

これは西村防衛庁長官のころから言い出されたことばでありまして、そしてその後歴代の長官がおりに触れておっしゃってきておられるようであります。  ここに私が持っておりますのは、四十七年の七月十五日に防衛施設庁長官——松長官ですね、当時。高松長官名義で、山梨県に対して「北富士演習場使用について」といういわゆる使用転換への要請の公文書なんですが、その中にこういうくだりがあるわけです。

神沢浄

1974-02-07 第72回国会 衆議院 予算委員会 第14号

当時の西村防衛庁長官は、この私に対してこう答弁されました。原子力を「推進力として原潜をつくる、こういう考えはない。したがって、これに関する研究と申しますか、開発計画というようなものはあり得ないのであります。」そう答弁されております。  これは私は何回も確認してきましたが、もう一ぺん確認をいたしますよ。

楢崎弥之助

1972-06-09 第68回国会 衆議院 内閣委員会 第34号

そこで、構想というものについては、あなたがどういう答弁をなさったかわかりませんけれども、まず第一に、五兆二、三千億円ぐらいの規模になるだろう、こういうふうにもおっしゃっておりますが、これは中曽根長官がかつて五兆八千億円、それを少し修正して西村防衛庁長官が五千億程度減額するというような金額と全く同じなんですけれども、こういうような金額を想定した根拠というものは、長官どういうふうに考えて立てられたのか。

伊藤惣助丸

1972-05-31 第68回国会 衆議院 内閣委員会 第28号

それが、西村防衛庁長官あるいはまた増原防衛庁長官は、やはり年度別でいくことが正しい、きめるならば四次防だ、こういうふうに言って、十年間の目標を五年間に詰めて、そしてわれわれにまた防衛庁原案を出しました。結局その中には、そういうことが私もないと思っていました。しかし、防衛庁と密接不可分である三菱はすでにそういうことを研究し始めている。

伊藤惣助丸

1972-03-30 第68回国会 衆議院 予算委員会 第21号

したがって、これはここにおられるのですから総理にお聞きになればいいのですが、総理がそういう希望をされたというふうには聞いておりませんし、のみならず私が前任者から事務引き継ぎをしました当時、西村防衛庁長官も、これは相当重要な問題ですが、さようなことは引き継ぎ事項として言っておられませんので、あくまで当時の私見であるというふうにおくみ取りを願います。

江崎真澄

1972-03-16 第68回国会 参議院 内閣委員会 第5号

どうも江崎防衛庁長官を前に置いて総理にこういうことをお伺いするのもちょっと伺いにくいんですけれども、昨年来、増原防衛庁長官西村防衛庁長官二人更迭されておるわけです。しかも増原さんの場合には、申し上げるまでもなく自衛隊機による全日空機との衝突ということの責任をとっておやめになった。西村さんの場合には、外人記者クラブでの失言閣議後の記者会見での失言、この失言でもって西村さんはおやめになった。

水口宏三

1972-03-14 第68回国会 衆議院 内閣委員会 第3号

もともと、これが昨年の六月二十九日の閣議中曽根防衛庁長官の当時決定を見たというのは、一昨年以来、災害がこの大都市を襲ったらどうなるか、そのとき自衛隊民生協力はどういう形で行なわれるべきか、こういうことが背景になりまして閣議決定をなされたというふうに、私は事務引き継ぎのときに前任西村防衛庁長官から受け継いでおるわけであります。

江崎真澄

1972-03-09 第68回国会 衆議院 内閣委員会 第1号

実は旧臘にわかに西村防衛庁長官のあとを引き受けることになりました。自来、沖繩協定委員会沖特委員会で終始いたしておりまして、内閣委員会皆さま方には、本日初めて出席をいたしましてお目にかかる次第でございます。万事ふなれでございますが、ひとつどうぞよろしくお引き回しを願いたいと思います。(拍手)      ————◇—————

江崎真澄