1971-12-23 第67回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第7号
まさに、県民の生命と生活を守る自衞隊であり、復帰後の沖繩の民生安定に寄与するものが多くあります。しかるに、最近の琉球新報の世論調査によりますと、沖繩県民の四七・四%が自衛隊の配備に反対しており、賛成はわずか一六・六%しかありません。沖繩県民の過去に受けました戦争被害に対する反発とのみ本件を片づけることはできません。
まさに、県民の生命と生活を守る自衞隊であり、復帰後の沖繩の民生安定に寄与するものが多くあります。しかるに、最近の琉球新報の世論調査によりますと、沖繩県民の四七・四%が自衛隊の配備に反対しており、賛成はわずか一六・六%しかありません。沖繩県民の過去に受けました戦争被害に対する反発とのみ本件を片づけることはできません。
私は、いまこそ自主防衛といいますか、日本の自衞隊であり、日本のものであるということについて信念を持ってやっていただきたいと思いますし、また、やるべきでなかろうかと、こういうように感じております。
自衞隊の中の規律はこういうことによって乱される。一体今の予算の余った部分を、各省のようにその年ごとに国庫に返すといったような方針がとれないものかどうか。
最後に、自衛隊の飛行場に自衞隊の航空機以外の航空機が着陸した場合においては、一定の条件のもとに便宜所要の燃料を無償で貸し付けることができることといたし、また駐留米軍と自衛隊とが隣接して所在する場合においては、自衛隊は米軍に対し、一定の条件のもとに、必要に応じ、給水その他の役務を適正な対価で提供することができることといたしました。
なお、木村長官は先般北海道駐屯自衞隊をつぶさに御視察になつたとのことでありますので、その視察の結末について、この際御報告を受けることができますならば、特に近く北海埴駐屯自衛隊の視察に赴かんとする内閣委員にとりましては非常に幸いと存じます。 それでは先ず議員派港の件を議題といたします。
○吉武委員 青年行動隊というのは先般の國鉄ストでも明らかになつたのですが、千葉あるいは東神奈川においても産業防衞隊という組織をつくつて、そうしてそれに青年行動隊が配置されて、いざというときにはサイレンを鳴らして集まる。今お宅の工場の話を聞いてみますと、サイレンを鳴らして動員をしたという、相似たものがあるように見受けるのですが、よくわかりました。
○大橋委員 そして六月二日に蒲田の新交番を拒否させるために防衞隊に出てくれと言われたが、あなた自身は拒否した‥‥。
○大橋委員 あなたは防衞隊の話をさつきしましたね。
○吉武委員 そうすると共産党がつくつておる産業防衞隊ということはお聞きになつたこともないし、あなたは関係になつていない。そういうふうに了承してよいのですか。
○吉武委員 ところがサイレンが鳴つたら、サイレンを聞いてか、その産業防衞隊が続々と集まつたというのだが、そういうふうにサイレンのもと一ぺんにそのような産業防衞隊が集まるという組織をあなたは御存じなかつたのですか。
○千田正君 新聞紙上に吉村大尉の身辺に親衞隊と称するごろつき或いは遊び人というような者たちを大分手下に持つておつて、これが作業の際の監督の任に当つておつたということが新聞に書いてありますが、こういうような事実があつたかどうか。これを伺いたい。
○証人(佐々木四郎君) 私は旧軍隊においては上等兵でありまして、併し終戰の直前八月の十一日にハルピン市の防衞隊に應召を受けまして、その防衞大隊は十六日に解散しております。
これは彼の親衞隊といわれる楠木というのですか、桔梗寮という寮がありまして、そこに親衞隊を置くという評判があつたのです。その隊長です。その楠木がはんてん着て、子分四名引連れて私のところへやつて來まして、これは私のところに來る前に、各新聞社を歴訪して、どういうことを言つたか知れませんが、つまり新聞に出たことについて相当にいやがらせを言つたのであります。